無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

大石雪江

 写真は大石雪江の慶應4年の写真です。大石雪江は大石進種次つまり大石神影流を始めた人の一番末の子供です。
当時は惣領以外は部屋住で終わるか、養子に出るか、あるいは藩に才能を認められ新に分家するかと言う道しかありませんでした。大石雪江は分家して別に一家を構えていました。
 大石進種次のあとは大石進種昌が継ぎましたが種昌に男児なく娘に養子を迎え孫を進と名づけ3代目にしようとしました。詳細ははぶきますが種昌の孫の進は土地を離れ大石神影流を継ぐ事は有りませんでした。
 大石雪江は若い頃又六郎と言いましたが肌が黒かったので黒又と呼ばれたそうです。それ故のちに雪江と名乗りました。二代目大石進種昌なきあと大石道場を継ぐ者がいなかったので大石雪江は種昌の弟子の今村広門と相師範となり大石道場を守る事に成ります。従ってこの時期の免状は大石雪江と今村広門の連名で出されています。
 さて写真の大石雪江の姿勢を見てください。椅子に座ってふんぞり返って大物ぶる何処かの偉い方と異なり、これが武術家が椅子に座った時の姿勢です。

        大石雪江写真



 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/08/01(日) 21:25:30|
  2. 武道史

槍試し

 江戸時代後期のある槍術修行者の廻国修行日記(武者修行日記と言ったほうが分かり易いかもしれませんが、学問の世界では廻国修行を用いるようです)に以下のようにあります。・・・まだ学会発表していない資料なので、資料名刀は伏せます。

「同二十八日
今朝延寿信衛へ行 大島流槍ノ抜打シ 代料二百疋也 大ニ拵大丈夫也 延金突 何事も無・・・」

 熊本の刀工である延寿のもとに行き槍を試すのに延金を突いています。その結果、拵が大丈夫であったと。
今なら延金を突きとおして、自分の腕前はたいしたものだと自慢に思うのでしょうが、当時の試しものは刀の切れ味、槍とその拵の確かさなどを試すものであって、現在のように自分の腕を試すものではありません。
 刀は斬れる物であり、槍は突き通るもので、斬味や丈夫さは腕によるのではなく、そのものによります。10cmも頭蓋に斬りこまれれば命はなく、5センチも首を斬られれば血はとまりません。喉を5cm突き抜かれればどうなるでしょうか。両断する必要は全くありません。
 試し斬りはあくまで刀を試すものであり、江戸時代に武術とはされていませんでした。マスコミの影響によって一般の方はそうは思わず、やっている本人も武術だと思っています。
 歴史は捏造されると言う事は歴史学だけの話ではありません。

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/08/02(月) 21:25:30|
  2. 武道史

抜こう、斬ろうとせぬ事

 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古で、無理な動きをされるのはたいていの場合「抜こう」「斬ろう」という思いが強く、その思いが体に現れるときです。
 いつもお話していますように、抜付けは抜こうとしませんし、斬撃は斬ろうとしません。全ての動きは結果であって、生まれるものです。実感を求めて抜こう斬ろうと小手先で行ってしまうから無理な動きとなってしまいます。
 これは澁川一流柔術の稽古も同じです。投げは投げようとしませんし、抑えるときも抑えようとしません。投げよう抑えようとするから自分が崩れてしまいます。
 初心者の方も、稽古が進んでいると思われる方も、自分自身を見つめなおしてください。

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  1. 2010/08/03(火) 21:25:08|
  2. 居合 総論

武術は独立独歩

 武術の修行は人に頼ろうとする心がある人は一定のレベルにも達する事はありません。全ては自分自身に責任があり、何々連盟から何段をもらったといい、何々宗家から何段をもらっているといったところでそこに何々連盟や何々宗家に頼ろうとする心があればで、江戸時代のように何かあった場合に役に立つものではありません。
 他藩から留学し柳河藩の大石進のもとで修行し免許皆傳となった者はそれぞれの藩に帰ったら自分自身の力で門人を教え自分自身の導場(柳河藩では道場という漢字を用いていません)を守らなくてはなりません。大石進門弟といっても実力がなく独立独歩できなければ何の役にもたちません。大嶋流槍術の加藤善右衛門のもとにも他藩から多くの留学生がいましたが、彼らも免許皆傳を授かって自分の藩で教えるときには同様に独立独歩でなければならなかったのです。加藤善右衛門 門人といったところで、自分に力がなければどうにもなりません。
 独立独歩は修行中にも言えることです。師に方向を示されたら会得するのは自分自身です。方向を示されているのにそちらに行かないのは自分自身の責任です。何が何でもその方向に進もうという心がなく、何かあったらいつでも聞けるというような心をもっていてはどうしようもありません。

 現代人は独立独歩の心が弱く、人に頼りたいようで、本来は免許皆傳制で免許皆傳になったら自分自身で生きていかなければならない武術であるのに、何々宗家から七段をもらった八段をもらったと喜んでいるのは独立独歩の精神が弱いからです。往時であれば七段,八段というのは免許皆傳の上の上の達人名人の位で、当然師から独立している位です。そのような現代人の人に頼ろうとする心を利用して、集金システムの確立と自己の栄誉心のために似非宗家となるものが後をたちません。
 
 柳河で他藩からの留学生を数多く育てた加藤善右衛門は大嶋流槍術の免許皆傳ではあっても大嶋流を始めた大嶋家の子孫ではありません。師範としか名乗っていません。
 また大石進しかりです。自分の流派を開きましたが、それ以前の愛洲陰流の愛洲家の子孫ではありません。免許皆傳の一人で、師範であったのです。
 大石進も加藤善右衛門も独立独歩の心があったから、あれだけの遣手となりました。
 自分の生死が掛った場で頼れるものは自分自身でなければなりません。

 貫汪館ホームページに会報第65号を載せました。お読みください。

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  1. 2010/08/04(水) 21:25:08|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

よむ

 柔術の稽古をされる方で特に初心者の方は相手の動きを読む稽古を大切にしなければなりません。難しく動かれている方の大半が相手の動きを見て後に動き始めるため全く余裕がなく、場合によっては既に相手に制せられた後に動いています。いくら形稽古だといってもこれでは技が掛かることはありません。
 手順を追うことにばかりに関心がいき、大切な相手の起こりを読む稽古をしなければいつまでたっても余裕はなく、難しく動かざるを得ません。
 手順の稽古はイメージトレーニングでいくらでも身に付けることができますがイメージトレーニングでは動きを読む稽古は困難です。形の手順は道場外で稽古し、道場ではまず第一に相手の動きを読む稽古を重ねてください。でなければ受をつけて稽古する意味はなくなってしまいます。何が大切かはお教えしてあるはずです。

 8月7日(土)、佐野市立城東中学校校庭で午後4時から倭式騎馬会による秀郷流流鏑馬が行われます。お時間がある方はお出かけください。

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  1. 2010/08/05(木) 21:25:25|
  2. 柔術 総論

座る

 ある居合をされる他流派の方と話していたら、その方の周辺には正座した時に脚の筋肉を働かせてお尻をかかとから浮かせるように指導される方が居られるという事でした。その方はそのような事はしないと話しておられました。
 無雙神傳英信流抜刀兵法を稽古されている方が、そのような話を聞かれて誤解されてはいけませんので念のために述べておきますが、無雙神傳英信流ではそのような動きは一切しません。しないどころかそのような姿勢をとってはいけません。
 他流派のことは知りませんが、大森流にしても英信流にしても座るのは脚力を使う事なしに抜くという稽古をしています。抜付けの初動も、その最中も、抜付けた姿勢でも脚を用いて姿勢を作って体を支えては居ません。脚は常に自由になければなりません。体のどこにも力みがあってはならないのですから、只でさえ体を支えようと大きな力で力もうとする脚を座ったときから特定の目的のために用いる事があってはならないのです。
 座した姿勢は全てを床に預けた姿勢であって我で作った姿勢では無双神伝英信流の抜付けは生まれません。これは立った時にもそうでなければならないものです。そのために、立って下肢を使わぬために座っています。形が座った稽古を重ねた後に立つ様に仕組まれているのはそのためです。立って立たざるところを求めています。
 無双神伝英信流の動きを求めるなら、迷われないで下さい。

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  1. 2010/08/06(金) 21:25:43|
  2. 居合 業

免許皆傳と段位

 昭和10年12月20日発行、発行所:陸軍戸山学校の『剣術教範詳解』に段位比較表というものが載っています。これは陸軍戸山学校と武徳会の段位を同じものとして段位と神道無念流、直心影流、一般の流派(往時一般と記してあります)などの許しの段階を比較したものです。
 それによると、神道無念流の最高の段階の免許皆傳が八段に、直心影流の最高の段階の免許が六段に一般の流派の最高の段階の免許皆傳が六段に比較されています。神道無念流の対比は中山博道に遠慮して記述されたものと思いますが、一般的には各流派の最高の段階は六段と同じと考えられていたということです。
 昭和10年というと武術の競技化スポーツ化はどうにもならないくらいに進み、竹刀の操作と刀の操作は全く別物となっていましたので、戸山学校でもことさらに刀の切味を試すための「試斬」(ためしぎり)を武道の一環として行わなければならないくらい、刀の操作が出来なくなっていた時代です。柔道にしても柔術本来の刃物に対処する業という意識などは全くなくなっていた時代です。したがって段位と流派武術の段階を比べる事は大きな問題があります。
 しかし、それはおいておいても流派武術の免許皆傳が六段相当であり六段以上の七段や八段といった人たちは江戸時代の免許皆傳の人たちよりもよほど業が進んでいるということになります。
 現代の六段の人たちも同様でしょうから、世の中には免許皆傳の実力者が掃いて捨てるほどいるという時代となったわけです。
 貫汪館の流派には旧来の初傳・中傳・免許皆傳あるいは初傳・中極意・免許皆傳上極意という段階があります。しかし、肩書きに安住しては絶対にいけません。
 かって澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は免許を出された門人が自分が上だという意識を持ち互いに争った事を憂い、「免許といったところで、昔の初傳にも及ばぬのに。」と嘆かれた事があります。
 自分がどの程度の力量しかないのかを知り、常に自分を恥じて稽古を積まなければなりません。

 居合であれば石灯籠にとまった蜻蛉を抜打ちに斬り石灯籠にも刀にも傷つけぬ業や口からとばした小豆を抜付けに両断する業が自分にあるのか、柔術であればどこにも力みなく力をこめる事もなく自由に受けを投げているのかを考えれば簡単に答えが出るはずです。


 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/08/07(土) 21:25:49|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

重め長めの刀の遣いよう

 無雙神傳英信流抜刀兵法では、一般に行われている居合で用いるよりも少し長め重めの刀を用いていただいています。無雙神傳英信流抜刀兵法が長めの刀を用いるのは歴史的に理由があることで、江戸時代の無雙神傳英信流抜刀兵法を稽古した武士は当然長めの刀を用いていました。
 さて、初心者の方はすぐに長め重めの刀を用いる事は出来ませんので、上達に合わせて貫汪館の居合刀を用いていただき、ある程度上達されてからご自身の刀を求めていただいています。
 自分の居合刀を用いるようになられると、今までよりも長く重いので、何とかしようと上半身の力を用いて居合刀を扱おうとされる方が多いのですが、実は長め重めの刀を遣う場合には、それとは全く逆で、刀に自分自身を預けなければなりません。
 刀に自分を預け、刀と一体になれば自然と刀は動き始め、体は楽になっていきます。やがて刀の重さは消え、こんなに楽だったのかと思えるほどに動きは自由になっていきます。
 上達するかしないかの分かれ道は、刀に自分を預ける事が出来るか、刀を自在に扱おうという邪念に、まかせて刀を遣うかにあります。工夫してください。

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/08/08(日) 21:25:33|
  2. 居合 総論

益田

 日曜日に二男を連れ益田に観光に行きました。6年くらい前にZRX1200Sで一人で行ったことがあり、なかなか良い場所であったので再度訪れました。
 益田は雪舟ゆかりの地で、雪舟庭園が二つ残っています。初めに訪れたのは醫光寺でここには益田七尾城の大手門を移築したといわれる総門があります。また、庭園は立体的で見ていて飽きることがありません。お寺には山岡鉄舟の書がありました。大きな字が「龍」で左に「日献四海水」と書いてあるようです。

 総門  庭園DSC_0218  鉄舟書DSC_0219

 次にもう一つの雪舟庭園がある萬福寺にむかいました。このお寺の庭園は醫光寺とは異なった雰囲気を持っています。須弥山世界を象徴した石庭ということで醫光寺の庭園とは異なった趣ですが、どちらの庭園共に時を忘れて眺めてしまいます。また萬福寺は第二次長州征伐のおり幕府軍の本陣となり益田川をはさんで長州軍と銃撃戦となったところで本堂の柱には長州軍が撃った弾がいまだに三発めり込んでいます。写真の上下の二発は木で栓がしてありますが、その下には弾がめり込んでいます。
      萬福寺DSC_0234  萬福寺庭園DSC_0242  三発DSC_0239

 その後、益田市歴史民俗資料館に行き、「岸静江」に関する展示を見ました。岸静江は第二次長州征伐のさい石州口の扇原の関を部下数名と守っていましたが、大軍が迫るのをみて部下を去らせました。長州軍が迫ると、武士の意地を通し一人で立ちふさがり「通すことは出来ぬ。」と云い、長州軍の斉射によって倒れた人物です。なんとも言えぬ話ですが、展示の絵の岸静江が十文字槍をもっていたのでおやっと思い、帰宅してから以前日本武道学会で発表したことがある津和野藩の大嶋流槍術の原田康人が廻国修行した時の英名録を見てみました。
 岸静江は濱田藩の鎌宝蔵院師範 木村十郎兵衛の門人で、原田康人とは文久12年11月7日、8日に濱田藩の学館演武場で試合をしていました。かって学会の発表資料のために名前を打ち込んだ人だけに悲しい思いをしてしまいました。
 次に雪舟の郷記念館に行き、その建物の後ろにある雪舟の墓にお参りしました。お墓はもともとの古い石塔と、その前方に江戸時代に新たに建てられた墓があります。写真の左が元の墓、右が新たなお墓です。

          雪舟旧墓DSC_0245     雪舟の現在の墓DSC_0244

 その後、益田を離れ西へ、三里ケ浜を車で走り山口県に入り田万川という所にある瀬越という岩場がある海水浴場へ行き、スキンダイビング。岩場がないと魚がいません。二男には4年前に高知県の南の島で二日ほど教えたことがあり、私もそれ以来ですから久々でした。海の中の小魚たちは逃げることもなく人が近づいても何事もないかのように泳いでいます。エンゼルフィッシュのような形の黒白黄色の魚(ハタタテダイ?)や、黒と黄色の横縞の魚(オヤビッチャ?)も泳いでいました。水中カメラを持っていかなかったので海の写真はありません。

               シュノーケルDSC_0257

 帰りに柿本人麻を祭る戸田柿本神社に参拝しました。柿本人麻は益田の出身だということです。詳しくは案内板の写真をお読みください。全ての写真はクリックしていただくと拡大します。

           戸田案内板DSC_0248   戸田柿之本神社DSC_0254

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

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  1. 2010/08/09(月) 21:25:52|
  2. 武道史

一本自信の持てる技があれば

 澁川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は「形の数はたくさんあるけれども、これなら掛るという技が一本あればよい。」とお教えくださいました。「いくら形の手順を覚えて手順が出来ると自慢したところで使い物にならなければどうしようもない、これならという技がなければならない。」と教えてくださったのです。
 世の中には、何々流の形ができ、また何々流の形も出来と言う事を自慢された方がいたようで、そのような事をいっていても使い物にならなければ、どうにもならないのだと言っておられました。
 しかし、「一本でも」というのも本当に難しいことで、ある程度稽古を積んでこれならという技ができたとしても、さらに稽古を重ねていくと、自分の不足が見えてきます。ここで返されてしまう、この動きでは駄目だという事が分かってくるのです。また一本の形は全てに通じていて一本の形の不足が見えてきて稽古を重ねていると他の技も上達してくるということがあります。
 貫汪館で稽古される方は決して形の手順を追うことに心を奪われてはなりません。

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  1. 2010/08/10(火) 21:25:05|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

型にはまる

 次男とは時に袋竹刀を手にして打ち合います。なかなか良い動きになってきていたのに高校生になって型にはまった動きになり起こりが分かるようになってしまいました。
 原因は高校で習う剣道の授業です。現代剣道には触れれば斬れるという思いがないので「瞬間的にある程度の強度をもって打つ」という基準に叶った動作をしようとすると、よほどレベルの高い人は別かもしれませんがタメを作らなければならないようです。次男は習った現代剣道を刀基準の袋竹刀の動きに応用しようとするのですが、そうすれば悉く起こりは分かってしまいます。刀基準の動きの袋竹刀ではどのような斬り方をしようがどこを斬ろうが、「それは一本ではない」とはいえません。
 現代剣道の動きをさんざんしたあげくに「剣道なんかしたら下手になるね。」というのが次男の感想でした。
 手直しをして、現代剣道では不可とされる姿勢に直し、不可とされる動きに直したら起こりは分かりにくくなり、稽古相手として不足はなくなりました。しかし、こんな動きは現代剣道の授業ではまた直されてしまうのでしょう。

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  1. 2010/08/11(水) 21:25:55|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達

 「思いが変わらなければ居合は変わらない。」とは無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生が話された言葉ですが、一週間の内に一気に上達された方が居られました。以前他の流派を習われ下手に力任せに刀を振ったり体を固める癖がなかなか抜けなかったのですが、思いが変わったので動きも全く変わってきたのです。このまま上達を続けていただきたいと思います。
 一刀両断とか後背筋を目いっぱい遣ってなどと体を固めて実感を求める事への執着から脱出できない内は。師が話されたような「無重力状態にある刀を横に振ろうが縦に振ろうが自由に動き何らの抵抗もない。」といった動きを求める事は出来ません。上達された方はよくここまで工夫を積まれたものと感心しています。
 なかなか上達しないと思われている方も自分の意識の工夫をしてみてください。

 日本古武道振興会主催、東京都・日本武道館・日本古武道協会後援による「日本古武道振興会創立75周年記念 日本古武道大会」が8月15日(日)中野サンプラザホールにおいて10時から開催されます。入場は無料です。
 中野サンプラザはJR中央線または総武線,東京メトロ東西線で中野駅北口から徒歩1分です。
 演武は約60流派が行います。詳しくは下の写真をクリックして拡大してみてください。

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  1. 2010/08/12(木) 21:25:20|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

脚が働かねば

 澁川一流柔術の稽古で「込入」「四留」といった相手と接触した状態から始める形で特にはっきりと現れるのですが、初心者の方の多くが上半身で相手を何とかしようともがいておられます。いつも言っているように大切なのは下半身の働きで、上半身は下半身に載って動いているのですから、いくら上半身で何とかしようと工夫を重ねたところで下半身の働きがゼロであれば総体としてゼロでしかありません。
 手を動かす事よりもどうやって脚を活かして働かせるかを工夫する事が先に行われなければなりません。何度やってもうまくいかない方は自分の間違いに早く気付いてください。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の動きも同じで、居合は剣術のように動きが多くないからといって上半身中心に動いてよいわけではありません。脚が働けば上半身はそれに載っているだけで刀は活きて働きます。無理矢理刀を動かそうと無理無駄な動きを重ねなくても良いのです。
 工夫してください。

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  1. 2010/08/13(金) 21:25:30|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

肩書

 武術・武道を行う人には「肩書」が気になる方が多いようです。
 随分前にある武道の会議に出たときに初対面の肩書きのある方が私の職業を聞くと、下に見るような様子が明らかに感じ取れました。しかしその後何かの話のついでに(その人と話しているときではなく)私がもと幹部自衛官であった事を知ると、その人の表情・物腰が急に変化しました。
 このような事は一般社会でもよくあることなのでしょうが、範士・教士とか八段・七段といった厳密な区分がある現代武道や宗家(代々そうなのではなく近年自称した肩書)などという肩書きなどがある古武道の世界では一般社会よりも肩書が気になる方が多いようなのです。「心の修行」などとは程遠い現実です。
 かって自衛官であった時に「自分が偉いのではない、階級が高いだけなのだ。」と戒める言葉がありましたが、階級章をはずしてしまえばただの人です。
 武道・武術でいくら肩書があったとしても肩書をはずしてしまえば、またただの人です。残るのは本当に遣えるかどうかと言う事と、その人の持つ人間性だけなのです。
 人は歳をとっても名誉欲だけは強く残る傾向があるようです。自分の心に気を許さず稽古を続けなければなりません。
  
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  1. 2010/08/14(土) 21:25:34|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

千葉佐那

 NHKの龍馬伝はあまりに史実と異なる内容を放送していますが、どうしても千葉佐那の名誉を守りたいと思う気持ちをおさえることが出来ず、坂本龍馬が姉の乙女に文久3年8月14日ころに記した手紙の前文を以下に紹介します。
 この手紙を読めば坂本龍馬が千葉佐那にどういう気持ちを持っていたかが分かります。龍馬伝に描かれたように佐那の一方的な感情ではないのです。坂本龍馬をヒーローにするためには龍馬が千葉佐那に無責任な態度をとった人物であると描く事は出来なかったのでしょうがドラマはあまりにも千葉佐那の名誉を汚しています。
 千葉佐那は剱術だけでなく馬術・長刀、また琴も弾け絵も書ける努力と才能に恵まれた方でありながら、性格は静かで、口数は少なかったようです。今の世には望んでも居ない女性でしょう。私は大学生の頃から千葉佐那の存在は知っており、素晴らしい女性が居たのだなと思っていました。
 講談社学術文庫『龍馬の手紙』宮地佐一郎に坂本龍馬の手紙が載せられており、解説も記されています。

 此は(な)しハまづゝ人にゆ(言)ハれ
 んぞよ。すこしわけがある。
長刀順付ハ千葉
先生より越前老公
へあがり候人江(へ)、御申付ニて
書たるなり。此人ハ
おさなというなり。本ハ
乙女といゝしなり。今
年廿六歳ニなり候。
馬によくのり剱
も余程手づよく、長
刀も出来、力ハなみゝ
の男子よりつよく、
先たとへバうちに
むかしをり候ぎん
という女の、力料斗も
御座候べし。かほかたち
平井(加尾)より少しよし。
十三弦のことよくひき、
十四歳の時皆傳いたし
申候よし。そしてゑもかき申候。
心ばへ大丈夫ニて
男子などをよばず。
夫ニいたりてしづか
なる人なり。ものかず
いはず、まあゝ今の
平井ゝ。
○先日の御文難有
拝見。杉山へ御願の
事も拝見いたし候。
其返しハ後よりゝ。
 十四日
  乙様    龍 

  
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  1. 2010/08/15(日) 21:25:55|
  2. 武道史

日本古武道振興会創立75周年記念 日本古武道大会

日本古武道振興会主催、東京都・日本武道館・日本古武道協会後援による「日本古武道振興会創立75周年記念 日本古武道大会」が8月15日(日)中野サンプラザホールにおいて行われました。
 私も参加し無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術の演武をしました。いつも演武を行う神社とは異なり、ステージの上で照明が強く当りますので暑く眩しいのですが、舞台に上がればいつもと変わらずに演武出来たように思います。連れて行った次男も観客席から観ていて後ほど厳しい批評をしてくれましたが、演武態度だけはそのようにうつったようです。
 さて演武ですが、今回は舞台の上での演武ですのでそれぞれの流派の動きが非常に良くわかりました。稽古を始めてあまり年数が経っていないと思われる方も演武されていましたが、稽古量は見て取る事が出来ます。
 来年2月には日本武道館で澁川一流の演武をさせていただける予定で、初めて演武していただく方もきめていますが、技量を上手く見せようとする演武は演技であるという事がすぐに分かってしまい所謂「華法」としてさげすまれるだけの内容しかもちません。稽古の期間は5ヶ月しかありません。本来なら毎日稽古しても足りない稽古期間ですが稽古場所は週に二回しか確保できません。武道場での自主稽古や日常生活での工夫を重ね、「明日演武。」と突然言われても対応できるだけの心構えをして下さい。

日本古武道大会の写真を貫汪館ホームぺージの無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術のそれぞれの行事のページに載せました。御覧下さい。

 「拍手」のコメントを通じて書籍を紹介してくだっさた方、有難うございました。この場を借りて御礼申しあげます。
 
  
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/08/16(月) 21:25:09|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分が知らない事は存在しない

 悪い意味で唯我独尊の方は、自分が知らない事は存在していないのだと思うようです。つまり自分は全ての事を知っており、自分が知らない事はこの世には存在していない事なのだと考えるようです。

 かってある居合をする方と話していて、どこどこにはこのような伝書が伝わっていると話をすると、「それは嘘だ。その様な物は存在しない。」と即座に否定されました。それでは写真をお見せしましょうかとお話すると、そんなものは捏造だとまで言われます。さても了見の狭い方だと思っていたら、その内、その方はその流派の(似非)宗家を自称するようになられました。
 別の方にある流派において、こうこうこういう技があるということに関してお話すると、自分が知らないからそれは捏造だと堂々と言われました。常に自分が第一人者でなければならないようです。
 詐欺師の方に多いようですが、自分にとって都合の悪い事は存在しないと心底思い込むようです。自分をだまさなければ人を騙す事は出来ないのでしょう。

 武術を稽古する方は世の中には自分が知らない事のほうが圧倒的に多いのだと知らねばなりません。自分が知っている事はほんの僅かな事で知らない事のほうが多いからこそ、どのようなことが起こっても自由自在に対応できるようになるために稽古を重ねます。
 武道史を研究していても「ああ、そういうことだったのか。」と思えることが次から次へと現れてきます。「こうに違いない。」と思い込んでいたら見えてこないことであったと思います。

 貫汪館で稽古される方は、知っている事を見事に行うために稽古するのではなく、未知の事に対応できるようになるために稽古するのだという思いを持って稽古を重ねてください。


 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/08/17(火) 21:25:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

身についた業は衰えない

 月曜日、他県へ出ている門人が夏休みで久々に稽古にきました。柔術を始める前から「踏ん張らず、バランスを崩すとすぐこけてしまう」という特技を持っており、初めの内にはすぐにこけていました。しかし稽古によって自分の中心がはっきりしてくると、その特技が生かされ、体重は軽いのに動きも質量も重く技が掛かりにくい、またかける技も重い動きをしていました。
 今回久々に稽古するのをみても、その身についた業は変わっていませんでした。稽古はしていませんので新たな形を覚えたり、相手の動きを読むといったことはしていませんが、本質的な身についた業は衰えていないのです。
 澁川一流柔術や無雙神傳英信流抜刀兵法の稽古を始められる初心者の方、あるいは形の手順は覚えたくらいの方の中には外見を見事に拵えようと勘違いされ始める方も中には居られます。一見見事にみえるような動きも作り物であった場合には自由な状況の中では使いものになりませんし、稽古をし続けなければすぐに崩れてしまいます。回り道のように感じられるかもしれませんが、本質的な業を身につける努力をされなければなりません。

 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。 
 
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/08/18(水) 21:25:42|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

刀は全てを用います。

 ある本に刀の先端の3分の1で殺したり斬ったり、中間の3分の1で鎬を使いすりあげたり流したり、鍔もとの3分の1で受け止めると記してありました。話された方もわかった上で簡潔に話されているとは思うのですが、研究のために同じような事が記されている書を読まれ迷われる方があってはいけませんので、念のために記します。
 刀は所謂物打ちと呼ばれる部位のみを用いて斬りまた相手にダメージを与えるわけではありません。まさしく全てを用います。無雙神傳英信流抜刀兵法にあっては英信流表の「山下風」では鍔打を行います。また「浮雲」「岩波」の抜付けでは敵に近いために刀の中ほどから鍔もとあたりで切先上がり手元下がりに抜きつけます。澁川一流の居合の「押抜」「突留」では柄頭を用い相当なダメージを与えます。大石神影流の剱術では間が近い場合に敵の肘に刀の中ほどを当て筋を引き斬りにする業もあります。
 このように流派によっては固定観念にとらわれない動きをするものです。現代剣道と異なり実際の場合にはここを用いては一本とならないということはありません。どんな間合でも油断はできないものです。
 また、同じ書に竹刀や剣(つるぎ)は攻撃の武器だから押し切りであり、日本刀は防御の武器だから引き切りであると記されていましたが、現代剣道がそうなったのは競技となったためであって、江戸時代の防具着用の剱術では竹刀を用いても引き切りですし、剣(つるぎ)も押し切りでは使えるものではありません。また居合であっても必ず引き切りとは限らず、浅く素早く一撃を加えるために撃つ動きをする場合もあります。
 「こうである」という考え方に人は寄りかかり易いのですが、自由であるためには物事に居付いてはなりません。

  
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/08/19(木) 21:25:24|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

視野を広く

 先日日本古武道演武大会で中野サンプラザに行ったおり、大東流合気柔術の近藤勝之先生から先生の御論文を頂きました。論文は国立科学博物館研究報告E類(理工学)第32巻に載せられたもので題名は、「天保五年在政作円グラフ文字盤自動伸縮指針掛時計」です。
 内容は国立科学博物館1階に展示されている和時計について分析調査されたものですが、春にも和時計に関する御論文を頂いており、自分が知らない世界について知識を得る事が出来るのはありがたい限りです。

 私はいつも視野を広く持つことについてお話していますが、「武術の稽古に専念する」といえば聞こえはよいのですが、それだけでは視野が狭窄になり、自分自身が行っている事すら分からなくなる可能性が大きいのです。挙句の果てに周りが見えないばっかりに自分が一番だと思い込み独善的にすらなることがあります。
 武術をする人には昔から書画が出来る人が随分居られますが、書画に限らず写真や工作や何でも自分の趣味をもち遊びの範囲だけではなく、ある程度つっこんで行ってみる事も大切です。

 
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/08/20(金) 21:25:50|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

座法による技の違い

 無雙神傳英信流抜刀兵法には大きく分けて大森流と英信流があります。この二つは俗説では楷書・草書などと言われますが大きな違いは座法にあります。
 大森流は正座をして正対し、英信流は半身に居合膝に座ります。正対をしているか半身になっているかでは体に対する刀の角度や腰に接する鞘の位置等は全く異なります。したがって柄手鞘手の動き・働きも異なり、抜付けにおける体の開きようも大森流と英信流では異なっています。
 このように大森流と英信流とでは文字通り異なった流派であり、本質は一つであっても、抜付けの動作には座法から来る動きの違いが多くあります。楷書・草書などといってただ単純に速く動けばよいというものではないのです。この違いを理解し、それぞれの技を会得するためにはまず座法を正確に身につけなければなりません。
 私が始めて英信流表を無雙神傳英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生に教えていただいたとき、先生は「英信流の座法は中山派の座法と全く異なっており、英信流の座法が正しく出来るようにならなければ業が身につくはずもない。」と教えてくださいました。
 英信流の修得に努力されている方はまず座法を正確に身につけてください。


 一心不乱に

 昨日、家に帰ったら裏庭のどういう名前か分からない大きな草に「一心不乱に」葉っぱを食べているバッタを見つけました。集中して食べているので警戒心がありません。このような集中が武術にとって無益なものと言う事はおわかりになると思うのですが、なぜか武術の稽古をする人の中には勘違いして周りが見えない集中を良しとされる方も居られるようです。
 可愛かったので写真に撮ってみました。名を知らぬ背の高い草の後方には枯れてしまったきゅうりと、農薬を遣わないので虫食いだらけのなすびとピーマンが植わっています。我家の裏庭には蟷螂やかなぶん、いと蜻蛉や様々な蝶、ナナフシ、夜になるとカブトムシが飛んできます。蜜柑の木には毎年アゲハチョウの幼虫も生活しています。蚊が多いのには閉口ですが。
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 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/08/21(土) 21:25:31|
  2. 居合 業

書評

 ある肩書きの立派な方が書かれた本を読んだのですが、あまりにも主観的で歴史認識にも欠けているのでビックリしてしまいました。著者に肩書きがあるから歴史的な知識をもたずに読む方で信じる方は多いのかもしれませんが、読後の感想は「困るな」としかいえません。
 たくさん問題点はあるのですけど、営業妨害になってもいけませんので書名はあげず、問題点のいくつかをあげるに留めます。
 剣道は人を変えるという例として三島由紀夫をあげ、坂本龍馬と対比して居られますが、三島由紀夫が稽古したのは帝国主義の時代を経由した現代剣道で竹刀を基準として竹刀の上での勝負けを競うもの。坂本龍馬の剣術は江戸時代のもので時代背景も違いますし、動きも全く異なっています。また芳賀流(ママ)の居合は居合術でももっとも激しく過激なものでこれを三島が稽古していると記しておられましたが、その居合なるものはその師が江戸時代のものを改編し、さらにそれとも異なる独特なもので江戸時代の居合ではありません。似ても似つかない軍国主義の時代の殺伐とした居合です。これを江戸時代の武術と同列に論じている矛盾に著者は気付かれていません。書物を書くにしてはあまりにも武術に関する基礎知識が不足しています。
 次に土佐に出向いて指導した柳河藩の大石神影流の二代目の大石進に・・・江戸には恐ろしい流派がいくつもある。次々と強い剣士が出てくるところだ・・・などと語らせていますが、二代目の大石進は初代ほどではなかったにしても江戸でも高名な剱術家に実力の差を見せた人物であり、柳河藩の近くの久留米藩の加藤田平八郎の日記をよんでも江戸の剣術使いが地方より強かったとも思えません。九州には強い剣士はいくらでもいました。今と変わらず江戸で有名になれば全国的に名が知れるということです。語らせている言葉は虚構にもほどがあります。
 坂本龍馬の二度目の脱藩のとき次姉の栄は自刃していると書いてありますが、これも間違い。小説家が書いた虚構が世に広まっただけで。真実ではありません。
 岡田以蔵が示現流の達人と書いてありますが、これも大きな間違い、武市半平太の一刀流の弟子で、また武市とともに桃井の弟子ともなり鏡新明智流を習い、のちに武市と廻国修行に出たときに岡藩で直指流を学びますが薩摩の示現流は記録には全く出てきません。
 北辰一刀流の千葉道場には諸藩の縄張りがなく上士も下士もないとされていますが、これは北辰一刀流に限りません。もともと武術の流派は身分にかかわりがないところが多く、広島藩でも剱術に秀でた鉄砲足軽が藩主に剣術を教授した記録もあり、柳河藩の大石進や加藤善右衛門のもとにも多くの藩から様々な者が集っています。加藤善右衛門の記録には身分についての記録はありませんが、大石進のもとには相撲取りや神主といった記述もあり、初代大石進の門人で土佐の樋口真吉の門人には百姓や女性もいます。
 もっともおかしいのは千葉家一族にしか伝えてはいけない極意を婚約をすませ千葉一族になるはずだった龍馬に教えたというくだりです。坂本龍馬は千葉家に養子に入るわけではありません。それを一族と考えるのであれば姓が千葉ではない千葉一族がこの世には千葉姓以外に千葉姓の何倍、何十倍もいることになります。それらが悉く極意を伝えていたら、それは千葉一族以外に伝えてはいけない極意でもなんでもありません。こんな矛盾に筆者は気づかれていないのですからまんまと創作話にのせられたているのですが、それでも本は世に出ます。
 このようなたぐいの武道界ででる話が「おとめ流」です。「御禁止流」とも書くようですが、優れた流派で他藩に伝わると困るので、藩内から絶対に出さないようにしたという伝説です。藩内から出さないためには他藩に養子に行ったり浪人するおそれがある次男三男や他藩に嫁ぐ事がある女性には絶対に教える事は出来ません。また長男であっても将来、素行が悪く家をつげずに浪人するかもしれません。こうなると、その流派を教える事自体が出来なくなります。こんな矛盾にも気づかずまことしやかに伝えられる事を信じる人もいます。
 本を読まれる方は、それが真実であると頭から信じる事はできないものだと思ってください。いままでにその分野で有名な大学教授が間違いを書かれていることもみてきましたし、俗説をそのまま記しておられるのもみまたことがあります。専門とする分野は限られているのに一般向けに広く書こうとするとそのようないい加減な事も生まれてくるのです。
 私は日本武道学会で発表する時には可能な限り発表の基礎資料を添付するようにしています。よくここまでしてくれると感心される大学の先生もあられますが、これは資料をもとにした私の考えや分析が間違っていた場合に訂正をしていただくためです。人には必ず間違いや勘違い、一方的な思い込みがあります。販売されている書籍だからと言って鵜呑みにできないこともあるのです。

 今日も庭にはたくさんの虫たちがいました。ほんの一部の写真です。n1DSC_0070.jpgn2DSC_0072.jpg
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 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

 貫汪館HPの無雙神傳英信流抜刀兵法 稽古のページに9月12日(日)の居合講習会のご案内をのせました。今回の講習会のテーマは奥居合・・・「立つ事」です。HPを御覧になりどなたでもお越しください。 

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
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  1. 2010/08/22(日) 21:25:53|
  2. 武道史

体に負担がかかるのは

 柔術の稽古で指導を受けた通りに「股関節を抜き足を突っ張らず」と心がけ、投げ技をかけようとして腿の筋肉が極端に突っ張り筋肉が悲鳴を上げそうになっている方がおられますが、ここからが稽古です。
 筋肉をつけなさいということではありません。自分の体の中で調和がとれず偏りが生じているところに相手の体重がかかるので筋肉で支えざるを得なくなっているだけなのです。ここからどのように遣ったら負担がなくなるかと工夫を始めてください。その工夫によって上達が始まります。
 居合の稽古も同じで、膝が曲がっていたら動けないとか力を抜いたら動けないと感じられて、自分の都合のよい動きをされてしまう方も居られますが動けないから工夫が始まります。工夫がないところに上達はありません。
 

雑記

 8月15日の古武道の演武会に上京した折、ちょっとした観光もしました。最初の写真は両国国技館の壁面です。いつもテレビでは見ていますが。
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この近辺には小さなお相撲さんの像もたくさんあります。いちばん右の像の後ろにはちゃんこ霧島というお店がありますが、ここのランチは値段もお手ごろでおいしいです。
  相撲像1   相撲像2   相撲像3

 近くに回向院があります。回向院の始まりは明暦の大火でなくなった人を弔った念仏堂だということですが、歴史の教科書でしかしらない義太夫節の竹本義太夫の墓があったり、時代劇で有名な鼠小僧次良吉の墓があります。また、まったくしらなかった猫の御墓がありました。この猫は魚屋さんが飼っていた猫で魚屋さんが病気で働けなくなったところ、どこからかニ両をくわえてきて魚屋さんを助けたそうです。ところが次に二両を咥えてこようとしたところ、ある店の奉公人に殺されてしまい、それをしった魚屋さんは店の主人に事情を話し二人で猫の御墓を建てたということでした。左から竹本義太夫、鼠小僧次良吉、猫の御墓です。
      竹本義太夫   鼠小僧次良吉   猫

 江戸東京博物館にも行きました。東京は人口が広島市の10倍ですが博物館の数や規模は10倍どころではありません。あまりに格差がありすぎ富の偏在を感じないわけにはいきません。江戸東京博物館へは一度行ってみてください。
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 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。

 貫汪館HPの無雙神傳英信流抜刀兵法 稽古のページに9月12日(日)の居合講習会のご案内をのせました。今回の講習会のテーマは奥居合・・・「立つ事」です。HPを御覧になりどなたでもお越しください。 

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  1. 2010/08/23(月) 21:25:26|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

小城 大石神影流 江副道治 (武道史調査1日目の1)

 本日から武道史調査について記していきます。
 今年の夏の武道史調査は久留米での無双神伝英信流抜刀兵法の指導を間に挟んで7月29日(木)から8月2日(月)まで行いました。総走行距離は1600kmでした。
一日目は佐賀県の小城と武雄です。
 小城藩は佐賀藩の祖・鍋島直茂が元和3年(1617)、孫の元茂に隠居領だった所領を与えたことに始まり、三代藩主・元武が常住するようになって、小城藩邸が確立したようです。
小城、蓮池、鹿島の三支藩は佐賀藩の内高で、陪臣ですが、参勤も行うようになり、大名として扱われるようになりました。
 その小城ですが今回は漠然と概要を調べるために行ったので、古文書にはあたることはなく石碑などを見てきました。大石神影流の『諸国門人姓名録』には小城藩の門人の名前が載っており、また、小城公園そばには大石進の門人の一人である江副兵部左衛門の石碑が立っている事を大石先生より教えていただいていたので見に行ってきました。写真は『諸国門人姓名録』の小城藩門人の名前の一部です。冒頭の五郎川大四郎は大石家の古い門人で土佐の樋口新吉が大石進に入門した時にはすでに免許を授かっていました。

             03小城門人
  
 石碑は江副兵部左衛門のもので流名に「天神真揚流体術」「大石神影流剱術」「八天舞相流棒縄術」と彫られているのがわかると思います。

       01江副石碑1    02江副石碑2 


 貫汪館HPの無雙神傳英信流抜刀兵法 稽古のページに9月12日(日)の居合講習会のご案内をのせました。今回の講習会のテーマは奥居合・・・「立つ事」です。HPを御覧になりどなたでもお越しください。 

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  1. 2010/08/24(火) 21:25:15|
  2. 武道史

小城 柳生新陰流 (武道史調査1日目の2)

 江副の石碑を見た後、小城の学芸員の方とお会いし、お話をし、御教示を受けたり、また私の知りえたことをお話ししたのち、再び小城公園の中にある岡山神社に向かいました。写真は小城公園と岡山神社です。

04小城公園

    
05岡山神社

岡山神社は初代と二代の小城藩主を祭っています。境内にはかわいい狛犬がいます。

   05こまいね2

 初代藩主鍋島元茂は柳生宗矩に教えを受け、また二代藩主も教えを受けており代々小城では柳生新陰流が盛んでした。柳生新陰流は江戸時代後期になっても防具着用の試合稽古をしなかったところが多いので、小城藩士が大石神影流の習得を望んだのは、そういうところに理由があるのかもしれません。
 萩藩でも剣術は柳生新陰流が主であったため藩命により、新陰流の師範が大石進のもとで修業させられており、それ以降防具着用の試合稽古を導入しています。高杉晋作も新陰流ですが師の代より防具着用の稽古が始まっているので、高杉晋作がもちいたという防具も残っており、防具を着用をしての試合をしながらの廻国修行をもしています。高杉晋作の師も桂小五郎の萩藩の師も大石進の門人です。

 写真は岡山神社境内にある柳生宗矩を祭る玉成社と柳生十兵衛を祭る武正社です。

 06玉成社
            07武正社
    
  
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  1. 2010/08/25(水) 21:25:18|
  2. 武道史

小城 戸田流 納富五郎太夫 (武道史調査1日目の3)

 小城公園を後にして、学芸員の方にいただいた地図をもとに納富五郎太夫の石碑と鬼塚をたずねました。教えていただいていなければたどり着くことはできなかった地にあり。藩の中心部からは離れた農村地帯に石碑はありました。
 納富家は代々五郎太夫を名乗っていたようですが、石碑は祭主を納富教雄として明治30年に建てられています。石碑には「真之乱流組打」「真之乱流棒縄術」「戸田流剱術」「真之乱流ニ刀」「根岸流長刀」と記されています。納富教雄は大正10年に剣道範士となったようですので、納富家代々の五郎太夫の顕彰碑か父または祖父の顕彰碑ではないでしょうか。写真は石碑と流派名の部分の拡大です。写真はクリックすると大きくなります。

            08納富石碑    09流名

『肥前武道物語』には「五流に練達した。」とありますが、流名だけでいうと「真之乱流」「戸田流」「根岸流」の三流であり、「真之乱流」は時代の流れの中で分化して教えるようになったものではないでしょうか。
 石碑から離れたところに鬼塚と呼ばれる小さな茂みがあります。写真は納富五郎太夫の石碑と大正10年に剣道範士となった納富教雄の石碑、むこうに見えるのが鬼塚です。二つの石碑は鬼塚に向かって建てられています。

10鬼塚

『肥前武道物語』では修行に来たものと試合をし、試合が原因で死亡したものを葬った場所と伝ていますが、むしろ廻国修行中や、他地域から来て修行逗留中の者で病などを原因としてなくなったものを葬った場所というのが妥当ではないかと思います。
 そのような事例は柳河でもあったらしく、大石進のもとや加藤善右衛門のもとで修行していた他藩のものが病を得て亡くなった場合、柳河に葬ったという記録があります。大石進のもとで修行中に亡くなった者は大石進の墓石のそばにその墓石があったということですが、お寺による墓域の整理の時にそれらの墓石は地中に埋められたということです。
 小城での調査を終え、次に武雄に向かいました。
  
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  1. 2010/08/26(木) 21:25:15|
  2. 武道史

武雄 大石神影流 飯盛此面 (武道史調査1日目の4)

 小城から武雄に向かう途中に昼食にしました。佐賀県のうどんは、どんどん水分を吸収して膨らんでいきます。そのためうどんのだしも一緒に出され、つぎ足しながら食べます。胃の中でも膨らんでいくので、お腹いっぱいに食べてしまったら、大変なことになってしまいます。写真の上に写っているのがうどんのだしです。「牧のうどん」というお店で食べました。美味しいのでまた食べたいと思っています。

          11牧のうどん

 武雄鍋島家は、20代まで後藤を名のっていました。前九年の役で戦功のあった後藤章明が、塚崎荘の地頭となったのが始まりとされます。佐賀領国の実権が龍造寺氏から鍋島氏に移ったとき、後藤家もその家臣となり、21代茂綱から鍋島姓を名のりました。多久・須古鍋島・諫早とともに「親類同格」に列せられた武雄鍋島家は、「大配分」という自領内での大幅な自治権を受け、本藩家老をつとめる家柄として、重要な役割を果たしました。
 武雄での調査は図書館で刊行本により大まかな事を知ることが目的でしたが、ちょうど武雄市図書館・武雄市歴史資料館で「鍋島茂昌展」を行っており武雄が幕末、西洋砲術を積極的に取り入れており、部隊の小銃の多くが後装6連発のスペンサー銃であったのは驚きでした。
 武雄の飯盛此面は18歳のとき先述の小城の江副氏に大石神影流を学び、その後柳河の大石進に入門したようです。大石神影流の『諸国門人姓名録』にも当然、その名が記されています。

   12飯盛此面

 飯盛此面は大石進のもとで修業をし、その後、江戸に至るまで廻国修行をし武雄に帰って後、領主の鍋島茂義によって剣術の師範となったようです。
 門人にも優秀な人物を出し、姓名録に載っている、佐々木太郎左衛門は飯盛此面につき修行、のちに大石進に直接入門し免許を授かり、廻国修行をしながら江戸に至り江戸では桃井春蔵に入門し免許を授かっています。
 残念な記述は飯盛此面の門人に松尾将行という者があり竹刀の先で米俵を持ち上げるほど膂力が強く、他流試合に来るものがあると、松尾将行が立合い、たいていの者はその打ちの強さにまた立つことができなかったという記述です。技の大石神影流が変質してしまったようです。
 一日目は武雄をあとにして、一般道を走り久留米で温泉に入り、船小屋温泉の川土手で野宿をしました。非常に良い場所で風はよく通り涼しく、安眠できる場所でした。
 
 久留米道場の稽古記録が更新されています。お読みください。
 
 貫汪館HPの無雙神傳英信流抜刀兵法 稽古のページに9月12日(日)の居合講習会のご案内をのせました。今回の講習会のテーマは奥居合・・・「立つ事」です。HPを御覧になりどなたでもお越しください。 

 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場の稽古は毎週水曜日 城南中学校剣道場 19時~20時45分です。興味のある方は 無雙神傳英信流抜刀兵法 久留米道場の《稽古日時・場所》に記してある連絡先からご連絡ください。
 無双神伝英信流抜刀兵法 久留米道場のホームページ(←クリックしてください)です。
  1. 2010/08/27(金) 21:25:39|
  2. 武道史

板井一作,早雄(武道史調査2日目の1)

 早朝、川土手で目を覚まし、顔を洗って着替えを済ませ、しばらく川土手で快適な時間を過ごしました。

河原DSC_0154
         
 午前は旧柳河藩士の板井家をたずねました。現当主の曽祖父 一作氏は23歳で家川念流免許、26歳で宝蔵院流槍術免許となった人物で柳河藩で師範をしました。この方の妹が二代目の大石進の奥方です。当主の祖父 早雄氏は25歳で家川念流の免許、44歳で大石神影流の免許をえていますので大石神影流は成人して随分たってから修行したのだろうと思います。
 残念ながら板井家は現当主の御父上の代には帝国陸軍の軍人であり、大陸にすんでおられたりしたため古文書類がほとんどなくなっており、文書類からの調査はできませんでした。導場は現在の屋敷の隣に建っていたと云います。門人が建てた顕彰碑が大陸から帰った時には道路拡張工事によって無くなっていたので随分御父上が捜されたということですが見つからず、後に全く他人の家の庭に建てられていることが分かったそうです。現当主が訪れて返還していただくよう交渉しても、絶対に帰すことはないと突っぱねられたということです。道路拡張工事の際、移動されて倒されていたものを勝手に持ち帰ったようで、それを自宅に建てておられました。何代か経ったら家系を偽り先祖の顕彰碑とでも言うつもりなのでしょうか。こっそり写真に収めました。右側は家川念流で用いた品柄=袋竹刀です。

13板井石碑 品柄DSC_0182

 早雄氏の兄弟の真澄氏は初代の大石進から数えて大石神影流4代となっています。理由を以下に述べます。大石進が二代続いた後、二代目の大石進に男児がおらず、孫に進という名をつけて期待しましたが幼少のため、二代目の弟である大石雪江が宮部の導場(柳川では道場ではなく導場という漢字を用いていました)を守ることになり三代目となります。その後宮部の導場を守ったのが板井真澄ですが二代目の大石進の孫の進は剣術に熱心でなく東京に出て事業をしますが失敗、宮部の家屋敷は売り払われてしまいます。これにより大石家も大石家導場も人手に渡り後に取り壊されてしまいます。
板井真澄が大石家導場を守っていたころの写真がこれです。庭園はお忍びで藩主が見に来ていたといわれるだけあって見事であったことを思わせますし、家も古くなってはいますが武家のものであったことを思わせます。この家に江戸時代何百人(ひょっとしたら何千人)もの修行者が訪ねてきたのでしょう。

    14大石進邸   16大石進庭園   17大石進庭園  
  
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  1. 2010/08/28(土) 21:25:51|
  2. 武道史

柳河藩 槍剱師範(武道史調査2日目の2)

 板井家をあとにして柳河古文書館に向かい多くの写真を撮りましたが、これらのうち数%がのちの研究につながるものと思います。今回は柳河藩の柔術について僅かですが資料を記録しました。
主に立花織江家の文書を閲覧しましたが天保15年の記録では大嶋流槍術の師範として田尻捨水と加藤捨助が併記されており、加藤善右衛門の名はまだありません。大石進は槍術師範に入っています。また剱術も田尻捨水と大石進が併記されており、此の当時はまだ柳川藩では大石進は愛洲陰流の範疇に入っていたのか(正式に大石神影流を唱えていなかったのか)と思われます。

18槍術師範名

      19剱術師範名

 また「七月中稽古改書覚」という面白い資料もあり、作成年はわかりませんがある歳の7月に何度稽古があって、だれが何回出席したかという記録がなされていました。大石遊剱つまり初代大石進のお祖父さんのもとでは7月に6回稽古が行われ、そのうちの皆勤者のなかに大石遊剱の孫である初代大石進やいつも初代大石進の廻国につき従って二刀を用いて試合をしたとという大石志摩助の名がありました。

20大石石遊剱
   
 その他にも面白い資料として、武術の一芸のみの修業に集中する者を、一芸専修はやめ広く武術を納めるべきだと諌める手紙などもありました。時をかけて解読しなければなりません。
夜は柳川の南風という温泉に入りのんびりした後、野宿しましたが、エアコンをつけっぱなしでエンジン音を響かせながら居座っている軽自動車が近くにいて安眠というわけにはいきませんでした。
 薄給で調査を続けるためには、野宿もやむを得ません。この歳になって給料は下がり続ける一方ですから。
 
 
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  1. 2010/08/29(日) 21:25:15|
  2. 武道史

村上一刀伝書,二代目大石進の試合(武道史調査3日目)

 三日目は大石先生に稽古をつけていただき昼から柳河古文書館へ向かいました。
 大石神影流の手数(大石神影流では形といわず手数といいます)は全て教えていただいていますが、それで良いかというとそんな甘い物ではありません。毎回先生に打太刀をしていただくたびに至らぬところに気づきがあり、また先生から会得しなければならないことを学ばせていただいています。
蛇足ですが、数回稽古に通って形の手順を全て覚えたらその流派を習得できたと思うような軽薄な考えでは真の修行ができるはずもなく、師を師とも思わぬような者は道の修業とは無縁です。師と決めて入門したら師弟関係は一生であり、師をないがしろにするものは武術の修業以前の人間性の問題であって社会でまともに相手にされぬのは自分自身の問題であると気づかねばなりません。そのような者を生まぬため貫汪館では稽古を始めようとされる方の人としての資質を問いますし、また大石先生も厳しく人を選んでおられます。
 稽古を終え再び柳川文書館へ向かいました。文書館では多くの資料を閲覧し写真を撮りましたが、その中でも特記すべきは初代大石進の祖父の愛洲陰流剱術と大嶋流槍術の師である村上一刀が出した伝書を初めて目にしたこと、また二代目大石進の桃井左右八郎と天野将曹との試合の状況を記した記録を初めて見たことです。写真に収めました。時間があるときにゆっくり読解するつもりです。

     21村上一刀伝書     22大石進試合

夕方は久留米で無双神伝英信流抜刀兵法の稽古を行い、三日目の夜はいつもの東急インで休みました。

 
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  1. 2010/08/30(月) 21:25:57|
  2. 武道史

久留米での稽古(4日目ですが調査は休み)

 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古は一日、田主丸武徳館で行いました。一か月に一度くらいしか稽古を見ることができないのですが、稽古は積まれているようで安心いたしました。今後は内容を高められることが大切で、その為には繊細さが要求されます。
 よく「天賦の形」ということが言われますが、人は生まれつき完全なもので、居合を行うに当たって足りぬものはありません。日常生活ができれば刀を振ることはできますし、むしろ刀があるゆえに自分自身の体がより楽に自由に動くと云っても過言ではありません。刀を使うのに特別な能力や力は全く必要ありません。これは現代武道とは異なっている点です。貫汪館では女性のほうがより早く上達することがそれを物語っています。
刀を振ろう、力強く動こうという居合にとっての邪心が生まれれば、たちまち「天賦の形」は崩れてしまい、動きに無理無駄が生じ刀と体の調和は乱れてしまいます。女性は力がないから振り回すことはできず、初めから指導に素直に従い、やがて知らず知らずのうちに速く強く刀が働くようになります。
「天賦の形」が崩れたことを知るためには繊細さが必要です。繊細さがなければどこで崩れたのか知ることすらできず、指摘されて初めてわかったような気持ちになってしまいます。もっといえば崩れる前からこのままでは崩れると云う事を知る繊細さが必要なのです。
 繊細さは道場の中だけで求めることができるものではありません。日常生活の中で何をするにも今まで以上の細やかな心で物事を行うように心がけなければなりません。
稽古の後、はじめて田主丸の「笹の湯」へ入りました。小さな温泉でで小さな湯船ですが、かけ流しで湯もよく露天ぶろは庭もきれいで遠景の山も美しく久々にゆったりしました。

         笹の湯1     笹の湯2

温泉に入った後は一路、飫肥へ。夜遅く飫肥に着き、そのまま人のいない駐車場で野宿しました。はじめは暑苦しかったのですが、深夜になると城のある山から冷たい空気が流れてきました。


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  1. 2010/08/31(火) 21:25:41|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

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