無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

至難の業

 柔術は現代の柔道のイメージから来る素手と素手との戦いではなく、最終的に何も持っていないときに刀をもって斬りかかる敵を制する技を身につけなければなりません。しかし、それは至難の業なのです。
 何故か柔術の稽古をされる方には敵との間合の感覚が稀薄であったり、自分に無理無駄な動きがあってもそれを意に介さない方がおられる傾向があるのですが、論外の事です。
 刀を持つ相手は、刀を扱う事が当たり前に出来る相手と心得なければなりません。そのような相手は斬撃の途中からでも刀の軌跡を変化させる事が出来る敵ですし、切先の一寸で自分を制する事が出来る敵です。刀はたとえ扱うものが素人であろうとも刃が触れた瞬間に斬れます。柔術ではこちらが少しでも相手に触れた瞬間に相手を制しているという技を持つのは達人・名人でなければ叶いません。
 刀を制するためには、刀を扱う者以上に繊細な感覚が研ぎ澄まされていなければならないのです。相手の刀の動きを見切り、かわすためには相手の全てが観える眼を必要とします。相手はどのようにかかってくるかはわからないのですから。
 相手をつかんで、それから技をかけていった後、相手を制するというように思っていれば、よほどの奇跡的な幸運がなければ、まず自分が刀や刃物に倒されています。
 柔術の稽古をされる方は絶望的になるくらい至難の業を稽古しているのだという自覚なしに上達する事はありません。

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/10/01(金) 21:25:01|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

俗説は作られる

 「ヨーロッパで剣道をする人は日本で剣道を稽古するほとんどの人が居合も稽古していると思っている。」と言う内容の記事が雑誌に載っているのを目にし、不思議に思いました。
 何十年も前、私が中学校の剣道部に入ったときに最初に思ったのは「先生は何流なんだろう。」と言うことでした。小学生の頃に時代劇を見慣れていた私には流派がない剣道などというものは考えられなかったのです。現代剣道が流派剱術と全く別物であるとはっきり分かったのは暫くしてからの事でした。
 西洋では「五輪書」が読まれたり、日本といえば武士のイメージが存在していますのでヨーロッパの人が剣道をしようと思う動機の大きな部分は武士と関連しているのではないかと思います。したがってヨーロッパの人であっても「日本で剣道を稽古する人は剱術流派の形も使えるのだろう。」と考えるのではないかと思うのです。
 もしヨーロッパの人でより歴史を知っている方であるなら「日本で剣道を稽古する人は戦場の武技である槍術も稽古している。」と思うのではないかとも考えます。
 江戸時代には「剱居一体」などという言葉もなければ、実態として剱術を稽古したからといって必ずしも居合を専門とする流派を稽古しているわけではありません。むしろ居合専門の流派が全く盛んではない藩も多かったわけですし、剱術と槍術をあわせて習うものの方が圧倒的に多かったのです。
 「剣道を稽古するものは居合も稽古している」などという考えがヨーロッパの人にあるとすれば、それは意図的に広めた俗説です。どういう意図のもとに広めようとしたのかはわかりませんが、歴史的な認識とは異なっています。
 むしろヨーロッパの人が「居合道には流派があるのに、剣道に流派がないのは何故ですか?」と質問しないのが奇異に感じられます。
 そういえば、あるヨーロッパの方と話をしたときに「私の流派に宗家制度はありませんので、高段の先生が教えておられ、私の師は範士八段の○○先生に習いました。」と言うことを話され、その話を信じ込まれているようでした。たしかに宗家制度はありません。しかし免許皆傳制はあったはずです。剱術の弟子には免許をだしておられるのですから。その流派で誰が居合の免許を授かったのか私は知りません。
 ただ免許皆傳を授かってもいない、許されていないものが段位を持っているというだけで弟子をとり海外にも広めるという事をしたために間違った意識が形成されたのだと考えます。ヨーロッパの方は免許皆傳という言葉は教えられず、宗家制度はないということだけを教えられていたようです。

 下の写真は今日お昼に撮影した藍の花です。藍の花はとても小さく気をつけてみないと咲いたようには見えず、つぼみのままなのかなと思えるほどです。
 その下の写真は裏庭の茄子の小さな実と花。夏は暑すぎたためか花がつかず、花が咲いても身をつけませんでした。

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 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
  
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  1. 2010/10/02(土) 21:25:44|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

打つと斬る

 「昔の剣道の先生は打つと斬るという事の違いを知っていた」というような記事も目にしました。「昔」というのがどの時代に遡るのかは分かりませんが、江戸時代の剣術の防具着用の動きはあくまでも形が基本ですので多くの流派では現代剣道式の動きは行われていません。打って前に進むというような形とかけ離れた動きはしていないのです。
 剱術が打つで、居合が斬るという構図は現代武道では当てはまるかもしれませんが、武術にはあてはまりません。現代剣道であっても形を行うときには打つ動きはしないものです。防具をつけての打つ動きは、競技化が極端に進み相手より早くあてるというところから起こった動きであり、そこから剣術の変質が始まりました。もっとも現代では居合でも斬った後に後足を前足にひきつけるという現代剣道式の動きが行われているようですので、何をもって打つ動きとし、何をもって斬る動きとしているのかはっきりしません。
 もっと単純に考えて物体があって切り込めば竹刀が止まるからそれは打つ動きで、空間を斬撃したら刀は止まらないからそれは斬る動きと区分されているとしても、剣道形を行う時の仕太刀は相手に当てるわけではなく斬撃の途中で動きを止めているだけですから。形には当てはまりません。
 「昔の剣道の先生は打つと斬るという事の違いを知っていた」というのは終戦後あたりのことなのかもしれません。

  
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  1. 2010/10/03(日) 21:25:54|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

左刀・右刀・当刀

 初発刀と左刀・右刀・当刀は抜付けという本質的な動きに関して何らかわる事はありません。初発刀が「爪先立ててから抜く」という動きをしないのと同様、左刀・右刀・当刀もまた「爪先立ててから抜く」という動きはしません。
 左刀・右刀・当刀で爪先立てたくなるのは廻ろうとして脚力を用いようとするからであって、それでは業にはなりません。脚力を用いずに廻るのではなく僅かにバランスを崩してやる事によって体は向きを変えるのです。その初動で爪先立てて体を立ててしまうので、体は固まってしまい回るものも廻らず、無理矢理脚力で体を廻さなくてはならなくなっています。
 遠心力が弱くなりバランスを崩した独楽はどのような動きをするでしょうか。ヒントの一つはそこにあります。またバランスを崩した独楽であっても軸は地に接しています。ヒントの二つ目はそこにあります。
 工夫を重ねてください。
  
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  1. 2010/10/04(月) 21:25:39|
  2. 居合 業

柄手

 抜付けがスムーズにいかない方の原因の多くが柄手にあります。
 抜付けは右手が柄にかかる前から始まっており、右手が柄にかかってさらに動くという二段階の動きはしません。手を掛ける、抜くという二段階の動きは明らかに敵に見てとられ、ましてや敵に斬りかかられている状況においては致命的な遅れを生む元になってしまいます。ではどうすればよいか。
 「柄手を掛ける」という意識は捨ててください。右手が膝の上を離れてから抜付けた刀がとまるまで右手の動きは滞る事はないのですから、「かける」という意識をもってはならないのです。あえていうなら右手が動くなかで柄を拾っていきます。そして右手の動きで大切なのは親指側つまり、臍下からつながっている腕の下側の筋であって親指以外の四本の指は絶対に柄をつかむという動きをする事はありません。
 工夫してください。 
 
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  1. 2010/10/05(火) 21:25:02|
  2. 居合 業

「絞リ」

 澁川一流柔術の「絞リ」の形をかける時の右手の動きを間違えている方がたまに見受けられますので念のために記しておきます。
 「絞リ」(※上段絞りではありません)の形では右手は相手の右手を返にとりますが、このとり方は返投や柔投げのように左手で取るときとは異なっています。
 返投や柔投げの形で左手で相手の右手を取るときには自分の右手の親指は相手の右手の甲にかかっています。しかし「絞リ」では自分の右手の親指は相手の右手の手首の関節にかかっています。したがって「絞リ」の最終局面では自分の右手は相手の手の甲を取っているのではなく、相手の手首及びそこから肘関節方面を取っていることになります。
 この違いは業の効果と言う面で大きな違いをもたらしますので十分に気をつけて稽古しなければなりません。不明な点があればご質問ください。
 
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  1. 2010/10/06(水) 21:25:02|
  2. 柔術 業

大切な事

 沢山直さなければ成らないところがあるので、どうしてよいかわからなくなる方が居られますが、以前も述べたように絶対にしなければならない事があります。
 それは臍下を中心として動くという事です。人は一遍に沢山の事はできません。従って常に稽古しなければならないのは臍下を中心として動くという事です。これは稽古の絶対条件であり、これを無くして稽古しても上達する事はありません。
 それに付け加えて目付けなら目付け、相手の動きを読むなら読むこと、呼吸なら呼吸という稽古をして下さい。たいていは臍下を中心として動くという事だけで多くの問題は解決しています。
 くれぐれも臍下中心の稽古は24時間忘れないで下さい。

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  1. 2010/10/07(木) 21:25:52|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

優しいのではありません

 柔術の稽古を子供につけるときに、中途半端な仕掛け方をする事ほどひどいことはありません。
 何度も繰り返していますが、稽古は万が一の時のために役立つ稽古でなければなりません。したがって子供だからできないとかってに考え「履形」や「吉掛」で突いていくときに、相手の体にあたりもしない位置で動きを止めとりやすくする。あるいは「打込」で捕りやすい様に体の中心に打ち込むことなくそらせて打ち込む。こういったことは絶対に行ってはなりません。
 子供達は素直ですから、今の自分の動きで大丈夫なのだと信じ込んでしまいます。そんな稽古をしていたら万が一何かあった場合に稽古どおりに動けば命はすぐになくなってしまいます。上記のような仕掛け方をしている大人の方は「自分は子供達にひどい事をしているのだ」と自覚しなければなりません。それは優しいのではなくひどい事なのです。
 もし子供達の技量が十分でないとしても、動きをゆっくりしてやればすむことです。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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  1. 2010/10/08(金) 21:25:53|
  2. 柔術 総論

大石神影流史跡 1 諏訪宮

 先月、稽古をつけていただくために大牟田に赴いた際に大石神影流に関する遺蹟の写真をとってきました。今回は諏訪宮についてです。
 大石神影流の稽古は大石導場だけでなく屋敷のそばの早馬神社でも行われていたということはよく知られていますが、久福村の諏訪宮でも行われていたということが土佐中村の樋口真吉の日記からわかります。天保8年(1837)の樋口真吉 第一回廻国修行日記に以下のように記録があります。

(10月)廿八日、旦、両人大石氏へ行、先生未帰、若先生大石駒太郎対面、八ツ時より桑原 門人湯村猪三郎同道ニて稽古ニ行、折節頭痛ニテ闕席、大石閊ヘニテ久福木村・諏訪宮ニテ稽古、人数拾一人

廿九日、右同宮ニテ稽古、稽古人数拾人、姓名修行帖ニ譲ル、予相手一番湯村、二番小松、三番樺島五郎七、桑原氏ニモ此三人相手、残リ七人子供也、先生ハ不快ニテ出席ナシ、黄昏帰宿、當宿三日之間矦ヨリノ賄、此日大石氏へ行、両人逢先生ニ入門の約ヲナス

晦日、又諏訪宮稽古、人数八人、此日先生出席あれとも稽古ナシ、門人相手ニテ八時畢、姓名修行帖ニ譲

(11月)十七日、大石とり込み(明日神祭)、久福木の宮ニテ稽古、人数四人、猪三郎・和作剱術相手、小勢ニ迫ニテ止る、寒景涼

廿日、諏訪宮ニテ稽古、人数六人、剱槍、和作・五市・々々・々々、〆四セリ、八ツ時終


 諏訪宮を写真で紹介します。現在の状況が当時のままであるなら境内は大石邸のそばの早馬神社よりも広く、剱術だけでなく槍術も何不自由なく稽古ができたと思われます。
 神社の門は田舎の神社とも思われないくらいに荘厳です。

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 両脇に文政年間の石灯篭がありますがその土台の石に大きな穴が掘られています。広島と考え方が同じであれば神社に祈願をするために小石で叩いて参拝し、ために穴があいたということですので、武術家が上達を祈願した後なのかもしれません。盃状穴と呼ばれます。

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 山門はその彫刻がたいそう立派で広島の田舎の神社では見ることができません。

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 境内は写真に見るように広く、稽古するには十分すぎる広さです。

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 拝殿の天井に絵が描いてあるので36歌仙の絵かと思ったのですが、江戸時代の生活を描いた絵のようです。随分薄くなり、消えているものもたくさんありますが、今度稽古をつけていただくときに再度訪れて一枚一枚写真に収めたいと思います。

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 久留米道場の稽古記録が再度更新されています。お読みください。
 
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  1. 2010/10/09(土) 21:25:10|
  2. 武道史

大石神影流史跡 2 早馬神社

 昨日は大石神影流の稽古場所の一つであった諏訪宮について紹介しましたが、今日は大石邸のそばの早馬神社です。大石神影流の稽古は大石導場だけでなく屋敷のそばの早馬神社でも行われていました。

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 今は跡かげもありませんが石段の左側に大石家があり、その後方に導場があったようです。

 天保8年(1837)の樋口真吉 第一回廻国修行日記に以下のように記録があります

十一月朔日、大石氏場ニテ稽古、人数八□、予相手壱番樺島和作、二番湯邨猪三郎、三番樺島五郎七、四番大石先生、五番椛島乕熊、六番椛島和作、夫より後業表五本習、八ツ時済、小松轉膳足痛、稽古不致

 山門は諏訪宮と同じように彫刻が見事です。

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 山門をくぐると明治時代におかれた大きな狛犬が迎えてくれます。

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 正面が神社の拝殿で、奥の本殿は立て直され鉄筋コンクリートになっていました。

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 拝殿の前の境内と拝殿から山門を見た風景です。この境内でも稽古が行われていました。当時の道場の建物ですから人数が多すぎると道場の中だけでは稽古できなかったのだと思います。大嶋流の槍術も稽古していたのですから。 

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 かっては山門の右後方に馬場があったようです。大石進は乗馬が好きで、馬場で稽古をしたのだと思います。天保8年(1837)の樋口真吉 第一回廻国修行日記に以下のように記してあります。

(11月)廿七日、早旦先生馬上ニテ旅宿ニ来ル、猪三郎先生と返 街中ニ馬ヲ馭
呈大石先生之作
偶謁先生庭裡犇、淹畄未幾去高門
惟看去後鯨翻浪、蒼海報難此厚恩
宿主離杯ヲ出二刀短刀ヲ習、夜湯村氏来


 参拝の帰りに鳥居の前の石燈篭を見ると山門に向かって右側の石燈篭に慶應3年とあり、大石氏と刻まれており、対となっている反対側の燈篭には今村氏と刻まれていました。今村氏は大石家の高弟で二代目の大石進が亡くなった後、大石雪江とともに道場を守った今村広門がでました。

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 10月16日(土)17日(日)、久留米に行き、指導・稽古を行います。
16日(土)は久留米市武道館 小道場において18:00時~20:45。
17日(日)は久留米市勤労青少年ホーム 軽運動場において9:30~16:00
興味がある方は久留米道場の連絡先より御連絡ください。

  
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  1. 2010/10/10(日) 21:25:07|
  2. 武道史

大石神影流史跡 3 大石進墓石

 今日は大石進種次、大石進種昌の墓石を紹介します。写真の右側の墓石が初代の大石進種次、左が二代目の大石進種昌の墓石です。
墓石は戦後、このあたりにあった御墓のすべてを共同納骨堂へという宮部村の建議があったときに一度壊される危機にあったようです。幸い史蹟という観点で壊されず残されています。二人のお墓の右後方にあるのが共同納骨堂で、この時に大石家代々の墓石はなくなってしまいました。初代大石進の祖父で愛洲陰流剱術と大嶋流槍術を村上一刀から習った大石遊軒の墓もこのときに無くなったのでしょう。お墓の後方に見える空き地に大石進のもとに留学中に亡くなった武士たちの墓石が埋められているということです。

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初めに大石進種次の墓石の写真です。随分と立派な墓石です。戒名は大量院殿武観妙楽居士、没年は文久3年亡くなった日は11月19日、67歳でした。

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 次に大石進種昌の墓石です。戒名は寛量院殿武雄達道居士、没年は明治11年、亡くなった日は12月26日、55歳の若さでした。

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 二人の墓石の前 左右に門人がささげた水盤があります。
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 次は来週土曜日、今村広門について述べます。

 10月16日(土)17日(日)、久留米に行き、指導・稽古を行います。
16日(土)は久留米市武道館 小道場において18:00時~20:45。
17日(日)は久留米市勤労青少年ホーム 軽運動場において9:30~16:00
興味がある方は久留米道場の連絡先より御連絡ください。
 

  
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  1. 2010/10/11(月) 21:25:19|
  2. 武道史

焦り

 稽古を始めて、形の手順も覚え間違えずに出来るようになると、上級者のように動きたいという思いが出始めます。
 稽古を重ねて業が身についた方は無理無駄が無くなるので、動きは自然に速くなります。決して速く動こうとして速くなったわけではありません。上級者のように速く動こうとして動きを作ってきた人は結局上達はしておらずただ年数を重ねただけの状態になってしまいます。
 上級者のように速く動きたいと思っても、まだまだ無理無駄の固まりであるので動けるはずも無いのですが、それを何とかしようと焦って無理矢理速く動いてしまうと業が効かず、力技になるどころか隙だらけの動きになってしまいます。
 焦らずに着実に稽古を重ねなければなりません。

 一昨日の夜、蟷螂が玄関にいました。明かりに集る虫を捕ろうとしているのだと思います。毎年この時期になると気温の低さが蟷螂にはつらいのか見ておれないくらいにやつれ、朝夕は特に動きも緩慢になってしまいます。体の色もかわってしまい、哀れでなりません。私に気付いてからは、じっと私を見詰めていました。

       蟷螂00


 10月16日(土)17日(日)、久留米に行き、指導・稽古を行います。
16日(土)は久留米市武道館 小道場において18:00時~20:45。
17日(日)は久留米市勤労青少年ホーム 軽運動場において9:30~16:00
興味がある方は久留米道場の連絡先より御連絡ください。
  
  
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  1. 2010/10/12(火) 21:25:12|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

礼式

 澁川一流柔術の稽古で最初に行う礼式は技のきめはなく只相手を押し返すだけの動きをします。これは澁川一流柔術が敵と争う為のものではないという理念を表していますが、思想を表す動きだとのみ考えてはなりません。正しく行えれば礼式の動きは澁川一流柔術の基本が修得できるように仕組まれています。
 たとえば履形の礼式での蹲踞は臍下中心の動き出なければ必ず状態は前後します。またたつ時にも臍下中心から動かず必要以上の脚力を用いて立てば、はじめの体を床に預けた状態に戻る事はなく膝は伸びてしまいます。
 又、つく手を受け、相手を返し、相手の形をポンとたたくとき、手先でこれを行えば以後の動きは全て手先の動きになってしまいます。絶対に肩を浮かせてはなりません。
 また相手を押し返すとき、手力で押し返せば肚は虚になりあとは浮ついた動きにしかなりません。肚と腰で正しく押し返さなければ成りません。
 また片膝ついて檀中に両手を位置させるとき、手この前の動きで肚で押し返せていれば肚と指先はつながっていますが、そうでなければ体はバラバラで臍下を中心として統一される事はありません。臍下から指先までつながっていれば肚を中心として体を開けば指先まで開きますが、手先の動きであれば必ず上半身はぐらついてしまいます。
 礼式をどのように行えているか、再度確認してください。

 16日(土)の稽古は七尾中学校柔剣道場で行います。子供の稽古は09:00~10:00、大人の稽古は10:00~12:00です。お間違えありませんよう。
  
 10月16日(土)17日(日)、久留米に行き、指導・稽古を行います。
16日(土)は久留米市武道館 小道場において18:00時~20:45。
17日(日)は久留米市勤労青少年ホーム 軽運動場において9:30~16:00
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  1. 2010/10/13(水) 21:25:46|
  2. 柔術 業

ふりだしに戻る覚悟

 間違った動きを身につけ長い間稽古し、そのようにしか動けなくなり、行き止まりに来てそれ以上どうにもならなくなってしまったら、どうするか。
 ふりだしに戻るしかありません。
 それ以上どうにもならず、いくら稽古しても上達しようの無い動きを身につけてしまった場合、全てを壊してしまうしかないのです。手馴れた動きですので素人目にはそれなりの動きをしているように見えても、駄目な動きは駄目な動き以外の何物でもありません。パフォーマンスとして素人の目は騙せても、武術という観点から見ればすぐに斬捨てられてしまう動きでしかないのです。
 「今の手馴れた業を捨てずに少しずつ直していって下手になったと思われないように。」などという甘いものではありません。今までの駄目な動きを捨てて、はじめから稽古し直す事が素人目に下手に見えても、見える者には直ってきたと見えますし、たとえ自己満足できなくてもそのほうが着実に上達します。
 ふりだしに戻る覚悟が必要です。
 
 16日(土)の稽古は七尾中学校柔剣道場で行います。子供の稽古は09:00~10:00、大人の稽古は10:00~12:00です。お間違えありませんよう。 
  
 10月16日(土)17日(日)、久留米に行き、指導・稽古を行います。
16日(土)は久留米市武道館 小道場において18:00時~20:45。
17日(日)は久留米市勤労青少年ホーム 軽運動場において9:30~16:00
興味がある方は久留米道場の連絡先より御連絡ください。
 
  
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  1. 2010/10/14(木) 21:25:41|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

わかったつもり

 指導をしていると、中には指導した事をすぐに求めるのを止める方がおられます。指導された事をすぐに忘れ、自分の興味関心のあることに心が向いてしまうのだろうと思っていましたが、そうでない人も居られるようです。
 分かったつもりになっておられるのです。「頭では指導の内容が理解できた。試みてみた。できたような気がする。では次に移ろう。」という流れが自分の中で起こっているようです。
 初心者に指導する内容は根源的なことから指導しますので、すぐに身につくようなことではありません。また身についたとしたらその人のレベルが相当に上がっている内容です。毎日毎日求め続けても容易に身につくものではありません。
 そのような内容の事を一二回試みて分かったとされるわけですから、あまりに理解が浅すぎるとしかいいようがありません。
 指導された事が90%できるように成るには工夫に工夫を重ねても相当な年月を要するものです。何度も何度も同じ指導を繰り返される方は、自分がどのような覚悟で身につけようとしているのか自分自身を省みてください。


 藍の花がたくさん咲きました。今から実がなるのですが、来年のためにしっかりした実をつけて欲しいと思っています。

藍の花_0061


 16日(土)の稽古は七尾中学校柔剣道場で行います。子供の稽古は09:00~10:00、大人の稽古は10:00~12:00です。お間違えありませんよう。 
  
 10月16日(土)17日(日)、久留米に行き、指導・稽古を行います。
16日(土)は久留米市武道館 小道場において18:00時~20:45。
17日(日)は久留米市勤労青少年ホーム 軽運動場において9:30~16:00
興味がある方は久留米道場の連絡先より御連絡ください。
 
  
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  1. 2010/10/15(金) 21:25:52|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大石神影流史跡 4 今村広門墓石

 今村広門についてはご存じない方も多いと思いますが2代目の大石進が亡くなったあと、分家していた2代目の大石進の一番末の弟 大石雪江とともに大石導場を守った人物です。
 『大石神影流の周辺』(板井真一郎著)には以下のように記してあります。

 明治11年(1878)十二月、雪江が四十才の時、兄の種昌が死亡したので、同門の推挙により兄弟子の今村広門と共に、大石神影流三代目師範となった。今村広門は雪江より三才の年長であり、又、今村家は同じ宮部村で大石家より望見される至近の距離に在ったので、この頃既に白銀に分家していた雪江も之を願ったものと思われる。

 大石雪江と今村広門は相師範となって大石導場を守ったということが記されています。相師範というのは柳河藩でよく出てくる制度ですが江戸時代の制度についてはよく分かりません。親子でもない2人がともに同じ門人を指導しています。
 今村広門の墓は大石進父子の墓の右後方に離れて存在しています。墓の後ろには碑文が刻まれており、いつか解読したいと思います。墓石の下部や石灯籠に門人中と刻まれています。

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 墓石の右横に刻まれている発起人の最初に刻まれている板井真澄は二代目大石進種昌なきあとその孫で大石神影流を継ぐ事を期待された進を育てた人物で、のちに色々な状況を経て大石神影流4代目となって大石道場を守る事になります。板井真澄については明日述べます。最後に刻まれている大石進は二代目大石進の孫です。

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 下の写真は大石雪江と今村広門の連名で出された伝書の署名です。

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 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
  
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  1. 2010/10/16(土) 21:22:02|
  2. 武道史

大石神影流史跡 5 板井家墓石

 板井真澄は昨日も述べましたように大石神影流二代目の大石進種昌の孫の大石進を育てた人物です。写真の右側が大石進父子の墓石で左にあるのが板井家累代の墓です。

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 『大石神影流の周辺』(板井真一郎著)には以下のように記してあります。少し長くなりますが、読んで頂ければ事情が分かります。

 種昌とヤスとの間には男児が生れず、一女の登(ナル)に養子を迎えた事は既に述べた通りである。登の婿養子となった五十規の実家、八女郡の森家は、中山の殿様と称される程の名家と伝えられているが、詳細については不明である。又、五十規の人物像も早逝の為あまり知られていない。登についても伝えられている事が少ないが、大石家の一人娘と言う事で、種昌に一応の武術等仕込まれたと見え、村人の間には、なかなかの美女で、馬術に巧みで大石家の馬場や村道で、愛馬を駈る姿は誠に凛々しいものだったと言う。
 五十規と登との間には、明治九年九月二十七日、長男の進が生れ、その後、明治十一年に種昌が死亡した為、大石家の家督は五十規が相続した訳である。然るに、種昌の死後三年目の明治四年十方一日、先ず登が死去し(龍智院性珠囲明大姉)、続いて三ケ月後の明治十五年二月五日には、五十規が妻の後を追うようにして死亡するに至った(本覚院天真自性居士)。進はわずか六才にして両親を殆んど同時に失い、祖母のヤスと二人が残されるという運命に遭遇した事になる。
 この時、種昌の弟の祐太夫、興隆、彦助等他家の養子になった人は既に死亡し、残るは末弟の雪江だけである。後事に就いて奉心痛したのは雪江であった事は想像に難くない。雪江が宮部に帰って本家の後見となる方法もあったかも知れぬが、この時雪江は白銀分家の基礎も定まり種々の公役もあり、既に三子が生れている。種昌夫人のヤス及びその実兄坂井一作と相談の結果、一作の次男真澄とその妻ツタの夫婦を後見人として、大石本家に入れる事としたが、真澄も未だこの時大石神影流の免許を受けていなかったので、大石道場の方の師範は、従前通り雪江と今村広門の相師範と言うことであった。
 この時、真澄二十八才、ツタ二十二才で誠に若い後見人で、既に坂井家を分家して、大牟田町の横須に住んでいた夫妻には大役であった。真澄は青年の頃より政治に関心が深く、政友会に所属して政界に出る事が望みで、大石家の後見になる事があまり気が進まなかったようである。然し、雪江は幼時からの剣道の師であり、師と父との決定に従い、叔母の住家でもある宮部の大石家に移住し、後見人となった。


 板井真澄は種昌の孫の進むが成人し結婚した後、大石家を離れますが、進は間もなく東京に出て事業を始め、どういう理由からか大石家の屋敷・土地を売り払います。その後は事業に失敗し大石神影流との縁はほとんどなくなってしまい、北海道で客死してしまいました。
 板井真澄は大石家が売り払われた事を知り、大きな借金をして大石家を買い取り道場を守り、大石雪江なきあと第4代として大石神影流を守ります。その借金は後々まで板井家を苦しめ、板井真澄なきあと、手放さざるを得なくなり、大石家とは全く他人の手に渡った後に取り壊されてしまいます。板井真澄は大石雪江亡き後、その長男の大石一の指導を続け大石一が5代目となります。以前ものせましたが、板井真澄が買い戻した大石家の写真と板井真澄です。大石神影流史跡はこれでおわります。

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  1. 2010/10/17(日) 21:25:17|
  2. 武道史

クラウゼビッツの『戦争論』

 クラウゼビッツの『戦争論』という書があります。大学の卒論で日本の兵学を研究した際、西洋についても知らなければならないと思い読みこみました。『戦争論』は1832年に出版されたもので、フr-ドリッヒ大王とナポレオンの戦績から得た教訓をもとに書かれたものです。日本には森鴎外によって導入されましたが、軍医としてドイツに留学していたときにこれを読み、のちに陸軍士官学校に協力して訳文を『大戦学理』として出版したという事です。
 広島県の感情論的な平和教育(平和を構築する為の具体策が何ら検討されず、過去の日本を否定するだけの教育)をうけて育った私には『戦争論』の言葉はショックでもありました。

 戦争は他の手段をもってする政治の継続に過ぎない。

 戦争とは、他の手段を交えて行う政治的関係の継続に過ぎない。

 政治目的は戦争活動を支配する。

 戦争は多くの現代の日本人にとって非日常的なものであり、あってはならないもの、避けなければならないものという考え方が一般的だと思います。しかし、『戦争論』では戦争は政治の一枚のカードに過ぎません。現在でもそうなのかと問われれば、そうだと答えざるを得ません。大量破壊兵器が無い事が明らかであったイラクはなぜ米軍に戦争という形を持って攻撃されなければならなかったのかを考えれば分かると思います。
 また、チベットはどういう形で中国の領土となったのかを考えれば明らかだと思います。

 
 侵略者はつねに平和主義者である。戦わないで侵略するほうが簡単だからである。

 最初に戦争を起こすのは防者である。攻者はたんに物を取ろうとするに過ぎないが、防者は敵を払いのけようとする。

 今、尖閣諸島で何が起こっているのかを考えれば、実際の動きとしてよく理解できます。今、ガス田はどうなっているのか、この間の中国が仕組んだ茶番劇で、双方冷静に対処しなければならないといっている間にガス田がどうなっているのか。
 また尖閣諸島を守ろうとして当然の仕事をした海上保安庁は海外では軍隊の一部とみなされます。魚を捕ろうとした(実はその奥にあるものをとろうとした)者を払いのけたのは海上保安庁です。中国では海上保安庁の巡視船は悪玉です。

 思想統制・情報統制がなされている中国で真実を何も知らない中国人が反日デモをするのは、これを何が操作しているのか。そして日本の企業を一見守っているように見える中国の警察は、どこがコントロールしているのか。
 日本の無能な政治家は日中双方冷静にとしかいえません。冷静に事が収まるのを待つには尖閣諸島を守る為に何ら手立ては講じられないという事です。
 手立てが講じられないように仕組んだのは、一体誰なのか。考えれば分かる事です。そのうちに日本の政治家は手立てを講じなければならないということすら忘れてしまいます。自分の今ある地位と名誉とお金しか考えないのですから。


 自己保存の意欲と実力の無い国を、外部の力だけで維持する事は難しい。

 國は他国を援助する事はあるが、自国のことほどには真剣に考えない。敗勢を盛り返す見込みが無くなれば手を引く。

 二国が協力して第三国と戦う場合、必ずしも同じ程度に敵視しない。

 日本が置かれた状況です。結局は頼れるのは自分自身であり、自分を守ろうとする意識が無い者がターゲットになった場合はとられるものをとられるだけです。


 軍の戦力は、これを指揮する将帥の精神力によって決まる。

 名将は、精神的教養の高い国民の中からでなくては生まれない。

 将帥の判断のためには、しばしばニュートンのような数学的頭脳を必要とする。

 自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣です。このような指揮官であるのかどうかは皆さんの判断にお任せします。このような指揮官であれば、尖閣諸島を守る為に見えないところでニュートンのような数学的頭脳を働かせて緻密な計画を立てているでしょう。
 もう、20年以上になりますが自衛隊の中央観閲式で航空自衛隊の徒歩部隊の幕僚でk総理の前を歩いたときに私がどのように感じたかは皆さんのご想像通りです。

 今までのところは中国の漁船の船長の行動から中国国内の反日デモ、ガス田、レアアース、全ては中国の戦術通りです、このまま作戦通りに行けば尖閣諸島は確実に中国の領土になるでしょう。そしてやがて日本海も韓国の言うように東海になるか、または中国名が付き・・・、沖縄も中国領になるか、日本から独立してかってのように朝貢國になり・・・。
 きっと日本政府は何か水面下で綿密な作戦を立てているのでしょう。

  
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  1. 2010/10/18(月) 21:25:18|
  2. 未分類

久留米での稽古 1日目

 先週土曜日の午後6時から久留米市武道館小道場で無双神伝英信流抜刀兵法の指導を行いましたが、その気付きを述べます。
 基礎的な事を述べますが無双神伝英信流では刀を体の一部にしますので、刀を上手に扱おうとか、刀を強く振ろうとか、速く振ろうなどと考えてはなりません。
 刀を体と一体にすると一言で言いますが、これができれば居合の稽古は随分進んだということになります。刀と体とを一体にするためには体の余分な緊張を全て取り去らなければなりません。上半身だけでなく、下半身から全てです。人は生きていく上で体を緊張させることを無意識のうちに身につけていますので、これを取り去るのは簡単なことではありません。これでよいというレベルはありませんので稽古に稽古を重ねてください。
 抜付けですが、刀と体が一体となったうえで初めて成立する動きです。少なくとも柄に右手が触れた瞬間には鞘の中にある刀の切っ先まで、自分の指先のように意識が通っていなければなりません。刀を振ろうと、少しでも柄を握り締めるという質の悪い動きをし、あるいは少しでも柄手に力を込めれば刀の切っ先にまで意識が通う事はありません。刀の切先まで意識が通ってないのですから生きた抜付けはできるものではないのです。
 また抜付けは絶対に「抜付けよう」と思って抜きつけてはいけません。そのような思いを持てば刀を手先で扱う事から離れられなくなってしまいます。抜付けは体を遣った結果行われるもので無意識のうちに行われるといっても過言ではありません。意識するとすれば仮想の敵が斬りかかってくることだけです。「刀を抜こう」「刀を振ろう」という意識が現れた時に抜付けは駄目な動き以外の何物でもなくなってしまいます。
 工夫に工夫を重ねてください。

 稽古の後の夕ご飯は前回の久留米の稽古と同じ「牧のうどん」。教えてもらって以来、忘れられない味で、結局食べに来てしまいました。お店は久留米にあるわけではなく筑後川を渡った佐賀県鳥栖市にあります。チェーン店ですので佐賀県にはたくさんお店があるようです。いつもの肉ごぼううどんにまる天をトッピングしました。牛肉はよく煮込んでありとても美味しいのです。携帯での写真です。麺がつゆをすってつゆがなくなるので注ぎ足しようのスープがついてきます。左上のやかんにスープが入っています。
 子供に今一番何を食べさせたいかと問われると、このうどんです。子供が喜ぶかどうかは別ですが・・・。

     !cid_01@101016.212333@_____F705i@docomo.ne[1]


 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
  
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  1. 2010/10/19(火) 21:25:40|
  2. 居合 総論

久留米での稽古 2日目

 久留米での2日目の稽古について述べます。
 体の無駄な緊張を無くす方法ですが、日常生活の中で必要最低限の力しか用いない事を工夫してください。たとえばコップを持つとき落ちるか落ちないかの境目で持ってみる。落とさないぎりぎりのところでもってください。私はぎりぎりのところを探すために何回か落としてしまっています。コップだけでなく、衣類や髭剃りなど何でもよいので工夫できる事を日常生活の中で行ってください。
 また、下半身の無駄な緊張を無くすためには椅子に座ったり、座敷に座ったりしたとき、立てるか立てないかのぎりぎりのところで立つ稽古をして下さい。あくまでもぎりぎりのところを求めます。バランスを崩してこけてもかまわないと思わなければ、しっかりと立ってしまいます。こけてもかまわない環境で稽古してください。
 抜付けをスムーズにする方法ですが、第一に抜こう振ろうとは思わないということは既に述べたとおりです。下半身の動きがどうしても二段に分かれてしまうようですので、全ての動きが滞らないように心掛けてください。たとえば床から立ち上がるとき、右足、次に左足と考えてしまうと段がつきます。これをいかに滞らせずに立ち上がるかを稽古します。お尻が滞りなく上がるように稽古してください。また斬撃の稽古をしていても右足を出したら出した時に軽く踏みしめ、次に左足をだしたら出した時に軽く踏みしめと動きによどみが出来るような事は改めなければなりません。常になめらかに動き続ける稽古をしてください。刀を振り下ろす時の足も歩む足の足巾が広くなるだけで、こしを入れて踏みこむといった動作は禁物です。
 腰を入れて前へと思った瞬間に体は正対し半身は崩れてしまいます。現代剣道は竹刀を遣って飛び込むのですからこの動きでよいのですが、そのような動きでは刀を扱うときに半身が成り立ちませんし、抜付けのときに体が開く事もありません。よくよく注意しなければなりません。
 次は11月20日(土)、21日(日)に指導に参りますのでそのときまで稽古を重ねてください。

 裏山に小栗が沢山なっていました。今年の春先に隣の山から侵略してきている孟宗竹を切り払い日当たりがよくなったためかもしれません。1週間ほど前に草木染めのために栗のいがをとろうと思って登ったのですが、いがが鋭すぎて拾えず、栗を拾ったところ両親が小栗は美味しいといって食べていたので再度登ってみました。
 山は急斜面ですので栗のイガは転がって一箇所に纏まっています。山の中の写真は携帯でとりましたので画像はよくありませんが。雰囲気だけを感じてください。

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 久留米道場の稽古記録が再度更新されています。お読みください。

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  1. 2010/10/20(水) 21:25:22|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

臍下に納める

 澁川一流柔術の稽古で「捻付」や「絞り」などのように相手を下方に沈める形があります。
 これらの形で間違えやすいのは相手を押さえつけるという動きになることです。押さえつけようという意識が働く事により下半身よりも上半身が強くなり、自分の重さを相手に利用する事が出来なくなり腕力のみで文字通り押さえつける動きになってしまいます。また押さえつけた場合には自分より遠くに相手を位置させていますので、そのまま相手を制し続けようとするとますます腕力を用いざるをえなくなってしまいます。
 これらの技のポイントは相手を自分の臍下に納めてしまう感覚を持つことです。臍下に納めるのですから相手は自分の身の内でコントロールしています。それによって不必要な腕力を用いる必要はなくなり、また自分の重さを利していますので相手を抑えるにも腕力を用いる必要はなくなります。
 稽古してください。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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  1. 2010/10/21(木) 21:25:16|
  2. 柔術 業

鏡・写真・ビデオ

 稽古において特に初心者は鏡に頼って稽古をすべきではありません。
 外見は内なる働きの現れであって、内なる働きが正されることなしに外見を似せたところでそれは猿真似に過ぎないからです。猿真似はいくら似ていても本物にはなりえません。
 鏡を見て稽古ができるのは「自分の内なる働きがこのように誤っていたので外にはこのように現れた。したがってここを正さねばならない。」というレベルに達している方であり、そのレベルにない方は、外見を直すだけで内なる働きを正すことは出来ませんので、かえって間違った道に進んでしまうことになりかねません。
 わからないレベルの方は、分かるようになるまで素直に遣える兄弟子や師の教えに従って稽古をすべきです。
 写真を見るのも同じ事で、自分の姿を見て外見ではなく、内なる働きをどのように直すべきかが分かるレベルでなければ意味はありません。
 ビデオに至ってはなおさらの事。ただリズムやテンポ、速さを師にあわそうとするのでは絶対に武術とはなりえません。
 現代は写真やビデオという文明の利器があるので江戸時代の人よりもよほど業は進んでいると述べた人がいるということですが、恥ずべき事です。

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  1. 2010/10/22(金) 21:25:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

刀の持ち方・竹刀の持ち方

 随分以前から、「刀はこう持つので、竹刀の持ち方とは異なる」とか「刀ではそのように持つことはなく、あれでは竹刀の持ち方だ」というような論がなされていたと思います。
 一般的なのは、「刀は柄頭を出してもち、竹刀は柄頭を左手で包むようにもつ」という論だと思います。では真剣では左掌で柄頭を包むように持つことはないのか。また竹刀では柄頭を出して持ってはいけないのかというとどうなのでしょうか。
 私が現代剣道を習ったときには、先生は竹刀も刀も同じなのだから、竹刀を持つときにも柄頭を出して持つと教えられました。その方は戦時中に剣道を習い始めた方で、先生のお兄さんは軍人であって何度も白兵戦を経験された方でした。のちにそのお兄さんと縁が出来、お亡くなりになるまで15年以上お話をお伺いする事があり、直接実戦の体験を何度もお聞きしました。
 無雙神傳英信流抜刀兵法では柄頭を出す持ち方をしますので、はじめのうちは真剣では柄頭を出して握るのが正しいのだという考えをもっていました。
 今は、全てが正しいのだと考えます。流派によって考え方は様々、これが正しいという日本共通の認識というものはありません。個性があるから流派が存在していたのです。
 真剣を持つときにも柄頭を出しても、また包み込んでも、その流派の考え方次第です。「こうなのだ」という絶対的な方法をとらせようとするのは現代居合道、現代剣道であって流派武術ではありません。貫汪館で稽古される方は「絶対こうしなければならない」という思いは持たないようにしてください。「こうあるはずだ」と思い込んだとき、そうではない動きは自分の中に存在しなくなってしまいます。存在しないものが突然現れたとき、これに対応できるはずはありません。 

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  1. 2010/10/23(土) 21:25:32|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

「剱鞘ヨリ出ルト敵既ニ二ツニ成ル」

 「武士たる者大小の指様且抜法ヲ不知シテハ不叶事なり、たとえ抜くと云えども抜く斗りにて切事不能、此の稽古を学時は只剱鞘より出ると敵既に二つに成る、是抜刀の極意なり」

 柳河藩 景流居合の師範である渡邉精斎が記した『抜刀術居合指南』にある言葉です。居合は剱が鞘から出たときには敵が二つになっていなければならないものであり、抜いてから斬るものではありません。
 居合を勘違いされる方の中には、自分自身がいかにも力強く感じたく、また他人に力強さを見せたいがために切先が鯉口を離れた後にさらに腕力や腰の捻り(体の開きではなく)などによって刀に威力を加えようとする方がおられます。
 それでは「剱鞘より出ると敵既に二つに成る」という状態になることは絶対になく、そのような動きは居合ではないと言っても過言ではありません。心の力みや、他人に見せたいという思いが居合でないものを作り上げているのです。
 『抜刀術居合指南』は他流の伝書ですがなかなかよいことが記述してあります。またいつかご紹介したいと思います。

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  1. 2010/10/24(日) 21:25:38|
  2. 居合 総論

逆刀・勢中刀の柄頭

 逆刀・勢中刀の想定は自分は座しており敵は立って居るという状況にあります。また二つの形ともに敵の顔に柄頭を向けるという動作を行います。
 柄頭を敵の顔に向けるという動作は簡単なようですが、実際はスムーズにいっていない方が多く、一度柄頭が下がってから敵に向いたり、体の動きに随分遅れて柄頭が敵に向く動きをされています。
 これは体を動かさなければならないという思いが逆に刀を忘れさせている例で、師 梅本三男貫正先生が言われていた「統一体」とは異なるものです。先生が言われていた「統一体」とは簡単に言うと臍下を中心として末端までが臍下の動きに連動している事を言います。このためには体の全ての部位の力みをなくし、無駄な動きを無くさなければならないのですが、先生の弟子の中には力んで体を固める事を「統一体」だとかってに解釈し、見得を切っていた弟子もいましたので難しいものです。
 さて柄頭の動きですが、体の力みが無くなり隅々まで臍下とつながっていれば、まず柄頭が敵に指向し始めれば、統一されているが故に体も自ずと働きをなすべく動き始めます。
 柄頭が体を動かすといった感覚と説明してもよいかもしれません。
 工夫してみてください。

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  1. 2010/10/25(月) 21:25:09|
  2. 居合 業

抜付けから振りかぶりへ

 抜付けてから振りかぶるまでの運剱については何度かお話もし、講習会でも徹底的に稽古して頂いていますが振りかぶった時の手の内が不十分であるのを目にする事があるので記しておきます。
 かたちの上で抜付けは片手で行い、斬撃は両手で行います。問題は振りかぶる時に片手から両手への移行が不十分なため、斬撃の途中まで手の内が定まっていない事です。
 振りかぶった時に両手の内が甘く、隙間があるために臍下から切先までが一体とならず、刀という物体を振り回す動きになっています。
 これを修正するためには刀を持っていないときにも常にやわらかく両手の内が柄と一体となるイメージを持ち、手の内の稽古をする事が必要です。やわらかく必要最低限の筋肉の緊張しか要しません。手の内は赤ん坊が寝ている時に自然に指が曲がっている状態と同じように力は不必要です。
 実際に刀を持って稽古するときにはゆっくり動き、振りかぶった時にそのようなやわらかな手の内で臍下から切先までがつながっているかどうかを感じて斬撃を行うようにし、自分の手の内の感覚を繊細にするように心掛けてください。

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  1. 2010/10/26(火) 21:25:48|
  2. 居合 業

独妙剱

 無雙神傳英信流抜刀兵法の形稽古出は絶対に手順を追ってはなりません。手順を追う稽古は見事に見せる役には立っても不測の事態に応じることが出来ねばならない武術の稽古にはマイナスになってしまいます。
 特にこの手順を追う動きが出てしまうのが「独妙剱」です。
 「独妙剱」は打太刀が上段、遣方が下段で、間が接し遣方は間の外から斬り込み、打太刀は遣方が間に入ってくるところを一打ちに斬りおとします。このとき彼我の太刀が間近で接し鎬を削る状態となった瞬間、遣方は体を抜き柄頭で相手の顔にあてを入れます。
 ところが多くの人が遣方の動きを「斬り込み続けて柄当」と一連の動作として行っておられるのです。まるで現代剣道の二段打を練習しているかのように。
 これでは形による武術の上達は難しいのです。実際には彼我の太刀が鎬を削る状態になったときに敵はどのように変化するかは分かりません。そのまま力押しにしてくるかも知れず、後方に飛びさがるかも知れません。そのような状態に応じることが出来るためには遣方が斬りこんだ時には自分自身の動きもニュートラルな状態になければならないのです。
 このようなことは素抜き抜刀術でも同じで「向払」であらかじめ抜付けの後には太刀を返すと考えて動いていたり、また基本的な形でいえば「初発刀」のあとは必ず前に進んで斬撃をすると、あらかじめ考えていてはいけません。それでは生きた形にはならないのです。あくまでも仮想の敵が動くのでこちらはそれに応じて変化しなければなりません。
 形稽古は細い道を歩くようなものですから、一歩でも踏み外してしまうと道からそれてしまいます。

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/10/27(水) 21:25:29|
  2. 居合 業

檀中

 渋川一流柔術の礼式について以前も述べた事がありますが、礼式のなかで捕が受を押し返し、双方が胸前に両手を持ってきたときの位置があいまいな方が居られますので述べておきます。
 両手の指先は澁川一流での檀中に位置します。澁川一流でのと断わったのは同じ名称でも流派によって位置が異なるからです。
 檀中は胸に手をあてて心の奥底で思索する時や、神仏に手を合わせるときなど一番心が落ち着く位置です。礼式の時両手の指先の位置が檀中より下がってしまうと心が虚になってしまいますし、高くなってしまうと臍下を中心とした体が虚になってしまいます。両手の指先はどこでもよいということは無いのです。
 この理は無雙神傳英信流抜刀兵法においても業の中で用いる理です。稽古のときに会得してください。

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  1. 2010/10/28(木) 21:25:13|
  2. 柔術 業

陰陽進退

 陰陽進退で敵が脛に斬りこんできた時、これを表鎬にて張受けに受け止める動作の動き始めにもたつきが見られる事がありますので述べておきます。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の陰陽進退之想定は斬撃後「刀を右へ開き(開くとは血振ひの事)刀を納めつつ右膝を跪き納め終りたる所へ(別人が向脛薙付け来る)」ので、これを張受けに受け止めます。
 現実には別人が前に倒れている人物を踏み越えてくることは考えられませんので、あくまでも稽古の為の想定だと考えてください。
 さて想定は「刀を納めつつ右膝を跪き納め終りたる所へ」であって、形の上では連続して行っているように見えても、心の中では一区切りつきます。「一区切りつき」といっても気を抜くという意味ではなく、もとのニュートラルな状態に戻るという事です。次に敵が来るのでと考えながら刀を納めるのではありません。
 ここを「理解している。」と思われている方の多くが実は体では理解されていません。ニュートラルな状態になるどころか床に膝がつきそうになるにつれて次第に右手が僅かながら緊張し始めます。そして膝がついた瞬間に「行くぞ」とばかりに体に力を込め始められるのです。このような状態になってしまうので張受けがスムーズに行われません。
 張受けといっても、それは抜付けの動きの応用であって本質的に抜付けとかわる事はありません。「受けるぞ、受けるぞ。」と思って体に力を込めて受けるのではないのです。そんなことをしていたら自由に自分の脛を斬ってくる敵の動きに間に合うはずは無いのです。
 陰陽進退の受けがスムーズに行われるためには、納刀は腕や体に余分な緊張が一切無く、刀は肚に納まっていくことが絶対条件です。納刀の動作にいかにも敵を討ち取ったという見せる力みを込めてしまったら、次の敵には間に合わないのです。
 工夫してください。

 11月3日午前10時から明治神宮西参道芝地で日本古武道振興会の日本古武道大会が行われます。無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術も演武致します。お時間がある方はお越しください。

 11月14日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会のテーマは「澁川一流の居合」です。貫汪館ホームページを御覧になりどなたでもご参加ください。

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  1. 2010/10/29(金) 21:25:48|
  2. 居合 業

大石神影流奉納額(備後一宮 吉備津神社)

 福山市の新市にある備後一宮 吉備津神社は初代福山藩主水野勝成によって現在の社殿が築かれた由緒のある神社です。先月、珍しく暇がある時にふらっとお参りに行ってきました。雨が降っていましたので写真は暗いのですが、雰囲気は分かると思います。

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 手水鉢の廻りには不思議な雰囲気があり心が落ち着くところです。木製の神馬は江戸時代のものだそうで答辞のものが残されているのは文化的にも珍しい事だそうです。
 下の左側の写真の神社は櫻山神社といい、後醍醐天皇の時代に楠木正成に呼応して兵を挙げた櫻山茲俊を祀っています。楠木正成が戦死したとの誤報により、将兵が去り最後は自刃したといいます。
 下の右側の写真の手前が神楽殿、奥が拝殿で拝殿には多くの絵馬がかけられています。
 
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 下の写真の奉納額のなかに大石神影流の流名が書かれています。大正10年に奉納された額で流派名には神影自得流,大石神影流,真妙流とあります。神影自得流剱術と真妙流柔術については聞いたことがありません。神影自得流剱術の自得という名前からして大石神影流と他流派から会得した新たな流派が何時の時代かに生まれていたのかもしれません。
 この奉納額の特徴は先生の顔写真があることです。講武館 高尾貫之先生と記されています。大正10年というと現代武道が大きな力をもってきていた時代です。どのように流派武術と現代武道の剣道・柔道などと折り合いをつけていたのでしょうか。現代武道化していたのか、あるいは流派武術としての特徴を失っていなかったのか。興味深いところです。
 額には普通の木刀のほかに、普通の素振り用の木刀にさらに鉄の板を打ち付けて重くしてある素振りのためと思われる木刀がかかげられています。大石神影流は力を重視していませんので独自の稽古法が講武館にはあったのでしょう。

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 明日に続く

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

 11月3日午前10時から明治神宮西参道芝地で日本古武道振興会の日本古武道大会が行われます。無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術も演武致します。お時間がある方はお越しください。

 11月14日(日)に貫汪館居合講習会を行います。今回の講習会のテーマは「澁川一流の居合」です。貫汪館ホームページを御覧になりどなたでもご参加ください。

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  1. 2010/10/30(土) 21:25:32|
  2. 武道史

大石神影流奉納額-2 (備後一宮 吉備津神社)

 昨日は吉備津神社の奉納額について記しましたが、この額にある大石神影流はどのようにこの地方にもたらされたのでしょうか。明治時代には人の移動が江戸時代以上に進みますので、あくまでも推定に過ぎませんが考えてみます。
 実は福山藩には大石神影流を柳河に赴いて修行した人物が8名もいるのです。これを多いと見るか少ないとみるかは議論が分かれるところだと思いますが、保守的と考えられる福山藩が8名で他流試合の開始に大きく出遅れた広島藩は0名です。剱術に関しては広島藩は保守的でした。
 福山は武術に関してはかなり先進的です。土佐の武市半平太が西国の廻国修行をしたときの英名録に他藩は流派名と師範名・門人名が記されていますが福山藩は流派名はなく藩校の名前である誠至館と記され、試合の相手の名前が記されています。その部分だけが異質です。福山では早くから流派にとらわれない稽古が行われていたという事になります。
 下の写真は大石神影流の『諸国門人姓名録』の福山藩に関係する部分です。
 調査しなければはっきりした事は分かりませんが、これらのうちの人物の一人が奉納額の高尾貫之につながるのかもしれません。興味深いところです。

  イメージ - 福山藩門人

 明日も吉備津神社の奉納額について記します。 

 11月3日午前10時から明治神宮西参道芝地で日本古武道振興会の日本古武道大会が行われます。無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術も演武致します。お時間がある方はお越しください。

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  1. 2010/10/31(日) 21:25:37|
  2. 武道史

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