無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

昇段審査論文 6

     武道の礼法と無双神伝英信流の礼法について
                           
 武道とは、日本の長い歴史の中で、武士たちが幾度も戦い、君主を守り自らも守り、平和を求める中で生まれた「業(わざ)」と「心」です。そして、武道(または武術)と共に発展してきたものが「礼法」です。  

 一、礼法と心について
  武道の「礼法」と「心」は、とても大切な関係にあります。日本の武道にはそれぞれ礼式・礼法があり、「無双神伝英信流の礼法」においても神に対する礼(神前の礼)、刀に対する礼(刀礼)などがあります。
 日本の武道は「礼に始まり礼に終わる」と言われています。例えば剣道や柔道の試合において、初めと終わりにお互いの礼をします。これは、相手への尊敬や感謝などの気持ちを表現しています。武道に限らず日常生活においても感謝、挨拶、懇願などの意志や気持ちを頭を下げお辞儀をすること、さらに尊敬語や謙譲語を用いることで「礼」を表現します。社会や生活の様々な状況で、相手を敬いそして自分の立場を守ります。つまり、「礼」とは、社会の秩序を保つための生活規範であり、「礼法」とは、社会の中で身を守る「業」でもあります。
 そして「礼」を行う上で忘れたり、怠ってはならないものが「心」であり、すべてにおける基本となります。相手や物に対し、「心」があってこそ「礼法」は、伝わるものなのです。「心」無しでは、形式的で表面的なものになってしまい、相手に気持ちが伝わりません。逆に失礼になってしまいます。稽古の時に先生や兄弟子の方々に対する礼、親兄弟そして隣人などに対する礼など、ただ頭を下げるだけでなく、感謝、尊敬と言った相手に対する「心」があってはじめて伝わります。そして、自分に対する「心」も大切です。礼法のみならずなにかを上達しようとすることや成し遂げようとする強い「心」があってこそ物事がより質の高いものになります。
 これらの「心」と、自分の動作とがつながった状態を「生気体」とよびます。「武道の礼法」という本に、「すべての動作において、その動作をしっかりと肝に銘じて、心に覚えて行うことが大切です。これが『生気体』であり、実体と成り品位、品格をも生み出します。」という一節があります。「生気体」と成ることによって、相手に「心」をより伝えやすくなります。「生気体」となるには、日頃の稽古の積み重ねで身につけることができます。 さらに、「心」と体は常に「楽」でなければなりません。「心」に焦りなどがあると、冷静さや落ち着きが失われ、体も固まり、「心」が「楽」でなくなります。そうなると、相手の「心」も「楽」でいることができなくなり、失礼となってしまいます。「心」と体の「楽」を求めることも、礼法における重要な点なのです。
 「礼法」と「心」の関係は、心と体が一つと成りうることによって、生きた礼法となってゆくのです。

   二、礼法と呼吸について
  礼法や武道の動き、そしてすべての動作に「呼吸」が大切です。人間は日常生活の中で常に呼吸を行っています。「呼吸」を意識して行うことによって、武道や礼法などの動作に活用することができます。
 「呼吸」の中心で、すべての動作において重要なものが「肚(はら)」です。「肚」に肉体的かつ精神的な重心をおき、「肚」で動き、「肚」で呼吸します。立つ、座る、歩くなどのあらゆる動作に合わせて行われる意識的な「呼吸」は、吸う息と、吐く息で行われ、止まることはありません。呼吸が止まると、意識が無くなり息がつまり、「死気体」となってしまいます。そうなると相手に「心」が伝わりにくくなります。それだけではなく、武術においても呼吸が止まることは、致命的となってしまいます。
 「武道の礼法」の本の中に、「呼吸」が最も自覚できるのはお辞儀で、その例に「三息の礼」があげられています。「三息の礼」とは、吸う、吐く、吸うの呼吸動作を行い、吸う息で体を曲げて、吐く息で体を止め、また吸う息で体を起こします。つまり動作に呼吸を合わせるのではなく、「呼吸」に動作を合わせるということが基本となります。
 呼吸に動作を合わせることで、自然に体のリズムが整い、無理無駄なくお辞儀をすることができ、相手に気持ちを伝えることができるのです。

 三、無双神伝英信流の礼法について
 無双神伝英信流の礼法は、居合の形を行う前と、形を終えた後に行います。始めの礼法は、上座に向かって神前の礼をして、次に正座になり、刀に対する刀礼をします。神前の礼では刀を右手で持ち、上座に刃を向けないようにして神前に礼をします。礼をする時には肚を中心に、下半身を緩め呼吸と合わせて体を曲げ、呼吸に合わせて体を起こします。刀礼の時は正座になり、刀の刃を自分の方に向け、左を柄にして一文字に自分の前に置き、刀礼をします。そして刀を帯の一番外側に差し、下緒を通して、刀の鯉口が臍の前に来るように整えます。それから一度立ち上がり上座(神前)、または人に対して抜きつけないように体の向きを少し変えて形を行います。形が終わった後も同じ礼法を繰り返します。刀を自分のわきに置くときも、刀の刃を自分の方に向け、鍔を膝にそろえ、自分の右側に静かに置きます。これらの一連の礼法を行うときは肚から動き、正座の時や立ち上がる時も肚を中心にして地球の重力とつながり、どこにも力みを作らず無理無駄のなく体を動かします。そうすることで自由に動けるようになります。形ではもちろんですが、礼法や様々な動作を行う上で、常に自然でいつでも対応できる動きでないとなりません。   
  礼法を稽古することは、形を稽古し身につける上でも重要なものになってきます。無双神伝英信流を稽古し始める時、まず最初に礼法を習い稽古します。立つ、座る、礼をする動きを「肚」を中心に力みなく動けるように稽古します。その礼法が居合を稽古する基本基礎になり,形につながってきます。その基本を身につけることでより質が高く、楽な動きが可能になります。動きを「型」に当てはめ、「型」にとらわれてはならないということです。居合の形はもちろん礼法にも形があり、それを覚え自然にできるように稽古します。その時も「肚」で動かなければまりません。
 お侍さんがいた時代は、普段の生活の中でさえも、突然盗賊に襲われたり、顔見知りの相手に切りつけられる事があるなど、彼らは常に気を抜くことはできませんでした。切られて命を落とさないために、体も心も緩ませ、自由でなければなりません。体と心が固まってしまうと自由でなくなります。現代の日本人は明治時代からの西洋化で江戸時代以前の日本人とは動きが異なり、西洋式の動きになっています。そのため重心の位置が高く、手や足などを使って動きがちです。手足で動くということは体を固めて動くことにを意味します。自由に見えて自由ではないのです。
 自分で動こうとしたり、体のどこかを突っ張ったり力んだりすると、バランスが崩れ、力で体のバランスを保つことにになり、自然な動きができなくなります。。常に自然体で力みを作ってはなりません。居合も礼法も、座る、歩く、礼をするなど、すべての動作において地球の重力とつながり、いつでも自然に動くことが大切です。「肚」に体の重心を置き、力みを作らず楽でなければならず、またそれを目指して稽古を積むことが最も重要です。

 参考文献 「武道の礼法」:小笠原 清忠 ㈱ベースボール・マガジン社 平成二十五年


貫汪館が応援する劇団夢現舎の俳優益田喜晴さんが出演するパフォーマンス「ONE DAY MAYBE」の高知公演は11月2日から9日まで、金沢公演は11月28日から12月8日までです。
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  1. 2013/10/01(火) 21:25:35|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 7

これまで修行上留意してきたこと、今後留意しなければならないこと

 古武道を修行するにあたって、師より教えていただいたことを何も変えず。何も加えずに身に付け、機会があればそのままに次へ伝えられるように心がけております。近年では、人の体格が持つ特徴により何種類かに分類して、その体格の持つ特徴に従って稽古を進めなければ無駄なことをしてしまう、デッドコピーになってしまうという説もあるようですが、出来うる限りそのままに身に付けられるように、そして頭でなく身体で理解出来るようにしています。古武道を本格的に学ぼうとするときに、現代武道やスポーツの概念で理解しようとすると大きな間違いを起こします。その目的とするところが違うからです。その目的を正しく理解していないと、古武道とは似て非なるところに辿り着いてしまいます。 今まで経験していないことを稽古していくのはとても不安でもあります。師や兄弟子より指導していただいたことを手掛かりに一人で稽古していますと、自分の勝手な思い込みや旧来の癖が出てしまい、稽古があらぬ方向へ向かってしまうことも多々あります。その中でどのように稽古を進めていったらよいかを考えてまいりました。やはり今まで経験したことのない動きや技を身につけるためには、反復することが欠かせません。質量転化の法則という言葉がありますが、これは量をこなすことによって質的な変化、つまり上達をもたらすということです。しかしだからといって、ただ闇雲に量をこなし、漠然と質的転化を期待しても無駄なことです。やはり自分が反復稽古している動きの意味や形の想定を正しく理解しておこなうべきです。身体を漠然と動かすだけの反復運動ではなく、全身の感覚で感じながら、常に頭で考えながらおこなうということです。この感じながら考えるということは、言い換えますと具体的に想像するということで、武道の稽古の過程ではこの想像力がどれだけ活用できるかが効率的な上達を実現するうえで重要なポイントとなります。例えば相手に切りかかられたり、また反撃してこちらから切り付けたりすることがどういうことか、何を意味するのか想像力を活用して深く掘り下げていくことができなければ、正しい武道の稽古は困難だと言わざるをえません。つまり起こりえたはずの、しかし実際には起こっていない事象への反応を磨くということが上達に繋がります。それには実際に起こったことに対する反応と同じことが起こるくらいの想像力が必要です。それと困難なことかもしれませんが、現実と想像が的確な距離感を保つためには経験によって自分の武道の実力を客観視できなければなりません。ゆっくりでも想定に従って実際に切りかかってもらったりすることも経験を積むのに役立ちます。そこで身に着いた感覚を持って又一人稽古に立ち返ることが重要です。ここで振り返りますと、今までは身体に関すること、身体の使いかたばかりに注目してきたように思えます。確かに身体を無理無駄なく使えるように訓練するのが武道の稽古ですが、その武道が必要とされ使われる状況を想像しますと、平常心でいられるのは非常に困難なことだといえます。普段の稽古においても少しでも心理的動揺がありますと、いつも通りの動きが出来ないことを何度も経験しております。しかしながら短絡的に心を強くしようとすることは、武道の稽古には必ずしも有効とは限りません。なぜならその方法の多くが、鈍感になることを意味しているからです。 自分自身と会話し、洗練させ、深めていくことが重要です。ここでは、武道が使われる状況を想像しにくい経験のないようなこととせず、より身近な大勢の前で演武する場合はどうなのか、として考えてみます。まず平常心でなくなる、つまりアガリが起こるのは、自分にとって難しいと感じていること、あるいは正直手に負えないと感じることを大勢の人前の舞台でおこなおうとする時です。これは本能的で、かつ正直な、起こるべくして起こるアガリと言えるでしょう。不可能なことまたはそう感じていることをおこなおうとすると、身体は必ず緊張します。次に能力以上のことをおこなおうとして緊張し失敗した経験がアガリの原因にあります。人前で緊張し失敗するという体験は非常にショッキングであり、自己否定や自己不信の原因となってしまいます。多くの場合これらの二つの原因が混在しているといえます。この自己不信に陥りますと、本当は何なく出来ることも、頭のどこかで出来ないと思ってしまい、どんどん身体が動けない状態になっていき、実際に失敗してしまいます。ひどい場合は、手は震え、口が渇き、身体のコントロールは効かなくなります。過小評価や自己否定は非現実を現実と思い違えて信じ込んでいます。つまり頭の中で駆け巡っていることと現実がマッチしない。その時にアガリが発生します。まずは現実を知ることです。本番の舞台でのドキドキ感や恐ろしいほどの緊迫感は、それ自体は正常かつ望ましものです。多くの場合このことを問題視しますが、実際の問題は思考と現実がずれているときに、演武を失敗してしまうようなアガリが発生します。アガリからの脱出を目指す時に、押さえておかなければならないことは、ネガティブな要素としてとらえがちな心臓がバクバクとなり、口がカラカラに渇き、妙にソワソワしていろんなことに気持ちが散漫する傾向は実はすべてポジティブで有益な現象であることと言うことです。大舞台での演武をおこなうのに必要なエネルギーなのです。心臓が普段よりたくさん働いてくれるおかげで、全身に新鮮な血液が送り届けられます。それによって身体は反応し動けます。また新鮮な血液は、脳に酸素を送り意識が高まります。相手の微妙な変化にも対応できるようにしてくれます。この活発な意識の高まりというのは、脳の情報収集活動であります。脳がたくさんの情報を集めて初めて、気持ちは落ち着くことができます。どれだけ心臓が高鳴っても、どれだけ身体が震えても、どれだけ口が渇いても、それはよりよい演武をするために全部必要なことである。そういうふうにプラス思考で考えていきたいものです。現在古武道と呼ばれる様々な流派は、戦国時代において形成されたものは少なく、多くがむしろ戦乱の収まった江戸時代に発展したものであり、幕藩体制のもとで、各藩は指南役を設けたり、特定の流儀を御流儀として指定するなどしました。長らく続いた平和により経済が発達し、町人文化が興り、武道は都市部や農村地帯に広まりました。このような日本固有の社会や風土が武道を生み育てたものであるならば、江戸時代に限らず、昔の日本の社会等を学んだり、同じような環境で生まれた芸術・芸事または風習等にも興味をもち、機会があれば参加することなども武道を深く理解するために必要といえます。例えば昔の日本では、民衆の移動は制限されていました。国の周囲は、早い海流をもつ海に囲まれ閉鎖的な環境で、そして国土の7割近くが高い山に囲まれ、山間部には流れの早い河川が流れています。このような自然に造られた閉鎖的な地形は、大陸文化とは異質のものを造り上げます。このような社会・風土の中で生まれ、生活に定着して共通認識となっている考え方があります。日本固有の考え方です。それらの中で、武道修練の際に必要となる考え方があります。それを西欧の文化を基にして、いくら理解しようとしても不可能です。それの経緯・背景を理解して、日本人の社会にある考え方・価値観を理解しなければなりません。近年、外国人等が武道を学ぶことが多くなってきていますが、我々日本人もきちんと原点を学び、考えていかなければなりません。


参考文献
1)大森曹玄:剣と禅、春秋社、新版第1冊、2008年
2)桑田忠親:五輪書入門、日本文芸社、版数不明、1980年
3)時津賢児:武道の力、大和書房、第1刷、2005年
4)三浦つとむ:弁証法はどういう科学か、講談社、第39刷、1990年
  1. 2013/10/02(水) 21:25:06|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 8

無雙神傳英信流抜刀兵法指導上の留意点

 無雙神傳英信流抜刀兵法の指導はそれぞれの人に応じた指導をしなければ、伸びるものではありません。
そのため、一人一人の動きを見た上で、その人にとって最適な指導方法をしていくことが大切であり、下記のことを理解させながら指導しなければなりません。

・先入観、イメージを捨てる。
 無雙神傳英信流抜刀兵法を学ぶにあたって、今までの自分が思い描いている居合・古武道のイメージ・先入観を捨ててもらうことが必要です。
 現代は情報過多の時代であり、様々な流派の居合・古武術の書籍やインターネットなどで様々な情報を簡単に得ることが出来ます。そのため、そこで得た様々な情報を自分の頭の中で取捨選択し、居合・古武術というもののイメージが思い描いてしまっている方々が多くあります。また、テレビや雑誌などで行われる派手な試し斬りや刃音をさせながら迫力を出し、素人目にはいかにも「斬りました」と、力を込めたパフォーマンス的なことを行う武術とはかけ離れた動きが「居合である」と、イメージづけられてしまっている現状もあります。
 これらのイメージのまま無雙神傳英信流抜刀兵法を始めてしまうと、全く違う方向へ向かってしまいます。
「白紙でなければ新たにものを書くことはできません」ので、まずこのイメージを捨てて白紙になることが必要です。

・経験に頼らない。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は江戸時代、武士が刀を差していた時代に土佐に伝わった居合であり、現代の常識、考え方、姿勢、動きなどが大きく異なります。ですから、無雙神傳英信流抜刀兵法で指導されることは全て現代人が今までの人生で経験したことのないことばかりであり、今までの経験に頼ってしまうととんでもない方向に進んでしまいます。
 今までの経験とは、まず他流派の居合や古武術の経験。居合・古武術は現在も多くの流派が伝わっており、その中には無雙神傳英信流抜刀兵法と見た目は同じような形・動作もあります。しかし、見た目は似ていてもそれぞれの流派にはそれぞれの理念・基準などがあり、無雙神傳英信流抜刀兵法とは異なることを理解しなければなりません。
 次に、競技武道・格闘技・スポーツの経験。
競技武道・格闘技・スポーツなどは西洋の影響を受けて成立したもので、成立過程、目的、考え方など全てが異なっています。しかし、現代人には競技武道・格闘技・スポーツと武術の区別がつかない現状があり、これらのことを知ることも必要です。
 スポーツ武道・格闘技・スポーツではルール、場所が事前に決まっておりルールに従って優劣を競います。ですから、ルールで定められた以外の部位の攻撃をされることはないため、ルールで定められた中で勝つために特化した動きのみの練習を行います。つまりウエートトレーニング等で筋力・瞬発力・スタミナをつけ、ルール内で勝つために特化した動きを身につけることが必要になります。
さらに根深いのは、学校教育などで長年教えこまれてきた正しい姿勢、正しい動き、常識などであり、それを基準にして経験してきたことです。
 日本の学校教育は明治維新以降、欧米に追いつこうとする富国強兵政策の教育の中で国民皆兵のために導入された軍隊用の訓練方法が取り入れられており、大勢を号令により一斉に訓練して個性をなくすことで統一させた行動をとりやすくさせる方法です。その訓練方法は大勢をまとめて訓練して一定のレベルに引き上げる効果があり、その基礎として体育の授業の中に取り入れられたものです。そこで長年指導されてきた正しい姿勢とは、体を緊張させ・力むことにより両肩甲骨を引き寄せ胸を張って背筋を伸ばすことで体を統一させようとする姿勢です。
 また、正しい動きとは、動きにメリハリをつけ、動作をはっきり一つ一つ区切る見た目が良く見える動きであり、いずれも体を緊張させ緊張という実感を伴うことがよいことだと、頭と体に刷り込まれています。ですから、無雙神傳英信流抜刀兵法を学ぶにあたって、今まで述べてきたような常識・正しいと思っていること、経験、先入観、イメージなどを捨て、師の言うとおりに私心を交えず稽古をしなければ習ったことが素直に身につくことはないことを理解しなければなりません。

・無雙神傳英信流抜刀兵法の形。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の形は「無理無駄なく、力みなく、体を固めることなく動くこと」が形の稽古の上での絶対条件であることを理解しなければなりません。

・無雙神傳英信流抜刀兵法は未知なものである。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古は、現代人とは身体の使い方、考え方、動きなど、全く異なるものを身につけようとしています。ですから、今までの生活で体験したり、経験したりしたことがない全く未知なものであり、生まれたばかりの赤ん坊が急に歩いたり走ったりできないように、始めは自分の動きがおぼつかなく頼りないのが当たり前です。
 そして、このおぼつかなさ、頼りなさが無ければスタートラインに立つことが出来ません。しかし、いまさら赤ん坊のように立てばすぐに転び、歩けばすぐにつまずくような思いはしたくはないと思いますが、その経験に抜きにしては新たな業を習得することは不可能であることを理解しなければなりません。

・武術である。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は武術であり、競技武道・スポーツ・格闘技などと異なり決まった日時・場所においてルールにのっとって戦い、勝敗を決めて行くというものではなく、いつ何時起こるかわからない突発的な事故・危機状況において、自分の命を守ることが出来ねば無意味なものであります。当然、相手は一対一、武器を持たない、正面から正々堂々となど、ルールにのっとって襲って来るわけではありません。
 また、動きやすく平坦な足場の良い場所で動きやすい服装とは限りません。そのような状況に対応するための武術の動きというのは、全身のどの部分にも隙はなく、どのような状況にも自由自在に動けるある普遍的な心身の動きが求められます。このように特定のルールがあり、特定の動きに特化したほうが勝利につながる競技武道・格闘技・スポーツと異なるところです。
 だから、指導法として学校教育を始め、世間一般的な考え方として「褒めて伸ばす。」という考え方があり、至らぬところや欠点を指摘するよりも褒めることが大切だと考えられていますが、武術の稽古ではそのような「褒めて伸ばす。」という指導方法をとることができません。なぜなら、競技であれば今回の試合の敗北の原因を糧に次回の試合につなげるという発想も持てますが、ルールの無い武術では敗北することは命を落としてしまうことであり、次はないからです。したがって、武術においては自分自身が苦手なところ、不得意なところを直すのが先決となります。
 そのほかにも、武術である以上は習ったものはその場で出来るだけ身につける努力が不可欠です。なぜなら、習ったその帰り道に襲われる可能性もあり、「習って間がないから使えません。」とか、「まだ初心者ですから・・・」と言っても相手は身につけるまで待ってはくれません。だから、「また教えてもらえるだろう。」とか「そのうち身につくだろう」という考えは通用しないことを理解しなければなりません。

・武術の動き
 武術の動きというものは簡単に素人や初心者が見てわかるものではありません。なぜなら素人や初心者に判断できるような動きであれば、素人や初心者にも簡単に避けられたり、斬られたりしてしまうからです。だから、初心者は見た目で判断することなく、師の言われた通りに稽古しなければなりません。

・無雙神傳英信流抜刀兵法の想定
 無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古のとき、そこに本物の敵がいるかのような想定がなければ、それは踊り以下のものになってしまいます。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の想定は、既に刀を抜いた状態にある敵が自由に自分に斬りかかって来るのを、まだ刀が鞘に納まった非常に不利な状況で対応しなければならない想定です。それを据物斬りではないのに敵が待ってくれると思ったり、自分勝手に動かない敵を想定したりしては全く使えないものになります。
 そこには「斬りかかってくる敵を気で制してから抜付ける。」という非現実的な空論などは成立しません。
また、「敵の殺気を感じて、こちらから先に抜付ける。」という想定とは異なっています。そのような想定の敵に対応するためには極限まで心と体の無理無駄を廃し、何物にもとらわれない融通無碍の自由な状態になければなりません。そのため一人稽古により、まず自分自身に向き合い、自分自身の動きの質そのものを高めなければなりません。

・生きた想定
 無雙神傳英信流抜刀兵法は生きた想定です。
 自分の動きがいつもより遅れた場合、早かった場合。想定する相手の身長や状態など、そのたびごとに少しずつ異なります。したがって、当然、斬り込む位置、刀が止まる位置も少しずつ異なってきます。
 ですから、何度形を行っても毎回、自分の動きや仮想の敵が全く同じというようなことはなく、毎回新たな状況下にあるということを認識して稽古しなければなりません。

・形稽古。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の形稽古では形の手順は決まっていますが、形を間違えずに上手に行うことには何の意味もありません。
 形の手順は決まっていますが、相手に応じていつでもどのようにでも変化出来る動き、姿勢を養っていかなければ形稽古をすることで、自由な動きを養うどころか、決まった動きしか出来ない体を作ってしまいます。

・無雙神傳英信流抜刀兵法の姿勢。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は武術であり、どこにも緊張がなく固まりのない姿勢でなければ、体の各部に居着きが生じ、そこが隙になって動けなくなり斬られてしまいます。ですから、胸を張ることなく、両肩甲骨をつけることもなく、背筋をピンと伸ばすこともなく、体を力みによって統一させることのない、あくまでそこにあるだけの姿勢がもとめられます。
そのような自然の姿勢から無雙神傳英信流抜刀兵法の業は出てきます。

・美しさ、速さ、力強さは結果である。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の形は全てが対敵動作であり、形を見事に美しく演じるとか、力強く速くとか、威圧感を出すという考えは全くありません。たとえ、その形の動きが美しく力強く速く見えたとしても、それはあくまで「より自由に、より楽に」を求めた結果、動きが洗練されて無理無駄がなくなったのであり、決して美しさ、力強さ、速さを求めているわけではありません。

・調和を乱すもの。
 無理無駄が無くなれば、体の調和が取れてくるので意識しなくとも自然に動きが整うことで速く、強くなってきます。しかし、「より速く、より強く」と求める心や、「刀で斬った、刀を振った」という実感を求めてしまうとそれが筋肉の緊張・力みになり、体の調和が乱れ、かえって遅く、弱くなってしまいます。

・欠点に気付く
 自分の至らぬところ、欠点に気付くには自分の体の状態が認識できる速さで動くという事が大切です。自分の体の状態が認識できる速さはそれぞれ人により異なりますので、他人に合わせて動いては意味がありません。

・自分自身に備わっている。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古は自分の体に備わっていないもの新たに作り上げるのではなく、心も体も無理無駄をなくすことにより、本来自分自身に備わっている能力を現すことによって業と成します。

・無雙神傳英信流抜刀兵法の呼吸。
 形の中で行っていなければならないのは臍下丹田の呼吸です。全身の何処にも無駄な力みや緊張があっては臍下丹田で呼吸を行うことは出来ません。

・中心で動く
 無雙神傳英信流抜刀兵法では、体の末端、切先までの動きは全て中心を使った結果であって、形が同じように見えても中心で動いた結果そうなる動きと、結果を求めて末端を使って同じような形を作ろうとしてできた形とでは本質的に異なっていることを知らねばなり。

・伝達経路。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の形は体の末端にある刀が斬る、突くという働きをするので、手首、前腕、上腕を用いて刀を動かそうとしてしまいます。そうなると動きが体の中心を用いていないために力の伝達は末端近くから行われ、自分自身の実感は強くても、実際は刀に十分な力は伝達されていません。
 また、体の外側に生まれた力が中心を崩してしまうため、その崩れを止めようとして体を固めてしまい、結局のところ自分自身の動きにひずみ、ゆがみ、力みができてしまいます。
無雙神傳英信流抜刀兵法においては手首、前腕、上腕、肩はあくまでも中心からの力の伝達経路であり、刀と一体となったものでなければなりません。ですから、この伝達経路に力みという障害物があると刀に力が伝わらず、力の方向がずれてしまい刀が本来動くべきところに動かなくなってしまいます。

・座る
 無雙神傳英信流抜刀兵法においては座法こそ極意であり、座ることが出来れば、あとの業はその状態のまま動いているに過ぎず、座っている状態と変わるものではありません。しかし、たかが座法、形とは別と考えてしまえば、いくら形を稽古してもそれ以上のものを形から会得することはできません。また、あるがままに座ることが出来れば中心は感じようとしなくとも存在しています。

・根本を修正する。
 無雙神傳英信流抜刀兵法は中心で動いた結果、悪いところがあれば各部位にひずみ、ゆがみ、力みなどが現れてきます。だから、悪い部分「肩が上がっているから肩を下げる。」では、何の解決にもなりません。根本である中心の動きを見直し、原因を突き止め修正しなければなりません。

・心の働き
 緊張した心からは自由な働きは生まれません。無雙神傳英信流抜刀兵法における心の持ちようは何の緊張状態もない、凝り固まりのない心であり、心の緊張状態は心の居着きであり、動けない体を作る原因となってしまいます。

・そこにあるだけの姿勢
 体の中心と地球の引力の線が一致しており、体のどこにも無理無駄がなく意図的な緊張を生み出さない姿勢を求め稽古していきます。姿勢を作ることがないからこそ、自由に動くことができます。

・量より質。
 間違った動作を何度行っても間違ったものが身につくだけであり、正しいものが身につくことはありません。
ただ回数を行えば体が慣れて業が身につくという考えは捨てなければなりません。

・再現できない。
 毎日、体調も感覚も変化していきます。
また、記憶は曖昧であり、上手くできた過去の感覚を追い求めて稽古をしてしまうと、とんでもない方向へ行ってしまいます。だから稽古は毎回、新たなものであり、自分の動きを日々新たな視点から新たな感覚で全てを見直しながら、進めなければなりません。

・教えすぎない。
 何でもかんでも教えていると自分で考え、工夫することがなくなります。成長の度合いに合わせヒントを与えながら指導しなければなりません。

・言葉にとらわれない。
 言葉で説明すれば、その言葉から自分がイメージした動きをしてしまいます。また、言葉で説明しすぎると頭で考える癖がつき、言葉に縛られ自ら動きを阻害してしまいます。言葉で伝えるのは一部分であり、言葉での説明は最低限にしなければなりません。

参考文献 貫汪館H.P
  1. 2013/10/03(木) 21:25:47|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 9

   『澁川一流柔術普及の方策について』
                              
 澁川一流柔術を普及させるための方策について論ずるにあたり、まず第一に必要なことは世間に澁川一流柔術が認知されることだと思います。私自身、澁川一流柔術と出会うまで柔道、剣道、空手というものが武道であって、古の刀を帯刀し歩いていた時代の流派武術というものが今日までその伝系と共に残っているということを知りませんでした。子供の頃、剣道教室に通っていたときには剣道のほかに居合や杖道を目にする機会はありましたが、流派武術の名を耳にする機会はなかったように思います。私が不勉強であったこともありますが、そのような環境において刀を前提とした体術の存在を想像することもできませんでした。これもまた大人になるまで続けていればまた違ったのかもしれませんが、その場合には古武道の世界に進むことはなかったように思います。初めにふれた環境はその後の進路に大きな影響を与えると思います。
 澁川一流柔術を普及させるうえで、「古武道」そのものが世間一般にあまり認知されていないというところに一つの壁があるように思います。そういったまだ「古武道」というものをご存じない一般の方に「古武道」の存在を知ってもらう手段としてホームページの開設、Facebookをはじめとするソーシャルネットワークサービス(SNS)での告知は現代社会において有効な手段であることは疑いようもありません。しかしながら今武道を始めたいと思う人のなかにも、知らないがゆえに情報検索の段階で「古武道」という文字にたどり着くことなく、出会いの機会を失っている方も少なからずいると考えられます。また特に柔術というと、世間一般ではいわゆる格闘技の「ジュウジュツ」を連想されるほうが多いのではないかと思います。せっかくの出会いも格闘技を連想されてこられた方には貫汪館の目指す姿をご理解いただけない可能性も少なからず出てくるように思います。
そこで演武会や講演会などで実際に行う演武では、古武道を目的に見学に来られた方はもちろんのこと、初めて目にされる方にも柔術が如何なるものかを理解いただく絶好の機会となると考えます。以前、貫汪館を訪ねてこられた方で、子供の頃にハワイで澁川一流柔術の演武をご覧になられて、その演武をきっかけに貫汪館を訪ねて来られた方がおられました。ご本人のお話では「演武がとても印象深かった」と話されていました。そうした同じ空間で私たちの演武から様々な印象を感じ取っていただくことは大変有意義なことであると思います。またご覧いただいた方と直接ご縁が持てなかったとしても、人づてに伝わりまた新たな人に知られるということも十分に可能性としてあると考えられます。
 次に様々な手段を講じて世間に知られる存在となったとしても、貫汪館で稽古を望まれる方が現れた場合に近くに道場が存在しなければ、また出会いの機会を逃してしまうこととなりかねません。せっかく稽古を始められた方でも進学や転勤といった理由で道場に通うことが難しくなり、やがて稽古から遠ざかってしまうことも考えられます。そこで各支部道場の存在が重要となってくると思います。進学先や次の勤務先でも無理なく稽古に通うことができる環境があれば近い将来の進学があるから、転勤で稽古を継続させることが難しいからと貫汪館での稽古を始めるのに躊躇されている方にも入門の機会を広げることにつながると考えられます。それを可能とするためには支部道場ごとの技術水準の差をなくしていくことが重要だと考えます。ある道場で習ったことがほかの道場では全く通用しないということでは、それまでの稽古に費やした時間が無駄となってしまうだけではなく、上達への遠回りをかすこととなり上達の機会を奪ってしまうことにもなりかねません。そうなれば稽古への意欲もやがて失われ道場から足が遠のくことになると思います。これではまた道場から人材を失うということになります。
澁川一流柔術を普及させるにあたり組織を構成することは、情報が氾濫し何が真実で、何が間違ったことなのかが不透明となった現代社会において重要な意味を持っていると思います。世の中で知られた存在となりそこに価値が生まれるということは、裏を返せばそれを利用され、あるいは悪用される可能性が生まれるということになります。もしそのようなことに巻き込まれた場合、それが道場外で起こった事だとしても、我々には無関係であると言えないケースも少なからず出てくることが考えられます。そういった場合に一個人で判断し行動することは極めて危険なことだと思います。組織内にそういったトラブルの解決や回避に詳しい人材がいれば少なからずそういった危険に備えることができます。たとえそのような人材が組織内にいなかったとしても様々な意見を出し合い解決へと導くことが可能となると思います。またトラブル解決だけに留まらず、今後あらゆる事情をクリアしていくためにも道場の組織化は必要条件になると思います。
組織を構成する最小の単位は人です。その人を育てる役目を担うのが各道場ということになります。そこで各道場で人をどう指導するかが組織の存続に大きく影響すると思います。そこで各道場での方策が大きなカギとなります。
 道場運営において、まず組織の最小単位の人を集めることが必要です。今、武道を始めようとしている人にとって一番の関心は見栄えであるとか、ステータスであるといったものになるのが正直なところかと思います。そういったものを求めて貫汪館に関心を持っていただくその前提として重要なことは、貫汪館で稽古されている柔術が本物であるということだと思います。なにをもって本物とするかは難しいところですが、道場を導く者のレベルがあまりに低い水準にあっては、興味すら持ってはもらえません。道場を管理運営していくものが常に自分の問題点を把握し変化し続ける存在でなければ、そこに価値を見出していただくことはできないと思います。これが企業でいうところの商品にあたると思います。この商品にいかに関心を向けさせるかということが道場運営の戦略ということになるかと思います。
 経営学の父と呼ばれるドラッカーはマネジメントにおいて「企業の目的の定義は、顧客を創造することである」と述べています。いくら優れた商品(製品、サービス)があっても消費者が買ってくれなければビジネスは成立しません。すでにあるニーズを満足させるための商品、あるいはニーズそのものを生み出すような商品を生み出すことで顧客に満足を与え続けることが「顧客の創造」であると述べています。これを道場運営に置き換えて言えば、常に質を向上させて変化し続ける存在という価値を生み出すことだと思います。それを可能とするためには、互いに高めあうことのできる稽古相手(人材)、いつも決まった時に稽古をできる環境(場所・時間)、運営していくための資金が必要となります。そのためにも門人を集めることは絶対不可欠です。
また入門した門人をどう導いていくかは道場運営に大きく影響するものだと思います。ドラッカーは「働く者が満足しても、仕事が生産的に行わなければ失敗である。逆に仕事が生産的に行われても、人が生き生きと働けなければ失敗である。」と述べています。道場において言えば、門人が切磋琢磨しより質の高い稽古をすることができていたとしても、運営していくための資金が集まらず、一部の者だけで補てんしていたのではやがて無理が生じ道場の存続自体が危うくなります。またそれとは逆に人が集まり資金には苦労しなくとも門人にやる気がなくいつまでも上達しないような状態ではでは柔術そのものを残すことが不可能となってしまいます。この運営していく上での資金と人のやる気の両立があって初めて道場の運営が成り立ちます。
人のやる気を導くために、ドラッカーは「マネジメントのほとんどが、あらゆる資源のうち人がもっとも活用されず、その潜在能力も開発されていないことを知っている。」と述べ、人のやりがいを引き出す労働環境の要素に次の3つを挙げています。
① 仕事が生産的でやりがいがあること。
真に必要な仕事が与えられ、自分の能力にあっている。成果を上げるための仕事のやり方も評価の基準も明確で、用いるツールや参照すべき情報も与えられている。
② 自分の成果についてフィードバックがあること。
自分の仕事の成果について、評価がフェアである。良かった点、悪かった点についての過大評価・過小評価がない。そうした環境下では自己管理が可能となり、人は仕事に対して意欲的、能動的になる。
③ 継続的に成長できる環境であること。
自分の能力をより専門化・より高める環境がそろっている。他の専門分野との仕事を通して新たな経験を積み、問題意識を抱き、ニーズを感じることができる。
 こうした環境下であれば、働く人自身に自己管理の意識と自己啓発の意欲が生まれる。適度に相手に任せ、結果に適切な評価を下すことが働く人を成長させ、生産性を向上させる。働く人が仕事に責任を持つようになると、上司への要求が高くなる。だから、働く人が成果を上げるためには、上司は彼らから一目置かれる存在でなければならない。こうして全員がボトムアップすれば会社の成長にもなる。会社の最大の資産は人間である。組織の違いが人の働きを変えると述べています。
 入門時点では人それぞれ様々な思いで前向きに稽古を始められます。ですがやがて月日がたち、初心を忘れて自分の現時点での上達の進み具合や未来の自分の目指す姿を想像することが難しくなることがあります。そうしたときに道に迷い、やがて稽古から遠ざかっていきます。その原因は自分自身を客観的に見ることができなくなってしまっていることにあると思います。そこで昇段審査会を開き、昇段の条件や審査をける資格の基準が明らかにされることは今の自分の稽古の進み具合やなぜ昇段に至らないのかという理由が明確になり、自分の現状を把握するのに一つの目安となるとともに目標となると思います。また道場の運営についても、会報制作、会の名簿管理、入会募集などをはじめとする役割を分担して責任を担うことは、教えられるという受動的な立場を、自分たちで運営していくという能動的な立場へと変えてくれるものだと思います。
 道場を導く者に必要な資質について、「人を管理する能力を・・・学ぶことはできる。・・・だが(マネジャーが人材を開発するには)それだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。」とドラッカーは述べています。マネジャーに求められる任務は、第1に生産性が高まるように自部署を導くこと。強みを生かし弱みをなくすことである。第2に現在と未来、短期と長期の面からリスクの種類と大きさを判断し、リスクを最小限にとどめること。たとえば現在の顧客や成果を重視するあまり、将来の変化を見逃して波に乗り遅れてしまうといったことにならないようにすると述べられています。そこでマネジャーに必要な資質をただ一つ「真摯さ」であるといっています。「真摯さ(integrity)」とは「正しいと信じることに対して、正直であり、誠実である」こと。たとえいつも仏頂面で気むずかしい人物でも、信念があって志が高く公平な判断ができるなら、その人物はマネジャーの資質を持っている。いかに愛想がよく、有能で聡明であろうと、真摯さに欠く人はマネジャーとして失格だとしています。道場においても有能な門人を育てることが道場の目的とするならば、その指導において妥協を許さず真摯に指導に当たらなければならないとともに、その評価についても私見を交えず公平に判断することができなければならないということになります。そしてその結果に責任をもつものが道場長ということになります。
 道場運営において目標を設定することは必要不可欠なことです。目標のないまま運営していくことは、目的地を決めずに大海に出ていくのと同じくらい無謀なことだと思います。目的地がないのですから、行く先に必要な燃料も食料の全てがどんぶり勘定となります。それでは当然のことながらいつかは破滅ということになってしまいます。全体としての組織としての目標、そして各道場としての目標というものを明確にさせたとき、自分はどう行動するべきかという個人の力を引き出すことができるようになると思います。ドラッカーは「目標管理の最大の利点は、自らの仕事ぶりをマネジメントできるようになることにある。自己管理は強い動機づけをもたらす。・・・最善を尽くす願望を起こさせる。」と述べています。
マネジャー、つまり管理職の仕事は、働く人たちを1つの方向に向かわせること。しかし、しばしば誤ったやり方が取られることがある。
① 組織を機能で細かく分けること。こうすると、専門分野でのスキル向上自体が一人の目標になってしまう。
② 上下関係を厳しくしすぎて「上の言うことを聞く」ことが過度に意識されてしまうこと。
③ 現場と管理職の思惑のズレによって、両者の価値観や関心事が大きく異なること。
④ 報酬の多寡によって間違った行動を評価し、助長してしまうこと。
 こうしたやり方をとると一見、組織はまとまっているように見えても、成果の出ない単なる人の集まりとなってしまうと述べられています。道場において、たとえば門人の関心が単に自分だけの技術の向上に目が向かってしまっては、有能な柔術家を輩出することができたとしても個人として売名に関心が善き、目標とする流派の普及と後に澁川一流柔術を確実に残すという目標に沿わなくなる恐れがあります。そのためにも道場長は適切な方向付けを示す必要があります。
 マネジメント体系で最も重視する「目標による経営」は、上位部署の目標に基づいて自分の部署の目標を明確に設定し、それに貢献できるように部下の仕事を導くのだ。目標には売り上げの伸び、コスト率の削減、新しい仕事の立ち上げ、後継者の育成、社会貢献など様々なタイプがある。どんなものでも部署の目標が明確になると、「自分はそのために何ができるのか」を考えられるようになる。目標による経営の最大のメリットは、経営管理者も自分の目標も自分で考えて立てられるという点だ。自己の働きをいかに貢献につなげるかという意識で主体的に仕事を見直すことができるのだと述べられています。道場運営においても道場長が目標を明確にすることで、門人一人一人がその目標に向かって自分の強みを発揮させる機会をつくることができると思います。人材育成においてもより質の高いものを目指すとき、一人では難しいことも門人の間でこれまでしてきたことを伝えあうことで、全体としてのボトムアップにつながることが期待できると思います。そして道場としてより完成度が高まったとき、また新たな目標の設定が可能となってくると考えます。 ドラッカーは「凡人が力を合わせて非凡な成果を上げるのが組織の強み」であるといっています。それとは逆に組織全体への貢献の意識が衰えると、足の引っ張り合いや個人主義がはびこり、ノウハウの共有力が落ち、失敗を極端に恐れるようになる。だが失敗しない人に新しい価値を生み出すことを期待できない。「成果を上げる人」とは「価値を生み出す人」のことである。当然、試行錯誤の段階で短期的には失敗もするであろう。しかし失敗しない人をほめ、失敗した人を責めるのは大きな間違えである。意欲的な人、優秀な人ほど失敗はつきものである。それを失敗ととらえる組織では、人の意欲と士気は大きく下がると述べられています。道場長の役割として人材の可能性をいかに伸ばしていくかがに力を注ぐかということを常に考えて行動しなければならないと思います。そのとき私見で人を評価してしまえば、人は不公平さを感じやがて足の引っ張り合いや個人主義のはびこり、ノウハウの共有力の低下を招くことになりかねません。ですからそれを束ねるもの資質には「真摯さ」が不可欠になると思います。
 道場としてあるべき姿ができたとき門人に対し、「組織は澁川一流を普及させるために、あなたにどんな貢献を望んでいるか」を示し、理解を共有することでまた新たな普及のための方策を立てることができると考えます。
 これまで述べましたように組織を構成するのは人であり、澁川一流柔術を修業するのも人、それを次の世代へつなげていくのも人です。その人によって栄えもすれば滅びもするのが無形の文化の伝承なのだと思います。
私事になりますが私の職場で、先輩方から一通りの機械加工を教わったころ「この技術は人を傷つける可能性も持っている。人に技術を教えるのは恐ろしいこと。人を傷つけるものをつくるなよ。」と教わったことがあります。力のあるものは人を豊かにしてくれます。ですがそれと同時に人を不幸にもすると感じるようになりました。伝える人には技術だけではなく、その心を伝えていく責任があるように感じます。広く世の中に広めていく中でその中身まで薄く広がっていくことは避けなければならないことだと感じています。
そのためにも人を見る目を持つことは道場長に必要な資質であることを述べ終わらせていただきます。

参考文献
・P.F.ドラッカー 『マネジメント【エッセンシャル版】-基本と原則 ダイヤモンド社 2013年5月28日 第51刷発行
  1. 2013/10/04(金) 21:25:44|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 10

受審課題 :無雙神傳英信流抜刀兵法を通じて何を教えるべきかを論じなさい。

前書き
 課題である「無雙神傳英信流抜刀兵法を通じて何を教えるべきか」を論じる前に、まず私にとって「無雙神傳英信流抜刀兵法とは何か」を論じてみたい。
 またそのために、私自身の半生を振り返ってみたい。その人の生い立ちと武道歴は、その人の武道観とは切っても切り離せない関係であると考えるからである。あるいは、そのものと言えるかもしれない。

生い立ち
 私は昭和45年(1970)東京都品川区南大井に生まれた。東京と言っても下町で、お世辞にも上品な場所とは言えなかった。東京湾のすぐ近くで、週末には最寄り駅から大井競馬場へ行きかう人の波がすごかったことを覚えている。当時の競馬をやる人たちには今のようにおしゃれな人達はおらず、あまり小奇麗とは言えない服装の人たちが、無言でぞろぞろと歩く姿には、一種異様な雰囲気があった。

 これは最近になって知ったことだが、最寄り駅である京浜急行線の立会川駅周辺には、旧・土佐藩山内家の下屋敷があったそうである。江戸に剣術の修業に来ていた坂本龍馬は、その下屋敷に滞在していたと。駅から200mほど先の勝島運河周辺には浜川砲台が設置され、龍馬はその警備にあたっていたとのことである。立会川駅のすぐ近くには子供の頃よく遊んだ公園があるが、最近では坂本龍馬の記念像が立っているらしい。
 坂本龍馬と言えば土佐の人物で、土佐と言えば無双神伝英信流抜刀兵法の発祥の地でもある。これには不思議な縁を感じる。
また、山内容堂公の墓も所在している。山内容堂公と言えば、無双直伝英信流山内派の代名詞でもある。

 当時は公害が社会問題の一つになっていて、工場は元より、道を行きかう自動車の排気ガスがすごかったことを覚えている。そのせいもあってか生まれてすぐぜんそくになった。かなり重症だったため、学校は休みがちで、遠足や修学旅行も不参加が多かった。
 少し走っただけで発作が出るので、運動のたぐいはほとんどできず、当然、運動は苦手であった。体力もなく、乗り物も苦手で、すぐに乗り物酔いになるので旅行も苦手だった。なにしろ移動が苦手なのだから、移動が大半を占めると言っても過言ではない旅行が、楽しい思い出になるはずもない。

 昭和55年(1980)横浜に転居した。ちょうど10歳、小学校5年生になる春のことである。当時はよく理解できていなかったが、親の会社の都合であったことを後になって知った。
 小学校、中学校とぜんそくは相変わらずで、運動はまったくの苦手なままであった。
 高校になって硬式テニス部に入部したが、上述のように運動が苦手なことと、目が悪くてボールがよく見えないこともあって半年で退部した。ただその後、体力がついたのか、二年生のときには皆勤で、三年生のときもほとんど休むことはなくなった。それでも運動らしい運動は、ほとんどしたことがなかった。

大学時代
 平成元年(1989)神奈川大学に入学。神奈川大学には給費生という制度があり、それに合格すると四年間の学費が免除される。他の大学の入試に先立って、毎年12月24日に試験が行われる。あまり深く考えることもなく、受かればラッキーくらいのつもりで受験した。残念ながら給費生としては合格できなかった(なにしろ合格率100倍と言われていた)が、一般合格は認められた。学費を払うなら入学してもよいということである。大学側としても、学費を免除するほどは優秀ではないが、ある一定程度の基準を満たした学生を早期に確保したいという思惑があったのであろうことは大人になってから理解できた。その後、他の大学も受験したが、どこも合格できず、結果として神奈川大学に入学した。給費生は試験が三科目で、国語、英語、政治経済で受験した。国語と英語はずば抜けて成績がよかったが、社会科一般は苦手でひどい成績だった。それもあって、他の大学は合格できなかったのであろう。神奈川大学に入学したことが、後に大きな意味を持つことになった。
 学部は法学部で、これもあまり深い考えがあってのことではなかった。なにしろ、受験用紙を記入する段階まで、外国語学部の中国語学科にするつもりだったのだから。一緒に受験用紙を記入していた友人が、やめた方がいいのではないかとこれもまた深い考えなしにアドバイスをくれて、なんとなくかっこいいからという理由で法学部にしたのである。しかしこれも、後に大きな意味を持つことになる。

 大学に合格した私は、もちろん社交的な性格などではなかったので、サークルなどには入らず運動系の部活に入部しようと考えた。少し体を鍛えたかったのである。かと言って純粋な運動にはついていける自信がなく、これまたなんとなく武道系にしようと考えた。
 神奈川大学には当時、柔道、空手、剣道、少林寺拳法、琉球拳法、テコンドー、弓道、合気道などの武道系の部活があった。柔道、剣道は中学高校からの経験者が入るもので、大学から始めるのは無理だと聞いた。空手は少し乱暴そうで性に合わない。少林寺拳法の見学に行ったが、稽古を見ることができなかった。たまたま合気道の勧誘をしていたので、そこに自分から声を掛けて、練習を見学することにした。合気道のことをまったく知らなかった私は、正直、変な武道だと思った。しかし、マラソンはしないし、稽古も楽だと聞いたので、とりあえず入部してみることにした。
 いざ入部してみると、マラソンはするし、筋トレはするし、技はよくわからないしで、入部して間もなく、やめようと思った。しかしある日、木刀を持って裸足で学校の外周をマラソンした後、校舎の屋上に駆け上がり、木刀の素振りが始まった。
 当時の神奈川大学の合気道部は、普段は西尾昭二先生の体術を稽古していたが、水曜と土曜の剣と杖の稽古では岩間の斉藤先生の技を稽古していた。一の素振り、二の素振り、三の素振りと、上段や脇構えから振り下ろすだけの今思うとなんということはない素振りに、当時は感動を覚えたのである。それで、退部することをやめたのである。

 剣がなかったら、きっと合気道部は続けていなかったであろう。そして、同じ合気道でも剣の稽古をするのは決して一般的ではないということを後になって知った。神奈川大学の合気道部でなかったら、きっと続かなかったに違いない。
 また法学部ではなく外国語学部に入部していたら、授業が忙しくてとても部活は続けられなかっただろう。当時、授業は適当で、教室よりも道場と部室にいる時間の方が長かった。大学の何学部かと聞かれると、法学部ではなく合気道部と答えたくらいである。それでも単位はきちんと取っていたので無事に卒業はできた。法学部はそういった融通が利いたのである。大学の授業では、法律よりも物理や哲学、スポーツ理論などの方が楽しかったことを覚えている。
 斉藤先生の剣と杖の他に、西尾昭二先生からは居合を教わることができた。当初は稽古の前に大森流を教えてくれたが、後にご自身で工夫考案された合気道用の居合を教えてくれるようになった。これは英信流が元になっているが、他にも荒木流や水鴎流、香取神道流などの動作も入っている。もともと空手柔道の出身である西尾先生は、よりよいものはなんでも取り入れるというリベラルな考え方の持ち主であった。横浜の松尾剣風道場で、当時一流の武道家との交流があったことも大きな要因だったのではないかと想像している。
 私自身も、西尾昭二先生の合気道と剣杖居合と並行して、岩間の斉藤先生の体術剣杖を習うことができたのはとても幸運なことだったと思っている。
 そして、武道は一つに凝り固まるべきではないという考え方の基礎も、ここに根があるのではないかと自分自身では感じている。

 また稽古のために、メガネをやめてコンタクトレンズを使用するようになった。極度の近視のためメガネでは視力の矯正がほとんど利かなかったが、コンタクトレンズでは視力の矯正が利くため、文字通り世界が広がった。知らない場所でも案内板が見えるし、人の顔が見えるから話しかけることもできる。
 体力がついて、車はまだ苦手だったが電車なら酔わなくなったこともあり、行動範囲は飛躍的に広がった。まったくどこにも行くことのなかった人間が、一人でどこにでも行くようになったのである。ただし、武道のためならば、という条件付きではあったが。
 毎日の部活練習の他に、夜は町道場の稽古に通った。若い学生が稽古に来ると、道場の人はよろこんで参加費も無料にしてくれるし、稽古後の飲食もご馳走してくれたりもした。また、やる気があっていいね、などとおだててくれるので、ますます調子に乗って稽古に通った。横浜だけではなく、逗子や東京、埼玉などにも通った。

就職後
 平成5年(1993)横浜市役所の職員となる。
 就職についてもとくに考えていなかった私だが、漠然と、民間の営業には向いていないだろうなとは感じていた。合気道部の後輩が公務員試験の勉強を始めると聞いて、自分も始めることにした。通常より1年遅れで勉強を始めたわけである。半年ほど勉強をして、国家公務員Ⅱ種、神奈川県高等、横浜市、大和市、東京都特別区を受験して、幸いなことに一次試験はすべて合格した。そして、勤務は家の近くがよいというだけの理由で、横浜市に就職することにした。幸い、二次試験も合格することができた。

 大学で合気道を稽古していても、就職すると稽古をやめてしまうことがほとんどである。理由はもちろん、仕事が忙しいからである。公務員となった私は、幸いなことに最初の配属はそれほど忙しい部署ではなく、稽古を続けることができた。その後も、忙しい部署に配属になったりもしたが、稽古は休まずに続けることができた。
 OBとして学生の稽古に顔を出したので、毎年5人前後の新入生を相手に、約20年間で述べ100人程度の相手をしたことになる。自分の稽古はもとより、人を見ることや、いろいろなタイプの相手に合わせること、アドバイスの仕方・タイミングなど、指導の勉強にもなったものと思う。

 当時の神奈川大学では、三年生で初段、四年生の春に二段まで取得していた。卒業後も稽古を続けていた私は、25歳で三段となり、28歳で四段となることができた。かなり早い昇段であったため、当時は周囲(大学OB)のやっかみがすごく、若いくせに、ろくに稽古もしていないくせになどと言われたことをよく覚えている。ただし昇段は自分の意思ではなく、師範である西尾昭二先生の強い勧めと推薦によるものであった。
 この頃から、合気道以外の武術武道にも目を向けるようになり、稽古するようになった。これはもちろん、西尾昭二先生の考え方によるものが大きい。
 「合気道の道場の中で、仲間内に技がかかっても何の意味もない。武道の価値は、他武道との比較の中においてなされる。」とよくおっしゃっておられた。
 実際、合気道の高段者のほとんどは、突きもまともに突けず、剣もろくに振れず、投げもまともに打てないのに、口だけは達者な人ばかりであった。
 そして、他武道の稽古をしていると聞くと、あいつは合気道に対してまじめではない、などと評する人が意外にいたりするのであった。

 中国武術は8年間練習した。最初は、金沢八景へ八極拳を習いに通った。当時の職場で、毎朝、新聞記事をチェックする担当になっていて、たまたま広告に目が行ったのである。家は横浜市の最北端、練習場所は横浜市の最南端である。練習時間よりも往復時間の方が長かったが、合気道の稽古で埼玉にも通っていた私は、とくに負担には感じなかった。
 練習を開始して間もなく、指導者がその場所を突然やめてしまった。のちに新宿で練習していると聞いて、今度は新宿に通った。そして、長拳、剣術、槍術なども練習した。
 長拳はいわゆるカンフーと呼ばれるもので、とても速く激しく動き、跳躍や旋回も行う。また中国武術では、武器は手の延長と考えられており、短い武器として剣か刀、長い武器として槍か棍をセットにして練習するのである。ここでも、何か一つだけではなく幅広く練習するのが当然のことであった。
 後に太極拳も練習し、いくつもある太極拳の種目のうち参加者が少ない種目であったとはいえ、たった3ヶ月の練習で神奈川県の代表として全国大会に出場したのもいまではよい思い出である。
 激しいトレーニングのせいで膝の半月板を痛め、腰を痛めたが、合気道で得意になっていた私がまったく通用せずに鼻っ柱を折られたのは中国武術である。実際に殴り合ったりはしない表演の世界ではあったが、指導者は中国のチャンピオンで、練習仲間にはアジア大会でメダルを獲得するような人もいて、大人になってから練習を始めた自分は、まったく中の下にも届かないようなレベルであった。
 とにかく基礎が足りず、筋トレと柔軟を毎日みっちりと行った。柔軟がどれほどきついものかを知ったのはこのときである。また、もともとほとんど運動経験がなく貧相だった体を合気道の稽古でそれなりに鍛えたつもりであったが実はまったく大したことはないということを知って、今でも大した体ではないがそれでも十人並みの体になれたのは、中国武術の厳しいトレーニングのおかげである。

 並行して、全日本剣道連盟居合の道場にも通った。全剣連居合は五段まで取得し、夢想神伝流も奥居合まで稽古した。
 太刀打と詰合は、師匠は、師匠の師匠から習ったとのことである。ただ、一通りの手順を覚えた後はまったく稽古しなかったので、今ではほとんど覚えていないと。また打太刀しか稽古しなかったので、仕太刀の動きはまったくわからないとのことであった。全剣連の競技選手として優秀だったので、試合や昇段審査に関係のない稽古には興味が持てず、時間と労力を割く気にはならなかったのであろうことは想像に難くない。
 幸いなことに、当時のビデオと文章が残っていたので、相手を決めて稽古をしてみた。しかし居合の他に剣道の経験もあるその人は、間と間合いの感覚に乏しく、手順の覚えも悪く、まったく稽古が進まず閉口した。なんとか十本を覚えて打太刀仕太刀を交代すると、またまったく動けなくなってしまうのである。全剣連居合の長年の稽古によって、決められた手順を演じることしかできない頭と心と体になってしまったのであろう。太刀打十本、詰合十本が伝わっていたのに、大変残念に思う。
 稽古は次第に全剣連の昇段審査のための稽古ばかりとなり、大森流すらろくに稽古をしなくなった。全剣連で三段四段になっても、大森流の順番すら覚えていない稽古生がだんだん増えて来た。高段者であっても、居合とは全日本剣道連盟居合十二本のこと、という認識しかなく、しかもその自覚すらない人たちばかりであった。武術・武道・兵法としての居合ではなく、あれではまったく、全剣連居合道競技選手の集まりである。

 神奈川県立武道館で開催される初心者教室には、剣道、空手、弓道などにも参加した。
 スポーツチャンバラ、なぎなた、アーチェリー、フェンシング、杖道など、体験可能なチャンスがあれば、なんにでもどこにでも行った。
 明治神宮や日本武道館の古武道の演武会も見に行った。
 合気道では長野、新潟、滋賀、大阪、北海道まで、中国武術では中国へも合宿に行った。

 きちんと稽古したのは合気道、居合、中国武術の3つである。
 中国武術は遅くとも10歳までには練習を始めて、20代後半では体が持たず引退するような世界であった。スポーツと変わることがない。
 合気道は西尾昭二先生亡きあと稽古したいと思える道場を見つけることができなかった。
 居合は稽古していたが、完全に現代居合道であり、全剣連居合が中心で、夢想神伝流はとても古伝とは思えない内容であることをだんだんと知るようになった。また一人で行う素抜き抜刀術のみの稽古であり、西尾先生と斉藤先生の合気道出身である私には、とても武道とは思うことはできなかった。次第に、これではない、という感が強くなっていった。
 合気道が中核にあり、中国武術で体を作り、なんとなく居合を続けていたというところであろうか。

貫汪館
 大森流は十一本(流派によっては十二本)の業で構成されている。昔から、業の名称に疑問があった。一つは抜打、もう一つは陰陽進退である。大森流は基本的に“○刀”あるいは“○○刀”という名称で統一されている。なのに、なぜこの二つは例外なのか。
 何に興味を持つかは人それぞれである。それこそ生い立ちに原因があるのであろうが、それを分析するのは難しいことであるし、少なくともここではあまり意味がないだろう。同じ武道を稽古する者でも、ある者は業を稽古することにしか興味がなく、ある者は業の理合に深い造詣を持ち、ある者は武道史に強い関心を持ち、ある者は業の名称に興味を持つ、などということなのであろうか。
 私の場合は、業の名称に深い意味があると考え、その業にその名前をつけた先達の深い考えに想いを馳せ、また名前の意味から裏に隠された理合を見つけることができるのではないかと考えている。科学的アプローチであると同時に、ロマンをも感じているのである。
 陰陽進退はなぜ陰陽進退なのか。なぜ“陰陽進退刀”ではないのか。そしてそもそも“進退”であれば、“陰陽”ではなく“陽陰”ではないのか。また、二文字または三文字の業名の中で、なぜこの業名だけ四文字なのか。どうでもいいと言えばどうでもいいことだが、私にはとても気になって気になって仕方がなかったのである。

 世の中は日進月歩で、インターネットというとても便利なツールが一般的となった。もう忘れられつつあるが、ほんの十数年前までは、資料はほとんど紙で、人づてか自分の足で歩いて探すしかなかったのである。それが現在では、インターネットの検索エンジンに単語を入力するだけで、たいていのことがわかってしまう。便利なものだ。
 そしてあれこれと調べているうちに、中国の陰陽思想に“陽進陰退”という単語があることがわかった。しかし、居合関連で“陽進陰退”がヒットしたのは当時1か所だけで、しかもとくになんの説明もなかった。
 ときおり思い出したように、“陰陽進退”あるいは“陽進陰退”などという単語を検索する日々が続いた。他にもいろいろな単語で、検索を繰り返していた。
 あるとき貫汪館のホームページがヒットした。大森流居合術名覚についてのページである。気になって、メールをしてみた。昔の私からは考えられない行動力であるが、大学で合気道を稽古して、コンタクトレンズになり、あちこちに一人で出向くようになってからの私としては普通の行動である。果たして、すぐにていねいな返信をもらうことができた。悪用しない事を条件に繊細な画像を送ってもらうことができた。研究紀要も実費で送ってもらうことができた。

 当時の貫汪館のホームページは今でもそうだが背景が黒で画像や動画もほとんどなく、詳細な業の説明もなく、しかし形名はすべて記載されていた。大森流、英信流表、英信流奥、太刀打、詰合、大小詰、大小立詰。歴史についてきちんと記載がなされていた。
 ストイックで厳格なイメージがあり、敷居が高く感じられた。定期的に講習会が開催されていることはわかったが、軽い気持ちで参加できるような雰囲気には感じられなかった。ただこれも、後で述べるが、結果的には良い方向へと働いたように思う。

 全剣連居合でも得意になっていた私は、四段の一回目の審査には合格ができなかった。神奈川県の審査は、三段までは合格率100%だが、四段から突然厳しくなる。そのため、四段が一つの壁と言われていた。
 昇段審査では、傍目には、なぜあれが合格でなぜあれが不合格なのだろうかという現象がたびたび起きる。それも人の世の常であろう。ただ今思えば、たしかに少なくとも当時の自分はたいした技量ではなかったことがよくわかる。
 いつものことであるが、そのとき得意になっているのは自分だけで、あとになって振りかえってみるとたしかにひどいものだったとわかり、恥ずかしさのあまり顔から火が出るような気持ちになる。ただ、そう思えるのは今の自分が以前よりは多少はましになったからだろうと、自分で自分をなぐさめるようにしている。

 次の審査では、なんとか四段に合格することができた。とりあえずの壁を突破してひと段落した私は、以前から気になっていた貫汪館の講習会に参加してみることにした。
 平成19年(2007)初めて参加した貫汪館の講習会は、大森流と太刀打であった。大森流十一本、太刀打十本の約二十本を午前と午後の講習会で行ったが、礼法にかなりの時間を費やし、最初の1時間では初発刀までしか稽古をしなかった。午前はけっきょく順刀まで。午後は大森流の続きと懐剣の稽古をして、太刀打十本を一気に稽古した。当時、太刀打はまだ稽古をしたことがなかったので、見よう見まねで必死に稽古したことを覚えている。
 中国武術をそれなりに経験していた私は、速く激しく動くためには、ゆっくり静かに動く練習が必要不可欠であるという認識を持っていた。全剣連居合や夢想神伝流でもゆっくりと動く稽古を、周囲から奇異の目で見られながらも、独自に行っていた。
貫汪館では、ゆっくりていねいに動くことが基本になっていた。礼法は、礼法そのものがすでに業として認識されており、業としてのレベルを要求されていた。
 当初は、大森流は多少の形が違うであろう、太刀打は手順を体験できればよい、くらいの認識であったのが正直なところである。ところが、礼法からとても高いレベルを要求され、激しい衝撃を受けた。無双神伝英信流と夢想神伝流の違いは多少でしかない、という認識でいたが、まったく別の流派であることをあらためて認識した。それと同時に、それはとりもなおさず、貫汪館のレベルが高いことを意味していた。もしもレベルが高くなかったのであれば、単なる形違いという程度の認識しか持たなかったであろう。
 またもしも講習会への参加があと半年早かったら、貫汪館のレベルを理解することもできなかったであろう。自分のレベルが足りないからである。またもしもホームページに動画が掲載されていたら、講習会へは参加しなかったかもしれない。未熟で見る目のない私は、動画を見て間違った判断を下していたかもしれないからである。そうであれば今でも、貫汪館とはまったく無縁のままだったかもしれない。

無雙神傳英信流抜刀兵法とは
 無双神伝英信流抜刀兵法は、林崎甚助重信を流祖とし、長谷川主税之助英信を中興の祖とする。林六太夫はその剣術の師であった大森六郎左衛門が創始した大森流の居合を取り入れ、あわせて土佐に伝えた。
 細川義昌は大正年間、香川の植田平太郎に無双神伝英信流を伝え残し、以後、尾形郷一貫心-梅本三男貫正-森本邦生貫汪-と、現代まで伝えられている。
 一般に無双神伝英信流抜刀兵法とは何かと問われれば、伝系の別はあるにしても、上述のような説明になるであろう。
 しかし、私にとって無双神伝英信流抜刀兵法とは<貫汪館>の無双神伝英信流抜刀兵法のことに他ならない。
 他にも無双神伝英信流は伝えられているが、これは私にとっては同名の別流派である。伝系が違うというだけの意味ではない。それは、夢想神伝流や無双直伝英信流は、無双神伝英信流と名前は似ているが別流派なのと同じくらい別流派なのである。形の手順は同じでも似て非なるものなのである。

 貫汪館の無双神伝英信流抜刀兵法には、大森流、英信流表、英信流奥、太刀打、詰合、大小詰、大小立詰の形が伝えられている。これらすべてで無双神伝英信流という一つの流派なのであるが、便宜上やむをえず分類するとすれば、抜刀術・剣術・柔術の三つの要素を持っていることになる。このうちのいずれか一つが欠けたとしても、武術としては成立しない。
 無双神伝英信流の形はいずれも素晴らしい物で、いずれも自分の稽古次第では、自己を高いレベルに引き上げてくれる。
 それは例えば現代武道の剣道と空手と柔道と居合とを並習したとしても、とても到達はできない境地である。現代武道は競技化が進み、それぞれにまったく互換性がなく、本来の武道とは異なるものとなっている。人の体は一つであり、いくつものことはできない。一つの流派として、共通の理合が必要なのである。寄せ集めは所詮、寄せ集めでしかない。

 貫汪館における無双神伝英信流抜刀兵法の要点はいくつかあるが、代表的なものは、
  無理無駄がないこと
  肚で動くこと、臍下丹田で動くこと
  無念無想であること、邪念妄執を捨てること、我意我欲を離れること
などである。
 他にも具体的な技術として、そけい部をゆるめることは大変重要である。また、刀を道具として扱わず、体と一体として扱うことも大変重要なことである。
 上述のことを身に付けるために、初心の段階から徹底的に、礼法、歩法、斬撃の稽古を行う。安易には業の稽古には入らない。
 逆に、上述のことが身に付きさえすれば、次々と先の形の稽古を行う。そこでは、稽古年数や肩書きなどは何の意味も持たない。

 貫汪館の無双神伝英信流抜刀兵法では、一般の居合の流派と比較して、長くて重い刀を遣う。これは上で述べた“無理無駄がないこと”“肚で動くこと”“刀を体の一部として扱うこと”などの要点を守って遣う必要がある。それを、筋力トレーニングをして腕力で振り回そうとしたりしてはいけない。また、身に余るからと短くて軽い刀を遣うようでもいけない。現代に伝わる居合の流派で三尺三寸を抜く流派もあるし、もっと長い刀を抜く流派もある。要は体の遣い方一つであろう。

無雙神傳英信流抜刀兵法を通じて何を教えるべきか
 私にとって無双神伝英信流とは、貫汪館の無双神伝英信流のことであると上で述べた。そして、貫汪館の無双神伝英信流の無双神伝英信流たる所以は“無理無駄がないこと”“肚で動くこと”“無念無想であること”であるとも上で述べた。
 まずは、これを教えるべきである。これらは初心者には難しく、まずは外形を教える方が、教える方も教わる方も楽ではある。しかし、外形や形の手順は、数を稽古していれば覚えるものである。しかし、いったん身に付いてしまった悪癖は、容易には取り除くことはできない。重要な点は、稽古の初心の段階から徹底的に教えるべきである。そしてそれがとても重要であるということを、繰り返し伝えるべきである。それができるかどうか、どのレベルでできるかは別のことである。
 稽古する者のレベルが上がると稽古する形のレベルも上がるというようなものではない。技術に成長がない者ほど、新しい形を求める。技術に成長がある者は、単純な形であっても飽きず繰り返し何度でも稽古をすることができる。そこには、初心の形、上級の形などは存在しない。同じ基本の形を演じたとしても、そこには歴然とレベルの差があらわれる。高いレベルとは、いかに基本のレベルを高くしたかということに他ならないのである。

 貫汪館の無双神伝英信流抜刀兵法には、大森流、英信流表、英信流奥、太刀打、詰合、大小詰、大小立詰が伝えられている。これはつまり、抜刀術だけでなく、剣術だけでなく、柔術の形までがきちんと伝えられている、ということである。そこに深い意味がある。
 現代武道は、剣道なら剣道、空手なら空手、柔道なら柔道と、それぞれ専門化・細分化がされている。ルールにより勝敗が決まるため、そのルールの中で最も有利に立ち回ることが、最も合理的な行動となる。剣道家は、剣道の試合に勝つことを至上とする。そこには、空手の技術や柔道の技術はまったく必要とされない。そんなことを身に付けるための時間と労力があれば、剣道の試合に勝つために特化された技術を稽古した方がよい。当然の思考である。空手、柔道などの他武道も同様である。
 しかし、本来の武道には、ルールは存在しない。こちらが剣を抜く前に斬り掛かられ、あるいは組み付かれるかもしれない。こちらが素手のときに斬り掛かられるかもしれない。これはできるがあれはできない、という言い訳の通用しない世界である。抜刀術、剣術、柔術などの区別なく、すべてのことができなければならない。
 礼法の稽古から始め、大森流を稽古し、大小立詰の稽古ができるようになるまでには、何年もかかるかもしれない。しかし最初からその存在を示すことで、無双神伝英信流抜刀兵法は単なる素抜き抜刀術ではない、ということを無意識に理解させられるはずである。
 そして、修業が進めば、無双神伝英信流抜刀兵法のみに留まらず、剣術や柔術の稽古もすべきである。無双神伝英信流抜刀兵法の体系はそれらを網羅しているとは言え、やはり専門の剣術や柔術の稽古はしておいた方がよい。幸いにも貫汪館には、大石神影流剣術と澁川一流柔術が伝えられているのだから。これを学ばない手はないであろう。

結言 
 技術としては、“無理無駄がないこと”“肚で動くこと”“無念無想であること”。
 心得としては、抜刀術、剣術、柔術にこだわらないこと。一つのことにしばられない。
 自由になる。臨機応変融通無碍、千変万化自由自在
  1. 2013/10/05(土) 21:25:44|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 11

10月の稽古場所等の変更をお知らせします。
・10月12日(土) 原小学校体育館 9時(大人10時)~12時
・10月19日(土) サンチェリーサブアリーナ 9時(大人10時)~12時
・10月26日(土) 出雲大社奉納演武会前日のためお休み



      「無雙神傳英信流抜刀兵法を通じて何を教えるべきか」
                                   
 「無雙神傳英信流抜刀兵法」は、林崎甚助重信を流祖とする戦国時代から続く流派で「無双神伝流」ともいい、土佐藩に伝承された居合の流派です。古くは「無雙流」ともいい、土佐藩では「長谷川流」または「長谷川英信流」とも呼ばれていました。
 戦国時代は年齢に関係なく戦場へ赴き、戦わなければいけない時代です。その様な時代だからこそ、「力」に頼らない「業」と「心」で戦う方法が生まれたのではないかと考えられます。そうして、江戸時代においても変わる事無く、当時の武士たちによって修練された武術は力に頼らないものでした。現代の武道には現役の選手から引退するということは当たり前の事ですが、武士達にとっては武士である以上は刀と共にあり、刀と共にある以上は引退するなどと言うことは考えられる事はありませんでした。「力」に頼らず「業」と「心」を修練することが、日本の武術の特徴といえると思います。
 しかしながら、現代に生きる我々は学校教育において西洋的な動きと姿勢を身につけさせられ、それをよいものとされてきました。それは、日本の武術においては絶対に否定されねばならぬことであり、それを否定することから稽古は始まります。また、武術の世界は相手をねじ伏せることは許されません。その様なことを続けていれば、やがては年齢とともに衰えてゆきます。武術の「業」は衰える物であってはなりません。そのため筋力を用いる者は、それを否定する事から稽古は始まります。
 以上の事から、まず「無雙新傳英信流抜刀兵法」を通じて最初に教えなければならないことは、日本の武術の「力に頼らない」・「無理無駄の無い動き」と言う特徴と、日本人の伝統的な姿勢・立ち居振る舞いであると考えます。
 まずはそれを「礼法」をもって稽古をしてゆきます。刀を手に持ち「神前の礼」・「刀礼」を繊細にじっくりと稽古します。
「神前の礼」は刀を右手に持ち、立ったまま礼を行います。しかし、この立ち姿勢は所謂「気をつけ」の姿勢ではなく地球の引力の線にそって、何処にも無駄な力は無く自然な姿でなくてはなりません。礼をする時は、「肚」を中心としてこれも無駄な力を用いずに行います。また、刀も力で持つのではなく極々柔らかな手で、なおかつ「肚」とのつながりを保ちながら持たなければなりません。そうして、「心」は神前である事から、いわゆる「無心」である事が望まれます。そのまま引力の線に沿ったまま、座姿勢へと移行します。あくまでも作った座姿勢ではなく、地球の引力に沿った無理無駄の無い自然な姿勢で無ければなりません。刀を自分の前面に横たえる動きも自分の前に立てる動きも、座姿勢による礼も「肚」から行わなければなりません。出す手も姿勢が前傾することによって行われるものであり、出るのであって出すことは無く、これも自然な動きであるべきです。
 「礼法」の次は「歩く」ということを稽古します。姿勢は座姿勢と同じく地球の引力に沿って立ちます。歩く事で注意するべき事は、座姿勢の礼と同じく「足は出すのでは無く出る」と言うことだと思います。こちらも「肚」を中心とし、足を出すために力を使うことはありません。まずは、刀を腰に差したまま歩く稽古を続けます。それをあるところまで行うと、次に刀を構えて歩きます。ここで初めて刀を鞘より抜き構えます。刀を構える事により、いままで「地球の引力に沿った線」、「肚」で力を使わずに立っていたものが刀を構える事で崩れてゆきます。刀を持つ事に囚われ、尚且つ「半身」をとることに意識が行き「力に頼らない」と言う前提が無くなってしまいます。
 このように「礼法」・「歩法」を通して武士が行っていた身体の使い方、日本の武術の「力に頼らない」身体の使い方の基本的なことを伝えて行きます。明治時代にもたらされた西洋的な身体の使い方ではなく、日本の伝統的な身体の使い方を教えて行くべきだと考えます。
 「無雙神傳英信流抜刀兵法」もそうですが、日本の古武道にはその流派特有の「形」が残されています。この「形」があるからこそ武士が行った修練を現代でも行うことができ、それが一つの流れとなって伝統が生まれています。そうして、この形一つ一つ稽古を重ねることによって、「自由な動き」・「無理無駄の無い動き」が生まれてきます。その様に、教習体系は組まれています。
 「無雙神傳英信流抜刀兵法」において、初めに教えられる形は「大森流」です。
 「大森流」は正座の姿勢が基本となっています。人は立つことによって地球の引力の影響を受けしっかりと立とうとします。そのことによって人の動きは制限され、足首、膝、股関節、腰などの下半身に力を入れ固めてしまいます。これは、武術にとって致命的なことで、その場に居着くことにつながり、動きは不自由となり、斬られてしまいます。武術における立ち姿勢は一見すると不動に見えますが、その内側はどのようにでも動ける自由なものでなければなりません。それゆえに「無雙神傳英信流抜刀兵法」では「大森流」において「正座」をすることで引力に抗していない状態を作り、足首、膝、股関節、腰の固まりの無い状態を認識させ、後の下半身の状態を稽古させています。そこには力に頼り瞬発力で動くと言う考えはありません。この様に「正座」を基本とし正しく無理無駄なく自然に座ることが出来ることによって、下半身が自然であるが故に上半身の腹、背中、胸、肩、首にも全く無理無駄な力が入らず、この姿勢のまま稽古をすることが業の上達に繋がってゆきます。そうして、ここで身につけた「力に頼らない動き」・「無理無駄に無い自然な動き」が後の形である、「英信流表」・「太刀打」・「詰合」・「大小詰」・「大小立詰」に生かされ、「英信流奥」へと繋がってゆきます。
 「大森流」の次に学ぶ「英信流表」においても同じことが言えると思います。
 「英信流表」では「大森流」とは違う座り方を行います。それは、「立膝」です。「大森流」で用いられる「正座」は江戸時代になってから一般化しますが、それ以前は「英信流表」で用いられる「立膝」が行われていました。この座り方は現代に生きる我々にはなじみの薄い座り方だと思われますが、そうであるからと言ってこの「立膝」を構えてしまうと大きな間違いを犯してしまいます。つまり、「大森流」と同じように、刀を抜くために心も身体も構えない姿勢であるべきものが、構えてしまうことによって、心も身体の固まり動けなくなってしまいます。「正座」であろうが、この「立膝」であろうが姿勢を作ることは無く、身体は地球の引力の線にそって真っ直ぐであり、自然の一部、地球の一部とならなければなりません。心も身体も構えない、その様な自然な姿、状態から業は生まれなければなりません。
 ここでは「大森流の正座」・「英信流の立膝」について述べましたが、「無雙神傳英信流抜刀兵法」には多くの方が残されています。どの形もこの「正座」・「立膝」が身についていないと上達はありえないと考えます。これらの座姿勢の限らず「無雙神傳英信流抜刀兵法」に残る「形」を正しく伝え教えることで、正しい伝統的な身体の使い方を学んでいただき、それを通じて「力に頼らない動き」・「無理無駄の無い自然な動き」を教えるべきであると考えます。
 次に、「無雙神傳英信流抜刀兵法」には、一人で稽古をする「形」と二人で行う「形」があります。一人で行う形は当然のことですが、そこには実際に斬るべき敵は存在しません。そこで稽古の時には、仮想の敵を想定し、その敵(想定)に対し抜き付けを行います。
 まず、ここで伝えなければならないことは、想定の動き、位置だと思います。それは、正しい想定があってこそ正しい動きが出来、「形」の意味することが見えてくると考えるからです。しかし、それをお教えしてもいざ稽古を始めると自分の都合の良い想定になってしまいがちです。敵は常に動き一時も止まる事無く自分へと向かって斬りかかって来ます。想定もその様であるべきで、決して自分の都合の良いように動くものではなく、ましてや斬られるために止まるものではありません。その様に自由自在に動く想定、自分に斬りかかって来る想定をおくことで、それに対処するにはどのように動けば良いか、その様な時の「心」の在り様はどの様であるべきかを学ぶ事が出来ると考えます。
 「大森流」の想定は自分に斬りかかって来る敵と言う、自分から離れたところから向かってきています。「英信流」は「大森流」よりも近いところ、自分の前後にあるいは、左右に座す者に対応するように作られています。想定の位地に違いはありますが、どの様な状況にあろうと焦ることはなく、心は平常で静かでなければなりません。ここを通してどの様な状況下においても、心は焦ることは無く、平常心であるべきであることを教えてゆかなければならないと考えます。
 ここにおいて自分にとって一見不利な状況下でどの様な動きがもっとも適しているか、どの様な心であるべきかを、そうして、心のありようはどのようであるべきかを学ぶ事ができると思います。これは、武術の世界だけではなく、我々が接する日常のあらゆる場面で生きてくることだと考えます。いつ自分の身に危険が降りかかるか分かりません。その様な、状況において「無雙神傳英信流抜刀兵法」を正しく稽古をすることで、焦る事無く平常心で、その様な危険に対処をすることができると考えます。また、危険な状況に限らず、「無雙神傳英信流抜刀兵法」を稽古することによって、日常生活における人に対する心のあり方、状況の変化に対する心のあり方を身につける事ができると考えます。「無雙神傳英信流抜刀兵法」の「想定」を正しくお教えすることを通じて、自分の身の回りに起りうる状況の変化に対処できる心をお教えすることができると考えます。
 それでは、二人で稽古をする「太刀打」・「詰合」・「大小詰」・「大小立詰」においては何を教える事ができるでしょうか。
 まずは、「太刀打」・「詰合」について考えてみたいと思います。
 「無雙神傳英信流抜刀兵法」は居合の流派ですが、この「太刀打」・「詰合」は純粋に居合というよりもほとんどの形が剣術の業であります。居合は剣術に対抗できるほどの力を身につけなければ無意味なものになります。そのため剣術の業の稽古は居合を専門とする者にとっては必要不可欠なものであるといえます。剣術の動きを知らない者が、剣術に対抗できない道理は当然のことです。しかし、剣術の稽古であるといっても、あくまでも今まで稽古してきた身体の使い方には変わりなく、無理無駄の無い動き方をしなければなりません。
 「太刀打」・「詰合」においては打太刀が遣方を導くように稽古をします。ですから業の進んだ者が打太刀をつとめます。
これらの形は遣方が打太刀に木刀を使用しますが、実際に斬り込んで行きます。また、打太刀が反対に遣方に斬り込み、それを遣方が受けたりします。この目の前に敵がいるだけで、いままで「大森流」や「英信流表」で、稽古していたことができなくなる方がほとんどです。身体は固くなり、焦りが出てきて心は平常心から程遠いものになります。ここを厳しく指摘し、「大森流」・「英信流表」の形となんら変わらず、「力に頼らない」・「無理無駄の無い自然な動き」をしなければならない事を、再度認識できるように教えなければなりません。
 また、「太刀打」・「詰合」では、実際に相手がいる為に学びやすいことがあると思われます。それは、斬り込むあるいは受ける拍子、適切な間合いであるかどうか、残心はできているかなどです。これらのことがきちんと適切にできていない場合は、打太刀は遣方に斬り込んで、隙のあることを教え導きます。これは「形」の稽古といっても、実戦の心持ちで稽古をしなければならないと言うことを教えるためです。その様な心で稽古をすることで、正しい動きや心が身につくものと考えるからです。
 次に「大小詰」・「大小立詰」ですが、これは相手に刀を押さえられ、抜くことができない状況にある時の稽古をします。「大小詰」は「立膝」に座って行い、「大小立詰」は立った状態で行います。どちらも相手に刀を押さえられているので、抜きつける事はできません。そこで、これらの「形」では相手を投げてこの危機的状況をきりぬけます。「大小詰」・「大小立詰」はいわゆる柔術技法といえます。柔術技法だからといって、先に学んだこと変わることは無く、「力に頼らない」・「無理無駄の無い自然な動き」で「心は焦ること無く平常心」で対処します。また、相手とは接している状況ですので、無理に力で投げる事はできませんし、投げようとしてもなりません。相手の力には逆らわず、自分を中心として相手と繋がり、相手との調和を持ったまま静かに動き、その動いた結果が業となり、相手を投げる事ができることを教えなければなりません。
 最後の「英信流奥」では、今まで稽古してきたことを基礎として、自由自在に業が使えなければなりません。抜付け・斬撃には「極め」を作ることは無く、水が流れるように動き何処にも終わりは無いその様な動きを身につける事ができるように教えなければならないと考えます。
 以上「無雙神傳英信流抜刀兵法」の「形」を通して何教えるかを考えてきました。次に「無雙神傳英信流抜刀兵法」の「歴史」を通して何を教える事ができるかを考えてみたいと思います。
 武道を稽古する方の多くは自分の流派の「歴史」や「歴史的背景」を詳しく知らない方がほとんどです。自分が稽古をする流派の歴史を知ること、学ぶ事は先人達がどの様にこの流派を創始し、どの様に工夫し、どの様に稽古を重ねて上達をしてきたかを知ることができると考えます。
 例えば、「無雙神傳英信流抜刀兵法」の中で最も古い形は「英信流表」であると考えられますが、稽古を始める上では「英信流表」の形ではなく、「大森流」から始めます。「大森流」は大森六郎左衛門から新陰流を習った林六太夫が「無雙流」の居合に取り入れて、始めに稽古をするように定めたとされています。この様に、それぞれの流派には独特の成り立ちがあり、それを知ることはその流派を稽古するものにとって大変重要な事であると考えます。また、現代の我々の生活様式と、先人達の生活様式は全くと言っていいほど違います。稽古とは昔(古)を考える(稽)事です。先人達がどの様に稽古をしてきたかを知ることができ、そこから多くの事を学ぶ事ができると考えるからです。また、流派の歴史だけではなく、日本の歴史を知ることも自分の身に成ることと考えます。ですから、「無雙神傳英信流抜刀兵法」を通して「先人の知識・知恵」を教えることもできると考えます。
 以上見て来ましたとおり、私は「無雙神傳英信流抜刀兵法」と通して、正しい伝統的な「形」を教え、「力に頼らない」・「無理無駄の無い自然な動き」・「焦ることの無い平常の心」を身につけて頂き、また「歴史」を教え「先人の知識・知恵」に触れて頂き、それらが、日常生活の中で生かすことができる、その方法を教えることができると考えます。

<参考文献>

1) 森本邦生 「広島県立廿日市西高等学校研究紀要 第11号抜刷 平成14年度」
   貫汪館 2003年3月23日
2) 森本邦生 「広島県立廿日市西高等学校研究紀要 第12号抜刷 平成15年度」
   貫汪館 2004年3月31日
3) 森本邦生 「広島県立廿日市西高等学校研究紀要 第13号抜刷 平成16年度」
   貫汪館 2005年3月31日

  1. 2013/10/06(日) 21:25:03|
  2. 昇段審査論文

昇段審査論文 12

              「柔術とは何か」

 「柔術とは何か」を考えるにあたって、その成立過程・歴史と稽古方法などから考えてみたいと思います。あわせて、我々の稽古する「澁川一流柔術」についても考えてみたいと思います。まずは、柔術の一般的な成立過程・歴史を知らなければならないと考えます。享保十四年(一七二九)に起倒流の寺田市右衛門正浄が偏述した「登假集」が有ります。その中の「武藝の終始組討に極る事」の中で次のように述べています。

「夫兵器品々有る事、戦場の間数によりて、弓鉄砲或は鑓長刀太刀かたなを以って戦ふ也。何れも理の極る所は、間近く取入りて組討と成るもの也。その上、身の分限により、常に弓鉄砲鑓長刀等を持事なし。喩へ長道具熟し、棒鑓得たりとも、仮初の優會に用意も成るべからず。又は君前、私家、風呂、茶湯等、無拠無刀の場多し。また大将たりといふとも、戦場にて追詰らる々節有り。又大名・高家の御身の上にも、場所悪しく家来も付ざる席にして、不意の口論抔数多有る事なり。体術組討の道疎き故、残念至極の儀ども、其数をしらず。又戦場にて甲冑を着したる者は、組討なくて利を得る事有べからず。」

と述べています。つまりこの中にもあるように、自分の身近に得物の無い時に自分の身を守るためにあった体術組討が柔術へと発展していったものと考えます。また、戦場では敵の首をとり戦功を立てる為には必要なものであったと考えます。
 また、その他にも次のような文献があります。日向飫肥藩伊東氏の家臣小野祐清が宝永五年(一七〇八)に著した「定善流俰極意秘自問自答」によると次のようにあります。

 「夫俰ハ空手ニシテ白刃ヲ拉ギ、敵ノ働ニ勝習ニテ候。是ヲ取手トモ可申ヤ。此取手ハ匹夫下賤ノ藝ニシテ、好士上輩ノ業ニテハナキ様ニ思ヘル人モ可有候得ドモ、一向左ニテハ無之ト存知候。縦バ剱術之達人ナリトモ、太刀打ニ雌雄ヲ不決セ、手詰ニ仕掛候ハバ、組合ノ勝負ニ成リ可申候。就中戦場ニテ互ニ甲冑ヲ帯シ候ハバ、太刀打ニテ埒ノ明ヌ事可多候。然時ハ何時モ、可為組打候。鑓長刀ニテモ少ノ所ヲ悞テ仕損ジ、敵不意ニ手本ニ参リ候ハバ、是モ取合ニ成リ可申候。弓鉄炮モ二三間ノ場ニテ、自然空ト射外シ、二ノ矢ヲツガフ間モナク、間ニ不容髪ト飛懸候ハバ、刀ヲ抜ヒマモナク、自シト和ヲ用ル場ニ成ル事モ可申候。勿論、酒酔或ハ狂人、或ハ狼藉者杯ハ、即時ニ切リ殺シテハ悪敷事ノミ可有候。ヶ様ノ時、就中和の術ニアラズンバ、功有間敷物カト存候。右之道理ニテイヘバ、諸之武藝ニハ、皆和ノ習ヲ交テ教度事カト存候。又コ々ニ、存寄タル事ノ候序ニ御物語可申候。」

ともあり、ここでも同じく自分の間合い近くに敵がある状況での業の重要性が述べられており、狼藉者等を殺す事無く捕らえる事が出来る業、自分の身を守る業としてこのような術が必要で有る事が述べられています。そうして、このような考え方、必要性が柔術の成立の根底にあり、柔術の重要な理論であると思われます。

 また、この頃の武士は組討をどのように修行していたのでしょうか。「登假集」の中の「古より相撲を以て柔術修行の事」のには次のように述べられている箇所が有ります。

 「古より武藝の始終組討なる事、雖能知、柔組討といふ名目なく、唯武士の若き者集まり、相撲を以て身をこなし、理気味を去り、躰を和らになして、一心正しくする事のみ執行せし事なり」

とあり、柔組討と言う名目は有りませんでしたが、その修行方法は、「理気味(力み)」を去り、身体を柔らかく使い、ただただ心正しく修行をしていたようです。この頃から、基本的には柔術の稽古をしていたように考えます。そうして、この柔術と言う名称が生まれる前の流派として、天文頃から文禄に至る戦国期の人、竹内中務大夫久盛を開祖とする「竹内流」が有ります。竹内久盛は、或る日、夢の中に異人が現れて、木刀を二つに切って小刀として小具足術を教え、また七尺五寸の縄で敵を捕縛する早縄術をも伝授されたそうです。そうして、この竹内流を「竹内流小具足」あるいは「竹内流腰の廻り」と称していたようです。
 次に、「体術」あるいは「組討」と言う名称からどのようにして柔術と呼ばれるように成ったのかを観てゆきたいと思います。同じく、「登假集」の中の「福野七郎右衛門和を発明の事」にはこのように有ります。

 「中比、福野子といふ浪人有り。相撲の上手にて、夫より和といふ事を工夫仕出し、故に諸流の元祖也。唐土には古来より専ら柔術あり、軟家といふ。武備志に是を拳法と云、手縛ともいふ。今日本に用る所の柔術也。近世、陳元贇といふ者大明より渡り、武州江戸麻布の国正寺に寓す。其頃、福野氏も彼寺に寓居して衆寮に有りしが、或時元贇語りて曰、大明には柔弱にして剛強の人を捕の術あり、我能其技をみること多年なりと。福野子、其術を聞、其技を見て、我が工夫する所の柔術と兼学して、其業を仕出し、其事に熟せり。凡そ和の起り、右の士より世に広く弘まる。元贇其術を知りて教たるには非ず。全く福野子が工夫発明より出て、今諸方に遍分して数流有る事也。比術の工夫は、柔能剛を制するの理にして、敵と不争、屢勝ん事を不求、虚静を要とす。物をとがめず、物に触れ動かず、事あれば沈で不浮、沈を感ずるといふ。凡調息を要とす。是拳法の秘なりといふ。江州大津にも住居し、其後洛東粟田口にも住すと云。」

ここには、相撲を得意とする浪人の福野七朗右衛門がその特徴である「和(柔らかい)」と言うところを工夫したことが書かれています。彼が、工夫した点は「柔能剛を制するの理にして、敵と不争、屢勝ん事を不求、虚静を要とす。物をとがめず、物に触れ動かず、事あれば沈で不浮、沈を感ずるといふ。凡調息を要とす。」と言う点であり、その過程は、彼が当時の中国の明より渡って来た陳元贇と出合い、陳元贇の知る明の武術を学び工夫する事で「柔術」が出来上がった事が示されています。また、陳元贇の知る中国武術も「柔弱にして剛強の人を捕の術」であったと書かれています。おそらく多くの学びや気づきがあった事でしょう。彼の工夫した技が柔術となり、彼のもとで多くの者が学び、今日へと続く諸流派が出来あがったと考えられます。

また、嘉永六年(一八五三)常州土浦藩の野崎原道が遍術した「新心流柔術書」(抄)には次のように書かれています。

 「(前略) 夫ヨリ以来、百有余年ヲ降テ、同ク明ノ萬暦ノ頃トヤ云ヘリ、漢人陳元贇トイヘルモノ、我邦﨑陽ヘ来テ、儒ヲ業トシテ住メリ。傍ニ兵法ヲ論ズルニ謂テ曰、摶打ハ陽ヲ本トシ、剛ヲ尊ビ、発動ヲ主トシテ専ラ勝ツ事ヲ宗トスレバ、敵ノ強ニ当レバ、ヨキハ必善シト雖ドモ、敵若シ柔ヲ以テ之ニ應ジ、其余力ヲ引堕シテ、柔順各其節度ニ当ラバ、剛ハ却テ反復シテ、不測ノ卑敗ヲ取ン事、堅木ノ風ニ覆ルガ如ク、柔ハ却テ柳枝ノ暴風ニ自若タルガ如ケント。直ニ摶打師ヲ招テ、彼此精実ノ枝葉ヲ比ベタリ。其時、摶打師エラツテ打突スト雖ドモ、元贇其應ズル事、風中ノ浮雲、翺翔ノ燕雀ノ如クニシテ、一ツモ微敗スル事ナシト云ヘリ。故ニ元贇其術ノ敵ノ剛ニ対セン処ヨリシテ、其業ヲ以テ柔ト名号シテ、敵剛ヲ以テ来レバ柔ヲ以テ應ジ、敵又柔惰ナレバ、乍チ剛ヲ以テ打ヒツグ。故ニ柔トハ、敵ノ剛ニ対シタル應名也。故ニ柔心翁、元贇ニ柔ヲ学ブノトキハ、元贇剛ヲ以テ客位ニ坐シ、柔心柔ヲ以テ主位ニ坐サシメラレ、彼此剛柔應変ノ扱ヲ教ヘラレシ也。」

ここに出てくる柔心と関口弥六右衛門氏心のことで、彼は柔心と号していました。そうして、江戸時代の始め頃に関口流を創始しました。ここでも、明国の陳元贇が関口柔心に業を教えた事が記されています。
以上のように、柔術の成立過程は、戦場あるいは日常生活において、自分の身の周りに得物が無い場合、敵に間合いに入られた場合に用いられた組討または相撲の柔らかく対応する技を工夫していた、福野七朗右衛門あるいは関口柔心が明の陳元贇から技や思想・理論を研究する事で出来上がったと考えることが出来ます。
それでは、次に柔術はどのように稽古をし、その目的は何であったのかを考えてみたいともいます。
まずは、先程の「登假集」の「福野七郎右衛門和を発明の事」には次のように有ります。もう一度その箇所を観てみたいと思います。

「比術の工夫は、柔能剛を制するの理にして、敵と不争、屢勝ん事を不求、虚静を要とす。物をとがめず、物に触れ動かず、事あれば沈で不浮、沈を感ずるといふ。凡調息を要とす。是拳法の秘なりといふ。」

と有りました。ここにあるように、「敵と争そわないこと」・「勝事を求めないこと」・「静かであること」などが目的であることが分かります。日常生活では、何が原因で争いとなるか分かりません。その様な時にあえて相手と争そうことはせず、その場を納めるか。あるいは、戦場ではいかにして生き延び、戦功を上げることが出来るかを学ぶ事が目的と考えることができると思います。又、自分の身の回りにいつも得物があるとは限りません。その様な時にどのように対処するかを身につける事ができると思われます。そうして、やむをえず争いとなった時、敵の力に逆らわずに敵を制し、傷つけずに取り押さえる事も目的であると、初めに紹介した「定善流俰極意秘自問自答」にも述べられていました。そのため「柔能剛を制する」事を工夫しなければならないし、「物をとがめず、物に触れ動かず、事あれば沈で不浮、沈を感ずるといふ。凡調息を要とす。」ことを稽古し身につける事が大切であると述べられています。
それでは次にどのように柔術を、稽古をすればよいのかを見てゆきたいと思います。稽古をする上で大切なことを観て柔術とは何かを考えてみたいと思います。先ほど引用した「新心流柔術書」(抄)には、関口柔心が陳元贇より次のように学んだことが述べられていました。

「故ニ柔心翁、元贇ニ柔ヲ学ブノトキハ、元贇剛ヲ以テ客位ニ坐シ、柔心柔ヲ以テ主位ニ坐サシメラレ、彼此剛柔應変ノ扱ヲ教ヘラレシ也。」

と有るように、常に柔(柔らか)に対応し、稽古したことが分かります。それは、「風中ノ浮雲、翺翔ノ燕雀ノ如クニシテ」と表現されています。また、その他の文献としては、万延元年(一八六〇)に土佐藩の片岡健吉の著した「體術道標」には柔術を稽古する上での注意点が色々と述べられていますが、その始めには次のように述べられています。

「夫體術者四體和ラカニシテ自カラ力ノ行届クヲ専要トス 第一未熟ノウチハ業コズマヌ様ニ只大業ニ捕習ベシ 相手ニキケヌヲ辱テ己カ作意ヲ加レハ必藝不進モノナリ
 修行タラズシテ先師ノ仕置タル業ヲ難シ吾作意加ベカラズ 吾作意ノ業ハ相力ヨリ目下ノ人ナラズハ勝事アタハズ 先師ノ仕置タル業ヲ熟習スルトキハ萬敵ニ向ヒテ勝利疑ナシ 故ニ當流ノ極意平常ノクセトスル様ニ心得ベシ」

ここには、柔術は体全体を柔らかくして、体の内からの力が体のすみずみまで行き渡ることが重要であると述べられています。そのためには、稽古を始めた当初から体を縮こませ業を小さくせずに伸び伸びと大きく業を稽古する事が大切で有る事述べられています。その際、無理無駄を省き、呼吸に合わせ、無理をせず自分の速さで、正しく動くことが重要です。また、その際教えが難しいからといって、自分の考え、想いで稽古することは厳禁であり、「平常のように」が極意に繋がる事が分かります。
また、「體術道標」の中には他にも稽古の上での注意点が述べられていますので、それを観てみたいと思います。

・ 「常ノ稽古ニ業半途ニシテ止サル様にスヘシ」
・ 「業ニ上中下前後左右アレトモ時トシテ出合ノ違事アレハ業ノタクミナシニ出向フヘシ譬ヘ上ノ業ヲ中ニ出合 中ヲ下前後左右モ亦同ク出合ノ違事アルヘシ 此時心クラマズ格體クヅレヌヤウニシテ敵ニウタシテ入込心持有ハ平負ニハナラヌモノナリ 未熟ノウチハ敵ヨリ仕掛ル業ヲ上ヨ下ヨト疑ヒ 打レテハナラヌト思 是非ニ請ンスル故 心迷テ氣ノ移リヲソキガ上ニ格體乱ルル者ナリ 又タマタマ敵ノ仕掛ニ応ズレハ必勝ヲイソキテ業ノ整ザルモノ也 常ヅネ修行ニ心持アルヘシ」
・ 「人ノ器用強力ヲウラヤミ我器用柔弱ノ身ト吾ヲウラムハ修行ノ志シウスキ故ナリ」
・ 「氣ニ力ヲ入テ業ノ相シタカウヲ専用トス」
・ 「體術は格體トテ半體ニシテ體ノカワリヲ肝要トス」
・ 「常ノ稽古ニ相手ノ非ヲ見テ吾業ヲカヘリミ吾非ヲ改ル様ニスベシ 又相手ノ拍子ニ付ヘカラズ 只氣ニ應ズルヲ肝要トスベシ」
・ 「敵ニ勝ヲ急ガズ我負ジト身守リ心ヲ残シテ 敵ニモツルコト肝要ナリ」

と以上の事が重要であることがわかります。そうして、日夜稽古したからといって上達するものではなく、理をしっかりと理解し、業と理をひとつにして稽古をすることが重要だと締めくくられています。また、この「體術道標」の中にも「柔術とは」について述べられている箇所があります。

 「體術ハ組詰ノミニアラス 體ヲ守ノ術也 治世ニハ我身ヲ全シテ忠孝信ノ心不怠時ハ天下ニ敵トナル人モナカルベケレト 此體術腰廻ノ秘業朝夕策励シテ緩怠ノ心ナキ時ハ 霊スハリ如何ナル所ヘ出合トモ驚動事アラズ 其上乱心盗賊取籠者等世ニタユマヌ者ナレバ彼等ガ為ニモ心苦ナカルベシ 又業熟シテ應変ノ氣不怠ハ馬上或ハ屋根ナトノ様ル高キ処ヨリ落ルモ怪我有ヘカラズ 且河岸ナトヨリ大勢ニセリコカサルル時 其ノガレ有事也」

とあり、ここでも柔術とは自分の身を守る術であり、平和な世の中では柔術の理念を基に忠孝信を心がけ敵を作らないようにすることであると述べられています。また、柔術を稽古することで、心が落ち着きどのような事が起ろうとも平常心で望むことが出来るとも述べられています。平常心で望めば怪我をすることも無く、争いごとから逃れるようになれるとも書かれています。これは、前に紹介した「登假集」・「定善流俰極意秘自問自答」・「新心流柔術書」(抄)にも述べられていることであり、多くの柔術流派に共通する理念ではないかと考えることが出来るのではないでしょうか。
 以上見てきたように柔術は、まず戦場で弓鉄砲などの遠い間から鑓長刀太刀の間になり、最後は自分の間近くになった時に後れを取らないようにあった組討、または平時の時にはあらゆる事故や危険から身を守る体術が先人の工夫により発見された柔らかい業として生まれました。そうして、彼等先人が当時の中国・明の陳元贇の業や、敵と争わない事、あえて勝を求めない事、冷静であり決して焦らず慌てない事、調息・深い呼吸を大切にそる事などの理論を習い吸収することから柔術は生まれたものと考えます。その柔術を身につける方法も常に相手の力とは争わず、柔らかく稽古を心がける事が大切です。つまり、柔術とは何かとは、「自分の身を守る護身の術であり、戦時や危険と言ういざと言うときには敵を制する業として、日常生活・平和な時には其理念を基に忠孝信を心がけ敵を作らないようにする武術であり、または敵とあるいは人と争わない、自分と相手(自分を中心とする世界)との間に調和を求める術である」と言うことが出来ると思います。
 それでは、我々が稽古をする「澁川一流柔術」はどうでしょうか。澁川一流柔術は幕末に首藤蔵之進満時によって創始されました。彼は、叔父で宇和島藩浪人の宮崎儀右衛門満義を師として、渋川流・難波一甫流を習得し、さらに他所で浅山一伝流をも習得をして、この三流派を統合して「澁川一流柔術」を創始しました。
 また、或る日、広島城下に出ていた首藤蔵之進は、五・六名の広島藩士と争いになりましたが、「澁川一流」の業でこれを難なく退けたところ、たまたま居合わせた松山藩士の目に止まり、その推挙により松山藩に仕えることとなりました。これは、天保十年頃のことと伝えられています。この逸話からも分かるように「澁川一流柔術」は護身の術で有る事が分かります。
 それでは次に澁川一流柔術の稽古を考えてみたいと思います。稽古の始めには体のあらゆる所にある力みを無くす事から始めます。「柔らかく」成ることを第一の目的とします。始めの形「履形」を通して今まで身についた無理無駄な動きや体の固さを取り除き、力(筋力を使った力)を使うことを否定して動けないところから始めます。そうする事で、「柔らかさ」を身につけます。また、稽古中は形の動きは最初から最後までは止まることはありません。「柔らかい」とは流れ続けることです。止まる事は「固さ」につながりますので否定しなければなりません。柔術の成立過程・歴史でも見てきたように、柔術は自分の身近くに得物が無い時に自分の身を守らなければなりません。稽古中においてもそのことを意識し、動きが止まると言うことは「死」を意味することとしなければならないと思います。そうして、無理無駄が無くなり、固さや力みが無くなり、「柔らかさ」が身に付いて来ると、自分の中心線が見えてきます。それは、地球の引力と同じである事が分かると思います。
 次に、柔らかくなり中心線が感じられると、次第に自分の身の重さを感じられるようになります。また、自分の身の重さを感じる事で身体は沈みます。身体は沈む為には呼吸が重要に成ります。深い呼吸を意識するようになり、臍下丹田が意識出来るようになり、臍下丹田から動けるようになります。足は地面(床)を蹴る事無く動くようになり、腕は身体から離れることが無くなり、全ては臍下丹田を中心として統一されます。そうして、さらに柔らかく動けることが出来ます。また、深い呼吸をする事で、心が落ち着き、焦りが無くなり平常の心になります。身体が整い、心が焦らなくなると自分の中に調和が生まれてきます。
 それから、注意しなければならに事は、しばらく稽古をして行くと「形」を行ううえで「上手く投げよう」・「形を見事に行おう」・「技を極めよう」等と思いが出てくることがあります。それらの思いは自我であり、心の固さにつながり心の固さが身体の固さへとつながるからです。稽古は「形」・「業」にこだわる事無く、身体も心も柔らかにして、流れるように止まる事なく行うことが重要です。心を絶対的に素直に純粋に保つべきです。次第に呼吸を深くし、心静かに稽古を重ねることも重要です。「~をしたい」と言う欲(自我)を無くし、心を柔らかく何ものにもとらわれる事無く、自然で無理無駄の無い稽古を心がける事が重要であると思います。その様な稽古を心がける事で、「自分の中の調和」が「相手(敵)との調和」へと広がります。そうして、いずれは自分を中心とする空間(世界)と調和してゆきます。調和が生まれる事で争いはなくなります。
澁川一流柔術は、流祖・首藤蔵之進が争い事からその身を守ったように「護身術」ですが、しかしその稽古の目的は柔らかくなり調和を求めていくものと考えます。つまり、「争わないこと」が、澁川一流柔術の理念であると考えます。その理念を表わしたものが、形の始めに行う「礼式」で敵を押し返す動きにあります。この「礼式」をただの「始まりの形」と捉えて行うか、「争わない」と言う理念を心に留め行うかとでは、稽古の成果としては大きな違いが生まれます。
以上見てきたように、歴史的な成立過程においても、また我々が稽古をする「澁川一流柔術」においても、「柔術とは」歴史的には戦場においては間合いが近くになり、自分に得物が無い不利な状況でいかにして戦功を上げ生き残るための業、そうして平和な時代には自分に降りかかる危険や争いから身を守るための護身術、日常生活ではその理念を基に争いごとを作らず避ける為の処世術と言う表の一面がありますが、別の一面として、稽古を通じて自分自身の調和、自分以外の人(自分に危害を加える者も含め)との調和、自分を取り巻く空間(世界)との調和、つまり「何事とも争う事無く調和を求める武術」と言うのが「柔術とは」の答えであると考えます。

<参考文献>
1) 石岡 久夫・岡田 一男・加藤 寛 「日本の古武術」 新人物往来社
   第一刷発行 1980年10月1日
2) 森本 邦生 「広島県立廿日市西高等学校研究紀要 第11号抜刷 平成14年度」
   貫汪館 2003年3月23日
3) 渡辺 一郎 「武道の名著」 株式会社東京コピイ出版部 1979年6月19日

  1. 2013/10/07(月) 21:25:03|
  2. 昇段審査論文

論文の作成について

 貫汪館H.Pの会報のページに会報第76号を載せました。お読みください。

 貫汪館の昇段審査に論文の作成を課していますが、論文作成にあたって日頃から留意しておかなければならない事を記しておきます。

1.多くの書籍を読む事
 言うまでもないことですが、知識を得るためには書籍によらねばならず、読んだ数が少なければ情報量が少ないために間違った情報が自分の中で占める比率が大きくなります。

2.有益な情報を含む本かそうでないかが判断できるようになる事
 世の中に出版された書籍には明らかに間違いであることを堂々と述べている物もあります。しかも間違いであるのを気付かない評論家が新聞に書評を書いて評価していることもあります。自分自身の知識を正確にしていかなければ判断できない事ですが、正しい知識を身につけていけば判断できるようになります。

3.なるべく原書にあたること
 書籍に引用してあったり、現代誤訳してあることが正しいとは限りません。自分の都合の良いように引用したり解釈してある場合もあります。明らかに知識不足で間違って解釈してあるものもあります。書籍に記してあるから正しいとは限りません。
  1. 2013/10/08(火) 21:25:07|
  2. 昇段審査論文

頭の中も楽にする

 「体の力みだけでなく、頭の中の力みも無くし楽にしなさい。」「考えてはいけない。」という指導をしていますが、なかなか上達されない方は全く反対の事をされて頭をいっぱい働かせて稽古されています。私は経験から指導していますが、科学の上からも証明されているようです。
 月刊武道10月号に東邦大学の有田名誉教授のお話が出ています。簡単に要約すると以下のようになります。
 丹田呼吸法には大脳の働きを少し押さえて、より良い状態にする働きがある。スポーツのゾーンという状態は考えないでも自然に体が動いていい結果を出す状態である。「無心」の脳の働きはセロトニン神経の活性化という事であり、それを可能にするのが「座禅」であり武道の「丹田呼吸法」である。
 簡単に言うと頭を使っていてはいい結果は生まれないと憂いことになります。いい結果を生むための条件が呼吸法にあるという事なのですが、呼吸法については常々指導しているところです。
 なかなか上達をされない方が「頭を使っている」「呼吸が浅い」という二つの条件を持っている理由がわかりました。
  1. 2013/10/09(水) 21:25:42|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

気合が濁る

 気合は声を出そうとするのではなく、吐く息に声を乗せるのだという事はすでに述べたところです。では気合が濁るのを解消するためにはどうすればいいのでしょうか。
 大石神影流の気合で「エー」と気合を掛けるのに「エ」に濁点がついてしまったり。「ホー」と掛けるのに、「ホ」の音が濁ってしまうのは咽喉を狭くして声を出しているからです。つまりのどに力みが入っているわけですから、動きの稽古と同じように咽喉も口も気管も肺も力ませず肚から声を出すようにすればよいのです。
 工夫してください。
  1. 2013/10/10(木) 21:25:23|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

体を開く

 刀を自分自身が扱うという気持ちが残る方は抜き付けで刀が止まることはなく、とめようとしたら肩・腕を緊張させてためなければなりません。
 しかし、しばらく稽古をした方は、刀をとめようとしなくても抜きつけたときに刀は止まります。それはたんに体を開くことによって刀が抜きつけられているからであって、刀を運ぼうとして肩や腕を使ってはいないからです。抜きつけたときにずるずると腕が動く方、肩・腕を緊張させなければ刀が止まらない方は刀を手にせずに体のみを用いて工夫してください。

  1. 2013/10/11(金) 21:25:44|
  2. 居合 業

広島城二の丸夜話

 昨夜広島城二の丸夜話の講師として招かれ公演してきました。演題は「広島藩の武道」でした。
http://www.rijo-castle.jp/rijo/main.html

 広島藩の武道について一般の方にお話しできる貴重な機会をお与えいただき、広島城の皆さんには本当に感謝しています。
 講演はお話半分、実技半分で進めました。広島藩の武道についてのお話はこれまで調査してきて分かった範囲で貫心流や難波一甫流司箭流などの流派を中心にお話し、演武は貫汪館の高弟3名に来ていただいて、広島の三原で行うものがいた大石神影流剣術、広島の坂を中心に行われた澁川一流柔術、広島にはゆかりはありませんが、居合を理解していただくために素抜き抜刀術ではなく詰合と大小詰を演武していただきました。
 皆さん非常に熱心にお話を聞いていただき、また演武も身を乗り出して見ていただきました。、またこのような機会があればお願いいたしたいと思っています。
 皆さん柔道と柔術の違い、剱づと剱術の違い、現代居合道と江戸時代からの居合の違いをよく理解していただけたと思います。このような機会を利用して少しでも古武道柄への正しい理解を広めてきたいと願っています。


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  1. 2013/10/12(土) 21:25:49|
  2. 武道史

改めるべきは改める

 稽古で指摘しているところは、そこを改めなければ、それ以上の上達はないところです。したがって指摘されたところを直そうと真剣に取り組めば上達への突破口が開きますが、いくら指摘してもを改めず、自分に興味関心のある事ばかり稽古していたら上達しないどころか、どんどん後退していってしまいます。なぜならば改めるべきところを改めずにそのまま稽古していけば悪癖は完全に身についてしまい、改まらなくなるからです。
 改めようとせず、問題意識も持たずに1000回稽古したら1000回悪癖を身につけてしまいます。1000回の後にやっと改めようとしても、身についた悪癖が1000回の稽古で元に戻るかといえば、「否」です。1000回稽古して身につけた悪癖は3000回、4000回も改めようとして努力を続けなければ戻るものではありません。戻ったところからやっと正しい動きを身につけるための稽古が始まります。
 つまり、8年稽古しているうちにに悪癖を身につける稽古を1年したとしたら、7年のところにとどまっているかというとそうではなく、3年4年も後退していますので実際は素直に3年、4年稽古をしてきた方と同じくらいの実力にすぎないことになります。稽古年数に意味はありません。
 師の指導を聞かずに自分勝手な稽古をする事は、自分自身に大きなハンディを負わせていることになります。

 広島城二の丸から見たお堀です。
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  1. 2013/10/13(日) 21:25:50|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

がむしゃらに動く

 居合というのはとても精緻なもので、ただがむしゃらに稽古しても絶対に上達はありません。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の上達のための絶対条件は無理無駄なきことであり、それを無視して刀が走らないからといって腕力を用いて抜き付けたとしてもそれは業ではなく自己満足です。出来ぬものを、出来るかのように見せたいと思う自己満足からは何も生まれることはありませんし、修行という言葉からは最も遠いところにあります。居合の稽古をしたばっかりにもともと自我の強い人がますます自我を強くするようでは、居合などしないにこしたことはありません。
 先日全くの素人に方でスポーツは何もしたことがないという、まことにありがたい方にお教えする機会をいただきました。この方は全くゼロからのスタートであるため何の先入観も持っておられず、素直に力みはいけない体の歪はいけないという事を理解され、出来なくても自分が力んだことや動きが歪んだことを体で感じておられました。そして1時間後には居合をしている方の力みや動きの歪を見てとることができるようになっておられました。
 ただがむしゃらに動こうとする方は、力を込めて勢いよく動く事がいいのだという心の歪がありますので、まず心の歪を正さなければ自分の動きの力みや歪は見えてきません。難しい事でしょうが工夫しなければなりません。

 広島城の夜の二の丸の写真です。

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  1. 2013/10/14(月) 21:25:41|
  2. 居合 総論

想定

 素抜き抜刀術は想定が正しくできてなければ形として成立しません。
 以前もお話したことがありますが、無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生が演武会の時に私を呼ばれ、高段者も据物斬りをしている、想定は相手がこちらに斬りかかっているという事をイメージできなければならないとお話しくださいました。私はそのように先生から習っていましたので私にとっては当然の事でしたが、あらためて見ると確かにみなさん動かぬ敵をこちらから斬りに行く動きをしておられました。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の想定はほとんどが相手が先にこちらに仕掛けてくる想定です。それをこちらから、まだ動かぬ敵を切りに行くのだと思えば動きは異なったものにしかなりません。
 また大森流の初発刀のように抜付けてからさらに斬撃をするという想定では、斬撃までは相手にとどめとなる攻撃をしていないわけですから前に進むときにも、相手がどのように動くかわかりません。相手が反撃してきてもどのようにでも変化できるように自分の姿勢は動きの最中でもニュートラルでなくてはなりません。突撃するような姿勢では相手の反撃でこちらが切られてしまいます。
 ましてや流刀のように相手の斬撃をかわしただけであるのに悠長に回って体を固めてから相手を斬りに行ったら相手の2撃目が先に来てしまいます。したがって初心の内から、ゆっくりであっても動きが滞らないように稽古しなければなりません。
 それぞれの形がどのような想定なのか、再度お渡ししてある「秘伝書」で確認してください。

 広島城のお堀の夜景です。
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  1. 2013/10/15(火) 21:25:22|
  2. 居合 業

刀礼

 居合の稽古においてなぜ刀礼を行うのか、それは刀に一つの霊格を認めているためです。刀に魂が存在することを認めて、単なる鉄の塊にではなく、人に対するのと同じように礼をするのです。
 刀礼が形式だけのものと考えられる方は、刀を腰にした途端に刀をたんに武器と考えて自分の自由自在に振り回そうとします。そこには刀と一体になるとか、刀魂に従うという思いはなく何のために刀礼をしたのかという思いもありません。そのような方は刀礼も形式的なものにすぎないのだと思います。
 ここまでお話しても気づかない方は人が1年でたどり着くところへ5年たっても10年たってもたどり着かないかもしれませんが、心の問題ですので私にはどうしようもありません。気付いた方は今すぐに改めてください。
 
 高速道路のぼりの山口県のサービスエリアから見た風景です。
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  1. 2013/10/16(水) 21:25:32|
  2. 居合 総論

間合

 澁川一流柔術で初心の方を導こうとしたら「受」が間合を正しくすることが不可欠です。 たとえば履形の稽古をするのに相手から遠すぎる位置に立てばこちらの拳は相手に届くことはありません。届かず、何もしなくてもよい拳を無理に捕りに行けば姿勢は崩れてしまいます。また返に捕るには相手に斜めに入らなければならないのですが、間合が近すぎると「捕」は体をねじって相手の拳を捕らなくてはならなくなり、実際の場合には技はかかりません。
 履形を例に取りましたが、間合の問題は全ての形に共通した問題です。兄弟子が「受」をする場合にはその仕掛けが有効な動きなのかどうかをしっかり吟味しなければ稽古を重ねることに意味はなくなってしまいます。
  1. 2013/10/17(木) 21:25:31|
  2. 柔術 業

ブランド

 ブランドはそれを使うことがない方にも、その存在がよいものとして知られているものと考えます。合気道は武道をしようとしない方にも知られた武道で、一般の形から見てもよいイメージがあると思います。合気道にもいろいろな流れがありますが、一般の方はそのようなことを知らず合気道というイメージで捉えます。
 柔道はよく知られていますが、最近はどのように思われているでしょうか。ずいぶん昔であれば姿三四郎に代表されるイメージがあったでしょうが。
 古武道はどうでしょうか。知られてさえいません。そんな江戸時代の人が行った武道が存在するということを知らない方がほとんどでしょう。
 さて、これをどのように変えていくか。貫汪館は要請を受けて沼田歴史散歩の会や城下町広島の歴史講座十講、広島城二の丸夜話で武道史の講演と演武を行ったりしてきましたが、微々たる活動に過ぎません。何らかの方法を考えなければなりません。
  1. 2013/10/18(金) 21:25:24|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

肩が強い

 無雙神傳英信流抜刀兵法でも大石神影流剣術でも肩の強さに頼って刀を振る方は刀が生きて働くことはありません。
 刀は肚を中心として廻っており、肩が強ければその伝達経路は遮断され肩から先の力で刀を降っていることになります。そのような方は肩だけでなく腕力をも用いておられますので強く柄を握りこむ傾向が強く束縛されすぎた刀は死んでしまうのです。力強いと感じるのは思い込みで、それは自分の力みを感じているにすぎません。まず、自分が動いている最中にどのように体を用いているのかを認識するところからはじめて下さい。

  1. 2013/10/19(土) 21:25:53|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

棒を用いる

 六尺棒にしても半棒にしても、互棒でも刃がついている棒はありません。刃がついていれば触れるだけで斬れ場所によってはその程度で致命傷を与えることができます。しかし棒はそうではありません。
 初心者の方は形を覚えるのに精いっぱいなためか棒で打ち込むのに、「コツン」と当たる程度にしか打込んでいない方が多くおられます。武道は何のために稽古するのか。それは身を守るためためです。身を守る技術も身につかないのに修行、精神の鍛練、人格の形成といったところでそれは武道ではなく、武道による必要もありません。
 棒を用いなければならない事態というのは相手が刃物を持って襲い掛かってくる状況で、そのような中で手加減などして「コツン」としか相手に打ち込めないようでは、自分や自分が守らなければならない者を守ることはできません。
 武道を何年も稽古していました。でも簡単に殺されましたという事態は起こしてはならないのです。しっかり稽古してください。
  1. 2013/10/20(日) 21:25:56|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

防具と竹刀

 11月30日には大石神影流の特別稽古を行います。その中で防具着用の稽古も行います。防具や竹刀を持っていない方もおられると思いますが、手に入るならば使い古した中古や格安のものでも構いませんから入手するようにしてください。
 防具着用の稽古をしたことなしで大石神影流を名乗るのはたとえて言うなら、無雙神傳英信流抜刀兵法を名乗りながら太刀打や詰合・大小詰など見たことも聞いたこともない、素抜き抜刀術しかしたことがないという事ですし、加藤善右衛門伝の大嶋流槍術を名乗りながら相面試合をしたことがないという事です。さらにたとえるなら二天一流を名乗りながら二刀の使い方を知らないという事ですし、新陰流を名乗りながら袋撓を使った事がないようなものです。
 確かに大石進は手数(形)を大切にしましたが、それは試合稽古の基礎基本であったからで、大石神影流が大石神影流であったのは防具を着用して竹刀を用いて自在に攻防ができたからです。手数の稽古で養った動きが防具を着用した上でも出なければなりません。
  1. 2013/10/21(月) 21:25:23|
  2. 剣術 総論

「浮雲」「山下風」の抜付け

 11月の稽古の時間帯等の変更日をお知らせします。今月末と11月2日の土曜日は稽古はお休みになりますが、月、水、木の稽古は普段通り行いますのでご参加ください。貫汪館は週に4日の稽古委がありますのでどの曜日に稽古に来られても構いません。

・11月 2日(土) 明治神宮演武会のためお休み
・11月16日(土) 原小学校体育館  9時(大人10時)~12時
・11月23日(土) サンチェリーサブアリーナ 9時(大人10時)~12時
・11月30日(土) サンチェリー武道場 13時(大人14時)~17時


 「浮雲」「山下風」の抜付けは敵との間合いが近いため「切先上がり手元下がり」で行いますが手元下がりという事を誤解して行っては抜付けの威力が出ませんので記しておきます。
 これらの形での抜付けは自分自身の腕と刀とが一体になった重さを用いて相手に斬り込みます。したがって手元下がりだからと手を下げようとしてしまえば刀の重さはなくなってしまいます。鯉口から切先が離れたならば体の落下に先導され刀と一体になった腕が、その重さを伴って落下していくのを体の開きがこれを助けて威を増します。
 この思いがなければ刀を手で振ってしまい、威はなくなり抜付けはごく軽いものとなってしまい、敵の体に刀を食い込ませることができません。
 しっかり稽古してください。
  1. 2013/10/22(火) 21:25:18|
  2. 居合 業

斬撃

 刀を用いるのに形や腕の力みをなくすのは臍下からの力が刀に伝わるようにするためです。肩や腕に力み(理解できていない方は力みを力強さと感じるので厄介ですが)があれば水の流れるホースを踏みつけているようなもので流れるものも流れなくなってしまいます。
 しかしただ力みをなくしていればよいかというとそうではありません。体の各部が治まるべきところに納まっていなければ力は刀まで伝達できなくなってしまいます。力みを抜いたところで起こりやすいのが、振りかぶりすぎです。切先が常の状態よりも下方に落ちてしまう事です。原因は体の力みが抜けても心の力みが残っていたり、力みを抜こうと考えすぎてへたってしまったりと様々ですが、正しくあるべき位置よりも切先が下がってしまうと、つながるべき肩と広背筋がつながらず、またつながるべき手の内と柄がつながらなくなってしまいます。つながっていないのですから臍下からの力が伝達されることはなく、また中途半端につながっていても臍下からの力はあまり伝わらなくなってしまいます。
 自分の斬撃が不安な人は確認してください。
  1. 2013/10/23(水) 21:25:55|
  2. 居合 業

奉納

 27日に出雲大社奉納演武を行います。貫汪館がこれまで行ってきた行事の中ではもっとも大きな行事で、貫汪館のこれから、そして貫汪館で稽古される皆さんのこれからを左右するような大きな行事です。各自、奉納に向けて自他に恥じる事のないよう稽古に集中し心身ともに十分な稽古を積んでこられたと思います。
 出雲大社の仮拝殿での古武道の奉納は貫汪館がはじめておこなわせていただくと聞いています。またこれまで武道の奉納演武は地元の学校の武道のクラブが行った事があるようですが、参拝のみ行って演武は各学校の体育館で行われているという事で、境内で奉納演武を行わせていただくという事も古武道ではおそらく初めての事なのではないかと思います。
 このような機会をいただくことはこの上なく光栄なことであり、今後の発展と、古武道全体の事を考えても各自が持てるすべてを奉納しなければなりません。

 出雲大社の大国主大神様について、出雲大社のホームペ時には下記のように記されています。

 大国主大神様は生きとし生けるものの幸栄(さきはえ)のために「むすび」の御霊力をお授けになっております。
 「縁結」とは男女の縁はもちろんですが、さまざまな人と人、人と物などのあらゆるつながりである「むすび」を意味しています。大国主大神様を〝縁結の大神様〟と申し上げるのも、神々の会議を主宰なさる大神様だからです。


 つまり奉納する一人一人の「むすび」にかかわる大神様であるという事がわかると思います。こえからの人生が長い方は特に「むすび」が人生を左右してきます。奉納をたんなる演武と考えることはできないでしょう。
 さて、稽古は十分に積んでこられたと思いますので、技に関して申し上げる事はないのですが、これだえは心しておいていただかなければならぬと思う事を述べます。それは「粗雑にならぬ事」です。稽古を積んだ方であっても、自分の形が一つ終わったら、次の形までの動きが粗雑になる事があります。気を抜いてしまうのです。また演武の位置まで進むのにまだ形ではないのだからとばかりに隙だらけに進んだり、演武が終わって帰ってくるときに終わったとばかりにすたこらと歩かれることもあります。大神様に奉納するという観点から述べれば奉納にはなりません。
 奉納演武とはすべてを奉納することだという思いを持ち、自分自身の心の動きにも気を許さず一挙手一投足を疎かにせず、奉納に臨んでください。

  1. 2013/10/24(木) 21:25:51|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達のために

 形が業として身についておらず出来ないのであれば、出来ない事が上達のもととなりますので決して表面を取り繕ってはなりません。
 表面を取り繕ってしまえば、自分自身をごまかしてしまい、出来ない事を出来ていないと認識しなくなります。ごまかしを何年も続けていれば気付いたとしても出来ない事を見せることは難しくなってしまいます。そうなってしまえば業として身につくように工夫し稽古しようという思いはなくなってしまいます。
 出来ないから上達しようという思いが続きます。下手は上手の始まりであり、決して恥ずべきことではありません。
  1. 2013/10/25(金) 21:25:03|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武道史の勉強

 武道史の勉強は古武道を稽古する者に欠かすことは出来ません。皆さんすでにご存知のように江戸時代に成立した柔術はその時代背景を無視して、素手と素手の格闘技であるととらえてしまえば、役に立たない技が多くありますが、時代背景を学び、これを相手が刃物を手にしている状況の中で用いる技であると考えれば納得がいくことが多いと思います。これまでいくつかの講演の中で述べてきたことですが幕末の広島の農村地帯は治安が良いとはいえない状況にあったといえます。このような時代には競技としての素手と素手の格闘技は今の時代のような価値はありませんでした。
 剣術においても時代背景を無視してこれを語ることは出来ません。幕末は防具着用の試合剣術が発達して流派を超えた技術の共通化がおこり、さらには真剣では用いることが出来ない競技用の技が生まれてきた時代です。
 そのような時代にあって大石神影流は手数を大切にし、防具着用時以外の技を捨てることはなく、また試合にあたっても「1本目をとればあとは打たれてもかまわない」と1本目を大事にしてきました。これは昭和になっても変わらず、私の師である大石英一先生も祖父である大石一先生からそのように指導を受けられています。防具着用の稽古であっても打突後には切先を相手の面につけなければ1本にはなりませんでした。現代剣道の動きとは異なっています。防具着用の先進流派でありながら、古法も墨守していたことがわかります。
 自分が稽古している事は何であるのかを知るためには歴史を学ばなければなりません。

  1. 2013/10/26(土) 21:25:02|
  2. 武道史

我道の居合一筋雑談に知らぬ兵法事を語るな

 江戸時代のことですから現代のように居合しか知りませんとか剣道しか知りませんということはなかったと思います。
 土佐の片岡健吉の修行暦は以下の通りです。

安政4年(1857)6月  「寺田忠次門ニ入リ剣術ヲ学フ」(註:大石新影流)
安政5年(1858)7月23日  「下村茂市門ニ入リ長谷川流居合(註:無雙神傳英信流抜刀兵法) 高木流体術ヲ学フ」
万延元年(1860)10月21日  「本山団蔵門ニ入リ竹内流組打ヲ学」
     同  11月4日  「郷円之丞門ニ入リ槍術ヲ学」(註:以心流)
     同  12月ヨリ  「谷村亀之丞ニ馬術ヲ学」(註:谷村亀之丞は無双直伝英信流の師範も兼ねる)
文久元年(1861)8月25日  「本山団蔵ノ門ニ入リ古傳馬術ヲ学」(註:源家古傳馬術〔調足流〕)
     同  9月11日  「中山衛門七郎門ニ入リ北条流兵学ヲ学」

 さまざまな種類の武術を稽古している事がわかると思います。このように稽古するのが一般的であった時代に「我道の居合一筋雑談に知らぬ兵法事を語るな」というのは居合しか知っていないというのではなく居合が専門であるといった解釈が妥当であろうかと思います。
 さて本題です。貫汪館では無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術の三種類の武術を稽古していますが、それぞれに得手不得手があろうかと思います。上記の歌の場合、不得手な武術についてあるいは本当に知らない武術について知っているかのように話をするなということでしょうが、武術の稽古をすると、あれも出来る、これも出来るという慢心を生じることがあります。あるいは人が知らない自分のみが知っているといった優越感が生じることがあります。満足に出来もしない武術を披露してみたり、自分の映像をインターネットに上げることもあります。披露するだけならその場で終わりますが、映像をインターネット上にあげてしまえば取り返しがつかないことになります。ご本人はそうとは思わずにすることでしょうが、以前、居合の映像で上から下に切り下ろすのに刃筋が左右に大きくぶれながら切り下ろしている映像を見たことがあります。その方は他の分野では名が知られているから居合もと思われたのでしょうが、それぞれの武術は、それぞれの特徴を有しておりそのように簡単なものではありません。まさしく 「知らぬ兵法事を語るな」といった状態でした。心しなければなりません。

  1. 2013/10/27(日) 21:25:52|
  2. 武道史

出雲大社奉納演武

 昨日出雲大社で奉納演武を行わせていただききました。平成の大遷宮の年に奉納演武を行わせて頂くにあたっては5月より出雲市役所の渡部様にご尽力いただき、また私も多くの関門をクリアしながら何か月もかけて実現したもので、おかげをもってやっと実現したものです。奉納させていただいた方は渡部様の御好意を絶対に忘れてはなりません。
 演武に先立ち正式参拝では八足門の中に進ませていただき、楼門の前で参拝させていただきました。私は拝殿での参拝だと思っていましたので、このよ羽な待遇を与えていただくとは思っていませんでした。通常一般の人は正月の五日間を除き八足門の中に進むことは許されないということですので、非常に貴重な機会をお与えいただいたことになります。
 さて、皆さんはどのようにお感じになったかわかりませんが、私は八足門の中と外では全く異質の世界に感じられました。内には太古の時代からの空気を感じまさに自分の魂が浄化されるかのように清々しい心になり、そのまま演武できました。今回の演武は私にとって初めての心の状態での演武で上手下手は関係なく心が何にもとらわれずに演武することができました。
 もう2度とこのような機会はないかもしれません。奉納された方は今回の演武で感じたことを今後の稽古にいかし、発展してください。

DSC04148.jpg
  1. 2013/10/28(月) 21:25:01|
  2. 未分類

連合艦隊解散の辞

 連合艦隊解散の辞の終わりの部分に以下のように記されています。

神明は唯平素の鍛練に力め戦はずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に一勝に満足して治平に安ずる者より直に之を褫ふ。
古人曰く勝て兜の緒を締めよと。

明治38年12月21日 連合艦隊司令長官 東郷平八郎

 

 稽古・修行とはこのようなものです。人生全てがこのようなものかもしれません。「演武会が終わった。奉納演武が終わった。昇段審査会が終わった。だから、少しくらい稽古を休んでもいいか。」そして「一勝に満足して治平に安ずる者より直に之を褫ふ。」という状態に陥ります。指導する立場になって約20年、このような事例はたくさん見てきました。そして後から来た人に抜き去られてしまいます。
 まさに「古人曰く勝て兜の緒を締めよ」なのです。

 11月3日に行われる明治神宮での日本古武道大会のプログラムが送られてきました。貫汪館は無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術を演武致します。小さな画像をクリックしていただくと大きくなります。
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  1. 2013/10/29(火) 21:25:53|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

映像の見方

 自分の動きを確認するために映像を利用したり写真を利用することがあるかと思います。もっともだめな見方は記念写真的にしか見ず、そこから上達のための糧を得ようとはしない見方です。また形の手順を確認すればよいと思い込み、タブレットなどの小さな画像で見る方法もよいとはいえません。
 上達するためには映像を活用する上手な見方があります。上達している支部長はビデオレコーダーのハードディスクに取り込み、大きな画面で見たい部分を拡大してみたり、スローにしてみたり、静止させてみたりと十二分に活用しているようです。私が師匠の動きをビデをカメラでとらせていただいて研究していたときには、その当時はテープでしたがスローにしたり、静止させたりなどしながら、どこをどうすれば師匠のような動きになるのかを細部まで見て研究していました。
 写真は静止していますのでその時点の体遣いが如何なるものであるのかはよく見てとることができます。決して外見を見るのではありません。
 せっかくのことですので上達する方向で活用してください。


出雲大社での奉納の前日、松江を観光しました。しばらく写真を載せていきます。松江城です。昔の儘の木造の建物が残っています。中は外観よりも広く感じます。
m01DSC04049.jpg

  1. 2013/10/30(水) 21:25:57|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

運剣からの左手内

 抜きつけた後、運剣の後に左手が柄にいたり両手で斬撃する際左手で柄を掴もうとするのは間違った動きです。運剣は通常刀が右から左へ廻り頭上にいたってから下方に下りますが、この動きは初心者のときに稽古する斬撃の動きと異なるものではありません。体の中心を廻っているだけです。
 左手で柄を掴もうとするとせっかく廻ってきた刀の動きが掴んだ瞬間に途切れてしまいます。斬撃の稽古では振りかぶったところで左手を握りなおそうとはしないのですから、刀が廻ってくる道は違ったとしても左手はあたかも初めから柄にあったかのごとく柄に添えます。そのときの手の内は斬撃の左手の内と変わることはありません。
 ポイントは抜きつけたときに左右の手がばらばらに働かず臍下を中心として一体となっていることです。

 松江城に展示してある兜の写真を載せていきます。
m02DSC04052.jpg
  1. 2013/10/31(木) 21:25:30|
  2. 居合 業

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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