無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

手の内

 英信流の血振いは手の内が固い人が自分の動きを確認するためには良い動きです。
 手の内が硬い方が英信流表(太刀打・詰合)の血振いをすると切先が下がらず手元と並行に近い角度になってしまいます。手の内が緩んでいれば自然に切先は下方に下がりますので確認してください。下がらないからといって手首をひねって無理やり切先を下げてはいけませんのでご注意ください。


 暖かくなったのでテントウムシや小さな蝶をたくさん見るようになりました。
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  1. 2014/05/01(木) 21:25:38|
  2. 居合 業

発早

 詰合の発早は打太刀が脛に抜きつけてくるのを虎の一足のように張り受けに受けて正面に斬り下す形です。したがって脛を張り受けに受けた辞典では相手に一撃も加えていないのですから、悠長に振りかぶって、あるいは(このような人はいないと思いますが)ためを作って力強く斬り下ろすことはできません。虎之一足と同じです。
 力まないということを稽古していただいていますが、力まなければ動きは速くなるはずのところ、かえって遅くなってしまう方は臍下丹田が働かず手先で動いているか、臍下丹田は働きかけているのに脇が外れたり、手の内が悪く、臍下丹田の働きが切先まで至っていない状態にあります。工夫してください。

 毎年咲くさつきが今年も咲いています。
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  1. 2014/05/02(金) 21:25:25|
  2. 居合 業

動きの前後

 澁川一流柔術の形も無雙神傳英信流抜刀兵法の形も、さらに大石神影流剣術の形もシンプルな手順の形がほとんどです。
 形の稽古は何かあったときに役に立つように稽古します。したがって形の手順では補えないことのほうが多く、形を見事に出来るようになることで安心することは完全に間違っています。単純な形を稽古することで陥りやすいのは、形の終りが技の終りと思ってしまうことで、10本形を続けて稽古したら10回気が抜けてしまうことです。
 攻防をしていない対峙している間、1本ごとの形の最後の動きの後、何もしていないとき、全てが形の一部であり、いついかなるようにも動ける心と体でなければなりません。10本形を続けて形を稽古するとすれば、その10本の形には始まりも終りもなく一続きのものです。


 裏庭の蜜柑も蕾を付けました。
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  1. 2014/05/03(土) 21:25:32|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

互棒

 互棒の上段捕について、恵子のときに気付きながら言いそびれていることがありますので記しておきます。
 互棒は普通の形では棒を長く使いますが上段捕は短く持ちます。つまり棒の先端部のみを手からだし、棒のほとんどは上腕部の後方に隠れますので注意してください。


 花はなくなっても、タンポポの種もこうしてみると美しさがあります。
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  1. 2014/05/04(日) 21:25:25|
  2. 柔術 業

間合の工夫

 柔術を中心に稽古してきた方は刀や木刀、棒を手にして自分の手の届く範囲が遠くなったときの間合の感覚に疎い傾向があります。
 間合が正しく認識できていなければ有効な技にはなりません。
 自分の間合を知るためには壁にむかって切先が届くまで進んでみたり、庭の木の枝を相手にしてみたり、工夫をしなければなりません。ただ形の稽古をしていれば足りるというわけではありません。

 父の庭の鉢植えの花です。
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  1. 2014/05/05(月) 21:25:43|
  2. 剣術 業

剣術の稽古

 連絡:10月19日(日)に行う出雲大社奉納演武への参加予定がわかりましたら各支部は早急ににご連絡ください。既に宿泊施設が埋まっているところも多く、貫汪館専務理事が宿泊施設を押さえてくださっていますがなるべく正確な人数が必要です。

 柔術を稽古していて、なかなか中心線が自覚できず体がこわばった状態の方に2回ほど大石神影流の稽古をしていただくと、無意識のうちに中心線が意識できるようになっていました。
 本人に自覚はないのですが明らかに動きは変わり、柔術を稽古しているときとは別人のような動きになりました。
 相手の切先が自分の中心を攻め、斬り下してくる木刀が自分の中心に向かってくるために、柔術の稽古では出来なかったことが出来るようになったのだと思います。
 柔術の稽古をされる方も早いうちから剣術の稽古をしたほうが両方の上達に良い結果をもたらすのではないかと感じます。

 同じく父の庭の鉢植えの花です。
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  1. 2014/05/06(火) 21:25:08|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

間合

 澁川一流柔術を中心に稽古してこられた方は大石神影流剣術や無雙神傳英信流抜刀兵法の太刀打の進退における間合に課題があります。
 進むとき退くとき、どの程度の間をとればよいかがわかっていなければならないのですが、それができていないために、斬り込んだときには相手に当たらない間合であったり、逆に深すぎて手数として成立しなくなってしまいます。
 また場の広狭によって進む歩幅や退く距離を調整しなければならなりません。さまざまな状況の下での稽古を重ねられ会得してください。

 父の庭には沢山花が咲いていますが、名前を知らない花ばかりです。
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  1. 2014/05/07(水) 21:25:05|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

緊張

 演武で緊張してしまうのは、無意識のうちに失敗すまいとか良く見られたいという気持ちが生じてしまうことが大きな原因です。この気持ちを消し去れというのは難しいことですので、以下の事を試してください。

 言うまでもありませんが、演武することになっている形・手数は稽古できる時間がある限り稽古すします。稽古不足という思いがあれば緊張しないはずがありません。

 自分の実力を認識すること。うまくもないのにうまく見せようとか、稽古もしていないのに間違えまいとか考えるために緊張します。自分の実力を自分自身が素直に認めることです。

 集中しようと考えないことです。下手に集中しようという思いを持てば、周りは見えなくなり、体も硬くなります。楽になってください。
 
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  1. 2014/05/08(木) 21:25:46|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

目線

 無雙神傳英信流抜刀兵法では単独で行う素抜き抜刀術を先に稽古するためか目を伏せがちにする癖がつきやすいように思います。この癖は太刀打や詰合の稽古をするときにも出、対峙しているにもかかわらず下を見られています。
 刀礼は必ず床と並行に目線を保持した後に行うようにし、刀礼が終わったとも必ず一度目線を床と並行に戻してから、刀をとり腰に差してください。また刀を腰に差すときにも刀に気をとられ目線を落としてはならず、目線を床と並行に保持したまま腰に差し、下緒の処理をしてください。
 自分が目線を落としてないか、個々に確認してください。


 裏庭の蜜柑のつぼみが大きくなりました。
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  1. 2014/05/09(金) 21:25:58|
  2. 居合 総論

呼吸

We hold Kan ou-kan special course of lecture for 3 days from july 19 to 21st. For more information , see this page.
http://kanoukan.web.fc2.com/english/lecture/index.html
貫汪館特別講習会を7月19日から21日までの3日間開催します。詳細は以下のページをご覧ください。
http://kanoukan.web.fc2.com/event/index.html


 大石神影流の「張る」動きの大切さはこれまでにも述べてきたところですが、手先で「張る」癖がある方は呼吸に難があります。
 「張る」ときに呼吸を止めているために臍下中心に動けていないのです。「張る」ときには「ハッ」と声に出さずに短く息を吐き、その息に乗せて張ります。稽古してください。


 前庭に白いさつきが咲きました。
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  1. 2014/05/10(土) 21:25:56|
  2. 剣術 業

斬組

We hold Kan ou-kan special course of lecture for 3 days from july 19 to 21st. For more information , see this page.
http://kanoukan.web.fc2.com/english/lecture/index.html
貫汪館特別講習会を7月19日から21日までの3日間開催します。詳細は以下のページをご覧ください。
http://kanoukan.web.fc2.com/event/index.html


 大石神影流には所謂、斬組をなす動きがありますが、これは澁川一流柔術が六尺棒を打ち合わせる動きとは異なっていますので区別してください。
 斬組む動きはお互いに相手に刀が届かぬ間合で打太刀、仕太刀ともに縦に真っ直ぐに斬り下ろした刀が交差します。したがって六尺棒の動きと異なり、刀は斜めに動く事はありません。
 お互いに相手の中心に斬り下ろしますので、場合によっては切先と切先がぶつかり合うこともあると思いますが、わずかの時間差があればお互いの木刀の鎬と鎬が擦り合わされる事によって音が出ます。バチンバチンと打ち合わせている方は動きを変えてください。


 庭の片隅に咲いていました。何という花でしょう。
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  1. 2014/05/11(日) 21:25:43|
  2. 剣術 業

明撃

 貫汪館 秋の昇段審査会は9月21日(日)です。ご予定ください。

 大石神影流の手数や無雙神傳英信流の太刀打・詰合の形などで動きが多くなるとただ木刀を振り回してどこを斬りに行っているのかが明確でない動きをされることがあります。
 勢龍や左沈などで二撃目に切り上げる場合、どこを斬り上げるのかが明確でなければ仕太刀の動きもいい加減になってしまいます。乱曲で打太刀がいい加減に間合がとおいのに(刀が届かないのに)小手を連続して斬る動きだけをすると仕太刀の打ち落とす動きもまたいい加減なものになってしまいます。
 詰合も然りで打太刀が正しく脛に抜き付けていなければ仕太刀の虎一足の動きがいい加減なものになります。
 打太刀も仕太刀(遣方)もどこを斬り、突きに行くのか、明確に動けていなければただ馴れ合いの動きになってしまいます。

 裏庭にあるポポの木の花は、これが花かと思う位に地味です。
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  1. 2014/05/12(月) 21:25:29|
  2. 剣術 総論

 自分の動きを正そうとして努力したことがかえって癖となってしまうことがあります。
 たとえば大石神影流の足の開きで見てみると足は撞木足で90度近く開きます。しかし、現代剣道を稽古してきて体は相手に正対して、左右の爪先が真っ直ぐ向いてしまう方が、無理に足だけを開いた場合、稽古によって上半身が開くようになるとさらに足が開いてしまい、左右の足が90度以上開いてしまうということがあります。はじめに無理に足を開いたことが後々になって癖となってしまう例です。
 手の内が甘く柄を左右から握ってしまう方が無理やり手を絞って持つと、体が整い内側が働くようになっても手首が硬直する癖が残ります。
 何事も無理に正そうとすると稽古が進んでもおかしな癖となって残ってしまいますので、時間をかけて正していくことが必要です。

裏庭に咲いていました。
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  1. 2014/05/13(火) 21:25:09|
  2. 剣術 総論

下段

 澁川一流柔術では六尺棒で刀に対するときには下段をとります。この理合がわからず棒先が高くなっている方がおられますので述べておきます。
 形を決められた手順を行うとのみ考えていては形が養おうとしている動きは会得できません。六尺棒を下段にとるのは下段にとる理由があるのです。せっかく大石神影流剣術の稽古もしているのですから考えて稽古しなければなりません。試合口のときに触れ合った切先を動かすのは何のためか相手の刀を張るのは何のためかを考えれば理解できると思います。
 長いものに対するには短いものを手にしている者は入身をしようとします。入り身をしようとする者にとっては相手の武器の先端が邪魔になるので、その先端を払って入らねばなりません。払ってくださいとばかりに相手に棒先を漠然と差し出していては、それで騙すのに用いるのでない限り自分は大いに不利になってしまいます。形なので相手を突くことばかりを考えておられるかもしれませんが、実際には相手も入ってくるのだということを考えて稽古しなければなりません。

これも裏庭ですが、どんな花が咲くのでしょう。
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  1. 2014/05/14(水) 21:25:47|
  2. 柔術 業

打込、居合

 澁川一流柔術の打込、居合や居合は相手が切り下してくる懐剣や刀に対する形ですが、形を手順の稽古だと思っていたら本当の稽古はできません。
 立ち姿を見ていたら、相手が変化して突いてくるという状況に対応できる姿勢になっておらず、上からの動きにのみ対応する姿勢をとっておられることがあります。あらゆる状況に対処することを忘れては上達のための稽古は成り立ちません。


単なる雑草ですが、これが沢山密集していると可愛らしく何とも言えない気持ちになります。
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  1. 2014/05/15(木) 21:25:37|
  2. 柔術 業

抜付

 抜付けが苦手な方は腕力を用いて刀を振ろうとされる方です。体を開くことによって刀は動いていき、肩、腕、手首は力の伝達経路にですので、此処を用いて刀を振ろうとしたり、体に力を込めて抜きつけた刀を止めることはありません。できない方は以下の稽古を重ねてください。仔細は道場で指導します。

 刀より軽めで刀より長いもの、先のほうが思い棒を用意します。なければ鍔をつけた木刀でもかまいません。軽いほうを右手にもとしっかりと半身にとり、先を体の後ろにつきこみ、体を開きながら、振ります。
 留意点は、
 右手、右肩の上側の筋肉は用いず下側で保持すること。
 確実に半身を取っておくこと。
 体を開くときには左手も開き左右の均衡を保つこと。
 先が働くのを感じること。
 先に遠心力が働き、右腕もそれにつれてのびのびと働くこと。
 最後は決して止めようとせず、左右が開き終わるときに自然に留まるのを待つこと。
 体は楽にのびのびと働き、力みを感じぬこと。


この花も裏庭に咲いていました。
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  1. 2014/05/16(金) 21:25:26|
  2. 居合 業

 昨日述べた抜付けの動きが出来ず、どうしても腕・肩・手首を用いてしまう原因のほとんどが心に存在します。
 刀の働きを待てず、自分が何とかしようという思いです。それを繰り返し続けていれば修行どころか自己中心の思いを強くしてしまう結果になります。
 自分がいる場と調和し、腰にある刀と調和し、自己がありながら「自分が」という利己心を去るという道を進まなければ、修行とは似ても似つかないものとなり、武道の稽古をしたばかりに、あの人はああなってしまったという事になってしまいます。

まだ蜜柑の花は蕾なのに一つだけ小さな蜜柑がなっていました。冬に狂い咲きした花の実なのでしょうか。
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  1. 2014/05/17(土) 21:25:29|
  2. 居合 業

大石神影流においても

 昨日は抜きつけと心の関係について述べましたが、大石神影流の手数の稽古をしていても同じことが言えます。
 一見同じような動きをしていても、間違った稽古をする方は剣術は剣による攻防だとばかり心得、相手の剣をより強く張ったり払ったり、隙があるところへ直ちに切り込もうと考えて稽古をします。
 しかし、一見攻防の稽古に見える手数においても調和が大切であり、対峙した相手(敵)との調和を求めるならば、そうなるべくしてなる動きが生まれ、必要もないのに強く張ったり払ったりという動きにはなりませんし、手数の中で隙ができたところへは体が自然と動いて斬り込んでいるはずです。相手との調和ある動きがあれば必然的にそうなるのです。相手に応じた動きが意識しなくても、意識していないからこそ出てきます。
 貫心流の「糸引きの傳」は調和を求めるための指針として最適な言葉であろうと思います。目と目、体と体、剣と剣、心と心が糸のように相手とつながっていなければ求めようはありません。

 数日前がミカンの花の開花の盛りでした。
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  1. 2014/05/18(日) 21:25:16|
  2. 剣術 総論

違いを認める

 同じ武道でも古武道、現代武道があり、また古武道といっても江戸時代の日本で生まれた武道があり、琉球で生まれた武道があります。それぞれ生まれた時代も背景も目的も異なっています。だからといってお互いにそれらを排斥していてもはじまりません。
 よくあるのが古武道を稽古している人が現代武道を見て、あれでは役に立たないという事です。あれでは切れないとか、戦えないと言います。しかし、現代武道の方がされているような動きができるかと言われれば稽古していない者にはできるはずもありません。目的が違えば異なっているのが当然でそれをどうこう言う事には意味がないのです。
 それでも言葉にしてしまうのは「自分は違う。」とか「自分は本当の事をしている。」という優越感です。そのような思いを持った時、反省して謙虚にならなければ修行という言葉を用いても「我欲」を強くする修行をしていることになります。年数をかければかけるほど「我欲」は強くなっていきます。いくら表面上謙虚にふるまっていても本質は現れてしまうので、見える人には見抜かれてしまいます。
 私もそのような方は嫌になるほどたくさん見てきました。また私自身危ない状態を経験したこともあります。違いを認める心を持たなければなりません。

 ミカンの葉に止まっていたテントウムシです。
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  1. 2014/05/19(月) 21:25:13|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

おおらかな時代

 筑波大学在学中の30年以上前のお話です。その頃は全日本剣道連盟の居合が今ほどカチッと統一されていない時代でした。
 大学でお世話になっている先生が私に茨城県剣道連盟の5段の証明書を持ってこられ、剣道連盟の居合の大会に出てみなさいとお話を下さいました。師匠の許しを得て大会に出ることにしたのですが制定居合というものを知りません。稽古したこともありませんでした。本を読んで手順だけ覚え出場しました。旗は1本だけ上がったようです。あとから一緒に行っていた居合道同好会の人に聞くと、旗を揚げた人は他の二人がなぜ私の方に旗を揚げないのか不思議に思いしきりに首をかしげていたという事でした。
 当時の剣道連盟の高段者の先生方は実に様々で、模範演武を見てもそれぞれが違った動き、違った趣の居合をされていました。
 居合道同好会には数人稽古する人がいたのですが、大学院に行った剣道連盟3段の人は忙しくて指導できず、私が習った事がない剣道連盟の制定居合を書籍を見て指導して卒業までに二人とも2段をとりました。おおらかな時代です。
 競技化が進むと価値基準を厳しくしていかなければ優劣がつきません。現在のありようは現代武道として当然なるべくしてそうなったことだと思います。また、そうでなければ統一された団体とは言えません。

裏庭に柿の花が咲いていました。
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  1. 2014/05/20(火) 21:25:59|
  2. 居合 総論

第6回現代龍馬学会

 第6回高知県立坂本龍馬記念館・現代龍馬学会総会・研究発表会が5月17日(土)に開かれました。
下記のような内容で発表が行われ、私も出席して聴講してきました。

午前の部(10:00~)
①網屋 喜行 氏(鹿児島県立短期大学名誉教授、吉田孝継子孫)「明治維新の変革と『吉田東洋』一族の生き方・『本家』の孝継と『分家』の正春について」
②加藤 貴行 氏(「花月史」著者、長崎龍馬会主任講師)「幕末維新期の長崎について」
③神谷 良昌 氏(沖縄ジョン万次郎会会員)「琉球に上陸したジョン万次郎」

午後の部(13:25~)
★基調講演 長宗我部 友親 氏(長宗我部家十七代目当主)「坂本龍馬と長宗我部元親」
⑤植田 英 氏(現代龍馬学会会員)「龍馬のもう一人のお祖父ちゃんの墓所」
⑥渡辺 瑠海 氏(エッセイスト)「坂本乙女・はちきんの武士道」
⑦三浦 夏樹(高知県立坂本龍馬記念館学芸員)「坂本龍馬の倒幕論についての一考察」

 吉田東洋の直系の御子孫が昨年なくなられ、絶えてしまった事。長宗我部元親の弟の家は山内家に使えて幕末にいたったことなど驚くような事実がありました。
 最後の「坂本龍馬の倒幕論についての一考察」 では龍馬が武力倒幕を考えていたかどうかについてでしたが、いまだ結論はでていませんでした。しかし、私が考えるに坂本龍馬の1側面が死の商人であること。第2次長州征伐で幕府側の軍艦に大損害が出ている(死人が多く出ている)のを喜んでみているところなど、とても平和主義者だとは思えないところがあります。

 お昼には長宗我部火縄銃鉄砲隊の演武がありました。
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  1. 2014/05/21(水) 21:25:50|
  2. 武道史

あれでは実戦的でない

 古武道の世界では他の演武を見て「あれでは実戦的ではない。」「あれでは斬れない。」等々、実際に戦うとしたらという基準で判断することが多いようです。しかし、よくよく聞いてみると斬るという事を据物斬の観点から話しておられたり、実戦的という事を限定条件の中で話しておられたりされています。貫汪館で稽古されている方はそのような観点に力点を置いて考えるのはあまり意味がないことだと思ってください。
 実戦的云々といったところで、幕末、戊辰戦争のように銃を用いる前提では話していませんし、ましてや日露戦争のように機関銃がある前提で話しているわけでもありません。あくまでも時代も装備も限定された条件の中で話しているだけです。そのような議論には意味がないのです。
 武道の稽古を通じて心も体も自由になる事を求めてください。

裏庭にけしの花が咲いています。
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  1. 2014/05/22(木) 21:25:54|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

素振り

 大石神影流の手数にはこちらから攻め立てていく連座技があり、素早く振りかぶってすぐに斬り込むという動きをしなければなりません。しかし、この場合であっても臍下中心の動きが崩れてはならず、肩・腕中心に動いてなりません。
 素振りが正しくでき、ゆっくり動く場合には臍下中心の動きができているのに早く羽置くと、中心が崩れてしまうのは自分の心がそうさせています。
 正しく素振りの稽古を繰り返し自分を治めているようであっても手数の稽古で崩れてしまうようでは素振りの動きが不十分です。自分自身の心に自分がまけてしまわないように素振りを重ねて心をしっかり治めてください。

先日花が咲いていたポポに小さな実がついていました。
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  1. 2014/05/23(金) 21:25:37|
  2. 剣術 業

基礎

 大石神影流の手数を稽古される状態をみてわかることは基礎ができていない形の上達は遅く、基礎が身についている形の上達は早いということです。
 基礎とは正しい体の状態ができているかどうかということで、鼠蹊部の緩みや、形の適切な市、手の内の状態などをいいます。そういう観点から柔術を専門に稽古してきた方と居合を専門に稽古し敵高田とでは上達の速度が明らかに異なります。居合を専門に稽古してきた方はすでに基礎の稽古を積まれてきているので手数の稽古に入っても手順や呼吸を覚え、稽古を重ねれば、そのまま上達につながります。一方柔術を中心に稽古されてきた方は刀や棒を持つ時間は相対的に少なく物を持った場合の基礎は身についていません。
 したがって柔術を専門に稽古してきた方に大石神影流の稽古をしていただくためには、時間はかかっても素振りや構えの稽古に時間を割き、基礎を作るところから始めていただかなければ、かえって上達は遅くなってしまいます。できていないのに先に進めば道をたがえるだけになってしまいます。

庭にドクダミの花が咲いています。
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  1. 2014/05/24(土) 21:25:36|
  2. 剣術 総論

基礎 2

 昨日述べたことは、無雙神傳英信流抜刀兵法と大石神影流の稽古を同時並行して行う方にも言えることです。同時並行なのだからと大石神影流の手数をどんどん教えていくと、基礎ができていないのに張子の虎だけを作ってしまうことになり、それを正すには相当長い年月が掛かってしまいます。
 初心者の人は、早く習いたく、また教えるほうも早く習得させたいところだと思いますが基礎をおろそかにした上達はなく、ただ形をなぞっているだけになりますので将来を考えた指導をしなければなりません。


父の家の梅の木に梅の実がなっていました。
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  1. 2014/05/25(日) 21:25:35|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

基礎 3

 これまで述べてきたことは無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古一つだけをとっても同じことが言えます。
 以前も述べたことがありますが、貫汪館本部では正座の仕方、礼法、歩み方、刀の抜き差し、斬撃だけを、早い人でも2ヶ月、ゆっくり進む人であれば3,4ヶ月近く掛けて稽古していただきます。
 また初発刀の稽古をするようになっても、ある程度できるようになるまで最低でも1ヶ月は初発刀の稽古を重ねていただき、できるようになってから初めて次の形の稽古に入ります。基礎ができていないのに形だけ覚えてしまえば、何がだめなのかさえ見えずに稽古してしまうために形を作ることだけでよしとしてしまうようになるからです。
 指導者は、習う人を見極めて基礎を身につけさせることを第一にしなければ先に苦労させることになってしまいます。

先日行った高知県ではいつも仁淀川の河原で車中泊をします。
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  1. 2014/05/26(月) 21:25:30|
  2. 居合 総論

大石神影流剣術論文

春の昇段審査、大石神影流剣術の2段の論文です。

「これまで修行上留意してきた事、今後留意しなければならない事」

 大石神影流剣術は剣と一体になるだけではなく、相手とも一体となって行える剣術であると私は思っている。それは自分だけで行なってもうまくいかず、また自分体全体だけを意識してもうまくいかないということである。他の剣術でも同じかもしれないのだが、
大石神影流ではそれが特に感じられるように思う。
 私はこれまで自分の身体のみを意識し、相手のことを考えずどうやれば自分の身体が楽に動けるのかを意識して練習してきた。もちろんそれだけではうまくいかず、ある程度今動けているのはお相手の先生がうまく誘導してくれているからだ。実際に、先生以外の方と練習するときには更に動きがおかしくなっていると感じる時が頻繁にある。その度に直していければ良いのだろうが、私は一人の時は自分の動きのみを考え練習し、相手のことをうまくイメージできていない。まあ、動きがおかしいのは私の稽古不足もある。このことも大きな原因になっている。それでも、一人のときはできる限り注意されたことを直そうとし、どうすれば楽な動きになるのかを意識して行っている。例えば、どうすれば腰をもっと楽にして落とせるのかなどそういうことを意識している。他にも、素振りの時は楽でいてなるべく自分の中心を意識しつつ振るようにしている。
 では、どう稽古すれば良いのかというと私はこれを未だに閃いてはいない。ただただ、相手のことをできる限りイメージして相手がどうきたらどうするのかという型ばかりを考えている。今までからして駄目だったのだからこれだけでは駄目なのだろうということは薄々分かるのだが、先生がおっしゃるような「天地一体で相手とも一体の動き」というのが想像しにくい。だが、このままでは自分本位な動きしかできないことは分かっているつもりだ。実際に、最近の話では自分ばかりを意識して相手との間合いがおかしかったり、剣に当たってしまったりしている。これでは、楽な動きばかりを意識しても本末転倒もいいところだろうと私自身も思う。
 他にも問題点はたくさんある。ここで述べるのは五つだが、実際にはもっと自分では気づけていない問題点もあるものだと思っている。ここでは自分で気づけている問題点の内の五つを述べようと思う。
第一に、気合いだ。あれは自然な流れでリラックスしているからこそ出せるものだ。さらに、出せたとしてもただ出すだけでは意味がない。相手を威圧できなければ気合いの意味がないからだ。だが、私はこのことが頭では分かっていても実際にはできていない。出せたとしても腹から出るものとは違うと思っている。これまでは腹から出すことを意識してやってきた。例えば、腰を落として腹を楽にして呼吸をする中で一気に息を出そうとするなど。しかし、実際に相手との稽古の中で行なってみるとその意識が出来なくなっている。それは、先生がおっしゃるには「出そうとしても出るものではない」からだそうだ。どうやら、深い呼吸をしていないとできないものらしい。なので、一人の稽古のときはリラックスしていることを感じながら息を一気に吐くということをしているのだが、このとき私は相手を意識できていない。相手に向かってやるものなのだから相手を意識できていないのならば、できていないことも当然だ。
 第二に、先ほども述べたが間合いだ。これに関しては本当に分からない。自分本位で行なっているからなのだろうが、出来る限り自分の剣の長さを意識して稽古している。
大石神影流剣術の剣は他の剣術より長い。これを私は意識して行っているがここでも問題になってくることは相手のことだ。一人のときは特にだが、剣の長さを意識するのは良いのだが相手のことを意識できていない。これにより、実践での間合いがさらに分からなくなっている。このせいで相手の剣に当たってしまうということがおきている。先生のおっしゃることには、型を頭で考えながらやっている限りは無理だということなのだが、要は私の稽古不足が原因だということである。これにはできる限り頭で考えないようにしながら自然に型のイメージトレーニングをすることで稽古している。
 第三に、足の動きや半身だ。私はどうやら自分の動きを止めようとするときに癖があるらしく、大概右足が横に向いてしまっている。このことは、相手に右足を向けるというように意識して稽古しているが相手をうまくイメージできていないこともあり、できていないことが多い。もう一つの半身だが、大石神影流剣術では左足をいつもより広く開く。これは半身によってなのだが、私は左足を意識してしまい半身がおかしくなっていることがある。これには大きく呼吸をし、腰を息にあわせて落とすことで対処している。だが、相手のことを意識しようとするとできていないときがある。
 第四に、楽な動きだ。先ほど意識していると述べたがそれは自分本位での動きをやっている限りおかしな方向に進むのではないかと思っている。楽な動きとは、隙が無いという上で自分が楽な動きをするということであって自分が楽な動きをして相手に隙をつくってしまうようではこれも本末転倒だ。楽な動きをするだけではなく、相手を意識することが重要になってくる。これの原因は私の稽古がおかしいからなのだろう。なぜなら、ちゃんと稽古がこなせていれば徐々に体は楽な姿勢になってくる。もちろん、相手を意識できていないことも原因だが、このことも原因だと考えている。
 第五に、先ほどからあがっている稽古不足と稽古がおかしいことだ。私はどうも自分で思っていることがちゃんとできていないようだ。言われたことを意識して稽古してはいるのだが、素振りをやっていなかったなど変なところで抜けていることがある。型はイメージトレーニングで補っているが私はイメージというものが苦手なのかもしれないとおもうことが多々ある。
これまでは自分の動きをできる限り型を全部で一つだというようにイメージしようとしていたがそこに相手のことが含まれていなかったり、往復でイメージができなかったりなどイメージが駄目なことがある。これはおそらく私の稽古が不足しているためイメージできないのではないかと思っている。実践でうまくいっていないのはそういうこともあるのだろう。要するには私のイメージ不足だ。出来る限り抜けることがないよう意識して稽古をしている。
 ここまで、私自身の問題点を述べてきたがそのどれもから分かるように私は相手のことを意識して稽古ができていないことと、稽古量が不足していることだ。もし、できていたならば起きなかった問題もあると思っている。第一に、これからは相手を意識していかなければならない。でなければ、それは実践ではなくなってしまう。それにともなって、私の稽古不足も大きな問題だ。相手のことを意識してやれてないこともあるが、楽な動きなどは数をこなせば身体に染みついてくるものだ。それにより、相手との間合いというものも対処ができていくものだと思われる。自分の稽古が抜けていないかどうかということも今まで以上に意識していかなければならない。
 私はこれらのことから大石神影流剣術では特に相手とのことを考えていかなければならないと思っている。これからは自分本位の動きではなく、相手との一体の動きを意識しつつ稽古をしていかなければならないと考える。そして、相手との一体の動きを意識しつつする稽古を増やし、稽古不足をなくさなければならない。

高知に行った時には細川義昌先生のお墓参りをしますが、ここがお墓のある山への入り口です。
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  1. 2014/05/27(火) 21:25:39|
  2. 昇段審査論文

大石神影流剣術論文

春の昇段審査、大石神影流剣術の2段の論文です。

「これまで修行上留意してきた事、今後留意しなければならない事」

  自分がこれまで大石神影流剣術の修行の中で留意してきた事、留意していかなければならない事は大きく分けて三つであります。

  まず一つ目は「呼吸」です。
あらゆる活動の源こそが「呼吸」で、大石神影流剣術の修行においてもすべての動きを「呼吸」に乗せて行い、呼吸で始まり呼吸で終われることを目指します。

臍下丹田を中心とした「肚」で、足から吸い足から吐き、「空よりも高く地面よりも低い」というイメージをもってより深く「呼吸」を行います。どんな動きしていても「吸うと吐く作用」を無限のリズムに乗せて途切れることなく行います。地球の重力とつながり常にできるだけ体を緩め、己を消しつつも指の先まで意識が回り「呼吸」で動くことを目指し、肚から呼吸で起こる気迫を体全体、刀、そして相手に伝えます。そして動く時も剣を使うときも体全体が調和します。更に、心の中に起こる「邪念」、つまり強く切ったり突いたりしたいといった意志や「型」にこだわってしまう心、わき起こってしまう悪い心などを「呼吸」で吐き出せるように練習します。
これからの留意していかなければならない事は、前に述べた「呼吸」をさらに深めていくことです。稽古の中で切ろう、突こうとして手を使ったり動こうとして足で床を蹴ったりして「呼吸」を忘れてしまい、呼吸が止まったり浅い呼吸になってしまったりします。さらに、足や背中に疲れがでたりすることもよくあります。こうした状況をへらしていくには、手や足などを使ってしまう外部的な動きをできるだけ小さくし、はらと深い呼吸を中心の内部的に動くことを無限に深めることに努めていかなくてはなりません。

  二つ目は「相手と想定」です。
 大石神影流剣術の形の稽古を行う上で「形の想定」と「相手の存在」は極めて重要です。
・形の想定
  大石神影流の形の稽古にはどれにも決められた手順があって,仕太刀と打太刀に分かれて相手と相互に行いながら大石神影流剣術の基本を身につけていきます。そしてその形を練習するうえで手順だけの「型」にしないで「形の想定」を考えることがとても重要です。  
例えば、形は手順が決まっているからから、それ以上に切り込まれたりすることはありませんが、形の想定は真剣を用いた戦いであり、そのための体を稽古する物です。相手の攻撃をかわした後や相手を切った後でも反撃されることがあること、または自分自身が攻撃後のさらなる攻撃、とった構えからのあらゆる攻撃、対応なども形になくても想定していなければなりません。
 剣術の時代がどういう時代だった考えることも大切です。もちろんその時代は現代のように夜には外の街灯もなく、,警察もいないし、危険から自分の身は自分で守らないといけません。また、戦いにおいても刀だけでなく槍や長刀、鉄砲、手裏剣、武器がなくても石を投げたり、かみついたり、武器を奪ったり、攻撃は様々ですそのようなことも知識を得ながら想定を深めていく必要があります。
・相手の存在
大石神影流剣術の形は相手と行いますがその「相手の存在」も重要です。
 相手との微妙な間合いについては、遠過ぎず近すぎず相手へ攻撃も撤退もできる距離であり「相手との駆け引き」でもあります。また形の中の間合いはそれがどういう意味をなしているのか、自分の動きが相手にどのように作用しているのかを考えなければならない場合もあります。
 相手への攻める気迫も大切で肚から剣の先まで気迫が伝わりそして相手にじりじりと伝わり、それをお互いに掛け合います。
 切り込む位置など、自分の切り込んだ刀の刃が相手に刃がどのように切り込まれているか相手の攻撃をどのように受け、かわしているかなどを考えるとともに、自分勝手になったり、相手に遠慮したりすることなく、「相手との呼吸」、「相手との調和」を目指し、さらに 相手の気迫や見えない動きを読み取って切り込むだり対応したりするための目を養うよう努めます。
 これから留意していかなければならない事は想定と相手との関係をより技見結びつけて実行することです。解雇の中で自分の中に手順が決まっていることの安心や相手への遠慮、形にこだわってしまう気持ちが存在しています。しかしその存在が稽古の意味を消し、成長を妨げ、そして最も危険で危ないものです。この危険な存在を忘れず、その存在に打ち勝って、自分の質を高めてゆきたいです。
  

  三つ目は人の言っていることの意味を良く聞き考えていることを読み取り、そして自分の技にいかせるように工夫していくことです。
 以前稽古中、先生に「教わった事はその場で吸収するように努めなけれまらない。なぜならお侍さんの時代は、一歩道場から出れば、切りあいになることもありうるし、すぐ身につけられなければ対応できずにきられてしんでしまうだけです。」という言葉を頂きました。剣術の成立の時代からして教わった技を形の中で一刻も早く身につけることはと手も重要です。現代においてそんな状況に出食わすことめったにありませんがその時代の人のように早く身につけることも剣術の修行の中で身につけなければならない能力の一つです。そしてただ見ためだけなど外部的な物や先生や兄弟子の方々の言葉や動きの見えるっところや聞こえるところだけではなく言葉の聞こえない部分が意味していること、体の内部の見えない動きを見取って読み取るように努めて、理論や自分の経験などに当てはめたり、一部的に考えたりせず全体として考え柔らかく考えなければなりません。
そしておそわったこと、考えたことを実行し、先生や兄弟子の方々の言葉をかみくだきながらみずから追求、工夫して自分の物にしていきます。そして自分が工夫を重ねていく中で、実際にその時代を生きてきた人などが残した文献などを読み解いていくことも必要です。
 内の状態を読み取る力を稽古の中で身につけることも大切ですが、普段の日常生活でもこの力を身につけ、働かせることが最も重要です。普段読み取る情報、先生の言ったこと、丘の言ったこと、人の言ったことの内の意味を理解することに努め、生活に生かしていくことがこれから深めるべきことです。

まとめ
 最後に、大石神影流剣術を修行してきて、これからも修行していくについて形の中で技を練習し高めていきますが、それを現代の生活に生かしていくことがもっと大切だと思います。大石神影流を問うして学び身につけたことを万が一の時に利用するのも一つですが体の使い方、モノの見方・考え方、心の持ち方、人に対する振る舞い、新しいことや見たことのないもの触れたことのない状況にでも順応することなど、生活と人間社会の中で自分を守り、人を守り、社会で生きていくことに出来るだけ利用していくことが何より大切であり修行の目的だと思います。
 また、人間には悪い心が起ります。修行の途中にも慢心など様々な悪い心が発生してきますが、それにはまってしまうと成長は止まり、危険な方向へはしってしまいます。だれにでもその悪い心があることを忘れてはいけません。そういった人間の黒い部分の存在も心にとどめて、人のためになるように、より高いところを目指し、それをより実現するために先生や兄弟子の方々の指導を受けながら自分を高める修行にしていきたい思います。


ここが細川家の墓地です。
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  1. 2014/05/28(水) 19:23:54|
  2. 昇段審査論文

時代違い

 高齢の先生方が話されることを妄信して、そのお話の中に出てくる先師のお話を、武術を行ずる者は斯くあるべしと妄信する事は危険です。高齢の方の先師であっても江戸時代に生きた方ではなく明治維新以降に稽古された方であるからです。
 たとえば稽古においても体調が悪かったり、病であったり、怪我をしたりしていても、それをおして稽古する事が良いことであるかのように言われることがありますが、江戸時代には体調が悪ければ「不快につき稽古休み」とか、怪我をしていれば「イタミショ、休み」というのは普通に記録に残っていることです。無理をしてさらに悪化させてはいけないので養生をしたのだと思います。
 明治維新以降に徴兵制度が入ってきてからの物の考え方は、それ以前と随分変わっているので、よくよく比較してみなければなりません。

細川家がある春野町はのどかなところです。
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  1. 2014/05/29(木) 21:25:09|
  2. 武道史

知識

  貫汪館の指導者の方には武道史や武道の伝書などの刊本、または廻国修行の日記の原本などを回覧していただいていますが、今後も続けますので勉強を怠らないでください。
 古武道は只実技が出来ればよいというものではなく、その時代背景や考え方を知らなければ、なぜこのような動きをしているのかわからないこともあります。そのためにも勉強は不可欠ですし、後進に、そのわけを教えることができなければ指導する立場にあるとはいえません。
 また、貫汪館は各支部もでき全国組織になりつつありますが、規約等をよく知っておかなければ今後組織の運営に困る事も出てきます。日本の都道府県の位置も頭に入っていなければなりません。
 かつて京都と広島の位置関係もしらず全国組織の運営に意見を述べている方がおられました。その組織に所属している人たちにとって残念な状況を見たことがあります。


細川家ものどかな場所にあり、今年は御家の周りで猫たちが遊んでいました。
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  1. 2014/05/30(金) 21:25:13|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

目付

 形・手数の稽古をする時、相手に集中すると考えて相手しか見えていないのは間違った目付です。相手を中心にはしますが相手の前後左右上下、さらには相手の心の状態、さらには現在・過去・未来にも目付が行われていなければなりません。
 今目の前にあるものだけしか見えていなければ変化に応じる事が出来ないのは当然です。


 お昼は高知城の近くのひろめ市場でカツオのたたき丼です。お店によって味が事なりますので調べていった方が良いです。
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  1. 2014/05/31(土) 21:25:56|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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