無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

謹賀新年

 新年を迎えました。今年も変わることなく稽古を重ね上達を続けていただきたいと思います。
 さて、暫くの間、天保14年に発行された『刀剣図考』という書に載っている拵の図を楽しんでいただきたいと思います。拵を作ろうとされる方は参考にしてみてください。今日から1週間くらい1作づつ載せていきます。

刀剣図考1File0632
刀剣図考2File0635

 今日は八幡太郎義家の短刀です。源義家のことですが、後三年の役で働いた武将です。拵は当時よくあったと思われる海老鞘です。
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 前庭の石垣の植込みの下にひっそりと生えていました。山鳩が時々遊びに来たりしていますので、鳥が実を運んだのだと思います。
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 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
  1. 2012/01/01(日) 21:25:48|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

八幡太郎義家 短刀の拵 2

 今日も八幡太郎義家の短刀の拵の図です。朱塗りの鞘に金物の飾りが合ったようで、外見からは中子は振袖中子であったように見えます。昨日もののと同じく柄長四寸三分、鞘長一尺二寸九分ですが、拵はこちらの方がこった造作であったように思います。
 昨日書き記していませんでしたが、これらの図が実際に持ち主とされる人たちのものかどうかは分かりません。また時代が合うのかどうかも不明です。

義家3File0638
義家4File0639
 


 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 荘島体育館 軽運動室 19時~21時です。興味のある方は 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
  1. 2012/01/02(月) 21:25:36|
  2. 武道史

千葉介常胤 短刀拵

 千葉 常胤は、平安時代末期から鎌倉時代前期の武将で保元の乱に出陣し義朝指揮下で戦いました。のちに奥州藤原氏討伐のための奥州合戦に従軍して奥州各地に所領を得ています。
 拵は柄も鞘も柊で作られ、kな物は銀であったと言う事ですから質素に見えて豪華であったのではないかと思います。一枚目の図では鞘長が六寸三分となっており、二枚目の図では身長が五寸一分となっています。かなり短い短刀です。

千葉介1File0640
千葉介2File0641


 寒い日が続きますが裏庭のポポの木には芽がでています。無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古初めは1月5日(木)、澁川一流柔術の稽古初めは1月7日(土)です。
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  1. 2012/01/03(火) 21:25:05|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

千葉介常胤 短刀拵 2

 昨日と同じ千葉介常胤の短刀拵ですが、こちらの方が長く、また見た目も豪華であったようです。鞘は赤樫で金具には鍍金がほどこされています。

千葉介3File0642
千葉介4File0643

 今朝の廿日市は雪が沢山振っていました。昼ごろには止んでいましたが、しばらく寒い日々が続きそうです。今月からは耐震工事が終わったため再び七尾中学校武道場での稽古となります。七尾中学校武道場は厳しく冷え込みますので防寒対策をしっかりしてください。とくに柔術の稽古で体を冷やしすぎてしまうと受け身が取れなかったり、ちょっとした事で体を痛めたりすることがありますので十分注意してください。
 庭の梅の木に蓑虫がぶら下がってました。冷たい風が吹いていましたが蓑の中はどんな状態なのでしょうか。

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  1. 2012/01/04(水) 21:25:24|
  2. 武道史

曽我五郎 短刀拵

 曽我五郎は源頼朝が行った富士の巻狩りで兄の曾我十郎とともに父の仇である工藤祐経を討った人物です。箱根権現社に預けられていた時、仇の工藤祐経を討とうとして逆に諭されて、赤木柄の短刀を授かり、後にその短刀で工藤祐経にとどめを刺したと言いますが、図の短刀がそれなのかどうかは記されていません。江戸時代に既に随分朽ちていたようです。この短刀の金物には精緻な毛彫りがなされていたようですが、今それを作ろうとするといくらくらいかかるものなのでしょうか。

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曽我五郎2File0645


 昨日の蓑虫がぶら下がっていた梅の木には花芽ができています。梅の花が咲けば春は間もなくです。
 貫汪館HPの無雙神傳英信流と澁川一流の行事のページに廿日市天満宮奉納演武の写真を載せました。ご覧ください。

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  1. 2012/01/05(木) 21:25:01|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

後醍醐天皇 短刀拵

 後醍醐天皇は言うまでもなく建武の新政を行った天皇です。この短刀の図は一枚しかありませんが、いかに豪華なものであったかが分かります。図には描ききれなかったのでしょうが、縁に「なでしこ、おみなえし、ささりんどう」の彫刻がなされ、柄頭にも「蝶、ささりんどう」の彫刻がなされ、また栗形には「菊、蝶、ささりんどう」の彫刻がなされていたのだと思います。

後醍醐天皇1File0647

 自家用車の走行距離が20万キロを超えてしまいました。10年足らずですから1年間に2万キロと少し走ったことになります。バイクも8年半で10万キロ近くなりました。
 10万キロ走ったころにディーラーに聞いたら「この前の型は10万キロで終わりですが、この型はもう少し走りますと言われさらに10万キロ走ってしまいました。軍資金も底をついたので新しい自動車に買い替えるわけにもいかず、もし走らなくなったら道場に出るのにも苦労します。

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  1. 2012/01/06(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

後醍醐天皇 短刀拵2

 本日も後醍醐天皇の短刀の拵です。図は3枚あります。
 この拵も豪華で栗形や縁・頭には笹リンドウや撫子などの毛彫りが施されています。縁・頭には金と記され、鯉口・鍔にも金と記されていますので金具は金で作られていたのでしょうか。刀身は吉久の一尺を越えるものであったようです。

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  1. 2012/01/07(土) 21:25:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

後醍醐天皇 剣拵

 後醍醐天皇の剣の拵です。剣と言っても長さは九寸二分ですので短いものです。これは儀式などに用いたものかもしれませんが、柄鞘ともに銀ノシ付と記され、鞘には龍の毛彫りがされていたようです。
 今回で、『刀剣図考』の紹介を終わります。続きはまたいつか。

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  1. 2012/01/08(日) 21:25:10|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

指導方法

 無雙神傳英信流抜刀兵法も澁川一流柔術も技が進んだ方には後進を指導していただいています。指導していただく時に指導する者が陥りやすいことがありますので記しておきます。
 指導するときに言葉を用いてばかり指導すると、自分の頭のみが回転するせいか指導する者の動きまでがぎこちなくなり、重心が上ずってしまうことがよくあります。一生懸命教えようとする方ほど、そのような状態になってしまう傾向があり自分自身では気づきません。自分自身で気づきにくいことですから、教えることによって下手になってしまう事もあります。
 そのような状態にならないためには、一つ言葉で教えたら、二つ三つと言葉で教えることはせずに、必ず自分で手本をみせるようにしてください。それも自分の持てる最高のものを見せて教えてください。
 私が教えられた頃の方法は主に見せられ、習うものはそれを求めるという方法でした。今は稽古時間が少ないこともあり、理論を示さなければ短時間では理解できないこともありますが、それでも習得する方にとっても見せられたものを理解しようとする姿勢・努力なしに習得するのは困難です。
 自分自身も上達する指導方法をとってください。
 

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  1. 2012/01/09(月) 21:25:07|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

山下風…当て

 山下風の当てを自分の力で当てると思っていたら、力みだらけの動きとなり、十分に当てたつもりが自分が力んだだけで相手には通っていないという事になります。

 歌に
「高根より吹下す風の強けれは 麓の木々は雪もたまらず」

とあるように文字通り山の上から吹き降ろす風のように当てます。
そのためには自分の刀の柄を取りに来る相手の手を交わしたら柄頭が天に上るような体感で上方に働きます。この時、決して自分が持ち上げるという感覚ではありません。この感覚の違いが動きの違いその物となります。天に上がったらあとは地に落ちるだけで、この体感も文字通り天から吹下すのであり、自分が打ちつけるのではありません。この体感の違いが動きの違いとなります。
 自分がどのような心で当てているか振り返ってください。


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  1. 2012/01/10(火) 21:25:51|
  2. 居合 業

抜付け

 抜付けというと「初発刀」や「横雲」における敵に斬りつける動きをイメージします。
 しかし、この動きは「陰陽進退」や「虎一足」の鎬での張り受けや「流刀」の鎬での受にも共通しており、鎬を用いるために手の内は変わるものの、それらの動きも基本的には抜付けの動きと変わりません。
 つまり抜いて受けたり、抜いて流したりするわけではなくあくまでも体の動きに伴い「一」で行われるべきものであって「一、二」と行われるものではないという事です。抜けた時にはその目的を達していなければなりません。
 ここがわからず、実感を求めようとされる方はどうしても「一、二」の動きから離れられないのですが、それでは居合にならず間に合う事もありません。
 このような動きは渋川一流柔術の居合の「抜打」においても同じことで抜いて斬るのではなく、抜き始めから斬撃までは一連の動きになります。工夫してください。
 

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  1. 2012/01/11(水) 08:25:36|
  2. 居合 業

勘違い

 居合や柔術の動きの稽古というのは、新たな動きを自分の中に作り出すというよりも、いらないものをなくしてゆき、動きそのものを単純化することが大部分を占めます。
 どのような形をしても、この様な動きは今までに一度たりともしたことがないとか、このような動きをするためにはよほど筋力を鍛えなければならないという事は無雙神傳英信流抜刀兵法や渋川一流柔術にはありません。
 無双神伝英信流居合兵法の師 梅本三男貫正先生が「名人・達人の定義は無理無駄がないこと」と教えていただいたことと同じです。
 初心者の方は、あのような動きをするにはよほど鍛錬して稽古しなければならないと感じられるかもしれませんが、私たちが行っている流派にはそのような動きはありません。むしろ、上達に伴い動きそのものはどんどん楽になっています。
 ここを勘違いしてしまうと上達できなくなってしまいますので注意してください。

 昨夜出ていた月です。
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  1. 2012/01/12(木) 21:25:58|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鎖鎌

 渋川一流柔術の技術体系の中で6尺棒や3尺棒、十手や分童などは素手で行う柔術の体系の中に納まり、素手での柔術の稽古が十分になされていれば得物を持ったからと言って特に困難は感じるはずはないものですが、鎖鎌の形は大局から見れば渋川一流柔術の体系の中にありますが、他の形からは少し離れた位置に存在しているように感じられます。
 しかし、鎖を扱い分童を生かして使う稽古は他の柔術の稽古に非常に良い影響を与えます。分童を回し相手の体や手や刀に巻きつけるためには、臍下中心に分童を回さなくてはならず、これを小手先で扱っていては分童を生かして相手に巻きつけることはできません。小手先ではできないので自然に臍下からの動きを身につけることができるようになっていきます。
 稽古する機会が少ない鎖鎌ですが、機会があれば一人稽古をして扱いに慣れてください。必ず他の動きが上達していきます。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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  1. 2012/01/13(金) 21:25:16|
  2. 柔術 総論

血振い(大森流)

 大森流の血振いの動作も勘違いしやすい動作で、間違った動きをされる方がありますので記しておきます。
 血振いは斬撃後、両手は別れ、右片手にて行いますが、臍下を中心として動くため、動きそのものは両方の手を臍下を中心として広げる動きと変わりません。一度両手を開けば、この感覚をつかむのは容易であると思います。開く際、切っ先は地を這うように低く動きますので右手上腕を曲げるような筋肉の働きはありません。
 次に切っ先が後方に行きそれ以上動かなくなる前に臍下中心のまま肘が上に上がってきます。この時も腕に力は入らず切っ先は下に降りたままなので、肩やひじあるいは上半身に力みは全くありません。、この刀を吊り下げた状態も両手を動かして確認することができます。
 この位置から刀が降りてくるとき、やはり臍下を中心に回転して刀が降りてきますのでむしろ肩肘はより楽になるくらいの感覚があり、刀が降りる作用で下半身が浮き、後足の膝は床から離れます。この時刀を振ろうと意識すると上半身に力みが入り下半身がそれを支えるために固まってしまいますので膝が浮くことはありません。そのため、血振いの動きが苦手な人は自分で脚を伸ばすことによって膝を浮かせているので強い力みが入ってしまいます。
 血振いの動作ですが、昔、兄弟子に中国戦線で中隊長をし敵の銃剣などと白兵戦を何度も経験した方がおられました。その方の話では、「ちゃんと斬れば刀にほとんど血がつくことはなく、下手に斬ると刀に血が付き、刀についた血は刀を振ったくらいでは落ちるものではない。」という事でした。


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  1. 2012/01/14(土) 21:25:29|
  2. 居合 業

視野を広げること

 日本武道学会中四国支部会のシンポジウムで述べたことですが、所謂古武道は現代武道のように境界をはっきりさせず、一つの武道種目といえども他の領域にまたがって学ぶものです。また江戸時代にあっては自分が得意とする種目だけではなく他の種目を併修するものでした。
 一方、現代武道では現代剣道が剣道といった場合、防具を着用して竹刀を用いる剣道をイメージし、居合道といった場合には素抜き抜刀術のみをイメージします。現代柔道しかりです。
 しかし、いわゆる古武道を稽古する者は現代武道の概念で自分の稽古する武道をとらえてはなりません。下に記したのは無雙神傳英信流抜刀兵法の形目録ですが赤字で記したのは素抜き抜刀術以外の形です。記録を見ると細川義昌の父嶋村義郷の道場ではこれに加えて棒術まで無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古で行われてたことがわかりります。
 すくなくとも無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古をされる方は剱術・柔術という種目の武術に興味を持ち他流派の演武に何かを学ぶ心掛けがなければ、自分が稽古する居合もわかるようになる事がないのは下の目録をいよく見ていただければ理解でいると思います。


大森流

初発刀/左刀/右刀/当刀/陰陽進退/流刀/順刀/逆刀/勢中刀/虎乱刀/抜打/


英信流表

横雲/虎一足/稲妻/浮雲/山下風/岩浪/鱗返/浪返/瀧落/抜打


太刀打

出合/附入/請流/請入(請込)/月影/水月刀/独妙剣/絶妙剣/心妙剣/打込/


詰合

発早/拳取/岩浪/八重垣/鱗形/位弛/燕返/柄砕/水月/霞剣


大小詰

抱詰/骨防返/柄留/小手留/胸留/右伏/左伏/山影詰


大小立詰

袖摺返/骨防返/鍔打返/〆捕/蜻蛉返/乱曲/電光石火


英信流奥 

向拂/柄留/向詰/前後詰/両詰/三角/四角/棚下/虎走/人中/行連/連達/行違/夜太刀/追掛斬/五方斬/放打/抜打/馳抜/抜打



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  1. 2012/01/15(日) 21:25:42|
  2. 武道史

貫心流

 広島藩の貫心流の細家の三代目細六郎(源九郎)が神道無念流の斉藤弥九郎の練兵館に入門して学んだのは知られている事です。細家は初代は徳島から貫心流の淵源を訪ねるため高齢になって移住し、築山家に入門して印可を得ました。細家は初代の頃から防具を用いて試合稽古をしていたようですが、小手は肩まで伸び袋竹刀を用いていたようですので、新式の防具と世つわりの竹刀は、細家にとって新しいものであったのではないかと思います。
 写真は斉藤弥九郎の子の斉藤新太郎が廻国の途次、広島藩によって細家で試合をしたときの広島藩士の名前が記されている部分です。
 この時の細六郎は二代目で末尾にある細源九郎が三代目の細六郎です。この時の試合がきっかけとなったのか、あるいはそれ以前かわかりませんが、細亀之進と細源九郎は練兵館の門人となり新式の試合剱術を学びます。
貫心流DSC02448


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  1. 2012/01/16(月) 21:25:23|
  2. 武道史

貫心流 2

 昨日貫心流と神道無念流とのかかわりについて述べましたが、貫心流の許しの段階が「目録」「順免許」「免許」となったのは神道無念流の影響ではないかと思います。
 これまで調査してきた資料から、順免許と免許の差は取捨(柔術)と薙刀を会得しているかどうかの差にあるように思いますが、それ以前はどうであったのかを確認していません。
 幕末に近くなるにつれ各流派とも複雑になった許しの段階を少なくし3段階にする傾向が表れます。鏡新明智流も三段階ですし、中西家の一刀流も三段階、大石神影流も三段階です。
 もっとも、初期にはもっと単純でいきなり免許という流派もあったかもしれませんが時代が下るにつれ複雑になり、また簡素化されていったものです。
 写真は氷見市教育委員会所蔵の神道無念流の伝書の箱外とその中身です。
箱書きDSC02853伝書DSC02897



 

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  1. 2012/01/17(火) 21:25:27|
  2. 武道史

貫心流 3

 幕末の広島藩の剱術で他流試合をする流派は主として貫心流であり、他の流派は記録を見ることがあまりありません。広島の剱術流派はかなり保守的であったのだと思います。
 写真は宮島の千畳閣に掲げてある初代細六郎(細宗關)と二代細六郎が奉納した額です。
細六郎額
 
 
 かなり古いものであるのですが立派に保存されています。右側に記されているように貫心流は宍戸司箭から教えを受けた外孫の河野大蔵によって伝えられ、その子孫の築山通欽によって細家に伝えられました。
 河野はもと伊予の戦国大名ですが豊臣秀吉によって滅ぼされ一族は四散しました。一族の中に豊臣秀吉の命を狙うものがあり、失敗したため、苗字を母方の姓である築山にかえました。後に築山家は代々広島藩に仕え築山通欽は広島藩の執政にもなっています。また通欽は頼山陽の武術の師でもあります。
 この額は頼山陽の子の頼餘一によって書かれています。
 また、この額から、この頃は薙刀を司箭流といい剣術を貫心流と言っていたのがよくわかる史料でもあります。
 細毛によって奉納された額はこのほかにも香川県の金毘羅宮にもあったようですが現存しません。その記念に作られたミニチュアの額が残っているだけです。こちらの額は宮島の額よりもさらに古いのですが頼山陽によって記されています。初代細六郎と頼山陽は同門です。
 103金毘羅額1

 
 

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  1. 2012/01/18(水) 21:55:27|
  2. 武道史

貫心流 4

 貫心流剣術の歴史は複雑で単純に説明することはできないのですが、簡単に述べると、もともとは司箭流薙刀が中心でそれに付随する剱術があり、宍戸司箭の弟子であり外孫であった河野大蔵が貫心流剱術を始めたという事になるのではないかと思います。
 宍戸司箭を流祖とするか源義経を流祖とするかについては難しい問題ですが、源義経から由利家に伝えられ、その末裔によって宍戸司箭に伝えられ、宍戸司箭がその術をさらに工夫して司箭流が成立したのですから、源義経を遠祖といい、宍戸司箭を流祖といったほうが良いのではないかと思います。
 さて、源義経は司箭流・貫心流の伝承によれば奥州から逃れ、蝦夷地のグンスイというところでなくなったことになっています。写真はその伝承が記された伝書の一部分です。
063義経グンスイ

 さて、義経から由利家に伝えられた武術ですが、由利家の末裔が戦に敗れ欧州を去り、安芸の國に来て宍戸司箭に出会うことによって宍戸司箭に伝えられます。宍戸司箭はのちに京に上り、愛宕山で宍戸司箭院として密教の僧となり活躍し、天狗となって昇天します。写真はそのくだりが記してある部分です。
          068宍戸司箭の飛天

 さて宍戸司箭に伝わった武術は宍戸司箭によって高められ、やがて外孫の河野大蔵に伝えられます。写真は(河野)築山大蔵の肖像です。右下の貫心流祖とあるのがわかります。つまり貫心流剱術を唱えたのは河野(築山)大蔵ではないかという推理が成り立ちます。
               築山大蔵12


 その後代々築山家で家伝として密かに伝えられた貫心流は公開して教えられるようになります。初代細六郎は広島から阿波の國にやってきた溝口甚五左衛門(鉄柱無端)の後学にないますが、徳島で広まった貫心流が剱理に關して諸説紛々なったため、高齢になってから広島の築山家に入門し印可を得て7貫心流は細家3代が中心となって広島で教えることになります。
 このように、一つの流派であっても、様々な歴史を有しています。たまたま貫心流については比較的歴史がはっきりするのですが、大石神影流のもととなった愛洲陰流を柳河に伝えた村上一刀については、その人物像があまりよくわかりません。なんとか明らかにしたいと思っています。



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  1. 2012/01/19(木) 21:25:52|
  2. 武道史

貫心流 5

 さて貫心流ですが、広島と徳島に伝わっただけではなく実は江戸にも広まっています。これは初代の細六郎が江戸に道場を開き門人を多く抱えていたためではないかと思っています。
 それはさておき、今日は貫心流が用いた刀の長さについて述べてみたいと思います。貫心流の伝書の中に写真のように「己尺」という項目があります。こえはどういう事かというと用いるべき刀の長さはそれぞれの身長に応じて適する長さが変わってくるという意味です。貫心流では刀の長さはそれぞれの身長の半分が適切であるとしています。
     143己尺

 いわゆる常寸といって「江戸時代の刀はこれこれこういう長さしか用いなかったのだ。」と決めつける方もおられるようですが、登城刀など儀礼用の刀であればそうかもしれませんが、実際に戦うためにはそれぞれの流派の遣いように適した刀の長さがあったという事は簡単に想像できできると思います。
 写真は昨日示した河野大蔵の肖像と幕末の貫心流の後学である中山権八郎の肖像です。
築山大蔵1中山権八郎

 写真によって、どの程度の長さの刀を用いていたかわかると思います。
 このような刀を使うためには現代剣道式の足踏みではなかったという事は理解できると思いますが、当時は「足心八字」といって開いた足踏みをしていました。写真は、それを示した伝書の一部です。
144足心八字



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  1. 2012/01/20(金) 21:25:16|
  2. 武道史

貫心流 6

 貫心流といった場合には剱術を異さし、司箭流といった場合には薙刀をさすのですが、貫心流剱術はもとは司箭流薙刀からでたものですから、本来司箭流の中には多くの武技が含まれています。
 写真は司箭流の目録です。
129司箭流目録

 これだけを見ても剱術、組討や馬術の心得が記されているのがわかると思います。他の伝書には槍の(十文字や素鎗など)遣いようや、鎗に対しての薙刀の遣いようが記してあります。
 江戸時代後期になると貫心流剱術や司箭流薙刀から取捨(柔術)を独立させて教えることも行われるようになったようです。昨日見た中山権八郎はおもに司箭流取捨といって柔術を指導していたようです。また流派名も混乱をきたすことがあったようで貫心流は剱術であるものを明治になると貫心流の薙刀といって教えることも行われていたようです。
 写真は宮島の千畳閣に掲げられた吉井太郎槌の奉納額ですが、この額には薙刀が掲げられているものの、取捨中心の道場であったようです。
吉井太郎槌額1
 
 この系統の貫心流取捨は戦時中までは稽古がなされていたようなのですが、原爆によって消え去ってしまいました。
 下の写真は貫心流取捨の伝書です。
 146柔術1




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  1. 2012/01/21(土) 21:25:49|
  2. 武道史

貫心流 7

 私の武道史の研究の原点は難波一甫流と貫心流にあります。細家に伝わった貫心流の伝書群を見た時には驚きました。しかし私の今の研究の立場からすると日記類や英名録が全く残っていないのが非常に残念です。残っていれば初代の細六郎がどのような行動をしたのか、細家の人たちはどのように新しい形式の防具や竹刀を取り入れていったのか、またどのような人達が細家を訪ねてきたのかがはっきりわかり、どのような経緯で三代目の細六郎が神道無念流の練兵館で学ぶことになったのかがわかるのですが・・・。
 写真は細家に伝わった伝書群です。
細家文書

 当時はデジカメを持っていませんでしたし、存在してたかどうかもしれません。ずいぶん写真にはお金を使ってしまいました。宍戸司箭社にも2歳にならない長男を連れて初めて行った時から何度も足を運びましたが、奉納額が存在していない理由は神社建て替えで廃棄されたからだという事を後から知って非常に残念な思いをしたことがあります。
 写真は宍戸司箭社です。
 065宍戸司箭社

 貫汪館で稽古する方は、少しでも武道史に興味を持ち、奉納額などがあれば記録する様にしてください。これで貫心流についてはおしまいです。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
 1月28日(土)午後4時から午後8時まで久留米市の北野ふれあい交流センター交流ホール(久留米市北野町八重亀139番地)で無雙神傳英信流抜刀兵法を指導します。興味のある方は見学にお越しください。

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  1. 2012/01/22(日) 21:25:18|
  2. 武道史

難波一甫流(大塚観音堂)

 難波一甫流の調査を始めたころに出会ったのが写真の大塚観音堂(前方が絵馬堂で後方の屋根だけ見えるのが観音堂)です。この観音堂は広島の難波一甫流の聖地といっても過言ではなく、代々広島で難波一甫流を伝えた矢野家からは石灯篭が寄進され、矢野家に習い難波一甫流を盛んにした小室家からは大きな絵馬が、その他の難波一甫流の師範たちからもたくさんの奉納額が掲げられています。
DSC_0136.jpg

 ご本尊は十一面千手観音で広島市の文化財に指定されていますが、他に類を見ない程のこれだけの難波一甫流の奉納額が掲げられた観音堂であるにもかかわらず、観音堂そのものは文化財には指定されていません。文化財審議委員の方達が江戸時代の武術には興味もないのでしょうから仕方ないことかもしれませんが、荒れるに任せているのは非常に残念なことです。
39観音

 大塚観音堂はもと慈光寺といいましたが、いまはお堂だけが残っています。
 『慈光寺略縁起』には以下のように記されています。「本尊十一面千手観音菩薩弘法大師御作也 夫普山ノ開閉ハ大同二年ノ頃トカヤ スナハチ本尊ハ岸ノ城主四良衛感應ノ霊健也抑コノ吉開ハ文武二道ノ名将ニシテ剰へ因果ノ理ヲ信シテ隈二罪科ヲオコナワス常二一寸八歩ノ像ヲ刻テ胸ヲ離サス 信心ノ余リニヤ重テ大仏ヲイトナマント擬ス 其夜ノ夢二弘法大師告テ言ク 我二躯ノ尊像ヲ作ル ー躯ハ極楽寺ニアリ又ノー躯ヲ汝二興フへシト 而モ諭テ日ク コノ像ヲ信スル人ハ現普二世ノ悉地ヲ満足ス 若人コノ像ヲー拝スレハ百劫ノ罪百拝スレハ千劫ノ罪ホロヒスト云コトナシ 更二信心堅固ナレハ現前二諸願ヲ満足シ福春海無量ナラン又一切ノ難病ノ輩コノ尊俊二向テー拝コ及ハ、病忽二平癒シ又婦人ノ安産ヲ守り小児ノ痘瘡ヲ護ル 別テ武道ノ勝利ヲ守り玉フ 汝チ心ヲ澄テアレヲ見ヨト戊亥ノ方ヲ指シ玉フニ紫光タナヒキテ雲中二千ノ御手ヲヒラキテ此里二飛玉フト見テ夢ハ宿ヌ 吉囲奇異ノオモヒヲナストコロ 翌朝民家ヨリ悌天ヨリ降り玉フト言上ス 大二喜ヒー字ヲ建立シテ西岸山慈光寺卜シ報池院等ノ六坊ヲタテ、シュゴセシム 爾来世上衰二順テ坊舎ハ零落二及へトモ霊験ハ今二新タナリ 縁起畢ル                            附録
 去ル頃虞鴨匠屋何某一千夜ノ間夕丹誠ヲヌキンテコノ俊二兵術ヲ祈り求メシニ異人二逢テ秘術ヲ得タリ 即チ今ノ難波一甫流コレナリ』
 また、『縁記大意』の内容はほぼ『慈光寺略縁起』と同じであすが、文末の部分が若干異なっているのでその部分のみを引用します。「‥・去ル頃匠屋ナニカシ此俊二兵術ヲ祈り求メシニ五更ノ枕ノ上二秘術ヲ授ケ玉フハ今ノ世ノ匠屋流儀是ナリ トテモカクテモ衆生ヲ度セントノ誓願霊験知りますが、みな同じ流れであるす。)残念ながら両書ともに書かれた日付が記されてはいませんが、西岸山慈光寺は大塚四郎兵衛によって建てられ、その後衰退したが、難波一甫流に大きな影響を与えたことが分かります。

 難波一甫流の支流に伝えられた伝承には以下のように伝えられています。
 広島城下で道場を開いていた人物の稽古を見ていた老翁が「柔術には意治がなければならない。」といって意治の術を教え、それに驚いた師範があとをついていったところ観音堂の後ろですっと姿を消したので老翁は千手観音の化身であったことがわかった、それ以後、その家ではこの千手観音を信仰することになった。

 大塚観音堂へは江戸時代に城下から徒歩で行くと2時間以上かかってしまいそうな位置にあります。この話嘘でもないように感じます。近所の方のお話によると、江戸時代には馬で参拝する武士もあったとのことです。
 
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  1. 2012/01/23(月) 21:25:14|
  2. 武道史

難波一甫流 2

 難波一甫流が匠屋流と呼ばれたのはその、職業に関係があるものと思います。広島藩の家臣に大工頭矢野というものがあり、これが矢野家の先祖だと考えられます。
 大塚観音堂の十一面千手観音が「意治」を教えたのは矢野家の者にであると考えるのが自然です。大塚観音堂には矢野清良門人によって奉納された石灯籠があり、これが奉納されたものの中では一番古いようです。

yano1DSC_0140.jpgyano2DSC_0142.jpg

 絵馬堂にはかって棟札があったということですので、それが見つかれば絵馬堂を誰が建てたかがわかると思います。

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  1. 2012/01/24(火) 21:25:41|
  2. 武道史

難波一甫流 3

 大塚観音堂の絵馬堂には多くの武術奉納額が掛けられています。初めて調査した20年くらい前に比べてずいぶん記された文字が薄くなってます。近所の方のお話では以前はもっとはっきりしていたということでしたから、近くに大きな道路が通り交通量が多くなった影響があるのだろうと思います。
 さてこの絵馬堂で最も目を引く奉納額が文字通り写真の絵馬です。この絵馬だけを見たら難波一甫流と何の関係があるのかはわかりません。しかし額の左側に記してある小室利用・小室利忝という名を知っていえば難波一甫流の奉納額だとわかるでしょう。小室利用は矢野徳三郎から免許を得て難波一甫流を広めた人物で小室家が難波一甫流を教授するようになってからは矢野家の名前は表には出てこなくなります。矢野徳三郎が発行した伝書には後見藤井源二左衛門と記してありますから矢野徳三郎が幼い時に、その父である矢野春蔵清良がなくなったのではないかという事が推定できます。矢野清良は石灯籠に刻まれた名前です。
 貢献の藤井源二左衛門の兄弟は広島藩で渋川流の師範として名のある人物でした。
komurogakuDSC_0121.jpg


 絵馬堂には多くの額が掛けられているのですが、その一つを紹介します。田坂貞義門士によってかけられた額で

「忍 百戦百勝不如一忍と記されています。文字鳥の意味です田坂一門はこれを修行の眼目としたのでしょう。
苗字があるから田坂が武士であったとは限りません。
ninnDSC_0135.jpg

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  1. 2012/01/25(水) 21:25:02|
  2. 武道史

難波一甫流 4

 下の写真の額も大塚観音堂の絵馬堂に奉納された額です。この額には宇高門人と記されていますが、左側に大きく記されている有馬平五郎直行が中心となっておさめた額であろうと思います。
arimaDSC_0127.jpg

 宇高とは宇高宗助のことでもと広島藩士であったようですが詳細はわかりません。嫡男ではなく次男、三男でだったためか農村部の沼田郡阿斗戸村に住み、寺子屋兼武術の道場を開いたようです。宇高宗助のあとは宗助の面倒を見た有馬平五郎・有馬専三郎・有馬是一と続きます。有馬家は明治になって宇高と姓を変えますので、有馬是一は宇高是一として明治・大正と指導を行います。有馬専三郎は農兵教育に功がありました。
 偏狭な思想を持った郷土史家の中には「農民が武術の稽古をしていたという事はあり得ない、農民に武術の修行が許されたなら一揆がますます大きくなるので武士が許すはずがない、武術の修行が許されたのは武士ととり方の師音をしなければならなかった革田の階層の者だけである。」と主張して譲らない方もおられましたが、実際は農民層にも武術は広まっていました。渋川一流柔術もその一つです。
 写真は宇高宗助が授かった免状です。宇高宗助は小室利用と同門であったようです。
udaka03宇高宗助宛免状

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  1. 2012/01/26(木) 21:25:41|
  2. 武道史

難波一甫流 5

 昨日の奉納額は有馬平五郎が奉納した額ですが、その子である専三郎のためには立派な石碑が建てられています。専三郎は農兵教育に功がありましたが、その門人も多く現在の安佐南区や佐伯区広島市湯来町などには専三郎に免許を授かったのち道場を持った者が多くいました。写真は明治になって専三郎のために建てられた石碑です。
     04宇高先生碑

 現在残る起證文かは有馬専三郎の門人は何百人にも上りますが、写真から見るとそのような感じは受けません。
 現在まで伝わる専三郎の逸話の一つに次のようなものがありま。武者修行の者が来て専三郎と囲炉裏を間にして相対して話していたが専三郎が俯き気味にしており家の者が失礼な態度をとると思ってみていると、しきりに目の前を払う様子をしていたという事です。修行者が帰った後に専三郎が座ったあたりを見てみると針が何本も落ちていたとそうです。それは修行者が専三郎を試すために会話の間に含み針を吹きかけたのを払い落としていたという事です。
    12有馬専三郎と妻ヌイ

 稽古は豊かであった有馬家の土間で行われたようです。これは広島の農村地帯では一般的に行われていたようで渋川一流柔術の稽古も土間で行われていました。外で行うよりも雨風をしのぐことができ便利であったのだろうと思います。写真は当時の家のものです。
08宇高家

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  1. 2012/01/27(金) 21:25:52|
  2. 武道史

難波一甫流 6

 この伝書の系図を見てください。矢野徳三郎から宇高宗助をへて有馬平五郎へと伝えられています。

nakaiate06難波一甫流系図


 一方この写真を見ていただくと、宇高宗助と有馬平五郎の間に小室善衛門と小室富衛門の名前があります。これはなぜでしょうか。小室善衛門利用は矢野徳三郎の門人であり宇高宗助とは同門であって師弟関係ではなかったはずです。しかし、この系図を見る限りそのように感じてしまいます。

nakaiate16富右衛門名のある伝書2


 武道の系図と、家の系図とが異なるためにこのようになっています。実は有馬平五郎は宇高宗助亡き後、広島城下に出て小室善衛門さらにはその子の富衛門利忝について修行していたようなのです。はじめ上の二つの系図を見た時に私は混乱しましたが、答えはやはり宇高家の伝書の中に見つかりました。
ishosinnmg015.jpg

 二人の師匠について習った有馬平五郎は、二人の師匠の名を伝書に入れるためにこのような書き方をしました。武術の伝書では一般的に行われていることです。
 有馬家(宇高家)のある家から広島城下へは歩いていくと半日仕事になるでしょうか。早朝に出て、稽古し、夜遅く帰ってくることを毎日続けたとも思えません。
 広島藩の御触れに農村部から出て来て寄宿して武術の修行をしているものはい一度田舎に帰り、里許可を得て再び出てくることというものがありましたから、当時農村から城下に出て滞在して修行する者が少なからずいたものだと思います。

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  1. 2012/01/28(土) 21:25:03|
  2. 武道史

難波一甫流 7

 宇高宗助によって農村地帯へと伝えられた難波一甫流は有馬平五郎、有馬専三郎をへて、宇高是一へと伝えられます。宇高是一は有馬専三郎の子ですが宇高宗助の遺言に宇高の姓を残してほしいというものがったため、有馬を宇高と改姓したという事です。宇高是一は明治・大正・昭和と指導を続け門人も数多くいました。
 また、旧広島藩主の農地の管理も任されており、秋の収穫の時期になると今の縮景園へ収穫の一部を運んでいたという事で、浅野家家令からの感謝状も残されています。
 写真は帯刀している宇高是一ですが明治維新以降の写真ですので髷は結っていません。
           16宇高是一氏

 難波一甫流は他流試合を禁じていました。しかし講道館柔道がその勢力を伸ばしてくると、東京高等師範の影響で教員にも講道館柔道をするものが増えてきました。宇高家の近郷にもそのようなものがおり、高名な宇高是一と試合をしたいと思っていたようです。しかし他流試合の禁がある難波一甫流ですので宇高是一はこれを受けることはありませんでした。
 ある日、二人は道ですれ違いましたが、講道館柔道をする先生はここぞとばかりに掴み掛り、宇高是一を投げたというのです。たちまちこの話は一帯に伝わり、高弟の一人が、すぐに宇高家に行き、宇高是一に「大師匠ともあろうものが何でむざむざと投げられたのか。」と問いかけると、少し声を潜めてこう言ったそうです。「難波一甫流では他流試合を禁じているので、私がその禁を破るわけにはいかない。それ故投げられるに任せていたが、はばかられることではあるが投げられる時に当てを入れたので、あの者は当分、自由にはなるまい。」と。その教師は、一年ほど体調を崩し柔道の稽古はできなかったという事です。
 投げたら価値とする競技としての武道と、命を守るための武術の価値観の違いを物語る話です。江戸時代に乱捕りを行う流派がどのような価値観で勝敗の目安をきめていたのかはわかりませんが、多くの流派に投げられながらそれを返したり、投げられながら当てを入れる技があるのを考えると、投げたら勝ちという価値観は講道館柔道などの一部の流派の価値観であったのではないかと思います。
 また、柔術といっても、その形の半分近くが武器を持って行ったり、武器に対する形ですので柔術は「素手と素手とで争うもの」という講道館以降の定義づけはほとんどの流派には当てはまらなかったものと思います。
 写真は宇高一門の記念写真ですがほとんどの者が棒や薙刀、鎗などの稽古道具を持って写っています。
kinenn18難波一甫流

 残念なことに、この宇高家で稽古を受けた方にお会いすることはできませんでした。もう随分前の事ですが宇高家をお訪ねしたときに、「もう10年早ければ免許を授かった方が生きておられたのに。」というお話をお聞きし残念でならなかったことを覚えています。
難波一甫流については一応ここで終わりにします。
 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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  1. 2012/01/29(日) 21:25:01|
  2. 武道史

久留米での稽古

 土曜日に大石神影流の稽古をつけていただいた後、久留米で指導をしてきました。その気付きを述べますので参考にしてください。
 初心の内は稽古は師に指導を受けたことに忠実に、いささかも私見をさしはさんではなりません。これはできる、できないとは異なったことでその流派の上達に向けてのレールに乗るか乗らないかの問題です。レールに乗っていれば稽古していれば遅速の差はあっても上達していきますが私見をさしはさんでレールに乗っていなければ、その流派では一切上達することはありません。自分で上手くなったと思っても、それは自分の価値観に基づく自己満足に過ぎず、その流派での上達ではありません。
 この意味から言うと、前回の稽古から今回まで良く指導を守って稽古していただいていました。とくに座姿勢は自然になってきた思います。居合においては座姿勢がそれ以後の動きの基準となりますので、作った座姿勢をしていれば作った居合にしかなりません。座姿勢が自然であるのに動き始めてから調和が乱れ無理無駄の塊となっているのは、己の心がそうさせています。抜きたい、振りかぶりたい、斬りたい、血振いしたい、納刀したいなどという思いが、全てを崩してしまうのです。
 自分の心が、いかに自分の動きを狂わせているのかを知らなければなりません。
 太刀打の稽古もいたしましたが、これも上に述べた事と変わりありません。前に進み出てくるときに、いつ斬り込もうとか、しっかり受けてなどといういらぬ想いが全てを崩し自ら隙を作っています。
 自分の心と体の状態を確認しながら、繊細に稽古しなければなりません。

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  1. 2012/01/30(月) 21:25:00|
  2. 居合 総論

投げようとしない

 渋川一流柔術の「返投」や「柔投」投げなどの手首を取る形でうまくいかない人の動きを見ていると、何とかして相手の手首を曲げて相手を倒そうとするために一生懸命自分の肘から先を用いて捻転させようとされています。
 しかし、いつも述べているように即効性を求めて小手先の技を使ってしまえば逆に技はかからなくなってしまいます。つまり業は体で掛けなければならないものなのです。
 「返投」にしても「柔投」にしても相手の手首を取ったら、その状態から投げようとして小手先を用いるのではなく体の中心を進めることによって結果として相手の手首が捻転するように心がけてください。はじめから上手くいくことはありませんが、下半身の緩み(特に鼠蹊部)を大切にし相手に対してどの角度で入っていくのかを工夫しながら稽古してください。

 久留米道場の稽古記録が再度更新されています。お読みください。

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  1. 2012/01/31(火) 21:25:13|
  2. 柔術 業

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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