無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

六尺棒 打つ

 「六尺棒」の二本目「せぐち」、三本目「すんげ」、四本目「いせん」、五本目「ゆうか」は棒を持ち上げたところからただちに打ち合います。
 持ち上げるときには体内のバランス上上がれば下がるところがありますが、お話しした通りですので省略します。
 打ち合う時には足幅が広がり、足をそろえた状態から比べれば臍下丹田の位置は下方に下がります。当然棒も下方に下がりますので棒、腕、肩、胴体、さらには下肢が下がる重さが全て打ちあう点に加わっていきます。腕力で打ちあうものではありません。両腕の重さは稽古の時に感じていただいた通りで、棒に両腕の重さが加わっただけでも相当の重力になります。

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  1. 2015/08/01(土) 21:25:00|
  2. 柔術 業

六尺棒 「かすみ」

 六本目「かすみ」は二人ともに半円上を移動したのちに棒を打ちあいます。
 移動する時、棒の端をひこずりますが棒が床と接して動くときの響きが六尺棒を通り、手の内、腕肘と伝わって丹田にまで伝わっていなければ自分の体の状態は「まだまだ」だと自覚しなければなりません。
 半円を描いて移動する意味は相手を見るのではなく感じて打ちあうことにあります。見たのち打つのではないので留意してください。

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  1. 2015/08/02(日) 21:25:00|
  2. 柔術 業

半棒 礼式

 引き続き貫汪館特別講習会で指導したことを中心に述べていきます。
 半棒は所謂杖の長さの棒を用います。したがって六尺棒よりも短く、重量も軽いため扱いやすいように勘違いしてしまうのですが、間違いです。そのように感じてしまう方は臍下丹田を忘れ、「無理無駄無きこと」もわすれて腕力で半棒を扱おうとしてしまいます。
 六尺棒と半棒の礼式の手順は同じですので、棒を体前に建てたとき、前にまっすぐ横たえるとき、蹲踞するとき、棒をとるとき、棒を立てたとき、それぞれの状態が同じであるか感じてみてください。

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  1. 2015/08/03(月) 22:48:40|
  2. 柔術 業

半棒 「立会」左への移動

 半棒の動きは単純でほとんどの方の最後の動きは上から「受」の頭上に打ち込みます。打込む動きは六尺棒の打つ動きと同質であるので、説明は省略します。
 さて「立会」で木刀を左にかわす動きは臍下丹田を左に移動することによります。右足を蹴ることによって動くわけではありませんので重心は上がりません。初めに立ち姿勢の状態からさらに力を抜き、その際わずかに左へ抜きます。体の中心線が保たれたまま左に動き始め右足がそれについてきますので、木刀が下りてきたときには体は完全に左にあり木刀をかわしています。この動きが難しい方は立っているときに床を蹴って立っていますので、そこにあるだけの立ち方を工夫しなければなりません。
 
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  1. 2015/08/04(火) 21:25:00|
  2. 柔術 業

半棒 「立会」棒の動き

 半棒の動きは常に流れ続けますので、流れ続けることを前提に以下の話を理解してください。
 棒をもつ右手は棒のほぼ中央に位置します。体が左に動くとき握りしめていない左手に連れて棒は左に倒れ始めます。その動きを利用して体が左に移動したときに棒は床と平行になり木刀が棒を打ちます。
 木刀が棒を打てばその力を利用して棒は回転し、木刀の峯を打ちます。打つ時には体の重みを用い腕力を用いないのは講習会でお話しした通りです。
 棒は常に流れ続けて動くこと。
 手の内は柔らかいこと。
 丹田と棒の動きはつながること。

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  1. 2015/08/05(水) 21:25:00|
  2. 柔術 業

半棒 「指棒」棒の働き

 「指棒」は棒の先端を受の眉間につけます。ただつけているだけではなく棒の先端で受の動きを制します。制する意思がなければ棒はただそこにあるだけで、制することができません。意思があり、動きがあって初めて働きが生まれます。棒の先端が受を制している状態の中で受は無理に斬りこんできます。受が無理に斬りこんでくるという状態が生まれなければ「指棒」の形は成立しません。
 無理をして斬りこんでくるので、わずかに引くことによって間を調整しながら棒は優しく刀の鎬を受けます。そこから棒の先端は受の鍔元に回り込んで受の刀を操ります。

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  1. 2015/08/06(木) 21:25:00|
  2. 柔術 業

半棒 「指棒」間合

 「指棒」の棒の働きについては昨日述べたところですが、棒には唾がついていませんので間合いを間違えてしまえば流れてきた刀で右手の指は切り落とされてしまいます。
 間合の感覚が薄い方はここを疎かにしてしまい、危ないことを平気で行ってしまいますので気を付けなければなりません。万が一刀が流れてきても指を切り落とされない間合で、なおかつ相手の刀を制御できる間合の工夫は不可欠です。

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  1. 2015/08/07(金) 21:25:00|
  2. 柔術 業

半棒 「提棒」構え

 今日で半棒の解説は終わりにします。あとは講習会でお話ししたことを参考にされてください。
 半棒の中で「提棒」は特殊な構えを用います。この構えは慣れれば簡単なのですが、初心者の方は形だけを作ろうとされるため役に立たない構えになってしまいます。この構えに似た構えを貫心流(司箭流)の長刀では「天地の構え」といっていたと天道流の吉村先生にお聞きしたことがあります。
 さて、この構えのポイントですが

 両足はゆったりと開き足腰のどこも固めぬこと
 棒は体の中心線に位置すること
 右手の棒端は額の上に軽く位置し、棒の下端は斜め前に脛を守ること
 受の動きに応じ全身を用いてどのようにも変化し攻防できるよう心と臍下丹田を中心として下半身上半身には無理無駄がないこと

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  1. 2015/08/08(土) 21:25:00|
  2. 柔術 業

瑞穂舞から学ぶべきこと 感覚

 講習会での気付きを少し中断します。京都では瑞穂舞のインストラクターの先生方に奉納をしていただきました。貫汪館の皆さんはすでに大石神影流剣術大石宗家に瑞穂舞の講習を受けておられますのでどのようなものかはご存じだと思います。
 私が何を感じ何を素晴らしいと思い、貫汪館で学ぶ方に何を学んでほしいのか述べます。

 瑞穂舞では爪先から指先まで、さらに言えば長い髪の先、衣の隅々までに神経が通い自分の体の一部として体感されています。これは私が初心者の方にお話ししている「刀を遣うのではなく、切先まで自分の体としなさい。」というところと、共通する部分です。
 進んだ方には「鞘の小尻の先までを自分の体として」とお話してあり、さらに進んだ方には「下緒や袴の先まで」とお教えしているところと共通しています。
 できぬ方は刀の柄をしっかり持ち、意識は鍔元で途切れています。自分はどうなのかと振り返ってください。

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  1. 2015/08/09(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

瑞穂舞から学ぶべきこと 天地

 瑞穂舞を舞われる方は天地がつながりその中に自分があります。天地人がそろっているゆえに自由があります。天地人の調和があるので上方へも下方へも自由に動かれています。これを見て取ることができた方は貫汪館で上達していくことが可能です。
 居合の稽古で常々申し上げているように天地を感じることなく「我」のみで存在していると、すべては我から発しなければならず、やがて尽きてしまいます。
 天地人が一体となれば「我」はなくなり、天地が作用するため動きは限りなく楽になります。貫汪館で稽古される方もそこに気付かれれば、これほど楽に動けるのかという事がお分かりになられます。

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  1. 2015/08/10(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

瑞穂舞から学ぶべきこと 広がり

 瑞穂舞を舞われる方の感覚は自分のつま先から毛髪の先端まで、衣の隅々にまであることは述べましたが、心は自分がある空間にのびのびと広がっています。
 自分が空間と一体となり、空間が自分となっているような感じです。
 貫汪館の初心者の方や伸び悩んでいる方は『自分が』という意識が強すぎて心は自分の身の内に閉じられ、対している相手にも通じることがありません。ましてや、その場を自分のものとして戦いに至らぬようにコントロールすることなど夢物語に過ぎないでしょう。
 心が広がらねば相手と通じる事はありませんし、いつまでたっても彼我の関係で自分が優位に立とうとする争いの心を離れることはありません.

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  1. 2015/08/11(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

瑞穂舞から学ぶべきこと つながり

 昨日と通ずるところですが、瑞穂舞では複数で舞われるとき、すべての人の心がつながり一つになり、複数でありながら自然な一つの動きとなって調和が取れています。西洋的な運動が意図的に合わせていることが多いのに対し、意図しなくて調和がとれあっているといったところでしょうか。
 二人で形の稽古をするとき、ダメな人は相手が動けば動くぞと、その期を伺い、焦って動き始めます。しかし二人の間につながりがあり調和が取れていれば意図的に動こうとしなくても、相手の過不足・隙に無意識に体が入っています。
 瑞穂舞と貫汪館の武道についてのお話はこれでおしまいです。まだまだ多くのことを述べることができますが、自分の目で見て感じてください。

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  1. 2015/08/12(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無雙神傳英信流抜刀兵法 抜付け 1

 特別講習会の気づきについて述べます。2日目の午前中は無雙神傳英信流抜刀兵法の正座からの抜付けを中心に稽古しました。
 抜き付けで心掛けなければならないことを列挙します。

 座姿勢
 「自分が」という意識で姿勢を作ってはなりません。天地間に自分があり、天地人の調和がとれている必要があります。そのためには天地に通った見えない軸が存在したうえで、体は整った状態ですべて地にあずけられている必要があります。そのような状態似れば、わずかに崩してやれば動き始めます。

 始動
 先にも述べたとおりに座姿勢は作ったものではないため自然な状態で安定しています。したがって意図的に崩すことによりその安定を破るので動き始めます。臍下をつかって前にわずかに落します。

しばらく京都天竜寺の写真を載せます。
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  1. 2015/08/13(木) 21:25:00|
  2. 居合 業

無雙神傳英信流抜刀兵法 抜付け 2

 鞘手
 「鞘手、柄手」は鞘手から動き始めます。体の安定を崩し上半身をわずかに下方に落としたら鞘手が動き始めますが、広背筋を用い前腕をわずかに外側に回転させ、肘が落ち、手首があがっていきます。
 鞘に触れるのは小指薬指で、手首があがっていく過程で(握るのではなく)触れますのでかすかに掌は広がります。
 そこからさらに前腕は回転しながら鞘は小指・人差し指と小指側の掌で上下に挟みます。小指・人差し指は鞘を握るのではなく、指先のふくらみに吸盤があるかのごとく軽く(弱くではなく)接します。
 前腕は動き始めの回転が続きながら鞘は外側に回りつつ体の前傾とともに前に出ますが、肘は落ち手首側は上がっていきますので柄頭が下がることはありません。また左越しが後方に開きますので、柄頭は前方に指向したままになります。
 細部は、説明をするとかえって混乱しますので、この程度にとどめます。

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  1. 2015/08/14(金) 21:25:00|
  2. 居合 業

無雙神傳英信流抜刀兵法 抜付け 3

 柄手
 柄手は鞘手に遅れ、鞘手が前方に進むのを追いかけていく心持です。
 柄手は決して柄を握ることがありません。したがって柄手の親指は前方をむいたままであり、手首は内側の筋がかすかに伸びる心持です。
 柄手が柄に触れますが、鯉口は切れていますので柄が親指と人差し指の付け根に軽く触れた状態で、刀は運ばれていきます。少なくとも触れた週刊には柄手を通じて切っ先まで感じられねばなりません。
 親指の動かない働きが大切で、親指の刀は乗っているものの、親指に力みがない状態であれば刀は生きて働きます。
 鞘手と同様、上半身に力みなく動きますので肘は上がらず、脇は閉じられています。

 これ以上は言葉で表すとかえって混乱するので、これくらいにとどめます。
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  1. 2015/08/15(土) 21:25:00|
  2. 居合 業

無雙神傳英信流抜刀兵法 抜付け 4

 横一文字の抜き付けは柄が親指に乗って刀が走っていきます。厳密にいうと親指の右側です。
 横一文字で切先が山を描くのは親指以外の4指で柄を握るためです。抜き付けの最中には4氏は柄に触れてはいますが力を加えようとして握ることはありません。握れば不自由になり、握らなければ自由に働きます。師の梅本三男貫正先生は抜き付けは最後に柄が手の内に納まる」と話されました。
 
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  1. 2015/08/16(日) 21:25:00|
  2. 居合 業

無雙神傳英信流抜刀兵法 抜付け 5

抜付けた刀は止めるのではなく、止まります。
 臍下丹田から順に使っていった体の動きは、臍下丹田の動きが止まれば自然に止まります。止まらないのは臍下丹田が動きの中心ではなく、肩腕が中心になっているからです。
 力を抜いて手の甲を上に親指を生かして両手を前に出し、臍下のみでこれを広げてください。これで理解できない方はまだまだ礼法の稽古が足りません。
 抜付けについてはこの程度で終わり、少し他のことを述べた後、3日目に稽古した大石神影流について述べていきます。

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  1. 2015/08/17(月) 21:25:00|
  2. 居合 業

無知

 物事に関する知識がなく、自分が思い悩んでいるときには、いかにも真理であるかのように巧妙に作られた罠に落ちることがあります。そして真理ではないことを真理と信じ込みそこから抜け出せなくなります。
 意図的に作られた罠ではなく、深く考えもせず出来上がったことが真理として流布されることもあります。こういうものは罪はないのでしょうが人を間違った方向に導くという点では共通しています。
 そうならないためには知識を身につけ、自分自身で判断できる力を身につけなければなりません。貫汪館で妙な動きをされる方がおられ、なかなか正されないのでよく聞いてみると、稽古する前に市販の本を読み、それを信じ込んでいたとか、テレビを見たときに有名人であったので信じ込んでいたということがありました。これまで何人かおられたように思います。

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  1. 2015/08/18(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

進化発展

 進化発展は常に進むことによってのみ可能になります。技の向上も、心の向上もまた、流派の発展も同じことです。
 人はある程度進むとその地に安住したくなります。「これくらいでいいだろう」とか、「ここまで来たのだから」とか、「よくやってきた」という思いが生まれる時が誰にでも必ずあります。
 そういったときには必ず負のエネルギーが強く働き始めます。「+・-」「陰・陽」と物事の働きの原理を表す時には両方必要ですが、「正・邪」といったときにはどうでしょうか。進化発展が我々にとって歩む方向性であった場合には後退退化はその逆になります。
 技の上であれば、自分たちの演武を下手に見られたくないという思いから、インチキを始めます。剣術であれば打太刀があからさまに大仰な動きをしておこりを見せ、また観ている人にいかにも斬り合っていますというように見せ、仕太刀も大げさに応じます。柔術であれば技が効いてもいないのに効いたふりをして大きく倒れたり、力が加わってもいないのに後方にのけぞったりし始めます。これは反対の方向からの力が働いているからで、演武している二人の技の進化発展は止まるどころか後退します。
 組織の運営また然りで、毎年決まりきったことのみ行って、手馴れて上手くいっていると決まりきったことに安住してしまえば、それ以上のものにならないどころか組織の勢いは後退していきます。
 人の出入りも同じことです。新たな人は新たな風を運びます。こじんまりして「気心に知れた」と思い込んでいる者の集まりで変化がなければそのグループには反対方向の力が働き衰退していきます。
 常に「前へ、前へ」と進むことによって進化発展は続きます。

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  1. 2015/08/19(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

多面的に物を見る

 物事を一方からのみ見ていると本当の姿は見えてきません。
 たとえば宗教では日本は幸いに多神教なので研究しようとすれば様々な角度から世界の宗教を見ることができ、なぜ宗教による争いが起こるのかも見えてきます。
 幕末に広島藩の農村地帯でなぜ柔術が盛んであったのか、歴史的背景を知らなければただ娯楽としてとか、スポーツとしてとか、という点にしか思いが至らないでしょう。明治維新近くになって剣術が農村でも行われるようになったのはなぜか。農兵になれば刀を1本させる。さらに地位を得れば二本差しにもなれるという背景なしには語ることができません。
 日本の古武道は古い流派であれば剣術・柔術・居合など一つの流派の中で多くの種目の武術を稽古します。しかし、幕末近くに成立した流派は剣術、柔術などの特定の種目に特化する傾向があります。貫汪館で澁川一流のみを稽古して他を稽古しなければ一面しか見えてはきません。無雙神傳英信流抜刀兵法またしかりです。苦手だからと見ないようにしていると自分が行っていることさえも見えてこないものです。

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  1. 2015/08/20(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

思いが変わらねば

 無雙神傳英信流抜刀兵法の師はよく「思いが変わらねば」と話されました。
 「強く振りたい」「力強くありたい」と思っている方がその思いを変えぬままで「ゆっくり早く」という技が使えるようになることはありません。
 「刀を思い通りに扱いたい」と思っている方が「刀と自分とが一体である」という感覚を持つことはできません。
 目指しているところが異なるのですから、結果も異なってきます。
 そこに気付く人は早く上達し気付かぬ人はいつまでたっても今いる所に留まります。

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  1. 2015/08/21(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

繰り返し

 ただ繰り返すだけでは上達しません。思いが変わったならば稽古のたびに古い自分を捨て去らねばなりません。
 日々の稽古は積み重ねで上達するのではなく、毎回新たに生まれまわることによって上達します。手馴れただけの動きと上達とが同じものだと錯覚してはなりません。


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  1. 2015/08/22(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

思念

 思念は変化をもたらしますが、あくまでも体が伴っていることが大切です。思いが変化をもたらすと記していますが、思いだけでは体は変化していきません。思いがあり行動があるからこそ変化が始まります。
 思いに基づき体を動かし、修正しまた試み、又修正する。動きを伴うことによってのみ向上があります。

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  1. 2015/08/23(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

暗示誘導

 こんな素晴らしい技がある(あった)。 
 ほとんどの人は(今の時代は)そんなことができる人はいない。
 こういう方法なら実現できる。
 さも実現不能なようなことを示す。(実は誰でもできる)
 私が示すこのような方法だけが、それを可能にする
 やらせる。
 できる。
 信じる。 
 
 ここまでくれば暗示にかけることが成功しているので、思い通りに誘導することが可能になってきます。
 武道の世界でも、名の知れた人でそういう人がいて、その人のやり方は見えてしまったので???でした。
 新興宗教の世界には多くあることのように思います。
 大学生の中に広まった新興宗教の中にも、似たような方法を取るものがありました。知っていたのでひっかかることはありませんでした。
 ここまで生きてくると、またそのような学問もしてきたので、いろいろな新興武道や新興宗教を見る機会がありましたが、こういう手法を使った方が固定客もできやすく、お金も集まりやすいのだと思います。特に不安を感じていたり、深淵が揺らいでいる状態の人には有効です。

 私たちが稽古する武道には無縁の世界です。
 しっかりと目を開き、一人一人が稽古を通じて自己を確立していくのが武道です。

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  1. 2015/08/24(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

利他的

 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生が帰幽される10年位前にお話しくださった言葉だったと思います。
 利己的の反対が利他的。剣も利他的なものでなければならない。「己が、己が」という思いからは何も生まれない。自分だけがよければよいという思いの剣であっては価値がない。他を利する剣でなければならない。

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  1. 2015/08/25(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

己を修める

 澁川一流柔術の師 畝重実嗣昭先生はあまり「言挙げ」されることはありませんでした。しかし、「己を修めるためのものでなければならない。」ということは何度かお聞きしました。先生の少ない弟子の中にも「自分が、自分が」という人が多く、何かある度にこのように話されていたように思います。武道を稽古すると表面上は勝ち負けを争うように仕組まれているため「自分が、自分が」と利己的になる人が多くいます。自己の戒めとしなければなりません。

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  1. 2015/08/26(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

慈愛

 澁川一流柔術の師 畝重実嗣昭先生は私を弟子とされたときに話されたことです。
 「師弟と言えば親子も同然。子が危ないときには親は命を懸けて子を助ける。」弟子にしていただいた後は、その言葉通りに私を実の子のようにかわいがってくださいました。また、私の子にはご自身の孫のように接してくださいました。私と先生の年齢は40歳以上離れていましたので、私も先生を実の父以上に思っていました。免許皆伝上極意をいただいて、自分で教えるようになってからも機会を作っては先生をお訪ねし、お話しをお聞きしました。おそばに居らせていただけるだけで先生の慈愛の光が私を照らしていました。

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  1. 2015/08/27(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

そばにいるだけで

 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生が私が大学生になったばかりのころに話してくださったことであったかと思います。
 「優れた方のそばにいさせていただくだけで、お話はしなくても自分は向上する。」その時にはわかりませんでしたが、やがてそのような機会を得るたびにそれが真実であることを実感しました。

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  1. 2015/08/28(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

コップの水

 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生が私が入門して間もなくお話ししてくださったことです。
 「技を伝えるということは、コップの水を漏らすことなく別のコップに移すようなもの。受け取る側のコップが空でなければ、溢れ出てしまい、移すことはできない。」
 その当時、先生にはたくさん弟子がおられたのでさまざまな方がおられたのだと思います。高校生の私から見ても先生の教えに従っておられない方がおられました。そういう方はコップにはじめからほかのものを入れているので、先生もそのコップに水を移すことはできないと思われていたのでしょう。
 弟子が多かった先生は門人を2種類に分けておられたように思います。

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  1. 2015/08/29(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大石神影流剣術1 中段

 大石神影流剣術ではいわゆる中段のことを「真剣に構える」という言葉も用います。
 基本的なことですが足は撞木に開きます。撞木に開いた足ですので膝は当然割れ、前足の膝は正面に向いてゆとりを保ってゆるみ、左足の膝は左足のつま先の方向に向いて弛みます。重心は前後どちらにもかかりません。
 下半身に乗る上半身ですから上半身は正対することなく角度を保ったまま相手に向かいます。左手は体の中心に位置し、右手は自分の中心と相手の中心を結んだ中心に木刀がくるように位置します。左右の手の中心は左右どちらにも偏りません。
 言うまでもないことですが手の内を通じて切っ先までが自分の体となり、刀を扱うのではなく自分の体の一部となっていなければなりません。
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  1. 2015/08/30(日) 21:25:00|
  2. 剣術 業

大石神影流剣術2 上段

 上段は中段から文字通り半月を描いて切先が上昇します。この時中段構えで切っ先まで自分の体となっていなければ柄のみ半月を描かそうとして切先は死んでただ動いています。
 上まで上った刀は下りることによって上段に落ち着きます。下りなければただ上昇したのみで安定はありません。上がる、下がるは体の内部の働きによってなされ、体を活性化します。ここを形のみで行っていては体の働きを活性化させることもありません。
 下がるときに体が正対する人もいますので要注意です。足は撞木なのに体が正対すればねじれが生じてしまいます。
 上段にとった時は切先は柄よりもやや後方に位置します。

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  1. 2015/08/31(月) 21:25:00|
  2. 剣術 業

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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