無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

なんら変わること無き事を知る

 無双神伝英信流抜刀兵法の師範代代理に英信流奥居合を教えていますが、短期間のうちに立膝の形をつかえるようになりました。
 もっとも無双神伝英信流の稽古を始めて約二年、そのうち半年ほどは礼法、歩法等の基礎の稽古で形の稽古はほとんどしておらず、英信流表の稽古を始めてからも約半年しか経っていません。しかし奥居合の立膝の形のレベルも使えるレベル(形を覚えたというレベルではありません)にありますから、長足の進歩といっても過言ではないでしょう。今まで教えた門人の中でも群を抜いて最も早い上達です。
 他の門人の方は、何故このように早く上達できるのかと思われるかもしれませんが、当然のことながら理由があります。
 一番大きな理由は、下手な欲が全くなかったということです。「美しい姿勢を作りたい。」とか「よく見られたい、その為には刃音をさせて見栄えを力強く。」とか「素早く動いて、切れのある業を使いたい。」とかそういった欲が全くなく、教えに素直に稽古をしました。全く回り道をしなかったのです。
 次に、きちんと基礎から作り上げていったこと。そこにあるままの座姿勢が出来るようになれば全てはそのまま業になります。大森流、英信流表、英信流奥、太刀打、詰合全ては座姿勢が業を作ります。そこにあるままに座れないのに、形の上達を求めても砂上の楼閣に過ぎません。感覚の中では抜付けた姿勢、斬撃の姿勢、血振るい、立姿勢、全て座した体の状態と変わるものではありません。何も変化しないのです。師範代代理の上達は座姿勢を身につけたことから始まりました。
 師範代代理は外から見て自分の動きが速くても強くても、そういった実感はもっていません。それが業だからです。
 奥居合は簡単に言えば表の形の手順が複雑化したものに過ぎません。したがって、なんら変わること無き事を知ったものには特に難しいものではないのです。
 これから師範代代理の稽古は動きを中心とするものではなく、心と動きの関係を知ることに重点をおいていかなければなりません。より難しいところに入ってきました。
 
 
  1. 2008/02/01(金) 23:33:50|
  2. 居合 総論

動けない

 渋川一流柔術の稽古を専門にされており、最近、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古に来られている方が今日の渋川一流の稽古の後で、「動けません。」と話されました。私は心の中で「よくそこまで素直に稽古したもの」と感心しましたが、本人は困っているようでした。
 初心者の方のために述べますが、渋川一流柔術では鯉口(すれ違いざまに抜付けてくるのを制する形のグループ)と居合(上段から斬りおろしてくるのを制する形のグループ)の前に稽古する形のグループに御膳捕があります。御膳捕は併座している相手を制する形のグループですが、お互いに正座をしており、左に座している受を捕が制します。渋川一流柔術の最後の形といっても良い段階の刀を相手にする形を学ぶ前段階として座姿勢の形が仕組まれているのです。
 「動けません。」とは御膳捕の稽古をしている時の感想です。今までは動けていたのに今は動けない。その理由は、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古で座法の稽古を重ねていただき、無理無駄を廃し、姿勢を作らず、そこにあるだけの座法の稽古を重ねていただいているからです。動けないのは、その姿勢がやっと作った姿勢を脱しつつあることを意味しています。
 今、やっと赤ん坊のようにスタート地点に立っています。今の座法そのままに動くためには今までのような動きをすることは出来ません。動きの質の転換を図らなくてはならないのです。今までの動きは日常生活の延長の動きであり、業とはいえない質の動きで、そのままでは素手で刀に対することは絶対に不可能でした。
 さて、ではこれからどうするか、これからの進歩が楽しみです。
 
  1. 2008/02/02(土) 22:36:11|
  2. 柔術 総論

上達のために

 今まで貫汪館で無双神伝英信流抜刀兵法や渋川一流柔術を学んで上達がすみやかだったのはどのような人たちであったかを参考までに記します。
 今日は、渋川一流柔術で私の門人の一人目の免許皆傳・上極意である英国人のウェンディーがどのように稽古したかを簡単に記します。
 ウェンディーはもともとスコットランドで小さい頃から英国の柔術を稽古しており、黒帯でしたが、日本の柔術を学びたく外国語指導助手として日本にやってきました。英国の柔術は明治維新以後柔術家が英国にわたったことに基礎があり、そののち英国風に改編されてできあがったものです。
 ウェンディーは私が渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生の師範代であった時に入門してきたので、もともとは先生の弟子です。免許皆傳・上極意の巻物は畝先生が「森本先生が直接教えているのだから、先生から伝書を発行したことにしましょう。」と言われ、先生が書かれ伝系に先生の名前の次に私の名前を書かれました。したがってウェンディーの巻物には先生の印判と私の印判があります。
 ウェンディーは英国の柔術を学んでいたと書きましたが、渋川一流柔術の稽古を始めて一度たりとも英国の柔術の片鱗を見せたことがありません。それはウェンディーが今まで習ったことを、ほかにおいて全くの初心者として渋川一流柔術に取り組んだことを意味します。はじめの心掛けが全く異なっていました。
 日本人でも、今までに習った武道を忘れて、全くの基礎から習得しようとする態度のある人は稀です。剣道をしていた人は何故か剣道の竹刀の持ち方を忘れようとせず、指導しても指導しても手の内や座法を変えない人がほとんどです。空手をしていた人は当に空手の突きを用いようとし、少林寺拳法をしていた人は渋川一流の形に少林寺拳法のやり方を持ち込み、柔道をしていた人は柔道式の投げ方をしようとするといったように。素直にゼロから始めようとはなかなか出来ないようです。ところがウェンディーは全くの初心者として始めました。英国の柔術については、私が尋ねた時にのみ話をしました。
 次に師を大切にする態度も異なっていました。以前、畝重實嗣昭先生の私以外の門人で免許を頂いた方が免許を頂いたが最後、先生のもとへは何かを求める以外一切顔をださず、先生の葬儀にも誰一人顔を出さなかったと書きましたが、ウェンディーは常に先生の下に挨拶に伺い、英国に帰国した後、一度仕事で日本に来た時にも短期間であったにもかかわらず、広島に来て先生を訪ねました。先生が亡くなられた時にもそれを知ると、私にご家族へのお悔やみを言付けたほどです。
 また、稽古の姿勢も熱心で、わからない所は何度でも質問し、必ず出来るようになるまで稽古します。日本語は全く話せませんでしたが、帰国する時には会話は勿論、中学程度の漢字は全て読めるようになっていました。
 無双神伝英信流抜刀兵法も数箇月教えましたが師の梅本三男貫正先生が見られ、「外国人なのに日本人以上だ。」と褒められたくらいです。居合に対する取り組みも、素直そのもので、真っ白ですので、教えることは全て吸収していきました。
 外国人だから日本の武術を理解するのは難しいと思いがちですが、学ぶ姿勢さえ謙虚であれば現代の平均的な日本人以上に上達することは間違いありません。


 今日、二時間ほどかけて使えなくなった木刀から稽古用の木の懐剣を二本作りました。もう少し表面を仕上げなければなりませんがほぼ完成です。
木刀の切先部分は細すぎて使えないので、駄目になった木刀を上手く使って3本の懐剣が作れますが、木刀の打ち込み傷が奥まではいっていたり、かなり痛みが激しいものもあるので、2本しか取れない場合もあります。渋川一流柔術の稽古に懐剣は欠かせませんし、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古法としても上級者の方には懐剣を用いて行う動きを指導していますので駄目になった木刀や、ちょうど良い長さ太さの木片があれば自作してみてください。

         懐剣
 
  1. 2008/02/03(日) 18:28:14|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

腕の重さ、肩の重さ

 今日の渋川一流柔術の気付きですが、主に上下動によって技を掛ける「掻込」「上段絞り」等の動きについて少し述べます。
 無双神伝英信流抜刀兵法の場合も同じなのですが、心が技を掛けたいと焦るばかりに腕や肩が体から遊離してしまい、結果として腕力、肩の力を用いて技を掛ける動きなっている方がおられます。
 これを解消するために、脇をしめるとか、肚に力を込めるとかといった意識的な動きは全く必要がなくただ、正座の状態を思い出していただければ良いかと思います。何もせずそこにあるままの状態であれば、当然の事ですが引力に引かれ肩や腕は下方に下がります。このとき、指導している方法により座れていれば、脇はしめようとせずとも自然な位置にありますし、肩もしかるべき位置にあります。また肚も充実しています。
 かって同門にも、ことさらに「脇をしめ、臍下丹田に力を込め」と指導された方がおられますが、畢竟、姿勢のありようや、心の持ちようが異なっているために上半身に無理無駄が働き下半身が虚になるので意図的にそうしなければ不安定極まりなくなってしまっているのですが、それでは固着された姿勢ができ、自由はありません。
 さて、話が少し脇にそれましたが、腕、肩には当然の事ながらかなりの重さがあります。この重さを使うこと無しに、腕や肩を動かすことによって技を掛けようとするためにかえって技が効かないという状況に陥ります。まずは腕や肩の無理無駄を排除し、重さを有効に使う工夫をしてみてください。
 これは刀を上から下へおろすときも同じです。腕、肩が引力に引かれ無理無駄な力が加わらなければ、腕や肩も刀となります。腕や肩が刀と一体になれば刀の重さは一体どれくらいになるでしょうか。
 工夫してみてください。
  1. 2008/02/04(月) 22:48:50|
  2. 柔術 業

見る

 武術の稽古は見て取ることが重要です。
 無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生は天才肌の方でしたので、指導されるときに、自分はどうやって動いているのかと自分自身を分析して、その動きを言葉にしておられました。弟子は、その言葉を追いかけたために随分と先生の動きとは異なった動きをされる方が多かったように思います。
 かつて先生の抜付けが、どのように動いておられるのか、どうしても分からなかった部分があり、お願いして繰り返して見せていただき、またビデオに取らせて頂いたことがあります。何度も見ているうちに動きの原理が分かり、その後、先生に「このように抜かれていませんか。」とお訪ねしたことがあります。先生はしばらく考えられた後、「よく見取った。自分で見取ったものは決して自分から離れることはない。」と褒めてくださいました。その部分は、先生は弟子に言葉で指導されておられませんでしたので、私の動きが変化したのは言うまでもありません。
 渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生ははじめから決して言葉では指導されませんでした。見せてやらせる。間違っていれば再び見せる。という指導法です。見て取る力がなければとても習得は出来ません。
 5年程前、ZRX1220Sで青森までツーリングに行ったとき、津軽塗りの職人に津軽塗りの研ぎ出しを習ったことがあります。マンツーマンで習ったので、ゆっくりお話を聞くことが出来ました。その方の津軽塗りの修行は、約十年であったそうですが、始めの何年かは掃除や後片付けや買物などの下働きばかりで仕事は一切させてはもらえなかったそうです。その間に師の作品を見ることによって見る目を養うのだということでした。見る目もなく仕事をしても良い作品が出来るわけもないと。
 道場で形をお示しすると、ややもすれば外見のみ見て、その手順を、刀の動きを、見てまねしようとされ、結果として全く質の異なる動きの稽古をされておられる方がおられます。お示ししようとしているのは動きの本質であって枝葉末節ではありません。極論すれば動きの本質が同じであれば慎重、体重、手の長さ等が異なるのですから外見は異なるのが当然です。
 何を見るべきなのか。見て取る力をしっかりと養ってください。
  1. 2008/02/05(火) 21:01:25|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無理無駄がないのが名人達人の定義

 「無理無駄がないのが名人達人の定義。」というのは、無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生が言われていた言葉です。
 今日の稽古を見ていて、やはりまだまだだと思わざるを得ません。座れるようになったにもかかわらず、動き出したら無理無駄だらけになり自分自身を乱しておられます。座れていないのならいざ知らず、座り方がある程度できるようになっているのですから、そこから無理無駄を生じさせているのは自分の心以外の何物でもありません。
 無理無駄をなくしていけば体は自然に動き出します。工夫あるのみです。
 今日の稽古では師範代代理が随分腕を上げたと実感しました。仕事の都合で稽古の終了時間近くになって急いできたので、時間がないこともあり大森流から奥居合の座技まで、礼法がすんでいきなり一本ずつ一緒に抜いたのですが、普段の稽古と変わることなく自然に抜けていました。今日は全ての形に間をとることなく、格を離れ早く抜いたのですが全く遅れることなく焦ることなく自然について来ていました。勿論、呼吸の乱れはありません。疲れもなかったと思います。最近の上達のスピードは目を見張るべきものがあります。
 初心者のうちから、真面目にひたすら無理無駄を無くす稽古に取り組み、立っては刀が抜けず、座っては動けなくなり、随分苦労し工夫し泣いてきましたが、その成果が出ています。十分に「中傳」の位に至っています。素抜き抜刀術の動きは出来上がってきたので今後は、変化し続ける対人関係の中での動きの工夫を重ねなければなりません。
  1. 2008/02/06(水) 22:48:17|
  2. 居合 総論

体の中の自動調整装置

 今日の無双神伝英信流抜刀兵法の稽古にも、柔術を専門とされる方が稽古に来られましたが、まだまだ、考えておられるように思います。感じる事と考えることの違いは今までに述べているところですが、考えてしまえば人為的な動きにしかならず、結果として、ここが崩れているので此処をなおし、その結果此処が歪んだのでそこも直しと、悪循環に陥ってしまいます。つまり小手先の修正にしかなっておらず全体としてみれば随分歪んでしまっているのです。再度、座姿勢を中心にとらえてください。
 昨日は無理無駄を無くすことについて書きましたが、体の無理無駄を無くし、心の無理無駄を無くしてしまえば、頭で考えなくても体が自動的に全ての動きの調和をとってくれます。体の中には自動調整装置ともいうべきものが備わっているのです。ただし、それが働くのはあくまで、動きに無理無駄が無くなったときであり、考えた動きをしなくなったときに限られます。
 技はその自動調整装置をうまく利用することによって現れるので、体に負担がかかることもなく、上達すれば上達するほど、楽になっていきます。
 筋肉が疲労し強張るのは、いわゆる筋肉トレーニング的なセンスで鍛錬が足らないからだとは決して思わないで下さい。それはたんに業が未熟なだけの事です。
 思いを大きく変えなければ、いくら稽古に時間をかけても上達することはありません。
  1. 2008/02/07(木) 23:08:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

見る 2

 数日前、見取り稽古の重要さに述べましたが、今回は他流派を見るということについてお話いたします。
 無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生は無双神伝英信流を稽古しながら他の武道、他流派の稽古を始める事、さらには人によっては他の流派を熱心に見ることまであまり快く思われていませんでした。
 それは未熟な者が今稽古している無双神伝英信流の動きを分かってもおらず、身につけてもいないのに、他武道や他の流派の稽古を始めてしまったら、それに大きく影響を受けてしまい、無双神伝英信流も結局はものにならない事をおそれられ、また人によっては、他流派の動きを浅薄に見て、それを真似しようとすることを分かっておられたからです。それほど、弟子の中にもいい加減な者がいたということなのですが。
 私は、高校時代に先生から「これで他の流派を稽古しようとも崩れることはないだろう。」と言われてはいましたが、やはり先生は私が渋川一流柔術や銃剣道を稽古することを危惧しておられました。
 しかし、しばらくの間様子を見られていて安心されたのか、ひろしま国体の銃剣道競技の開始式で銃対銃の形の演武をする為の稽古を続けている時には「(全銃連の)指導してくださる方は素晴らしいものを持っておられるだろう。しっかり習っておきなさい。」と話されたり、厳島神社での日本古武道協会の演武会に渋川一流柔術の演武をするときにも「集まられる方にはよく稽古をされた素晴らしい方がおられるから、しっかり見てきなさい。」と話されたりしました。
 私の聞いた限りではこのように話された弟子はほかにいませんでしたが。
 先生ご自身は子供の頃、広島の武徳殿の近くに居られたと言うことで、私には「森本君、わしは子供の頃には柔術や剣術や薙刀の素晴らしい先生方の稽古をよく見ていた。」とお話くださいました。
 他流派を見学するのは、既に述べたようにその流派に影響されるために見るのではありません。それぞれの流派にはそれぞれの理論があって同じ頂上を目指しても道は異なるのですから、そのような見方をすれば「百害あって一利なし」となってしまいます。
 他流派を見学させていただく時には入退場や演武中の隙のなさや稽古量の豊富さ等、どの流派にも共通する部分を見させていただき、自分の稽古の至らなさを思い、今後の自分の修行の糧とします。
 貫汪館で渋川一流柔術を稽古される方は、厳島神社の演武会等で他流派を見学させていただく時のありようについてはよく知っておられると思いますが、絶対に失礼のないようにしなければなりません。
 無双神伝英信流の稽古をれるかたで、まだ素抜き抜刀術を中心に稽古する段階にある方は自分の動きが自己満足にならないように、他流派の演武をしっかり見てください。剣術、薙刀、槍、それぞれの得物が自分に自由にかかってくるのに応じなければならないのが武術としての居合です。「強い抜付けのために体にタメを作って」とか「下半身を固めて」といったことが通用するはずがないことをしっかりと学んでください。
 2月10日(日) 午前9時30分~午後4時、宮本武蔵顕彰 武蔵武道館(岡山県美作市今岡754-1)において日本武道館による第31回 日本古武道演武大会が開催されます。お時間がある方は雪に気をつけながらお出かけください。
  1. 2008/02/08(金) 23:40:43|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

第31回 日本古武道演武大会

 第31回 日本古武道演武大会を宮本武蔵顕彰 武蔵武道館(岡山県美作市今岡754-1)へ見学に行ってきました。貫汪館で稽古される方にも大勢見学に行って頂き有難うございました。途中雪でしたので、道路状況の心配をしましたが、何事もなく行くことが出来ました。
 私自身は日本武道館からの招待ということもあり、場慣れしていない、ひな壇から見学させて頂きました。
 感想は、どの流派も稽古される方全員、稽古量が豊富であるということです。どんなに素晴らしいことを習っても、どんなに良いセンスを持っていても稽古量が少なければものになるものではありません。貫汪館で稽古される皆さんも稽古量(道場外での自分自身での稽古も含めて)をしっかり確保するということについては是非見習っていただきたいと思います。
 また、演武だけでなく入退場に全く隙のない方たちや、演武場外での行動にも全く隙のない方たちもおられます。是非見習っていただきたいと思います。
 私が、今日一番感動したのは実は大会の運営のお手伝いをされている地元の女性の方たちの暖かいホスピタリティーでした。どの方も物腰柔らかく、親身になってお世話してくださいました。おそらくほとんどの方は、あまり古武道に興味のない方たちであろうと思います。それにもかかわらず、心から、おもてなしをされていました。皆様、有難うございました。
 
  1. 2008/02/10(日) 22:40:38|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無念無想の思い出

 何故か、突然「無念無想」について聞いたことを思い出しました。
それはまだ、私が航空自衛隊を退職して間もない頃、ある新興宗教の教祖様が無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生に居合を習っていたときのお話です。
 私はまだ、血気盛んな頃でしたので斬撃の稽古をするときには常に相手を真っ二つにする気迫で稽古していました。すると私を兄弟子として立てておられた新興宗教の教祖様がこう言われたのです。
 「梅本先生は無念無想で刀を振っておられます。先生の刀は武将が持っていた刀なので、血をあびていますが、今は先生が無念無想で振られているので真っ白です。森本先生の持っておられる軍刀も無念無想で振っておられれば梅本先生の刀と同じように真っ白になります。処分することも出来ますが、御自身で梅本先生と同じようにされてみてください。」 
 その新興宗教の教祖様は完全ではないにしても確かに力ある方でしたので、すぐに梅本先生にお尋ねして、指導を仰ぎました。その後、先生の御指導に従って技の上に無念無想を求め続けているのは言うまでもないことです。いまだ無念夢想が分かったわけではありませんが、術としての無念無想の有効さは分かりつつあります。
 出会った頃には、貧しく人のために力を尽くされていた新興宗教の教祖様ですが、その後、何故かおかしくなり始められ、やがて去って行かざるをえなくなられました。後から聞いたところでは梅本先生に近かったある小さな営利企業の経営者が、金儲けのシステムをその新興宗教に導入し、お金が入って来るようになってから、教祖様はおかしくなり魔に魅入られたということでした。確かに初めて会った頃に、ご自身で「お金を考えることは宗教を行う人の心を汚くする。」と強く話され、貧しい生活をされていましたので、ろくでもない人が教祖様に近付いてしまったものだと思います。しかし、当の経営者は「せっかく金に困らないようにしてやったのに。」と憤慨して話していましたから、金儲けと宗教とは絶対に結びついてはならないものだと強く感じます。
 私も道場の運営は毎年大きな赤字ですが(つまり自腹を切っているということです。)、武術も金儲けと結びついてはならないのは宗教の場合と同じ事だと思っています。

 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
     久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装    五十嵐千恵子
小道具  満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/11(月) 22:18:35|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古の在り方(渋川一流柔術の初心者のために)

 渋川一流柔は形数が多いため、特に初心者の方の稽古は手順を覚えることに意識が行きやすく、稽古を重ねて手順を考える必要もない段階に至っても、初心の時と同じように丁寧に間違わないようにということを心がけられ、結果として形が生きたものにならなくなってしまうことがあります。
 今まで何度も指導していますように初心者の方であっても動きに、「一、二、三、四…」というように段が付いてしまうことは絶対に避けなければなりません。段がついたところは隙であり、いくら速く動いてもその途切れは返されてしまうところです。これは無双神伝英信流抜刀兵法において強く抜付け、強く斬撃しようとして脇を締めるとか、ためを作るといった動作が心や動きに居つきを作るために、隙になってしまうことに似ています。動きが止まるところはすべて隙であり、そこを斬られてしまうのは当然のことです。
 柔術は、自由にとどまることなく流れ動いてくる刀に対抗しうる術にならなければなりません。
つまり、速く「一、二、三、四…」と動けるようにと心掛けることは全く意味のないことで、ゆっくりであっても途切れのない流れのある動きを心掛けるほうが上達につながる稽古なのです。  見栄えを気にせず上達の実感を求めず着実に稽古を積んでください。初心者の相手をされる中・上級者の方はこのところを十分にご指導いただきますようにお願いいたします。

 また、形稽古は手順が決まっているために相手の動きに鈍感になってしまいがちです。どこに相手が仕掛けてくるか分かっているので予め目に見えない程度に重心を移動するなどして自分の動きやすい態勢を作り、相手が動くのを見て動くことで間に合わせるようになってしまいます。しかし、これは役に立たない動きを身に付けてしまうもとですので無意識にしても意識的にそのようになっているにしても十分に気をつけなければなりません。
 渋川一流柔術では対峙しているときは、あくまでも文字通り無構えで、心にも体にも偏りはありません。その状態から相手に応じられるのは相手を読むからであり、初心のうちから相手を読む稽古をしなければ、いつまでたっても自由に動く相手に応じることはできません。
 素手と素手とで決まったルールの下で技を比べるのであれば、技が軽いとか浅いとか言うことができるかもしれませんが、渋川一流柔術は最終的には素手で刀を相手にできるだけの技を身につけなければなりません。手首に5cmの深さにしか斬り込まれていないから浅いとか、首筋に5cmの深さにしか斬り込まれていないから浅いとか、頭に5cmの深さにしか斬り込まれていないから浅いとかいうことはできません。触れられればそこで終わりです。相手の動きを読む稽古は絶対に欠かすことができません。


 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
     久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装    五十嵐千恵子
小道具  満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/12(火) 23:14:12|
  2. 柔術 総論

意識

 抜付け、斬撃し、血振るいし、納刀するとき、初心者の方は、また、長年稽古された方の中にも意識を刀にもっていき刀を扱おうとされる方がおられます。
 しかし、これではいつまでたっても「小手先の技を使う」状態から脱却できません。言葉で理解していただくのは難しいことですが、今後、稽古の質をより高いものとしていただくために如何にあるべきか記します。あくまでも言葉の奥にあるものを読み取っていただかなければ考え違いをしてしまいますので、文章を読んだだけで簡単に分かったと思わず、理解できなければ道場でご質問ください。
 刀は体の一部であり体の末端に位置します。この体の末端が斬り、突くという働きをなしますので、初心者の方は刀という末端を使おうとして、手首、前腕、上腕を用いて刀を動かそうとしてしまいます。しかし、それでは体の外側に生まれた力が中心を崩してしまい、その崩れを止めようとして体を固めるがゆえに、結局のところ自分自身の動きに隙ができてしまいます。のみならず、動きが体の中心を用いていないために力の伝達は末端近くから行われ、自分自身の体感は強いものであっても、実際は刀に十分な力は伝達されていません。
 手首、前腕、上腕、肩はあくまでも中心からの力の伝達経路であり刀と一体となったものであらねばなりません。しかし、この伝達経路に力みという障害物があると刀に力が伝わらず、また、力の方向がずれ刀が思ったところを動かなくなってしまいます。
 初心者の方は自分自身の体の力みがわからないために、これを勘違いし、腕に力がこもっていないからだと思い、再度、手首、前腕、上腕を用いて刀を動かそうとしてしまいます。これでは、はじめから無理無駄をなくす稽古をしていることが無意味になってしまいます。
 何のために無理無駄をなくす稽古をしているのか、何のために座る稽古を重ねてきたのか、何のために礼法、歩法の稽古を重ねてきたのかを再度確認し稽古を重ねる必要があります。


 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/13(水) 23:56:41|
  2. 居合 総論

業は衰えない

 一度、身に付いた業は衰えることはありません。以前からわかっていた事ですが、今日の師範代代理の稽古を見ていて、ますますその思いを強くしました。
 師範代代理は仕事が忙しいのに加え最近は個人的にも忙しく十分な稽古時間が取れていません。今日も忙しくとても稽古に来れる余裕もなく、体力的にもずいぶんきつかったにもかかわらず、無理して最後の20分稽古に参加しました。大森流・英信流表・英信流奥の座技まで通して稽古しましたが、動きに少しの衰えもありません。それどころか稽古時間は少なくても稽古するたびに上達します。
 それは無双神伝英信流抜刀兵法では、自分の体に備わっていないもの新たに作り上げるのではなく、心も体も無理無駄をなくすことにより、本来自分自身に備わっている能力を現すことによって業と成すためで、技が衰えた。スムーズにいかないと感じたとすれば、それは自分の心の「もっと強く」「もっと速く」「もっと見栄えよく」という思いが自分自身の動きを狂わせているからであり、さらにそれを何とかしようと作れば作るほど、ますます、くるっていきます。一度身に付いた業は衰えることはないので、そのような心をなくしてやりさえすれば元の動きに戻るのは簡単なことです。
 上達とは無理無駄をどんどんなくしていき、術としての無念無想に近づくことを言います。新たな物を作りだし、衣を身につけていくように幾重にも身にまとうことだと勘違いをされないでください。

 今日の稽古の気づきを述べます。
 歩法の稽古を終え斬撃の稽古に入られた方は、自分の過剰な思いが動きを狂わせ、動きが如何に不自然なものになるかに気付かれたと思います。この気付きを大切に、今日できたと思った動きを再現しようとせずに(再現しようとした時にそれは固定された動きになってしまいます)稽古を重ねてください。
 刀を抜いてからの手の内の稽古と、刀を前に構えて歩法の稽古をされた方は「構える」という言葉に居ついておられました。刀は文字通りたまたまそこに位置しているだけで、決して構えているわけではありません。構えると思うから、その位置に固定しようとし心も体も固めてしまっています。思い考え居着くことをなくす稽古を心がけていただきたいと思います。
 

 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/15(金) 01:06:58|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古着

 渋川一流柔術の稽古に、便宜上、柔道着と袴を用いていますが、この柔道着、あまりに強張り過ぎており、体の感覚を鈍くしてしまいます。講道館柔道が力に頼り、着衣を掴みひっぱりまわすように投げるようになったところから現在のように変化していったものと思います。
 渋川一流柔術を専門に稽古される方が数名、無双神伝英信流の稽古に来られていますが、柔道着から薄い居合道着に代えられて稽古されるようになってから感覚が繊細になり自分の動きの違和感に以前よりも気付かれているようになっています。
 これは着衣の種類によって上達が左右される例なのですが、防寒対策のために稽古着の下に何かを着る場合にも体を締め付けるようなタイトなものは体の感覚を鈍くしてしまいますので注意が必要です。
 また、角帯をし、袴をはくことについても身にまとうことを心掛け、締め付けることは避けるようにしてください。
 渋川一流柔術には相手の着衣をとり投げる形があり、上達するまではどうしても引っ張ってしまい、薄すぎる着衣であると破れる可能性がありますので、柔道着を用いていますが、できれば柔軟仕上げ等をされ強張ったままに使用されないことをお勧めいたします。可能であれば渋川一流柔術の稽古に適した稽古着を入手しなければならないと思っています。
 

 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/15(金) 22:07:02|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手先の動き

 今日の渋川一流柔術の初心者の方の稽古を見ていても、人はどうしても実感の持てる手先から動きたいのだと、重ねて感じてしまいました。
 感覚の発達している手先、腕、肩の順に体を使おうとして動き同じ外見ではあるけれども、技が有効ではなくなっています。体を中心から使うことは有効であっても自分自身の手先や腕に無駄な力がこもらないので実感はなく、特に初心者の方には難しいことと思いますが、渋川一流柔術にあっても実感を求める稽古は厳に戒めなければなりません。
 中級者の方が御膳捕打込の稽古をされていましたが、せっかく無双神伝英信流抜刀兵法の座法、礼法の稽古を重ねておられるにもかかわらず、「受」は懐剣を抜くや大腿筋に力を込め立ち上がりきりつけていました。これでは「受」をするたびに自分の動きを下手にするばかりです。気迫と体の力みとを混同されてはなりません。また「捕」の稽古は御膳捕打込の体動は基本的に大森流の体動とかわりませんので、せっかく居合の稽古をされているのですから別物としての稽古は無意味です。お互いに焦ることなくゆっくりと工夫してください。
 また、本日は九州支部長が稽古に来られましたが、まだまだ中心からの動きができません。座ることは出来ており動きとくるいが生じ始めるのですから自分自身の「何かしよう」という心が体の動きを狂わせているのです。九州支部長の場合カタチ(外見)を稽古することは現在の段階では全く無意味です。座した時と動きの中での自分自身の心を冷静に観察してください。

 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/16(土) 22:56:14|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

繰り突

 今日は雑談です。雑談ですので特別に意味があることとは思わないで下さい。
 二十年近く前ですが、陸上自衛官ばかりの銃剣道の大会に始めて出たことがあります。以前も書きましたが航空自衛隊と陸上自衛隊の銃剣道は趣が異なっていました。陸上自衛隊の銃剣道はいかに試合に勝つかということに集中して稽古されている感があり、こんなに違うものかと思ったほどです。
 国体の予選でしたが、35歳以上の部に繰り突が得意な方がおられました。繰り突とは木銃を持っている左手の手の内を緩め、手の中に木銃を滑らせて突くことで、渋川一流柔術の六尺棒での突きの技術とおなじものです。当然の事ですが左手を固定して突くよりも遠い間合から相手を突くことが出来ます。当時から繰り突はいけないとされていましたが、現在のように厳格に反則はとられていませんでした。
 その方の試合は相突き(同時に突きを出すこと)になれば必ず先に突くことが出来て一本をとり、中途半端な間合で少し膠着した状態でも体をあまり前に出すことなく木銃だけが前に出、相手が間合を読めずに一本をとられていました。繰り突しない相手に対しては相当に有利な技術です。
 その後ルールが厳しくなり繰り突は反則をとられるようになり、現在では左手の位置が厳格に決められており体格差に関係なく左手の位置が木銃にマークされていてそこから左手がずれると反則を取られてしまいます。繰り突が得意であった方は試合にも出られなくなりました。
 明治期に銃剣道が槍術をもととして作られたときには繰り突が技として存在したといいます。現在の銃の構造では繰り突は困難なのだといいますが、私は随分昔に64小銃で試したのですが多少でこぼこしていても繰り突は可能でした。むしろ短い小銃では繰り突をしなければかえって白兵戦では不利になると思ったくらいです。
 私は槍の稽古をするときには繰り突をしますが、友人は初期の槍術は繰り突はしなかったのではないかと話してくれました。
 たった一つの技術ですが、その技術が勝敗を大きく左右するものと感じています。

 今日も、お金を使えないため(そこをついてしまいました。ガソリン代も高くバイクで出かけることも出来ません。)家で物づくりをしました。
 以前、柳井西蔵で機織してつくった布で先日作った稽古用の木の懐剣の2本用の懐剣袋を作りました。布を一重にして房を飾りとして生かしたので、下の3分の1は折り返し二重にして補強ました。縫い目が出ていますが仕方ありません。
 嫁入り懐剣を持たす財力は全くないので師範代代理には稽古用の木の懐剣2本とこれを持っていってもらいます。     

      懐剣袋


 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演が行われます。詳細は以下のとおりです。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 

 劇団夢現舎公演 No.21  『続・遺失物安置室の男』
2008年2月26日(火)~3月4日(火)  於アトラクターズ・スタジオ
過去の記憶を遺失した遺失物預かり所の管理人とそこを訪れる何かを欠落してしまった人々。
現代に生きる人々の物の価値に一石を投じる、夢現舎流シニカルファンタジー

作       劇団夢現舎
演出・構成  小竹林早雲

出演   横川明代 大野寛嘉 齋藤真 春日裕美 宮崎陽介
      久住奈央 高橋正樹 池田立道  マス(□に斜め線)田喜晴
美術   山下昇平
衣装   五十嵐千恵子
小道具 満木夢奈
照明   伊藤馨
制作   劇団夢現舎
協力   及川芳泉 古川真司 堀泰緒
後援   杉並区 杉並区文化協会
     東京高円寺阿波踊り振興協会 高円寺パル商店街振興組合
      (有)アトラクターズ  金子正且  
  1. 2008/02/17(日) 17:45:18|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古の絶対条件

 今日の渋川一流柔術の稽古を見て、初心者の方はまだ稽古において何が大切かがわかっておられないようですので、何度も述べたことですがくり返し述べます。
 柔術の技は渋川一流柔術の技としての条件にかなっていなくても、同じ手順を腕力が非常に強い人が行えば、何が起こるかわからない全くの素人には有効な場合も多いかと思います。しかし、そのような腕力に頼った動きでは経験のある人にはすぐに動きを察知され技を返されてしまいます。したがって技が技である絶対条件は決して筋力に頼らないことにあります。
 これは、たんに腕に無駄な力を込めないということではなく全身に無駄な力を込めないということを意味します。
 多くの方が立ち姿において腰が落ちるということに徹底的に取り組まれようとされず、たんに膝を曲げ大腿筋を緊張させることによって上体を支えておられます。このような動きには全く意味がなく自由に動けるどころか、動く時にはその不自由さから逃れるために床を蹴り腰を高くし結果的に上半身の筋力に頼って業を掛けざるを得なくなっておられます。
 腰が落ちるのは下半身の無理無駄な力が抜けた結果であって、そうでなければ、自由な足運びは決して生まれるものではありません。
 形稽古は手順どおりに相手をきめることが大切なのではなく、まず、どこにも無駄な力を込めずに動くということを絶対条件として稽古しなければなりません。したがって初めから技がきまろうはずもありません。きまらないからこそ工夫によって技が生まれるのであり、技が決まらないからといって少しでも力に頼ってしまったら、その時点で、進歩はありえません。下手な稽古を考えもなく繰り返せば下手な動きが身についてしまい、はなれなくなってしまいます。 
 よくよく工夫してください。

 お世話になっている備前長船日本刀伝習所の上田祐定刀匠のブログにこのように書かれていました。
 「余り教え過ぎると弟子が工夫・努力する事がなくなるので、ある程度で教えるのを止める。そこからは弟子が今日見た親方の仕事を思い返して自分なりに考えるものである。」
 教えられた知識は知識でしかなく、実際に役に立つものではありません。自分自身の深い工夫がなければ決して自分のものにはなりません。

 昨夜、さらに二つの懐剣袋を完成させました。ひとつは神棚に祭ってある御神剣の袋で、もともと白い布で作ってあったものが随分と汚れていたのであらたに白い布で作りました。
 もう一つは演武用の懐剣の持ち運び用に柳井西蔵で機織した柳井縞の布で、もう3年以上前に織って、そのままになっていました。横糸が5本どりですので、しっかりとした布です。

         懐剣袋2



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  1. 2008/02/18(月) 22:27:08|
  2. 柔術 総論

刀あるが故に

 昨日の稽古で1時間あまりかけて、大森流、英信流表、英信流奥の虎走まで三本づつ約90本を続けて抜きました。
 最近は数を抜いても疲れることがありません。むしろ1時間散歩するほうが随分疲れます。したがって、居合は運動というには全くものたりないものになってしまいました。
 何故楽なのか、無理無駄が少なくなっただけではありません。刀が軽いからでもありません。むしろ上田刀匠に打っていただいた私の2尺8寸2分の刀は樋はなくやや重いほうかもしれません。この重さに助けられています。軽ければ未熟な心が小手先で振れると判断しでかえって体力の消耗は大きいと思います。
 刀が自分自身の動きを助け、動かせてくれています。刀が体を起こし、刀が体を進め、刀が体を立たせ、刀が体を沈める。まるで体を操っているかのように。何も持たない時以上にはるかに動きは楽になるのです。
 柔術には刀の助けがありません。自分の体が全てです。体そのものを刀にしなければなりません。
 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
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  1. 2008/02/19(火) 22:27:33|
  2. 居合 総論

継ぎ足・歩み足

 本日も雑談程度のお話です。
昨日、数年ぶりに銃剣道をしました。といっても本格的な稽古ではなく防具もつけることなく高校生の初心者に指導をしました。今は、以前あったあった自衛隊を退職したり旧軍の軍人の方が集まっての稽古場がありませんので、民間人が稽古をする機会はありません。
 自分自身の銃剣道の稽古をする機会はないのですが、広島県銃剣道連盟では副理事長という肩書をいただいており、高校生の国体の選手要員の稽古につきあいました。連日の居合、柔術の稽古で火曜日一日くらいは平日のんびりしたいとは思いますが。

  銃剣道では形において、遠間からは歩み足で間を詰めるにもかかわらず、形以外の稽古では遠くからでも継ぎ足を用い、近寄ります。非常に不自然で、下肢の筋力に負荷がかかりやすく、体力も消耗しやすいのですが、そのように決められているので、そのようにしなければなりません(全国を統一する組織のもとでの武道とはそんなものです)。本来、継ぎ足とは間合いが接近した場合に微細な間の調整に用いられるものだと思いますが、何故このようになったものでしょうか。
戦時中までは白兵戦用の武技であったため、遠間から接近するのに継ぎ足をもっぱら稽古したとは思えません。不整地の地面での継ぎ足は非常に不安定なものです。歴史上の技術的変遷を調査しなければなりませんが、継ぎ足をもっぱらとするのは現代剣道の影響ではないかと思います。現代剣道でも遠間からでも継ぎ足を用いるという非常に不自然なことが稽古されます。
 短剣道も私が始めたころは、短剣対銃剣の試合がもっぱらで、銃剣に対する短剣は入り身、制体するために当然のように歩み足を用い、自由な動きになっていました。
 歴史的に見れば短剣は銃を待たない砲兵が対銃剣の白兵戦用に稽古したものですので、試合は短剣対銃剣で行われることが自然です。
現在は怪我を防ぐためと短剣道の普及のため短剣対短剣の試合しか行われませんので、短剣道もまた現代剣道の亜流のようになってしまい、継ぎ足を専らとし、以前は短剣道をほとんどすることがなかった自衛官の稽古方法をみても全く片手で行う剣道といってもよいようなものに変質してしまっています。
 何故、歩み足ではなく継ぎ足なのか、深く研究されて決められたことなのでしょうか。

 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
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  1. 2008/02/20(水) 21:45:10|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

前後詰、両詰、三角、四角

 師範代代理には稽古時間が足りないためもありますが、英信流奥居合の立居合には進まず座技ばかり稽古をつけています。
 英信流奥居合の座技では、前後詰、両詰、三角、四角の形が多数の敵を相手にする形となります。これらの形では敵を斬る動きに滞るところがあることは許されません。
 前後詰は「前にかかると見せて後ろを突く」ではありますが、「抜付ける直前に変化し後方の敵を突く」のでなければ技になりません。初めから抜付けを見せかけとしていれば、当然敵はそれを見抜いてしまいます。稽古としてそのままの動きで抜付けが可能かどうかを検証することもしなければなりません。抜付けをしてみて横雲の動きと異なるようであれば初めから後ろの敵を突こうとしていい加減な動きをしているということになります。
 両詰もしかりです。右の敵に抜きつけようとする動きがいい加減であれば左の敵を突こうとする時、斬られてしまっています。あくまでも状況によっては右の敵に抜きつけることが出来なければならないのです。
 三角は前、右、後方の敵を撫で斬りにしますが、一つの動きで詰めかかる敵をはらわなければなりません。
 四角は前後詰、両詰の応用の形ですが、往々にして動きは一つずつ途切れ、とても4人の敵を相手にする動きではなくなってしまいます。稽古は初めゆっくり動きに途切れがないようにするのが肝心で、一人一人を力を込めて区切りをつけて斬っていたのでは、必ず自分が斬られてしまいます。
 多敵を相手にする動きは一人の敵を相手にするときと全くかわりなく、そこにあるままに動けねばなりません。何をしてもどのように動いても座った姿とかわりはないのです。少しでも無理無駄が生じてしまえば筋肉が緊張し次の敵に向かうために一度緩めなければ動けません。そこには途切れが出来てしまい、とても多敵を相手にすることは出来ません。
 多くの方が一人斬るたびに体に歪みを生じさせ、ゆり戻し次の敵に向かいという動作をしています。筋肉が緊張するのでそのほうが「やった」という実感が持てるかもしれません。しかし、それでは斬られてしまいます。
 
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  1. 2008/02/21(木) 22:05:06|
  2. 居合 業

作為を廃す

 昨日の無双神伝英信流抜刀兵法の稽古では初心者の方も中級者にさしかかっておられる方も初発刀の抜付けの稽古をして頂きました。
 これくらいは出来るだろうと思われるような簡単な動きですが、「鞘手ををかけよう」「柄手をかけよう」「抜こう」という思いがどんなに自分の動きに無理無駄を生じさせ、狂わせているかが良くおわかりになったと思います。稽古の絶対条件は「力を入れない」ことで、この条件を守っていたから、自分の動きの至らぬところを感じることが出来たのです。
 稽古とは如何に作為的な動きを廃すかであって、作為的な動きがなくなれば、意図せずして「抜付け」は自然に生じます。
 これが初めから手首を折るだの、下からかけるだの、脇をしめるだのといった作為的な動きの稽古をしていては自分のひずみにすら気付くことはありません。
 言葉でいえば、「腰を落とす」は実は「腰が落ちる」のであり、「手をかける」は「手が掛かる」であり、「抜く」は「抜ける」であって何一つ意図的な動きはないのです。
 自分で何かしようという思いが強ければ強いほど動きは歪みを生じ居付き、武術としての自由はなくなってしまいます。もっとも自己満足のカタチを求められる方は歪みがあるほど「やった」という実感が残りますので、そのようにされれば良いと思います。しかし、それは師伝の無双神伝英信流抜刀兵法ではありえません。業とは実感が残らないものなのです。術技としての無念無想を求めてください。
 
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  1. 2008/02/22(金) 22:00:55|
  2. 居合 総論

月刊「武道」2月号の記事に

 月刊「武道」2月号の記事に福島大学教授 中村民雄先生の連載「中学校武道必修正課に向けて《その位置付けと指導案》 第2回総論 ~ 武道の授業で伝統と文化をどう伝えていくか」が載っています。連載の趣旨にそった非常に貴重な御意見が載せられていますので、機会があれば御一読ください。
 たとえば、「座礼」についてや「左座右起」について、一般に伝統であると思われている事柄がどのような歴史を持っているものなのかを書いていただいていますので、大変参考になります。
 私自身は、中学校武道必修化は賛成いたしません。一体、武道をきちんと教えられる人間が教育現場にいるのか、伝統と明治以降の富国強兵策の中で新たに作られた伝等の差を知っている教師が一体どれだけいるのか疑問だからです。
 たとえば、私達が十年以上前から社会体育として使っている中学校ですが、柔道を専門とする体育教師が転勤してきたとたん、自己紹介をするのでもなく、「ここは廿日市市柔道連盟の活動拠点にしたいから、あんたらは他でやってくれんか。」と切り出す柔道バカもいます。たしかにその中学校は、その教師が来てから、県で一番になりましたが、柔道をする生徒の質は最悪になり、稽古の後に社会体育の使用の時間がきても、道場で音楽をかけボール遊びをし、寝転がって大人がきても知らん顔。何をいってもどこうともしません。その体育教師がくる前は決してこんなことはありませんでした。その他、体育教師の嫌がらせは書くのもいやになるくらいです。また、校内全面禁煙にもかかわらず、何故か武道場の畳の側には灰皿とたくさんの吸殻がある。
 勝てば何をしても良いのだという認識の武道指導者がいるのに、武道必修には何の意味もないどころか百害あって一利無しです。勝たねば意味はないという風潮を作ってきた今の講道館柔道の首脳陣に大きな問題があるのだと思います。
 廿日市スポーツセンターで日曜日に柔道の大会をするにしても以前は土曜の夜に準備されていたのに、今は前日の昼からかりきって、のんびり準備、夕方から武道場は使われることもなく遊んでいます。その陰で稽古できなくなる団体があるということを、考慮すらしない。金があるのだから何をしても良いという考えなのでしょが、「自他共栄」など自分達の仲間内の自他共栄に過ぎません。こんな指導者達が一体何を教えるのでしょうか。

 余談が随分長くなりましたが、中村民雄先生の文章の中に「「自然体」という考えは柔道の創始者・嘉納治五郎が習った起倒流柔術にある「本体は体の事理なり」という教えに基づいている。この教えは、どの方向にも偏らない、本体(真っ直ぐに立った姿勢)をつくることの重要性を説いたもので、頭頂から床下へ真っ直ぐ下りる「中心軸」と丹田におかれた「体の重心」とを一体としてとらえ、自己の内なる「中心感覚」を体認・体得することが求められている。この自己の「中心感覚」が体認・体得されれば、他者との「距離感覚」がつかめるようになり、ついには、相手の動きを「読む」ことができるようになるとされる。そして、その「中心軸」を安定させるには、腹式呼吸により、「気」を丹田に集めることがひつようになる。・・・・武道全般に共通する理想とされる姿勢なのである。」とあります。
 起倒流の解説ですが、貫汪館で稽古する無双神伝英信流抜刀兵法も渋川一流柔術も同じことです。ただし、言葉の表現のことですが、姿勢は作りません。そこにあるだけです。地球の引力の線は誰にも平等に中心を通ろうとします。乱すのは人の心です。呼吸も体に無理無駄なければ自然にハラで呼吸がなされています。
 今日の渋川一流柔術の稽古で指摘を受けた方は理解いただけたと思いますが、自分自身の思いが業となる自然な動きを乱し、意味のない動きへと変質させています。
 剣は触れればおわりですが、柔術は触れた後もしばらく接点を保ちつつ、そこにあるだけでなければなりません。とても難しい事なのですが工夫しなければなりません。

 今日午前中、パウンドケーキを二つ作りました。一つはたっぷりのチョコレートとカカオを入れ、もう一つはくるみを入れました。毒見のため、作ってから一切れずつ食べてみましたが我ながら美味しく、2切れが朝食兼昼食になりました。のこりは、身近な人の口の中に入るためにもらわれていきました。
 武術は心の修行といいますが、何故か技が上達した時の喜びよりも、形のあるものが出来上がったときの喜びのほうが大きいような気がします。

            パウンドケーキ
 

                              パウンドケーキ2


   
 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演 No.21『続・遺失物安置室の男』が行われます。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 
  1. 2008/02/23(土) 21:13:09|
  2. 柔術 総論

全ては同じ

 無双神伝英信流抜刀兵法九州支部長が稽古にきましたので、土曜日に指導しました。今回の稽古でやっと稽古の本質が分かったようです。確認のために記します。
 貫汪館では座法・礼法・歩法の稽古を普通の方で半年くらいして頂いて方の稽古に入ります。それらの稽古の中に居合の全てが存在するといっても過言ではないからです。形に入っていないが故に敵を想定する必要はなく、「敵を両断する」とか「早く早く」といった思いが生まれず、心と体に無理無駄を生じさせる可能性は随分少なくなります。
 大森流等の形に入ってもこれらの動きがそのまま形の動きとなるのですが、一部を少し解説します。
 座法の稽古はそこにあるだけの稽古ですが、決して姿勢を作ることはありません。姿勢を作ることがないからこそ自由に動けるのです。形の稽古にに入ったら敵を想定しなければならないために自らを緊張させて背筋を正し、腰を要れ、力強くという思いが生じる方が多くおられます。それは決まったようにしか動けない姿勢であり、形は決まったようにしか動けない体を作り上げてしまいます。そうならない為の座法の稽古です。かって稽古した座法を忘れてはなりません。
 礼法において座礼では、そこにあるだけの姿勢であるが故に体を傾け礼をしようとすれば、自然に手が前に出始めます。決して「手を出す」訳ではありませんでした。この自然に手が前に出る動きを用いて柄手は柄にかかります。手を柄に「かける」わけではないのです。抜付けの稽古をしていない座礼の稽古の段階ですでに抜付けの稽古はしているのです。敵を想定した時に自ら手を掛けに行く方が多いのですが、礼法の稽古の動きは既に抜付けの稽古の動きとなっているのですから別の物と考えてはなりません。
 立礼の場合、体に無理無駄が無ければ《特に下肢に)体を前に傾けたとき自然に体はさらに沈みお尻は後方にスライドします。正座しての抜付けの際の前傾も立礼と同じです。座すが故に外見では沈んだようには見えませんが体は沈みお尻は後方にスライドします。立礼の稽古も抜付けの稽古に通じるのです。しかしながら敵を想定したとたん。すぐにお尻を浮かし、腰を伸ばす方が多いのはどうしてでしょうか。心が動きを乱しているのです。
 歩法の稽古では下肢の筋肉のどこにも緊張が入らないように稽古しています。この動きは大森流の血振いの後の足の踏みかえの際の動きであり、このとき下肢のどこにも緊張があってはなりません。また、これは虎乱刀の足運びであり、さらには奥居合の虎走の足運びとなります。
 参考までに一部のみ解説しましたが、貫汪館で稽古される方には、初めから居合の動きの本質をお教えしており、「所詮基本。」と言ってよいことではないのです。土曜日に理解されたことを大切に稽古を続けて頂きたいと思います。
   
 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演 No.21『続・遺失物安置室の男』が行われます。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 
  1. 2008/02/24(日) 22:46:45|
  2. 居合 総論

手をとる

 渋川一流柔術の稽古で初めに習う形のグループである履形は受が中段をついてくるのを主に受の手をとって技をかけ、吉掛は右肩を突き押しにくるのを主に受の手をとって技をかけます。いずれの方のグループも隔離状態からの動きを制するという初心者にとっては難しい状況になっています。
 相手の手をとって技をかけるのですが、どうしても、掴む→技をかけるというように、手をとることと技をかけることが二つに分かれがちです。しかし、これでは動きに段がついてしまいますので、そこを相手に返されてしまいます。
 履形や吉掛の形は離れた状態にある相手が動いてくるその動きをそのままこちらに頂いて技をかけますので、相手に触れた瞬間には、さらに言えば相手の動きの初めから、まだ接触していない段階から技をかけ始めているのです。そこを間違えて稽古をすると、いくら早く動けるようになったとしても、いつまでたっても隙は残り続けます。
 まず、相手に接触した時点で技が掛かり始めるという所をしっかりと稽古してください。  
 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
 無双神伝英信流抜刀兵法を稽古していただいている劇団夢現舎の公演 No.21『続・遺失物安置室の男』が明日から3月4日まで行われます。東京に出かけられる機会があれば是非、御観劇ください。詳しくは劇団夢現舎のホームページ(←クリックしてください)を御覧下さい。 
  1. 2008/02/25(月) 22:21:33|
  2. 柔術 業

大石神影流と信抜流

 今日も雑談程度の内容ですので、気楽に読み流してください。
 広島県立文書館の西村先生から信抜流に関する『村上家乗』の中の記述をお教えいただき、久しぶりに信抜流について思い出しました。
 以前調査したところ幕末の広島藩の師範の原家は東京にありましたが、原爆で史料は全て焼失,家も養子によって継がれているということでしたので、当然実技も伝えられておらず、信抜流に関してはむしろ私のほうが詳しいくらいでした。
 信抜流は広島藩・三原藩に幕末まで伝えられていた剣術で,居合はその付属です。居合の流派と思われているのは佐分利流槍術とともに伝えられているのが信抜流の居合だけのためです。
 信抜流に関しては平成11年度広島県立廿日市西高等学校研究紀要に「広島藩の武術諸流派」としてまとめた中に下記のような記述をしました。未だにこれより多くのことは史料が未発見のためにわかっていません。

信抜流
 流祖は新陰流祖の上泉伊勢守の門人ともとも伝えられる奥山左衛門大夫忠信で、奥山左衛門は心貫流と称した。心貫流の稽古方法については『撃剣叢談』に「二派有り、一には紙に張りたる笊をかつぎ、敵にほしいままに頭上を打たせて、向の太刀の来る筋の遠近を見覚ゆる也、此方は短きしなへを以て進み出る計にてわざをなさず、眼明らかに成りて、後勝負太刀を授ると云、今一派は背に円座を負て同く短刀を提て身を屈め背をうたせてすすみよる也、勝負は手元に入りて勝事を専らとすると見へたり、今長州清末に三輪要次といふ信抜流の師有、其ならはす如何と云事を不知、」3)とあり特異な稽古方法を持っていた事がわかる。
 心貫流は前述したように永山大学によって広島藩にもたらされ、心貫流から信抜流へと改称された。永山大学は寛永13年豊後竹田に生まれ、益永軍兵衛に学んだ。後、脱藩し廣十日市で浅野甲斐守忠真に召抱えられ、三原浅野氏の援助も受けた。門人千人に及び隠居して海田に土地を得た。永山大学の墓(写真8)は安芸郡海田町石原にあり墓石の右側には「元禄五年九月廿七日」と刻まれている。またその後には信抜流の後学によって建てられた石柱があり、前面に「南無阿弥陀仏」、裏面に「三原三山源五資範并同門人芸備諸士謹建」、右側面に「永山大学入道信楽先生百回忌」、左側面に「寛文三年辛亥九月二十七日」と刻まれている。
 廣島藩では江戸時代後期から幕末にかけて、山瀬源太の弟子である原道郷、道郷の子である原毅平と高名であった。原道郷は常に門人に「剣に剣なし、体を以って剣となす。体に体なし、神を以って体となす。」と教えたという。原道郷の石碑(写真9)は廣島山瑞川霊園に原道郷・毅平の墓(写真10)は西向寺にある。幕末には信抜流も防具着用の他流試合をしているので心貫流の特異な稽古方法はとっていなかったと考えられる。
(『尚古』第二年 第八号p17/『広島県史 近世2』p1177/『新修広島市史 第4巻 文化風俗史編』p287/『安藝備後両國偉人傅 全』p302/『元凱十著』p60~63/『藝備碑文集』上巻p134,135)

      永山大学墓石
      永山大学



 信抜流は、広島藩での他流試合の嚆矢の貫心流の細家の働きかけによって円明流などとともに貫心流と交流し他流試合をするようになっています。信抜流は本来は剣術でそれに居合が付属していたようです。
 他藩の者と他流試合するようになったのは,高知の中村の樋口真吉の武者修行日記によれば,貫心流の次に信抜流であったと思われます。

 やっと本題ですが、信抜流の伝書類が未発見なため、伝系の詳細は良くわからないのですが、昨年、日本武道学会第40周年記念大会での発表のために調査した大石神影流の伝系は
足利日向守愛洲惟孝――奥山左衛門大夫宗次――上泉武蔵守藤原信綱――長尾美作守鎮宗――益永白圓入道盛次――吉田益右衛門尉光乗――石原傳次左衛門尉正盛――村上一刀尉源長寛――大石遊剱入道種芳――大石太郎兵衛尉種行――大石七太夫藤原種次

 途中まで信抜流と同じです。大石神影流の系譜は奥山左衛門大夫宗次と上泉武蔵守藤原信綱の順番は書き伝えられるうちに逆になったものだと思います。広島に信抜流を伝えた永山大学の師は益永軍兵衛ということですので、大石神影流の益永白圓入道盛次とひょっとしたら同一人物ではないかと思います。
 かたや短き竹刀を用いて稽古する流派となり、かたや長い竹刀を用い、稽古に用いる刀も二尺八寸二分という長さを用いる流派となったのは非常に面白いことのように感じます。
大石神影流の二尺八寸二分はたまたま私の刀と同じ長さですが、当時の人の身長からすれば私の身長に合う刀はもう少し長い刀ということになるでしょうか。平均的な稽古用は二尺八寸二分だったのでしょうが、高知中村の大石神影流免許皆伝 樋口真吉は突き業に特化した細身の長さ3尺6分、反り2分の刀を幡多郡入野郷にいた左行秀に特別注文して作らせ、同じ長さの稽古用の刃引(作者不明)を作らせています。
 信抜流がどの程度の長さの刀を用いたのか興味のある点ですが、稽古には短い竹刀を用いても実際に使用したのは普通の長さかもしれません。また、幕末の広島藩の信抜流の師範 原家は貫心流の細家の影響を受けて他流試合を行っていますので、長い竹刀を用いていたかもしれません。原爆により資料が発見できないのが残念です。
  
 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
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  1. 2008/02/26(火) 20:18:41|
  2. 武道史

抜付けの手がかり

 抜付けのときどうしても抜くにつれて無駄な力がこもっていく方が大半のようです。抜付けは柄手が掛かり抜くと《瞬時ではあるのですが)それ以前に比べて体は自由に楽になっていくのが無双神伝英信流抜刀兵法の抜付けです。
 「抜こう」「抜きつけよう」「斬ろう」という思いが、体の動きに無理無駄を生じさせていくということは何度も述べているところですが、抜付けでは体は自由に楽になっていくということを体感するために納刀の感覚を参考にされればよいかと思います。
 無双神伝英信流では納刀の際、刀が鞘と一文字になったときには柄頭は切先よりも位置的に高い位置にあります。したがって納刀では刀を納めるという動きをすることなく、刀は引力にしたがって峯を鞘に滑らせながらひとりでに鞘に納まっていきます。このとき、体は全く力を用いることがありませんので自由に楽になっていくのを体感することが出来ます。(この納刀をも自らの力で行おうとする方には全く参考になりませんが。)
 抜付けの感覚はまさにこの納刀時の感覚であり、何もせず、体が自由に楽になっていった結果、抜きつけられていたというものです。したがって抜付けに力が必要なこともなく、また、抜きつけた後に腕の筋肉を緊張させて刀を止めるということもありません。
 工夫してください。
  1. 2008/02/27(水) 22:57:23|
  2. 居合 業

右手が動くのは

 今日の無双神伝英信流抜刀兵法の稽古では渋川一流柔術を専門に稽古される方に抜付けを指導しました。
 まさしく三人三様でそれぞれの方のもつ課題は異なっているのですが、共通して言えることは頭で考え行動しているということです。
 抜付けで、抜いた後に右手を使って右に刀を動かそうとするのは意識的にせよ無意識にせよ振るという実感を欲するためであり、何もしなければよいものを、かえって動きを自ら歪ませています。良い動きというのは無理無駄なく体の調和が取れた動きですので、振ることによる筋肉の緊張からくる実感はありません。筋肉の緊張による実感があるとすればそれは動きに調和がなくひずみを生じているためです。勘違いをされませんように。
 また、早くからお尻が脚を離れ、腰高になる方がおられますが、これも早く抜きたいという気持ちの現れであり、良い動きではありません。鞘から切先が離れる直前までお尻が浮き始めることはありません。
 動きに統一性がない方、あそこをこうし、ここはこうして、それはその形ではなくと考えた結果ばらばらになっています。全てを捨てるところから始めてください。
 無双神伝英信流においては心も体も無理無駄を無くし調和が取れた動きより業が生まれます。人為的にああしてこうしてと考えていたら決して自由自在な業は生まれるものではありません。
 頭で考えることをやめなければ業は生まれないのです。

 
 3月30日(日)に一般に公開した自由参加形式の貫汪館居合道講習会を実施します。講習会のテーマは『自由に動く為の大森流の稽古のあり方』です。詳しくは貫汪館ホームページ(←クリックしてください)の無双神伝英信流抜刀兵法 稽古のページを御覧下さい。 

 
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  1. 2008/02/28(木) 23:44:19|
  2. 居合 業

島田虎之助

 本日も武道史に関する雑談ですので、軽く読み流してください。
 島田虎之助は勝海舟の直心影流の師で男谷精一郎の弟子にあたります。この島田虎之助の名前が「大石神影流諸国門人姓名録」に記されていることは昨年、第40回日本武道学会で発表した「大石神影流諸国門人姓名録について」の発表資料に載せております。
 推測ではありますが、島田虎之助の名が「大石神影流諸国門人姓名録」に記されているのは豊前中津の一刀流の剣術師範 長沼無双右衛門が大石進と試合し面の不備から眼球をえぐられ、のちに門人ともども大石に入門したということと無縁ではないと思います。
島田虎之助の名は長州吉田から柳川に通い、大石進に入門し、免許皆伝を得た笹尾卯三郎の道場を訪ねた人物の記録「諸国武術御修行者姓名録」にも記されています。「諸国武術御修行者姓名録」は文政5年(1822)から万延元年(1860)ころまで修行者自身がおおむね藩・流名・名前・年月日等の順に記しています。
 以前もこの「道標」に記しましたが長州吉田は山陽道の宿場町です。笹尾道場は現存しませんが街道から十分ほど登った小高い丘の上に道場あとがあり、戦後まで崩れかかりながらも残っていたとのお話を聞きました。
 「諸国武術御修行者姓名録」には島田虎之助関係の記載が以下のようにあります。


豊前中津家中
外他一刀流  堀太郎大夫門人
         嶋田虎之助
豊後立石家中
          佐藤連蔵
   文政十二年
     丑五月



一刀流     嶋田金十郎
        同 虎之助
  天保六年
    未七月廿七日



一刀流   堀太郎大夫門人
         嶋田虎之助
  天保八年     僕一人
    酉九月二十四日



 直心影流  嶋田虎之輔門人
   出羽山形家中  鈴木英佐
    辰(天保一五年)
      四月上旬より下旬まで
             島田虎之助


      東都
 直心影流  嶋田虎之輔門人
   筑州家中  丸尾武策
    同年(弘化二年)
      九月二十八日


 この資料から見る限り天保八年までは一刀流(外他一刀流)を名乗っており、天保一五年にはすでに直心影流として門人をとっていることがわかります。一説に天保9年(1838年)江戸に出て、直心影流剣術の男谷信友の弟子となったといいますので、それを証明する史料ともいえます。

 
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  1. 2008/02/29(金) 20:49:23|
  2. 武道史

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