無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

前後詰・両詰の突き

 前後詰・両詰の付きで切先が低い位置を突いてしまう方は手の内に注意してください。
 日頃から無理無駄をなくすと指導しておりますので、月の前の動作で柄を握りしめることはないのですが、逆に手の内が死んでおり、切先が生きていない場合があります。前後詰・両詰は抜付けに至る直前、切先が鯉口を離れる間際に動きが突きに変じます。したがって抜付けの手の内ですので力の流れは臍下からわき下を通って前腕の下を通って親指に至ります。しかし、突こうという意識が勝ってしまうと、この流れを消してしまい臍下からの動きはなくなって、前腕だけで刀を握ってしまう事があります。このような状態になると、かなり腕力を用いてなければ切先はさがってしまいます。
 切先が下がってしまう方はどのような動きをしているか確認してください。
  1. 2013/02/01(金) 21:25:30|
  2. 居合 業

6尺棒「中段捕」

 6尺棒の棒と刀の形「中段捕」は本来相手の小手を打ち、相手が下がって刀を振りかぶるところを、こちらはそのまま入って中段をつきます。
 しかし、実際に小手を打つわけにはいきませんので相手の鍔元に近い峯を打つことでこれに変えています。この打つという動きについてですが左半身を取っていますので打つ動きは後にある右手で行わなければなりません。左手で打てば棒は右下へ下がってしまい自分自身に隙を作ってしまうことになります。前に出ている左手はあくまでガイドであり楽に持ち決して力を込める事はありません。
 これは稽古をして自得しなければできない事ですので、工夫と稽古を重ねてください。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
  1. 2013/02/02(土) 21:25:02|
  2. 柔術 業

褒める

 褒めて伸ばすという言葉がありますが、私自身は武道を稽古するときに褒められて伸びたという記憶はありません。逆に叱られたという事もないと思います。
 競技武道は別として、古武道はルールがありません。したがって、脛打ちは反則だとか、素手のものに刃物で向かうのは反則だという事もありません。どのような事態にでも対処できるように稽古しなければならないのが私たちが稽古している武道です。
 相手は自分の不足している部分を狙ってきます。つまりだめなところを狙ってくるわけですので駄目な所を可能な限りなくして満遍なく上達していかなければなりません。ルールがなければ、なかなか「得意技を伸ばして・・・」とは行かないものなのです。
 したがって私は自分の駄目な所を指摘されることによって稽古してきました。駄目な所を指摘されてこなければ、未だに駄目な所は残っていると思います。
 逆に言えば指摘されていないところは現段階では、不足していないところですので安心して稽古を続けてよいと思います。
  1. 2013/02/03(日) 21:25:04|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

罰する

 昨日は褒めるということについて述べましたが、私たちが稽古している武道にあっては体罰どころか罰する事も無縁です。
 命がかかった場合に頼れるものは自分しかありません。私たちが稽古している武道は競技ではありませんので、何かあった場合に監督やコーチという立場にあるものが、こうしろ、ああしろと指示をすることもありませんし、指示することも出来ません。体罰がおこるのは監督やコーチの指示通りに動けず、指示通りに動けない事が勝ちにつながらないからだと思うのですが、私たちが稽古する武道にあっては、その場にあっては自分自身で判断するしかなく、そのためには指示通りに出来ないからといって体罰などを加えていては、指示通りにしか動けないものになってしまいます。昨日も言いましたようにルールにのっとった競技ではありませんので何が起こっても対応できるような自由さが必要です。
 したがって最後は自分自身なので、冷たいようではありますが体罰をしてまで上達させようと思うこともありませんし、また私たちが稽古している武道は罰する事では上達はしないのです。
  1. 2013/02/04(月) 21:01:44|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

残心

 太刀打や詰合の稽古では手順が決まっており、相手が一人であるためか相手に斬り込んで形の手順として一区切りついた場合に「終わったと思い、そこで気を緩めてしまうことがありますが、このような状態に自分自身が気づかずにいると自分自身が稽古を通じて大きな隙を作ってしまうことになります。
 常に言うように少なくとも道場にいる間は気を抜いたり隙だらけになったりする事がないようにしなくてはなりません。ましてや形の途中でそのような事があったとしたら稽古にはなりません。
 素抜き抜刀術にしても然りで、斬撃の後は血振いの動作だと勘違いして血振いのうごきをたんに行なうだけと思ってしまったら、大きな隙が出来てしまいます。そうならないために大森流の陰陽進退では一人目の敵を切った後に二人目の敵が前から脛を払いに来るという無理な想定が設けられています。陰陽進退は二人の敵、初発刀や横雲は一人だけの敵と思って稽古していては形の構成として陰陽進退がある意義はありません。
 自分がどのような稽古をしているのか振り返ってください。

 お勧めのブログ
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国防軍に反対する理由

 インターネットの記事に次のようにありました。この答弁が真実であると仮定したら問題がないようにみえて問題があるのです。それが私が国防軍というものに素直に賛成できない理由です。インターネットの記事は以下の通りです。

 安倍晋三首相は1日午後の参院本会議で、自衛隊を「国防軍」と明確に位置付ける憲法改正について「自衛隊は国内では軍隊と呼ばれていないが、国際法上は軍隊として扱われている」とした上で、「このような矛盾を実態に合わせ解消することが必要だ」と述べ、実現に意欲を示した。
 首相が国防軍創設の必要性を明言したのは就任後初めて。自民党は昨年12月の衆院選で、政権公約に憲法9条への国防軍明記を盛り込んだが、首相は公明党の反対などを考慮して、踏み込んだ言及はしてこなかった。
 首相は同時に「シビリアンコントロール(文民統制)の鉄則や憲法の平和主義、戦争の放棄を変えるつもりはない」とも強調した。民主党のツルネン・マルテイ氏への答弁。


 イラク戦争のとき小泉純一郎首相は、「アメリカの武力行使を理解し、支持いたします」と表明しましたが、戦争の大義名分であった大量破壊兵器が存在しなかったことは明らかになっています。しかも開戦前にすでにその事がアメリカにも分かっていたという事実もあります。
 文民統制は武力を持ったものが独自の判断で暴走しないように作られた仕組みですが、文民が誤った情報(本当は真実を知っていたかもしれません)に基づいて積極的に戦力の行使を支持しておいて、その後大量破壊兵器が存在しなかったという事実が明るみに出ても全く過去の行いも反省しなければ、文民統制は意味はありません。
 自分が支持した戦争で為政者とは関係がないイラクの一般の兵士がどれだけ殺され、イラクの民間人が、どれだけ犠牲になっても責任を取る必要がない文民統制など口先のものでしかありません。
 自分の誤った判断で間接的にではあっても多くの犠牲者を出した者が自らその国に行き、反省し自らイラクを立て直す活動に従事しているなら文民統制も信じてよいかもしれませんが、そのようなことは行なわれるはずもありません。そのような自民党がいくら立派なことを述べても信用できはしないのです。 
 安倍晋三首相は「憲法の平和主義、戦争の放棄を変えるつもりはない」といっていますが。憲法9条には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」としるしてあります。直接武力行使をしなかったとはいえ当時の小泉首相と自民党がイラクにした事はこの憲法の「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という理念からはかけ離れています。
 もしアメリカ主導のイラク戦争当時、改憲が行われており国防軍があり集団自衛権を行使できたらイラク戦争を支持した自民党はアメリカと共同して「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としてこれを行使」したでしょう。誤情報に基づく大義名分の元、文民統制によって自衛官は派遣され戦闘行為を行い自ら死傷者を多くだし、一般のイラク兵士を殺害し、民間人を巻き添えにしていたと考えられます。自衛官は文民統制があるために間違っていると声を揚げる事はできません。おそらくそれでも為政者は「大量破壊兵器がなかったとしても判断は間違っていなかった。」というでしょう。
 イラク戦争のような誤情報に基づく(開戦前に誤情報と分かっていた)大義名分のもと武力が行使される事態が今後、2度と起きないでしょうか?もし、そのとき自民党の政権下に日本があればどうなるでしょうか?イラク戦争を支持して、人が数え切れないくらい亡くなっていても、反省をしない者達が未だに国会議員をしており、その所属する党が政権をとっています。

 このように記すと私が左翼か平和ボケの平和主義者のように思われるかもしれません。
 が、私は航空自衛隊幹部候補生学校の採用試験で日米安保には基本的には反対だという意見を言って合格した者です。しかし、単に平和主義者ではありません。一国の安全は一国で守るのが本当の姿だと思うのです。他国に惑わされてしまえば三国同盟のような事態に陥らないとも限りません。
 そうするためには徴兵制をとり、そのうち何割かは希望によって介護などの福祉に従事し、国防費がかかっても国防を他国に依存しない国家となるべきだと考えます。政治家が自らの血を流しまた政治家の子や孫が血を流す条件がなければ、他国の人の死を安易な判断で招いて反省もしない現在の状況で国防軍などというものを作るべきではないと考えます。
  1. 2013/02/05(火) 21:25:44|
  2. 居合 業

懐剣の受け渡し

 柔術の稽古で「打込」の稽古をする場合懐剣の受け渡しをいい加減に行なうことは出来ません。
 懐剣を相手から奪い、さらに続けて「打込」の稽古を行なう場合に懐剣の受け渡しは最も隙が出来やすい場面です。手順の稽古がすんだからといってただ懐剣を相手に渡すだけでは相手に懐剣を奪われて再び切り込まれるという事態に対処する事が難しくなりますので、細心の注意を払ってこれを行なわなければなりません。
 手渡す前は奪われぬよう、手渡して後は何時斬りかかられても対処できるように身も心も鎮めてこれをおこなわなければなりません。

 お勧めのブログ2
「ちゃい日記 ~猫のブログ~」(←クリックしてください)も可愛い猫さんがでてきますよ。訪問してみてください。


 今日、アメリカのエリックから年賀状が届きました。ご紹介します。
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  1. 2013/02/06(水) 21:25:28|
  2. 柔術 総論

懐剣を奪った後の動作

 柔術の稽古で「打込」の稽古をする場合懐剣を奪った後はただ、元の位置に戻ると思っていては隙が出来ます。
 相手から懐剣を奪ったとしても相手は懐にもう一本懐剣を隠しているかもしれません。また、その懐剣で再び切りかかってくるかもしれません。そのときに相手から懐剣を奪ったら終わりと考えていてはこれに対処することはできません。
 相手から懐剣を奪ってもとの位置に戻る時には奪った懐剣をいつでも用いる事ができる身備えで動かなければなりません。
  1. 2013/02/07(木) 21:25:19|
  2. 柔術 総論

演武のとき、得物をおく位置

 演武をする時に、十手や六尺棒、木刀などを持って出た場合、これらをおく位置は下座であるべきです。
 上座にこれらを置くという事は、演武の最中にとりに行くときに、上座に無断で近づくことになってしまいます。上座はあくまでも尊い位置ですので、そちらのほうに向かって何事もないかのように進むのは極力避けたほうが良いと考えます。
  1. 2013/02/08(金) 21:25:07|
  2. 柔術 総論

絶妙剣

 絶妙剣の十文字の受けですが、受けようという思いを持って行なうと上半身ばかり働き重心が上がり、後の動きは全て下半身に隙ができてしまいます。
 受ける時には下肢はゆったりと、臍下を中心に下肢と上半身が一つになって、柔らかく重く強く受ける事ができなければなりません。受けようとして受ければ上半身は固まってしまいますので大小詰の八重垣のように変化してこられた場合にはそれに対応できなくなってしまいます。
 全ての形は関連がありますので、他の形から今行なっている動きが正しいのか間違っているのかがわからなければなりません。

  1. 2013/02/09(土) 21:25:58|
  2. 居合 業

澁川一流柔術合宿について

 今年から澁川一流柔術の1泊2日の合宿を行なうことにいたしました。本年は7月6日(土)、7日(日)の二日間で行ないます。場所は国立三瓶青少年交流の家(島根県大田市山口町山口1638-12)です。
 実技は初級者と中級者にわけて稽古し、夜は簡単な古文書の解読について勉強する予定です。
 参加者の範囲は澁川一流柔術と無雙神傳英信流抜刀兵法を稽古する者、ならびにこれまで貫汪館の講習会に参加した事がある方とその方が推薦される方です。
 実技講習の細部はこれからつめてまいりますが、申し込みの関係で参加希望の方は3月末までに申し込んでいただく必要があります。参加を希望される方はお早めに申し込みをお願いします。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
  1. 2013/02/10(日) 21:25:25|
  2. 柔術 総論

第36回 日本古武道演武大会

 第36回 日本古武道演武大会で演武するため9日(土)から姫路にいってまいいました。9日の夜にレセプションがあったため広島を午前中に出発し、兵庫県立体育館の会場を下見してホテルに入りました。
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 当日の演武は各流派入退場時間を含めて8分であるため演武者の多い流派は様々に工夫を凝らしておられました。
 私たちの演武の反省点ですが、稽古中はできていたことができないの理由の一つは呼吸法にあるのではないかと思います。演武の最中に呼吸がやや浅くなってしまい技の深さが出ていないようでした。呼吸法はすでにお教えしえあることであり、どこでも稽古できることですので、貫汪館で稽古される方は日頃から呼吸の稽古を重ねられて、その基礎の上で道場で技の稽古をされるよう心掛けていただきたいと思います。

 9日に演武者で姫路城を訪ねました。
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  1. 2013/02/11(月) 21:25:24|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達するためには

 柔術の稽古でなかなか上達し始めない方には上達を阻害する共通した要因があります。それは体の力みを抜く事ができないということですが、その力みを抜くことができない元となっているのが、その人の心です。
 「こうしなければならない」「こう動かなければならない」「すばやく動かねばならない」「しっかり技を効かさなければならない」このような思いが体を力ませているのです。
 常々言うように稽古は、力まずスラスラとであり、静にゆっくりであり凝り固まるのではなく解放するのです。此処を勘違いして上級者の見た目に惑わされて同じようなことをしようと思っていたら絶対に上達する事はありません。自分がどのような思いで稽古しているのか振り返ってください。

  1. 2013/02/12(火) 21:25:27|
  2. 柔術 総論

体は楽になります。

 居合の稽古をすると足腰に負担が掛かり、肘や手首に多少のダメージがあり、筋肉痛になるというイメージをもたれる初心者の方がおられますが、そのイメージは技を会得していない方に当てはまりはしますが技を会得した者には当てはまりませんので、イメージを変えて正しい方向に求めてください。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生にしっかりと指導を受けたと自称される方にも、十分に稽古をしたら筋肉痛になり腕がパンパンにならなければならないなどと公言され、陰で笑われていた方もありましたが、先生は「正しく稽古すれば体は喜ぶ」という表現を用いられていた事もありました。簡単にいえば稽古によって体の各部があるべきところに治まり調うのです。結果として体が楽になり、壮快にすらなり「体が喜ぶ」のです。稽古して筋肉痛になり筋肉が増強して強くなるというのとは全く考え方が異なります。
 稽古の後のほうが体は楽になりますので、私にとっても居合の稽古は体の調子を調え、体を楽にするものです。また、皆さんもそうなるような方向で指導しています。

  1. 2013/02/13(水) 21:25:59|
  2. 居合 総論

陰陽進退の張り受け

 陰陽進退と虎一足の張り受けは自分の刀を止めて相手の刀を受けるのではありません。文字通り相手の刀を張ります。
 相手がこちらの脛に斬りこんでくる刀を抜きつけに張り受けに行き、動きの途中で相手の刀をはじきます。したがって、張り受けは抜付けと同じように鞘の中からの一つの動きで行われるものであり、抜いて、受けるという二つの動作ではありません。また抜付けと同じように体の開きによって行われるものであり体の角度と刀の動きは整合性があるものです。
 受けるときに手の内を固めて自分の刀を止めると勘違いされた方がありますので記しておきます。


  1. 2013/02/14(木) 21:25:38|
  2. 居合 業

「無理無駄なき事」と「枯れる」の違い

 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は「名人・達人の定義は無理無駄なき事」と私が入門してすぐにお教えくださいましたが、この意味が理解できない方が多くおられましたので述べておきます。
 いわゆる「業が枯れる」ということと「無理無駄なき事」は同じことではありません。真の意味は別にして、一般に「業が枯れる」というと年齢が高くなり腕力もなくなってしまい力みを出そうにも出せなくなり、(また若い頃に業に至らず腕力を用いていた結果として)刀が生きて働いていない状態をイメージします。しかし、「無理無駄なき事」というのは腕力はあっても必要最低限の力しか用いず、動きはシンプルでありながら刀は生きて働く状態を言います。
 先生の弟子であっても、この両者を混同してしまい力を用いなければ刀は生きないと思い込んでおられる方が多くおられました。自分自身の錯覚により力みがあったほうが刀が力強く働くと思い。また初心者で見えない人は力んでいる姿を立派だと思い、よく見られようという指導者の思いと、そのような姿が良いのだという初心者の思い込みとで真の業に至らない状態が悪循環してしまいます。
 両者の違いを理解して稽古してください。
  1. 2013/02/15(金) 21:25:35|
  2. 居合 総論

修行は自分の現実を突きつけられる

 武道が修行といわれるのは技が心と切り離す事が出来ないものだからです。
 初めのうちは手順を覚える事が出来たという程度で進歩上達といえます。しかし形の手順も覚え間違いなくできるようになった時、初めて自分自身と向き合わざるを得なくなってしまいます。
 焦る癖がある人は、まだその状態に至っていないのに何とかしようとして調和を乱し、結果として無駄な動きに終わってしまう。几帳面すぎる人は自分の思った通りに動こうとして相手がそのようになっていないのに、自分の思い通りに進めようとしてかえって思い通りに進まない。強引に物事を進めようとする人は結局自分が力んだだけになってしまう。人それぞれに、それぞれの心の至らぬところが技が利かないところとなって現れてしまいます。
 さて、進歩する人は自分の現実を突きつけられた時、それを何とか克服しようと努力を重ね、上達します。仕方ないと思って目をつぶってしまう人は、その状態にとどまり続け上達しません。上達するためには自分自身に打ち克っていかなければ行かなければならないのです。
 これは中級者の段階だけでなく、進歩しようとし続ける限りどの段階でも起こっていることです。上達する人は、絶望する位情けない自分自身の現実を突きつけられ、それから逃げることなく少しずつであっても自分自身に向きあっているのです。
  1. 2013/02/16(土) 21:25:02|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

ける

 無雙神傳英信流の稽古において座った状態からの抜付けは、外見だけを見れば体が前傾しています。実際には安定しきった調和を崩して筋力ではない動きを生み出しているのですが、これができない方の多くは蹴るという動きがなくならない方です。
 座していますので足裏で床を蹴る事は内のですが脛を足裏にして大腿部で床を蹴っているのです。したがって体は直立してしまい、抜付けで大切な本当の意味の体を用いた鞘引きも出来なくなり、刀は相手の側面を斬り付ける事もなく抜いた時には体は正対しています。
 抜付けで蹴る動きは無用と心得てください。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
  1. 2013/02/17(日) 21:25:59|
  2. 居合 業

膝と爪先の位置

 ある団体に所属している方から見れば、抜付けをしたときの左膝と左爪先の位置や斬撃をしたときの左膝と左爪先の位置は両方とも正面に対して直角でなければならないようです。つまり板の目に沿ってまっすぐに左ひざと左爪先が位置しなければならないようなのです。
 しかし私たちが稽古している流派ではそのようなことはありません。所謂古武道といわれる流派には半身を取る流派が多いのですが(正対する流派もあります)、私たちも半身をとりますので立っているときに構えれば左足は正面に向くことはありません。座した時にもそれは同じで抜きつけた時や斬撃をしたときに左爪先の位置は左膝頭よりも体の中心にはいっていす。
 私たちの流派を稽古される場合に現代剣道を経験したことがある方は、どうしても正対する癖が抜けず、抜付けも半身がとれないので長めの刀は抜けず、抜いたとしても刀は相手の側面に斬り込むことがなく、そのまま自分の右側に行ってしまい正面の敵を切っていないという状態から抜け出しにくい傾向にあるようです。
 その違いは半身と正対にあるという事は理解しておいてください。
 
  1. 2013/02/18(月) 21:25:42|
  2. 居合 業

澁川一流の居合の稽古

 澁川一流柔術で一人稽古できるものに棒回しと居合があります。棒回しは皆さん稽古されるようなのですが澁川一流の居合の稽古を一人稽古される方は少ないように思います。
 以前から言っておりますように柔術の上達のためには刀が遣えるようになる事は不可欠です。相手が刃物を持って自分にかかってくるのですから、相手のことを知らずに自分のことだけを一生懸命行なっていても無理なのです。
 月曜の稽古日など他の方がこられる前に道場に出られた時や土曜日でも子供の稽古時間に子供の数が少なかった時など稽古できる時間を見つけて努めて稽古してください。
 上達を目指す方は少なくとも澁川一流の居合は遣える様になってください。

彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し
(知彼知己者、百戦不殆。不知彼而知己、一勝一負。不知彼不知己、毎戦必殆)


 貫汪館H.Pの澁川一流柔術行事のページに第36回日本古武道演武大会の写真を載せました。ご覧ください。

 3月17日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会では大小詰・大小立詰ならびに渋川一流柔術の御膳捕の稽古を行います。貫汪館H.Pの無雙神傳英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。
  1. 2013/02/19(火) 21:25:42|
  2. 柔術 総論

大小詰と素抜き抜刀術

 大小詰と素抜き抜刀術は無縁なものではなく、正しく抜けるようになっていれば大小詰もそれほど困難なものではありません。
 正しくというのは力まず、居つかずということなのですが、居合の初心者の方は一般的な居合のイメージが身についているので大小詰の稽古が難しくなるようです。居合の一般的なイメージとは、腰を入れて足腰をしっかりさせて刀が威力を持つようにといった類のことなのですが、このような方法で大小詰を行なおうとすると、力技になってしまいます。
 自分が力技を行なっているかどうか自覚できない方は論外ですが、大小詰の形を行なうのに、少しでも自分自身が力んでいるとか、力が自分自身の中にとどまっているとか、筋肉のこわばりを感じたら力技をしていることになります。
 技は筋力トレーニングをしなければならないような動きとは無縁です。大小詰と素抜き抜刀術がつながるような稽古を心掛けなければなりません。

 貫汪館H.Pの澁川一流柔術行事のページに第36回日本古武道演武大会の写真を載せました。ご覧ください。

 3月17日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会では大小詰・大小立詰ならびに渋川一流柔術の御膳捕の稽古を行います。貫汪館H.Pの無雙神傳英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。
  1. 2013/02/20(水) 21:25:48|
  2. 居合 総論

骨防返と山下風

 大小詰の「骨防返」で柄を返していく動きと、「山下風」で刀を抱える動きは本質において共通しています。
 どちらも動きに力みがあってはならず、とくに「骨防返」でつかまれた柄を返す動きで腕を曲げようと上腕二頭筋に力を入れてしまえば、流れは自分の内にとどまってしまい相手を返す事ができなくなってしまいますが、この動きが「山下風」の相手が柄を取ろうとしてくる手をかいくぐらせて刀を抱える動きと同じなのです。いずれも上腕二頭筋に力は入りません。
 しかし、「山下風」の場合しっかり打とうとして抱える時に上腕二頭筋に力を込めてしまうようです。

高根より吹下す風の強けれは
               麓の木々は雪もたまらず

とあるように動きの質は風のもととなる軽い空気です。


 3月17日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会では大小詰・大小立詰ならびに渋川一流柔術の御膳捕の稽古を行います。貫汪館H.Pの無雙神傳英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。
  1. 2013/02/21(木) 21:25:39|
  2. 居合 業

骨防返のポイント

 「骨防返」の大切な部分は相手が自分の柄を取ろうとして掴もうとして柄に触れた瞬間にあります。
 この時点で技をかけ始めると、あいては柄の動きに誘導されてしまうので、自分は手のひらで空気を動かしているくらいの感覚で相手を倒す事ができます。
 次に相手を倒すコツですが、柄を掴まれたからといって柄を何とかしようと思ったらどうにもなるものではありません。自分の柄を掴んだ相手のてを通じて相手の体全てを操作します。そのためには自分の動きが相手を全て包む必要があります。視野を広く持って稽古しなければ難しいと思います。


 3月17日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会では大小詰・大小立詰ならびに渋川一流柔術の御膳捕の稽古を行います。貫汪館H.Pの無雙神傳英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。
  1. 2013/02/22(金) 21:20:33|
  2. 居合 業

大石進と白井亨の試合

 大石進が天保3年の暮れに江戸に出て天保4年(1833)に江戸で試合をしたとき、白井亨のみがこれに勝ったということが笹森順三の『一刀流極意』と堀正平の『大日本剣道史』に記されています。『一刀流極意』にはその話の出展は記されておらず、『大日本剣道史』には「榊原健吉の談として園部範士から伝承した」としるしてありますので『一刀流極意』は『大日本剣道史』によったものでしょう。
 大石進の生没年は寛政9年(1797)~文久3年(1863)であり、白井亨は天明3年(1783) ~天保14年(1843)です。
 この試合をについて話したとされるのが榊原健吉ですが榊原健吉の生没年は文政13年(1830)~明治27年(1894)です。満3歳の子供が審判がいない剣術の試合を見て.勝ち負けが分かったとは思えません。もし榊原健吉が自分の見聞として園部範士に語ったのならこの話は辻褄が合いません。他の方から榊原健吉が聞いていたのなら、榊原健吉以外にも話していそうな人物がいるはずです。


 3月17日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会では大小詰・大小立詰ならびに渋川一流柔術の御膳捕の稽古を行います。貫汪館H.Pの無雙神傳英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。
  1. 2013/02/23(土) 21:25:39|
  2. 武道史

曲尺

 身の曲尺の位を深く習ふべし留めねど留る事そふしぎや

 この曲尺は歌によっては規矩と書かれることもあり、「かね」とよみます。規矩(きく)も「かね」と読ませた可能性もあります。この「かね」という言葉を「かねじゃく」と考えてしまうと辞書にあるように直角の角があり一辺が長いものさしと考えてしまいます。

1.直角に折れ曲がった形に作り、表には正規の目盛り表目を、裏には角目や目盛りを刻んだ金属製の物差し。直角定規を兼ね、木工・建築で用いる。大工金。曲がり金。差し金。かねざし。かね。
2.長さの単位のひとつ。1尺は約30.3センチ。日本の伝統的尺度。

 しかし規矩と考えると次の説明の2番目の意味が出てきます。

1.コンパスとさしがね。転じて、寸法や形。
2.考えや行動の規準とするもの。手本。規則。
3.「規矩術」の略

 無雙神傳英信流抜刀兵法の師梅本三男貫正先生は抜きつけた時の姿勢は半身をとっておられましたが、師なきあと歌を自分なりに中途半端に解釈して「かね」は「かねじゃく」のことだから抜きつけた時には相手に正対して体は正面を向き、自分の腕は自分の体と直角になっていなければならないと主張する方があり、「かねじゃく」の説明がよほど理解しやすかったのか、それに同調され抜付けの姿勢を変えてしまう方が多かったのに驚いた事があります。
 自分の中途半端な解釈で師が教えられたことを不可とされてしまったのです。
 江戸時代には当て字は良く用いられ、はなはだしきは自分の流派名まで異なった漢字で書くこともあり、他人の名前などは安易に当て字を用いています。
 本来の意味をよく考えなければならない一例です。

 ちなみに植田平太郎先生は形の解説書に「抜付けたる拳の高さは右肩の高さにて右前の所にて止る」と記しておられます。


 3月17日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会では大小詰・大小立詰ならびに渋川一流柔術の御膳捕の稽古を行います。貫汪館H.Pの無雙神傳英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。
  1. 2013/02/24(日) 21:25:03|
  2. 居合 総論

シンクロナイズ

 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は「統一体」という言葉を用いられる前は「シンクロナイズ」という言葉を用いて説明しておられました。どちらも同じ内容を説明するために用いられていたのですが「統一体」という言葉を用いられてからは言葉にとらわれて間違った解釈をする方が多くなったように思います。
 「統一体」という言葉を体を統一しなければならないのだから体を固めるというように理解してしまったのです。腰を入れて腰をそらし胸を広げ、まるで軍隊の気をつけの不動の姿勢をよしとするかのような居合いをする方が増えたように思います。
 「シンクロナイズ」というと体の全ての部位がお互いに関連を持って働くというイメージを持ちやすいのですが、横文字ですから避けられるようになったのでしょう。


 3月17日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会では大小詰・大小立詰ならびに渋川一流柔術の御膳捕の稽古を行います。貫汪館H.Pの無雙神傳英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。
  1. 2013/02/25(月) 21:25:54|
  2. 居合 総論

 3尺棒の形で素手の相手の目の前に棒端を差し出す動きをしてはならないのは、それが棒だからです。
 刀であれば刀を素手で掴もうとすれば手が切れてしまいますが、棒は刃がついているわけでもないので形の稽古といっても不用意に棒端を差し出すという事はあってはならないことです。相手に近く棒端を差し出してしまえば簡単に素手で掴まれてしまいます。
 自分が手にしているものが刀の代わりの木刀であるのか、たんに棒であるのかは意識して用いるようにしなければ何かあったときには、悪癖が出てしまいます。

 こういうことは得物を使い慣れていればおのずと理解できるはずの事です。得物を使うのが苦手な方はまず、澁川一流の居合をしっかり稽古してください。

 3月17日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会では大小詰・大小立詰ならびに渋川一流柔術の御膳捕の稽古を行います。貫汪館H.Pの無雙神傳英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。
  1. 2013/02/26(火) 21:25:24|
  2. 柔術 業

なるほど

 以前、インターネットに精神科医の方が描かれた下のような記事がありました。

「私自身、ニセ医者女史の虚言に振り回されて苦い思いをしたことがある。そのときの経験から言えば、まず何よりも本人の思いこみが強く、空想と現実との区別がつかなくなっていると思われる。
 しかも、この空想が微に入り細をうがつようなもので、それこそ「講釈師見てきたような嘘をつき」という具合に語られるので、聞いているほうは信じてしまう。もちろん、事実にもとづいていないので、相手によって言うことが変わるし、説明に一貫性もなく、何となくおかしい。それでも周囲が巻きこまれるのは、虚言癖がある人間の話に漂う独特の「熱」のようなもののせいである。
それでは、この「熱」は何に由来するのか。満たされぬ欲望である。
 「満たされぬ欲望こそ、空想を生み出す原動力である」とフロイトが述べているように、空想は、満足を与えてくれない現実を緩和するためのものである。当然、現実が惨めであり、満たされぬ欲望が強いほど、空想が熱を帯びてくる。」

 なるほどと思いました。古武道の世界にもたまに居られるようです。自分が達人だと思い込んだりスペシャリストだと思い込んでいるので、自分の著述にも確証はなくても「講釈師見てきたような嘘をつき」の状態になっていたり、他者を確信を持って批判したりというのは、私も見聞したり被害にあったりしてきたことです。
 これが、「本人の思いこみが強く、空想と現実との区別がつかなくなっている」事から来ることであり、「満たされぬ欲望こそ、空想を生み出す原動力である」であるなら全ては納得できます。
 被害にあうのは、そのようなものが普通の精神を持っていると考え、まともに対応してしまうからであって、取り合うべきではないのです。
 そのような者達が著作があり肩書きがあるからと信用される事もあるのですから油断できません。


 3月17日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会では大小詰・大小立詰ならびに渋川一流柔術の御膳捕の稽古を行います。貫汪館H.Pの無雙神傳英信流稽古のページをご覧いただき、どなたでもご参加ください。
  1. 2013/02/27(水) 21:25:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

小尻の振れ

 抜付けにおいては体が開いて刀と鞘が離れていきます。刀のそりがあるので、柄頭が敵の方向に向かっていけば、そのまま自然に敵を斬る動きへと変化していきます。
 しかし、自分で鞘を後方に持っていこうと強く思われていると、手首をつかって鯉口を動かそうとし抜付け後の小尻が自分の右に大きく振れてしまい、体が左右のバランスをとるため抜きつけた切先も大きく右に開きすぎてしまいます。正面から見れば隙だらけです。また場合によっては、切先がまだ鞘に残っている時にそのような動きをしてしまう事がありますので葉が鞘を削ったり、ひどい場合には鞘を割る事があります。
 このような事態を起こさないためには、鞘手は必要最低限の力で鞘に触れるだけにし、また手首を内側に折ってもなりません。抜付けた時の自分の小尻の位置と手首の状態を確認してください。


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  1. 2013/02/28(木) 21:25:35|
  2. 居合 業

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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