無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

比較文化学類 独創的な教育プログラム「古武道」

28日(木)の筑波大学武道館古武道場で比較文化学類 独創的な教育プログラム「古武道」が行なわれ、私と横浜支部長が指導に行ってまいりました。
 受講生は大半が留学生の方で、約30名が熱心に古武道と大石神影流の成立に関する座学、大石神影流の手数の実習に取り組んまれました。約15分間のパワーポイントによる説明の後、構え、素振り、試合口、陽之表に取り組んでいただきましたが、呼吸と動きの関係や、各技の動きの細部に至るまで興味を持たれ、質問されながら、また短時間によく理解されながら2時間の体験を終わりました。
 今回は頭がきれる人たちは習得も速いという感想を持ちました。「頭が良いから駄目だ」というのは師から私自身が聞かされた言葉で、駄目な頭の良さは頭だけで考え理論ばかりでそれを実行することができないのですが、今回感じた頭の良さとは理論を体の動きにうつす事ができる頭の良さの事です。しかも今回の受講生のほとんどは武道の経験がない方でした。それも良かったのかもしれません。下手に現代武道の経験があればその経験に依拠して物事を考えてしまいますが、その経験がないので素直に指導通りにできたのだろうと思います。
 上記のような頭の良さは歓迎されるべき頭のよさです。
  1. 2013/12/01(日) 18:29:22|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

防具着用稽古

 土曜日の稽古で防具着用の稽古をいたしました。大石神影流は試合一方で、形無しの講道館柔道のような存在だと思われがちですが、大石進は手数(形)を重んじ、試合の前には必ず手数の稽古をしたと伝えられ、その門人にも手数の稽古をさせています。約八十本ある大石神影流の手数もそれ故に現在まで残されています。
 さて防具着用の稽古ですが、稽古された皆さんは手数の稽古は積んでいるものの、現代剣道の経験はない方がほとんでした。
 間合の感覚がわからないという心配もしましたが、それは杞憂であり、しっかりとした間合で稽古できたのはこれまで手数の稽古を積まれた成果であると思います。また私が事前に想像していたように現代剣道とは異なった下の絵に似た動きとなっていました。今後も防具着用の稽古は続けたいと思っています。
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  1. 2013/12/02(月) 21:25:30|
  2. 剣術 総論

貫汪館居合講習会

 1日(日)に貫汪館居合講習会を行いました。午前中に太刀打、午後に大石神影流試合口と詰合の稽古を行いました。今回の講習会は経験者がほとんどであったために内容の濃い稽古ができたように思います。
 午前中は立ち姿勢の稽古であったため、自分自身の力みの程度がよく理解できたと思います。無雙神傳英信流抜刀兵法で大切なことは天地の線に沿って力みを抜いていくことで、これがある程度できるようにならなければ基本が身についてきたという事ができません。形の手順はそのうち身についてくることですので形の稽古をしながら先に述べたことを稽古しなければなりません。形は最終的には離れるためにあるのですが、そのためには基本が大切になります。
 午後の詰合は立膝からの動きが多いのですが、せっかく座して重心が床下におりても、さて何かしようという時になると床をけって動く体遣いへと変わっていました。あくまでもすべての動きは座して床に体を預けきった体の状態で動く工夫をしなければなりません。
 稽古を重ねてください。明日から暫くの間講習会で気づいたことについて述べていきます。
 
 
  1. 2013/12/03(火) 21:25:09|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

「出合」「附入」の足運び

 無雙神傳英信流 太刀打の「出合」「附入」の足運びについて記します。
 「出合」「附入」の足運びは奥居合の「虎走」と同質の動きをしなければなりません。つまり鼠蹊部、膝、足首を緩め体は全て床にあずけきります。わずかに重心を前に移すと足は自然に前方に運ばれ、前に進もうと思わなくても体が自然に前に進みます。重心を前に移しても体が進み始めない方は次の点を確認してください。

 立ち姿勢で体を脚が支えていないか。つまい脚力で立ってはいないか。
 前に進む1歩目が出た時にその足で床にブレーキをかけていないか。

 上記の2点が動きの邪魔をするところですので上手くいかない人は確認してください。
  1. 2013/12/04(水) 21:25:00|
  2. 居合 業

「出合」「附入」の構え

 昨日は「出合」「附入」の足運びについて述べましたが、今日は「出合」「附入」の構えについて述べます。
 鼠蹊部、膝、足首を緩め体は全て床にあずけきっててもなおかつ硬さや強張りが残るのは刀の構えようが悪いからです。刀の構えようといっても鞘の内にありますので鞘の保持が悪いと言ったほうが良いかもしれません。
 刀は肚前にやや刃を寝せて保持しますが、ただ刀を腰に持っていけばよいのではなくそこにもっていくための上半身の遣いようがあります。
 鞘手はへそ下から肩甲骨の下わき下上腕部の内側、前腕部の内側とつながるラインをもちいて内へ回転させ、鯉口を臍前に位置させます。このとき「引き寄せる」という感覚があったら上半身は形枚足運びに悪影響を与えます。ただしく鯉口が臍前に位置したら刀が自分の体の内に納まった感覚があるはずです。体は半身になりますので柄手は柄にかけようとする意識鳴く自然に柄に触れていきます。
  1. 2013/12/05(木) 21:25:22|
  2. 居合 業

「打つ」と「斬る」

無雙神傳英信流抜刀兵法の「太刀打」「詰合」、大石神影流剣術の手数に共通することですが仕太刀の動きが最後になりそれが一般的な斬撃である場合は木刀が相手の体の部位に当たる前に止める場合でも、それはあくまでも斬撃の動きが途中でとまります。
 現代剣道の経験者に多いのですが、防具着用時の剣道の打ちこみの動作のように動いて相手の頭上で手の内をしめて動きを止める動きとは異なりますので注意しなければなりません。
  1. 2013/12/06(金) 21:25:37|
  2. 居合 総論

「附入」

 太刀打の「附入」の形で抜合わせた刹那に相手の右手首をとる動きですが、この動きを「手首をとる」「突く」という順番に二つに分けてしまうと業になりません。
 抜き合わせた瞬間から自分の肚を中心にした動きで切先が相手の腹部に思考しつつ、その動きにともなって自分の左右が入れ替わり左右が入れ替わるので体が半円を描いて進み自分の左手が相手の右手を返にとります。変に取るときに「とる」という意識が働いて親指以外の指が働きすぎると重心が上ずり切先も死んでしまいますので注意しなければなりません。
  1. 2013/12/07(土) 21:25:26|
  2. 居合 業

丸亀市立資料館

 第五回記念 日本武道学会中四国支部会が12月7日に開催されましたので多度津に行ってまいりました。いつも中四国支部会は午後からの開催ですので午前中はのんびりと丸亀城をみてうどんを食べてから会場にむかうのですが、今回は開催日が速かったこともあり、何時も年末の資料整理で閉館されている丸亀市立資料館が開館しているので事前に連絡して資料調査に行ってきました。
 事前に、研究に役立つ資料はあまりないという事はわかっていたのですが、それでも実際に見てみなければ確認はできません。武術関係の資料は一つの家から寄贈された資料しかありませんし、しかも伝書類ばかりなので現在の私の研究テーマである「廻国修行と試合」に関するものはありませんでした。
 しかし伝書類ばかりといっても、伝系が記されていれば、後々、どの地域から丸亀藩に伝わった流派であるという事がわかる場合もあるので、資料として保存しておく価値はあるのです。
 貫汪館で稽古される皆さんで観光で訪れる場所に資料館があれば、文書目録が整理されているところも多くありますので、情報を収集してください。

 貫汪館H.Pの大石神影流の行事のページに筑波大学における比較文化学類 独創的な教育プログラム「古武道」の講義の写真と第40回大石武楽先生追善少年親善剣道大会の演武の写真を載せ、無雙神傳英信流の行事のページに居合講習会の写真を載せました。

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  1. 2013/12/08(日) 21:25:40|
  2. 武道史

第五回記念 日本武道学会中四国支部会

 12月7日14時から少林寺拳法本部において第五回記念 日本武道学会中四国支部会が行われました。
 今回の発表は3題で、
  1. 中学校における剣道授業の検討 鳴門教育大学大学院2年 西本浩章
  2. 剣道指導における「わざ言語」の特異性 鳴門教育大学大学院2年 加藤弘貴
  3.鈴尾家文書にみる広島藩伝渋川流柔術について 広島県立佐伯高等学校 森本邦生

 の以上でしたが、記念講演として「武道のあり方-グアテマラ共和国での柔道指導から-」 杉山允宏(中四国支部 支部長) が行われ、JICAのシニアボランティアとしてグアテマラで柔道を指導された貴重なお話をお伺いすることができました。現地で学校教育での柔道を指導され大変な苦労をされたようです。学校教育ですから文化の違いからピアスやブレスレッドをしたまま授業に臨む者も多く、また授業の場となったスポーツ公園の体育館には日本から畳が送られているのに1年間は倉庫にしまわれて敷かれることもなく、また畳を敷いても大雨のような雨漏りで畳を拭きほさなければならなかったことなどのお話を聞くことができました。
 また百鬼史訓(日本武道学会 会長)からは「日本武道学会の役割と展望」という演題で海外との関係から日本の武道をどう位置付けるかというお話をお聞きしました。その中で,武道の国際化が進行するなかで,グローバル化と国際化の違いを認識したうえで,国際化をすすめる必要があり、剣道は国際化ではなく,国際的普及を進めていくことが全剣連の方向性であることなどもお聞きしました。
 最後に少林寺拳法のデモンストレーションがあり、ホテルでの懇親会となりました。

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  1. 2013/12/09(月) 21:25:55|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鈴尾家文書にみる広島藩伝渋川流柔術について 1

 数回に分けて中四国支部会での発表を載せていきます。註は省略し、資料も省略します。今回の発表は量は少ないので簡単に読んでいただけると思います。


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Ⅰ はじめに

鈴尾家は口承によると江戸時代には現在の広島市幟町で「三蔵屋」と言う屋号で紙問屋を営んでいた。当時は名字を久米といい,家を継ぐと三蔵屋久兵衛,次の代は三蔵屋忠兵衛,久兵衛,忠兵衛…,と代々名乗ることになっていた。しかし,家に伝わった文書の全ては原爆で焼失しており詳しい事績は不明である。本研究の資料はたまたま親戚に預けられていた謡の本を入れた手文庫にはいっていて原爆による焼失をまぬかれたものである。1)
本研究にかかわる渋川流伝書を授かった久米久兵衛の生没年は不明であるが「渋皮流柔術第次全」(資料1)によれば,渋川流の師である堺勘太に入門したのは安政2年(1855)9月16日である。また「中目録口演」(資料2),「渋川流柔術中目録」(資料3)によれば安政5年(1858)2月20日に中目録を授けられ,「目録口演書」(資料5),「渋川流柔術目録壹巻」(資料6),「渋川流柔術目録貮巻」(資料7),「渋川流柔術目録参巻」(資料8)によれば万延元年(1860)8月8月5日に目録を授けられている。その後の修業に関しては資料はない。
発表者は日本武道学会第37回大会において「広島藩伝渋川流についての一考察-広島市安佐北区安佐町岡本家文書を中心として-」2)という演題で広島藩伝渋川流について発表しているが、本研究で扱う資料には先の発表の資料にないものが含まれている。本研究では鈴尾家文書をもとに広島藩における渋川流柔術について新たな面を明らかにしていきたい。

 丸亀城の下でお城サロンを開き、通りがかった方に御自身が描かれた絵てがみを無料でプレゼントされている「お城のおばちゃん」に今年もお会いすることができました。今年は下の一枚をいただきました。「お嫁入り」というのは絵てがみが私のところに来たことを意味しています。
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  1. 2013/12/10(火) 21:25:40|
  2. 武道史

鈴尾家文書にみる広島藩伝渋川流柔術について 2

Ⅱ 鈴尾家の渋川流の文書について

 鈴尾家に保管されている渋川流の文書には以下のものがある。

1.「渋皮流柔術第次全」(資料1)
久米久兵衛が記した形名の記録。師の名と同門の名を記したのち形名を記している。伝授された形名を記したものと思われる。
2. 「中目録口演」(資料2)
 2月20日に堺勘太から久米久兵衛に発行された折紙で,下記の3の伝書を渡す際に付されたものと考えられる。
3. 「渋川流柔術中目録」(資料3)
 安政5年(1858)2月に堺勘太から久米久兵衛に発行された伝書。
4. 「英名録」(資料4)
 安政5年(1858)3月から4月にかけて久米久兵衛が岩国藩と広島藩で試合した記録。
5. 「目録口演書」(資料5)
 8月5日に堺勘太から久米久兵衛に発行された折紙で,下記の6.7.8の伝書を渡す際に付されたものと考えられる。
6. 「渋川流柔術目録壹巻」(資料6)
 万延元年(1860)8月に堺勘太から久米久兵衛に発行された伝書。
7. 「渋川流柔術目録貮巻」(資料7)
 万延元年(1860)8月に堺勘太から久米久兵衛に発行された伝書。
8. 「渋川流柔術目録参巻」(資料8)
 万延元年(1860)8月に堺勘太から久米久兵衛に発行された伝書。
9. 「附目録」(資料9)
 天保12年(1841)に嵜田貫兵衛から清水真太郎に発行された伝書。久米久兵衛が他人に発行されたものを後に入手したものであろうか。
 嵜田貫兵衛は『芸藩志拾遺』の柔術の項に「又渋川流にては崎田勘兵衛といふ者父子ともに該技術に精通せしを以て若干口俸を給して是亦門生教育を命せられたり 後年に至り勘兵衛父子共に罪あり遂に誅戮せられ其跡は絶ゆ」とある2)崎田勘兵衛の事であろう。

 12月15日(土)午前10時から廿日市天満宮において奉納演武を行います。現地集合になります。支部の参加を妨げるものではありませんが、無理されませんよう。

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  1. 2013/12/11(水) 21:25:21|
  2. 武道史

鈴尾家文書にみる広島藩伝渋川流柔術について 3

Ⅲ 伝系について
 「渋川流柔術目録参巻」(資料8)には久米久兵衛の師の堺勘太までの伝系を以下のように記している。

中条兵庫助元之在判
戸田次郎盛光
奥山左衛門大夫忠信
上泉伊勢守信綱
長尾美作守鎮家
益永軍兵衛尉白円入道盛吉
同 子息      盛次
永山大學入道信樂
神子上典膳盛之
 関口八郎左衛門□治
 渋川伴五郎代喬
 森嶋求馬勝豊
 伊藤惣兵衛篤之
 堺 勘太

 しかし,これはいくつかの流派の伝承者を混在させており,渋川流のみに関して言えば
関口八郎左衛門→渋川伴五郎代喬→森嶋求馬勝豊→伊藤惣兵衛篤之→堺勘太となる。森嶋求馬勝豊は広島藩に渋川流をもたらした人物で,『藝藩輯要』に「嫡子権之佐勝豊家督知行七百石を仰付けらる後求馬と改名御馬廻を勤む寛政十二年隠居穾心と号す」とある2)
 渋川流の系図にない人名が挙げられているが中条兵庫助元之と戸田次郎盛光は戸田流から,奥山左衛門大夫忠信,上泉伊勢守信綱,長尾美作守鎮家,益永軍兵衛尉白円入道盛吉,同 子息 盛次,永山大學入道信樂は信抜流の伝系と同じであることから信抜流からとり,また神子上典膳盛之は一刀流からとったものであろう。このように渋川流を伝えた人物以外の人名が記されるに至った経緯はわからないが,Ⅳにのべるように堺勘太が「渋川流」と称して教えた流派には他流派の形も含まれていることから関係の深い流派の人物を系図に入れた事が考えられる。しかし,今回の資料では稽古に信抜流や一刀流の形を取り入れた記述は見られなかった。

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  1. 2013/12/12(木) 21:25:02|
  2. 武道史

鈴尾家文書にみる広島藩伝渋川流柔術について 4

Ⅳ 他流派の形
 「渋皮流柔術第次全」(資料1)は久米久兵衛が師の堺勘太から習った形を書き留めたものと思われるが,この中に記された渋川流以外の流派名は難波一甫流,二階堂流,寶山流,富田流である。
難波一甫流は大きく分けて徒手の技と剣術・槍術を含む流派であるが、このうちの徒手の形の主要な部分が「渋皮流柔術第次全」には全て含まれていると考えられる。二階堂流については詳しくわかっていないが広島で行われた流派である。このうち棒術が「棒表十三本 棒裏十本」と記されている。寶山流に関しては「鎖鎌 表 十本 裏 五本」と記されており鎖鎌の形が取り入れられていることがわかる。富田流については「チキリノ棒 チキリ 同アンヤ・・・」等が記されており,ちぎり木の形が取り入れられていたのであろう。
 「渋川流柔術目録貮巻」(資料7)には兵法劔之事として17の形名が,小劔之事として8の形名が挙げられており,家伝と記されている。これは難波一甫流の剣術の形名3)と同じであり堺家に伝わっていた難波一甫流の剣術の形を渋川流にとりいれたものと思われる。

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26剣術之巻1
  1. 2013/12/13(金) 21:25:00|
  2. 武道史

鈴尾家文書にみる広島藩伝渋川流柔術について 5

Ⅳ 英名録について

「英名録」(資料2)には岩国藩と広島藩の柔術流派との試合が記録がされている。
これまで発表者が見てきた英名録にはその冒頭に英名録の所持者の流派名と師の名前そして本人の名前が記されているが,この英名録には冒頭には何も記されておらず,岩国藩の太田傳之悑の流派名と門人の名前から始まっている。
冊子の末尾に「安政五年戌三月廿日夜本川より乗船廿一日岩国表着同四月二日朝堺勘太稽古場迄帰着直ニ門人中へ披露候同夜帰□□」と記されており安政5年3月20日に広島を船で発ち岩国に向かったことがわかる。これは久米久兵衛が中目録を授けられて1ヶ月後の事である。
また次のページに「右は久米久兵衛道利」と記されてることから久米久兵衛の所有であったことがわかるが,次に「安政五戌午 卯月初三日写之」とある。写本の可能性もあるが訪ねた流派の押印は写しではなく,この一文の意味するところは不明である。
英名録に記された試合の日付・場所・流派名・師範名・試合者の人数を表にまとめる。

表 安政5年(1858)3月23日~4月2日

日付 場所 流派名 師範名 試合門人数

3月23日 岩国藩 柴山流揚心流 兼学 太田傳之悑 32人 於宅試合
3月24日 岩国藩 天真流柔術  有田真四郎住田幸太郎(取立) 30人(住田を含む) 相對
3月26日 広島藩 難波一甫流 小室富右衛門 32人 試合
月27日   広島藩 渋川流柔術 増原泰介 24人 試合
3月28日 広島藩 渋川流柔術 増原泰介門人場長 河内次郎 26人河内を含む) 試合
3月29日 広島藩 神道流柔術 吉田啓介 20人 試合
4月 2日 広島藩 渋川流柔術 堺勘太 35人 勘太宅ニ試合

 広島藩における柔術の試合の記録は初見であり,広島藩と岩国藩において柔術の試合が行われていたことがこの資料からわかった。
この当時,ある程度統一された試合規則のもとでの試合が行われていたと想像できるが,試合規則が記されていないためどのような試合方法であったかは不明である。
この英名録によれば広島藩で試合を行った流派は難波一甫流,渋川流柔術,神道流柔術である。広島藩ではこのころ貫心流(司箭流)取捨や鞍馬流,関口流,澁川一流などがあったが4)これらの流派が試合をしたかどうかは不明である。ただし難波一甫流の小室富右衛門の系統は元来他流試合を禁止しており、同じ流れであっても大正時代にも他流試合を禁じていた難波一甫流の師範がいた3)。したがって試合をする,しないの判断は流派によるというよりも指導をしている師範の考え方によるところが大きかったと思われる。
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Ⅳ.まとめ
 本研究から以下の事がわかった。
1.久米久兵衛が指導を受けた渋川流は積極的に他流派の技を取り入れ,渋川流として稽古がなされていた。
2.伝系はその稽古に他流派の技を取り入れた場合には他流派の師範の名前が混在している。
3.広島藩と岩国藩で幕末に柔術の試合が行われていた。

今後の課題として,柔術の試合がどのような取り決めのもとで行われていたのかを明らかにする必要がある。





本発表に当っては次の方々に御指導とご協力を賜りました。
広島県立文書館 西村晃様
鈴尾修司様
 心より御礼申しあげます。




1)資料所蔵者である鈴尾修司氏談
2)森本邦生,「広島藩伝渋川流についての一考察-広島市安佐北区安佐町岡本家文書を中心として-」,日本武道学会第37回大会発表抄録,2004年8月27日
日本武道学会第37回大会発表抄録
3)森本邦生,「難波一甫流の研究(1)-広島市安佐南区沼田町 宇高家文書を中心として―」広島県立廿日市西高等学校研究紀要『汗と夢』第11号,2003年3月20日
4)森本邦生,「廣島藩の武術諸流派」広島県立廿日市西高等学校研究紀要『汗と夢』第9号,2001年3月22日
  1. 2013/12/14(土) 21:25:13|
  2. 武道史

「請流」「請入」

 「請流」「請入」ははじめ遣方が袈裟に斬り込むところを打太刀は鍔元でうけ、直ぐに躰を少しひき、遣方の右小手に斬り込みますが、この動きがいい加減になってしまいがちですので述べておきます。

1 遣方が袈裟に斬り込む時には歩みを止めずに斬り込む
2 打太刀が袈裟の斬撃を止める動きは、打ち合わすのではなく臍下を中心に躰の左右を入れ替えることによって肩にある刀がそのまま止める位置に動く
3 遣方の斬撃を止めたときには打太刀の切先は遣方の顔に指向する
4 打太刀はそのまま臍下を中心に躰の左右を入れ替え遣方の右小手を斬るときも、刀を振り回すのではなく体の動きだけで斬る
4 遣方は打太刀の小手への斬撃を刀を振り回すことなく臍下を中心に躰の左右を入れ替え小さく止め、切先は打太刀の顔に指向する

「請流」「請入」ともにここまでは同じ動きですので心して稽古してください。

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  1. 2013/12/15(日) 21:25:19|
  2. 居合 業

「請流」の斬撃にいたる動き

 昨日の続きで遣方の最後の動きです。番号は続き番号にしています。

5 打太刀は遣方の切先が顔に指向しているので間を切るために大きく下がり振りかぶる
6 遣方はそのまま打太刀の顔に体を進めることにより(手先ではなく)突きこむ。
 ※この突きの動きが硬いと次に続きません。動きの最中でも常に下半身は床に預け、上半身は下半身に預けてお くことが大切です。
7 打太刀は遣方の切先を払い、遣方はその払われた力を臍下に吸収し利用してそのまま切り込む

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  1. 2013/12/16(月) 21:25:14|
  2. 居合 業

「請入」の下から斬り上げる動き

 一昨日の続きで遣方の最後の動きです。番号は続き番号にしています。

5 打太刀は遣方の切先が顔に指向しているので間を切るために大きく下がり振りかぶる
6 遣方はそのまま付け入り打太刀の左上腕部を下から斬り上げる。この動きは単純ですが困難なので細部を解説します。
 (1) 打太刀が間を切るために大きく下がり振りかぶるときに、遣方の右足が右斜め前に出ますが、動きを見て動いてはだめで、ここでも貫心流の「糸引きの伝」の教えのように目と目、心と心が糸をたるませないようにつながっていれば、見て動くことなく相手の心と体の動きに応じて自分の体は動きます
 (2)遣方が下から斬り上げる動きは自分の刀の切先が切先下がりに自分の背を廻っていきますが、このとき手の内が硬ければ刀は廻りません。手の内が常よりも緩んでいても小指、薬指の先が吸盤のように柄につながり親指の内側もまた生きて柄につながっていれば刀は死にません。
 (3) 背を廻って最後に切り上げるところを肘から先で行いがちですが、これでは刀を手先で扱うことになります。せっかく廻ってきた刀の勢いがあるのですから、これを活かさなければなりません。そのためには自分の体は沈むことによって刀が下から上がっていくという理を体得しなければなりません。 

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  1. 2013/12/17(火) 21:25:13|
  2. 居合 業

「月影」

1 「月影」の遣方は月に応じる影である必要があります。打太刀が上段に取るとき、それに応じて自分は無になっていきます。右斜め下に切先を位置させるのではなく、構えを説くので切先がその位置にきます。絶対に構えるという気持ちを起こしてはいけません。この前提がなければ後の動きは全て無駄になります。
2 遣方はするすると前に進みますが、進むときにも無のままです。いつ打太刀が切り下ろしてくるカなどと心に思うこともありません。ただ、ここでも貫心流の「糸引きの伝」の教えのように目と目、心と心が糸をたるませないように月である打太刀とつながっていなければなりません。影が実態と切り離されることはありません。
3 打太刀が袈裟に斬り下ろしてして来るとき、遣方にこれを受けようとする思いはありません。実態に影が沿うだけで、打太刀の力が強ければ強く、弱ければ弱く、打太刀に刀に合します。合わせると動きはしません。
4 その後れ陽手を打った後の手の開きのように自然に双方がわかれ最後の動きとなります。

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  1. 2013/12/18(水) 21:25:34|
  2. 居合 業

「水月刀」

1 「水月刀」の遣方の構えは大石神影流の附けとは異なりますので区別して習得してください。水月等の構えは中段からより半身を強くし、切先が打太刀の両目の間の上部(澁川一流でいう小結)に来るように位置させます。したがって刀はそれほど寝ることはありません。このとき自分の両目の間の上部と切先と打太刀の両目の間の上部が一直線になります。
2 一直線になった関係を保持しながら切先で打太刀を圧しつつ前に進みます。打太刀はこれを嫌がり遣方の刀を斜めに払います。切先が下がったり、圧していなければ打太刀が刀を払う必要はないのですから形にはなりません。
3 遣方は打太刀が自分の刀をはらうのを見て刀を振り上げれば遅くなり、刀は払われてしまいます。ここでも貫心流の「糸引きの伝」の教えのように目と目、心と心が糸をたるませないようにしておかなければなりません。

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  1. 2013/12/19(木) 21:25:22|
  2. 居合 業

「独妙剣」

1 「独妙剣」のポイントの一つは間合にあります。打太刀は上段、遣方は下段で双方進みますので打太刀の間に入って振りかぶろうとすればただ人うちに切り込まれます。下段からの振りかぶりは打太刀の間の外で行われなければなりません。双方とも前に進んでいますので間を正確に計るのは難しいかと思いますが稽古の中で会得してください。
2 下段というと相手の動きを見て応じる構えであると捉えがちですが、これは相手をしたから攻める構えであり相手を静観する構えではありません。躰の沈みとともに切先が下り、切先は下から相手を浮かせるように攻めています。
3 遣方と打太刀がおのおのの間で斬りおろしたとき瞬間的に双方の刀は鍔もとで合します。たとえて話をすれば、この合したところが拍手を打つときの両手が打ち合わされた瞬間で、柄かしらが打太刀の顔を突くのが、拍手の両手を打ち合わせた瞬間から両手が離れた瞬間です。つまり柄頭で突く動きは体の勢いが無になっていくから可能になります。柄頭で突いたときには自分の体のどこにも力みはありません。打太刀は何も感じないままに自分の顔を柄頭で疲れています。打太刀の刀を押し上げたり、どんと床を踏み込んだりするのは他流派の動きですので混同されませんよう。

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  1. 2013/12/20(金) 21:25:17|
  2. 居合 業

「絶妙剣」

 「絶妙剣」の技の難しさは遣方が切り込んできた打太刀の刀をすり落とすところにあります。この動きが手先のみで行われると、形だけになってしまい業にはなりません。以下の点に気をつけてください。

1 打太刀の刀を受けるときには「受けよう」と強く思うと下肢は突っ張り、上半身は固まってしまい次の動きにつながりません。「受ける」という意識ではなく、打太刀の刀を自分の体と刀で包み込んでしまうという意識をもちます。
2 下半身はゆったりと床に預け上半身は常の動きと変わらず、ただし右手の親指はやや深く、左手の親指と人差し指は峯を挟むというより包むようにして親指の側の掌でも峯を支えます。
3 受けたときの意識は両足の間から天地の線は上下に通り、その線と真横に自分の刀の線が通ります。打太刀の顔を切先で切り下ろすときは真横の刀の線を自分の天地の線と置き換えます。したがって自分の天地の線は居場所がなくなるために左斜め前に進みます。置き換えようとする過程で切先は真上に上がり、柄は真下に下がりますのでそのまま刀が下りればよいだけになります。

 この形は自分の意識が発達していなければ外形だけになってしまいますので、できないうちは形を求めずゆっくり静かに内面の稽古をしてください。打太刀も相手のレベルを見て斬り込む必要があります。

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  1. 2013/12/21(土) 21:25:42|
  2. 居合 業

「神妙剣」

 「神妙剣」は太刀打の中でもっとも居合らしい形です。形の上では打太刀の刀を抜き付けに払いますが、この動きを少し変えれば「柄口六寸の勝」となります。したがって遣方にとって大切なことは、斬りかかってくる打太刀の刀を払うのだと思って進むのではなく、あくまでも心も体もニュートラルなままに進むことです。打太刀は形の上では上段から斬り下ろして来るだけですが実際にはどのように変化するかはわからないものです。状況によっては斬上げる必要があるかも知れず、受け流す必要が生じるかもしれません。心と体がニュートラルであることを離れてしまえば形稽古による上達はなくなってしまいます。

 抜き付けに払うときは体を開くのであり、少しでも肩・肘を用いたりあるいは肩甲骨をひずませるような動きがあれば動きは止まってしまいます。あくまでも相手の側面に抜き付けるときの動きでなければなりません。
 ただし斬り込んでくる打太刀を払いますので自分の刀の中ほどで払うことになります。物打ちできるのと若干動きが異なりますので、木刀を物に当てて確認してください。この感覚がわからない場合には質問してください。

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  1. 2013/12/22(日) 21:25:30|
  2. 居合 業

詰合

 詰合は文字通り相手と詰めあって座ります。詰め合っていなければ無雙神傳英信流抜刀兵法の形の前提条件になりません。
 詰め合ったところから打太刀は左足を引いて遣方の脛に抜きつけます。左足を後方に引くことによって抜きつけますので座した状態の柄の位置から柄は前に出ることはありません。しかし、このさい英信流の座し方が正しくできていなければ半身にもなれず右手を前に動かして抜かねばならず、自分の柄が打太刀の柄に当たり形になりませんので、そのようになってしまう方は座し方と抜き付けから見直さねばなりません。
 打太刀が脛に抜きつけてくるとわかったところで、遣方は「虎一足」のように打太刀の刀を張り受けに受けます。この動きは「虎一足」と変わることはありません。
まさしく

猛き虎の千里のあゆみ遠からず 行より早く帰る足引

であり打太刀の脛に抜きつけてくる動きがわかった時点で動き始めても、遅れることはありません。もし間に合わないとすれば「虎一足」を工夫してください。
 この動きは「発早」「拳取」「岩浪」「八重垣」「鱗形」までは共通ですので稽古を重ねてください。

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  1. 2013/12/23(月) 21:25:47|
  2. 居合 業

顎をひくという動きは軍隊式の気を付けの姿勢や、一般的な学校教育でも良い姿勢とされます。また、防具を着用した際には竹刀や木銃での刺突が面の下から直接咽喉に入ってこないように顎を引いて稽古することもあります。しかし、顎を引く姿勢は僧帽筋を緊張させる原因となり僧帽筋が緊張してしまうと上半身の緊張が抜けず臍下で動くことができなくなってしまいます。
『五輪書』の「水之巻 兵法の身なりの事」の項目に「鼻すじ直にして、少しおとがいを出す心なり」とあるのですが、私自身は以前、長い間防具着用稽古をしており、また軍隊式の姿勢を子供のころから叩き込まれていましたので。おとがいを出すことの意味がわかっていませんでした。
どうしても上半身のこわばりが抜けない方は顎の位置をかえ試みてください。
  1. 2013/12/24(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

張る

 大石神影流の試合口5本のうち3本は「張る」という動きがあります。「張る」動きが出来ない方の全てに共通しているのが、体をかためて手を遣うということです。体をかためてしまう方の多くはこれまでの人生経験で身につけられた動きですので自分の思いを変えなければなりません。
 そのような方が「張る」動きを可能にするためには自分の体は非常に柔らかでどのようにでも動く可能性があるものである、柔らかさはかたさに勝るのだと観念するところから始めなければなりません。その後に体の動きを波の動きにしてください。波の最後が相手の刀を留めた鎬にいたることによって「張る」ことが出来ます。始めは目に見える形でもよいかと思いますが次第に眼に見えない波になり、それが瞬時に行えるようになってきます。
 工夫してください。


1月19日(土)に一般の方を対象とした貫汪館横浜講習会を行います。
※申し込みの先着20名様に2月9日に日本武道館で行われる日本古武道演武大会の御招待券(入場券)を差し上げます。
 9:00~12:00 大石神影流剣術 試合口と陽之表
 13:00~15:00 無雙神傳英信流抜刀兵法 詰合
Special classes of both Oishi Shinkage-ryu kenjutsu & Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho at Yokohama Branch
9:00 - 12:00 Oishi Shinkage-ryu kenjyutsu (swordsmanship)
13:00 - 15:00 Muso Shinden Eishin-ryu Iai Heiho

横浜支部のホームページをご覧になり
お申し込みください。
http://kanoukan-yokohama.jimdo.com/横浜講習会のお知らせ/


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  1. 2013/12/25(水) 21:34:50|
  2. 剣術 業

抜付け

 大森流の水平方向への抜付けは正座の安定した状態(安定させるわけではありません、自然に任せて安定するのを待ちます)を僅かに崩してその崩れが抜付けにつながります。ここまでの動きが会得できていれば切先が鯉口を離れるときをことさらに意識する必要はありません。崩れたままに相手に向けた全ての調和を保ち自然のバランスに任せていれば何もせずに体はふっと浮き抜付けが行われます。せっかく途中まで出来ているのに抜きつけようと思う自分の心が邪魔をして無理な動きをしてしまうことがありますので気をつけなければなりません

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  1. 2013/12/26(木) 21:25:23|
  2. 居合 業

教え

 「手の内を柔らかくして刀を鞭のように使う」という教えがあるようですが、無雙神傳英信流抜刀兵法には無縁な言葉だと思ってください。 
 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生の言葉をいくつか上げますので心に刻んでください。

 肚で抜いて肚に納める

 上達していけば達磨のように手も足もない状態になる

 刀魂に従う

 待て、待て、待て(相手にではなく、自分に対して言い聞かせる)


 無重力状態にある刀を右に動かそうと上下に動かそうと力は必要ない

 ゆっくり速く


刀を自分の思うとおりに振り回そうとするところには無雙神傳英信流抜刀兵法で考える技としての無念無想はありません。
  1. 2013/12/27(金) 21:25:54|
  2. 居合 業

畝先生の教え

 澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は言葉で教えられることはほとんどありませんでしたが、それでも話されたことの中で印象に残っている言葉があります。いくつか記しておきます。

 やっていればできるようになる

  理屈を言わずにひたすら稽古を重ねていれば出来ないこともできるようになるという事ですが、とかく上達しない人は他の人よりも稽古量が少なく、その稽古量の少なさを理屈で補おうとし、理屈が口から出ればできているような気になっている人です。上達する人は理屈よりも稽古量が多いものです。また自分の稽古で会得したことしか話しません。


 この技は絶対かけることができるというものが一つか二つあればよい

 澁川一流柔術には得物を遣う形を含めれば400近く形があります。大きく分類すれば素手で行う方は40種類くらいの系統に分類することができるでしょうか。畝先生はその中で自分が絶対にかけることができるという技が一つか二つあればよいと話されていました。形の中には背が高い人が掛けやすいものや逆に背が低い人が掛けやすいもの、体重がある人軽い人などそれぞれが掛けやすい技があります。全てが得意になれという事は難しいものです。


 喧嘩両成敗

 畝先生の弟子の中にも自分が一番だと思いたがる人がおられました。ある人物がある人物を破門にせよと師に要求したことがあります。師に要求するという事自体が弟子の立場を超え師と対等になったという思い上がりですが、師は言い出したものも自分自身が破門になるという覚悟は持たずに言っていると、情けなさそうに話しておられました。


 柔術が人の命を助けることもある

 澁川一流柔術には「いかし」といって所謂活法があります。先生が柔術をされていることを知っておられた地元の方は溺死者があると先生に頼みに来られたことがあった。いかしで命を救われた話もお伺いしました。


 他にもありますが今日はここまで。 

 裏山になっている八朔です。
20年くらい前に裏庭から裏山に植え替えそれから長い間、実をつけませんでしたが最近は沢山実をつけるようになりました。
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  1. 2013/12/28(土) 21:25:21|
  2. 柔術 総論

日々新たな気持ちで

 上達のためには一日一日の稽古が自分にとって新たなものであるほうが効果的です。昨日はここまで出来たから今日はその先をと考えるのが普通ですが、ここまで出来たからという思いを捨て、今日はこう取り組むという思いを持って稽古するのです。常に新たな思いを持ち過去の自分を断ち切ることによって前に進みます。
 稽古は理想の状態に向かって僅かな単位で誤差を修正していくものです。はじめは感覚が鈍く5cmの誤差がわからないかもしれませんが、やがて感覚が鋭くなると1cmの誤差がわかるようになりやがて5mmの誤差と感覚は稽古を積むにしたがって鋭くなっていき、誤差がある以上これでよいという感覚は生まれません。そのため常に誤差を修正していく必要があるのです。日々新たな気持ちで稽古をしてください。


 『小村寿太郎 若き日の肖像』という本が11月26日に発行されました。この本は小村寿太郎候伝記本編集委員会によるもので実質的に飫肥城由緒施設学芸員の長友禎治先生が中心となって記されたものです。長友先生には飫肥の資料を調査する折に大変お世話になり、また武市半平太の英名録の飫肥藩の人命の解読にもお力を貸していただきました。
 巻末の主な引用文献・資料一覧に私の日本武道学会中四国支部会での発表資料を載せていただいています。小室寿太郎との接点は小室寿太郎の学問の師が武市半平太と剱術の試合を行っているというところです。このように義理堅く載せていただいているのは本当に有難いことで、長友先生の誠実なお人柄によるものです。
。私の名前が一部違っているのは誤植ですが、この誤植はたまに起こります邦生とすぐに出てこないので「生き」を「行き」とパソコンが変換してしまうのです。
 以前このようなことがありました。貫汪館のブログ「道標」とホームページの武道関係史跡の写真をを断りもなくある有名な武道の団体が発行する雑誌に使われていたのです。指摘したら、その武道の団体の編集担当者と出版社から一応お詫びのメールが来ました。高名な作家の文章を飾るために出版社が独断で写真を盗んだようです。
 しかし、お詫びのメールには「次号で、どこどこの写真を使用させていただいたというお詫びと訂正の記事を載せる」という当然の事をするという連絡さえありませんでした。
 「道標」には「copyright © 2005 無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)all rights reserved.」と記してありますし、
 貫汪館ホームページにも「Copyright (c) 2004 kanoukan. All rights reserved.」と記してあります。
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  1. 2013/12/29(日) 21:25:01|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

知る者は言わず

 無雙神傳英信流抜刀兵法の師梅本三男貫正先生は「昔は世の中に見えるものが100人、見えない者が100人といったが、今は見えるものは1人、見えない者が99人くらいだろう。」と言われました。また、「よく知る者は世の中の大半が見えない者であるために、ものをいわないのだ。」とも話されたことがあります。
 まさにその通りなのだと思います。筑波大学在学中には無雙神傳英信流といってもほとんどの人が無双直伝と聞いたり、夢想神伝と聞いていました。また夢想神伝の歴史も正しく知られていない方が大半であったため中山博通が唯一人の存在だと思い、無雙神傳英信流の存在を認めようとされなかったり、無視された方もおられました。ごくまれに、よく知られた方のみが植田平太郎先生が居合をされていたことをご存知でした。
 武道史などの世界でも同じで定説が存在すれば、良く知らない人はその定説が絶対であると信じ込み新たな事実は認めようともしません。したがって「知る者は言わず」という状態が生まれてしまいます。もうすでに亡くなられた武道史の大家はその知られてたことの一端しか発表されず、逝ってしまわれました。その方が知識のすべてを発表されていれば現在の武道史もかなり書き換えなければならなかったと思います。物事の陰に隠れたことを十分に研究をすることもなく書籍となり定説となったことにのみにしたがっている人には何を話しても無駄だと考えられていたようです。
 貫汪館で稽古されている方も、自分には理解できてはいるが、世間一般ではそうではないことに関して「知る者は言わず」という気持ちが必要かもしれません。

 貫汪館H.Pの無雙神傳英信流と澁川一流柔術の行事のページに廿日市天満宮奉納演武の写真を載せました。ご覧ください。
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  1. 2013/12/30(月) 21:25:05|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古の成果は時がたってから

 もう随分前の事ですが稽古に関するお話でいまだにはっきりと覚えていることがあります。かつて筑波大学在学中に剣道の佐藤成明先生からお話しいただいたことです。
 稽古の成果はすぐには出るものではなく、高校3年間の成果は大学になって出始め、大学での稽古の成果は社会人になって出始めるという内容のお話でした。
 今になって振り返るに、全ての武道は同じで居合、柔術、剣術においても稽古の本当の成果が現れるのはかなりたってからのことです。
 安易に考える方は演武が何日にあるのだから、その1ヶ月前から本気で取り組めばいいだろうとか、まったく考え違いをする方は1週間前から本気で取り組めば今までの100%近い実力が出るだろうと思います。しかし、実際に演武の際に発揮できる実力とは不十分な稽古しかしていないときの実力です。付け焼刃は何の役にも立ちません。

 私は佐藤先生の言葉を心に置き、自分自身稽古を長い目で見ながら短絡的に結果を求めず怠らず稽古しています。

 前庭の白梅の蕾です。咲くために今から少しずつ大きくなっていきます。
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  1. 2013/12/31(火) 21:25:34|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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