無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

加藤田平八郎の廻国修行について ―文政12年の日記を中心に―   14

(5)「他流試合」をしない流派による情報収集。
 11月9日の伊予西条出の記録には「暫時有而近藤与三左衛門方へ参候様使申来候ニ付参候処、流儀ハ未他流試合相初不申ニ付及御断候段申聞候、試合之都合諸藩形勢等相尋、孰レ後ニハ他流試合相始候含ニ相見申候」とあり、近藤与三左衛門が他流試合をしないものの、加藤田平八郎を呼んで諸藩の他流試合の情勢をうかがっている様子が記録されている。他流試合を行う導場が多くなるなかで、他流試合を行っていない流派がどのようにすべきか情報収集していることがわかる。
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  1. 2014/10/01(水) 21:25:34|
  2. 武道史

加藤田平八郎の廻国修行について ―文政12年の日記を中心に―  15

(6)他地域への留学
 11月12日の波止浜で平田正方への滞在中には「正弟同苗兵衛剣術為修行京都一刀流中西常蔵方へ入塾、既ニ八年ニ相成候由話也」と記録しており、地方から高名な師範のもとへの留学が行われていたことがわかる。

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  1. 2014/10/02(木) 21:25:24|
  2. 武道史

加藤田平八郎の廻国修行について ―文政12年の日記を中心に―  16

Ⅴ おわりに  文政12(1829)年には北九州、瀬戸内海を中心として防具着用の稽古を行う流派が多く存在しており,この地域において試合が盛んに行われていたと考えられる。今後はこれらの地域で、いつごろ、どのようにして防具着用の試合広まっていったのか明らかにする必要がある。 本発表に当っては広島県立文書館 西村晃様、小郡市埋蔵文化調査センター 須佐弘美様に御指導とご協力を賜りました。心より御礼申しあげます。 註 1)村山勤治:「鈴鹿家蔵,加藤田家文書『歴遊日記』について」,武道学研究,17(1),pp.73-75,1985 2)加藤田大介:『師系並履歴書』,pp.2-5,著述年月日不明,小郡市埋蔵文化調査センター所蔵マイクロフィルム資料 3)篠原正一:『久留米人物誌』,久留米人物誌刊行委員会, 4)『全日本剣道連盟所蔵(写)鈴鹿家文書解説(一)』,「第59号 加藤田文書 歴遊日記」財団法人全日本剣道連盟,p.108,2003 5)村山勤治:「鈴鹿家蔵・加藤田伝書『初学須知』について」,武道学研究,15(2),pp.37-38,1982 76.jpg
  1. 2014/10/03(金) 21:25:05|
  2. 武道史

横浜講習会の感想 1

 劇団夢現舎http://mugensha.jimdo.com/の方から横浜講習会の感想が届いていますのでご紹介します。貫汪館で日頃稽古されている方も参考にされ、マンネリ化した稽古を改めてください。

 力を抜くことと気を抜くこととの違いを考えさせられた稽古でした。 刀を振るということをいかに自然にこなせるかによって見え方が全く異なることに今さらながら驚いています。教えて頂いたことをこれからまた活かしていきたいと思います。
有難う御座いました。
K

先日は講習会に参加させて戴き、ありがとうございました。
形は難しく中々覚えられず悔いが残りますが、「呼吸」「弛緩」を意識して1日を過ごしました。
今までどうしても分からなかった鼠径部を緩めるということが、少しだけ今までと違う感覚になり、感動的でした。
すぐに忘れてしまいそうな微妙な感覚でしたので、まだまだ研究を重ねていきたいと思っています!
次回は少しでも形も理解したい、なぜそういう形になっているのか少しでも理解したいと思っています。
是非参加させて下さい。
楽しみにしております。
暑い日が続き、最近は秋バテも流行っていると聞きます。
どうぞお身体御自愛下さい。
Y

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  1. 2014/10/04(土) 21:25:15|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

横浜講習会の感想 2

 劇団夢現舎http://mugensha.jimdo.com/の方の感想の続きです。

先日は講習会に参加させて戴き、ありがとうございました。
型は難しく中々覚えられず悔いが残りますが、「呼吸」「弛緩」を意識して1日を過ごしました。
今までどうしても分からなかった鼠径部を緩めるということが、少しだけ今までと違う感覚になり、感動的でした。

すぐに忘れてしまいそうな微妙な感覚でしたので、まだまだ研究を重ねていきたいと思っています!

次回は少しでも形も理解したい、なぜそういう形になっているのか少しでも理解したいと思っています。
是非参加させて下さい。
楽しみにしております。
暑い日が続き、最近は秋バテも流行っていると聞きます。
どうぞお身体御自愛下さい。
Y

横浜講習会への参加も私は4回目となり、緊張も解けてきて幾分気持ちに余裕を持って稽古に臨む事が出来ました。そしていざ始まる際の森本先生の「今日は実力をつけてもらいます。」という言葉。この言葉のお陰で程よく気持ちが引き締まりました。

今回は終始稽古の時間の流れが気持ちよく感じました。うまく言葉に出来ませんがフワっとしたというかそんな感じです。身体の力みもあまりなかった様な。お相手して頂いた北大阪支部の堂元様のお人柄のお陰がかなり大きいと思います。6時間という時間もあっという間でした。

しかし出来たつもりとか出来てる自信というのは恐いですね。
「あれ、これが真っ直ぐのつもりで振ってたけど違うな。真っ直ぐじゃない。」と自分で気づいたり、違和感をどこかで感じていながらも見過ごしていた箇所、まったく自分では気がつかなかった箇所を先生方にご指摘頂いたり。
段々慣れて来たかなという今現在の状態が危ないのかもしれません。「出来たー良かったー。」ではなく、この型で大事な事は何だろうとか、芝居に使えるポイントは何だろうとか、日常生活や日常の動作の中で出来る稽古はあるだろうかとか、そういった事を考えていこうと思います。

今回もありがとうございました。
T

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  1. 2014/10/05(日) 21:25:16|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

入身

 槍術では短い鎗を持つ者は長い鎗を持つ者に対して、自分の間合に入らなければ突くことはできません。自分の間合に入っていくことを入身といい、相手の手元に入るまでの試合を入身試合といいました。このため長い鎗を持つ者は手元にはいられないように短い鎗を持った者が入り込む前にこれを突き止める必要があったので、入身をする方が怪我をしないように防具を着用しました。
 間合に入るだけでなく、お互いに攻防を続ける稽古は相面試合といい、双方が防具をつけて試合をしたようですが、双方が防具を着用した相面試合ではどうしても長い鎗が有利になるために、短い鎗を使う流派であっても試合では長い鎗を使うといった変化はあったようです。このあたりの事は昨年の日本武道学会での発表やそれ以前の発表に記していますので、もう一度ご覧ください。
 大石神影流の鎗合の手数は鎗に対して剱が入身をして勝つ形ですので、すでに稽古したことがある方は長い武器に対して短い武器で対する者にとって、いかに入身が大切かは理解されていると思います。また、防具着用の稽古で私の鎗に対した方は、その場で鎗を防ぐだけで、入身がなければ槍に対して手の施しようがないという事も実感されたと思います。
 銃剣道連盟が行っている短剣道は現在は短剣対短剣の試合となっていますが、本来は小銃を持たない砲兵が、間近に現れて銃剣を突きかけてくる場合に敵兵から短剣のみで身を守る技術でした。旧軍の軍人さんたちから短剣の指導を受けた私は銃剣に対して短剣で対する稽古をつけていただき、一瞬の入り身がいかに大切か身を持って学びました。銃剣で突いてこられるのを、短剣でただ防いでいるだけでは、連続して刺突してくる銃剣に一方的に突かれるだけになってしまうのです。
 入身には一瞬の一度きりの勝機しかありませんが、よく観てこれを行えば、ならないことはありません。次回の講習会においても防具着用の稽古をしますので、今から入身の工夫を十分に行ってください。


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  1. 2014/10/06(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

公開演武 澁川一流柔術 解説 1

日本武道学会第57回大会で澁川一流柔術を公開演武させていただいた時の解説をプレゼンテーションソフトの画像をあわせて載せていきます。
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Ⅰ はじめに

1.貫汪館で稽古している3つの流派
 貫汪館では澁川一流柔術のほかに大石神影流剣術、無雙神傳英信流抜刀兵法を稽古している。稽古している3つの流派の内、本日演武する澁川一流柔術は幕末から広島に伝わっている流派である。

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  1. 2014/10/07(火) 21:25:28|
  2. 武道史

公開演武 澁川一流柔術 解説 3

2.貫汪館の活動
(1) 日常の稽古
(2) 奉納演武(出雲大社、広島護国神社、廿日市天満宮等)
(3) 広島の武道史に関する講演と演武
(4) 一般を対象とした講習会
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  1. 2014/10/08(水) 21:25:07|
  2. 武道史

公開演武 澁川一流柔術 解説 3

Ⅱ 澁川一流柔術の歴史
 澁川一流柔術は幕末に広島藩の安芸郡坂村におこった柔術の流派である。実技と伝書は伝えられているが、流祖首藤蔵之進満時〔文化6年(1809)~明治30年(1897)〕の子孫の家が首藤蔵之進没後に火災にあい、江戸時代の文献が残っておらず、流祖や流派の成立過程についての詳細は不明である。
 伝承によると、澁川一流柔術の流祖 首藤蔵之進満時は、彼の叔父で宇和島藩浪人と伝えられる宮崎儀右衛門満義に連れられ広島藩安芸郡坂村に居住した。蔵之進は宮崎儀右衛門を師として渋川流及び難波一甫流を習得し、さらに、他所で浅山一伝流をも習い「澁川一流柔術」を創始した。
 天保10年(1839)頃、広島城下に出ていた蔵之進は5、6名の広島藩士と争いになったが、「澁川一流」の技でこれを退けたところ、たまたま居合わせた松山藩士の推挙によって松山藩に仕えることになった。松山藩では小玉平六と名乗り、四国松山においても「澁川一流柔術」の教授をおこなった。
 明治維新以降は親族のいる広島県安芸郡坂村にたびたび帰り、広島の門弟にも「澁川一流柔術」を伝え残した。
 坂町の八幡宮には明治24年(1891)に首藤蔵之進の門人宮田玉吉が奉納した額と、明治28年(1895)に河野幸八が奉納した額が残っている。
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  1. 2014/10/09(木) 21:25:03|
  2. 武道史

公開演武 澁川一流柔術 解説 4

Ⅲ 澁川一流柔術成立の時代背景
1.広島藩の法令に見る時代背景
 首藤蔵之進が生まれ育った文化・文政、天保のころの広島藩の法令1)をみると、その当時、必ずしも郡中(農村地帯)の治安が保たれていたとは言いがたい状況があった。
 ただし、この時期にはあくまでも郡中の治安維持には「警固役」として革田身分の者がこれにあたったことがこれらの法令から読み取れる。そのいくつかを広島藩の法令から抜き出すと、
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  1. 2014/10/10(金) 21:25:04|
  2. 武道史

公開演武 澁川一流柔術 解説 5

2.他地域の農村地帯での稽古
 安芸郡坂村のみならず、この頃、広島藩内の農村地帯各地、さらには広島城下で町人等によって柔術が稽古されていた。
 沼田郡阿戸村には、もと広島藩士とされる宇高宗助直常〔?~天保9年(1838)〕が居住し難波一甫流を教授。それ以後有馬平五郎直行〔文化2年(1805)~明治6年(1873)〕、有馬(宇高)専三郎直次〔文政8年(1825)~明治29年(1896)〕、宇高是一直之〔文久元年(1861)~大正13年(1924)〕と教授が続き、近隣の農村で難波一甫流が盛んに稽古された。有馬(宇高)専三郎は長州征討のころ藩より農兵取立役を仰せ付けられ、その賞として大小刀の佩用を許されている2)。 
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  1. 2014/10/11(土) 21:25:14|
  2. 武道史

公開演武 澁川一流柔術 解説 6

 また、佐伯郡上平良村には文化・文政期に八天狗鞍馬流を指導して門弟二千人といわれた大島金蔵や、その門弟で道場を開いた元川保衛門がいた3)。
 佐伯郡廿日市には広島城下で渋川流を修行し、嘉永元年(1848)に廿日市に移住した商人河内次郎が道場を構え、門弟を指導し、後に世保流を称した4)
 佐伯郡大竹村では元筑前藩士名越忠蔵が安政6年(1859)に来村し槍術を指導し、また、同郡玖波村では安政5,6年(1858~1859)ころに尾州名古屋産の甲具商良平が来村し鞍馬流体術を指導していた5)。
 武道を教授する者が農村地帯に必要とされたのは村落の治安維持のために武道が必要とされたことが一つの要因として考えられる。
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  1. 2014/10/12(日) 21:25:08|
  2. 武道史

公開演武 澁川一流柔術 解説 7

 広島城下には町人に柔術を稽古する者があり、「三蔵屋」と言う屋号で紙問屋を営んでいた久米久兵衛は堺勘太について渋川流を修行し、その『英名録』によれば安政5年3月20から4月2日にかけて岩国と広島の他流派、同流派の門人約200人と試合を行った記録が残っている6)。 
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  1. 2014/10/13(月) 21:25:20|
  2. 武道史

公開演武 澁川一流柔術 解説 8

Ⅳ 澁川一流の伝承 

 澁川一流柔術は家元制をとっておらず、完全相伝制をとっていたが、当初は親族のみに全伝を伝えたようで、全伝を伝えていない道場もあった。また、中極意にいたれば道場を持つことを許していた。明治以降もいくつかの道場があり稽古が続けられ、呉市にも道場があった7)。
 澁川一流柔術が現在まで残ったのは、大日本武徳会に加盟せず、乱取を稽古の中心とすることがなかったためと考えられる。
貫汪館で稽古されている伝系は以下の通り。

流祖 首藤蔵之進
宮田友吉
車地國松
畝重實
森本邦生
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  1. 2014/10/14(火) 21:25:40|
  2. 武道史

公開演武 澁川一流柔術 解説 9

Ⅴ 澁川一流柔術の実技
1.形の特徴
(1) 形がシンプルである。
(2) 形は受(剣道でいう打太刀)の仕掛け方によって分類されグループ化されており、グループごとに稽古する。
(3) 素手による形と武器(六尺棒等)を用いる形がある。

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  1. 2014/10/15(水) 21:25:16|
  2. 武道史

公開演武 澁川一流柔術 解説 10

2.形の体系について
(1) 捕の(剣道でいう仕太刀)素手による形は最終的に刀に対して身を護る形につながっている。
(2) 武器(六尺棒等)を用いる形は刀に対する形が大半を占めている。
 澁川一流柔術は素手と素手による勝負を主眼としたものではなく、懐剣や刀に対して身を護るように体系付けられた流派であるといえる。

以上解説を終了します。

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  1. 2014/10/16(木) 21:25:42|
  2. 武道史

昇段審査 論文 1

 今日から先日行った昇段審査の論文を載せていきます。皆さんそれぞれの立場からよく書かれていると思います。今日は澁川一流柔術の初段の論文です。

 
「武道における礼と澁川一流柔術における礼法について述べなさい。」

 この度、昇段審査論文の作成に取り組むにあたりましてまずはじめに武道における礼について記述させていただきたいと思います。
 以下に武道憲章の一部を抜粋させていただいております。
第二条 稽古に当たっては、終始礼法を守り、基本を重視し、技術のみに偏せず、心技体を一体として修練する。
第三条 試合や形の演武に臨んでは、平素錬磨の武道精神を発揮し、最善を尽くすとともに、勝っておごらず負けて悔やまず、常に節度ある態度を堅持する。
第四条 道場は、心身の鍛錬の場であり、規律と礼儀作法を守り、静粛・清潔・安全を旨とし、厳粛な環境の維持に努める。
第五条 指導に当たっては、常に人格の陶冶に努め、術理の研究・心身の鍛錬に励み、勝敗や技術の巧拙にとらわれることなく、師表にふさわしい態度を堅持する。

 第二条および第四条は「礼に始まり礼に終わる」という武道における理念を表し、第三条は試合における対戦相手や演武における神様や観客への礼を表し、第五条は指導における師としての礼を表しているのだなと解釈しました。武道憲章は全部で第六条までありますが、その半分以上が礼について触れているため武道の基本的な指針は礼を重んじていると感じました。
 また、現代における武道の教育を発達臨床心理学および教育臨床心理学の観点から着目しますと、稽古によって豊かな人間関係力、すなわち他者の気持ちを推し量ったり、場の空気を読む力などを獲得できることから人間形成に直接に結びつけられて考えられるようになってきておりますが、礼がその大きな要因になったと思います。
 以上より、武道における礼には精神性や道徳性のような、人間形成を実現する上での大事な要素が包含されており、時代を越えても自分たちが教えられ、そしてそれを実践しなければならない普遍的な概念が多くあるといえます。
 しかし、現代の武道における礼は形骸化の傾向にあるという側面も持ち合わせております。オリンピックなどの柔道の試合で見られるガッツポーズなどがそれにあたります。その原因として「武道における勝利至上主義、結果主義」や、「礼の意義についての伝統の忘却」などが挙げられております。
 前者は、試合の勝敗に捉われ過ぎてしまうことで礼が動作形式になってしまい、中身が伴わなくなるために、武道において尊重されるべき礼が無視されていることを指します。個人的な経験から記述させていただきますと、自分は高校一年生から大学二年生までの間、弓道をしてきたのですが、高校の弓道では礼と的を射る技術の両面を重視しているように見えたのに対し、大学の弓道では的を射る技術のみに重点が移っているような印象を強く持ちました。
 後者は、武道全体における礼の役割や内容やその方法が、「礼<お辞儀>をするという動作」という形式的な部分のみが重視されてきたものの、現在ではその形式的な振る舞いすら曖昧になりつつあることを指します。人間形成の重要な役割を担う「武道の礼」が曖昧なまま、人間形成と武道がつながっているのです。
 以上より、これまでの武道における礼の教育的価値やその意味は明確のように見えて実は不明確なものであり、礼の本質を探り続けていく必要があります。

 次に、渋川一流柔術における礼法について記述させていただきます。これまで「競技である武道」として弓道をやってきましたが、「競技ではない武術」である渋川一流柔術に入門した時は違和感でいっぱいでしたが、礼法に関することと同時に体や呼吸のはたらきも先生から教えていただき、うわべだけのことしか教わっていなかった弓道に対し、なぜそうなるのか?なぜそのような動作が必要なのか?といった物事の本質から渋川一流柔術において学ぶことができることを実感しました。
 先ほど記述しました、礼の形骸化の原因として「武道における勝利至上主義、結果主義」を挙げましたが、渋川一流柔術においては試合という形式がないので勝利という概念が存在せず、また、先生から「うまくなったと」言っていただけることが何度かあったのですが、自分としてはうまくなった実感が持てないゆえに結果主義になろうにもなれないといった点で礼の形骸化を抑えるような環境が自然と形成されているのではないのかなと思いました。
 新渡戸稲造が執筆した「武士道」にて、以下のことが掲載されております。
 我が国のきめ細やかな礼儀作法の躾を、ヨーロッパの人たちが軽蔑して、「そんな型にはまった躾を受けているから、日本人は柔軟な考え方ができないのだ」と、言っているのを聞いたことがある。しかし、形式的な礼儀作法にも取り柄はある。それは、ある目的にたどり着くための最も良い方法を、長い年月をかけて、最も優美なやり方で試した結果、やっとできた形だということだ。スペンサーは、「優美とは、最も無駄のない動きのことである」と定義している。
 渋川一流柔術の形は、いずれも「無理無駄のない動き」でありますからスペンサーの言葉を借りると優美なやり方と捉えることができますので、形式的な礼儀作法と同様に長い年月をかけて試行錯誤を重ねた末に生まれたものであると思い、それゆえに礼法も形もルーツは同じなんだなと思いました。
 同じく「武士道」より、このようなことも掲載されております。
   礼儀を教える流派のうちで最もよく知られている小笠原流の家元は、「礼道の中で一番大切なことは、心を磨くことである。礼を会得して座るなら、たとえ凶暴な人間が攻撃してきても害を加えることはできない」とまで言っている。礼法では、正しい作法を絶えず訓練することによって自分自身の肉体と環境を調和させ、精神を支配することさえできるというのだ。
 これを読んで礼法を身に着けることで護身は成立するものであると思いました。日々稽古でやっている形は、「相手が危害を加えてきた時の対処の方法」という狭義の護身術になりますが、礼法などは「様々な状況を配慮し、最も対処できる可能性の高い方法」という広義な護身術になります。形ばかりが護身ではないことを知りました。

 武道における礼と渋川一流柔術における礼法のまとめといたしましては、「礼」は武道における重要な役割を果たし、武道の教育の場における人間関係力獲得の要因となり、我々が教わり、実践し、次の世代へ教えていかねばならない概念を多く有しているのに対し、現代において「礼」本来の意義が薄れていっているといった側面があり、理由として「結果にこだわる考え」や、「伝統が少しずつ忘れられている」といった点が挙げられているため、「礼」というものの本質を再度改めて探し求めることが必要になってくるかと思われます。渋川一流柔術における礼法につきましては物事を本質から見つめ直す機会を与えてくださり、武道にありがちな「勝ち負けや結果にこだわる考え」がないことから余計な考えを捨て去りきることができる環境であると、入門して一年経った今、実感することができております。また、今回のこの昇段審査論文の作成を通して漠然としていた礼法に対する考えが少し具体的なものになったように思います。

 最後に、このたび、礼に関して参考にした別の文献にて以下のような句が掲載されており、これにとても感銘を受けました。
  実るほど 頭を垂るる 稲穂かな
  さがるほど その名は揚る 藤の花
 この稲穂や藤の花のように、謙虚で礼法を忘れることのない生き方を目指しつつ日々精進していきたいと思います。

<参考文献>

陶次 美樹:「武道における礼の教育的価値」、駒沢大学総合教育研究部紀要 第3号 2008年、pp.305-325
新渡戸 稲造:「武士道」、株式会社 幻冬舎ルネッサンス 初版 2012年
入江 康平:「武道文化の探求」、不昧堂出版 初版 2003年
日本武道館:「日本の武道」、財団法人日本武道館 初版、2007年
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  1. 2014/10/17(金) 21:25:22|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 2

無雙神傳英信流抜刀兵法2段の論文です

   「これまで修業上留意してきたこと、今後留意しなければならないこと」
                            

 私が貫汪館に澁川一流柔術の門人として入門をお許しいただいたのが11年前、昨年5月に無雙神傳英信流抜刀兵法を学び始めてからは、1年半が過ぎようとしています。私が貫汪館に入門し、今日まで一貫してご指導いただいてきたことは肚を中心とし、呼吸により統一される自然な動きを求めていくことでした。これは貫汪館で私たちが学んでいる無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術のいずれにも共通するものです。
 入門当初、私の動きの基準となっていたものは全てスポーツ的な感覚でした。スポーツ選手としての力量は別として、動きのベースとなっていたものは競技スポーツから得てきたものであり、その価値観は瞬発力と力強さであったように思います。
余談となりますが、学生時代にサークルでアイスホッケー部に所属していた私の憧れはアメリカのアイスホッケーリーグNHLのパワーにあふれるプレーヤーたちでした。丁度その頃、リーグ優勝(スタンレーカップ)の常連チームであったLAキングスというチームにウエイン・グレツキーという名選手がいました。NHLといえばパワーとテクニック、スピードに勝る大男たちが激突する氷上の格闘技と呼ばれるアイスホッケーの最高峰のリーグですが、その当時すでに高齢であったグレツキーが筋骨隆々の大男たちの体当たりをひらり、ひらりとかわし、重心移動だけでトップスピードに乗り、他を圧倒していつの間にかゴール前に現れる姿に何がどうなっているのか理解できず衝撃を受けたことを思い出します。力強さこそ価値のある世界にあって、そのような戦略を選択した彼の感覚を私にはとても理解できませんでした。
 そのような価値観で運動というものをとらえ、それまでの人生を過ごしてきましたので貫汪館に入門してからは大変苦労しました。まず、力を抜くということが理解できませんでした。そして、未だに尾を引いてしまっていることが呼吸と共に動くということです。これまで経験してきたスポーツでフェイントをかけたり、瞬発的なアクションをかけたりする時に息を止め、ためを作るということが癖となってしまっているようです。もちろんこれは一流選手には当てはまらないことと思います。これまで経験したどの競技スポーツにも指導をして下さる方に恵まれましたが、どの指導者にも同じように指摘を受けましたのが「柔らかく」でした。とても見ていられないほど動きが硬くぎこちなかったのだろうと思います。今もなお「楽に、柔らかく」といい続けられている自分を振り返り、つくづく成長のない人間だと思います。
 前置きがなくなりましたが、これまで就業上留意してきたこと、これから留意しなければならないことについて述べます。

1. これまで修業上留意してきたこと

 私がこれまで無雙神傳英信流抜刀兵法を修業する上で留意してきたことは、形を忘れること、呼吸により肚を感じ、中心を感じることです。呼吸は無雙神傳英信流抜刀兵法を学び始めて初めに躓いたところであり、今現在も試行錯誤しているところでもあります。柔術の修業である程度は出来ていたつもりになっていたのかもしれません。ですが無雙神傳英信流抜刀兵法においては、このできたつもりでは歩くことすら許されません。「無雙神傳英信流の形・・・大森流、英信流奥」で森本先生は、「人は立つことによってさまざまなことを可能にするが、引力に拘束されるがゆえに、よりしっかり立とうとし、それが人の動きを制限してしまう。崩れたくないために体に不自由になってしまうほどの力みを入れ安心を得ようとする」と述べられています。私の今現在の状態がまさにその状態です。刀を上げる動き、下げる動き、立ち上がろうとする動き、歩こうとする動きとばらばらに各体のパーツがそれぞれの動きを行い統一がありません。先生はまた武術における立ち姿を、「そよ風が吹けばふわっと動かされてしまうような自由自在な姿勢でなければならない」と述べられています。ふわりと動かされた体幹がそのまま足へと伝い、手へとつながり刀を走らせていくとい感覚を養うことなしに居合とはならないのだと感じています。それを可能にしてくれるのが呼吸です。その呼吸もただ吸って、吐くという単純な作業ではなく、大気中の空気が体に入り、体中を巡りまた大気中へと帰っていく循環です。この循環に動きをのせることをひたすら磨いていきます。このひたすらという思いもまた身体の自由を妨げてしまいます。より自然にごく当たり前のこととなるように、なるべくしてなる様に、あるべくしてある様にとを求めていきます。それができたとき人も宇宙の一部であるという感覚にまでたどり着くのではないかと思います。
 形において想定を理解することは大切なことですが、相手がこう仕掛けてくるので足はここに位置し、この高さに切りつけるとしたのではそう仕掛けてくれないと成立しない動きを養ってしまうことになります。さらに言えば殺されるための修業をしているような矛盾さえ生じてしまいます。相手の仕掛けに応じた結果、生まれた動きとなるよう留意しなければなりません。まさにそよ風吹けばふわりとあおられ動かされる動きを前提とした形稽古を心掛けなければ意味のないものとなってしまいます。そのためにも一度覚えた形を手がかかりがこう、身体こうしてなどと考えるような稽古は避けなければなりません。呼吸にのり動いた結果としていびつな動きとなればその原因を探り、正していく稽古を重ねることが望ましいと思います。原因は結果として現れると観念しなければ上達の道はないと思います。

2. これから留意しなければならないこと

 これまでに先生から沢山のお話をいただきました。
「自分を疑わなければ見えてこないものがある」というお言葉をいただいたことがあります。人は誰でも自分自身を客観視することは難しいのだと思います。写真や映像で自分自身の姿を見たときほとんどの人が自分の姿に「どうしてこんな」などと落胆したりします。常に自分自身を疑い、監視していかなければ思わぬ落とし穴にはまってしまいます。稽古してきた月日が長くなってきてからも自分はこれだけ修業してきたから、この方が技として効果的だといった慢心も生まれてくるのではないかと思います。そのような心で修業を行ったとしても自分のやっていることは正しいという思いから上達を望むことは難しくなるでしょう。そのままさらに進めば、指摘されたことも聞こえず、映像のなかの自分を見ても何の違和感すら感じなるのかもしれません。
 修業の年数の少ない後輩からも気づかされるということはあると思います。その様な時にそのことに気づける状態になければ自分を正すことができるせっかくの機会を逃してしまうことになりかねません。そうならないためにも常に自分自身を疑いの目で見続ける必要があると思います。
 「正しく動くことができて、たとえ斬り殺されたとしても本望だと思え」。これは先生が指導を受けられていたころのお話をお聞かせただいた時のものですが、形稽古でいくら相手がどのように来ても対処できるように稽古を行わなければならないといても、自分の都合の良いように理合いを変えても良いということではありません。人は弱さを持った生き物です、どうしてもできないことを間に合わせで取り繕い、自分の都合の良い様に解釈しようとします。本当の業を身につけるためにはよほどの覚悟がなければ体得できるものではないと思います。
 想定を正しく理解することは流派武術を伝えていく上で大切なことであると思います。
今、私たちが学んでいる形が江戸時代のものと寸分違わず同じかといえばそうではなく、恐らくは何らかの変化があるのではないかと思います。ですが、それはあくまで、その時代、時代の試行錯誤の結果であったり、日本人の体格の変化と言ったごく自然な変化に留まることが望ましいのではないかと思います。また剣術や柔術といった複数で行う稽古方法をとる武道と比べ、独りで行う素抜き稽古は想定や解釈が異なれば大きく異なったものになります。たとえば無双直伝英信流と無雙神傳英信流の形には同じ形名でありながら、その動きは異なったものとなっています。想定の差異、解釈の違いにより動きが異なっている事がうかがえます。流派の教えを正しく体得しなければ無雙神傳英信流とはなり得ません。 私達が演武する機会に、誰が演武を見たとしても無雙神傳英信流抜刀兵法のも演武だと理解されるためには、想定を正しく理解し体に浸透させることは必要不可欠なことであると思います。そのためにも体の隅々まで無雙神傳英信流抜刀兵法の理合いを浸透させなければそれは似て非なるものとなってします。決して真似事であってはなりません。
 最後に私が貫汪館本部道場で稽古できる環境にあるということは、大変恵まれたことであると思います。それは本部道場から離れ各支部で稽古されている同門の方達がそれぞれの道場で日々、悪戦苦闘し稽古方法を試行錯誤され、ご自身でご自身を正されるご苦労されていることを考えると、私には常に私を正していただいている先生の存在、そして兄弟子の存在があります。このことは掛替えのないものです。だからと言って、そのことに甘えることは許されません。一日も早く無雙神傳英信流抜刀兵法を伝えていくお手伝いができるよう努めなければならないと思います。


参考文献
1)石堂倭文:「道理を愉しむ居合道講座 全日本剣道連盟居合道編」、初版第1版、2014年
2)岩田憲一:「古流居合の本道」、スキージャーナル株式会社、第2版、2012年
3)檀崎友彰:「居合道―その理合いと神髄」、株式会社体育とスポーツ出版社」、第2版、1990年
4)森本邦生:「無雙神傳英信流の研究(1)―土佐の武術教育と歴代師範及び大森流の成立に関する一考察―」、2003年
5)森本邦生:「無雙神傳英信流・・・大森流、英信流奥」、2005年

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  1. 2014/10/18(土) 21:25:49|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 3

大石神影流剣術3段の論文です

「剣術の歴史における大石神影流剣術の歴史とその特質について」

        1.はじめに
 大石神影流剣術は、筑後柳河藩が生んだ大石進種次が創始した流派である。種次は剣術修行に出て他流試合をし、大石神影流剣術の名声を高めていった。歴史上の人物でも有名な剣術士男谷精一郎がいる。この男谷精一郎をはじめ江戸の高名な道場を片っ端から破った折の江戸の騒ぎは明治維新の騒動以上であったという。進の出現がいかにセンセーショナルな事件であったようである。1)大石神影流剣術の歴代の人物像、伝系、剣術修行での大石進種次の活躍から、大石神影流剣術の歴史をみてみようと思う。

2. 大石神影流剣術の歴代師範

大石進種次(大石神影流流祖)
 大石進種次(後七太夫、隠居名武楽)は、寛政九年(1797)、父種行の嫡男として、宮部村に生まれた。大石家宗家の下總より数えて、第十四代となる。
 文政三年(1820)、祖父種芳より,槍術の免許をうけ、二年後の文政五年(1822)、同じく祖父種芳から愛州陰流の免許を受けた。この年の四月には祖父種芳が死亡し、更に三年後の文政八年(1825)、種次二十九才の時、父種行が死亡するに至った。2)
 種次は幼時より、祖父種芳について愛州陰流剣術と大島流槍術を学んだ。進は生まれつき左手利きであったので、修練の結果、従来に愛州陰流になかった「突き」の手を加えた、大石神影流を創始し、勇名を轟かすに至る。
 大石神影流のもととなった祖父種芳が相伝を受けた愛州陰流剣術の伝系を記す。

愛州陰流      足利日向守愛洲惟孝
           奥山左衛門大夫宗次
上泉武蔵守藤原信綱
     長尾美作守鎮宗
           益永白圓入道盛次
           吉田益右衛門尉光乗
           石原傳次左衛門尉正盛
           村上一刀尉源長寛
           大石遊剱入道種芳
           大石太郎兵衛尉種行
 大石神影流 流祖  大石七太夫藤原種次
           大石進種昌
           大石雪江
           板井真澄
           大石一
           大石英一
           大石 馨   森本邦生

 柳河藩は藩祖宗茂以来尚武的な土地柄で、先づ武を重んずる政策がとられてきた。旧藩時代の年中行事として、正月九日には年賀の挨拶に藩士は総登城する。その日御前試合が遂行されて士気が鼓舞されるが、こういうところにも尚武政策の一端があらわれている。
 ある年の御前試合に進も出場した。立台の結果は予想を裏切っていとも簡単に敗北してしまった。
進は武道師範の家に生れ、幼少より槍剣の達人である祖父の薫陶をうけ、六才のときには槍剣の手数を上覧に供して藩候より賞嘆されている。これをみても進は自己の武技に対して過分の自負心を抱いていたことは、疑いない。進が試合に敗れたとき、これまでの自負心は一挙の崩壊し落胆の度合は非常に大きかったと想察される。巷間に少年時代の進はなにをさせても駄目であったという鈍愚説がある。
 少年進は確かに天才肌の剣士ではなかった。しかし剣にかけては相当腕も立つ少年であった筈である。もし進がはじめから剣術下手であれは自己の武技に対して少しの自負心もなかろうし、御前試合に敗北してもそれ程発憤興起もしなかったであろう。この敗北を契機に進は剣術に心魂打込むようになる。
当時愛州陰流剣術においては唐竹面と長籠手をつけ、袋撓をとって稽古している。ある日進はこの教習法に疑問を抱いた。
 この剣法では、防具に面と籠手のみ使用するから、当然面と籠手打ちの技以外はできないわけである。ところが実戦に使用する刀剣は、斬るばかりではなくその先端は尖っていて突くようにできている。然るに刀法には突技がない。また人間の胴体は五臓を内包した極めて重要は個所であるのに、生死を争う大事に際してこれを斬る技がない。これはどうみても実戦的ではないという結論に達したのである。
 ここにおいて進は胴斬りと諸手突の技を考案し、それに生まれつき左手利きであったのでこれを活用して左片手突という奇抜は技を案出した。
 胴斬りの技は進より以前に他流によってわずかに行われていたが、愛州陰流においては初めてのことである。しかし諸手突、片手突はともに進の独創であって、これまでの撃剣にはみられなかった。
 剣技にともない竹刀や防具も新作したことはいうまでもない。このようにして独自の撃剣を始めたのが十八才のときだった。3)

大石進種昌(大石家十五代・大石神影流二代目師範)
 武楽(大石進種次)の二男として、文政七年(1824)七月二十五日、宮部村に生る。
 幼名 駒太郎、通称 進士、後、父武楽の名を継いで進となる。種昌も柳河藩槍術師なり、大石神影流二代目として大石道場を承継した。容貌が父武楽に酷似しており、小進と称されたという。身長も武楽程ではなかったが六尺有余と言われている。
 種昌の妻は、山門郡上長田(現瀬高町)に在った同藩の武家 板井家の出で、板井角弥(親雄、徳治の名あり)の二女ヤス(俗に八十と言う)で、その兄は後に大石神影流を継ぎ四代目師範となる板井真澄の父板井一作である。一作は種昌より一才年長で柳河藩槍剣術師範(家川念流、宝蔵院流)であった。一作の父角弥と、武楽とは親交があり、その関係からヤスが種昌の嫁として迎えられたのであろう。4)

大石雪江(大石神影流三代目師範・白銀大石家の祖)
 大石雪江は武楽の六男として、天保十年(1839)、八月十三日、宮部に出生した。又六郎と称したが後年名を雪江と改めた。
 色が黒かったので村人は「黒又」さんと称したそうで、後に色白と思わせる名にしようと「雪江」と改名したとも伝えられる。又、寡黙な人と伝えられているが、何か面白味のある人柄だったようである。雪江も幼時から父武楽や兄種昌に剣道の指導を受け、兄の祐太夫等と共に諸藩を廻遊して修行に努めたが慶応元年(1865)二十七才の時、大石神影流の免許皆伝を受け、大石家より分家して宮部村に近い池田村白銀に居を構え、大石分家の始祖となる。
 明治十一年(1878)、十二月、雪江が四十才の時、兄の種昌が死亡したので、同門の推挙により兄弟子の今村広門と共に、大石神影流三代目師範となった。
 雪江は大石道場で多くの門弟を育成した外、晩年には戸長を勤め、明治二十一年(1888)から数三池集治監の剣道師範となり、又、明治三十一年((1898)八月には大日本武徳会福岡地方委員となる等、地方自治、剣道界に亘り、多大な功績を残した。5)

板井真澄(大石神影流四代目師範)
 板井真澄は、安政元年(1854)十一月十八日、柳河藩士板井一作の次男として出生した。
 幼名乙三郎と称したが、後真澄と改名し号を小道と称した。6)真澄は幼時より、父一作について家川念流を学んだが、後大石雪江門弟となり、大石家の後見人となり、大石神影流の免許を受けた後、大石道場の第四代師範となる。真澄は後見人として大石家のある宮部に移住したが、その後も政治活動を続け、大牟田町長、三池郡郡会議員、福岡県県会議員等の要職を続けていた。7)

大石 一(大石神影流五代目師範)
 大石一は、明治五年(1872)十一月十五日、大石雪江の長男として出生した。五才の頃より父につき大石流を学び、宮部の道場においては、今村広門の薫陶を受け、十四才の時、截目録を伝授された。それより十七年遂に陰之巻皆伝となった。一は、小学校教師として勤務し
ながら大石流剣道師範として、白銀の自宅に道場を開設して子弟の指導にあたった。
 昭和初年(1926)八百餘名の門人有志によって白銀川畔に寿碑が建立されたことをみても、清廉な人格と徳望の高さを推知することができる。後年銀水村の村長を務めた。8)
  
3.剣術修行
 
文政五年(1822)
 進は独創の剣法を他流に試較するため、最初の武者修行に赴いた。
 先づ肥前島原に渡りこの地で試合をした。目新しい剣法であったからこれが大評判になり、噂は直に島原候の耳に達した。槍剣の型を披露し、酒、料理を賜わり、目録を賞与された。ここを振出しに、長崎、大村、佐賀の各所を廻遊したが、試合をしたのは、島原のみで、他は、他流試合禁制のため剣を交えることなく帰国している。進は愛州陰流の極伝を受けた文政五年(1822)この年有名な剣客と立合った。9)当時豊前国中津藩に長沼無双右衛門といって、界隈に無敵を誇る達人がいた。立花家御一統の勧めによって、進は長沼と立合うことになった。
 長沼は幸いにも在国していたので、進が中津の長沼道場を訪ねると直に立合うことに決まった。ところが、七日間は門人が入替わり立替り相手になるばかりで、主人の長沼は一向に立合う様子がみえない。痺れをきらした進が試合を申し入れたところ、八日目にやっと立合うことになった。
 さて、長沼は七日間を漫然と過ごしたのではなかった。進の剣法を秘かに研究していたのである。長沼は門人の立合をみて、進に立ち向かっては不利だという結論に達したので、立合う前に生竹で竹刀を拵え、これを進に渡している。進は渡された竹刀で長沼と五、六本試みたが、噂の程はないと感じた10)。隙をみた進は気合をかけると同時に踏込み、特技の左片手突を放つと、長沼がつけていた鉄面が破れて、眼球が面の外までとびだしてしまった。
 その後、長沼は傷を養生して門人十八名を引連れ進の門に学んだのは、文政八年(1825)のことである。
 長沼と立合って自信を得た進は、その後豊後路より久留米辺にかけて武者修行に出かけた。久留米では四十人の出席者と一面も残さず試合をしたが、進の表に立ち得るものは遂になかった。この頃より進の剣名は俄に近国に高まっていった。11)

天保三年(1832)
 大石進種次聞次役として江戸へ出立する。
 江戸では、剣術道場と言えば、直心影流の長沼道場、一刀流の中西道場、北辰一刀流の千葉道場、神道無念流の斎藤道場、鏡新明智流の桃井道場等高名の道場が軒を連ねていたが、これらの道場より優位にあって別扱いをうけたものに男谷精一郎がいる。12)剣術は日本一の名人という評判で剣名は有名であった。
 進は聞次役を命ぜられて出府したが、それは表向きのことで実は男谷精一郎と試合をして打勝ち、柳河藩の武名を天下に誇示するよう内命が下されていたのである。男谷精一郎と試合をすることになるが、最初は勝負がつかず、その試合での反省点を考え次の試合に活かし、その理論を明快に立証することができたのである。進の活躍が柳河藩候の耳に達したので、帰国を命ぜられた。
 この出来事があり内命を果たした進は、柳河城において賞賛の云葉を賜り、褒美として三十石を加増され、本知合わせて六十石となった13)。男谷精一郎との試合は終わったわけではなく、その後も男谷の方から、柳河藩の屋敷まで出掛け、数回に亘って剣を交えているが、遂に進の技に及ばなかったのである。14)

天保十年(1839)
 この年は藩命によって出府し、老中水野忠邦邸に招かれて試合している。この時は多数の剣士と立ち合い、島田虎之助とも試合をしたらしいがその結果は詳らかでない。翌十一年に帰藩すると十石加増された。
 進はさらにもう一度江戸へでているらしいが、その年月日は判然としていない。
 進の剣名をしたって入門するものは柳河藩だけではなく、近隣諸藩の士も多かった。15)

 柳河藩槍剣門人百二十二名、他藩の門人では三池藩の七十九名を筆頭に、土佐藩六十 名、長州萩藩四十三名、肥前小城十三名、筑前秋月藩十一名とつづき、総門人数六百五十六名にのぼる。これは文政年間より明治三年(1870)までの入門者で、進父子の取立てた門人である。16)

各地の大石神影流
 土佐藩士に寺田小忠次兄弟並びに樋口真吉甚内兄弟は早期の入門者で大石流に熟達して土佐藩に大石流を普及させた。17)
 三池藩には種芳からの深い関わりがあった。種芳は柳河藩の槍剣師範ばかりでなく、後年は三池藩の師範も兼ねていた。三池藩は、雄藩肥後境界を接しており、軍事上重要な地理を占めている。そこで一旦緩急あれば武力に依存しなければならなかったので、一万石の小藩三池は数を恃む大藩に匹敵するだけの個人の武を鞏固にする他はなく、日頃より武を練る必要があった。当時、三池藩には有能な師範家がいなかったため、三池藩領から近隣に移住する種芳へ師範を命ぜられた。これによって、三池藩と大石家との交渉はこのときに始まっている。種昌は、三池藩の師範にはなってはいないが、三池藩藩士多数が随身して大石神影流を学んでおり、まさに三池藩の師範家たる観はあった。18)
 このことにより、土佐藩、三池藩には門人が多かったようである。
 
3. 大石神影流の特質
(1)防具
 従来の唐竹面では、突が止まり、また破れる危険があるので、鍛冶屋に依頼して十三本穂の鉄面を拵えた。次に新しい技として胴斬りの技を考案したのでこれら新に防具が必要になり、竹腹巻(胴)を作り、長籠手を半籠手に改めて腕の活動を敏速にした。なほ突技のために工夫した防具で喉当がある。これは布と革より成り、喉に当て面垂の不備をカバーするもので、他流にみられない大石流独特の防具である。19)
(2) 竹刀
 進は従来の八つ割袋撓が突に耐え得ないので、これをコミ竹刀に改めている。
 当時の竹刀の長さは三尺二三寸位を常寸としたのを、進は五尺三寸に伸し、弦に琴の絃を二筋捻台せて堅牢なものにした。20)二代目進種昌になると、体格はそれ程ではなかったので、竹刀の作りも縮小したらしく、弦に琴の絃一筋を使っている。板井真澄、大石進(三代目)について学んだ真鍋氏の実見談によれば、大石家の床間に四尺八寸の竹刀があったのを見たという。これが種昌の竹刀であろうと思われる。竹は孟宗竹の根本を使っているから、筋の間が狭く、相当の重量があって、手に取るとまるで鉄棒を握っているように感じたそうである。切先は一筋分の長さだけ四角は棒状の木片が入れてあり、打を入れても竹がなかへ凹んだり、突いた場合四枚の竹が動かないように固定してある。柄頭には四枚の竹の内側に切込みがあって、正方形の鉄板をはめ込み、竹が動かぬように工夫されている。それから牛革であるが、現在のなめし革をかぶせてある。五尺三寸の竹刀は進だけで、その門弟は五尺以上の竹刀は使っていないようである。大石流では、胸の高さをもって竹刀の全長としたので、五尺四五寸の人は慨ね四尺二寸が適当な長さになる。大石雪江や柿原宗敬も四尺二寸を遣っているし、以後大体この位の長さを遣ったものが多い。21)
(3) 構え
 「真剣」「上段」「附け」「下段」「脇中段」「脇上段」「車」「裏附け」がある。
 突技や胴切は手数の中に多く表されているということはなく、手数の中では突技にいつでも入れる体勢を重んじています。22)

4 おわりに
  大石進種次によって、剣術修行からもわかるように、諸国に柳河藩大石神影流剣術の名を響かせた。その戦績を残したことによって、柳河藩には多くの門人が増え、多くの地域に伝わっていった。この現代まで、大石神影流が正しく相伝されてきたことは貴重なことである。先日、大牟田市の道の駅に立ち寄る機会があり、元大牟田市でアナウンサーをしていた方とお話した時、私達が大石神影流の門人だとお話しても、大石神影流のことは初めて耳にするようでした。館に設置してある大牟田市を紹介してある看板にも大石神影流のことはまったく書かれてありませんでした。大石神影流の門人として、残念な思いがしました。昔、諸国を驚かせたような大石神影流をまた現代で甦らせることができることを願っている。  
   

後注
1)藤吉、25頁 
2)板井、12・13頁
3)藤吉、7~9頁
4)板井、24頁
5)同上、30~31頁
6)同上、42頁
7)同上、43~44頁
8)藤吉、85頁
9)同上、11頁
10)同上、12頁
11) 同上、13頁
12) 同上、21頁
13) 同上、22頁
14) 同上、24頁
15) 間島、74頁
16) 藤吉、55頁
17) 同上、63頁
18) 同上、68頁
19) 同上、47頁
20)同上、48頁
21) 同上、49~50頁
22) 森本先生、HP


参考文献
1)藤吉 斉 大石神影流を語る 第一プリント社 昭和38年10月20日発行
2)板井 真一郎 大石神影流の周辺 フタバ印刷社 昭和63年5月3日発行
3)間島 勲 全国諸藩 剣豪人名事典 ㈱新人物往来社 1996年3月20日第一刷発行
4)森本邦生 貫汪館ホームページ 大石神影流剣術 流派の歴史
http://kanoukan.web.fc2.com/oishi/hstry/index.html2014・8・15日取得

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  1. 2014/10/19(日) 21:25:46|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 4

澁川一流柔術4段の論文です

「澁川一流柔術指導上の留意点」

 澁川一流柔術の指導だけではなく、誰かに何かを指導するということにおいての一番の留意点とは、指導者の指導が人それぞれの個性に合わせた指導であるかどうかということです。 
 『教育の過程はどのように進行していくのか、人間はどのようにして学習していくのか、教える者と教えられる者との人間関係が教育にどのように影響していくのか、などの理解がなくて、がむしゃらに専門的知識を生徒に詰め込もうとしても、その知識は生徒のみに定着しないし、生徒の成長にも役立たない。』
 以上の抜粋は学問としての教育をテーマとしたものですが、全ての教える立場の者が頭に入れておかなければならないことです。指導とは、自分の知識を指導対象者にわからない言葉や動作で伝え、さらには理解してもらおうと指導者が努力をしないような自己満足なものではなく、自分の知識を相手個人が理解できるような言い方や工夫などを凝らし伝え、相手に理解してもらう教えのことを言うのです。また、それぞれの個性に合わせた指導とは相手の年齢、経験、考え方を指導者が知る必要があります。指導を受ける者の努力も必要とされますが、それ以前に指導者の教えるための知識、指導対象者を知ろうとする努力が必要となってくるのです。
 このことを踏まえ、澁川一流柔術の指導についてです。勉学などの頭を使わなくてはならないものの指導は口で説明し、時には紙に書くなどして視覚的に指導するものですが、澁川一流柔術などの古武術、剣道や柔道などの武道においての指導は思考する力だけでなく自分自身の体の動きを相手に理解してもらわなくてはなりません。体の動きを口頭だけで説明するというのは非常に困難なことであるので、澁川一流柔術の道場では座学ではなく、実際に相手に体の動きを体感してもらう稽古が行われています。稽古で指導者の動きをそのまま”形”だけ真似するのは簡単なことですが、指導者は体の中心から動くことや間合い、相手の中心を感じることや呼吸の仕方など、列挙してもキリがないほどの多くの”中身”を持った動きを示しているのです。故に形だけを追う者に指導者は、形は中身があってこそなるべき形となることを教えなければなりません。その際に、指導者は教える相手をよく見て指導をしなければなりません。

 指導する相手について、流派によるところもあるかもしれませんが、指導者は指導対象である相手が大人であれ子供であれ指導することができなければなりません。しかし実際には大人への指導と子供への指導は勝手が違うので、澁川一流柔術の指導者は双方の指導法について考えなくてはなりません。
まず、大人への指導について考えます。澁川一流柔術の指導にあたってまず大事なことは力を入れての行動をやめさせることです。ただ立っている動作ですら足腰に力を入れて立っていることに気づかせ、また柔術とは力任せに相手を制すものではなく、力を使うことなく相手を制することができるということを理解してもらわなければなりません。端的に言ってしまえば頭では理解できるかも知れませんが、ほとんどの人が立つ動作に対しても、実際に相手を制する際にしてもそれを示すことはできないはずです。これは足を棒のように突っ立てているので足を踏ん張らなくては自身の体を動かすことができず、動かしにくいものは手の力を使って動かす、というものが無意識に今日までに自分の体に染み付いてしまっているからです。体に染み付いてしまったものはなかなかぬぐい去ることはできないので、指導者は根気強く指導していかなければなりません。また、”中身”を教えるということに関してもいくつか注意しなくてはなりません。体の動きを口頭だけで説明するのは非常に困難であると述べましたが、実際に指導者は自身の体の動きを指導対象者に感じ取ってもらい、その補足として口頭で説明するという順序で指導するほうを理想としなければなりません。細かなところの全てを口頭で言ってしまうと、相手は言われた言葉を頭の中で繰り返し、結果動きとして出てくるのはどこかぎこちない動きとなってしまう恐れがあるからです。相手の性格にもよるところであるとは思いますが、指導対象者が指導内容を頭で考え始める動作を見せた際は時にはそれを中止させることも大事かもしれません。始めは指導者が何度もやってみせ、感じ取ってもらうことが一番いいのです。無意識についての指導は述べましたが、逆に意識的に柔術とはこうであるはずという強い思い込みがある場合や、指導対象者が今までになんらかの武の道に関わっていたりする場合も指導者は注意しなくてはなりません。こうであるべきという強い思い込みは相手に余計な力や理想を作らせてしまい、返って上達の妨げになってしまいかねません。他、相手がなんらかの武の道に関わっていた場合、例えばこれまでに柔道、剣道、弓道や空手などを経験している者にとって柔術とは今まで培ってきた武の延長線上のものであると考えている可能性があるので、それが柔術のあるべきものとかけ離れているものであればひとつずつ間違いを訂正していかなければなりません。それは時としてまったくの未経験者に指導することよりも困難なことであるかもしれませんが、上達するにつれて体を自由に使うことを覚え、他の武の上達へと繋がることもあるのです。指導対象者が大人である場合、指導者は体の動きかた、性格や意識や考え方を考慮した指導をしなければなりません。
 次に子供への柔術の指導について考えます。まだ成長過程である子供は経験も考え方も精神的にも幼い部分があり、大人への指導とはまた少し違ったところで指導者を悩ませることもあるかと思います。子供の指導は「礼に始まり礼に終わる」というように、学校だけでなく稽古の場でも礼儀や態度などが教えられます。むしろ学校で教えられる礼儀や態度よりも相手を尊重する、思いやるという意味でのそれらが稽古の場で多く学べるといった方が正しいのかもしれません。子供は幼ければ幼いほど目録上でみる稽古の進行速度は早くはないかもしれませんが、中身を作るという意味での上達は大人よりも早いです。それは子供は形に捕らわれず、教えられた動きを抵抗なく受け入れ、素直に実行に移すことができるからです。初めは細かいことは理解できず、ただがむしゃらに力を使って体当たりをしてくるような動作が見られたとしても、繰り返し指導することで動作を覚え、大人相手に力を使って向かっていったとしても無駄だと理解するようになり、ならば指導され感じた通りに無理無駄のない動きを真似ようとする姿勢が見受けられます。小難しい理論を説明されるよりも、指導者から感じることのできた”中身”を体で覚えて、それを自然と自分の動きとして取り入れることができるようです。また、これは道場の子供たちを見ていての気付きとなるのですが、子供の技の上達は精神的な成長も関係してくるようです。周りの環境からか、気持ちの変化なのか、学年が上がってくるにつれて前よりも落ち着いた振る舞いができるようになった子が著しく上達している様子が伺えます。小学生以下の子供が澁川一流柔術を始めようとする時、それはかなりの割合で親が子供に護身術を覚えさせたいといった要因が多いようです。子供本人の柔術を始めたいという気持ちよりも、親が子供に柔術を始めさせたいという気持ちのほうが勝っているのです。そのことから、稽古を長く続けている子供は柔術を始めた当初の気持ちが追いつかず、稽古に対して上達しようという気持ちが薄れてしまいます。しかし心身ともに成長した子供が柔術に対し、自分で上達したいなどといった気持ちを持っていれば、これは大きな上達のチャンスとなるように思います。しかしその気持ちを持つか持たないかは個人差によるところもありますが、指導者がいかにうまく相手に意欲を沸き立たせるかも関係してくるので、指導者も相手の気持ちを理解し、その子の気持ちを大事にするような指導をしなければなりません。ある程度学年が上がっている指導対象者は、自分を抑えるといったことができるので心配はいらないとは思いますが、基本的に子供は自分のしたいことをし、したくないことはしない、というわがままなものです。育った環境に依存するとは思いますが、幼ければその気持ちはより表に現れてくることでしょう。ここで指導者は稽古をしたい、という気持ちを相手に作ってやらねばなりません。指導者にとって、興味ややる気のない相手を指導するのは至難の技です。相手に柔術の稽古をどう興味付けさせるかが問題となってきますので、それについて少し考えてみます。現在の子供の興味や楽しいものといえばゲームやインターネットなどの仮想現実による世界であるとよく聞きますが稽古ではそのような仮想的なものではありません。『子どもたちは、どこまでが自分の実力でどこからがフィクションなのかの境界が曖昧のまま、自己不確実感にとらわれて生きているともいえよう。しかし、武道では自分の体を媒介として自分と出会う。さらに、自分がどこまで上達したか、どの程度の実力なのかにも、否応なしに直面するだろう。自分と出会い、自分を正しく理解し、自分を受け容れなければ前に進めないのである。』という文章からも伺えるように武術は仮想現実の世界で使うことのない、自身の体というものを使う。何かスポーツや武術などの自身の体を使うことに打ち込んだことのある人には理解してもらうことができると思いますが、仮想現実世界で仮想の自分を操作することよりも、自分の体を実際に使用して何かを成す、ということのほうが難しいのです。そこに楽しさを見出すことで子供の興味を引き出すことができるかもしれないと考えます。子供への指導は大人への指導と違って精神的なものから指導しなければなりません。しかし動きを見て、その動きを本当の意味での”中身”を感じることができるので口先だけの指導ではなく、指導者は大人へ指導する時以上に、中身を教えることのできるレベルでなけれればなりません。

 これまで指導者からみた指導対象者への指導法について述べてきましたが、ここからは指導者と私自身のことについて大きく二つのことに触れていきたいと思います。
 まず一つ目は、始めのほうで述べさせていただきましたが指導者は指導対象者を理解しなくてはなりません。指導者だって初めから指導者だったわけではないので、かつての指導される立場を思えば指導対象者の気持ちもわかってくると思います。しかし、その際にも指導対象者が大人か子供であるかを考慮して考えなくてはなりません。私は小学校低学年の時に澁川一流柔術を始めました。礼法の意味もよくわからず、言われるからやっていたような時期ではありましたが、あの時期から今日まで指導されていた礼法が私が普段の生活で役立てている”武器”になるものであったと今は思うことができます。私が澁川一流柔術において多くのことを身につけたのは子供の時期であったので今現在子供に指導する際、相手は何に行き詰まっているのか、今まで指導された内容をどのように受け取っているのかなど、なんとなくではありますが理解することができます。かつて私が指導された際に一番理解できた表現や方法で指導することで、指し示したかったことを相手に理解してもらうこともあるので、指導者のかつて指導してもらった表現などを自分の中で噛み砕くことができれば、それは指導者にとって上手な指導の仕方となっていくのではないでしょうか。しかし私が指導する立場になり、初めて相手の気持ちがよくわからないと思ったのは大人の方に前回り受身を指導する場面でした。その方は私が前回り受身を直接見せ、簡単な手順を教え、いざ実践いてもらおうとした際に前回り受身を怖いと言われたのです。前回り受身を教えてもらい今日までやってきて、私は前回り受け身を怖いと思ったことがなかったので、どう指導すればいいのかわからなくなってしまいました。子供たちが前回り受身を抵抗なくやろうとしてくれるのは、普段の遊びで体を一回転させる動作など多くやっているからであり、反対に大人の方が体を一回転させる動作など滅多にないことであるので、普段しない動作に恐怖を抱いたのだと考えるようになりました。その時指導する立場の難しさを感じ、より相手のことを考えた指導法を考えなくてはならないと感じました。相手の上達に指導者の行動や発言は大きく関わってくるので、指導者は自身の行動と発言に責任を感じなければなりません。
 そして二つ目は、指導者は自身の技術がこれでよいと慢心することがあってはなりません。私は武の道に完成はないと考えるので指導者が自身に満足してしまっては、指導者自身の上達を妨げるだけではなく、自身が指導している指導対象者の上達も妨げてしまうことになると考えます。指導者といっても未だ上達を目指して日々の稽古を重ねなくてはならないのです。また、指導者にとっての上達の瞬間は指導されているときのみではありません。確かにこれまでは指導される瞬間ばかりが上達の機会であったのかもしれませんが、指導者となる者は自身が指導対象者に指導をしている瞬間も自身の上達の機会であることを理解していなければなりません。相手に自分を重ね、相手の動きを見て学ぶことも稽古なのです。相手の上達の度合いによって時には自分もまだ掴みきれていないことまで教えなければならないこともあるかもしれません。そのときは同じように学べばいいのではないでしょうか。自分もわからないから教えない、という考えは指導者としては失格です。指導者はたとえわからないことであっても間違いは間違いとわからなくてはなりません。間違いがわかっているなら、指導者なりの理想もあるはずです。それを相手にも教えなければ、自分も上達しなければと向き合おうとしなければ上達はありえません。私は今、指導する機会と指導される機会が与えられているので、指導の際には相手の上達を見極め、相手に合った指導をし、自身の上達にも務めるために普段の稽古でも指導をする際も人のための稽古であると思わず、自身の稽古として励めるよう努力しています。

 澁川一流柔術指導上の留意点についてのまとめとして、指導者は自身の上達も望まねばならないが指導する相手の上達も考え、稽古しなければなりません。また指導とは相手を知り、その相手に適した指導法を探し出し、教えての繰り返しです。指導対象者が間違った方向にいかないよう、自身の行動と発言にも責任を持たなければならないのです。相手の上達の一端を担うということは責任も生じることではあるが、自身の上達と同様に、あるいは自身の上達以上に指導対象者の上達は喜ばしいことであることも私は理解しています。指導され、その指導を一生懸命こなしていくよりもはるかに高度なことが求められているのが指導者でありますが、自身のより大きな上達のためにも通らなければならない道であるということです。

参考文献
1)岩田純一、梅本夫:教育心理学を学ぶ人のために 世界思想者 初版 1995年
2)日本武道館:日本の武道 財団法人日本武道館 初版 2007

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  1. 2014/10/20(月) 21:25:20|
  2. 昇段審査論文

出雲大社奉納演武

  10月19日(日)、出雲大社神楽殿において奉納演武を行わせていただきました。昨年に続き2度目の奉納演武をお許しいただき、たいへん有難いことだと思っております。

 正式参拝後の奉納の場所は、昨年の仮拝殿ではなく、結婚式が行われる神楽殿ででした。奉納順に気付きを幾つか述べたいと思います。

 居合(素抜き抜刀術)の奉納は5本のうち、最初が初発刀、最後は抜打で統一し、中の3本は自由としました。演武時間を考え、それぞれが適切な時間の演武をしていただきました。中の3本は思い思いの形でしたが、違う形を演武しながら統一した雰囲気の演武ができたと思います。これは皆さんが貫汪館の居合をよく理解されたうえで、稽古されている証であると思います。今後も貫汪館の居合の本質を理解され、多人数で演武するときには、自分の演武に掛かる時間を考えて適切な形を選択するように勤めてください。あえていえば、1,2本目に焦りの見える方がおられました。素抜き抜刀術は天地と己の調和が大切です。

 今回は、直心影流薙刀術の先生方4名にも奉納していただきました。皆さんそれぞれの地域で指導しておられ、一緒に稽古されるのは講習会の時のみであるとお聞きしています。しかし、演武をされれば、お二人の息が合い素晴らしい演武をされるのは直心影流薙刀術の本質を掴んでおられるからだと思います。貫汪館の支部の皆さんもどのように稽古すればよいのかご理解いただけたと思います。
 本質を理解して、それを求めれば道から離れることはありません。

 大石神影流剣術「陽之裏」「小太刀」の演武では、はじめの神前の礼は、ほぼ心が一つになっていました。大石神影流の礼の本質を理解されていると思います。
 演武は身長体重の差がありますので、位置がそろうことはありません。しかし、手数と手数の間の心の間は稽古を重ねるにつれて、そろっていくものです。今回は手数の名前を読むことによって間を合わせましたが、手数の名前が読まれることがなくても間が合うようになっていかねばなりません。

 澁川一流柔術の奉納は、稽古を重ねていますのでよくできていました。名古屋西支部長は稽古した事がない形が多いにもかかわらず、ビデオを見て一人稽古を重ねられたようです。違和感のない演武でした。

 無雙神傳英信流抜刀兵法「詰合」「太刀打」は日ごろ一緒に稽古をする事がない本部の師範と支部長との組み合わせにしましたが、よく息があっていました。後は錬度を上げていくだけです。とくに奉納では緊張していないようでも無意識のうちに緊張しています。そのような場合には、臍下丹田に治まるべきものも治まらない事があります。打太刀を勤める方は仕太刀に無理がみえれば最初の動きに少し間をとってもかまいません。

 澁川一流の半棒もよく稽古がなされていました。今後も稽古を重ねてください。

 大石神影流剣術「三学圓太刀」は変化が必要とする手数、緩急を必要とする手数です。このような手数は質の高い稽古で数を重ねる必要があります。今後も怠らぬよう勤め、上達してください。

 今回は結婚式が行われる畳の上で奉納させていただきました。バッグ、刀などの武具の置き場所や取り扱いなど、畳を傷める事がないよう十分に気をつけていただいたと思います。 今後ともそのような注意深い行動が必要とされます。

 全般的な気付きを述べました。今後の稽古の糧としてください。


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  1. 2014/10/21(火) 21:25:48|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

昇段審査論文 5

大石神影流剣術4段の論文です。


大石神影流剣術指導上の留意点について

1.はじめに
 大石神影流剣術指導上の留意点を述べる前に、まず、大石神影流剣術の成立及びその特徴について再度振り返りたい。そのうえで、大石神影流剣術の技法における指導上の留意点について他流派の伝書も参考にしながら論じることとする。

2.大石神影流剣術の成立
 大石神影流剣術は、大石進種次によって創始された流派である。種次は幼いころから祖父である大石遊剣入道種芳について剣術・槍術を稽古し、やがて愛洲陰流及び大嶋流槍術の免許を受けている(1)。種芳の師は、柳河藩に仕え愛洲陰流と大嶋流槍術槍術を指南していた村上一刀尉源長寛から免許を受け、やがて自身も柳河藩師範役となった人物である。種次によって創始された大石神影流剣術はどのような過程を経て成立されたのかは定かでないが、愛洲陰流及び大嶋流槍術は大石神影流成立のうえでその基礎となった。

3.大石神影流剣術の特徴
 大石進種次は、面や籠手等の防具を改良し、さらに、突き、胴切を工夫して大石神影流と称した。大石神影流剣術においてもっとも象徴的なのは、手数稽古に使用される竹刀の長さである。現在は、稽古に三尺八寸のものを使用しているが、創流当時は、それまで広く用いられていた三尺三寸の竹刀を各自の身長に応じ乳通の長さまで伸ばした。また、手数に突きと胴切を取り入れたことにより、激しい打突に耐えうるよう唐竹製の面を廃止し、新たに鉄の穂の面とするなど防具を改良した。さらに、胴には胴切に対応できるよう竹による巻胴を作り、籠手はそれまでの長籠手を廃し、籠手を短くして腕を覆う範囲を小さくした。

4.大石神影流剣術の技法における留意点
 大石神影流剣術の特徴は上述のとおりであるが、これらの手数を無理・無駄なく的確に行うための留意点を以下に述べる。
(1) 構え
 大石新影流の構えには、「真剣」「上段」「附け」「下段」「脇中段」「脇上段」「車」「裏附け」がある。構えるには、ただ構える動作をするのではなく、臍下での呼吸に動きを乗せることが肝要である。そのためには、深い呼吸で心を鎮めることを意識しなければならない。さらに、動きを呼吸に乗せて自由に動かせるためには、鼠蹊部、膝を十分に緩め、上半身から下半身を貫く中心線(中心軸)を正しく保持しておく必要がある。構を考える前に、江戸時代とは異なり、椅子式の生活になじんで坐することが少なくなった現代では、まずは立位での姿勢から見直さなければならない。武道が競技化された現代でよく立位に見られる「気をつけの姿勢」ではなく、臍下丹田に充実させた気を納め、中心軸を保持して力まずに十分に緩んでおかなければならない。立位ができていなければ、動くことは当然ながら構えることさえもできない。構えについては、各流派とも重要な項目の一つとして考えられており、詳細な教えを残している。以下に柳生新陰流での教えとして、「構えないことが構え」を次のように解説している。

 新陰流が生まれる前の剣術では、まず自分の身を守るという考え方を重視して、構えを大切にしました。しかし、流祖・伊勢守は一つの形に固執しないという「転」の考え方から、自然体で太刀をニュートラルに引っさげた状態、「無形」を基本とします。構えがないのが、構えだというわけです(2)。」

 ここに出てくる「ニュートラル」という言葉だが、これはまさしく稽古において常々森本先生からご指導いただいているとおり、鼠蹊部の他身体の各所に力みがない状態になければならない。また、この状態は構えだけではなく、その後の動きにおいても続けてニュートラルの状態を保持することが必要である。構えについてはさらに、柳生新陰流においては、柳生兵庫助利厳の兵法を記した『始終不捨書』十禁習之事においても同様に「一、面ヲ引ク事(3)」として、顔を引くことを禁止している。これは顔を引くと同時に体が引け、やがて姿勢を崩してしまい、その結果、身体は不自由となるということである。そのようなことにならないよう、顔の位置が重要であることを示している。さらに、宮本武蔵の著した『五輪書』において、剣術の技法を論じている 水之巻にも次のように同内容の教えがみえる。

  一、有構無構のおしへの事
   有構無構といふは、太刀をかまゆるといふ事あるべきことにあらず。され共、五方に置く事あれば、かまへともなるべし。太刀は、敵の縁により、処により、けいきにしたがい、何れの方に置きたりとも、其敵きりよきやうに持つ心也。上段も時に随ひ、少しさがる心なれば中段となり、中段を利により少しあぐれば上段となる。下段もおりにふれ、少しあぐれば中段となる。両脇の構も、くらいにより少し中へ出せば、中段・下段共なる心也。然るによって、構はありて構はなきといふ利也。先づ太刀をとっては、いづれにしてなりとも、敵をきるといふ心也。若し敵のきる太刀を受くる、はる、あたる、はねる、さわるなどいふ事あれども、みな敵をきる縁なりと心得べし。うくると思ひ、はると思ひ、あたるとおもひ、ねばるとおもひ、さわるとおもふによって、きる事不足なるべし。何事もきる縁と思ふ事肝要也。能々吟味すべし。兵法大きにして、人数だてといふも構也。みな合戦に勝つ縁なり。いつくといふ事悪しし。能々工夫すべし(4)。

 ここでは、敵の出方およびその時の状態により、相応の構えとすること、つまり、構えようとする心こそが居付きの原因だとする心の持ちようを教えている。実際の技法として、同書では次のように述べている。

一、兵法の身なりの事
身のかかり、顔はうつむかず、あをのかず、かたむかず、ひづまず、目をみださず、ひたいにしわをよせず、やゆあいにしわをよせて、目の玉うごかざるやうにして、またゝきをせぬようにおもひて、目をすこしすくめるやうにして、うらやかに見ゆるかを、鼻すじ直にして、少しおとがいを出す心也。くびはうしろのすじを直に、うなじに力をいれて、肩より惣身はひとしく覚え、両のかたをさげ、脊すじをるくに、尻を出さず、ひざより足先まで力を入れて、腰のかゞまざるやうに腹をはり、くさびをしむるといひて、脇差のさやに腹をもたせて、帯のくつろがざるやうに、くさびをしむるといふおしへあり。惣而兵法の身をつねの身とする事肝要也。能々吟味すべし(5)。

 特にこの中で重要なのは、鼻筋を通して首をのばし顎はすこし出す事としている。さらに、両肩を下げて背筋を真直ぐにすることを説いているのは、首より上部の状態が変われば姿勢を崩すことにつながり、それゆえに楽な構えができないことになる。これを防止するためにも、顔は若干上向き加減ぐらいがよいとの教示である。これは、稽古時に相手の手、足などの体の部位を注視することにより、視線が下がる結果、頭が下がってしまう動きを見かけることがある。若干上向きにするのは簡単なようだが、かなり意識しなければできない。
 構えのことは多数の流派の書物にその技法等の記載がみられることから、重要項目の一つであることがわかる。ただ単に形作る構えとならないよう十分に気をつけなければならない。

(2) 動き
 古流剣術と現代剣道は別物で、当然ながら動きについてはまったく異なる。同様に打ち方も打つ箇所も当然変わってくるのである。動きについては、文章として表現しにくいこともあり、指導を受けた内容を忠実に稽古し自ら体得しなければならない。
 さて、大石進がどのような動きをしていたかについて、藤吉 斉『大石神影流を語る』によれば、「進はこのような境遇に安閑としていられず、馬を飼うと田畑を耕作して家運の挽回に務めた(6)」)と記されており、また、板井 真一郎の『大石神影流の周辺』でも同様に「大石道場四代目師範となった私の祖父の真澄も常に畑仕事に打ち込んでいた。それは衣食の為或いは体力増進の為もあったであろうが、常々門弟に対し、鍬を握る手が即ち竹刀を握る手で、これが大石神影流の一の訓えであると語っていた(7)」との記述があり、剣術で動きのために特別な稽古をしていたわけではなく、日常生活の延長をそのまま動きとしていたことがうかがえる。つまり、特別な動きをつくらないことである。構えにおける鼠蹊部の緩みと中心線を保持しニュートラル状態にある事が重要であることは先に述べたが、自由に動くためには、その他に両肩を落とし、胸を張らず、腰を屈めずして、身体が動き始めても同様な状態を保たなければならない。ここで、木刀を早く振り下ろそうとか力強く打込もうという考えを排除し、自己満足的な動きは決してしないことである。さらに、正しい動きをするうえで注意しなければならないポイントの一つとして、目付が重要になる。これは、剣術のみならず柔術においてもいえることであるが、ほとんどの初心者では、相手との接点、または自分が次に進む方向に視線を先に送り、必ずしも正しい目付にないことがよく見受けられる。その結果、視線と共に頭の位置が上下左右に振れてしまい、正しく中心線を保持することができなくなる。目付に関しては、様々な流派の文献にその教えを見る事ができるので参考にしたい。特に有名なのは『五輪書』水之巻にいわれる「一 兵法の目付といふ事(8)」で、この中で目付は観見二つの事とある。同様に、柳生宗厳の記した『新陰流截相口伝書事』には、敵の動きを正確にとらえるため、どこを見るべきかを「三見大事 一、太刀さきの事 一、敵之拳の事 一、敵之顔の事(9)」にて、この修業が進んだ後、さらに「目付二星之事(10)」を示すことにより観見二つの目付を教えている。ここでいう観とは心で見ることで、見とは眼で見る事である。すなわち、部分的に見るのではなく、目を動かさず全体を観察して、相手動きを察知する。と教えています。しかしながら、この目付について武蔵は「いそがしき時、俄かにはわきまへがたし。此書付を覚へ、常住此目付になりて、何事にも目付の変わらざるところ、能々吟味あるべきもの也。(11)」と書かれているとおり、重要かつ習得は困難であるといっている。

(3) すべての動作を呼吸に合わせること
 すべての動きの元となる呼吸は、臍下で行わなければならない。臍下で深い呼吸ができれば心は鎮まるはずであるが、心鎮まらなければさらに深い呼吸を意識しなければならない。特に素振りにおける呼吸は、呼吸を深くすることだけを意識的におこない、呼吸に動きをのせる必要がある。普段どおりの呼吸では動きとつながることはない。呼吸に合わせて動くと、身体を緊張させる事なく自然な動きが可能となるが、力任せに刀を振ると、全身を緊張させることとなり呼吸は逆に不自然になる。

(4) 張ること
 大石神影流剣術の手数には、相手の刀を鎬で受けて「張る」という動きがある。臍下丹田を中心とした動きが使えない場合、得てして手首の力もしくは両腕の腕力で張る動作をしてしまいがちになる。張る動きの起点は、中心である臍下丹田からであり、その動きが胴、腕、手から刀へ伝搬されなければならない。そのためにも、伝搬経路上に堅い障害となる身体の緊張による力み、もしくはその逆に、腑抜ければ伝搬経路が絶たれ正確に動けなくなる。いずれにせよ、正しい構え、正しい呼吸からの延長であり、張る動作のために特別な硬い動きを作ってはならない。

(5) 気先のこと
 気先というのは、動き始めた相手の動きに対して反応するのではなく、動こうとする意識の起こりを突くことである。では、そのためにはどうすればよいかについて『兵法家伝初』には次のような教えをしている。

  一、 是極一刀のこと
   是極とは、これ至極也と云ふ儀也。一刀とは、刀にあらず。敵の機を見るを、一刀と秘する也。大事の一刀とは、敵のはたらきを見るが、無上極意の一刀也。敵の機を見るを一刀と心得、はたらきに随ひて打つ太刀をば、第二刀と心得べし。是を根本にして、様々につかふなり。手裏剣、水月、神妙剣、病気、此四、手足の動き、以上五也。是を五観一見と習ふ也。手裏剣を見る、是を一見と云ふ。残りの四つをば、心に持つ程に、観と云ふ也。目に見るをば見と云ふぃ、心に見るを観と云ふ。心に観念する義也。四観一見といはずして五観と云ふは、おしこめて五観と云ひ、其内より手利剣を一見と云ふ也。手利剣、水月、神妙剣、病気、身手足、此五也。此内四をば心に観じて、眼に手利剣を見るを一見と云ふ也(12)。

 ここでは、敵の機をみる事こそが一刀であり、実際に刀をつかうことは第二刀であるといっている。また、「手利剣」とは、「敵の手裏剣―太刀を執る手の内を見る事が肝要である(13)」と教えており、このことは大変困難なれど、相手の全体像をよく観察することにより、相手の動き、または、考え方などのすべてを読み取らなければならないといっている。

5.精神的作用
 技法に対する留意点については上述のとおりであるが、指導を受ける側が素直に動けるか否かは精神的な作用によるところが大きいものと思われる。これは、これまでの指導経験により感じられることであるが、稽古において個人に対する指導する内容は、毎回ほぼ同じことの繰り返しだからである。このことがいわゆる「居着き」で、武道を稽古するうえでの禁忌といえる。
 柳生宗矩著『兵法家伝書』(「殺人刀 上」)に「病気の事」という一項がある(14)。ここでいう「病気」とは、何かをしようとする心のすべてであり、病をなくそうと一心に思うのも病である。さらに、何事も一心に思い込み、それにこだわってしまうのが「病」というものなのであるといっている。仏法を兵法的に「剣禅一如」を説いた沢庵宗彭は、『不動智神妙録』の無明住地煩悩で、「心がとらわれると切られる(15)」といい、「とらわれる心が迷い(16)」といっている。これらがいわゆる「居付き」であり、やがて個人の過剰意識となり相手との関係を失うことになる。その結果、心と体に隙をつくることにつながるのである。同書では、心を居着かせないためには『心を止めないことが肝要(17)』だといっている。これは、稽古における留意点として、構える、動く、呼吸をするなどのひとつひとつを一所懸命にならないこと、また、何かにつけて考えすぎないことを相手に気づかせることが重要だと考える。

6.指導者としての心得
 指導者として指導するにあたり、よく認識しておかなければならない事項の一つとして、指導される側の習得の速さの違いがある。よって、複数の門弟を同時に進行する稽古をさせるべきではない。幕府講武所頭取であった窪田清音の著した『剣法略記』には次の一文がある。

  学び得るに遅速あるの論ひ
   人々は生まれによりては、相ともに怠りなく一事を学びぬるに、かれはまさりて早くことを得わざを得るに、およぶべきともおもへず、腹だゝしくおもひて、なほも怠りなく学ぶに似るべくもあらざれば、はてばてには、そを恥とおもひて、おこたりなどするものあれど、其の実は恥をしらざるなり。早きと遅きは人々の生まれによるわざにてあれば、恥ずべきことにはあらず。たゞ一時の遅速のみにて、ことを得たるうえにいてりては、其のわかちのへだゝりはあらぬことなれば、ひたすらに心を尽して明暮おこたりなく学びを重ぬべきことなり。怠りだにせざれば、終には同じほどに至るべきに、はぢとし怠るはいさましき心なきひが覚えなり。怠るときはいつを時として及ぶべきにや。よく心得てまなばざれば、このひが覚えにひかれて、なし得ることはならざるものなり(17)。

 これは、上達の遅速に個人差があるのは仕方ないが、習う者は現時点で教えられたことをマスターするよう努力するのは当然のことだが、どうしても習得することができない者には、次の段階へ進むことをすべきではないという教えである。大石神影流剣術は、剣道や柔道などの現代武道と異なり、競技や試合がない。そのため、習得するにはスポーツにはみられないほどの長い時間が必要である。しかし、ただ時間をかけて稽古をすれば上達するというものでもない。指導者側は闇雲に次々と手数を教え込むのでなく、指導される側の上達度を細かく見極めなければならない。さらには、指導方法をいろいろ試してみるなどの工夫することも必要だろう。

7.まとめ
 近年、時間の進み方が早く、流行の移り変わりが激しい中、技術的奥深さと複雑さを併せ持つ古武術は敬遠されがちで、どうしても現代武道に走りがちだ。剣術はスポーツではなく、技術の習得が難しいからこそ指導する側もされる側も、稽古には常に真剣であり集中しなければならない。本論文に記載したことを今一度自分自身でもふり返って再確認する必要があると感じた。歴史ある大石神影流剣術を正しく受け継ぎ、ただしく指導するためにも、今後とも更なる精進を重ねて参りたい。

後注
(1) 藤吉 斉:『大石神影流を語る』藤吉 斉、第一版、1963年 38-43頁
(2) 柳生耕一平厳信:『負けない奥義 柳生新陰流宗家が教える最強の心身術』ソフトバンククリエイティブ 初版、2011年5月25日 96頁    
(3) 柳生延春:『柳生新陰流道眼』島津書房 初版、1996年6月1日 168-169頁   
(4) 宮本武蔵著 渡辺一郎校注:『五輪書』岩波書店 初版、1991年1月24日 6-57頁
(5) 同上 45-46頁
(6) 藤吉 2頁          
(7) 板井真一郎:『大石神影流の周辺』フタバ印刷社、初版、1988年 13-14頁
(8) 宮本武蔵・渡辺 46-47頁
(9) 柳生延春 32頁
(10) 同上 34頁
(11) 宮本武蔵・渡辺 47頁
(12) 柳生宗矩 渡辺一郎校注:『兵法家伝初 付新陰流兵法目録事』岩波書店、初版、1985年8月16日 75-76頁
(13) 柳生延春 62頁
(14) 柳生宗矩・渡辺一郎 51頁
(15) 沢庵宗彭 池田諭訳書:『不動智神妙録』徳間書店 初版、1970年10月15日 25頁
(16) 同上 27頁
(17) 窪田清音:『剣法略記』新人物往来社 初版、1995年7月10日 468頁


参考文献
藤吉 斉:『大石神影流を語る』藤吉 斉、第一版、1963年 
宮本武蔵著 渡辺一郎校注:『五輪書』岩波書店 初版、1991年1月24日
窪田清音:『剣法略記』新人物往来社 初版、1995年7月10日
板井 真一郎:『大石神影流の周辺』フタバ印刷社、初版、1988年
沢庵宗彭 池田諭訳書:『不動智神妙録』徳間書店 初版、1970年10月15日
柳生耕一平厳信:『負けない奥義 柳生新陰流宗家が教える最強の心身術』ソフトバンククリエイティブ 初版、2011年5月25日
柳生宗矩 渡辺一郎校注:『兵法家伝初 付新陰流兵法目録事』岩波書店、初版、1985年8月16日
柳生延春:『柳生新陰流道眼』島津書房 初版、1996年6月1日


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  1. 2014/10/22(水) 21:25:17|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 6

大石神影流剣術4段の論文です。

指導上の留意点について述べなさい。

Ⅰ.指導上の留意点について(総論)
 武道における稽古は、一対一が基本となる。ときに集団教授を行うこともあるが、より高い技術を身に付けるためには一対一の稽古となるのは当然のことと言える。状況により多数を同時に指導する場合であっても、その時その場においては一対一の稽古と言うことができよう。
 指導を受ける側の年齢、性別、性格、体格の違いにより、同じように指導をしても効果が上がらないことがある。そのため、指導においては、指導を受ける側の個々人の資質に合った指導をすることが重要な点となる。
 それまでの運動経験、他武道の経験も重要な点となる。現代武道とくに竹刀剣道の経験者の場合はとくに注意が必要である。打つと斬るの違いに留意すること。
 また、教えすぎないことも重要である。ただ言われるままに動くのではなく、よく見て、よく考え、自分で稽古、工夫、研究するようにするべきでる。
 とくに言葉による指導は弊害が多い。指導者が実際にやって見せることがなにより重要である。常に最高の業を見せられるよう、自己の稽古も怠ることがあってはならない。

Ⅱ.指導上の留意点について(各論)
 大石神影流剣術の技法上の留意点について、個々に見てみよう。
 指導の際には、以下の点について留意することが重要である。

1.呼吸、肚、気合
 呼吸と肚は、稽古における最重要課題の一つと言える。
 動作はすべて、肚を中心として動くこと。小手先で剣を振り回すことがないように。
 動作はすべて、呼吸に合わせて動くこと。肚を中心とした深い呼吸であること。
 そけい部は常に弛んでいること。全身の力を協調一致させて遣うためである。
 気合は、肚から出すこと。呼気に合わせる。
 手数をいくら覚えたとしても、これらの基本ができていなければ何の意味もない。

2.礼法、構え、素振り
 礼法、構え、素振りは、相手のいる稽古ではない。しかし、だからこそ重要な稽古と言える。相手のいない動作で、肚を中心として、呼吸に合わせた動作ができなければ、相手がいる動作でそれらができようはずもない。
 基本の動作だからこそ、よくよく稽古する必要がある。

(1)礼法
 大石神影流の礼法は極めてシンプルである。次のとおり。
 刀礼はなし。稽古は、すでに帯刀した状態から始まる。
 正面への礼は、帯刀した状態で、片膝を着いて軽く握った両拳を地に着け、上体を折る。立ち礼なのは、もともとは土間で稽古をしていたことによる。
 お互いの礼は、帯刀した状態で、会釈を行う。
 いずれも、肚を中心として、深い呼吸に合わせて動くことが大事である。
 また、礼である以上、心のこもったものでなければならないことは言うまでもない。

(2)構え
 通常、稽古する構えは、次の8種類である。
 真剣、上段、附け、下段、脇中段、脇上段、車、裏附け
 手数でよく遣われる構えとそうでない構えがあるが、同じように稽古をする必要がある。また稽古はしないが、拳隠し、右片手で切っ先を後ろ向きに左腰に置く構えなどもある。
 構えに共通の留意点は、次の通り。
 肚を中心として動くこと。小手先を使わない。
 深い呼吸に合わせて動くこと。吸いながら動き始め、深く吐いて動作を完成する。
 そけい部が常に弛んでいること。全身がリラックスしていること。

 個々の構えの留意点は次の通り。
真剣
 中段の構えであり、すべての基本となる。柄を握りしめることなく、柔らかに包むこと。
 手首、肘、肩、そけい部、膝、足首を柔らかく。肚を中心とした、深い呼吸を保つこと。
上段
 左半円を描くように切っ先を頭上右へ運ぶ。このとき、重心が上がらないように。
 切っ先が右上方、柄頭が左下方を向き、両手の中間が額前になる。
 両肘は落ちて、そのまま斬り込める体勢となっていること。
附け
 上段になる動きに似ているが、剣は胸の前まで下りる。
 左手のひらは柄を包み、いつでも突ける体勢であること。
 切っ先が相手から外れることのないよう。
下段
 手先で剣先を下げるのではなく、体全体が沈むこと。
 待ち受ける体勢ではなく、下から攻める体勢であること。
脇中段
 右足を引きあるいは左足を踏み出して、剣を右肩上方に立てる。重心が上下しないこと。
 右手は柄をしっかりと包み、右肘をやや張る。
 待ち受ける体勢ではなく、そのままいつでも斬り込める体勢であること。
脇上段
 脇中段から剣を右上方に大きく伸ばす。
 腕先で剣を動かすのではなく、肚を中心として深い呼吸に合わせて動くこと。

 いわゆる脇構えである。脇中段になる動作を通過して、そのまま剣を後方に置く。
 重心が上下しないこと。肚を中心として、深い呼吸に合わせて動くこと。
 足は大きく開いて腰は深く落ちるが、居着かず自由に動ける体勢であること。
 待ち受ける体勢ではなく、そのままいつでも斬り込める体勢であること。
裏附け
 附けの左右逆である。右足を引きあるいは左足を踏み出して、附けと逆の構えになる。
 切っ先が相手から外れることのないよう。

(3)素振り
 大石神影流の斬撃は特殊であるため、そうと意識せずとも自然に動けるようになるまで、よく稽古する必要がある。
 真剣から上段になってまた真剣に戻る動作に似ているが、上段の構えは左半円を描かずすぐ額前に剣を運ぶ。
 基本の素振りでは、その場で足を動かさず、剣をゆっくりと上下させる。
 切っ先は、まっすぐ頭上後方に振りかぶるのではなく、右上方へ振りかぶる。
 深い呼吸に合わせて動き、吸いながら振りかぶり、吐きながら下ろす。
 肚を中心として動くこと。小手先で剣を動かさない。
 そけい部は常に弛んでいること。

3.手数
 大石神影流剣術では、手数を重視している。大石進種次は、試合の前には必ず手数を行ったと言われている。よくよく稽古する必要がある。

 大石神影流の手数のグループは12種類あり、次のとおり。
  試合口、陽之表、陽之裏、三學圓之太刀、鎗合、長刀合、棒合、鞘ノ内、二刀、天狗抄、小太刀、神傳截相
 これらは、大きく次の三種類に分類することができる。
ア.試合口、陽之表、陽之裏、三學圓之太刀、天狗抄、神傳截相
イ.鎗合、長刀合、棒合
ウ.鞘ノ内、二刀、小太刀
ア、イ、ウのグループはそれぞれ、
 アは一般的な剣術の形のグループ
 イは剣以外の武器で剣に対する、または剣で剣以外の武器に対する形のグループ
 ウは特殊な剣術の形のグループ
と言うことができる。
 剣術の流派ではあるが、鞘ノ内、二刀、小太刀、鎗合、長刀合、棒合が含まれており、逆に、鎖鎌や隠し武器などの特殊な武器は含まれていないということがわかる。
 またイとウについては、イは概ね中級程度、ウは概ね中級から上級程度で稽古を行う、ということがわかる。
つまり、
 試合口、陽之表、陽之裏、三學圓之太刀で大石神影流の剣術の基本を学び、
 鎗合、長刀合、棒合で他の武器について学び、
 鞘ノ内、二刀、小太刀で剣の応用を学び、
 天狗抄、神傳截相で奥義を学ぶ、
ということができるかと思う。
 大石神影流剣術の流派の体系として順に学ぶことはもちろんだが、多種多様な手数を遣えるよう、ある程度の基礎ができた段階から、先の手数も稽古する必要があるであろう。

 個々の手数の留意点は、次の通り。
(1) 試合口
 名が示す通り、試合用の技法であると同時に、入門最初に習う手数である。
 五本いずれも重要なエッセンスが含まれており、よくよく稽古する必要がある。
一心
 通常、最初に習う手数である。一本目であり、重要なエッセンスが含まれている。
 位を見て、打太刀の斬り込みを請け、張り、突く、という動作で構成されている。
 位を見る動きは、あくまで柔らかく。手先でなく、肚で行うこと。
 請けは、表鎬で請ける。手先で剣を動かさず、肚を中心に動くこと。
 張りは、肚で行うこと。手先で行ってはいけない。短い呼気を伴う。
 突きは、肚で行うこと。手先を使わず、全身の移動で行う。気合は肚から出すこと。
 残心にも留意すること。動作が終わったからと、気を抜くようではいけない。
無明一刀
 二本目の手数であり、一本目と左右が逆なだけであるが、そこに留意する必要がある。
 請けは、体の右側において裏鎬で請けるやや窮屈な体勢のため、力みが生じやすい。手の内はもとより、全身をリラックスして動く必要がある。
 張りも左右逆の動きとなるが、肚を中心に動けていれば問題はないはずである。
 突きは一本目となんら変わるところはない。
 残心も同様である。
水月
 位を見て、振りかぶった相手の小手を留める。その名前が直截的に留意点を示している。
 水に映る月、あるいは月を映す水。無心であること。思わず同時であること。
 気合は短く。
 斬ったのは小手のみであるから、残心はさらに重要なものとなる。
須剱
 一二本目に似るが、打太刀は諸手で突いてくる。それをいなし、張り、片手で突く。
 剣と剣が低い位置で合うため、張る動きは小さなものとなる。しかし、一二本目と同じだけの威を備えていなければならない。肚で張ることができているかがわかる。
 相手の突きを軽く下がりながらいなすため、間合いは一二本目よりも遠いものになる。そのため、突きは体を一重身近くに開いた片手突きとなる。左手は左腰に添え、体の開きを助ける。体を開く動きで突くのであり、腕の力でないことは一二本目と同様である。
一味
 上段からの斬り込みを躱しながら請け流し、面を斬る。
 打太刀の斬り込みと、仕太刀の体の躱し、請け流しは同時であること。
 重心が上下しないこと。体を躱すため、安定性は重要である。肚で動くこと。
 請け流しは剣と剣がぶつからないよう。力を流す。

 手数の「一心」「無明一刀」「水月」「須剣」「一味」とはどのような意味であろうか。
 名は体を表すという言葉もある。あわせて指導すべき内容であろう。

(2) 陽之表
 試合口が入門者用の手数だとすると、陽之表は流派の表看板ということになるであろう。
 試合口のような試合用の手数ではなく、流派の動きを身に付けるための手数である。
 よく稽古する必要がある。

よう剱
 よう剣の「よう」は「こざとへん」に「日」、つまり「陽」の異体字である。
 陽之表の正しく一本目であり、流派の表の一本目ということができるであろう。
 まっすぐ正面で斬組をなし、肚で押さえる。
 大石神影流の手数のほとんどがそうであるように、とてもシンプルな動作となっている。
 斬組は、まっすぐに斬り込むこと。剣と剣を合わせようとしてはいけない。斬り組むのは、あくまでお互いにまっすぐに斬り合った結果である。
 肚で押さえること。手先で押さえてはいけない。気合は長く、肚の底から出すこと。
 残心は油断なく。剣と剣が離れないよう。
 相手を斬らず、押さえて終わる。残心とともに、気位も重要なものとなる。
 「陽」の名があらわすとおり、まっすぐで激しい手数である。
げっ剱
 げっ剣の「げつ」は「こざとへん」に「月」、つまり「陰」の異体字である。
 よう剣が表の一本目であるとしたら、げっ剣はその対になる二本目である。
 車で間合いに入り、打太刀の斬り込みを下がって躱して正面に斬り込む。打太刀はそれを下がって躱してまた正面に斬り込んでくるので、試合口「一味」のように体を躱しながら請け流し、面を斬る。
 「陰」の名があらわすとおり、前後左右の変化に富んだ柔らかな手数である。
 試合口五本をよく稽古する必要があるように、陽之表十本もよく稽古する必要がある。その中でも「よう剣」と「げっ剣」は、よくよく稽古する必要があるであろう。
無二剱
 打太刀の上段への小手から面への二連続業である。怒涛の攻めも、大石神影流の特徴の一つと言えるかと思う。これは、初代大石進の性格を反映したものなのかもしれない。
 最初から面を打つことを考えて、小手がいい加減なものになってはいけない。また逆に、小手で動きが止まってしまうようでもいけない。状況に応じて自然に変化する必要がある。無心でなければならないのは、試合口「水月」のみに限ったことではない。
二生
 打太刀の斬り込みを下がって躱し、振りかぶるところを下段で追い込む。さらに、面に斬り込んでくるところを請け、「よう剣」のように肚で押さえる。
 形をなぞるだけなら簡単であるが、下段による攻めは気位が重要なものとなる。留意が必要である。
稲妻
 面、内腿、面の三段打ちである。正しく稲妻のような素早い攻めが必要である。ただし、急ぐあまり形が崩れるようではいけない。とくに大石神影流の稽古が浅い者はまっすぐの振りかぶりになってしまいがちである。注意が必要である。
太陽剱
 いわゆる抜き面である。打太刀の剣が邪魔に感じることもあるようであるが、打太刀が仕太刀に気を遣って剣を大きく下げる必要はない。仕太刀は大石神影流の動きがきちんとできていれば、打太刀の剣が邪魔になることはない。
 下がって躱して、出て斬る、という二挙動になってはいけない。ゆっくりでも止まらず、一挙動で動くことが重要である。
 また稲妻と同様、振りかぶりに注意が必要である。
正當剱
 袈裟からの突きを片手で払って、肘通りを斬る。
 払う動作は手先でなく、肚で行うこと。同時に入り身を行うこと。
無意剱
 面を請けて張り、斬り上げを右太腿上に剣を立てて請け張り、突きをいなし、肘通りを斬り、喉に付けて詰める。
 面を請けて張ったら、すぐに附けの構えに戻ること。切っ先を相手から外さないこと。
 斬り上げを請けるときは、剣を右太腿上に立てること。
 肘通りを斬って喉に付ける動作は、区切らずに一連で行うこと。
 油断なく詰めること。
乗身
 打太刀が脇中段から斬ろうと振りかぶる瞬間に、附けの構えで気先を制する。そのまま追い込み、上段の小手を小さく斬る。
 気先を制すること。気位で圧すること。隙なく小手を斬ること。油断なく下がること。
 手順は単純であるが、だからこそ逆に、稽古が必要である。
千鳥
 巻き上げて袈裟を躱し、斬り上げようとする打太刀の肘通りを斬る。
 形としては右足を上げて躱すが、上げて下ろす二挙動になってはいけない。体の開閉により、一挙動で行うこと。膝を着きながら、同時に斬ること。
 打太刀の素早い斬り返しに間に合う、無理無駄のない動作が必要である。

(3) 陽之裏
 陽之裏は高度な技法と、気や位といったものが要求される。試合口、陽之表と合わせて、よくよく稽古すべきである。

勢龍
 手数名「勢龍」が「青龍」だとすれば、十本目「白虎」との対と考えられる。「白虎」が左右に激しく変化する手数なのに対して、「勢龍」は激しく前方に攻める手数である。
 陽之表十本目「千鳥」と同様に巻き上げて打太刀の袈裟を躱し、斬り上げを「正當剣」と同じように片手で払い、追い込んで面を斬る。
 豪快かつ素早さが求められる手数であり、正しく裏の一本目にふさわしいと言える。
 せわしなくならないよう、重心が沈み、肚から動くことがより一層、要求される。
左沈
 「勢龍」の変化となる手数である。巻き上げて躱すのではなく、左後方に下がりながら身を沈めて躱す。このとき剣は左腰に構え、切っ先は後方を向く。続いて「勢龍」と同様に斬り上げを片手で払うが、「勢龍」が上方から払うのに対して、「左沈」は剣が下方にあるためその点が異なる。十分な威を発揮できるよう、稽古が必要である。
十文字
 附けの構えから面を請けて張り、打太刀の喉を諸手で突く。
 試合口「一心」に似るが、附けの構えで行うことと、顔面ではなく喉を突く点が異なる。
 また、外形上は似ているとしても、試合口と陽之表を稽古したうえでの陽之裏である。
 請けて、張って、突くの三挙動ではなく、一挙動で行えるよう稽古すべきである。
張身
 動作としては、左肩から正面の斬組であり、例によって単純な手数である。
 斬組は大石神影流の手数においては重要な技法であり、通常とは左右が逆なこの手数も、だからこそよく稽古する必要がある。
夜闇
 ここにおいて裏附けの構えと、そこからの斬り込みが登場する。通常の斬り込みとは左右が逆なだけであるが、稽古が必要である。小手を押さえるときは、間が開かないこと。打太刀の斬り込みと入れ替わるように体を躱し、片手で面を斬る。
 片手斬りも大石神影流においては重要な技法である。大石神影流用の長い木刀は、手先では振ることはできない。肚を中心に動くこと、体の開きを遣うことが重要である。
亂曲
 名が示す通り、動作が多くせわしい手数である。しかし、小手先の動作とならないよう留意が必要である。

 上段の構えのまま、気合を掛けて打太刀を追い込む。名が示す通り、位詰である。
 形をなぞるだけならば簡単であるが、実際に遣えるようになるにはよほどの稽古が必要となるであろう。
極満
 「位」と同様に位詰から始まるが、打太刀は位負けをするような相手ではなかったため、攻防が始まる。斬組、内腿を斬り、左腰に構え、体を躱しながら片手斬り。
 いずれも今までの手数で稽古した技法ばかりである。スムーズに動けるようになるまで、よく稽古すべきである。
大落
 形としては陽之表「無二剣」や「稲妻」に似るが、面の二連続打ちとなっている。
 続けて斬ることばかりを考えて軽い打ちになってもいけないし、強く打とうとして動きが止まってしまうようでもいけない。打太刀を圧倒する連続の斬り込みが必要である。
白虎
 陽之裏十本目最後の手数である。一本目「勢龍」との対と言える。「勢龍」は激しく前方に攻めるのに対して、左右に激しく変化する手数である。その様はあたかも虎が左右に激しく跳ぶかの如く。低く、安定した動作が求められる。
 左右の小手斬りの連続動作であるが、手で斬ろうとせず、体で斬ることである。

(4) 三學圓之太刀 一刀両断、斬段、截鉄、半開、半向、右旋、左轉、長短、一味
 試合口から始まり、陽之表、陽之裏と稽古が進むにつれて高度な技法となったが、ここで再びシンプルな技法が目立つようになる。大石神影流はもともとシンプルな技法が多いが、三學圓之太刀はまた違った素朴さがある。ただ外形をなぞるだけではいけない。
 一本目と二本目の手数は一本として遣うため、全体で九本の手数となっている。左右の変化、前後と左右、上下の変化など、全体の関連性についても考える必要があるだろう。

(5) 鎗合 入掛、打込
 入掛は右に、打込は左に入り身しながら突きを請けて張り、斬り込む。
技法は単純であるが、実際に遣うには鎗に対して入り身を行う胆力が重要となる。また、歩み足で足を止めないことも重要な点である。
 入り身することだけを考えて、張りがいい加減なものになると鎗の反撃を受ける。威のある張りをしなければならない。

(6) 長刀合 虎乱、飛龍
 虎乱はもともと二本の手数を一本にしたため、手順が多く長い構成となっている。その分、長刀のエッセンスが詰め込まれており、よくよく稽古する必要がある。
 飛龍は例によってシンプルな技法であるが、長刀の重要な技法の一つである。よく稽古する必要がある。
 長く重い長刀を手足のように遣えるようにならなければならない。
 乱れる虎のように、飛ぶ龍のようになるまで、稽古を積むべきである。

(7) 棒合 打合、打入、遠山
 本数は三本と少ないが、いかにも大石神影流らしい動きの手数ばかりである。
 長くて重い棒独特の遣い方を身に付ける必要がある。
 剣のように斬るのでもなく、長刀のようの薙ぐのでもなく、先端で打つ、払う。

(8) 鞘ノ内 抜打、拳落、右肩、左肩、甲割
 シンプルな手数が五本のみ。二本は抜刀せず、三本は抜き打ちである。
 手先ではなく、肚で抜くこと。

(9) 二刀 清風、綾ノ調子、紅葉重、霞、有明
 右手に大刀、左手に小太刀を持つ。
 小太刀で請ける場合など、とくにその間合いに注意する必要がある。
 また、ただでさえ長くて重い大刀を片手で扱うため、肚で遣うことが重要となる。

(10) 天狗抄 必勝、逆風、亂截、高浪、扣卜、右切断、左切断、燕帰、丸橋、折破甲
 防具を着けて打ち合う他流試合用の手数である。
 内容は例によっていたってシンプルで、試合口の上位版といったところであろうか。
 実際に遣えるよう、防具を着けてよく稽古する必要があるであろう。

(11) 小太刀 猛虎、圓月、荒波、重子、強弱
 大刀に対して小太刀で応じる。大刀との間合いの違いに留意する必要がある。
 構えがそのまま技法に直結するため、構えが重要となる。

(12) 神傳截相
 よほどの技量がなければ、ただ形をなぞるだけになる。よくよく稽古を積む必要がある。

4.防具稽古
 大石神影流は試合の強さで名を上げた剣術流派である。手数を多く覚えた、いろいろな手数ができる、手数を上手にできる、といったことで満足してはいけない。防具を着けた稽古を積み、自由攻防の中で大石神影流の動きができるようにならなければならない。

5.伝系・歴史
 大石神影流は初代大石進を流祖とし、大石家に代々伝わる剣術流派である。
 武道における宗家と師家、完全相伝と不完全相伝、免許皆伝の意味など、修業が進むにつれて正しく伝えるべきである。

参考文献;
1)著者名:藤吉 斉、書名:大石神影流を語る、発行所:第一プリント社、版数:初版、西暦年:1963年

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  1. 2014/10/23(木) 21:25:50|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 7

大石神影流剣術4段の論文です。

   「大石神影流剣術指導上の留意点」
                             
世の中には様々な書物や、インターネットなどによる情報があふれています。それらの情報が正しいものばかりであればよいのですが、故意ではなくても誤った情報、さらには自己の都合がよいように操作された情報さえも存在します。古武道を学ぶ上で、私たちが学ぶ古武道が成立した時代と現代を比べるとこの情報の多さという面で様々なメリット、デメリットが出てくるのではないかと思います。たとえ古文書の原文に沿った解説書から情報を得る場合においてもその解釈によっては古文書を書いた人物の意図から外れてしまっていることも考えられると思います。そのため貫汪館では森本先生から常々、できる限り原文を読むことを進められています。情報の何が正しく、何が間違っているのかを判断するためには多くの書物にふれその知識を養っていく必要があります。その知識なしに古武道を学びそして伝える者が技術的な技能だけを向上させたとしても、後の人たちに正しく伝えることはできません。
新たに入門を希望し入会される方は、何の知識もなく私たちの演武などを見て純粋に始めたいと希望される方は別として、剣術の知識を入会に至るまで様々な形で情報を得ている事と思います。その情報源が時代劇の殺陣であったり、現代剣道であったり、武道史から興味を持たれたりと志望するに至った経緯は人により様々ではないかと思います。それらの情報から得た剣術に対するイメージによってはその後の指導の妨げとなることも存在します。そこでどういった経緯でその様な状態になっているのか、またそのイメージのもととなっているものはどの様なものなのかを知ることも、指導する者にとって必要なこととなるのではないでしょうか。
たとえば武道経験者を指導する場合、それが現代剣道経験者であれば、竹刀による打突の際の手の締め付けに留意することを指導されてきた方が大半ではないかと思います。またそのように注意させるよう書かれた指導書を目にすることがあります。これは貫汪館での指導とは大きく異なるものです。竹刀という獲物をより効率よく、またルールにより限られた時間内で有効となる打突を繰り出さなければならないという条件下に特化されたものと、触れれば切れてしまうという刃物を用い、禁じ手というものがなく相手が何をするか分からないという条件下では、違いというものが出てくるのは当然のことであると思います。また制限時間内に多く打突を繰り出すためには筋力と持久力を鍛えるという発想となり、際限なく時が続くものとなれば無理無駄なく自然に応じる動きとならなければならないという違いが出ることも理解に苦しくはありません。そういた違いを修業する者に理解させることで上達に大きく影響が出てくるのではないかと思います。
流派としての特徴、流派によって構えには様々な特徴があります。それは各流派が攻防に対して試行錯誤してきた結果もたらされた結果であり、流派の体の運用理論でもあります。こ流派の求める体の運用理論を正しく身につけるためには体の隅々まで流派の教えを浸透させていく必要があります。大石神影流剣術では上段や附けといった構えに特徴を持っています。それらを単に構えとしてしまえば大石神影流の求める体の運用理論とはかけ離れたものとなってしまいます。大石神影流釼術を正しく理解していくためには礼法からも体の運用理論を疎かにすることはできません。これから大石神影流釼術を指導する上で特に留意しなければならないことを述べてまいります。

1. 礼法について
 大石神影流釼術では神前への礼は折敷の礼です。これは大石神影流が屋外で稽古されていたことに関係するためだそうです。また大石神影流釼術では無雙神傳英信流抜刀兵法や澁川一流柔術のように正座からの稽古法はとられていません。大石神影流は武家において伝承されてきた流派であり武家においては正座が正しくできていることは当然のことであったためであると森本先生から伺ったことがあります。
まずこの正しく座れているとはどういうことなのかですが、以前、大石神影流釼術七代目宗家継承式で宗家をお伺いした折に、六代目宗家大石英一先生からお話をいただく機会がありました。「今の人は座り方が下手だ。今は足を悪くし座れないが昔は何時間でも座っていられたものだ」というお話でした。長く座れば足がしびれて座っていられなくなるのは当然のことと思い込んでいる現代人の私には到底想像ができない領域のお話でした。この正しく座ることのできていない現代人が先人たちと同等の感覚を養うことは、並大抵なことではありません。礼法の一つ一つの所作にすでに高いレベルの動きが求められています。
貫汪館ホームページ『道標』で森本先生は礼法について次のように述べられています。「右膝をつき左膝はまっすぐ前方を向くため右足はやや斜め後方に下げる。この時左右鼠蹊部は十分に緩んでおく必要があり、お尻の力みも無くさねばならない」、また「この礼が正しくできるようになれば、立ち姿勢での下半身の緩みはできるようになるはずである」と述べられています。ここですでに大石神影流釼術を修業するために必要な身体の在り方を求められていることを意味します。鼠蹊部の緩みができていなければ流派の動きを身につけることは困難となります。鼠蹊部の緩みと呼吸を徹底して指導する相手を導かなければなりません。

2. 構えについて
 まず刀を手にしたときに留意することは手の内です。この手の内が正しくできていなければ刀を生かすことが出来ないだけではなく、自身の体の自由さえ奪ってしまいます。手の内の在り方については『五輪書』に次のように述べられています。「太刀のとりやうは、大指ひとさしを浮る心にもち、たけ高指しめずゆるまず、くすしゆび小指をしむる心にして持也。手の内にはくつろぎのある事悪し。敵をきるものなりとおもひて、太刀をとるべし。敵をきる時も、手のうちにかわりなく、手のすくまざるやうに持つべし。もし敵の太刀はる事、うくる事、あたる事、おさゆる事ありとも、大ゆびひとさしゆびばかりを、少替る心にして、とにも角にも、きるとおもひて、太刀をとるべし。ためしものなどきる時の手の内も、兵法にしてきる時の手のうちも、人をきると云手の内に替る事なし。惣而、太刀にても、手にても、いつくとゆふ事をきらふ。いつくは、しぬる手也。いつかざるは、いきる手也。能々心得べきものなり」。貫汪館においても手の内は握らず、緩すぎず、赤子の手のように柔らかく密着するようにと指導されます。また中段に構えるときや、振り上げ振り下ろしのときも、手の内が変化しないよう留意しなければなりません。
『道標』において森本先生は「自分の自由にしようと思って対象を束縛してしまったらその対象そのものは働きを失ってしまうために、かえって自分の重荷になり自由にはならなくなるものです。この理が理解できないために刀の柄を握ろうとしたり、棒を握ろうとします。自分自身の執着をなくし対象を自由にすることで、自分と一体化するのだと観念しなければなりません。手の内は相手とのよい関係を保つためのものでなければなりません」と述べられています。この相手と良い関係を保つ手の内の工夫なく上達の道は開かれることはありません。
大石神影流釼術は中段(真剣)、上段、附け、下段、脇中断、脇上段、裏附け、車と様々な構えを有しています。構えにおいて留意しなければならないのが呼吸です。特に「上段」と「附け」の構えは直接その位置に刀を持っていくことなく、遠回りをさせ半円を描いてそこに位置させます。この動きにより肚を中心とし、呼吸に乗った動きを体得させるよう仕組まれています。ここで言う呼吸とは単に生命活動を支えている、吸って、吐くという単調な繰り返しを言うのではありません。対人関係における呼吸の調和を意味します。
構えについて『五輪書』では次のように述べられてす。「有構無構といふは、元来太刀をかまゆるといふ事あるべき事にあらず。され共、五方に置く事あればかまへともなるべし。太刀は敵の縁により、所により、けいきにしたがひ、何れの方に置きたりとも、其敵きりよきやうに持つ心也。上段も時に随ひ、少しさがる心なれば中段となり、中段を利により少しあぐれば上段となる。下段もをりにふれ、少しあぐれば中段となる。両脇の構もくらゐにより少し中へ出せば中段下段共なる心也。然るによつて構はありて構はなきといふ利也。先づ太刀をとつては、いづれにしてなりとも敵をきるといふ心也。若し敵のきる太刀を受くる、はる、あたる、ねばる、さはるなどいふ事あれども、みな敵をきる縁なりと心得べし。うくると思ひ、はると思ひ、あたるとおもひ、ねばるとおもひ、さはるとおもふによつて、きる事不足なるべし。何事もきる縁と思ふ事肝要也。能々吟味すべし。兵法大きにして、人数だてといふも構也。みな合戦に勝つ縁なり。ゐつくといふ事悪しし。能々工夫すべし 」。本来、刀は居つくことを嫌うので、構えは本来はない方がいいと述べられています。また刀は敵との縁により場所により、情況に従い、どんな持ち方をしても、その敵を斬りよいように持てば良いとあります。貫汪館ではこのことを貫心流の「糸引きの傳」をかりて指導されますが、構えにおいて目と目、体と体、剣と剣、心と心が張り過ぎず、緩まずの糸につながれた関係を保たれていなければなりません。
大石神影流の構えで足の開きと体の開きについても注意しなければなりません。この足の開きについて道標では「中段(真剣)に構えたとき正面に対する左足の開きと体の開きは用いる木刀や刀の長さ、柄の長さ、柄に対する両手の位置、自分の体の各部の寸法によって異なってきます。大石神影流では左足の開きの角度は90度までの開きを目安として各自異なります。手数で同じ長さの木刀を用いていれば身長が2mくらいある人と、160cmくらいの人では足の開き、体の開きは当然異なってきます。各自の適切な角度は各自で求めなければなりません。」とあります。この足と体の開きにおいても足はこの位置、体はこの角度でというものはなく、条件に応じたあり方を求めていかなければなりません。

3. 素振りについて
 大石神影流釼術で上段は柄が額の前に横たえるように位置します。斬り下ろしは刃筋が真すぐに下りてゆきます。この動きはよほど注意しなければ刃筋は斜めに下りてしまいます。普段からゆっくり正しく刃筋をとおす稽古を積まなければ身につくものではありません。この動きが正しくできていなければ手数の稽古に入ってから大きな妨げとなってしまします。素振りの刀の上げ下げは臍下丹田を中心とし意識して深い呼吸と共に行わなければなりません。呼吸を疎かにし浅い呼吸となれば重心が高くなり足を働かせることができなくなってしまいます。
 素振りが正しくできるようになり、ゆっくりと動く場合には臍下丹田中心の動きができているのに手数の連続打ちとなると重心が上がり中心が崩れてしまうことがあります。これは心が原因となります。素振りで徹底して心を収める稽古も行わなければなりません。
 素振りでの呼吸と臍下丹田中心の動きが体に染みつけば大石神影流の流派としての動きを体得したといっても過言ではありません。大石神影流の修業のなかで素振りは終始行っていかなければならない基本の稽古です。心して行わなければなりません。

4. 手数の稽古について
 構え、素振りの稽古で積んだ臍下丹田中心の動き、呼吸法、鼠蹊部の緩みは手数の稽古でも何一つ変わるものではありません。手数を行うときそれらができなくなったとすれば、それは自分自身の心の問題であり、構え、素振りの稽古を疎かにしていたということになります。手数の稽古は基本に基づき行わなければなりません。
 大石神影流の歩行は摺足を用いず、「歩み足」です。足を上げては降ろすの繰り返しの動きで歩んでいきます。これは鼠蹊部の緩みができていてはじめて可能となる動きで、疎かにすることはできません。この歩み足について以前、貫汪館顧問の岡田先生から現代剣道の大会が野外で行われた時のお話を伺ったことがあります。「野外での試合でみな地面を蹴って前に出る動きをしていたので足が滑って体が崩れて試合にならなかった。歩み足は理にかなった動きだ」というお話でした。何時如何なる場所においても使える体使いの条件は重心が上がらないということでしょうか。重心の上がらない動きを体得するためにも歩行においても十分に心して稽古を積まなければなりません。
 大石神影流では「有声の気合」をかけます。これを単純に大きな声を出すこととしてしまえば重心は高くなり、上半身を固めてしまう結果となります。素振りで稽古した肚中心の呼吸にのった気合を心掛けなければなりません。
 大石神影流釼術の手数の稽古は仕太刀は打太刀につれて動くことに留意しなければなりません。これは打太刀の動きを見て動くというのではなく、打太刀心の動きに応じて変化することを言います。貫汪館では貫心流の「糸引きの傳」を借り指導されますが打太刀、仕太刀が糸でつながるがごとく調和のとれた状態になければ、手数は手順だけを追ったお遊戯レベルの形だけのものとなってしまいます。相手の心を読み変化していくことを心がけねばなりません。打太刀は常にこのことに注意し、仕太刀を導かなくてはなりません。
相手の心を読む稽古が進んでも、適切な間合をとることができなければ手数として成立しません。仕太刀がいつもこのくらいの間合で刀が届くからと決めて動いたのでは相手が変われば切先が届くということもあります。相手の出方に応じ、自分の動きも変化させなければなりません。「糸引きの傳」を正しく理解することが重要です。打太刀は仕太刀の技量に応じて指導していかなければなりません。仕太刀の技量を超えて指導を行えば仕太刀の動きは間に合わせの小手先の動きとなってしまいます。このことをよくよく注意しなければ指導によって学ぶ者の道をそれさせてしまう結果となります。
例え手順のなかでの対人の関係ができるようになり手数が行えるようになったとしても、手数のなかには疎かにできない条件が存在します。たとえば「附け」に構えるとき、附けは突くための構えですが、これを手順として行えば本来は仕太刀が「附け」の構えで打太刀が身動きできないところから無理に攻めてくるという前提が崩れてしまいます。条件を満たすためには仕太刀の「附け」の構えは手順のなかで突くことはなくともいつでもつける状態になければなりません。また「斬組」においてもきり下ろしてお互いに切先が触れない間合が取れていなければ次に続くことができません。このように学ぶものに手数の理合いを正しく理解させなければ大石神影流とはなりません。
最も避けなくてはならないことは、剣術を剣による攻防ということだけに意識が行き、相手の刀をより強く張ったり、払ったり、隙があるところに切り込もうと考えて稽古をさせてしまうことです。武道を稽古する上で最も学ばせなくてはならないことは相手との調和です。対峙した相手との調和を求めた結果、そうなるべくして動きが生まれ、隙ができるから自然と斬り込んでいたという状態になければなりません。それは貫汪館の求める武道の在り方ではないかと思います。
最後に、森本先生が「道標」で「武の修業とは強い弱いを突き抜けたところを求めるものです。稽古を始めた動機はどうであれ、強い弱いというところに心がとどまっていては稽古を重ねた結果が名誉欲・自己顕示欲・支配欲を強くすることにつながりかねませんし、実際にそのようになった人たちも多くいます。強い弱いということに固執するならば、素手や刀の武道ではなく現代用いられる武器の使用法を主に研究すればよいのです。むしろ、その方が自分の至らぬところに気づく可能性が高いように思います。修行という観点から武道を稽古するのであれば、強い弱いから離れ敵として対峙する稽古相手と調和を保つことが不可欠です。そうでなければ武は戦いの術から抜け出すことはできません。」と述べられています。指導する立場にある者が最も指導しなければならないことは、修業する者に常に自分自身を疑いの目で見つめ、日々新たに自分自身を改めていくということではないかと思います。

「参考文献」
1.津本 陽: 武蔵と五輪書、株式会社講談社、第1刷 2002年
2.本庄 葆: 剣道の使術解説と教育指導の要点、株式会社近代文藝社、第1刷、1994年
3.森本邦生先生:貫汪館ホームページ「道標」

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  1. 2014/10/24(金) 21:25:27|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 8

無雙神傳英信流抜刀兵法4段の論文fです。

無双神伝英信流抜刀兵法の指導上の留意点
                                
 無双神伝英信流抜刀兵法を指導するにあたり、指導上の留意点について、以下のとおりの手順で論述する。

 一、指導内容に関する留意点
 二、指導方法に関する留意点
 三、指導相手に関する留意点
 四、指導者の心得に関する留意点
 五、終わりに

 一、指導内容に関する留意点
   (何を指導しているのか)
 まず何を指導しているのかを明らかにしたい。指導するのは、無双神伝英信流抜刀兵法という名の武術である。武術はスポーツでも体操でもない。そこでまず、武術とは何かということを明らかにしたい。

 ・武術であること
 「武」の字源には二通りの説がある。「戈を止める」、「戈を持って歩く兵士」である。「止」は、人の足跡の象形である。足跡が残っている地面から「止まる」という意味が出てきたのであろうし、足跡から「歩く」という意味にも取られたのだと思う。足跡から止まると歩くという正反対の意味が生まれるのは、漢字が宿す豊かな世界を象徴しているように感じる。いずれにせよ、武とは戈という武器を止めること、あるいは使うことを示しているのであり、自分あるいは相手との命のやり取りを行う戦いの場で生き抜く技術をいうものであろう。
 このことをよくよく踏まえて指導に当たるべきと考える。戦いの場で役に立つ技術。それは一定のルールの上で競うスポーツとは異なり、あらゆる状況を想定しなければならない。その中で生き抜くために、可能な限り有効に身心を活用しなければならない。そのための教えのうち、身体面のものは、臍下丹田からの動きであったり、無理無駄のない姿勢や動きであったりする。心の活用方法としては、とらわれない心であったり、残心であったりする。

 ・抜刀兵法であること
数ある武術の中で、近年こそメジャーなものになったようであるが、かなり特殊な部類に入るのが抜刀術であることを理解してもらわねばならない。抜刀術では厳密な意味での試合はあり得ない。居合道大会などで競技化されているが、あれは見た目の美しさを競う武術とは別個のものである。本来の武術としての居合は、真剣もしくは居合刀を用いた勝負の中でしか優劣を決めることはできないだろう。
先に、武術とは戦いの場で役にたつ技術と論じた。そういう意味では抜刀術こそ武術の中の武術であると言えるだろう。他ではその技術がまったく活かせないのであるから。
そのような武術を修行する者は、いわゆるモチベーションの維持が難しいだろう。試合もなく、実生活で直接活かせるものではない。このような状況でいかにモチベーションを維持させるか。これは個々の学習者が考えるべき留意事項ではあるが、予め承知させておくべき課題であると考える。

 ・無雙神伝英信流抜刀兵法であること
 次には、当たり前の話であるが、そのような抜刀術の中でも特に無雙神伝英信流抜刀兵法を教えていることを明らかにしたい。
 無双神伝英信流抜刀兵法の歴史についても折に触れ指導していくべきことであるが、その特徴をまず最初に指導すべきである。
 無双神伝英信流は稀有な武術である。指導方法にもかかわることであるが、その教導体系が優れている。最初に学ぶ形、大森流と英信流表という独習型の稽古方法で学習者の身心の働きを自得させる。相手を立てず、ひたすら自己の身心を見つめ、形に従いそれを開発する。次に二人組の形である太刀打、詰合で、実際の間合い、拍子、打つべき機会を学ぶ。さらには、抜刀術が使えない想定での戦い方である大小詰、大小立詰が指導される。これで、柔術技法を学びながら、無理無駄のない動きができているのかを試され、また武術を学んでいるということを実感させる。なにゆえに抜刀術を標榜する武術で、抜刀術を使えない想定をするのかに思いを致さねばならない。刀にとらわれず、それまで習得した技術にとらわれず、状況に応じて身心を有効に使うこと。これが武術である。この点をよく指導すべきである。最後に英信流奥にいたり、一対多という戦いの場を想定した、究極の身心活用方法を学ぶのである。
 つまり、無双神伝英信流はその優れた稽古体系で、武術とは何であるかを教えているのであり、結果として、自由な身心の開発を促しているのである。この点を特に指導しなければならない。
 またこの自由な身心の開発にまで学習者の理解が至れば、先ほど課題としたモチベーションの維持は解消されると考える。

 二、指導方法に関する留意点
   (どのように指導するのか)
 先に述べたように、無双神伝英信流は優れた教導体系を持っている。その教導体系に従って指導すればよく、特に一指導者が留意すべきことはないように見える。しかし形は身心の動きのみ表したものに過ぎず、外見上は踊りと何ら変わらない。形を武術のレベルにまで引き上げるためには、様々な留意事項がある。以下、重要な留意点を列挙していこう。

 ・ゆっくり動くこと
ゆっくり動くことで、無理無駄な力や動きを知ることができる。無理無駄を省く工夫ができる。つまり、体の遣い方の質を高めることができることを、よくよく理解させなければならない。
また理合いを確認することもできる。特に二人組になって行う太刀打や詰合においては、微妙な技であるがゆえに、理合いの理解がきわめて重要である。ゆっくりな動作で理合いを十分理解することが可能になる。

 ・体を弛めること
無双神伝英信流では長大な刀を利用する。これにはいろいろな理由があるのだと考えるが、修行者の立場で言えば通常の刀を扱うより極端にむずかしくなるということが言える。このむずかしさを要求しているのだろう。むずかしいという意味は一番コントロールしやすい手足だけの働きでは、到底扱えないということである。つまり全身を使わなければならない。体を弛めねば抜き差しすらできない。このことはあえて指導をしなくても、長大な刀を準備させれば自ずと工夫を始めてしまうものではあるが、なぜ長い刀を使うのか、求めているものは何なのかを理解させねばならない。
 ・自分の体の動きに注意すること
以上のような留意点で求めているのは、自分の体の動きに注意深くなることである。ゆっくり動くから、微妙な動きに注意が向くのであり、弛めるためにも体のどこに力が入っているのかを、注意深く観察する必要がある。つまり、自分の体の動きに注意すること。敏感、繊細であることが求められている。学習者がよく分からない場合には、力の入っている場所などを軽く触れるなどして、教えてあげなければならない。

 ・深めていく稽古をすること
無双神伝英信流には多くの形がある。剣術の形に比べ、むずかしいものが多い。一般に剣術では、刃の部分を使うことが多く、したがって両手も柄に添えられているのが普通だ。しかし、英信流では柄頭で相手の顔面を打ったり、峰に手を添えて相手を引き倒したり、相手の手を取ったりする技がある。この点をもって、剣術の形よりむずかしいと考えている。体と刀の遣い方のバリエーションが豊富なのだ。
このような形であるから、もちろん簡単には習熟できない。習得するには何度も反復稽古をし、自分の理解、体の動き、心の働きを深めていく稽古が必要なのは当たり前である。しかし、何も見た目に複雑な手順をする技だけが深めていく対象ではない。最初に学ぶ初発刀から深めていく稽古が必要なのだ。手順としては単純な形ではあるが、それこそ奥が深い。さまざまな動きを同時に成り立たせているわけであるから素朴な技であるだけ、理解の深さが露骨に表れる。この点をよくよく理解しておかねばならない。

 ・言葉を用いすぎないこと
以上のように、留意すべき点は多い。つい言葉を多用して説明してしまう。ではあるが、言葉は不便なものである。一度に多くの異なる動きをする身体の説明を、時系列でしか説明できない言葉を用いざるを得ないのが宿命である。しかし、伝わらないものは伝わらない。言葉を継ぐほど混乱を招く場合も多いだろう。学習者は指導者とは異なる身体感覚を持っているのであるから当たり前である。
そんなときにはむしろ、言葉を用いず、先ほども述べたように無駄な力が入っているところを触れていくような指導が望ましいことを留意すべきである。

 ・最高の業を見せること
言葉で説明が出来ないので、指導者に出来る最高の指導は、自身の最高の技を学習者に見せることである。師匠にも言われていることであるが、これが最もよい指導方法である。その場合、自分はどういう動きをしようとしたのか、どういう感覚で動きを実現しているのかを説明してあげれば、学習者の参考になるだろう。蛇足的な口頭での説明ではあるが、まだ私自信が修行中の身であるために、やむを得ない方法だと考えている。
 
三、指導相手に関する留意点
(誰に指導するのか)
まず、指導すべき相手を選ぶべきかという問題がある。広く門戸を開放し、誰でも受け入れるべきであるという考え方が、特に学問の分野では一般的である。
 しかし、武術に関する限りは慎重を期したい。おそらく百年以上も前であれば、門下を峻別したことであろう。孫子に「兵は不祥の器なり」とあるように、戦いの業は人を殺める技術である。性凶悪な人間にこの技を伝えれば、世の中に害毒をまき散らすことになる。今の世で刀を差して実際に抜刀兵法を遣うことは想像しにくいとはいうものの、悪用の方法が皆無とは言い難い。相手を選ぶことは必要であろう。
 一方で、私は楽観視もしている。流儀の稽古体系と指導方法を信じているからだ。
 すべての指導者に人の性向を見抜く力量を求めるのは現実的ではないし、人は変わっていくもので、門下も修行過程でその資質を変化させることもあるだろう。指導者は初対面の時の印象から教えを乞う人間に邪念がないと判断できれば、門を開いてよい。あとは、流儀の稽古体系が門下を峻別していくと考えている。
 先述のとおり、稽古の中で修行者は、自己の身心を見つめ、ゆっくりと動作し、すこしずつ自己の身心を開発していく。この修行の道程において、より深奥へ進む人間と、奥へは至れず中途で開発が止まる人間が出てくる。邪念をもつ者は、自己の身心を見つめることができず、指導者の助言も素直に聞けず、結果として深奥に至るのは難しいだろう。つまり、修行の過程で、流儀の教えが人を選別していくのだ。この考え方でいくと、指導者は学習者の進度をよく見ながら、適切に修行段階を踏ませるように注意を向ければよい。
つまり、広く門戸を開き、ひやかしや盗用しようとする意図が見えない場合は修行を許可する。修行の過程でよく学習者の態度や進度を見極め、段階を踏ませて稽古をさせる。こうすることで、真に稽古に耐えうる者だけが残っていくことになる。
 学習者たるべき資格は以上のとおりであるが、そのほかにも、学習者の年齢、性格、取り組み姿勢などに応じて、その時その時に求めるレベルを変えていくことも必要かもしれない。レベルを落とすのではない。また最高のものを見せないというのでもない。そうではなくて、気づきを生むために、あえて多くを求めず、その時その時の修行者が一番必要とするものを指導することが大切だと考えている。
 しかし、これも指導者の力量に負うところが大きい。指導者自身が私のように修行中の場合は、やはり自分にできる最高の技を示すことが一番の指導方法であると考える。

四、指導者の心得に関する留意点
   (指導者の心得)
以上述べてきた留意点は、いずれも指導者が心得ていなければならない留意点である。
しかし、ここで特に章を立てて心得を記述すのは、何をおいても核となることを言いたいがためである。
それは何か。流儀を大切にすること。これに尽きる。これまで詳述してきたことは、この一語から発している。師から伝えられた業を正しく次代に伝えること。そのための教授法や教導体系を疎かにせず、じっくり学習者の状態を確かめながら、伝えていく覚悟。
 これが指導する上での最大の留意点であろう。
幸か不幸か無双神伝英信流に近い流儀が存在する。無双直伝英信流であり、夢想神伝流である。これらの流派について敢えて多くは述べない。しかし、これらの流儀と無双神伝英信流との違いは正しく認識しておく必要があるだろう。
 長い刀を使う理由、優れた教導体系がそれである。本来、教導体系は同じであるはずであるが、無双直伝英信流の演武で太刀打は見たことはあるが、詰合の演武は見たことがない。ホームページで大小詰や大剣取などといった形を紹介している団体もあったが、確認をしてみると復元をしたものであったり、単に過去に行われていた形の名を列記しているだけで、実際には稽古されていないというところもあった。
 貫汪館の無双神伝英信流はこれらとは一線を画す。柔術的な技法まで含めた一連の教導体系を連綿と伝えてきている。これらを欠けることのないように後世に伝えていくことが必要だ。また、ただ伝えるだけでは意味がない。実際に刀を執っての活用は現代ではありえないが、武術習得で培った身心を実生活に役立てねばならない。
 習得した武術の骨法を現実社会に生かした達人の一人として、私は勝海舟に畏敬の念を持つ。勝海舟は幕末動乱期に当たって、徳川家を看取り、明治時代を切り開いた。日本の持つ偉人の一人であろう。自らも剣を学びながら、また多くの修羅場を切り抜けながら、一度も斬り合いをせず、その胆力と機知で大仕事をなした。彼に対する評価は賛否両論あるだろうが、武を生かし切ったことにおいては誰にも異存はないであろう。
 勝海舟は大物過ぎるかもしれないが、手に入れた自由な身心で世を渡った人は多くいるに違いない。
 実生活で武術を活かすこと。これも指導者が留意すべきものであろうと思われる。
先に修行途中で身心の開発が止まる者も出るだろうと記した。この場合でも、指導者が武術を実生活で活かす工夫を示していれば、何らかの得るものはあるだろう。またそういう工夫をする者が、開発が中途で止まることもない。

 結論として、二つのことを述べた。一、師伝の流儀を大切に後世に伝えること。二、指導者が師伝の武を実生活で活用すべく工夫をすること。
この二つは、指導者自身がどのような修行過程にあっても疎かにしてはいけない留意点である。

五、終わりに
 以上のように、指導内容、指導方法、指導相手という観点から、指導上の留意点を述べた。また最後には、特に重要だと考える指導者の心構えを検討してみた。
 私自身が修行中の身であり、まだまだ見えていない部分が多い。また技も未熟である。今後も様々な指導を受け、自らも工夫をしていく所存である。したがって、この指導上の留意点は私の現段階での留意事項ということとしたい。それほど大きく変わることはないだろうとは思っているが、今後も様々な学習者との出会いがあるだろう。その出会いで、指導する方法、心構えも変わるかもしれない。指導することがまさに学習であり、指導することで教えられることが非常に多いのだ。この場合に大切なのは、謙虚であること。自己を謙虚に保つことで、はじめて教えを受け取ることができることを忘れてはならない。
 与えることが与えられることであるのだ。

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  1. 2014/10/25(土) 21:25:19|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 9

大石神影流剣術4段の論文です。

「大石神影流剣術指導上の留意点について」
                               
Ⅰ.はじめに
 大石神影流剣術は初代大石進が江戸時代末期に創始した剣術流派である。現代の武道と比較して、いわゆる古武道と呼ばれるものである。これらの古武道はそれを創始した流祖の考えが強く反映されていると考えられ、それぞれの流派の教授体系を有している。大石神影流剣術においてもそれは例外ではなく、大石進の考えが形の中に反映され、それを抜きにして大石神影流剣術を指導してゆくことはできないと考えられる。それでは、次にどのような事に留意して指導を行えばよいかを「構え」・「素振り」・「試合口」を通して考えて行きたいと思います。

Ⅱ.構えについて
 まず、初めに指導をしなければならない事は構えであると考えます。古武道各流派には、それぞれ独特の構えを有しているものがあり、それは大石神影流剣術にもあります。また、いわゆる中段・上段・下段と呼ばれている構えにも守らなければならないことがあります。それらの構えの一つ一つを基礎とし、正確に行わなければ大石神影流剣術であるといい難いと考えます。初めに学ぶ事の説明として「兵法家伝書」において柳生但馬守宗矩は次のように説明をしています。

 「大学は初学の門也。と云事、凡家に至るには、まづ門より入者也。然者、門は家に至るしるべ也。此門をとおりて家に入り、主人にあう也。学は道に至る門也。此門をとおりて道にいたる也。しかれば、学は門也。家にあらず門を見て、家なりとおもう事なかれ。家は門をとおり過ておくにある物也。」

「大学」とは儒教の聖典であり、四書の一つです。「兵法家伝書」では、この「大学」が学問を志す者・学問を始める者にとっての「門」であると例え、「門」をとおりて「道」に到達すると述べています。つまりどのような事においても基礎、初めに習うことが大切なことであるということだと考えます。そこを疎かにして武道においても上達は無いと考えます。大石神影流剣術においても構えが「門」に当たると考え、構えを正しく指導することが始まりであると考えます。それでは、構えを具体的にどのように指導すべきなのでしょうか?
 一般的に思い当たる構えとして、「中段」・「上段」・「下段」などがあげられると思われます。大石神影流剣術においてもそれらの構えは存在しています。まずはこれらの構えを中心に指導し、大石神影流剣術で守らなければならない事を指導してゆくのが良いと考えます。また、大石神影流剣術は甲冑を用いていたころの剣術の色合いを濃く残しているのが特徴であり、足の構えは撞木となり、現代剣道のように立つことはありません。そこのところも構えを通して指導してゆくのが良いと考えます。その後、「中段」・「上段」・「下段」などと構えを変化させ、それぞれの構えの求める身体のあり方を身に付けるように指導をしてゆきます。また、その他に「附け」・「脇中段」・「脇上段」・「裏附け」・「車」と大石神影流剣術の構えを指導しなければなりません。構えについては宮本武蔵が「五輪書」のなかで述べています。

 「五方のかまへは、上段、中段、下段、右わきにかまゆる事、左のわきにかまゆる事、是五方也。構五ツのわかつといへども、皆人をきらん為也。構五ツより外はなし。
 いづれのかまへなりとも、かまゆるとおもはず。きる事なりとおもうべし。
 構の大小はことにより利にしたがふべし。上中下は体の構也。両わきはゆうの構也。右ひだりの構、うえのつまりて、わき一方つまりたる所などにての構也。右ひだりは所によりて分別あり。
 此道の大事にいはく、構のきわまりは中段と心得べし。中段、構の本意也。兵法大きにして見よ。中段は大将の座也。大将につきあと四段の構也。能々吟味すべし。」

 ここでは、「いずれのかまへなりとも、かまゆるとおもはず。」と言うことに留意しなければならないと考えます。そこで、「構のきわまりは中段と心得べし。」とあるように、中段を基本としそこからあらゆる構えへと変化をすることを指導します。構えを指導しますが、構え無いということを厳しく指導しなければなりません。
 それから、もう一つ重要な事を指導しなければなりません。ここを疎かにすると今後形を稽古する時に「華法剣術」となり上達をすることは望めません。それは、「呼吸」と「肚」で構えを行うことです。「肚」を中心として「呼吸」にのせて構えを行うことを指導しなければなりません。「肚」と「呼吸」を意識して稽古をすることで、「五輪書」に述べられている「かまゆるとおもはず。」と言う事が理解しやすいと思います。
 構えが一通りできるようになれば、次に「素振り」を指導しなければなりません。素振りも呼吸に乗せて行わなければなりません。次に指導する形に繋がってゆくからです。素振りは速く行う必要はなく、あくまでも肚を中心として、自分の深い呼吸に合わせて行う必要があります。そして、この素振りの出来によって「形」が生きたものになるのか、死んだものになるのかが決まってくるのではないでしょうか。それほど、素振りを疎かには出来ないと言う事を指導するものは心に留めておかなければなりません。
 そして、もう一つ指導する者にとって心しておかなければならない事があります。それは、まず自らが構え・素振りを示すことです。ここで間違えてはいけないことは、動きを示すと言うものではなく、自分自身の最高の動きを示す事が大事と言う事です。言葉での指導ではなく動きをもって指導することを一番とすることを心しておかなければなりません。指導者の動きが指導を受ける者の指針となるからです。

Ⅲ.はじめに指導する「試合口」における「位を読む」・「張る」・「突き」について
 次に「形」を指導して行きます。「形」については、窪田清音が「劔法幼學傳授」の中で次のように述べています。

「一. 形の事
 劔法を學ぶの本は形を正しくするに在り。其の本正しからざれば、末皆整ひがたし。故に形を整ふるを以て先きとす。其の形如何んと云へば、各人常に歩履する所の姿勢卽ち天賦の形なるを以て、其の形の如くにして之れを失はざれば、手足の動作も正しきに、各人気よりして形に病を求め、天賦の正直なる形を失ひ、或は偏り、或は歪む。是に於て腹の力脱け、腰の座宜しきを失ひ、手足の動作も意の如くならず、四肢の均衡を得ずして、癖を各處に見はし、其の形整ふことを得ず遂に不正の形に流る丶ものなれば、常に心を用い、身體を横にせざるを要とす。凡そ事は善きに遷ること難く、不善に趨くことは易きを以て、常に身を省み天賦の正しき形を失ふことなかるべし。」

 大石神影流剣術において最初に学ぶ形は「試合口」です。この「試合口」において大石神影流剣術で大切な「位を読む」・「張る」などを学びます。
 「試合口」では、最初に打太刀(指導者)と仕太刀がお互いに三歩歩み寄り、刀の切先を触れ合わせ、お互いの中心を捕るように左右に刀を動かします。指導者はここで切先を触れ合わせる距離を守るように指導しなければなりません。この距離は一歩前に出れば、相手を斬ること、突く事ができる距離であり、これを剣術の間合として身に付くように指導します。この間合で「位を読む」事が大切であると考えます。この間合については、窪田清音が「劍法初學記」の「相互の距離」で次のように述べています。

 「一.敵手と相對する相互の距離を場合と曰ひ、互に相構へて掛合せ太刀先大抵三寸五分合せたる所を謂ふ。打つにも突くにも互いに一歩を出でざれば達せざる所を場合の定めと爲し、此の間に於て構ひ掛合を爲し聊か浮沈を爲してあるべきなり。前に記す所の上太刀になり聊か抑ゆると云へるは一の別格なり。」

 大石神影流剣術では三歩歩みより切先の触れる距離で「位を読み」・打ち・突きまたは形の終わりに切先を合わせ終わります。この間合が疎かになると剣術ではなくなり、大石神影流剣術ではなくなります。故に、指導者はこの間合を正確に指導して行くことを忘れてはなりません。
 この間合が取れる事から「試合口」においては「位を読む」ことが始まります。この「位を読む」事をただ単に切先を触れ合わせ左右に動かせばよいと考えるのは間違えです。「位」と言う事ですが、これは相手の力量・状態・隙などを測る事であることを厳しく指導することが求められます。
 それでは、「位を読む」にはどの様な事をまずは指導するべきなのでしょうか。ここでは、最初に指導をした「構え」が重要になります。お互いが中段の構えで「位」を読みますが、構えてしまうと身体が硬さを持ち相手との繋がりは消えてしまいます。そこで、呼吸を深く行うように指導をし、身体を柔らかくすること、リラックスをするように導きます。そうする事で「肚」から「刀の切先」までが繋がり、その先にある「相手」とつながる事が可能になります。
 指導者は「肚」を中心として「呼吸」に乗せて動き、刀の切先を通じて「相手と触れ合う」と言う事に留意する必要があると考えます。
 
 次に、大石神影流剣術の中で重要となる「張る」と言う動きについて考えてみたいと思います。この「張る」と言う動きは、「打太刀が斬って来る刀を鎬で受けて落とす。」と言葉で説明をするとこの様になるかと思われます。「位を読む」もそうでしたが、この単純な動きの中に深い物が含まれている事を教える事も指導をするうえで忘れてはならない事です。
 まず、打太刀が斬って来るのを受ける時の注意点ですが、柔らかく受けることを疎かにしてはいけません。また、腕で受けるわけではありません。受けるためには身体を柔らかくし、刀を通して「肚」で受けることを工夫しなければなりません。「受ける」という言葉のイメージで、受け止めるのではなく、打太刀の刀を受け入れるようにすることに留意しておかなければなりません。
 次に、受け止めた刀を「張り」ます。受け止めた刀を落とすのですが、これも腕で落とすと勘違いをしてはいけません。刀を「肚」で受け止めたのち、「肚」、つまり「臍下丹田」からのつながりと、呼吸に乗せた動きで打太刀の刀を「張り」ます。
 これらの動きを行う際に、仕太刀は動きに囚われ、腕のみの力で行いがちになります。そこのところを、指導者は「肚」と「呼吸」に留意して、自然な体の使い方を求めるように指導をしなければなりません。この自然な体と言う事について、柳生新陰流兵法第二十二世宗家 柳生耕一厳信先生の著書「負けない奥義 柳生新陰流宗家が教える最強の心術」の中で、自然な動きとして、柳生新陰流の「性自然」を次のように説明されておられます。

 「太刀という道具と自らを一体化する「刀身一如」、心と身体を一つにする「心身一如」こそが性自然の目指すところ。動きを作ろうと意識した段階ですでに自然な動きから外れています。人として自然に備わったあるがままの働きと尊ぶという意味で、それを「性自然」と称するのです。」

 また、この著書の中で日本人が食事で箸を使う時、その存在を意識せずに箸を使っていることを例えとして述べています。存在を意識せずに箸が使えるように、刀を自身の一部として使えるようになる事が大切であると考えます。そしてこの様な、「自然に備わったあるがままの動き」で「張る」動きが出来ることが望ましいと考えます。

 最後に「試合口」には多く「突き」で形が終わっています。この「突き」について述べておきたいと思います。
 大石神影流剣術にとって「突き」技は大切な技です。初代大石進は、「刀剣は、斬るばかりでなくその先端は尖っていて突くようにできている。然るに刀法に突技がない。」と考え、両手突きの技と片手突きの技を考案されたと伝わっています。また、刀術目録で突き技の動機を述べた条に、「刀の先尖は突筈のものなり」とあって、初代大石進は刀の構造を分析して「突く」と言う見識に達していることは明らかで、そこには槍術説を裏付ける言葉は一言半句も述べられてはいない。この様な事を、藤吉 斉は大石神影流剣術の歴史を研究され、彼の著書「大石神影流を語る」で発表されております。
 さて、それでは、具体的に「突き技」をどのように指導して行けば良いのでしょうか。身体的には今まで述べてきたことと何ら変わることはありません。身体は柔らかく、肚を中心として、肚から腕の内側を通った意識が刀の先に繋がります。その線を保ったまま突いて行きます。突き技で指導上留意しなければならないことは、やはり「肚」と「呼吸」です。「呼吸」に乗せて「肚」で突きます。決して腕で突かないように注意をします。意識の上では打太刀の顔面を突き切ることです。それから、突いた後ですが、固まらないように指導しなければなりません。以上な様な事に留意しながら、「突き」については指導をして行かなければならないと考えます。

Ⅳ.気合いについて

 最後に、大石神影流剣術においての気合いについて述べておきたいと思います。大石神影流剣術においての気合いの掛け声には、①.こちらから斬り込むときは「ホーッ」・②.応じて斬り込む時は「エーッ」・③.受ける時は、小さく「ハッ」とこの三種類があります。これらの気合いの掛け声は、大石神影流剣術の特徴であり守らなければならない事です。しかし、守ろうとするあまりに気合いにおいての大切な事である「深い呼吸」が出来ていないと言う事です。ここのところを指導者は、見分け、的確に指導しなければならないと考えます。このことについて、「常靜子劍談」のなかで、松浦靜山は次のように著しています。

「一.劍術を學とき聲をかくること、聲に虛聲實聲あり、虛聲は悪く實聲は善きことは勿論なり、其聲いかがにしても能しと心得るは不宜なり故につとめて實聲を旨として、虛聲を發すること有るべからず、此虛聲の聲、耳にも心にも不分者は劍術の意志は未悟としるべし。」

 虛聲とはただ単に声を出す事または小さい声とがんが得ます。そして、實聲とは深い呼吸がなされ、その呼吸にのって出されるものであると考えます。この聲の違いが分からないものは剣術の上達は難しいと言う事だと考えます。また、指導を受ける物の上達も阻害にかねません。指導者はこの聲を聞き分け的確に指導して行くことに留意しなければなりません。

Ⅴ.まとめ

この様に、大石神影流剣術を指導するうえでまず留意しなければならない事は、大石神影流剣術は現代武道とは異なる古武道であり、江戸時代に初代大石進によって創始された剣術流派であると言う事です。これらの流派には流祖の考えが「形」の中に反映されており、それが教授体系となっています。故に「構え」・「気合い」も含め「形」と言うものを正確に教えなければならないと言う事です。
次に、これらの「構え」や「形」を行う上で大切である「肚・臍下丹田」と「呼吸」の指導を怠らないと言う事です。「形」のみを指導し、その者がいくら見事に形を行ったとしても、それは「実践」には何の役にも立たない、所謂「華法剣術」になってしまいます。江戸時代に創始された古武道とはいえ、我々は現代に大石神影流剣術を稽古しています。形のみ出来ても中身の伴わないものは意味の無いものです。「肚」を中心に動き「深い呼吸」を行って稽古をすることは、「形」に「魂」を入れるものであり、ここの所を指導者は留意して指導をしていかなければならないと言う事です。
今回は、大石神影流剣術の「門」のところである、「構え」・「素振り」・「試合口」を通して指導上の留意点を観てきましたが、これらの事はこの後の「形」にも生きてくることであり、上達へと導くために指導者は留意しなければならない点であると考えます。



<参考文献>

1)藤吉 斉 「大石神影流を語る」 第一プリント社 初版 1963年10月20日
2)加藤 純一 「兵法家伝書に学ぶ」 財団法人 日本武道館 再版第1刷  2004年3月1日
3)宮本 武蔵 著  神子 侃 訳者 「五輪書」 徳間書店 七四刷  2001年2月5日
4)柳生 耕一平厳信 「負けない奥義 柳生新陰流宗家が教える最強の心身術」
   ソフトバンク クリエイティブ株式会社 初版第1刷 2011年5月25日
5)山田 次朗吉 「剣道集義 正続」 合資会社 高山書店 第7刷 1975年9月1日
6)吉田 豊 編者 「武道秘伝書」 徳間書店 20刷 2000年7月10日

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  1. 2014/10/26(日) 21:25:13|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 10

大石神影流剣術4段の論文です。


大石神影流剣術の指導上の留意点

はじめに
大石神影流剣術を指導するに当って、留意すべき事項をこれから論述するが、私自身がまだ修行中である。よって、私が指導する場合の留意点という観点から論述することを許して頂きたい。

1. 指導前の留意点
2. 指導の中での留意点
3. 指導者の修行上の留意点
4. 終わりに

1. 指導前の留意点
(大石神影流は特殊な流派であることを指導者は肝に銘じること)
大石神影流は幕末に一世を風靡した著名な剣術流派である。九州の片田舎で指導された流派ではあるが、初代、二代の門弟の数は六百名を超える。
しかしながら、明治大正昭和と時代が進むとその修行者は減少の一途をたどり、現在ではわずかに森本先生率いる貫汪館でのみ修行が続けられている。
 つまり、学習者には経験者はいないということをよく理解する必要がある。武術流派の数は近年増えてきているようであるが、古武術、特に古来の剣術を指導できる道場は限られている。つまりほとんどの入門希望者は、古流剣術を知らず、ましてや大石神影流を知らないということを頭に入れておく必要がある。もちろん中には、剣道経験者や他流剣術の経験者もいるであろうが、それであっても事態は変わらない。いやむしろ初心者よりも注意をして指導をするきである。なぜならば大石神影流は特殊な流派であるからである。
 では、どこが大石神影流を特殊にしているのか。それは使用する得物に端的に表れている。長竹刀での突きで著名だった初代大石進により構築された大石神影流は、通常の木刀より長い木刀を用いて修行をする。力量抜群であった初代はもちろん文字通りに腕力もあったことと思われるが、残されている手数と呼ばれる形や素振りなどの稽古法からは腕力に頼った剣術ではないことが分かる。
 世間一般で目にする剣道とはまったく様子が異なる。また、他流ともよくよく見ると流派の違いという以上の相違点があることも分かるが、それは上記の理由による。臍下丹田を中心とし、体を弛めて遣うのである。他流にももちろん臍下丹田を大事にする流派はあるであろうが、そのレベルや意味合いは異なるものと思う。ここは大事なところであるので、大石神影流の特殊な体遣いを説明するとともに、初めの稽古である素振りをさせる中で十分に体得させる必要がある。
 特殊な流派というのは、技術的なことばかりではない。
著名で西日本中心にあちらこちらの地域で修行された流派である性格上、大石神影流を騙る人間が表れてくる条件が整っていることも見逃してはならない。近年特に一旦は途絶えた武術流派が、復元という形で修行が開始される事例がある。これ自体は決して悪いことではないが、嘆かわしいことにいつの間にやら伝来の武術であると標榜する場合があるようである。心無い人間に大石神影流を伝えることで、このような事例を作ってはならない。実際は指導する中で、学習者の人柄を見極め、慎重に指導をしていく必要がある。

2. 指導中の留意点
1) 理合いを理解することさせること
指導者は、学習者の進度に従って多くの手数を指導していく。得物も太刀から小太刀、鑓、長刀、棒と増えていく。これら多くの手数を正しく習得させるためには理合いの理解が不可欠である。理合いというのは、所作の理由である。なぜそのような動きをするのかをよく理解しておかねば、修行するうちに少しずつ技が変化していく可能性がある。やりやすい動きを人は求めるものであるから。また、人によって骨格や筋肉の付き方、内部感覚の相違がある。同じように体を遣っているようでも、人それぞれ現われてくる形が異なる。それが理合いにあったものであるかどうかが判断基準になるだろう。もちろん腕力や脚力を使って技を成立させているのは論外である。

2) 学習者の個性や進度を見極めること
先に述べたように学習者も千差万別で、骨格筋肉の違いはもちろん、体の柔らかさといった身体の差だけでなく、理解力や心の柔軟性といったメンタル面での違いもあることを留意すべきである。同じ指導をしているのに、すぐに自分のものに出来る人間とまったく動きもできない人がいる。これらの人を同じ場所、同じ時間で指導するのも問題であるかもしれないが、どのようにレベル分けをしても、学習者に差が生じることは避けられない。指導する側が学習者の個性を見極め、進度を確認しながら指導をしていく必要がある。
また、学習者にもそれぞれの個性を知らしめる必要がある。
習得に時間がかかる人間がいる。真面目に稽古をしてきたのに、後から入門してきた者に追い抜かれてしまう場合も発生するだろう。それは仕方のないことであるが、面白くないと思う人がいても不思議ではない。無理に楽しんでもらう必要はないが、何が足りないのか、どのように取り組めばいいのかを淡々と説明し、それぞれの当面の目標を明示することが必要だろう。
それに進度というものは同じペースで進むものではない。ある課題をクリアした途端、一気呵成に上り詰めるというケースも往々にして存在する。倦まず弛まず稽古を続けることが、その可能性を残す唯一の道であることを理解させねばならない。

3) 流儀の体遣いを体得させること
 基本となる流儀の体遣いを体得させる稽古を積ませなければならない。これこそが大石神影流と呼べる体の遣い方がある。先に述べたように、他流よりも長い刀を扱うにも関わらず、力に頼らないことである。そのために、呼吸に合わせた動きの習得が必須である。いかなるときも体を固めず、柔らかく遣う。これが第一番目に重要な体の遣い方である。
 多くの手数が存在するが、基本はすべて同じ。基本をいかなる状況下でも使えるようにするために、多くの手数があるとも言える。
 そのために、一つ一つの手数を確実にできるようになることも必要であるが、ある程度のレベルに至ったら、次の手数を指導することも可能であると考えている。様々な場面で流儀の体遣いを工夫すること。そうすることで、それ以前に学んだ手数の奥行が増すということを期待してのことである。
 もちろん、指導前の留意点で明らかにしたように、誰にでも簡単に教えてよいものでないことは言うまでもない。

4) 流儀の歴史を理解させること
 先にも述べたが、大石神影流は希少な流派である。現在では貫汪館でしか学ぶことができない。どのように流派の命脈が保たれ、どのような思いで先人たちが残してくれたのかを学習者は学ぶ必要がある。
 それが大石神影流を大切にすることにつながり、ひいては自分自身が伝統の中の一人、伝統を伝える役に立っているということを自覚させなければならない。

5) 言葉を使いすぎないこと
 身体の動きを言葉で表現するのには限界がある。一度に複数の動きをする身体を時間に沿った説明しかできない言葉が追い付くはずもない。また指導者の感覚が学習者の感覚に近いとも限らない。むしろ、身体感覚は異なると理解したほうがよい。動きの結果だけを見て、助言を与えるとこの問題を生じやすいだろう。自分に分かる動きしか分からないのであるから、誤解されても仕方がない。
 指導者は言葉を使いすぎないように注意をすべきである。
ではどうするか。師匠にも常々言われていることであるが、自分にできる最高の技を見せることに努力をすべきである。これが第一の指導である。この補足として自分はこのように動かしていると、あくまで自分がどうしているかを言葉で説明をし、学習者が自ら何かをつかんでもらうのを待つしかない。
指導には忍耐が必要であることを知るべきである。

3. 指導者の修行中の留意点
1) 謙虚であること
次に指導者の修行中の留意事項を考えたい。私も指導者の一人ではあるが、指導者としての経験が浅いのはもちろん、私自身の大石神影流の修行自体が始まったばかりである。まだまだ全貌は見えず、課題も多い。このような人間が指導をしているので、誤りや間違いもあるだろう。その点は、見つかり次第即座に訂正していく必要がある。誤りを見つけ、早急に訂正をする。分からないことについては分からないとはっきりと言うこと。あたり前のことではあるが、指導者としての体面を気にする場合も出てこないとも限らない。さらに、指導する中で発見することが多い。指導がすなわち学習である。指導しながら自ら学ぶためには常に謙虚であることが大切だ。大事な留意点である。

2) 学習者以上の稽古を自己に課すこと
自分の習得した以上のことは指導できない。もちろん学習者が指導者を乗り越えていかなければ、発展はありえない話であるので、指導できる内容やレベルは学習者にとって限界ではない。しかし、指導者は学習者が容易に乗り越えていけないように限界を遠いものにする努力を怠ってはならない。それは、自己の発展のためだけでなく、大石神影流の発展にもつながることである。

3) 防具を用いた稽古をすること
 大石神影流は他流との試合で名を挙げた。手数で培った体遣いを防具を用いた打突稽古で発揮したのである。また、他流試合の中から得たものも多かったであろうと推察する。伝説の領域かもしれないが、初代大石進が幕末の当時から剣豪と称えられた男谷精一郎との立会いで、互いに称えあい、親交を深めえたのは、他流との交流があったからである。技術だけでなく、剣を通して人を知ることができたのだ。
 そういう意味で手数稽古は基礎に過ぎず、手数稽古で練った心と技を打突稽古で自在に発揮できるように、さらに練り上げることが肝要である。
 大石神影流を学ぶものは、防具着用剣術を避けてはならない。
 私自身は今はまだ、手数を学ぶ時期にある。まだ流派の体遣いを実践に耐えうるほどには習得していないからだ。しかし、可能な限り早急に防具稽古も併用できるようにしなければならない。「剣と禅」の著者大森曹玄氏は直心影流の免許持ちである。氏の時代の稽古法は、形の稽古をまず行い、体が出来てくると面小手胴をつけて打込みの稽古(約束稽古)をし、十分流儀の技が使えるようになって初めて互角稽古(互いに自由に打ち合う稽古)に入ったものらしい。
 大石神影流もおそらく江戸時代や明治初期には同じような稽古をさせていたのではないか。聞くところによると、現代剣道の元になったと言われる北辰一刀流でも初心のものには、やはり基本となる形を教えてから、竹刀稽古に入ったという。
 あまり年を取ってから防具着用の稽古をするには無理があるように思える。むろん不可能ではないが、防具という不自由な装備をつけての進退は体が柔らかいうちに慣れておくのが望ましいだろう。
 ここでも留意点がある。
 防具を着装して自由に打ち合うようになれば、やはり勝ちたいという心理から、流儀の体遣いを忘れ、手足の力を用いて進退し打突する人間が出てくるであろう。そうした人間に打ち込まれる局面も十分に考えられる。
 たとえば、私が大石神影流の体遣いで全日本優勝者と竹刀稽古をすれば、簡単に打ち込まれてしまうことだろう。全日本優勝者を出すまでもない。ふつうの高校生にも打ち込まれるに違いない。竹刀を扱う技術がまったく違うので、それが当たり前である。しかし、大石神影流を学ぶ者が高校生剣道のようなことをしてはならない。ではあるが、打突できたか否かで判断する場合は大石神影流が著しく分が悪い。であるからこそ幕末には数多存在した古流剣術が、「剣道」に収れんされていったのだ。大石神影流を守るためには、歴史を繰り返してはならない。
 残念ながら、この問題に対する私の解答はまだ見つかっていない。しかし、おそらく心を押さえることが鍵になってくるのではないかという予感はしている。
 手数稽古では打突の機会をも学んでいる。つまり相手のとの心のやり取りを学んでいるのだ。つい実際の手足の動き、刀の動きに注意が向きがちではあるが、それでもたとえば陽之裏に「位」という形がある。これは、打太刀の打突の未然の気を奪い、動きを封じるものである。実際に刀を打ち合わせることもない。傍目には何をしているのかさっぱり分からない。心がこもらなければまったくの踊りになってしまう形である。この形で学んでいるのは、端的に「心」である。
 そういう目で学んできた手数を振り返ると、たとえば試合口の中心の取り合い、陽之表の無二剣など、心を用いる技が簡単に目に付くものがある。注意すればすべての手数に含まれている。あたり前の話で、まず心が動くから体が動くからだ。
 合気道では、ほとんど相手の体に触れずに相手を投げ飛ばすような達人がいたという。そういう人の談話を見てみると、要するに相手の気が発する前に、こちらが仕掛けをしているようだ。心を押さえているのである。
 心を押さえても、実際に体を動かせなければ意味がない。心法に堕す危険は打突をしている限り生じない。そういう意味でも手数での心の稽古を実際の打突稽古で活かす工夫をしなければならない。
 この工夫を凝らせば、先ほどの古流剣術と剣道との戦いにおいて見る人が見ればそれぞれのよい点が見えてくるのではないか。
 今はそう考えている。 

4. 終わりに
 以上、大石神影流剣術の指導上の留意点について、検討をしてきた。より技術的な詳細なポイントは敢えて述べなかった。述べられなかった。
 はじめにで書いたように、私自身が修行中の身であり、それぞれの手数のポイントを的確に抽出する力量に欠けていると思うためである。つまり、修行中の身である人間がどの点に気を付けて稽古に励んでいるか、あるいは励むべきであると考えているかについて検討を重ねたに過ぎない。
 そこでは、かつての私が修行した剣道に対する考察が長くなってしまったのはやむを得ないことと思っている。
剣道界でも、さまざまな異端が存在する。二刀を主に行う者、歩み足を多用する稽古を行う者など近年に至って多様化が進んでいる。しかし、日本剣術には流派らしきものが誕生してから四百年以上の歴史がある。そこには実にさまざまな流派が興り、相互に影響を与えながら発展してきた。これは文化的な財産であると私は思う。これがたった一つの「剣道」に収れんしてしまうのは、あまりに勿体ないことだと常々考えていた。
たまたま貫汪館に入門する機会を与えられ、たまたま師匠が大石神影流の指導を始められたのが、私の大石神影流修行の始まりである。幸運なことであった。この幸運を活かし、常々考えていた「剣道」一極の世界に揺さぶりを掛けたいと思う。大石神影流を世に問い、より多様な剣道のかたちが出てくれば、文化の発展にも寄与できるだろう。
いや、実際にはそんな大それたことを考えているわけではない。好きになった大石神影流をもっともっと修行し、剣道と交流できるレベルまで昇華し、大石神影流の素晴らしさを、今一度世の中に喧伝したいと思っているだけである。
ひょっとすると我が身におけるこの昇華こそが、指導する上での覚悟であり、留意点ではないかとも考えている。精進あるのみ。
指導上の留意点。いつかこの論文を見直し、加筆できるように修行を重ねていく所存である。

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  1. 2014/10/27(月) 21:25:51|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 11

澁川一流柔術7段の論文です。

 「柔術とは何か」  

  はじめに 

 「柔術とはなにかと簡単にお答えください。」と尋ねられた時、的確に答えられる人はどのくらいいるでしょうか。
 「秘伝日本柔術」には、「柔術は狭義に解釈すれば打つ、突く、当る、蹴る、投げる、締める、固める、ねじる、抑さえる、などの攻撃法と、受ける、はずす、かわす、などの防禦方法を協調させて「素手を以て、素手の敵を制圧する」技法をいい、広義に解釈すれば「素手を以て、武器を持った敵を制圧する」「小武器(十手、短刀、隠し武器など)を利して、素手あるいは武器を持った敵を制圧する」となり、さらに延長線上に剣術、棒術、槍術などの各種武器術がある。1」と、柔術の定義について書かれてあります。ここでまず、原点にもどって、柔術の歴史、柔術はどのように発達したのか、今では柔道が世に一般的ですが、柔道の元である柔術はどうして柔道に変わっていったのか、武道とはなにか、この3点から考察していきます。


  1. 柔術はどのように発達したのか

 人類が生息するところ必ず論争が起こり、人それぞれ護身の法を研究、工夫をして、武術へと発達したものである。それぞれの人たちの研究、工夫の特色が流派となって確立していった。
 日本における柔術の発達には、次のような理由が考えられる。
1、 戦国時代においては、甲冑を着用した相手に対して、急所をねらうことはできず、当て身を用いて倒すことは困難であり、とにかく敵を組み伏せて、首を刈りとるのが目的であった。
2、 たとえ甲冑を着用していなくても、当て身による一撃で敵を倒すことはむずかしく、失敗が多い。
もしも当て身の一撃で敵を倒すことに失敗すると、敵に所持している刀などで切り倒されてしまうことになる。したがって、まず、敵に刀を抜かせないことが大切である。その反対に、刀を抜く側も反撃に転じるための方法が必要であった。以上のように、町民はもちろんのこと、武士にとっても心得るべきものであった。
 一般に武士は剣術、捕方や町民は柔術などと区別されることがあるが、たとえ武士であっても城内で刀を抜くことは禁止されていたし、また上級武士はたとえ戦においても、足軽相手に刀を抜くことは恥辱とされ、刀を抜かずに制圧する技術が必要であった。たとえば、関口流柔術などは、紀州徳川家の御流儀となり、家君自ら学ばれているし、大東流合気柔術は、会津藩においては高禄武士以上の者が学ぶことができる、秘密武術であったと言われている。2)
本書では、中央に出て広く知られている一部の流派や、あるいは現代武道のかげにかくれて、その存在を知られているが実態の知られていない、すぐれた四流派を紹介することにした。

竹内流
 日本柔術の源流といわれ、考証上において歴史上最古の流派とされている。
 他の流派にも伝説上の開祖は、竹内流より古いというものもあるが、現当主から十三代もさかのぼるまで存在や経歴が明らかなものは、竹内流のみである。

柳生心眼流
 甲冑武術の遺風を今に伝える希少な流派である。
 この流派には日本武術には珍しい、拳法、柔術、武器術に共通する一人稽古用の型が伝えられている。また、日本の柔術の中では、珍しく当て身の研究・工夫が深くされている。

諸賞流
 一つの技法を表、裏、ほぐれ、変手、手詰などに変化させて使い分ける。
 とくに裏と称する肘あてと足当て(蹴り)の当て身を重要とし、その威力は鎧胴を貫くといわれている。

大東流
 この流派の代名詞にもなっている合気柔術は、素肌柔術の極致ともいわれ、合気を利して行なう玄妙の技法は“神秘の柔術”とも称される。この流派の一部の技法は「合気道」の名で広く知られている。

 これまでに多くの武術書が出版され、すぐれた貴重なものの多い中で、独断と偏見によるものや、自己の周囲のみを誇大に宣伝することを目的で出版されたものも、かなりの数にのぼっている。
 また、自己の名声や財を求めるために、師を欺き、世を欺いて、自らを「創始者」「宗家」と名のったり、あるいは関連系図を附会して、自己の学んだ流派や師をないがしろにし、古い流派に見せかけて純真で無知な青少年をだましている武術家も少なくはない。これらの流派は自らのいう説の中で、決まって大きな誤りを犯している。
 このような「偏執狂」や「妄想狂」のような輩がいることが、今一つ武術が世間から迎えられず、しかも他の文化にくらべて低く見られることになっている大きな原因であろう。先人たちの命がけの体験と研究・工夫によって考案された武術の技法も、現在では反復練習を惰性で行っている人や、あるいは娯楽・体育の目的で行なっている人も多く、ぬるま湯にひたっている武術家も少なくはない。
 したがって暴力から身をまもることに関しては、スポーツ格闘競技(空手・ボクシング・レスリング・現代武道など)より勝るべきはずの武術であるが、その真剣さにおいては名誉と生活をかけて試合を行なうスポーツ選手にもおとり、古武道の大家が空手の無段者に敗れることすらある。3)でも、今では戦もなく、平和な世の中であるが、違う面で物騒な世の中である。いまこそ、柔術を心得て物騒な世の中を生きていかなくてはいけないのではなかろうか。けれども、現代では柔術は影が薄くなり、柔道に変わってしまっている。

  2. 柔術はどうして柔道に変わっていったのか
 
 柔術の歴史から柔術が柔道へと変わっていったところに焦点をあててみることにしました。ここでは、「武道文化の研究」から「柔術から柔道への名辞の変遷について」という論文を参考に考察していきます。
 
  柔術は、小具足腰の廻り、和、俰、組打ち、柔術等の名称で呼ばれていた。
 その中で最も早く現れたものに、竹内流腰の廻りがあり、剣や組打ちで相手を制し、縄でもって縛るという捕手をさしていた。まだ、この頃には技名が列記されているだけで、精神面についての詳しい説明はなかった。
 十七世紀前半には、和や俰の名称で呼ばれる柔術が現れ、良移心当和が有名である。
 柳生十兵衛三厳が祖父石舟斎と父宗矩の言い残したことを一冊にまとめた「神陰流月之抄」には「和の事、是は七郎右衛門工夫により目録とす。此一流良移心当和と云う。意趣は、わが体に剛弱骨折あるを知らず、剛なる者は編に剛と知り、弱なる者は力足ず。先師の曰、力不力、遅速自にして、何を以秘術といはん、幾千万の工夫をめぐらして剛を父とし弱を母としてみれば、敵に引かれても動かず、押されても動かず、強きことを良く覚え、敵押さば押すに従って勝、引かば引くに従って勝事を覚える事也」と記れ、敵に引かれても押されても動かない剛の面と、敵の押す引くにしたがって和らかく動き勝利する『和』の二面を兼ね備えよ、と説かれている。
 「和」と同じくやわらと呼ぶ流派に「俰」があり、日向飫肥で行われた「定善流俰」があった。「定善流俰極秘自問自答」によれば「俰は和と同じヤハラと訓じ、敵と争う時、力身無理なる所を此習で去って和らかにする」と記され、力身を去り、体を和らかにすることが大切だと説かれている。又一方、中庸の「中和」の道理により「強でもなく弱でもなく基中和を用いて勝ち、又敵の位によって偏よらず中和にして基宜しき節に従て勝つ」と記され、中庸の未発の思想を採入れ、強弱相備えて勝て、と説かれているなお、技術に関しては「夫俰は無手にて白刃をひしぎ、敵の働きに勝習いで、是を取手という。たとえ剣術者でも、最後は組打ちの勝負となる。依て諸々の武芸は皆和の習いを教えよ」とされ、和は無手でもって相手と戦う組打ちの術であったことが伺える。和といい俰といい、いずれも心の命ずるままに体を和らかく動けるようにする術の意味で使われたものであった。
 ところで、柔術という名辞が盛んに使われるようになったのは、慶安以降(一六四八~)のことといえる。井沢蟠竜著「武士訓」には「慶安以来、柔術の妙技は曽て唐土にもなく紀州関口柔心、独り柔能制剛の理を悟り初めて基術を工夫し柔術と名付けた」とある事からして、関口柔心の創始した関口流をその初期のものとみなしてよいだろう。寛永八年(一六三一)柔心の書ける「柔新心流自叙」には、冒頭に老子の「天下之至柔、天下之至剛を制せんとす。

 幕末につくられた代表的な流派には、天神真楊流柔術があった。この流派は楊心流と真之神道流を合して作ったものである。平服組打技として生まれてきている。当流柔術の大意については、「夫大意と申すは、武具をしたがえず、今出生したる所のあかはだかの理を極め、極意の大事を極む。基上にて武具を従へば、内外則合体、心は身に随ひ、身は武具を随がわしむるの儀なり。武具に身を随がわしむるうれいなし。格成故、戦場組打の為に今日身体自由の業をなす。」と記され、戦場にて心の命ずるままに、身体が自由自在に動けることだ、と説かれてる。この流派の技は、居捕と立合から成り、当身技、逆技、締め技といった危険な技が多かった。
 このようにみてくると、柔術というのは戦場にて弱力の者が剛力の者を倒す術、いわゆる「柔能制剛」術であり、そのために心の命ずるままに、身体が自在に動けることが大切とされた。その稽古法としては、刀剣での攻防や当身、逆技といった危険な技が多かったため、「形」でしか実施できない流派がほとんどであった。一方、精神面では実際の戦場において、自ら身を守り、相手を殺傷するという勝負に勝つことが第一の目的であり、そのため戦いに臨んでの不動心や無心が重んじられた。又、術は武士的人格形成の手段とも考えられていた。
  柔術の意義は、身体を心に柔順にして、自由自在に動けるようにすることである。自分の力は捨て、相手の力を利用して倒す。そして、殺傷し勝負に勝つという実践的なものであった。こうした点で、危険な術とされてきたのである。
  明治に入り、文明開化の名のもと、武術が廃れる中で、日本の柔術に興味を抱きその肉体的、精神的に価値あると認めた嘉納治五郎は、明治十五年、古流柔術を集大成して講道館柔道を創始した。とりわけ新しい時代に即応するように、名称もこれまでの柔術を避け、一、二の流儀でしか使われていなかった柔道の名称に変えている。
  これまでの柔術は、咽喉を締めたり関節を挫いたりして、相手を殺傷する武技であったが、今度自分が作ったものはそういう危険なものではないことを示すために柔道に変えたというのだ。嘉納は、当身や逆技といった危険な技は省き、老若男女が自由に攻防できる乱取を創案した。更に「往々世間には柔術を一種の見せ物にして、木戸銭を取って相撲や軽業を成す場所で人に見せたりするものが出てきた所から、世の人は益々柔術を賎しいもののように成って参りました。そういうものと同一視されるのがいやさに柔術という名を避けました」とも記され、そういう賎しいものではないということを示すためにも、名称を柔道にしたというのである。
  この他にも柔術と柔道の目的の違いについて記してある。
柔術は、投げ殺す、捕縛する、当て殺したり、取り押さえたりすることを目的とする。
講道館柔道では、体育と勝負と修心との三つのことを目的とする。勝負を争うだけではなく、体を鍛え、精神を修養するという三つが同時に学べるように工夫し、イメージを一新したのである。
 
 ここでいう柔術には悪いイメージがついてしまっているが、身体精神の鍛錬修養といった教育的意義の面からみても、現代で、柔術は通用するのではないかと考える。

  3. 武道とは何か

 最近、武道が見直されてきている。中学校では、必修科目として武道が取り入れられてきた。これも、身体精神の鍛錬修養といったことに教育者が注目してきたのではないか。
 注目されてきた理由としてはなにが考えられるのか。
1) 挨拶、返事、礼儀など自己の修養
2) すぐれた人を育て、伝統を保持する
3) 技術の上達や、しっかりとした芯の強い精神の具体化
などが、あげられる。これらのことを習得しながら、成長していくことで、武道の目指すところである「自己の完成」につながるのではないか。
 その上ではじめて執らわれの世界から「真」の世界へと心を転じる修練を積むことが出来るはずである。我々は心の内にいろいろな執着を抱いて生きているものである。物欲や名誉に対する欲、そして嫌いな人などといった心の闇の部分があるとする。この執らわれは怖いもので、どんどん流されてしまい、妬みや、嫉妬などの感情を生じさせ、そのまま生きてしまえば、とても下手な生き方となってしまう。逆に心の真理の世界があるとしたならば、その先にある世界に向かって歩んでいくことが上手な生き方であり、人として美しい生き方ではないか。その為の道標となるものが、偉大なる先人たちが残してくれた教訓や、師匠や親たちの後ろ姿である。4)
 武道は、そう簡単には習得できるものではない。その道のりには自己に対する嫌悪感などいろいろな思いをめぐらせて鍛錬していくしかない。
 先人たちの残してくれた教訓の中で、柳生宗矩は「兵法家伝書」においてこう記してあります。
  
 かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習のたけを出さんと一筋におもふも病、かゝらんと一筋におもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんと、一筋におもいかたまりたるも病也。何事も、心の一すぢにとゞまりたるを、病とする也。

 勝つことばかりを思うこと、兵法を上手に使うことばかりを思うこと、習ったことの成果をひたすら出そうと思うこと、敵に掛かっていこうとばかり思うこと、逆に、待つことばかり思うこと、病を治そうとばかり思うこと、このように、何事においても、心が、ある一つのことに執着し、それによって他のことが疎かになってしまうような状態、心と気の関係で言えば、心が何かに囚われてそこから発せられる気が滞ってしまうような状態、それが病(病気)である。
 では、この病をどのようにして取り除くのか、宗矩は「病をさるに初重、後重の心持ちある事」として、病を克服する初心の段階の「初重」と、応用段階の「後重」の二つの方法を次のように提示している。

  病をさらんとおもふは念也。心にある病をさらんとおもふは渉 念也。又病と云も、一筋におもひつめたる念也。病をさらんとおもふも、念也。しからば念を以て、念をさる也。念をされば、無念也。

 病を克服しようと思うのは念である。心にある病を払拭しようと思うのは、念じ続けることである。病というものは、一筋に思いつめている念である。病を克服しようと思うこも念である。そうであれば、念を以て念を克服することができる。念が去れば、無念である、という。
 
  病氣をさらんとおもふは、病氣に着した物なれども、以其着病をされば、着不残程に
 
 とあるように、病気を克服しようと心に思うこと自体が既に病気ではあるが、その思いを心に強く抱き、唯一病が去ることを思い続けることが、結果的には病気を克服する道である、というのである。
 この初重の境地は、自分自身を客体化するところに特徴がある。例えば、何かに執着している場合、執着している自分と、それに気付き、克服しようと思う自分とは分けて考えられる。この場合、克服しようと思っている自分が主となれば、何かに執着している自分は客体化される。主たる自分は、先ず現状を認識し、そこに更なる執着を加えていく。その行為の加重の中から、客体化された自分自身の回復を図っていこうとするものである。

 これでも病の克服が出来ない時は、応用段階である後重の境地として、病にまかせて、病と同居することが説かれている。

  一向に、病をさらんとおもふ心のなきが、病をさる也。さらんとおもふが病氣也。病氣にまかせて、病氣のうちに交て居が、病氣をさつたる也。

 病を払拭しようなどと思う心がなくなれば、病は自ずと去るのである。病を払拭しようと思うこと自体が、既に病気なのである。病気に任せて、病気と一体になっていれば、病気が去ったことになる、というのである。

 人間は誰しも、相手と向かい合うと心が緊張してくる。普通は、その緊張感を和らげようと努力するのが一般的な処置法である。しかし、この後重の段階では、緊張をなくそうとする心までも否定するのである。病の中にあっても、それを克服しようとは思わず、いわば「一病息災」のように、病と同居することで「病である」という意識を無くし、それによって病を克服せよ、というのである。

また、宗矩は禅とも深い関わりがあった。仏の道からの視点に変えてみたらどうだろう。

  着をはなれたる僧は、俗塵にまじりてもそまず、何事をなすも、自由にして、とゞまる所がなひ者也。

 仏の道では、着することを非常に嫌うという。この着することを克服した僧は、俗塵の世界にあってもそれに染まることなく、何をするにも自由であり、極まるところ思い通りに、望み通りになる。という。紅塵遠きところにたつのではなく、まさに俗事に交わってもそれに染まることのない心を養うことの大事さを、宗矩は説いたのである。

  みがゝざる玖(アラタマ)は、塵ほこりがつく也。みがきぬきたる玉は泥中に入ても、けがれぬ也。修行をもって、心の玉をみがきて、けがれにそまらぬようにして、病にまかせて、心をすてきって、行度様に、やるべき也。

 磨いていない掘り出されたばかりの璞(あらたま)には塵やほこりが付いているものである。磨き抜いた玉は、たとえ泥の中に入っても、汚れることはない。修行を通して、心の玉を磨いて、俗事に染まらぬようにして、例え病に罹っても病にまかせて迷う心を捨てきって、心のいきたいようにさせたらよい、という。
 心の玉を磨く修行、それは、つまるところ、心の病を「無心」で克服していくことに他ならない。念や着を捨てきって、心の行きたいようにすればよい。一旦、そのような境地になれば、病に罹っても、それに囚われることは決してない。心を解き放ち、自由な状態に置くこと、つまり「無心」が宗矩の描く、理想的は兵法者の心の境地といえる。

  また、宗矩は禅とも深い関わりがありました。
 
 不動と申し候らいても、石か木かのように、無性なる義理にてはなく候。向こうへも、左へも、右へも、十方八方へ、心は動き度きように動きながら、卒度もとまらぬ心を、不動智と申し候。(不動智神妙録)

 無心だからこそ、相手の剣の動きに自由自在に対処できるわけです。禅では坐禅中に睡気と惰気を振り払う為に自分の股に錐を刺したという話があります。ある意味で禅は自分との戦いです。戦いに勝てば、厳しい忍耐力と強い意志力が養われるのです。その積み重ねがいわゆる「禅定力」となって、いつも「無」の状態にもどる力となります。
常に「無」の状態に自分を取り戻すことに関しては、武道も禅も共通しているようである。
 

武道は、心身の健康を育む教育としても研究が進められている。

ほとんどの武術は呼吸を重要視しており、その源流はヨーガや禅にみられるようである。
共通する点は、吸気が短く呼気が長いことであろう。「3の2の15」と言われる呼吸法では、3秒で息を吸い、2秒でそれを「臍下丹田」に満たし、15秒かけてゆっくり吐き出す。吸気には横隔膜を下げる必要があり、その拮抗筋である腹筋群や背筋群などの体幹筋は緩んでしまう。逆に呼気時にはこれらの筋が収縮し、体幹の安定性が高まる。5) 

  おわりに

現代では、昔のように刀をもっている人はいないので、刀に対して素手で対処する柔術は必要がない。けれども、現代では無差別に人を殺してしまう人がいる。自分が万が一そのような目に合わなくもない。その時に自分の身は自分で守りたい。でも、余程の達人でもないかぎり、悪人には対処できないが、防ぐことはできる。今まで述べてきたように、自分を鍛練し、平常心を養わなければならない。先人達が説いた柔術の身の鍛練法を見習い、現代を生き抜いていかなければならない。


  後注
1) 松田、1頁
2) 同上、2~3頁
3) 同上、3~4頁
4) 塩沼、19頁
5) 石井、17頁

1)細川景一 月刊 武道 武道の可能性を探る 日本武道館 2014/1月号
2)石井直方 月刊 武道 武道の可能性を探る 日本武道館 2014/ 3月号
3)加藤純一 兵法家傳書に学ぶ 日本武道館 2003年
4)松田隆智編 秘伝日本柔術  新人物往来社 1979年             
5)塩沼亮潤 月刊 武道 武道の可能性を探る 日本武道館2013/6月号
6)藤堂良明 武道文化の研究 渡邉一郎先生古希記念論集刊行会編 代表 入江康平 第一書房 1995年

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  1. 2014/10/28(火) 21:25:53|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 12

1.はじめに
 大石神影流剣術の指導における留意点について述べる。
 本論文は大石神影流剣術を稽古するものが正しい道筋で上達していくため、指導者がどのような点に着目し、どのように振る舞うべきかを論じるものである。

2.個人に応じた指導
 大石神影流剣術の指導において、門人全員に画一的な指導を行ってはならない。
 人間の心身は個々人によって異なる。身長、体重、性別、年齢、身体能力、性格、武道経験の有無、武道以外の運動経験の有無、など。あらゆる条件が異なっているのが当然である。

 個々人の特質による違いの例として、以下のような状況が考えられる。
 ・腕力が弱い者は力で剣を振る事は無いが、腕力が強い者は力で振ってしまう。
 ・剣道の経験がある者は竹刀の振り方で剣を使おうとする。
 ・素直な性格の者はこちらの指導をそのまま理解しようとするが、頑固な性格の者は自分の価値観に当て嵌めて理解しようとする。

 同じ人間は一人としていないのに全員に同じ指導を行っていては、流派の教えを正しく理解させることは不可能である。個人の特質を良く見極め、当人が大石神影流剣術の稽古における正しい道筋を進んで行けるように導き、間違った道筋に入ろうとしているときには正しい道筋に戻すような指導をしなければならない。
 よって、集団教授法による稽古は不可能であり、指導者と門人のマンツーマンでの指導が必須だと考えられる。

3.基本を身に付けさせる
 初心の段階で基本をしっかりと見に付けさせることは大石神影流剣術の指導において最も重要なプロセスである。基本が身に付いていなければ、その上に成り立つ技術を理解できるはずはなく、正しい道筋で稽古をしていくことは不可能になってしまうからである。
 大石神影流剣術における基本とは主に以下の事柄を指す。
 ・無理無駄が無く、調和が取れている
 ・肚、臍下丹田を中心に全身が統一されている
 ・すべての動き・発声は呼吸に乗せて行う

 初心の段階において、これらを理解し、稽古の正しい道筋に入るためには礼法、歩法、構え、素振りなどの基本稽古を繰り返し行い、しっかりとした基礎を身に付けさせるべきである。以下にこれらを指導する際の留意点を述べる。

(I)礼法
 大石神影流剣術で礼法といえるのは神前の礼くらいで、これは極めてシンプルなものだが、正しく稽古すれば基本の習得に適した動きである。
 留意すべき点としては、天から降り脳天から左右の脚の真中までを貫き地面の下に至る流れ、すなわち重力に支えられて立っているか、体を落としていくときは脚を曲げるのではなく、体が緩むことによって自然と体が落ちていくのか、に気を配る必要がある。
 重力の働きと大地に身を委ねて立つことはあらゆる動きの基点であり、他の動きの稽古に与える影響も大きく、これを理解することは極めて重要である。

(II)歩法
 剣を持たずに、あるいは剣を構えて前後に歩くことはあらゆる攻防の動きに繋がるものであり、極めて重要な基本稽古である。
 礼法と同じく重力の流れを感じ、大地に体を預け、どこにも力みなく立てているか、歩く際は地面を蹴って進むのではなく、重心の移動によって進退できているのかに留意する必要がある。

(III)構え
 構えが正しく取れていなければ、その構えから始まる攻防の動作も当然正しいものにはならない。基礎がしっかりと身に付くまで繰り返し稽古させるべきである。
 構えにおいて留意すべきは完成形ではなく、構えるまでのプロセスである。小手先の操作で剣を移動させるのではなく、肚を中心とした動きで構えることができているかどうか、呼吸に乗せて動けているかどうかが重要である。

(IV)素振り
 素振りも構えと同じく、腹を中心として動き、呼吸に動きを乗せることが重要である。吸う息に乗せて上段に振りかぶり、吐く息に乗せて中段まで振り下ろす、このように動けているかどうかに留意すべきである。

4.駄目な動きを理解させる
 下手な動きと駄目な動きとでは明確な違いがある。下手な動きはレベルが低いが方向性は正しく、いずれ上達可能な動きであり、駄目な動きは方向性が異なり、いくら繰り返しても大石神影流剣術としての上達に結び付かない動きである。また駄目な動きのほとんどは、大石神影流剣術の稽古を始めるまでの人生で当たり前に身に付けてきた極めて常識的なものであることが多い。大石神影流剣術やその他の古武術の動きは江戸時代以前の日本の生活習慣が前提となっており、衣食住のあらゆる条件が江戸時代以前と異なる環境で育ってきた現代人の場合、身に付けている駄目な動きの割合も江戸時代以前と比較して大きいと考えられる。
 大石神影流剣術の稽古は全く新しい技術を身に付けていくのではなく、既に身に付けてしまった駄目な動きの一つ一つに気付き、理解し、取り去っていくプロセスに費やす時間がその大半となる。駄目な動きは本人にとって当たり前のものであり、無意識に行っていることが多いため、気付くことが難しい。何が駄目な動きなのかを理解できるまで指導する必要がある。

5.悪癖を身に付けさせない
 前項の「駄目な動き」を理解・修正できないまま稽古を進め、その動きで流派の技を行うようになってしまうと後から正すことは難しい。そのように悪癖として身に付いてしまった動きを正しい動きに修正するのはそれを身に付けるときの何倍もの労力を必要とする。一旦身に付いてしまった動きは当人にとって当たり前のものであり、それを悪いものだと認識し直し、捨て去るのは非常に困難な作業だからである。
 駄目な動きを行ってしまいがちな原因の一つはそれが「実感を伴う動き」だからである。力を込めて剣を振った、力強く地面を踏みしめた、といった自分が動いたという事をしっかり認識できるような動きをしたいと思ってしまうものだが、肚を中心として無理無駄なく動いた場合、体に実感は残らないものである。ある程度稽古が進んだ段階の者でも実感を求めて駄目な動きをするようになり、それが悪癖として身に付いてしまう危険は常に存在するので、注意しなければならない。指導者は門人が駄目な動きをしていないかに気を配り、悪癖を身に付けず、正しい道筋で上達していけるよう留意する必要がある。

 他に悪癖として身に付きやすいこととして「手順を追ってしまう」ことがある。初心の段階では仕方ないことだが、ある程度身に付いたら手順に囚われていてはならない。実際の状況は手順通りに進むものではなく、敵対の意思を持つ相手は自由に考え、自由に攻撃を仕掛けてくるものである。それに対処するにはこちらも自由でなければならない。どのように状況が変化しても自在に対処できる体の働きを養わなければ、大石神影流剣術において上達したとは言えない。手順に沿って稽古しながら、どのようにでも変化できる動きを目指すべきである。門人が手順を追う傾向を見せ始めたら、指導者はそれを直ちに戒めなければならない。

 以上のように悪癖とは流派が目指している動きとは逆の方向性を持った動きを指すものだと言える。門人がそれを身に付けることが無いように気を配らなければならない。

6.言葉による指導は最小限とする
 言葉による指導は簡単にイメージを伝えることができ、状況によっては有効に働くものであるが、最小限に控えるべきである。
 言葉の解釈は個々人が身に付けてきた知識・価値観によって異なるものであり、必ずしも指導者の意図した通りに門人が捉えるとは限らない。また人間が完全に理解できるのは当人が到達しているレベルのことまでであり、自分ができないことは言葉で聞かされても正しく理解できない場合が多い。
 誤ったイメージを植え付けてしまえば、間違った方向へ導くことになり、上達の妨げとなってしまう。このようなことから、言葉による指導は補助的に用いるに留めるべきである。




7.想定を正しく理解させる
 動きの意味合いを正しく理解していなければ、正しい道筋で稽古することは不可能である。構えや手数の想定を理解して稽古しなければ、それらに込められた教えを汲み取ることはできない。指導者は門人が想定を正しく理解して稽古を進められるよう導かなければならない。

(I)構え
 構えの稽古において留意すべきは何故その姿勢を取るのか、それに込められた意味は何かを理解させることである。以下に挙げるものは大石神影流剣術の特徴といえる構えであり、これらを正しく身に付けることは流派の教えをより深く理解することに繋がるため、非常に重要である。

(I-I)上段
 兜の前立てを避けるため、頭上に掲げず、額の上辺りに振りかぶる。また小手を切られにくくする構えでもある。
(I-II)附け
 突き技で有名な大石神影流剣術を象徴する構えであり、これを正しく身に付けなければ大石神影流剣術を修めたとは言えないほど大事な構えである。
 切先は相手の左目を指向し、左手は柄頭をくるむように保持する。最も大事なことはいつでも相手を突けるように切先が生きて働いていることである。
(I-III)下段
 下から相手を攻める構えであり、ただ手の位置と切先の高さを下げるだけでは大石神影流剣術の下段とは言えない。
 中段に構えているときよりも更に下肢が緩むことにより自然と切先が下がるのでなければ、求められている働きをなす構えにならない。
(I-IV)脇中段
 剣道や他流派で八相と呼ばれる構えに近似した構えであるが、弓を引くかのように右腕が地面と水平になるように構えるのが特徴である。剣道・他流派の剣術の経験がある、またそうでなくても八相という構えを知っている門人には八相との違いをよく理解させる必要がある。

(II)手数
 手数の稽古においてはただ手順を追うだけの稽古をさせないのはもちろんだが、想定に込められた流派の教えを理解できるよう導くことが大変重要である。
 以下、全ての手数に共通する留意点について述べる。

(II-I)最初の構え
 ほとんどの手数は中段の構えを基点として、そのまま中段で、あるいは他の構えに変化してから間を詰める構成になっているが、ただそういう手順だからと思って漫然と構えてはならない。最初に構える時も対敵の関係性の中で相手の働きに応じて構えるものであり、攻防は手数の手順に入る以前から始まっているのだと理解させなければならない。

(II-II)自分勝手に動かない
 手数は対敵の技術を学ぶためのものであり、当然だが相手がいるのが前提である。そのため決して自分勝手に動いてはならない。相手の攻めに応じるにしろ、こちらから仕掛けて相手の反応を引き出すにしろ、相手の状態を無視して技を仕掛けては手数は成立せず、それに込められた教えを学ぶことはできなくなる。
 手順を覚えた者は早くその手順を完成させたくなり、相手を無視して動きがちなものだが、そのような傾向は厳しく戒めなければならない。

(II-III)残心
 手順が一段落したからと気を抜いてしまっては手数の稽古は意味の無いものになってしまう。実際には相手が再度仕掛けてくるかもしれず、他の敵がいる可能性もある。手数の稽古を通して学ぶべきものは何が起きるかわからない状況で自由自在に対処できる心身の働きであり、そのためにはしっかりと残心が取れているのかに留意すべきである。

(II-IV)途切れるところは無い
 これまでの項目で述べたように手数の稽古はその手順の前後にも気を配らなければならないものである。常に状況がどのように変化しても対処できるような心の状態でなければならない。
 複数の手数を連続して行う場合は、一つの手数の手順が終了したところで気を抜いてしまいがちなものだが、当然そのようなことがないように指導する必要がある。

8.知識を身に付けさせる
 大石神影流剣術は江戸時代から続く伝統文化であり、流派自体の歴史、土地柄・同時代の出来事などの流派が生まれた背景、用いる稽古道具の特徴、などの知識を学ぶことも重要である。
 また他者を傷付けるために用いることも出来る技術であるため、その本質を知り、決して悪用しないよう、しっかりした精神的背景、倫理観・道徳観を身に付けるためにも流派にまつわる知識だけでなく、様々な知識を学ぶことが大切である。
 実技には興味があっても知識に興味を持たない者は少なくなく、ある程度専門的な基礎知識が無いと理解が難しい部分もあり、一朝一夕に見に付くものではない。指導者は実技の教授以外にも折に触れて知識の学習を促していかなければならない。
 流派の歴史には興味が持てなくても、歴史上の偉人には興味があり、その繋がりから興味を引き出せる場合もある。様々な方向から門人の興味を引き出せるよう、一人々々と会話することや、色々な質問に答えられるよう指導者自身の知識を増やしていく努力も必要である。



9.常に最高の技を見せ、向かうべき方向性を示す
 門人にとっては普段目にする指導者の技がそのまま稽古の指針となるため、指導者は常に己の最高の技を見せることを心掛けなければならない。
 指導者が駄目な動きを示してしまえば、門人が素直であればあるほど、駄目なまま取り込んでしまう。先述したように一度身に付いた駄目な動き、悪癖を取り除くことは難しく、正しい方向へ修正するために大変な労力を要する事になってしまう。
 指導者は可能な限り正しい方向性を示す必要があり、そのため指導者自身が常に正しい方向へ向かって上達し続けるよう不断の努力が必要である。
 当然のことだが、門人や見学者などに良いところを見せよう、などという考えや、自分の方が上だろう、というような慢心は厳に慎むべきものである。
 また門人には現在の指導のレベルではなく、その目指すところを目標にすべきであることを理解させることも重要である。先の述べたように指導者といえども、常に上達し、変化し続けているべきものであり、一時の状態を参考にし続けては、いずれそのレベルに停滞してしまうことになるからである。

10.打太刀をするとき
 門人の相手に立って打太刀をするときはゆったりとした呼吸に乗せて動くことが重要である。対処できないような早さで動いてしまえば、門人は無理に合わせようとするため、正しい動きを学ぶことが出来なくなってしまうからである。門人の動きを引き出し、手数の理合を学び取れるよう導く働きをしなければならない。
 また門人が手順を間違えても慌てずに対処しなければならない。指導者自身がどのような状況でも対処できるような心身の働きを身を以って示すことが大切である。そのためにも前項で述べたように指導者自身が常に上達し続ける努力が必要である。

11.おわりに
 以上、大石神影流剣術の指導における留意点について述べた。
 様々な観点において留意すべきことを述べたが、最も大切なのは流派の教えを正しく伝え、正しい上達の方向へ門人を導いていくことである。
誤った指導を行えば、間違った方向に門人を導き、長きにわたる伝統を歪めてしまいかねない。一度誤った形が伝われば、それを正すことは極めて難しいものである。
伝統を正しく伝え、大石神影流剣術を後世に伝え残すためには指導者自身が正しい方向を向いているのか常に自問し続ける必要がある。


参考文献
1)森本邦生:貫汪館 本部ホームページ
2)森本邦生:「道標」

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  1. 2014/10/29(水) 21:25:50|
  2. 昇段審査論文

素振り

 11月1日からの「基礎を身につけるための講習会」は全くの初心者の方に、ゼロからお教えするつもりで指導しますので、あらかじめ指導の要点を記して起きます。

 素振りは心身の調和をはかるために行います。したがって行う回数は問題ではなく、回数を行ううちに心身が調和し、また心身と天地が一つになっていく事が必要です。
 中段の構えは足は撞木にひらき、足首、膝、股関節はゆったりと緩み、床に反発しません。上半身は足の開きの上に乗っていますので半身になります。そのうえで切先が相手に向きますので、相手に切先を向けようとして、その意識に体の歪を生じさせないよう心がけてください。
 中段から臍下にゆっくり吸い込む息に乗って、木刀は上段の構えに位置するようにゆったりと真っ直ぐ上に角度を持ちながら上がっていきます。息を臍下に吸い込みつつ行いますので体内のバランスはとれ重心が上がることはありません。呼吸が強ければむしろ重心は下がるように感じられると思います。
 木刀が上がっていく動きはそのままさがっていく動きにつながります。時計の振り子のような動きはしませんので、切先は曲線を描きながら吐く息に乗って下方に下りていきますが、両手が顔の前辺りに来たときには木刀は相手に対して真っ直ぐに切り込む角度になっています。そのまま息を吐いていけば元の中段に位置し動きは止まり、再び吸い込む息に乗って木刀は上がっていきます。

9月に横浜講習会を行った時、羽田空港の永清文庫コレクションの「平家物語と太平記の世界」展を行っていました。無料で入場でき、写真撮影も許可されます。
富士川の戦いの絵です。徒歩の武者が薙刀を手にしています。
DSC08082.jpg


  1. 2014/10/30(木) 21:25:44|
  2. 剣術 業

構え(附け)

 「附けの」構えは大石神影流剣術の特徴をよく表した構えです。
 構えるときには、中段から自分の左に半円を描き、「附け」に位置します。半円の中心は臍下であり、中心を動かすことにより切先まで動くように意識してください。木刀を動かそうとすると自分は虚になります。
 呼吸は木刀が上がる動きは、臍下に吸い込む息に乗り下がる動きは吐く息に乗ります。
 構えたときの切先は相手の左眼につき、柄頭は左掌の中心に位置します。また刀はややねますが45度以上は寝せないように心がけてください。
 いつでも相手を突けるように切先は生きていなければなりません。

敦盛最後の場面です。
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  1. 2014/10/31(金) 21:25:00|
  2. 剣術 業

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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