無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

大嶋流 砂土原友衛 ((武道史調査5日目の1)

 飫肥の駐車場で朝起きてしばらく時間がありましたので小村寿太郎の墓地を見てきました。小村寿太郎は日露戦争の時ポーツマス条約を調印した人であり、欧米との間の関税自主権を回復した人です。飫肥には小村寿太郎の記念館もあり江戸時代末期の飫肥藩がどのような教育をなしたのかがわかります。

        23小村家墓地    24小村寿太郎墓

 午前9時、飫肥の学芸員の方に導かれて砂土原家にむかいました。砂土原家の先祖砂土原友衛は柳河の加藤善右衛門に入門して免許を授かった人物です。加藤善右衛門は大嶋流の免許に当たって発行する伝書の数を少なくしたようで砂土原友衛は免許の時に3巻授かっていますが、他の伝書は書き写させてもらったようで写本も多く残っていました。写真は免許の時の伝書の一部です。

   25砂土原友衛伝書

 大嶋流関係の古文書の多くはすでに写真を撮っていただいており、そのデータをいただき大いにたすかりました。文書の中に「列国槍手名字簿」という英名録がありました。廻国修行した時に試合相手の名前を書いてもらう帳面です。この中に諫早の藤原左右一の名を見つけました。藤原左右一は加藤善右衛門の門人で諫早でも大嶋流を教授しており、廻国修行に東北にまで至っている人物で詳細な日記は郷土史家によって刊行されています。しかし、試合を行った当時は姉川流 田中権助の門人であったということがわかりました。

  27列国槍手名字簿 26藤原左右一
 その他初めて見る山本無邉流の伝書や大円鏡智流の伝書などもあり、興味深い時間を過ごしました。絵伝書に描かれた構えを見て自分の至らなさを知ることが出来ます。
 午前中で資料の閲覧と写真撮影を終え、午後は飫肥の観光をしました。

  28山本無邉流1
29山本無邉流2


 貫汪館HPの無雙神傳英信流抜刀兵法 稽古のページに9月12日(日)の居合講習会のご案内をのせました。今回の講習会のテーマは奥居合・・・「立つ事」です。HPを御覧になりどなたでもお越しください。 

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/09/01(水) 21:25:38|
  2. 武道史

飫肥の町(調査5日目の2)

 飫肥の町を訪れたのは5年以上前にZRX1200Sで正月に鵜戸神宮参拝に行ったときと、今春の宮崎観光、そして今回で3度目です。写真で雰囲気だけを感じてみてください。飫肥では、1000円で6つの施設に入館でき、また飫肥の町のお店を選んでで5つのお土産をもらえる特典が付いたとてもお得な「食べ歩き・町歩き」というマップを販売しています。一部しかスキャンできませんでしたが写真のようになっていて裏面は選べるお店がたくさん載っています。私は「ギャラリーこだま」のお団子と「スーパーとむら」の羽身のとむら焼き等をいただきました。「スーパーとむら」の羽身のとむら焼きは前回もいただきましたがお勧めです。

       飫肥1   飫肥2

     団子   とむら焼き 

 飫肥はいつ来ても落ち着いた町で、これくらいの町が住みやすくていいなと感じれるところです。
さて写真は飫肥城の門と今は空掘となっているお堀そして城内です。
31門 32掘
33城内1 34城内2

 次の写真は藩校の振徳堂と八幡神社の樹齢400年以上ある大楠です。生命力を感じます。
      35飫肥藩校   36田上八幡大楠

これは飫肥藩の上級家臣の伊東伝左衛門家です。現代人の家と比べると武士の家はどこへいっても質素です。
          37伊東伝左衛門

 ここは明治二年に建てられた藩主の邸宅です。帰りには鵜戸神宮と青島に参拝しました。
               38別邸
39別邸2 40別邸2


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  1. 2010/09/02(木) 21:25:01|
  2. 武道史

鵜戸神宮,青島(調査5日目の3)

 鵜戸神宮に参拝したことが機縁となり、大石神影流の研究が始まり、さらには大石神影流をお教えいただくようになりました。世の中には不思議な縁があるようで、何かがきっかけとなって縁が結ばれ物事が動いていくということがこの歳になって感じられるようになりました。
 写真は鵜戸神宮です。
41鵜戸1 42鵜戸2
43鵜戸3 44鵜戸4

 神主さんにお話を聞いたら、愛洲移香斎がこもった当時はこんなに大きなお社はなく、神仏習合の時代で小さなお堂であったということでした。愛洲移香斎は一番奥まったところに茣蓙を敷いていたのだろうというお話でした。奥まったところが一番心が静まるところで心の奥の奥で何かを感じることができる場所だと感じます。
 何か鳴く声が聞こえるので虫かと思ったのですがよく聞いてみると声は天井のほうから。蝙蝠たちがいました。ふと愛洲移香の頃にも蝙蝠がいたのだろうかと思ってしまいました。
45奥 46蝙蝠

 鵜戸神宮のあとは青島へ。青島に初めて来たのは中学校の修学旅行の時です。ここを訪れるのは5回目ですが島の持つ雰囲気には飽きることがありません。
47青島1 48青島2
49青島3 50青島4

 青島には様々な植物があります。
 青島を出からは一路廿日市へ。午後12時過ぎなければ高速道路は深夜料金になりませんので時間の調整をしながら。
51植物1 52植物2
    53植物3        54植物4
55植物5 56植物6


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  1. 2010/09/03(金) 21:25:04|
  2. 武道史

高槻藩士藤井又一の槍術修行について

 昨日、日本武道学会第43回大会で発表したプログラムに載せた私の抄録を載せます。槍術修行に関しての発表ですが、江戸時代後期には防具着用の試合稽古が盛んであり、試合稽古に秀でていた柳河藩の加藤善右衛門のもとには西日本を中心とした全国から入門者が集ります。また加藤善右衛門の門人で他藩に請われて滞在して教授した者も多くいますので、加藤善右衛門の試合槍術における日本全体への影響は相当に大きかったものと考えます。

高槻藩士藤井又一の槍術修行について
―柳河藩伝大嶋流槍術の高槻藩への伝播― 

Ⅰ はじめに
 藤井又一(1836~1915)は高槻藩士藤井竹外の長男として生まれ、以下のように武術を修行した。
嘉永3年、高槻藩石田松助に入門し大坪流馬術を学ぶ。
嘉永5年、高槻藩山本権右に入門し新陰流剱術を学ぶ。
嘉永6年、高槻藩鈴木久太郎に入門し無邊流槍術を学ぶ。
嘉永6年、高槻藩澤路六郎に入門し渋河流柔術を学ぶ。
嘉永6年、高槻藩若林泰治郎に入門し荻野流砲術を学ぶ。
安政2年、大坂玉造岡渡に入門し佐分利流槍術を学ぶ。
安政4年、柳河藩加藤善右衛門に入門し大嶋流槍術を学び安政5年9月に免許皆伝を授かる。
 本研究では柳河藩大嶋流槍術師範加藤善右衛門のもとでの藤井又一の修行中の日記3冊をもとに当時の槍術稽古の状況について明らかにしたい。

Ⅱ 日記の内容
1.『修行廻国中日録』・・・二度の廻国修行の記録
 (1)安政4年10月25日に柳河を出発し以下の場所で試合を行い12月4日に柳河に戻る間の記録。
柳河→熊本→延岡→高鍋→砂土原→清武→飫肥→人吉→熊本→柳河
 (2)安政5年4月6日に柳河を出発し以下の場所で試合を行い5月18日に柳河に戻る間の記録。
  柳河→久留米→佐賀→鹿島→諫早→島原→大村→平戸→唐津→福岡→柳河
2.『槍術稽古志録』・・・柳河滞在中の記録
 安政4年1月18日から12月5日までの記録。一部は『修行廻国中日録』と重なる。
3.『記録』・・・柳河滞在中の記録
 安政5年5月19日から9月30日までの記録。

Ⅲ まとめ
 廻国修行中の試合において他流派との試合であっても特に困難を感じていない。久留米で「此所仕口コスキ」、また大村で「大ニコスキ仕口也」という感想を記しているのみである。安政4年頃には九州において流派をこえたほぼ共通の試合形式が整っていたと考えられる。
 柳河では形稽古に関しての記述は見当たらない。稽古の大半が防具着用の試合稽古であったと考えられる。




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  1. 2010/09/04(土) 21:25:01|
  2. 武道史

槍術の組打

 昭和五年に刊行された東京史外篇第三『講武所』は幕末の幕府の武術の学校である講武所について知る事ができる興味深い書です。その中に槍術について以下のような記述があります。当時の防具着用での沿う術之試合を知る事ができる面白い記述です。

「 武術の型を排して試合を主とした講武所の稽古には、熱烈個人の道場では到底見ることのできないものがあつた。教授方駒井半五郎の門下で宝蔵院流の鎗をよく遣ふ井戸金平といふ當時三十格好の武芸者は、試合の度に穂先二尺ばかりにして敵手の手元へ附入り、突差に足搦で敵を倒すのに妙を得で居た。教授方は何れも此手で負を取るので苦情の絶えたことはない。其都度金平は何時も実戦の勝敗を口にして決して故障を取合はなかつたから、教授方に取つて金平は頗る苦手であつた。教授方吉田勝之助が手合を申込まれた時などは、無論吉田に勝目がなかつたので、統裁久貝因州がこれを宥めて僅に事なきを得た有様であつた。足搦の奥手は兎も角もとして、実際の技量も凡ならざるものがあつたから後井戸は教授方世話心得を命ぜられて大に威を振つて居た。四月二十七日教授方高橋謙三郎が出勤した。謙三郎は彼の伊勢守、三舟の一人なる泥舟壮時の名で、鎗を取つては常時天下一と呼ばれた名人である。金平は斯と見るより直に高橋に試合を申込んだ、天下一の称ある高橋を倒せば、取りも直さず自分は天下一に成る訳であるから、例の足搦で敵を倒すつもりで懸つた、所が元より高橋もさる者、豫て金平の奥手を聞知つて居たから、十二合槍を合せた末、忽ち足搦で金平を投倒した。思ひも寄らぬ敗を取つた金平ほ、今日ばかりは稽古に相成り、難有仕合でござると平伏したと云ふ、以来足搦は廃したと伝へられてゐる。」

 槍のよううに長いものはなかなか組打にはなりにくいため、その状況になれていない多くの師範は足搦に負けをとったのでしょう。もし槍術の師範が槍術と同程度に柔術も遣えていたらどうだったでしょうか。

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  1. 2010/09/05(日) 21:25:46|
  2. 武道史

槍術の試合の様子

 昨日は講武所での槍術稽古における組打の様子を読んでいただきましたが、今日は藤井又一の槍術の廻國修行日記に記された安政5年4月7日の久留米での試合の様子を読んでいただきます。

「同七日 精天
今朝別レ長藩・吉田藩出立ス、此頃□ノ下水天宮政ニ而神谷杢同道ニ而参詣ス、昼後八ツ時分より井上弥左衛門門人迎ニ来、行、其より式合、調子不出来、組打一度ス、我足ニ而コセ勝也、此所仕口甚コスキ、腹巻下リ突引上、仕口不宜、上手矢野傳左衛門ト式合、八本内六本突也、夕方相済、其夜越後長岡藩長谷川哲之進學問遊歴ニ而相宿也、其夜酒會ス」

 原文をそのまま解読していますのでカタカナが混じり、また他人に読ませる為のものではないため読みにくいのですが、大意は
「同宿していた長州藩士と吉田藩士は出発した。水天宮で祭りがあったので神谷と参詣した昼過ぎに妙見自得流の井上弥左衛門の門人が迎えに来たので言って試合をした。自分の調子は良くなかった。試合中に組打を一度し、足をかけて倒した。井上弥左衛門門下の試合の仕方はとてもこすい。腹巻(胴)の下を突いておいて引き揚げる。やり方が良くない。遣い手の矢野傳左衛門と試合をした。八本のうち六本は自分が突いた。夕方に試合は終わった。その夜、学問修行のため諸国をめぐっている越後長岡藩の長谷川哲之進と同宿となった。酒盛りをした。」

 当時は試合と言っても審判はありませんので自分自身の判断によります。こちらの基準では自分が突いたと思っていてもむこうの基準では向こうが突いたと思っているかもしれません。
 槍術の流派が残らなかったのは、各藩とも幕末になると槍術を不要のものとして藩校での教授を廃したことが大きかったと思います。小銃を手にした場合刀は腰にあっても槍を持つことは不可能だったからです。
しかし、もし槍術が剱術のように明治まで命脈を保っていたらどうなったでしょうか。審判が出来、ルールが定まってしまうと実際の戦いとは無関係のスポーツ化が一気に進んでしまいます。

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  1. 2010/09/06(月) 21:25:52|
  2. 武道史

中心で

 斬撃の時に上半身がぶれてしまうのは未熟なためなのですが、その未熟さを隠そうとして下半身を固めて踏ん張ってしまうのは未熟の極みです。
 ぶれてしまっていれば、その原因を追求しようと工夫が始まるのですが、下半身を固めて踏ん張り上半身をぶれなくしておいて、自分の下半身が鍛えられていると考えるようになってしまったら進歩も上達もありません。
 そもそも斬撃で上半身がぶれるのは、上半身と下半身を統合する臍下を中心として動いておらず、肩から先の上半身で刀を動かす下手な動きをしているからであり、武術的なセンスのない鈍い人はそのような動きで反動が来る事を力強いと感じ、さらに反動を下半身を踏ん張る事によって打ち消すという武術的な視点から見れば全く不可とされる動きを心地良く感じるのですから、言う言葉がありません。
 下半身を踏ん張ってしまえば、居付いてしまい、その瞬間を斬られてしまったらどうする事も出来ません。剣舞のような美しさを求める方はそれで良いのかもしれませんが、居合は素人によって外形の美しさを判断してもらうような舞踏ではありません。
 おかしな道に入ることが無いよう歩み続けてください。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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  1. 2010/09/07(火) 21:25:40|
  2. 居合 総論

柄手

 居合が武術である以上、起こりを見せてはいけません。起こりが見えればそこを斬られてしまいます。まず初めに爪先を立てて動きやすいようにしてなどという動きは論外として、起こりがみえ易いのは柄手の動きです。特に柄手が柄に接する時に少しでも柄を保持しようという気持ちが起こったときにそれは外に現れる動きとしてはっきりと見てとられます。
 無雙神傳英信流の抜付けは敵の殺気を感じてこちらから先に抜付けるといったものではなく、敵が自分に斬りこもうとするので抜きつけます。自分を斬ろうとする敵にとって柄手の動きがはっきりと見てとれれば柄手に切り込んでくるのは当然のこととして考えなければなりません。
 所謂柄手の掛りは柄はあたかもそこに存在していないかのように、滞りなく敵に対し働くだけです。柄を取って、あるいは柄に手を掛けて抜付けるという意識や動きがあってはこの働きはできません。
 見方を変えて言うならば腰にある刀は体と別物ではなく、抜こうとする前からすでに体と一体である故に柄手に変化は起こりません。
 しっかりと工夫してください。

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  1. 2010/09/08(水) 21:25:35|
  2. 居合 業

御膳捕

 以前にも述べていますが「御膳捕」は全く派手さもなく、動きも少なく下手をすればこんなことは誰でも出来ると思われがちな形ですが、「鯉口」「居合」の前に稽古すべき非常に大切な形です。この形を疎かにしていては「鯉口」「居合」ができないだけでなく柔術の業のレベルも上がる事はありません。
 簡単に成すべき事を述べておきます。
 
 受の右手が自分の左膝に置かれたときに相手の全てを感じ取る事。
 受の手を戻す時には確実に人文の重心が相手の重心よりも下にあること。
 技をかけるときには最初に自分の手が接した時点で受を制している事。とって技をかけるでは遅すぎます。
 もっと言えば受が動きを起こそうとした時点で受を制していなければなりません。

 以上の工夫が「御膳捕」で出来なければ「御膳捕」の稽古は無意味になってしまいます。

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  1. 2010/09/09(木) 21:25:16|
  2. 柔術 業

違捕

 「違捕」は立ち技で絞められるのを脱する技であるためか、絞められるまで棒立ちして待っている方をよく見ます。履形や吉掛のような相手が突いてくる形であればその動きに対応するために棒立ちにはならず、初めから体の備えができている方でさえそうなっているのですから不思議です。
 絞め技も上手な人であれば瞬時にして絞め落とされてしまいますので履形や吉掛のように受が突いてくる形と同様に油断して待っては居られません。
 したがって受の手が伸びてきたときには対応できなければならないのです。形であるので絞められるという状態を作りますが、実際には絞められる状態になる前に対応できていなければなりません。
 思い違いはされないでください。 

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  1. 2010/09/10(金) 21:25:53|
  2. 柔術 業

気合

 澁川一流柔術では受も捕も相手に仕掛ける時には気合をかけます。最近気合が小さく気合の意味をなしていない方が多いように思います。そしてそのような方には頭で考えて動いて、手順を追っている人が多いようです。
 いつも述べていますが頭で考えて動いたときには外側ばかりを作ろうとするために臍下から動いておらず、小手先で技を掛けようとしているために本当の動きはでず、技も効ききません。
 臍下から大きく気合をかければ自然に臍下中心の動きとなり、意識しなくても動きは調い技は効き始めます。しかし、中途半端な気合は中途半端な動きしかもたらす事はなく、内にこもった動きにしかならず自分の動きは相手に通じません。
 たかが気合と思わず、工夫して稽古してください。

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  1. 2010/09/11(土) 21:25:59|
  2. 柔術 総論

居合講習会 奥居合・・・「立つ事」

 本日、無雙神傳英信流抜刀兵法の講習会を行いました。今回のテーマは奥居合・・・「立つ事」として立業の稽古を行いました。
 居合は座業から稽古し始め、下肢を自由に働かせるために下肢を使わぬ稽古をします。所謂「しっかりふみしめる」とか「下半身を固める」などという質の低い動きを体から追い出し自由になる稽古をした後に立業に移行するわけです。
 したがって居合の立業における「立つ」と言うことは日常生活の延長ではなく、日常生活の立ち、歩くという動きよりもはるかに高い質の動きになっていなければなりません。
 英信流奥の立業ではそのような質の動きを求められる上に想定も特殊であるために体得しがたい面があります。稽古では想定を説明し、鞘木刀を用い相手をつけて形の手順を具体的に見ていただき、さらに皆さんにも鞘木刀で想定を確認していただき、奥居合の立業の稽古を行っていただきました。
 今回の講習会に参加していただいた皆さんは今までにも貫汪館の講習会に参加してくださった方であり、座ることの意味をよく理解・体得されていたため、上記の立つ事の理がよく理解されており奥居合立業も無理なく上達しておられたように感じました。有意義な講習会であったと思います。
 次回は澁川一流柔術の居合・半棒術等を11月14日(日)に稽古する予定です。

 久留米での稽古を9月18日(土)18:30~20:45(北野体育館),19日(日)9:30~16:00(於:筑邦市民センター多目的ホール)で行います。興味のある方は無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページに記されている連絡先へ御連絡ください。
  
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  1. 2010/09/12(日) 21:25:50|
  2. 居合 総論

講武所の武術家

 幕府の武術の学校であった講武所には槍術・剱術は勿論、様々な武術を得意としたものがいたようです。以前紹介した『講武所』という本には和宮東下の際の道中警護にあたった講武所の武士の武術名と人名が載せられています。
 警護野武士合計50名が大きく「槍術並弓術兼」と「剱術砲術兼」に分類分類されており、「槍術並弓術兼」には27人の人名が載せられ、「剱術砲術兼」には23名の名前が載せられています。さらにそれぞれの人名の上に武術名が記されて「兼」と記してあり、大きな分類のほかに得意とした武術が記されています。

 「槍術並弓術兼」27名の分類では
   剱術兼・・・5名
   両刀兼・・・1名
   砲術兼・・・3名
   馬術兼・・・2名
   兵法兼・・・1名
   長刀兼・・・1名
   柔術兼・・・3名(柔術世話心得を含む)
   手利剣兼・・2名
   強弓兼・・・1名
   軍学兼・・・1名
   棒術兼・・・1名
   強 力・・・1名
   水連兼・・・1名
   修行人・・・1名
   半弓兼・・・1名
   三ツ道具兼・1名
   無記入・・・1名

 「剱術砲術兼」23名の分類では
   鎌 兼・・・2名
   馬術兼・・・3名
   長刀兼・・・2名
   砲術兼・・・4名
   手利剣兼・・2名
   軍学兼・・・1名
   弓術兼・・・1名
   柔術兼・・・1名
   水連兼・・・1名
   修行人・・・1名
   棒術兼・・・2名
   強 力・・・1名
   強弓兼・・・1名
   無記入・・・1名
  
  修行人とは講武所で修行中の者でしょうが、選ばれていると言う事は相当な腕であったということです。
 軍学と兵法の違いは良くわかりません。また強力とは荷物運搬人のことでもないと思いますが、不明です。

 ほとんどの武士が記されているだけでも三種目の武術は得意であったわけで、以前述べたように一行専修ではありません。趣味や教養としての武術ではなく、実際に身を守り戦う為の武術であったわけですから、これはできるがこれは出来ないので・・・といういい訳ができる時代ではありません。
 
 貫汪館HPの無双神伝英信流抜刀兵法の行事のページに居合講習会の写真を載せました。御覧下さい。

 久留米での稽古を9月18日(土)18:30~20:45(北野体育館),19日(日)9:30~16:00(於:筑邦市民センター多目的ホール)で行います。興味のある方は無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページに記されている連絡先へ御連絡ください。
  
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/09/13(月) 21:25:57|
  2. 武道史

日本武道学会第43回大会 雑感ー1 

 明治大学泉キャンパスで行われた日本武道学会第43回大会での雑感を述べます。
 現代剣道の二刀について剣道指導の手引き「二刀編」というものについての検討過程についての発表がありましたが、その中で奇異に感じた事を述べます。
 検討事項の中で古流との兼ね合いというものがあったそうなのですが、これについては「竹刀剣道として捉える」ということになったそうです。一刀でも竹刀剣道であり、古流という観点はないのでこれでよいのかもしれません。
 次に柄の握り位置については「柄頭を原則握る」ということになったそうです。「竹刀剣道として捉える」という事ですので、江戸時代の流派武術のように両刀とも鍔元をもつという事はせず、少しでも遠くから打てる柄頭を握る事に下のでしょう。
 しかし、ここで矛盾があるのはよく言われる「剣の理合」とか「剣の理法」というものです。「竹刀の理法」と言うことでしたら「柄頭を握る」こともよいのでしょう。しかし、「剣の理合」とか「剣の理法」といった場合には二刀の場合に柄頭を握るのは無理があります。
 いずれどこかの時点で、「剣の理合」とか「剣の理法」という言葉は変えなければならない状況になっているのではないかと思います。

 日曜日に写した家の壁にいた蟷螂です。体の色が秋らしくなっています。その次の写真は藍の葉にとまるバッタです。今年は藍の種があまり発芽しなかったので、藍の生葉染は出来ませんでした。種が出来るのを待ち、来年再度植えようと思います。藍の葉はやわらかいためか、バッタによく食べられています。

 蟷螂DSC_0089

 藍ばったDSC_0098
 
 
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  1. 2010/09/14(火) 21:25:18|
  2. 武道史

日本武道学会第43回大会 雑感ー2

 学会での発表には杖道を学校体育にという発表もありました。
 発表の趣旨は全日本剣道連盟杖道の12本の形を授業でというものでした。そしてその説明の中に、杖道の試合は、2組の出場者が、規定の術技を仕打交代して演武し、その「充実した気勢」、「正しい姿勢」、「正確な打突と打ち込みの強弱」、「間合と間」、「礼法」などを審判員が判定して勝敗を決する。という説明がありました。
 文章だけを見るとそういうものかと納得しましたが、途中で本年の日本武道館の鏡開きでおこなわれた杖道の演武が放映されました。そして愕然としました。「充実した気勢」、「正しい姿勢」、「正確な打突と打ち込みの強弱」を見せるためかどうか不明ですが、動きのたびにためを作り、体を力ませて打ち込むので武術的な「間合と間」という最も大切なものが存在していませんでした。
 木刀を遣う者は、杖で打ち込まれるのを待ち、杖を遣う者はしっかりタメを作っていかにも強く打ち込まれます。そこには自由であるはずの武術は存在していませんでした。たしかに素人目に見れば正確で力強くて充実した気勢があるのでしょう。しかし、武術的な視点から見れば敵に自由に応じることが出来ない動きは全く無意味です。いかに強く正確に打てても敵に斬られてしまっていてはどうにもなりません。演武では刀は待ってくれていましたが、実際には自分を斬ろうとして自由にかかり待ってはくれません。
 自由さを失った武術ではないような武道がはたして「伝統的文化性の理解と修得」に役立つのか大きな疑問をもたざるを得ませんでした。
 宮島で流派武術としての杖術を見慣れていたためかもしれませんが、いつも見慣れた杖術との差は非常に大きなものがありました。 


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  1. 2010/09/15(水) 21:25:22|
  2. 武道史

日本武道学会第43回大会 雑感ー3

 古式の形の平均演武時間に関する研究もありました。
 平均演武時間は509秒だそうで、結論は平均演武時間の演武は教本に書いてある動作と理合に沿った場合であるとおもわれる。そして技だけでなく心の状態まで演武で表現されたものと思われる。換言すれば相手をいかに倒すかという手段として捕らえられていた術技が、起倒流において己の心を開明するという主目的となったことが古式の形の深遠さであろうと思われる。とされていました。
 ふと疑問に思ったのは、形は受け継がれるものであり、全く模範演武を見ずに教本だけを読んで形の稽古をするものはいないということです。もともとは嘉納治五郎が演じた古式の形がモデルとされ、それを高段者がお手本として後世に伝えているのですからモデルが存在するのです。平均時間はモデルとなるものがあったために起こったことであり、それは動作と理合に沿った場合という事ではなく、理想とされるモデルがほぼ共通であったからという事に過ぎないのではないでしょうか。
 言葉を変えて言えば形の伝承という意味で、伝承の機能が正しく働いているという事なのだと考えます。

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  1. 2010/09/16(木) 21:25:24|
  2. 武道史

日本武道学会第43回大会雑感-4

 学会で奇異に感じたことの一つは嘉納治五郎の柔術観です。発表者の資料のみで原典をあたっていないので確信はありませんが、ある発表者の資料にはこのようにありました。

 嘉納は明治22年柔術を「無手或は短き武器を持っている敵を攻撃し又は防御するの術」と定義した。

 また別の発表者の資料にはこのようにありました。

 嘉納は1889(明治22)の大日本教育会の席上において「柔道一斑並ニ其教育上ノ価値」と題した講演を行い「体育法」「「勝負法」「修身法」の3点から柔道の教育的価値を訴えた…中略…「勝負法」では「肉体上人ヲ制シ人ニ制セラレザル術ノ練習」であると説いており

 
 ここに見るように嘉納治五郎は第一義的に柔術を「敵を攻撃」する術と捉え、また柔道の勝負法も「人を制する」術と捉えているようです。この点に私は大きな疑問をもつのです。
 柔術のほとんどの流派の形は敵に攻撃を受けるのでその攻撃から自分を守るように組み立てられています。無刀捕りなどはその最たるもので、こちらが無手の状態のときに敵に刀で斬りかかられるのでこれを制する形で、多くの柔術の流派にこの形は存在しています。自らあえて素手で刀を持つ敵を攻撃するわけではありません。
 こちらから相手を制しに行くのは「捕手」つまり捕り方の逮捕術であって、それをも柔術に含むとしてもごく一部の流派に過ぎません。
 嘉納治五郎は柔術をスポーツ競技とする事に主眼を置いたので、あえて柔術にまでそのような間違った定義づけをしたのではないでしょうか。だいたい、刀を腰に差している時代に、捕り方でもないのに自ら丸腰で相手を制しに行く必要もなく、刀に対しては刀で対するのが自然です。
 あるいは嘉納治五郎という人物は柔術の形をまともに研究した事はなく稽古方法の一部の乱取のみをみて「敵を攻撃し」と定義づけたのではないでしょうか。柔術に対してあまりに失礼な嘉納の定義づけです。
 学会では嘉納治五郎の批判はタブーとなっているように見えますが、嘉納治五郎を神聖視していては本当の歴史も見えてこず、嘉納の誤った定義づけも何時までたってもそのままになってしまいます。
 

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  1. 2010/09/17(金) 21:25:04|
  2. 武道史

鳥取武道史調査-1

 先月の17日、鳥取市に武道史調査に行きました。鳥取は広島から遠く、高速道路を使っても休みながら行くと5時間近くかかってしまいます。鳥取までは時間だけで言えば京都よりも遠いところです。ZRX1200Sで行きましたが往復670kmもありました。お金の節約のため高速道路を深夜料金で走らなくてはならないので朝4時には高速道路に入りました。
 調査の目的は河田佐久馬です。大石神影流の諸国門人姓名録には二代目大石進が在坂中に頼み込んできたので門人にすると記されています。元来、長府の多賀虎雄の門人であるとも。この事実を調べにいったのですが、結局は何も分かりませんでした。明治維新以前の河田に関する資料が残されていないためです。
 河田佐久馬は鳥取藩を勤皇にかえる為に佐幕であった重臣達を22人で襲って殺したテロリストです。戊辰戦争で活躍し維新以後は官職についていますが、私自身はこのような人物は好きではありません。剱を専門にした人が、その剱をテロに用いる事は好みません。
 もともと河田佐久馬は一刀流河田派を祖父から習っていたようですので、箔をつけるためだけに大石進に入門したのだと思います。調査のために初めは鳥取県立図書館へ行き、次に鳥取県立博物館へ行きました。
 鳥取県立図書館の前には立派な門がありますが、これはもともと2千石の箕浦近江宅の門であったものを移築したということでした。写真は門の表と裏です。
   門1   門2

 鳥取県立図書館の郷土資料を調べていくと、河田佐久馬のテロが行われたときの状況と、テロリストのうち5人に仇討ちをしたときの武士が語った事を記した文章がありました。状況が生々しく記されていますが武術を稽古するものは知っておいたほうがよいことですので、後日、この道標にのせます。
 鳥取県立図書館で調査していた時、鳥取はあの荒木又右衛門がなくなった地であることを思い出し、お墓に行ってみました。写真はお寺の門と駐車場です。
     玄忠寺門   玄忠寺横

 荒木又右衛門は大きな自然石、その横にはそれ以降の荒木家代々の墓石があり、子孫には又右衛門を名乗ったものもあったことが分かります。荒木又右衛門には男子はなかったようですが鳥取藩が娘に養子を取らせたようです。

説明板   荒木又右衛門墓   荒木家墓

 お寺には資料館があり、荒木又右衛門が鍵屋の辻の決闘で用いて木刀に打ち折られたという二尺七寸七分の来金道の刀や脇差が展示されています。・・・脇差といっても2尺を越えていますので戦場で用いるはき添えの太刀といったところでしょうか。また、そのときに着用していたという鎖帷子も展示されています。写真撮影を許可していただきました。

    折れた刀1   折れた刀2

             脇差   鎖帷子

 荒木又右衛門は柳生新陰流という話もありますが、諸説ありよく分からないのが真相の様です。一説には柳生宗矩の弟子、また三厳の弟子ともいい、お寺の説明板には柳生兵庫の弟子とありました。 父から中条流を学び叔父の山田幸兵衛から神道流を学んだともあります。大和郡山藩の剱術師範であった事が伝えられています。
 鍵屋の辻の決闘の後、荒木又右衛門の刀が折れたことについて戸波又兵衛が決闘に折れ易い新刀を持っていくとはと批判したという事を聞き、戸波に入門して剱術と刀について学んだという事は真実のようです。
 現代ではその流派の座法も知らないのに(似非)宗家を名乗ったり、形だけが伝えられて正式な相伝を経ていないにもかかわらず事実を隠して突然自分の代から宗家を名乗ったり、江戸時代にその藩には伝えられていないのに藩のおとめ流の宗家と名乗ったり、肩書きばかりを飾る人が多いのですが、荒木又右衛門の求める姿勢は本物であると思います。
 玄忠寺には沢山羅漢さんの襖絵があります。

  寺一   寺二   寺3


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  1. 2010/09/18(土) 21:25:40|
  2. 武道史

鳥取武道史調査ー2

 荒木又右衛門のお墓を見た後は、鍵屋の辻の決闘の主人公である渡辺数馬のお墓に参ってきました。荒木又右衛門は助太刀ですから。お墓は興禅寺の裏手の山にあります。
 興禅寺

 渡辺数馬のお墓にいたる前に荒木又右衛門の石碑がありました。そして少し行くと松田秀彦の石碑も

      荒木石碑   松田石碑

 荒木又右衛門については昨日少し述べましたが、松田英彦については知っておられない方も多いと思います。雖井流剱術、新陰疋田流槍術(疋田流とも)、疋田流長刀、大坪流馬術、日上直明流柔術、楊心流柔術をよくした人で戊辰戦争に従軍、西南戦争にも従軍し昭和14年に88歳で亡くなっています。戦前の大日本武徳会から槍術範士・薙刀教士・剱術教士を授かっています。
 かって松田英彦が新陰疋田流槍術の演武を行ったところそれを観ていた他流の槍術の先生が「これで自分のものになった。」と言い、後日新陰疋田流槍術の演武をした事があったそうです。それをみた槍術研究家の島田貞一先生が「そんなことは止めなさい。」と注意されたということを友人から聞いたことがあります。
 ほとぼりが冷めたら、また演武をするのかもしれません。
 松田秀彦の石碑から少し右に行くとそこには鳥取藩に新陰疋田流を伝えた猪多伊折佐の墓がありました。新陰疋田流の刀槍の術を伝えていたようです。鳥取には幕末まで独自の流派が多く残っています。これは山陰の地にあって山陽の各藩ほど廻国修行の者も訪れなかったためではないかと思います・
 説明版をお読みください。すぐそばに渡辺数馬のお墓がありました。

真理8

    いだ4   わたなべ

 お参りした後、鳥取県立博物館へむかいましたが、ここではよい資料を見つけることはありませんでした。すぐそばに大正天皇が皇太子の時に滞在するために昭和40年に建てられた仁風閣という美しい建物がありましたが時間がなく入ることが出来ませんでした。また博物館の北には鳥取城の石垣が残されています。

          仁風閣    城.DSC_0057

 帰りはお金を節約するために、鳥取から一般道を松江に走ました。松江で仕事を終えた竹本師範とお話をしてから、無料となっている山陰道を走り途中から一般道へ。三次から高速道路を走りましたが、途中で何度も睡魔に襲われ、休みながら帰りましたので帰着したのは午前1時頃でした。朝3時半に起床し、4時前に高速に乗り、丸一日。さすがに体には無理があったようです。 

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  1. 2010/09/19(日) 21:25:53|
  2. 武道史

久留米での稽古 1日目

 9月18日(土)の稽古は初心者の方もおられましたので、礼法と歩法の稽古のみとしました。礼法と歩法の稽古のみといっても神前の礼や師に対する礼・刀礼が本当にできるようになれば、抜付けの基礎ができたも同然で、そのままの理で抜きつけることが可能になります。また立っての歩法が本当にできるようになれば奥居合の立業も可能になります。
 これらの基本の動きで最も大切なことは体の中心を引力の線と一致させ、すべての無駄な力を抜くことです。無駄な力みや緊張が無くなれば体はひとりでに動き始めます。無駄な力みが無くなってもいないうちに、つまり体が自然な状態にもなっていないうちに「礼をするには骨盤がうんぬん」などと言ってみたところで自然なありようが身についてもいないのですから、そのような考え方は砂上の楼閣に過ぎません。砂の上に構築して身につけた動きは砂が崩れれば存在しなくなってしまいます。昨今流行りの何々理論などというものは、体が働くようになった人が行えば有効なものかもしれませんが、体がガチガチで動かない者にとっては百害あって一利なしの存在にすぎません。所謂、理兵法、畳の上の水練は役に立つ事はありません。
 初心者の方がまず行うべきことは可能な限りすべての力みをなくし動くことであり、体を動かす場合にも必要最低限の筋力しか用いないことです。それ以外になすべきことはありません。
 また初心者を脱していると思われている方であっても、初心の時に教えられたことができていないという事が分ったならば、自分は初心者なのだと自覚し、謙虚に稽古を重ねなければなりません。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
  
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  1. 2010/09/20(月) 21:25:44|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

久留米での稽古 2日目

 2日目の19日(日)は初心者の方が所要でおられませんでしたが、この際基本を徹底して修得していただこうと、刀を構えての歩法・斬撃・横雲のみの稽古をして頂きました。
 年数が立っていて自分は基本くらいはある程度身についているだろうと思っても、実際には身につけるべき基本の僅かしか身についていないものです。
 まず刀を構えるということですが「構える」という言葉に居付き、刀をあやつって所定の位置に保持しようと思ったらその瞬間に刀と体はばらばらになってしまいます。刀は納まるべきところに納まるのであって、その状態は「構える」という言葉とは無縁です。
 次に歩き始めると何も持たないときには、どこにも偏らずに歩けるものが、刀と体が一体になっていなければ刀に体は取られ状態は歪になって歪になった体を支えるために下肢を固め、ますます駄目な動きになってしまいます。このような状態を感じたら初めに戻り刀と体を一体となすように工夫・稽古しなければなりません。
 斬撃では、刀を「振り上げ」「斬り込む」という思いに囚われ刀を物として扱い、再び刀と体とは別物になってしまっていました。臍下を中心として刀はめぐるのであり、「刀を振り上げる」「刀を振り下ろす」という動きをなすことはありません。結果としてそのような事象が生じているに過ぎません。
 横雲も刀を抜付けるときに歩法の稽古と同じく足を踏みしめる事はないものなのですが、再び「刀を抜く」という思いに囚われて手を伸ばし前足に体重をかけて踏みしめる動きをしてしまうのでかえって抜けなくなっていました。「抜付け」と言う言葉は言葉であって、実際には抜付けるという実感をともなうものではありません。あえて言葉にすれば「体が動いた結果刀は発していた。」という事です。
 全ての崩れの原因は「我が強い」ことにあり、「自分が」「自分が」と「執着」することにあります。何度指摘されても直らないのは今までの我に執着してしまうからです。
 自分がどの時点で崩れ始めたのかを気付く事が出来る早さで稽古し、自分自身で自分を正すことが出来なければなりません。それが「ゆっくり、静に」のゆっくりの意味です。
 今回は基本の稽古をしっかりしていただき、駄目な動きに変化する機をとらえて何度も何度も繰り返し指摘して直していただきましたが、今後はそのような指導はなしません。無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本貫正先生もそう仰っていましたが、そのような指導をしていたら私自身に駄目な動きが移ってしまう事があるからです。今後は一度指摘を受けたら自分自身で徹底的に工夫して二度と指摘を受けないような稽古を積み重ねていただきたいと思います。

 久留米から帰ってきたら車の総走行距離が17万kmを越えていました。随分前から車の調子が悪く、次の車検は修理代が相当にかかるかもしれません。そうなったら修理代も出せないので廃車です。困りました。
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  1. 2010/09/21(火) 21:25:28|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

足の働き

 先日の居合講習会で剱術の形を稽古したときの気付きを述べます。
 何回か展示をして、それを見よう見まねで行っていただいたわけですが、足運びを見てとれなかった方が多かったように思います。木刀の動きばかり見ておられたために、その場にとどまって木刀だけを動かし、正しい間合がとれず窮苦しておられました。
 武術という観点からいえば足運びを見てとれなかったのは自分自身の武術に大きな偏りがあるのだと知らなければなりません。
 上半身は下半身に載っており下半身が働かなければ上半身は働きをなすことが出来ません。これは居合も同じ事なのですが居合に下手な先入観がある方は下半身を固めて一刀両断という動きをされますので、このような考えがある方は足の働きが見てとれなかったかもしれません。
 柔術またしかりです。柔術の稽古をされている方でも足の働きを見てとれなかった方がおられたように思います。しっかり反省していただき、その反省を柔術の稽古に活かして頂かなければなりません。
 
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  1. 2010/09/22(水) 21:25:02|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大石進種次の逸話

 初代大石進の孫である大石一氏が話された事ですから、かなり正確な話ではないかと思える逸話を二つ紹介します。
 初代大石進は風呂が好きで三池にある銭湯によく行っていたそうです。江戸に出たときににも銭湯にかよい、そんな時には江戸の町民が「先生!先生!」といって大石進の回りに集り人垣が出来たという事です。勝海舟が大石進むが江戸で試合をして名だたる剣客に勝ったときの騒ぎは明治維新以上のことだったと語ったというのは、江戸の町民が大騒ぎであったという事かもしれません。
 二つ目は大石進の人柄についてなのですが、江戸に出たときに浅草見物をしたとき、周りの者に吉原に行こうと誘われたのだそうですが、大石進は頑としてこれを断わり行く事はなかったそうです。高浜虚子の父である池内荘四郎の廻国修行日記に初代大石進について「大石先生は名手と聞及候所、性質又格別なる人に有之」と記していますが、大石進は謹厳実直な武士であったのだろうと思います。
  
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  1. 2010/09/23(木) 21:25:44|
  2. 武道史

復習

 稽古は道場で教えられるときだけと考える人は上達はしません。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は私が道場で教え始めた頃に「復習もしてこない人は上達はしない。」と話されましたし、私が先生に教えを受け始めた頃に家の中で刀を振って稽古できなければ木刀でなくても短い定規さえあれば稽古できると教えてくださいました。
 澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は次の稽古の時には必ず前回稽古した事が身についているかどうかを確認されてから次の稽古に入ってくださいました。次の稽古までに前回習った事を身につけてくるのは当たり前のことであったのです。
 言うまでもないことですが、私が道場で指摘した事を次の稽古までに修正し、正しい動きを身につけてこようとするのが当たり前の稽古に取り組む姿勢です。100%完全に出来る事は求めてはいませんが少なくとも前回の稽古のときよりは上達していなければなりません。そして、できたかどうかを判断するのは師であって、それで良しと言われるまで自分自身の勝手な判断で求める事を止め、自分の望む他の事を求めてしまっては上達はありません。
 当たり前の事を当たり前に出来なければ上達はしないものです。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
 
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  1. 2010/09/24(金) 21:25:45|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

土佐の居合は秘密主義?

 世間ではいまだに土佐の居合は御留流だったとか、道場は持たず家で教えたとか、親兄弟にも習っている事を知らせなかったという馬鹿げた説を信じている人がいるようなので、当たり前のことではありますが述べておきます。
 御留流などといったものが存在し得ないのは以前も述べたとおりです。土佐の英信流は兵庫県にも伝わっており資料も残っています。
 道場は持たず家で教えたというのも、道場の建物をもてるほどの裕福な武士がどれくらいいたでしょうか。細川義昌の父である嶋村義郷ははじめ神社の境内などで居合を門人に教えていてやがて道場を建てていますが、これはむしろ郷士であるから道場専用の建物をもてたという事です。城下にすんでいる貧乏な武士の次男三男は道場専用の建物を持つこと自体難しいことです。また、親兄弟にも知らせなかったという事も大嘘。嶋村義郷のように神社の境内で教えていたり、墓前で居合をしていたら、親兄弟でなくても見聞きします。
 さらに、当時は武術に出精していたら、褒賞されるのですから誰が年に何回稽古したということは詳細に記録して、上役に差し出しています。また、式日というのもあり、自分の武術の検分を受ける制度もあったのです。奥居合は誰にも見せない秘技であったというような事を言うような人もいるようですが、奥居合であろうと、太刀打であろうと詰合であろうと式日の時には演武しています。

 「自分の流派はこんな歴史を持っているんだぞ、凄いだろう。」という作り話がまことしやかに述べられているのは、自分の流派が凄い、つまり自分は偉いといいたいが為のことです。居合をする人は偉くなりたい人が多いのでしょう。貫汪館で稽古される方は決してそのような俗説を信じないで下さい。

 
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/09/25(土) 21:25:30|
  2. 武道史

残心

 残心は始まりも終わりもなく敵に対することが出来る状態ですが、「どうだ」と見得を切る動作と勘違いする方もいるようです。
 特に大森流「逆刀」の斬撃の後に上段に冠る動作の時に「どうだ」とばかりに見得を切ってしまいがちです。上段にとるのは、倒れた敵が何時斬りかかってくるか分からないためですので、みえを切って体を固めてしまえばその瞬間に動けない体は敵に斬られてしまいます。また上段に振りかぶる動きそのものも勢いをつけて動きを見せられる方も居られますが、それは振りかぶる事しか出来ない動きであって、振りかぶる最中に斬りかかられれば対応する事はできません。いつでも対応できる状態は静かにやわらかくなければなりません。
 血振いで見得を切る方も居られます。大森流の大きな血振いでも、英信流の小さな血振いでも、振ったときに「どうだ」と体を固めて示威されるのです。しかしその瞬間は完全に斬られる隙であり、隙だらけになっているのだと自覚しなければなりません。
 居合を見世物にしてはいけません。
 
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  1. 2010/09/26(日) 21:25:09|
  2. 居合 業

鞘引き

 鞘引きという言葉を誤解されている方もおられるようですのであらためて述べておきます。
 鞘引きは鯉口を切り鞘手と柄手が分かれてから鞘手が帯に接するまでの動きを言います。ところが鞘を引けばよいのだと力任せに鯉口を後方に持っていき鞘引きをしていると勘違いされる方もおられるのです。
 力任せに後方に鞘を引くと鞘の状態は切先が鯉口を出た瞬間に比して「くの字」になってしまいます。切先が鞘から出たあとならまだましなのですが、鯉口に切先がまだ残っている状態の時に「くの字」になり始めると、切先は稽古のたびに鯉口を削っていきます。もっとひどい場合には切先が鯉口を割ってしまいます。もう30年位前、茨城県剣道連盟の居合の大会で真剣を用いて鯉口を割り、左手の平をスッパリ切ってしまった方が居られました。非常に危険な動きです。大学時代に居合をしている他の学生に聞いたら、「鯉口に切先を引っ掛けタメを作って抜付ける」と教えた先生もいるということですから、鞘を割るのも無理からぬ事です。
 しかし無雙神傳英信流抜刀兵法では鞘引きは鞘手が帯に接するまでの動きを言い、外見上それよりも鯉口が後方にさがっているように見えるのは体の開きによります。したがって、鞘引きのときに左手に力は必要ありませんし、力む事もありません。もし左手に力が入ったり力んでしまっていたら、それは駄目な動きだと自覚して工夫しなければならないのです。左手の動きが駄目であれば右の動きもそれと釣り合いをとるように駄目な動きになっているものです。
 
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  1. 2010/09/27(月) 21:25:30|
  2. 居合 業

得物をもつ

 澁川一流柔術では互棒や三尺棒などの得物を用いる形があります。柔術において得物は素手の延長であるということは頭では分かっておられても、実際には得物を持ってしまうと素手の延長ではなく、持ったものを振り回そうとするために手と体がばらばらになり、結局得物が有効に働かない事が多いものです。
 ではどうするか。一番早道なのは正しく居合の稽古を重ねる事なのですが時間的に余裕のない方に上達のコツだけをお教えしておきます。
 得物は絶対にしっかり持たないこと、必要最小限の筋力で得物の先まで心を通わせます。強く持ってしまえば持ったところよりも先に力は伝わりません。
 構えようと思わないこと。構えようと意識した途端に、体と得物は別物になり、多くの場合体が得物にとられてしまい、素手の延長どころではなくなってしまいます。
 強く用いようとしない事。つよく用いようとすると、腕力で振り回すことになり、体と得物はばらばらになり効果を発揮する事はなくなります。体と得物が一体となり臍下丹田を中心に働けば強く用いようとせずとも強い働きはするものです。
 素人が見よう見まねでする事ではありません。工夫を重ねてください。

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  1. 2010/09/28(火) 21:25:18|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

速く動こうとせぬこと

 「上半身は下半身に載っている」ということは繰り返し述べてきていますが、これは居合に限った事ではなく柔術の稽古でも同じ事です。
 中級者になると受の仕掛けも速くなり、それに応じた速さでと考えるためにその思いが上半身に現れ、下半身との調和を乱してかえって崩れを生じてしまい隙を作ることがあります。
 上半身は下半身に載っているのですから上半身だけ速く動こうとしても無理な事なのです。ではどうするか。
臍下中心に動ければ下半身・上半身の調和は自然にとれているものですが、それが難しい場合、動きは下半身に任せきって上半身はゆうゆうと働かせてください。つまり、「ゆっくりはやく」です。
 下半身が動かなければ上半身はそこに達する事もないのですから、上半身はそれを待って居ればよいのです。待てずに焦ってしまうから崩れます。ゆとりをもって上半身を働かせてください。
 焦りは禁物です。 

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  1. 2010/09/29(水) 21:25:56|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

間合

 柔術の初心者の方は間合をつかむのが難しいようです。受と捕が接近しすぎており受の仕掛けも中途半端であり、従って捕の技も中途半端なものになってしまっています。
 原因の一つは技をかけるのは相手に触れた後だと考えている事にあります。従って相手の動きを止めることも不十分、また仕掛けをかわすことも不十分であり、まったく間合を考えない稽古をされています。技は相手に触れた後に始まるのではなく、遅くとも対峙した時に始まっているのだという覚悟をして稽古しなければなりません。
 そして、そのような不十分な動きに受が遠慮して十分に仕掛けていないことも原因にあります。いい加減に仕掛けるのですから、いい加減な間合、馴れ合いの間合になっているのです。受は相手の技能に応じたスピードで動く事を心がけ、万が一、相手にダメージを与えてしまいそうな状況になればその直前に動きを止めればいいのであって、はじめから捕に遠慮していたのでは双方の稽古にはなりません。時間を浪費しているだけになります。
 意味のある稽古をしなければ、上達はありません。
 以上述べた事は居合の稽古にそのまま当てはまる事です。太刀打、詰合は勿論ですが、相手を想定した素抜き抜刀術の稽古においても重要な事です。相手は相手の都合のよい間合で斬ってきます。決してこちらに都合のよい間合で斬ってきたり、こちらが抜きつけるまで何もしないで待っていることはありません。

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  1. 2010/09/30(木) 21:25:46|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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