無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

手順に任せない

 昨日は太刀打・詰合で動きを止めないという事を話しましたが、これを間違えてきめられた通りに流れるように行っても、また駄目な動きを身につけるだけになってしまいます。
 手順が決められているのですから相手の業の起こりにお構いなく動いても間違いは起こりません。ひどい場合には相手が打ち込む前から受ける動きをすることも見受けますが、実際の場であれば相手は他の箇所に斬りこんできます。形には理があり、その理にのっとった稽古をしなければ形をいくら稽古しても真の上達はありません。手順が決まってるものであっても自由な攻防と同じように斬り込むべき時があり、守るべき時があり、動かざるべき時があり、動くべき時があります。これらをわきまえた稽古をしなければ上達の為の稽古にはなりません。
 稽古において打太刀を務めるものは、よくこのことをわきまえ遣方があやまった稽古をしている場合にはそれを正さなければなりません。
  1. 2013/04/01(月) 21:25:34|
  2. 居合 業

広島護国神社奉納演武

 4月7日(日)午前9時から広島護国神社において貫汪館奉納演武を行います。毎年奉納演武の前には述べることですが、奉納演武の際の注意点を述べます。


 演武は奉納するものですから、今の自分を奉納してください。もし稽古不足でこのままでは恥ずかしいと思われても自分を飾るようなことはされないでください。稽古不足と思われているならば今からでもいくらでも稽古でいます。技を上手に行おうという思いがあれば「気合」が小さくなる傾向があります。稽古の時に確認してください。

 御神前ですので行動には気を付けてください。神は見えなくてもそこにおられます。

 子供たちの言動には気を付けて指導してください。奉納という意味が理解できていない子供たちもおり、運動会感覚の子供もいると思います。年少の子供は経験のある年長の子供に指導させるようにしてください。
  1. 2013/04/02(火) 21:25:27|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

久々に

 25年ぶりくらいに東名高速道路を走りました。そんなに昔のことですが、何度も走ったことがある道は覚えていました。写真は浜名湖と、浜名湖サービスエリアに咲いていた桜です。浜松に住んでいたころには浜名湖で何度かウインドサーフィンをしたことがあります。ウインドサーフィンは下手でなかなか自由にはなりませんでしたが風の向きを巣肌で感じることができるようになりました。鈍い私の感性を上げるには役立ったと思います。皆さんも居合や柔術の稽古を始めるまでに様々な経験を重ねておられると思います。そのうち居合や柔術に重なる部分は必ずあるはずです。

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 富士川と富士山の写真です。雲のように見える雪に覆われた富士山の頂上も写っています。
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 4月7日(日)午前9時から広島護国神社において貫汪館奉納演武を行います。公開して行う奉納演武ですのでどなたでもご見学ください。
  1. 2013/04/03(水) 21:25:06|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

わかっていない

 インターネットの記事に[村田雅裕のスポーツ曲論]というものがありました。まったく分かっていないし嘉納治五郎の宣伝効果というものが日本国民に大きな誤解を与えているのだと思わざるをえません。このあたりで嘉納治五郎の再評価をしなければ、柔道は変わりえないと思います。
 一般的には勝負にこだわるのが柔術で、柔術を改良して道にしたのが柔道だというイメージがあるのですが柔術を競技化して競技の勝敗を競う事に重点を置いたのが柔道です。昇段するには試合に勝たなければならないのですから。
 発足当時から競技の勝敗に重点を置いたのが講道館柔道なのですから今の事態になったのはもともと内に秘めたものが表に出ただけのことです。
 柔術流派によっては試合を認めないところも多く、乱捕といっても稽古方法の一つにすぎないところも多かったため、そのようなところは逆に時代に乗れませんでした。記事は以下のようなものです。いいかげんに古流柔術に対する作られた偏見は正されなければならないと思います。


そのような全柔連は、子供に「柔(やわら)の道」をどう教えるのだろう。「金メダルをとらないといけない。勝った者が偉い」と話すのか。
 女子柔道家の山口香さんは五輪での「競技としての柔道」と、「講道館の柔道」を分けるべきだと唱えている。極めて正論だろう。
 この際、分かりやすいように五輪での競技を「柔術」とし、日本の文化的財産であるものを「柔道」と名称変更してはどうだろうか。
 五輪で金メダルを取るために頑張っている選手は素直にたたえたい。もしメダルが取れなくとも、柔道の道をきわめ、日本の精神文化を豊かにするように頑張ってほしい。柔術での結果が、柔道家としての評価ではない。そこを明確にするのだ。

  1. 2013/04/04(木) 21:25:04|
  2. 柔術 総論

言葉

 無双神伝英信流抜刀兵法も渋川一流柔術も後進に言葉を用いて手順を追って表面的な事を論理的に説明して導こうとされる方は人によっては、その事によって自分を誤魔化してしまっていることがありますのでご注意ください。
 技や動きは言葉で説明できるのは全体の一部分でしかなく、また、言葉もその人その人が持つ微妙なニュアンスの違いがあります。したがって言葉では説明しきることは絶対にできないという事を前提に説明しなければなりません。しかし、言葉に依拠する傾向のある方の中には言葉で説明しきれぬものを言葉によって単純化してしまい、自分自身が分らぬところまでわかったつもりになってしまう事があるのです。
 自分が後進を指導するときに、見せることを主にして言葉で補っているのか、あるいは言葉に頼って指導していないかどうか確認してください。また、言葉に頼って指導している場合、自分自身が言葉で説明できる範囲内に技や動きを単純化してしまっていないかどうかを確認してみてください。


 4月7日(日)午前9時から広島護国神社において貫汪館奉納演武を行います。公開して行う奉納演武ですのでどなたでもご見学ください。
  1. 2013/04/05(金) 21:25:27|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

ジュージュツ

 マンチェスターにいるウエンディーは広島で渋川一流柔術を3年間学び畝先生から免許皆傳上極意を授かっているただ一人の外国人ですが、もともとイギリスのジュージュツを学んでおり日本に来た時にはそのイギリスのジュウジュツも相当に稽古しており渋川一流柔術を稽古し始めた時にはそれほどの苦労はしていませんでした。ただ、日本独自の考え方と動きには疑問に思うところもあったようで良く質問を受けたことがあります。
 現在は子育てもまず一段落して再びU.Kの柔術の稽古を始めたようですが、以前稽古していた道場が閉じられたため他の道場で稽古しているようです。
 明治維新後、講道館柔道よりも先に柔術家がヨーロッパに教えに行っているためにヨーロッパではジュージュツという言葉が市民権を得ていますが、U.Kの柔術にはいくつかの流派のようなもの(団体)があるようです。もともと競技ではなく護身術的な意味合いでU.Kで広まった柔術ですので以前ウエンディーからもらったジュージュツのテキストをみればジュージュツといっても柔術をベースにしながらも講道館柔道の技や空手などの技がミックスされた体系になっています。独自に発展していったジュージュツなのです。そのような独自に発展して土地に根付いているジュージュツがU.Kのジュージュツであり、日本の伝統的な柔術を見ても違和感を覚えると思います。

 4月7日(日)午前9時から広島護国神社において貫汪館奉納演武を行います。公開して行う奉納演武ですのでどなたでもご見学ください。
  1. 2013/04/06(土) 21:25:41|
  2. 柔術 総論

広島護国神社奉納演武

 本日、広島護国神社において奉納演武を行いました。奉納演武の感想を述べます。
 澁川一流柔術を稽古する子供たちは動きは、まずまずの出来でしたが、学年が上がるにつれ気合が出なくなる傾向があります。テレが出るのか、恥ずかしくなるのだと思いますが、いくら良い動きをしても最後の気合が小さすぎると肚に力がこもらず逆に抜けてしまいますので全体としてみた場合、駄目な技になってしまいます。テレや恥ずかしさをどのように克服させればよいのかを指導する者が考えなければならないと思います。
 無雙神傳英信流抜刀兵法を稽古する中学生・高校生はこれまで稽古したことが素直に出ており上達しているのを感じました。
 大人の演武ですが、稽古の時よりも良い演武をされる方が多かったと思います。特に顧問をしていただいている方の柔術は昨日の稽古の時よりも数段上手になられていたので、御うかがいすると、やはり稽古の後に一人で稽古されたという事でした。
 演武で「ああしよう。こうしよう」と意図的に小手先で動く方はおられませんでしたが、丁寧にとか正しくと心掛けられた方はおられました。そのような心で演武するとその心が邪魔をしてしまい、動きにも濁りが出てしまいます。それぞれ、どのように演武をしたかを振り返られ、今後の糧としていただきたいと思います。
  1. 2013/04/07(日) 21:25:42|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古量

 稽古量が足らないまま稽古カを始めて年数だけが経過してしまうと、中身が充実していなくても外見を作ろうとする思いが生じてきます。
 これはだれにでも当てはまることで、暫く稽古から離れていてある程度の期間が空いて稽古を再開した場合にもそのようになってしまう場合が多いようです。
 この状態から抜け出すのは困難なことなのですが一つだけ方法があります。自分の実力はこれだけなのだとはっきりと認識し、自分自身に言い聞かせ、その自分の実力に応じた時点から稽古するのです。後から稽古を始めた方のほうが上手に見えるかもしれません。自分のほうが稽古年数が長いのに、まだヨチヨチ歩きに思えるかもしれませんし、そう見られるかもしれませんが、上達のためにはそれしかないのです。
 人はだれでも他人に良く見てほしいという思いがあります。そのような思いがあるほうが普通です。しかし、こと武術に関しては、そのような思いは役に立たないどころかマイナスにしかなりません。武術は形のよしあしを競う現代武道と異なり、何かあった場合に役に立つものでなければなりません。外見を気にしていては役に立つものは身につきません。


  1. 2013/04/08(月) 21:25:13|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

目付け

 居合の初心者の方で斬撃後の目付けが理解できていない方が居られますので述べておきます。
 斬撃後は視線を前方の自分の高さに視線を置くのではなく倒した敵に目をつけておかなければなりません。その後の動作である血振いや足のふみかえは相手に対する残心ですので、目は倒した敵に付けるようにしてください。
 斬撃と同時に刀とともに視線を下げていくのも間違いです。斬るという動きは相手の体の中を刀が通ることであり、相手を刀で潰すわけではありません。また実際には斬ったと思っても、陰陽進退や向払の抜付けのように不十分であったり切先がたわなかったりする場合もあり、次の動作では変化しなければならないこともあります。
 目付けについて分からないところがあれば道場で質問してください。
  1. 2013/04/09(火) 21:25:31|
  2. 居合 業

棒抜け

 棒抜けは2本の六尺棒で首を挟まれた状態から、手を用い、あるいは手を用いずに脱する技法ですが、広島では多くの流派で行なわれていたようです。澁川一流でも鍛錬の方法としてこれを行ないますが、臍下丹田が働かなければ、棒から脱する事はできません。
 畳に棒で押さえつけられた状態から脱するのを畳抜けといい。壁に押し付けられた状態を返すのを壁抜けといいます。
 臍下丹田を中心に動く事ができ、またコツをつかめばそれほど難しいこともありません。自分が臍下丹田を中心に動けているかどうかを確認するためにもたまに行なってみてください。
  1. 2013/04/10(水) 21:25:05|
  2. 柔術 業

御流儀

 貫汪館ホームページに広島護国神社奉納演武の写真を載せました。ご覧ください。

 久留米藩で幕末防具着用の剣術といえば加藤田家の神陰流と津田家の津田一傳流が有名です。
 津田一傳流はもと浅山一傳流であったものを津田一左衛門が袋撓での稽古から防具着用の稽古へと改変し、藩主から津田一傳流と名乗るようにいわれたため御流儀と自らを称するようになりました。藩主からそのように名乗るように言われた事は津田一左衛門にとってたいへん名誉なことであったと思います。
 ところが明治になって剣術の指導がとりやめになると、これに憤慨悲嘆した津田一左衛門は切腹し、さらに傳書類を一切焼却してしまったといいます。したがって、彼以前の古文書は伝わっておらず、どのような経緯で防具着用の稽古に踏み切ったのかは分かりません。父の津田傳のもとで、すでに防具着用の稽古が行なわれていますが、これは嫡男であった一左衛門が主導したのだと考えられます。
 さて、この津田一傳流ですが久留米では浅山一傳流と称して指導する家もありました。津田家が津田一傳流を称する前の浅山一傳流の時代に免許を授かり指導を始めていた浅野家です。写真は津田一左衛門が出した御流儀津田一傳流の免状と浅野家が出した浅山一傳流の免状です。
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  1. 2013/04/11(木) 21:25:13|
  2. 武道史

手数

 柳河藩ではいわゆる「形」のことを「手数」といいます。これと同じように豊後竹田の岡藩でも「形」のことを「手数」といったようです。 
 これは九州一帯にわたってそのような言葉が用いられたのか、あるいは岡藩から村上一刀が柳河に至って「手数」という言葉がもたらされたのかは今の段階では不明です。久留米藩でもそういった文献は見たことがありますが、久留米藩にも村上一刀によって伝えられた愛洲影流剱術と奥山真貫流柔術が伝わってますのではっきりとはわかりません。
 私はいまだに「形」のことを「手数」というのに違和感を覚えますが、これは私が年を重ねる過程で手数という言葉の持つイメージが私なりに形作られてしまったからだと思います。武道史の研究をする際固定観念を持っていたら「手数」という言葉が出てきてもそれが何を意味するものか正しく理解できないこともあるでしょう。

 4月20日(土)福岡県久留米市の北野コスモス館の交流ホール(久留米市北野町高良1706番地1)で午後4時から8時まで無雙神傳英信流抜刀兵法の指導を行います。全くの初心者の方も歓迎いたします。経験されたい方には稽古道具を準備いたします。興味のある方は久留米道場の連絡先へご連絡ください。
  1. 2013/04/12(金) 21:25:55|
  2. 武道史

剱鎗の師範を兼ねる

 柳河藩では槍術と剱術の師範を兼ねるという事が多く、大石進は大石神影流剱術と大嶋流槍術を加藤善右衛門は大嶋流槍術と新陰流(愛洲影流)剣術の師範を兼ねていました。このような制度は柳河藩特有なものかと思っていたのですが、豊後竹田の岡藩でも同様に行われていたようです。
 ただし幕末の頃の岡藩の文献ではかつては行なわれていたが、現在は行われていないので、元に戻すべきであると記されていました。またかつては特定の剱術流派に特定の槍術流派が組み合わされていたようです。 
 このような剱鎗師範を兼ねるという事が柳河藩に村上一刀によってもたらされたことなのか、あるはこの一帯に行われていたことなのかはわかりません。
 岡藩の武道関係の資料は少なく、ぞの全体像すらつかむことができませんので解明は難しいと思います。

 4月20日(土)福岡県久留米市の北野コスモス館の交流ホール(久留米市北野町高良1706番地1)で午後4時から8時まで無雙神傳英信流抜刀兵法の指導を行います。全くの初心者の方も歓迎いたします。経験されたい方には稽古道具を準備いたします。興味のある方は久留米道場の連絡先へご連絡ください。
  1. 2013/04/13(土) 21:25:22|
  2. 武道史

気合

 4月20日(土)福岡県久留米市の北野コスモス館の交流ホール(久留米市北野町高良1706番地1)で午後4時から8時まで無雙神傳英信流抜刀兵法の指導を行います。全くの初心者の方も歓迎いたします。経験されたい方には稽古道具を準備いたします。興味のある方は久留米道場の連絡先へご連絡ください。 
 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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 春になり、はじめて裏山に入り筍を掘りました。山に入ると花粉症がひどくなるのですが筍をほっておくと竹になってしまい、山はすべて竹林になってしまいます。
 山に入った時から猿かなと思う物音が聞こえていたのですが、奥に入っていくと猿達に姿が見えました。小猿たちは警戒心がありませんので近くまで来て木の芽を食べ始めます。ボスざると思しき猿の姿も10m位はなれたところにありましたので話しかけ、その場を去ろうと猿達に背を向けたところ、いきなりサルたちがホーホーホーギャーギャーギャーと一斉に威嚇し始めました。振り向くとボスざるを先頭にして約10頭近くのサルたちが鶴翼の陣形をとり、私に向かって襲い掛かる姿勢を取り目と牙をむいて必死の形相で威嚇しているのです。距離は縮まっていました。
 瞬間的に状況を読みましたが、その陣形は見事なものでボスざるを先頭にして左翼と右翼にその次に位置するだろうと思われる猿を対象に少し離して配置し、その間にはそれよりもさらに少し弱いだろうと思われる猿がいて、また後方には群れの中でも力がないのだろうと思われる猿たちがいました。遠山の目付で木の上も見えたのですがそこにはおらず、一安心。
 かなり切羽詰まった状況になってしまったので筍を入れた土嚢袋をひっかけて肩に担いでいたスコップを無意識のうちに脇の中段にとっていました。無意識の内だったのですが相手が多数いる場合には状況を見ながら対処できる便利な構えです。
 それでもサルたちは威嚇し続け、陣形を保ったまま前に出てくるのでるので(大人のサルたちの様子にもかかわらず、子ザルたちは楽しそうに木の上で木の芽を積んでは食べていました)、猿を蹴散らすのは何とかなると判断したのですが、猿を傷つけるのはしのびなく、私が気合をかけて猿達を威嚇しました。一度目でサルたちは後ずさりをしてひるみましたが、まだ吠えるのをやめませんでした。二度目の気合でサルたちは吠えるのをやめてかなり後方に下がったので、そのまま後ろを見せて帰ってきました。
 いつの間にか、裏山の奥の方は(といっても100mくらいしか入りませんが)、猿たちは自分のテリトリーと認識するようになっていたのだと思います。そこによそ者が入ってきたのでおいだそうとしたのでしょう。

 柔術の稽古で子供たちは気合が小さすぎるのですが、気合の大きさが役に立ちました。 
 
 下の写真は裏庭に咲いたチューリップと新緑の柿の木です。

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  1. 2013/04/14(日) 21:25:08|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

たどれない

 4月20日(土)福岡県久留米市の北野コスモス館の交流ホール(久留米市北野町高良1706番地1)で午後4時から8時まで無雙神傳英信流抜刀兵法の指導を行います。全くの初心者の方も歓迎いたします。経験されたい方には稽古道具を準備いたします。興味のある方は久留米道場の連絡先へご連絡ください。 

 武道史の研究をしていていつも残念に思う事は、確かにその家に武術の流派が伝えられていたのに、せっかくその家にたどり着いても古文書などの資料が残っていないことです。
 廣島では小野忠也直門であった間宮家が代々一刀流を伝えていましたが、明治以降も屋敷が廣島城の近くにあったために古文書や忠也から授かった刀も原爆で灰燼に帰してしまいました。幕末に難波一甫流を伝えていた小室家も屋敷が原爆ドームの近くにあったということで二つあった蔵は全て焼けてしまったということです。信抜流の原家もまた原爆によって資料は全てなくなってしまいました。広島ではこのように原爆の被害にあった家は多くあります。
 また、原爆の被害にあってはいなかったのに、資料が存在しない家もあります。幕末に司箭流取捨や長刀・渋川一刀流(実態は不明)を教えていた中山権八郎の子孫は戦前朝鮮半島に渡っておられました。引き上げの際、貴重品は必ず届けるからといわれ、公的な立場の物に預けられそのまま全てがなくなってしまったそうです。
 小篠家は廣島藩で代々吉田流の弓術を教えた家ですが、この家も戦前満州に渡っておられ、引き上げの際全てをなくされたということです。
 以前も述べましたが柳河藩の大嶋流槍術の師範加藤善右衛門の子孫は朝鮮半島に渡られ、引き上げの際、所持品は身の回りのものだけとされたために、1本の鎗の穂先のみを持ち帰られました。あとは半島人に没収されたということです。
 昨日述べた津田家には銃剣道の成立に関与した津田教修がいるのですが、津田家も戦前満州に渡っておられ、引き上げの際に全てを失われたということです。
 残念なことです。日本式の銃剣道の成立の手がかりが失われました。
  1. 2013/04/15(月) 21:25:21|
  2. 武道史

大小立詰

 4月20日(土)福岡県久留米市の北野コスモス館の交流ホール(久留米市北野町高良1706番地1)で午後4時から8時まで無雙神傳英信流抜刀兵法の指導を行います。全くの初心者の方も歓迎いたします。経験されたい方には稽古道具を準備いたします。興味のある方は久留米道場の連絡先へご連絡ください。 

 大小立詰の脚の働きは座して素抜抜刀術をする時の脚の働きと変わる事はありません。
 大小立詰を難しくしているのは立っている為に脚が自由に働くので膝から下を用いて足を動かそうとしたり、踏ん張ったりする事が原因です。座しての居合の稽古と同じく膝から下を用いず、股関節を自由にして臍下で脚を働かせればそれに連動して上半身は働いていくため技がかかるようになります。
 脚を自由に働かせているのに技がかからないと感じておられる方は、自分が腰を固めていないかどうかの確認をしてください。脚が自由に働いていても腰を入れて腰から動いてなどと意識していたら体は固まってしまい技はかかりません。
  1. 2013/04/16(火) 21:25:51|
  2. 居合 業

太刀打

 4月20日(土)福岡県久留米市の北野コスモス館の交流ホール(久留米市北野町高良1706番地1)で午後4時から8時まで無雙神傳英信流抜刀兵法の指導を行います。全くの初心者の方も歓迎いたします。経験されたい方には稽古道具を準備いたします。興味のある方は久留米道場の連絡先へご連絡ください。 

 太刀打の稽古で少し気になった事がありますので述べておきますので自分がどのような動きになっているのかご確認ください。
 「出会」では形は遣方が斬り込んで終わるのですが、その後遣方が後方にさがりながら木刀を中段に取るときに打太刀が遣方の動きにかまい無く自分の木刀を速く中段に持っていこうとする事があります。
 形には始まりも終わりも無く、また斬り込んで、あるいは斬り込まれて終わりというものでもありません。素抜抜刀術においてでも斬撃のあとには斬新があります。打太刀が自分の木刀を相手にお構いなく自分の中段に戻すという動きには残心はありません。あくまでも隙無く遣方の木刀に応じて自分の木刀を下げていかなければなりません。

  1. 2013/04/17(水) 21:25:06|
  2. 居合 業

阿蘭陀人の剱術・槍術修行

 高杉晋作が記したものに以下のようにあります。

 西洋戦争之絵巻物を見て、其鎗法拙きこと相知れ候、且我鎗の術精錬なるは、彼等も又深く賞嘆することにて、阿蘭よりは刀鎗の術修行として少年の連超し長崎に稽古いたし候。されは我利刀の鎗を以て銃剣とし、精錬の法を以て遣へ候得は、是に過れたる便利の器は無之相応、是彼の剱筒に我に用れは十分の利に候得共

 長崎において幕末に阿蘭陀人が剣術・槍術の修行をしていたということらしいです。この事に関する資料が長崎にあればと思うのですが・・・。
  1. 2013/04/18(木) 21:25:49|
  2. 武道史

長崎の剱術道場 1

 4月20日(土)福岡県久留米市の北野コスモス館の交流ホール(久留米市北野町高良1706番地1)で午後4時から8時まで無雙神傳英信流抜刀兵法の指導を行います。全くの初心者の方も歓迎いたします。経験されたい方には稽古道具を準備いたします。興味のある方は久留米道場の連絡先へご連絡ください。 

 昨日の続きですが長崎で他流試合をした剱術道場はいくつかあったようです。水戸出身の一途閏の剱術家で、大石神影流を稽古して後に神陰一刀流を開いた赤松次郎もその一人で廻国修行の者たちがよく立ち寄ったようです。
 嘉永2年10月から11月の樋口真吉の日記に次のようにあります。

廿七日
訪赤松氏、不居
廿八日
赤松氏砲家ノ小介ヲ為
廿九日
縣来ル、云火技事本籠町田口収三郎ニ託スト
十二月朔
小雨、訪田口氏及蘭訳家北邑某
二日
訪赤松及鉄翁
三日
訪赤松氏及田口
五日
与田口氏共謁高島氏、為入門


 また、嘉永5年6月の日記には次のように記してあります。

十八日
赤松次郎を訪、二郎ハ縣革名也、清人江元※(火偏に羲)ノ書ヲ獲る、先年予が託スル處也、次郎と明日ノ試合を約ス、遠近生へ托し銕翁へ書簡及色紙ニ帖ヲ贈る、高島先生ヲ訪銃牽馬ノ馬具ヲ見る、綱ハ藤綱也、合図ノ仕込最中也
十九日
赤松方試合、壱番予と次郎、二番二郎ト助馬、三番二郎ト文三郎、四番孫六ト二郎門人三人相手、夫より助馬壱人ノ相手、其次文三郎壱人ノ相手、其次予三人ノ相手、其次二郎と孫六立合、夫ヨリ互ニ試合打込、午時相済、蘭製火酒及飯ヲ出ス、宿ニ帰ル、石先発煩ヲ患フ、医笠戸恕節ヲ喚、時ニ土佐ヨリ漂客受取ノ人到ルト、晩景小舟ヲ僦蘭舶ヲ見る、黒坊船中掃除ノ体、荷半ヲ出シ、船水上ニ出、依テ帆檣上部一段ヲ取卸す、宿ニ帰ル、二郎ヨリ菓子ヲ贈リ来ル
廿二日
霽、安岡・遠近ニ生筑前ニ行、赤松ヨリ唐館見物ノ案内者来ル、云、近年甚六ケ敷、依テ先二人行候様申来ル、故ニ予ト石先両人行、村井新八郎手引也、館内ニ入、部屋ノ前ニ小憩ノ處アリ、此処ニ踞ス、清客数人出来リ菓子煙草等を出ス、此店ヲ萬屋ト称ス、諸房一見ノ上舟頭江元※ヲ訪、元※ハ曩ニ予托する所ノ額面ヲ書スルモノ也、茶及干菓子・西瓜等ヲ出ス、文房書籍多シ、蘭製時計ヲ置、元※単ノ白衣ヲ着、涼風坐ヲ襲フ、伎婦十人ヲ置、頗富商ナリト云、阿片ヲ喫ス、廚内塩豕ヲ多く貯、肉色如黄金、夫より雲濤ノ部屋ヲ訪、雲濤部掃除中、予等二人ノ扇面ニ詩ヲ題シ贈る、館内ヲ辞シ帰る、多田七五郎へ郷信ヲ托ス
註…※印の漢字は火偏に羲


 赤松次郎は面倒みの良い人物だったようです。阿蘭陀人が稽古した道場の候補の一つであるかもしれません。

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  1. 2013/04/19(金) 21:25:31|
  2. 武道史

長崎の剱術道場 2

 樋口真吉の嘉永5年6月の日記には次のようにも記してあります。

廿六日
銕翁を訪、近年食を譲り寺南之一庵ニ移る、松江精一導場試合、精一ハ江戸人此地寓居ス、一刀流ナリ、晩景助馬・文三両人村井氏誘引を以蘭館ヲ見る、此日一日之賄松江氏より出ル


 一刀流の道場も長崎にあったようです。
  1. 2013/04/20(土) 21:25:43|
  2. 武道史

長崎の剱術流派 3

 5月19日(日)、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」です。予定されていてください。
 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

 齋藤新太郎の廻国修行の記録によると長崎奉行所支配下には 「武信流 村井嘉作」「真陰流 小川水衛」がいたようですが長崎奉行支配ということでは阿蘭陀人に剱術を教えた可能性は低いのかもしれませんが、小川水衛は下に記すように妙見自得流槍術もおしえていたということなので、剱術・槍術を合わせて教えることができます。可能性はあります。
 小川水衛については土佐の樋口真吉の天保8年の廻国の記録に次のように出ています。早くから他流試合をしていた人物であると思います。

神陰流剱術
妙見自得流鎗術
   小川水衛兵
   門人
   得平鉄十郎
   成瀬友三郎
   根津要次郎
   小川喜代次
   塚原清之助
右酉十月廿日稽古仕候
 長崎師役
   小川水衛 ㊞


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  1. 2013/04/21(日) 21:25:56|
  2. 武道史

久留米での稽古

 5月19日(日)9:30-16:00、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」の各形の理合を会得する事を中心に稽古します。貫汪館HPの無双神伝英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。。

 20日(土)久留米で指導を行ってきました。
 ほぼ毎月指導に行き、指導する平均時間は広島の道場と変わらないほどなのですが、どうしても指導の期間があくと思い違いをされてしまい間違った方向へ行かれることがあるようです。
 形の稽古は外形を求めるものではありません。流派の正しい理合を求めた結果として外形が知らぬうちに出来上がってくるものです。そこを勘違いして外形を求めてしまうと同じような事をしていても全く異なったっものにしかならないので注意が必要です。たとえできていたことでも方向を間違えてしまえば全くできなくなることもあります。
 今回、皆さん、「理」と「稽古の方向性」は理解できたと思いますので、己の勝手な考えに基づいて稽古せず、「我」がでぬように常に己と戦いながら稽古すれば上達していくことと思います。

 昨日の収穫です。猿は出ませんでした。
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  1. 2013/04/22(月) 21:25:59|
  2. 居合 総論

弟弟子から学ぶ

  5月19日(日)9:30-16:00、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」の各形の理合を会得する事を中心に稽古します。貫汪館HPの無双神伝英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。。


 稽古の年数が増えてくると多少のプライドも生まれてきてしまいます。これは誰にでも起こることですので無理してなくそうと思う事もないのですが、自分の弟弟子(後輩)から学ぶことができるという事も頭に入れておかねばなりません。
 私は師のもとで居合を稽古していた時にはいつも私が若年者でなかなか私よりも年齢が低いものは入ってきませんでしたが、それでも短い期間、小学生が稽古に来ることがありました。私は中学生のときには現代剣道をしていましたのでどうしてもその癖が抜けませんでしたが、小学生が習ったことを習ったままに習得していく素直さは驚きでした。なにも混じらずに習ったことがそのまま身についていくのです。
 プライドが強すぎると、弱々しいとか、力が入っていないと、ついつい思ってしまいますし、高校生の頃の私もそのように思ったこともありましたが、小学生が習ったことをそのまま身につけていくことは疑いようのない真実で、不思議に思ってみていました。兄弟子ではあっても弟弟子の優れたところは学ぶことができます。

 裏山に咲いている花です。
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  1. 2013/04/23(火) 21:25:40|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

虎走

  5月19日(日)9:30-16:00、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」の各形の理合を会得する事を中心に稽古します。貫汪館HPの無双神伝英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。。


 「虎走」は英信流奥の立ち技の中でも最も難しい形であり、想定は植田平太郎先生が記しておられるとおり「次の間に居る者を斬り退く処へ追掛け来る者を斬る」形です。また文中に「上体を俯け前方へ小走に馳せ往き」「刀を抱へ込む様に前へ俯き小走に退り」とあるように字通り走らなければなりません。
 さて、この走るという動きですが現代的な感覚で走っては業になりません。座した姿勢から状態が浮くのは下肢は完全に力を抜き、重心を前に移し目は前方を見たままにしておくと体が前に転がるかのようになるからです。そのまま膝から下を使わずそけい部に全く力を入れず柄を抱え込むようにしていれば体は転がり続けそけい部から下はひとりでに前に進んでいきます。
 少しでも膝から下を用いたり、走ろうとする意識があったり、足で床を蹴ったりあるいは踏ん張ったりすると体は動かなくなってしまいます。工夫してください。

 前庭に咲いています。hana1DSC02870.jpg


  1. 2013/04/24(水) 21:25:44|
  2. 居合 業

鞘手

 5月19日(日)9:30-16:00、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」の各形の理合を会得する事を中心に稽古します。貫汪館HPの無双神伝英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。。

 無雙神傳英信流抜刀兵法では柄手も鞘手も握り込むことはありませんが、鞘手は特に柔らかに用いてください。
 鞘手はただ鞘にくっついているだけという感覚であり握りしめることはもちろん握ることもありません。
 鞘手を握ってしまうと後方に刀の反りなりに下がっていくべき鞘が体の後方に回り込むようになり結果として左肩は力み、それに応じて右手も突っ張って力んでしまいます。、臍下を中心とした動きはなくなり、上半身を中心とした動きになってしまいますので、それ以後の動きは全て上半身中心となってしまいます。
 鞘手はごく軽く優しく、鞘に接したままであるように心がけてください。特に切先が鯉口を花江掛けた時また、離れた後は力みがちになりますので注意してください。

 前庭に咲く花です。
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  1. 2013/04/25(木) 21:25:18|
  2. 居合 業

加藤田平八郎伝書

  5月19日(日)9:30-16:00、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」の各形の理合を会得する事を中心に稽古します。貫汪館HPの無双神伝英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。。

 以前、久留米の加藤田大介の『師系並履歴書』という印刷物を紹介したことがあります。そのなかで二代目は小笠原となっています。インターネットなどでは上泉武蔵守から奥山 公重に奥山から小笠原 長治に伝わり、さらに針ヶ谷 夕雲に伝わったとになっています。大介の書には奥山 公重は抜けています。

師系略
神陰流剱術
鵜戸神傳
   陸奥 愛洲日向守
元祖 上野 上泉武蔵守
二代 信濃 小笠原源
三代 上野 針谷夕雲
四代 筑前 片岡伊兵衛
五代 筑前 中村権内
六代 筑後久留米 加藤田新作
七代 同  加藤田平八
八代 同  加藤田新八
九代 同  加藤田平八郎
十代 同  加藤田大介



 ところが、父平八郎が記している伝書があるのですが、これには小笠原 長治の前に奥山 公重ではなく丸目蔵人の名が記されています。他の伝書を目にしていませんので、なぜ、このように記してあるのかわかりません。不可思議です。
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  1. 2013/04/26(金) 21:25:07|
  2. 武道史

ゆっくり

  5月19日(日)9:30-16:00、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」の各形の理合を会得する事を中心に稽古します。貫汪館HPの無双神伝英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。。

 ある初心者の方から、古武道はゆっくり動くのですか。と質問を受けました。
 ゆっくり稽古するのは、己の心と自分自身の体の歪に気づくためです。ゆっくりしようとしてゆっくりするのではありません。稽古が進んでくれば心と体のひずみもなくなり無為無駄がなくなってきますので、知らぬ間に技は速くなってきます。
 また上級者の動きは速く見えぬかもしれませんが、しなれた者の動きはゆるゆるとして見えて、しかも速いものです。ただ、この速さは初心者には見えない速さであると思います。
 しかも刀はただ速く抜けばよいというものではありません。相手との間合いがあり、彼我の関係がのような状況にあるのかという問題もあります。ただ速く抜くだけなら、一般的な長さの刀を用い少し手馴れれば簡単にできるようになります。しかし、速く抜けていると見える動きの多くが物打ちが走る必要のないまさしく目の前のごく間近にいる敵に対する動きである場合が多いものです。

 前庭に咲くタンポポです。
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  1. 2013/04/27(土) 21:25:04|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

ゆっくり

  5月19日(日)9:30-16:00、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」の各形の理合を会得する事を中心に稽古します。貫汪館HPの無双神伝英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。。


 昨日ゆっくり動いて稽古することについて述べましたが、経験を積むにつれ感覚は繊細になっていきますので以前より早く動いても歪には気づくようになっているはずです。
 「ゆっくり速く」というのは師の梅本三男先生が言われた言葉ですが、自分の感覚の中ではゆっくり動いているのに表面上は速く見えていることを言います。ひずみがなくなり無理羽無駄がなくなった結果としての速さですので、動いている本人からすれば速いという感覚はありません。速さを求めて速くなっているわけではないからです。
 頭の片隅に常においていてください。

 前庭に咲いている花です。
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  1. 2013/04/28(日) 21:25:24|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

ゆっくり 

  5月19日(日)9:30-16:00、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」の各形の理合を会得する事を中心に稽古します。貫汪館HPの無双神伝英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。。


 記し忘れたのですが初心者の方がゆっくり稽古しなければならないのには大切な意味があります。初心者の方には居合刀(模造刀)を用いていただいていますが、本来ならばある程度稽古が進んだら刃のついた真剣を用いなければなりません。
 ところが居合刀(模造刀)を用いているときに上級者が行っている真似事をしてただ速くと心掛け雑な動きをしていたらどのような結果になるかを想像してみてください。抜付けで刃が鞘に少しでも当たるような雑な動きをしていたり、納刀でも同じ雑な動きをしてしまったら、鞘は何本あっても足らなくなってしまいます。内から削れてしまいやがては鞘を割り、下手をすれば鞘を割った刀が自分自身を傷つけてしまいます。
 上級者は抜付けにおいても納刀においても刃が鞘にあたって削ってしまう事はありません。
 居合刀を用いている初心の内にゆっくり静かに稽古して、抜付けで刃が鞘にあたっていないか、納刀で刃がさあにあたっていないかを感じる事ができるようにしておかなければなりません。
  1. 2013/04/29(月) 21:25:35|
  2. 居合 総論

袴捌

  5月19日(日)9:30-16:00、貫汪館居合講習会を行います。今回の講習は「大森流」「英信流表」の各形の理合を会得する事を中心に稽古します。貫汪館HPの無双神伝英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。。

 大森流の稽古では袴捌が正しくできれば後の形の稽古がずいぶん楽になってきます。
 無双神伝英信流の袴捌は独特で袴の股立ちに四指を入れて袴を救い上げますが、救い上げるときには肩と肩甲骨が緩み、掬い上げると同時に体は下方に緩み沈み始めます。
 沈み始めるので、体は自然に下方に下りていきます。これは自分が膝を曲げて体を下に動かす感覚と異なり、降りて体が床に落ち着くまでは体の重さが消え、海の中を自然に沈んでいくに近い感覚があり、体はより自由になっていきます。その自由さのままに座しているので体は固まることなく自由に動き始め方となります。
 工夫してください。
  1. 2013/04/30(火) 21:25:05|
  2. 居合 業

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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