無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

謹賀新年

 新年を迎えました。今年も変わることなく稽古を重ね上達を続けていただきたいと思います。
 さて、昨年同様に暫くの間、天保14年に発行された『刀剣図考』という書に載っている拵の図を楽しんでいただきたいと思います。拵を作ろうとされる方は参考にしてみてください。今日から1週間くらい1作づつ載せていきます。

 今日は飯塚正宗刀と記されているものです。

1img292.jpg
1img293.jpg
  1. 2014/01/01(水) 07:30:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

来国光

 今日は家蔵の刀と記されているもので、来国光という銘の短刀の拵えです。

2img294.jpg
2img295.jpg
  1. 2014/01/02(木) 21:25:57|
  2. 武道史

見鞘刀

 今日は見鞘刀と記されているものです。見鞘は白布でつくると記されています。

3img296_20131229175010b11.jpg
3img297_20131229175011c33.jpg
  1. 2014/01/03(金) 21:25:15|
  2. 武道史

尾張國海東郡

 今日の刀は埋まっていたものを掘り起こしたものでしょう。私の住んでいる宮内は毛利と陶の河川でっも戦場になり、第二次長州征伐でも戦場になったところで、荒神さんと呼ばれる石積みがいくつもあります。その下から刀と鎧を掘り出した人がいるようですが、やめたほうがよいでしょう。

4img298_20131229175011182.jpg
4img299_20131229175012584.jpg

 父の家に咲いている蝋梅です。
roubaiDSC04714.jpg
  1. 2014/01/04(土) 21:25:04|
  2. 武道史

加藤清正刀

 澁川一流柔術の稽古は明日6日(月)から、無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古は8日(水)から始まります。


 今日の絵には加藤清正刀と記されています。

5img300.jpg
5img301.jpg

 昨日、極楽寺山に登り撮った写真です。かすんでいました。
miyajimaDSC04726.jpg
  1. 2014/01/05(日) 21:25:34|
  2. 武道史

讃岐國高松海中

 今日の絵は讃岐國高松の海中から出た剣と河内國古市郡杜本社蔵の韴霊とされる剣です。

6img302.jpg
6img303.jpg
  1. 2014/01/06(月) 21:25:08|
  2. 武道史

田村麻呂剣

1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



 今日は坂上田村麻呂の剣と記されています。坂上田村麻呂は高名であるので同じ時代のものをそのように呼んだものがあるかもしれません。

7img304.jpg
7img305.jpg
  1. 2014/01/07(火) 21:25:41|
  2. 武道史

弘法大師所持「請雨剣」

1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/


弘法大師所持「請雨剣」です。いかにも密教の趣があります。拵えは今回はこれで再尾です。また次の機会に。

8img306_20140102111400c39.jpg
8img307_201401021114017a3.jpg
  [弘法大師所持「請雨剣」]の続きを読む
  1. 2014/01/08(水) 21:25:23|
  2. 武道史

修行者宿について 1

1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



 幕末、廻国修行者が各地の藩を訪れて試合をする時、修行者の便宜を図るために修行者宿が藩によってもうけられ、その宿泊費等を修行者ではなく試合を受け入れる藩が持つという制度がありました。この制度について、現在の教育問題と強引に結びつける必要があった文章を書いていますので、数回に分けてご紹介します。

Ⅰ はじめに
 高等学校の部活動では体育系の部活動はもちろん文科系の部活動においても他県に出向いての練習試合や交流が行われている。他地域の生徒との交流は生徒の見識を広める上で非常に重要なことであるが、その費用は生徒・保護者にとって大きなものであり、家庭の経済状況によっては他県への遠征が伴う部活動には参加できない生徒がいる。
 私はこれまで現代の教育について江戸時代の教育を研究することにより、その問題点や特質を明らかにしようとしてきた。本論では部活動における他県との交流における金銭的な問題を幕末に行われた廻国修行との関連から探っていきたい。

fujii3DSC_0187.jpg
  1. 2014/01/09(木) 21:25:05|
  2. 武道史

修行者宿について 2

1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



Ⅱ 廻国修行と修行者宿

 廻国修行とは武術や学問において自己の技量の向上のために他流派との試合を重ねながら、あるいは各地の高名な学問の師に学びながら他国を廻ることであった。江戸時代は幕藩体制をとっており異なる藩の武士の交流はなかったように思われるが、廻国修行を通じて各藩の武士や幕府に仕える武士との交流がなされており幕末に活躍した武士にもまた廻国修行を経験した者が多かった。たとえば長州藩の木戸孝允は嘉永5年(1852)に江戸の神道無念流齋藤弥九郎に入門するために江戸に向かう道中で剣術の廻国修行を行っており、高杉晋作もまた文久元年(1861)に東北地方への廻国修行を行っている。土佐では武市半平太が万延元年(1860)に中国地方から九州に掛けて廻国し、岡田以蔵もこれに同行している。現在の高校生が他県に赴き試合や交流をするように幕末の武士にとっても他藩の武士との交流は自己の成長のために欠かすことができないものであった。
 幕末における廻国修行は文化・文政のころから始まり盛んに行われた。また主として徒歩により廻国が行われたため数ヶ月から数年の廻国の日数を要し、廻国にかかる費用は大きかった。
 修行者宿はこの費用を軽減するため各藩に設けられたもので、他国からの修行者が滞在する宿を藩が指定し、そこに宿泊した場合には藩がその費用を負担し他国からの修行者の負担を軽減する制度である。
廻国修行において修行者の金銭的な負担の軽減がどのように行われたのかを土佐の樋口真吉の日記と高槻の藤井又一の日記から修行者宿を中心に見ていきたい。 

       higuti1DSC_0003.jpg
  1. 2014/01/10(金) 21:25:34|
  2. 武道史

修行者宿について 3

1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。

http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



Ⅲ 樋口真吉の廻国修行に見る修行者宿について

1.樋口真吉について

土佐藩士樋口真吉(1815-1870)は土佐中村で足軽樋口信四郎の子として生まれるが、剣術修行と門人の育成によって褒辞(武芸・学問多年出精)を藩主より授かり、以後、白札以下剣術寄合稽古世話役、文武方下役加役並教授方證據役、御勘定人加役兼厩方證據役、鋳造局下役加役、徒士目付役格式御用人へと進んだ。
樋口は天保8年(1837)、天保11年(1840)、弘化4年(1847)、嘉永2年(1849)、嘉永5年(1852)と5回廻国修行している。このうち詳細な日記が残されているのが天保8年(1837)と嘉永5年(1852)の廻国修行である。
天保8年の廻国修行は無外流の師に以下の内容の質問状を出して破門になったことにより、良師を求めての廻国であった。無外流は土佐でもっとも盛んな流派であったが、因習にとらわれ、試合稽古で突き業は行わず、構えは上段のみ、また他流試合を禁止していた。
①「其一ハ形ニ突を教へ、勝ロニ是を許さす」
 ②「二ニハ下段を伝て下段を禁す」
 ③「三ツニ他流試合を制す」
樋口は廻国修行のなかで柳河藩の大石進に入門し、免許を得、以後土佐で大石神影流を指導している。

     mennjyouDSC00345.jpg

  1. 2014/01/11(土) 21:25:24|
  2. 武道史

修行者宿について 4

1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。

http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



2.天保8年(1837)の廻国修行

天保8年(1837)の樋口真吉の廻国修行は桑原恒政を同道し9月23日に土佐・中村を出発し、九州と中国地方を廻った。行程を以下のようにまとめることができる。

9/23,土佐・中村発 → 9/26,宇和島 → 10/1,八幡浜 海路 → 嵯峨の関 → 10/2,鶴崎 → 10/5,府内 → 10/11,熊本 → 0/15,島原 → 10/17,長崎 → 10/22,諫早 → 10/26,三池宮部(大石進住居)→ 11/28,宮部出発 → 11/29, 久留米 →12/3,小倉 →12/6,長府 → 12/7,小郡 → 12/10,岩国 → 12/12,宮島 → 12/16,尾道 → 12/19,多度津・金毘羅 → 12/22,徳島 → 12/28,安喜 → 1/5,中村着 
 上記の行程で廻国の費用が軽減されたと思われる記述が2箇所ある。
ひとつめは柳河藩の大石進のもとでの稽古で宿泊した宿の記述、「三池町島原屋忠七(修行者定宿)」である。これが修行者宿であり柳川藩の指定の宿である。通常修行者宿の宿賃はその藩が負担した。
十月廿六日
前略…即門人案内を以て大石の宅へ行、先生要用有て城下へ立越(實先生出足也)、よってまた樺島案内ニて三池町島原屋忠七(修行者定宿)ニ行ク、里数四里半

次に小倉において廻国の費用が軽減された記述がある。青柳彦十郎は小倉藩士であるが藩としての修行者宿はなく滞留中青柳氏より賄も有とあることから青柳個人が滞在費の負担をしたものと思われる。
十二月四日
前略…先生新以心流、畢ニ相手アル、ミナ超越の遣人モナキト思ハル、姓名繁多、別怗ニ識、宿ニ帰り入湯の時、又々廣木、其余三士宿ニ来ル、挨拶ある、滞留中青柳氏より賄も有、黄昏雨降初

以下の記述は同道の桑原が廻国中、資金が乏しくなった記述である。資金難は江戸時代にも課題であった。
十二月廿一日
前略…時恒政遥先ニアリ、漸ニ追付事ヲ語る、恒政曰、路用乏して如何、思案未決、予曰、足下は帰国ヲ急申へし、余ハ残ルト、於是別桑原氏

日記の記述からは天保8年(1837)には各藩の修行者宿は十分に整っていない。この当時は土佐藩においても藩として他流試合を認めておらず宇和島藩でも同様であり、廻国先の藩が廻国修行者に便宜を図るという体制はほとんどなかったものと思われる。
柳河藩に修行者宿が存在したのは柳河藩が他流試合の先進地であり、先述した大石神影流の大石進は天保4年(1833)に江戸で千葉周作などの高名な剣客との試合でこれを破っており他藩から修行者や入門者が多く集まっていたこと、同じく大嶋流槍術師範の加藤善右衛門も他流試合をなす高名な師範であったため全国の59の藩と天領の長崎から446名の留学生が入門し、修行者が押し寄せていたことに起因すると思われる。


higuchi2DSC00251.jpg

  1. 2014/01/12(日) 21:25:14|
  2. 武道史

修行者宿について 5

1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



3.嘉永5年(1852)の廻国修行

 嘉永5年(1852)の廻国修行は江戸から土佐藩に招聘された剣術家石山孫六と樋口の門人の山崎・桑原、文学(学問)修行の遠近晋八を同道した。九州を廻国したのち江戸まで赴いている。行程を以下のようにまとめることができる。5/10,土佐・中村発 → 5/12,宇和島 →5 /22,鶴崎,府内 → 5/26,岡 →6/4,三池宮部→ 6/11,熊本 → 6/13,島原 → 6/16,長崎 → 7/1,大村 → 7/3,武雄 → 7/6,小城 → 7/7,佐嘉 → 7/11,柳河 → 7/26,久留米 → 8/2,小倉 → 8/4,長府 → 8/6,吉田 → 8/10,萩 → 8/19,山口 → 8/23,徳山 → 8/25,岩国 → 8/28,宮島 → 9/5,大坂 → 9/13,京 →9/18,津 → 9/21,伊勢 → 9/27,三河吉田 → 9/29,濱松 → 10/4,箱根 → 10/6,江戸石山孫六方 → 1/27,江戸出発 → 鎌倉 → 箱根 → 大津 → 奈良 → 吉野 → 大坂 → 丸亀 → 内子 → 大洲 → 3/6,中村着

 試合を行った地での修行者宿についての記述を日記からひろいあげ、以下にまとめた。
 宇和島には5月12日から17日にかけて裏町八幡屋茂平と島屋に滞在し試合をするが「伊達侯御賄ナリ」とあることから宇和島藩が滞在費を負担している。
府内には5月22日から24日まで滞在し試合したが音羽屋昇六方に滞在しており、「三日之間賄出る」とあることから府内藩が滞在費を負担している。
岡には5月26日から29日まで笹屋孫助に滞在して試合したが、「滞留中御賄」とあり岡藩が滞在費を負担している。
 三池宮部は樋口真吉の師である大石進の居住する地である。ここでは6月4日から10日まで三池町村田屋に滞在している。自分のための稽古であり試合ではないため滞在費は自己負担であったと思われる。
 
ー続くー

     higuchi3DSC_0153.jpg
  1. 2014/01/13(月) 21:25:42|
  2. 武道史

修行者宿について 6

1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



 島原には6月13日と14日は諸國屋に滞在して試合したが「逗留中御賄なり」と記しており島原藩が滞在費を負担している。
 長崎では6月19日から29日まで滞在し試合と観光をしたが幕府直轄地であるためか修行者宿の記述はない。
 大村には7月1日から2日にかけて修行者宿松尾寅蔵方に滞在し試合したが、「滞留中侯より御賄」と記し、大村藩が滞在費を負担している。
 武雄には7月3日から4日にかけて滞在し試合した。宿名は記されていないものの「御賄也」と記され、武雄領主が滞在費を負担していることがわかる。
 小城には7月6日から7日にかけて金居屋に滞在して試合したが「滞留中御賄出る」とあり小城藩が滞在費を負担している。
 佐嘉には7月7日から9日にかけて白山町文武屋に滞在し試合した。試合前には「午飯を出ス、握飯也」とあり藩が食事を出し、試合後には「終て浴處ニ誘、好湯殿也」と汗を流す場が提供されている。また、「夜学館より酒肴贈り来る」「修行帖持て役人壱人来リ挨拶として茶菓子を齎す」と厚いもてなしを受けている。
 
ー続くー

higuchi4DSC_0175.jpg
  1. 2014/01/14(火) 21:25:18|
  2. 武道史

修行者宿について 7

 1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



 柳河には7月11日から26日まで肥前屋に滞在しながら試合をし、親交を深めているが「柳川滞留十六日之間御賄」と記し、柳河藩が滞在費を負担している。
 久留米には7月26日から29日にかけて修行者宿薬店に滞在して試合したが、「両日御賄也」と記し、久留米藩が滞在費を負担している。
 小倉には8月2日から4日にかけて室町仲原屋に滞在して試合したが、試合相手の話として「当家ハ賄等之仕出もなく且往来繁多之場所ニ而社中賄も行届不申候、御自力滞留被下候へ御願申度と云」と記し滞在費は自己負担であった。
 長府には8月4日から6日にかけて修行者宿村屋忠蔵に滞在して試合したが、滞在費については記されていない。あえて修行者宿と記していることから長府藩による滞在費の負担はあったものと考えられる。
 吉田では8月6日から8日にかけて滞在し、笹尾羽十郎門下と試合した。ここは吉田駅であり藩ではないが、「宿ハ笹尾氏ノ賄ナリ」と記し、笹尾羽十郎個人がが滞在費を負担していることがわかる。
 萩には8月10日から21日にかけて山下某に滞在して試合した。滞在費に関する記述はないが、藩指定の記述があることから滞在費は藩の支出であろう。
 山口には8月19日から21日にかけて滞在し試合した。「中座某ニ宿ス、則修行者宿也」とあるが滞在費については記されていない。修行者宿とあることから滞在費は藩の負担であると考えられる。

higuchi5DSC_0213.jpg
  1. 2014/01/15(水) 11:15:28|
  2. 武道史

修行者宿について 8

1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



 徳山には8月23日から24日にかけて修行者宿大福屋に滞在して試合した。「滞留中御賄」とあることから徳山藩が滞在費を負担している。 
 岩国には8月25日から28日にかけて魚屋庄兵衛方に滞在して試合したが、修行者宿とも記されておらず滞在費は自己の支出であったと考えられる。
 9月11日には大坂城代屋敷で試合したが滞在費についての記述はなく、天領である長崎と同じように自己負担であったと思われる。
 伊勢の津には9月18日から21日にかけて立町油屋善二郎に滞在し試合した。滞在費について記されてはいないが、「石山氏へ金百疋、予等へ金二百疋ヲ贈り来ル」とありお金を贈られたことを記している。また、のちに土佐藩に提出した書類には「私共儀武藝為詮議諸国遍歴申中、諸家様ニおいて御扱被仰付候兼々別帋(紙)之通御座候、尤修行者之儀ハ試合中御賄被仰付候儀多分如御通例与奉存候得共、就中中川修理太夫様・立花左近将監様・松平大膳太夫様・籐堂和泉守様よりハ格外の御取扱被仰付候間、此段御届申上候、以上」と記し、豊後岡藩、柳河藩、長州藩、伊勢津藩での待遇が格別によかったことを述べている。
 三河吉田には9月27日から29日にかけて舛屋と中西某に滞在して試合をしたが修行者宿とも記しておらず、滞在費については記されていない。
 江戸では多くの試合をしているが同行した石山孫六の屋敷に滞在しており滞在の費用はかかっていない。江戸からの帰路は試合をしていない。
 以上のように嘉永5年(1852)の時点では多くの藩で修行者宿を設けており、廻国修行者の負担を軽減していることがわかる。天保8年(1837)から嘉永5年(1852)の15年間に廻国修行者の置かれた状況が変化しており、廻国が容易になったと考えられる。


higuchi6DSC_0233.jpg
  1. 2014/01/16(木) 21:25:46|
  2. 武道史

修行者宿について 9

 1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になりお申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/



Ⅲ 藤井又一の廻国修行に見る修行者宿について

1.藤井又一について

高槻藩士藤井又一(1836-1915)は高槻藩士藤井竹外の長男として生まれ、安政4年(1857)に柳河藩の大嶋流槍術師範加藤善右衛門に入門し、安政5年(1858)9月に免許を授かった。加藤善右衛門は試合槍術の名人であり全国の藩から遊学するものが多かった。藤井又一は加藤に入門する前に既に高槻において無邊流槍術を、大阪玉造で佐分利流槍術を学んでいるので試合槍術の技術を磨きたかったものと思われる。
 藤井又一は柳河滞在中に数度の廻国修行を行っているようであるが現在残っている廻国修行の記録は安政4年(1857)の『修行廻国中日録』と安政5年(1858) の『記録』である。また安政二乙夘歳四月の日付がある『鎗術廻國修行便覧』には中国・四国・九州の槍術の他流試合を引き受ける師範と修行者宿が記入されており、これを手にして廻国したものと思われる。

binnrannDSC_0181.jpg
  1. 2014/01/17(金) 21:25:31|
  2. 武道史

修行者宿について 10

2.安政4年(1857)の廻国修行

 安政4年(1857)の廻国修行は九州で次のような行程で行われた。

10/25,柳河発 → 10/26,熊本 → 11/5,延岡 → 11/10,高鍋 → 11/12,佐土原 → 11/14,清武 → 11/17,飫肥 → 11/24,人吉 → 11/29熊本 → 10/26,柳河着
これらの試合を行った地には全て修行者宿が設けられていた。日記の記述には次のようにある。
熊本「夕方熊本、修行者宿新坪井二丁目修行者宿野口和作方宿也」
延岡「夕方延岡南町吉野家武兵衛修行者宿」
高鍋「七ツ時分高鍋来、修行者宿福田順介着」
佐土原「七ツ過佐土原修行者宿江着」
清武「夕方清武修行者宿着」
飫肥「七ツ時分飫肥修行者宿本町河野幸兵衛へ着」
熊本「其夜五ツ時分是迄大ニ是(註:暮カ)ル、熊本坪井野口和作宿へ着」
行程中、試合を行ったところには全て修行者宿が設けられており修行者の負担は大いに軽減されている。

     fujii1DSC_0094.jpg


  1. 2014/01/18(土) 21:25:51|
  2. 武道史

修行者宿について 11

3.安政5年(1858)の廻国修行
安政5年(1858)の廻国修行は九州で次のような行程で行われた。

4/6, 柳河発 → 4/6,久留米 → 4/11,佐賀 → 4/16,鹿島 → 4/19,諫早 → 4/22,島原→4/26,長崎 → 5/2,大村 → 5/6,平戸 → 5/11,唐津 → 5/14,福岡 → 5/18柳河着
これらの試合を行った地には全て修行者宿が設けられていた。日記の記述には次のようにある。
久留米「七ツ時分久留米修行者宿へ着」
佐賀「七ツ時分佐賀文武屋へ着」
鹿島「夕方鹿島修行者宿紅屋着」
諫早「修行者宿へ着」
島原「九ツ時分島原修行者へ着」
大村「七ツ時分大村へ着船ス、修行者宿着」
平戸「九ツ時分平戸手前渡海有、其より修行者宿へ着」
唐津「八ツ半時分唐津修行者宿濱屋へ着」
福岡「七ツ時分ハカ多町中嶋二口屋修行者宿江着」
安政5年(1858)の廻国でも行程中試合を行ったところには全て修行者宿が設けられており修行者の負担は大いに軽減されている。

fujii2DSC_0259.jpg

  1. 2014/01/19(日) 21:25:35|
  2. 武道史

修行者宿について 12

 今日でおしまいです。かなり強引に現在の教育と結び付けてまとめにしていますが、教育関係の団体に提出した文章なのでお許しください。

Ⅳ まとめ

 幕末の廻国修行は日本に外国船が接近しつつあるころに始まり明治維新に至るまで続いた。各藩に所属する武士は廻国修行を通じて武術以外の情報や意見をも交換し自己の見識を広めた。またさらにその情報を自藩にもちかえり幕末の国難にあたることができた。修行者を受け入れる藩は修行者の技術や見聞を自藩の者に学ばせるため、他藩の者に修行者宿を提供し修行者の負担を軽減することによって交流を進めた。
 現在においても高校生が部活動で他県に赴き、他県の生徒と交流を持ち、部活動以外の見識を広めることは将来の日本にとっても大切なことだと考える。しかし、負担が大きすぎ部活動をやめざるをえない生徒も見てきている。
 幕末の藩が設けた修行者宿のような制度が各県に設けられ、生徒の負担を軽減することができればより多くの生徒が見識を広めることができ、そのことが日本の将来に大いに役立つのではないだろうか。

主要参考文献
四万十市立郷土資料館所蔵 樋口真吉関係文書
高槻市立しろあと歴史館所蔵 藤井又一関係文書
福岡県立柳川古文書館所蔵 伝習館文書
大牟田市大石家文書 『諸国門人姓名録』
『幕末における武術廻国修行の実態―旅日記と交友録』,村林正美著,愛知文教大学発行, 2005年
『大日本諸州遍歴日記』野中素、藤原左右一著、諫早郷土史料刊行会、1994
  1. 2014/01/20(月) 21:25:55|
  2. 武道史

 
 我、人に勝つ法を知らずと言えど
   己の至らざるところを知る法を得たり

 されば我が門に学ぶ者は
   人に勝つ法を求めず、己の至らざる所を知ることに努めよ

 




 
 また、前庭の生け垣の中になっていました。鳥が実を落としたのだと思います。
1DSC04753.jpg
  1. 2014/01/21(火) 21:25:11|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

横浜講習会

 1月19日(日)に横浜支部において講習会を行いました。午前は大石神影流剣術の構えと、素振り、試合口5本、陽之表十本のうち五本までの稽古を行い、午後は無雙神傳英信流抜刀兵法の詰合いの稽古を行いました。
 今回の受講者の皆さんは素直な方ばかりで気負うことなく柔軟に講習をを受けていただきました。お気づきになったかどうかはわかりませんが、全員、朝、稽古を始めた時よりも確実に上達され、それぞれの流派の求めるところを身に着つけておられました。
 また今回も劇団夢現舎の皆さんに講習会に参加していただきましたが、真摯に取り組まれる姿はいつもながら素晴らしいものがありました。

 次回の横浜講習会は2月11日(火・建国記念の日)午前9時~12時まで大石神影流の構え・素振り・試合口5本・陽之表十本すべてを稽古する予定です。横浜支部のホームページからお申し込みください。


 昨年のクリスマスの前から前庭は緑と赤のコントラストが鮮やかです。
2DSC04756.jpg
  1. 2014/01/22(水) 21:25:38|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日数があいた後の稽古

 年末年始やお盆などの間に稽古をしていないと、人によっては自分の動きにかなり違和感を感じてしまうことがあると思います。そのような方はまだまだ業が身についていない状態にあります。反対に稽古していない期間があっても何事もなかったかのようにもとの動きができる人は業が身についている人ということになります。
 違和感を感じてしまう方は武道の動きが日常生活と異なる筋力等を必要とする動きになっているため、稽古をしない期間が長くなると所謂体がなまる状態になってしまうのです。武道に用いる動きも無理無駄がなければ日常生活のレベルの動きと変わらなくなります。そのようになることを上達といいますので初心の方は真の上達を目指して稽古してください。

 雪が降った時に多くの葉は凍り付いていましたが、花が咲いていました。
3DSC04760.jpg
  1. 2014/01/23(木) 21:25:24|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武道における礼について

 澁川一流柔術1級の女の子の課題作文です。日頃から真摯に稽古に取り組んでいる子ですので得ていることも大きいと考えます。

 私は、礼ひとつひとつが感謝を表していると思います。礼だと例えば、道場に入る時は、「使わせて頂きます。」出る時の礼は、「使わせて頂きました。」という気持ちを示していると思います。他にも一番始めと終わりや、柔術の形を行う始めと終わりの礼は、口に出しているように「お願いします。」「有難うございました。」と感謝を伝えていると思います。また、礼には行う順番があったり、柔術の礼のように、身をしっかり守りながらしたりするので、昔から様々なところで多く用いられてきたのかなと思いました。
 さらに、礼をすることによって感謝だけでなく相手への尊敬も示すことができると思います。これからも「感謝」と「尊敬」の心を忘れずに、稽古に一生懸命はげみたいと思います。


 昨年から枯れずに残っている雑草に花が咲いてました。
4DSC04761.jpg
  1. 2014/01/24(金) 21:25:18|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

居合

 澁川一流柔術には居合という技の項目が二つありますが、抜刀術についてではなく、素手で刀に対処する「居合」の稽古について述べます。
 「受」が刀を持った時には、これまでとは間合が異なり、慣れない間合で刀に対処しなければならないため,どうしても刀の動きに目を奪われがちです。しかし捕らなければならないのは「受」の手首ですので刀の動きに目を奪われていては自分は相手の刀に心を奪われてしまう事になります。所謂遠山の目付を用いますが、居合の初心者の方はまず相手の体の動きが見えるように稽古を進めてください。

 梅の蕾が大きくなっています。
5DSC04764.jpg
  1. 2014/01/25(土) 21:25:23|
  2. 柔術 業

理兵法

 年齢を重ねた方が稽古を始められたときに陥りやすいのが理兵法です。若い方であればとにかく稽古をさせて体で覚えさせることや、見てとらせることが可能なのですが、年齢が高くなって稽古を始められた場合には何らかの手がかりを与えなければ何もつかまれないので理を説明する事があります。
 しかし、これまでの人生で何かをつかんできていると思っている方や、自分の考え方に信を置いている方に限って、理を聞いてその理を自分自身で言えるようになったら自分が動けるようになったと勘違いされ上達からは遠ざかってしまいます。
 そのような傾向がある方だとわかった時には、理を教えずに、ただ行っていただき、迷いながら稽古をしていただいたほうが早道であろうと思います。

 裏庭のポポの芽もふくらんできました。
6DSC04771.jpg
  1. 2014/01/26(日) 21:20:25|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

シンプルな形

 澁川一流柔術の形や無双神伝英信流抜刀兵法の形、さらには大石神影流の手数も貫汪館で稽古している流派は形の手順が非常にシンプルで動きが少ないものが大半です。
 手順が多くある形であれば、そのなかで、次、次とつながって気を抜く事はありませんが、動きが少なければすぐに終わってしまうためか形の後で気を抜き、いわゆる残心が抜けた動きになる人がいます。
 残心があれば何か起こった場合には次につながるのですが、残心がなければ、その時には自分は死体でしかありません。何か起こる前に既に自分は敗れています。形稽古であるために何事も起こりませんが、実際の場面では危ういものなのです。
 貫汪館の流派の稽古では特に残心を大切にしなければなりません。


 先日、横浜講習会に行った時に見た富士山です。
fujiDSC04789.jpg
  1. 2014/01/27(月) 21:25:40|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

知らないことのほうが多い

 世の中には自分の知らないことのほうが多く存在します。大部分は知らないことだといっていいと思います。ところが大部分は知っているのだと勘違いする人もいます。
 もうずいぶん前のことで私が全く何も知らない高校生のころですが、刀を持つときに左手は柄頭を包むようにもつのかあるいは柄頭は余して持つものなのかという議論を呼んだことがあります。その当時は大石神影流の稽古はしておらず、刀を扱う私の基準は無雙神傳英信流にありました。無雙神傳英信流では左手が柄頭を包むような持ち方はしませんので柄頭を包むような持ち方はしないものだと思ったことがあります。しかし大石神影流の附けの構えに見るように柄頭を包むような持ち方もあり、流派によって様々だというのが正解なのです。中子が短い刀であれば柄頭を持てば柄を損なうこともあるのでしょうが、中子が柄頭近くある刀であれば、そうはなりにくいのだと思います。流派によって刀の好みもあるのは、その流派の遣い方によるものです。
 世の中には自分が知らないから存在しないとか、創作であると決め付ける人もいますが、そのような心では不測の事態に対処しなければならない武道の上達は難しいのではないかと思います。


横浜からの帰りに見た関東平野です。
kanntouDSC04793.jpg
  1. 2014/01/28(火) 21:25:46|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

知らないことのほうが多い 2

 昨日の続きの話ですが、自分が知っていることが全てであると思い、他の人が言っていることが理解できず、うかつにそれは存在しないと思い込む事は非常に危険なことです。
 初代の大石進先生が始めて江戸に出て試合をしたときには、それまでに見たこともない、飛び回るような流派や、地に伏せるような構えから急に飛び上がって打ち込む流派があったということです。そのようなものは剣術ではないと思い込んでいれば対応はできなかったでしょうし、簡単に負けていたかもしれません。
 貫汪館で稽古される方は、知らないことのほうが多いのだと思い、不測の事態に対処できるような心構えをしておかなければなりません。


関東平野を過ぎると山の上には雪が積もっていました。
kanntouDSC04795.jpg
  1. 2014/01/29(水) 21:25:06|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

知らないことのほうが多い 3

 武道史の研究をしていると、こんなこともあったのか、こんな事実もあったのかと驚かされることがあります。
 20年位前に難波一甫流の調査をしていたとき難波一甫流の一大勢力があった旧沼田郡阿戸村の阿戸明神にかかっていた幕末の小さな奉納額を見たことがあります。それには神道流・難波一甫流の流名がありました。阿戸明神は難波一甫流の大師範であった宇高家のすぐそばにありますので、神道流と称しているのは神道流剣術であろうと思いましたが、核心はありませんでした。広島に神道流として伝わっていた記録があるのは神道流槍術です。
 ところが先日、日本武道学会中四国支部会で発表したように広島では神道流柔術も稽古されていました。明治以降の記録に全く載っていない柔術流派です。その奉納額に対する考えを改めなくてはならなくなりました。

DshintouSC03315.jpg
  1. 2014/01/30(木) 21:25:49|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

知らないことのほうが多い 4

 毎年年末に奉納演武をさせていただく廿日市天満宮の境内に廿日市で世保流柔術を教えていた河内次郎の石碑があります。世保流は戦後しばらくは教えられていたようですが、現在は稽古していた人の存在もわかりません。
 石碑には河内次郎が世保流を習った師匠の名や、さらに物外について免許を授かったことなどが記されています。
 また、世保流については戦前に刊行された書籍に、その系図は清和源氏からと記されており、流派の歴史は仮託であろうとおもっておりましたし、流派名も「世を保つ」という意味にとれ幕末の流派であろうと思っていました。
 しかし、鈴尾家文書によって新たなことがわかりました。これまで考えたこととは違う視点から河内次郎を考えねばならない資料です。河内次郎が廿日市に道場を構え渋川流を教えていたのです。渋川流の痕跡は現在廿日市にはありません。なぞが新たに生まれました。

kouchi1DSC03313.jpg
kouchi2DSC03314.jpg
  1. 2014/01/31(金) 21:25:01|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

FC2カウンター


無料カウンター

プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

カテゴリー

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

最近の記事

月別アーカイブ