無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

探究心

 無双神伝英信流抜刀兵法でも渋川一流柔術でも、指導する際に統一したマニュアルがあるのではなく、一人一人の動きを見たうえでその人にとって最適な指導方法をとっています。
 貫汪館の武術が現代武道のような集団教授法をとれないのは、外見を身につけて欲しいわけではなく、個に応じて本質を身に付けていただきたいからなのです。したがって、ある人には上といい、ある人には下というように全く反対の事を言っているような場合がありますが、これは個に応じた指導をしているためであって、会得していただきたい本質は同じものです。
 個に応じて指導しているがゆえに、その指導には全身全霊を用いており、いいかげんなことは一言たりともお話はしていませんし、魂をすり減らす思いでお教えする場合さへあります。
 しかしながら、指導者として最善の方法は示すものの、受け取る側がそれをまともに受け取らず、このくらいで良いと思ってしまえば決して上達することはありません。
 最近はこれまでの経験から、稽古したいと来られても、カルチャーセンターに通うような気持ちがで来られた場合には、稽古は厳しいとお話して他に行って頂く様にしていますので、いい加減な気持ちで稽古する方はおられませんが、(ある時、カルチャーセンターの講師をしておられた方にかつて道場でおこった事をお話すると、「そんな方はカルチャーセンターにもいない、ひどすぎます。」と言われたことがありました。)まだまだ探求心が十分とは言えない状況を目にすることもあります。
 初心者の方には、「それで良い。」は指導者が言いますので、決して自己満足で指示された稽古を中断されないようにお願い致します。

 大事をは皆受取と思ふともみかかさるには得る道はなし
  1. 2007/08/01(水) 22:20:58|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

調査旅行

 8月3日(金)から本日7日(火)まで高知県に武道史の資料調査に行ってきました。
高知城


 目的は私達が稽古する無双神伝英信流抜刀兵法に関する調査と大石神影流の初代大石進門人である四万十市(旧中村市)の樋口真吉に関する調査です。
 8月3日(金)は早朝から出発する予定にしていたのですが台風の影響でフェリーが欠航しておりまた、風が強く愛車のZRX1200Sも風にあおられそうでしたので、のんびりと出発、結局ファリーのったのが11:30でそれから約2時間の船旅、松山堀江港に着いてから約3時間のバイクでの四国縦断で結局、高知に着いたのが午後4時半、高知県立図書館で7時まで江戸期の文献の調査をしてから、図書館の司書の方に教えていただいた「ぽかぽか湯」に入浴、夜は伊野町の仁淀川河川敷にテントを張って宿泊しました。
niyodogawa.jpg


 翌、4日(土)は一日中、高知県立図書館で文献の調査をして、また「ぽかぽか湯」に入浴、夜は前日と同じく伊野町の仁淀川河川敷にテントを張って宿泊しました。
 5日(日)は日曜市を歩いて午前中は高知県立図書館へ、午後は山内宝物資料館の学芸員さんのお話を伺いに同所へ赴きました。学芸員さんとは事前に電話でお話していましたので、史料目録や目録に載っていない文献のリストの準備をしておいてくださり、その結果、史料の閲覧申請を書き、火曜日に史料閲覧をさせていただくことにして、その足で高知市立自由民権記念館に向かいました。自由民権記念館でも学芸員さんが快く対応してくださり、私の疑問点には後日回答してくださることになりました。
 午後4時過ぎて四万十市に向かい日没前に四万十市に到着、四万十市では二期作の稲刈りがなされている田もあり、また2回目の苗が植えられている田もありました。
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 四万十市に着いて、そのまま海岸近くの「四万十いやしの湯」に入浴、四万十川河川敷にテントを張って朝まで過ごしました
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 6日(月)は四万十市郷土資料館で樋口真吉の史料調査、武道史の面からみて面白い史料がたくさんありました。一日では時間が足りなかったので、再度訪れる必要があります。6日の夜はまた高知まで走り、「ぽかぽか湯」に入浴、いつもの伊野町の仁淀川河川敷にテントを張って宿泊しました。前々回の高知での調査でも同じ場所に泊まりましたので仁淀川河川敷には5泊したことになります。
 7日は山内宝物資料館に行き、史料の閲覧と撮影を済ませ、再び山越え、フェリーに乗って、さらにバイクを走らせて廿日市に戻ってきました。
 今回の調査旅行はバイクの車検後ということもあり、走行は非常に楽でしたが、2回目の車検なのにもう8万キロ近く走っており、タイヤ交換や部品交換に相当な出費がかかり、さらに自賠責保険、任意保険と出費、前回の柳川調査や長崎行きの時のETC走行、ガソリン代の請求もあり、この夏はこれ以上の行動は金銭的に不可能になってしまいました。
 しかし、調査を進めれば進めるほど、さらに調査しなければならないことが増えてきます。資金と時間が足りません。
 調査の成果は少しずつ、お知らせしていこうと思っています。

  1. 2007/08/07(火) 21:14:48|
  2. 武道史

中心

 本日の無双神伝英信流の稽古で初心者の方は自分の中心をとることが難しいのだなとあらためて感じました。
 初心者といっても大森流や英信流表、太刀打・詰合を一通りこなすことができる方なのですが、英信流表の「浮雲」「山下風」がどうも苦手なようで、どうしてかなと観ていたら中心が取れていないことに気付き、指摘するとすぐに動きが良くなりました。よく稽古されているだけに流石です。
 「浮雲」「山下風」は英信流表の中でも動きが難しく、敵の位置を想定することによって動きの中心が敵のほうにずれてしまっていたようです。動きの中心のずれに気付かれたので、今後は自分の形の崩れを自分自身でより高いレベルへと修正できると思います。
 
 別の方を見ていてもう一点気付いたのが斬撃の稽古でした。
 歩み、刀を振り上げ斬り下ろすという単純な稽古ですが、敵に向かって歩む時に、腰を安定させて、しっかりと歩むという意識があるために、かえって居着いて体が自由になっていません。敵に向かって歩むという単純な動作ですが、これを「腰を安定させ、敵を気迫で押して攻め」と考えると前方への動きしかなく自由な動きはなしえません。大切なのは「そこにあるがままに歩む」ということでです。
 高知の調査でみたある流派の伝書に「躰之事」としてその解説に「前後へ心を配り抜けぬように」とありました。
  1. 2007/08/09(木) 00:13:37|
  2. 居合 業

流名

 無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術の初心者の方は自分が稽古する流派の流名について迷われることがあるようですので再度確認をしておきます。
 まず、無双神伝英信流抜刀兵法ですが、公的には旧漢字の無雙神傳英信流抜刀兵法を用いており「むそうしんでんえいしんりゅういあいへいほう(ひょうほう)」と読みます。細川義昌先生には御二人の免許皆伝の弟子がおられ、一人は植田平太郎先生で私達の流れへつながりますが、もう一人は中山博道先生で、ご自身の工夫を加えられ、はじめ無想神伝流を称され、現在は一般に夢想神伝流と呼ばれています。夢想神伝流は中山博道先生から全伝を授けられた方は少数であったようですが、多くの方が自分の習ったところまでを伝授され、全国的に大きな流派となっていますので「むそうしんでんりゅう」という流派名のみを音に聞いて、私達と同じ流派だと早とちりされないで下さい。内容は大きく異なっていますので、見て間違われる方はおられないとは思いますが・・・。また無双直伝英信流もあり、これは土佐における居合の歴史が長いためにいくつかの分流が生まれたためで、やはり無双神伝英信流とは異なっていますので、ご承知置きください。
 余談になりますが、一般には土佐では居合は谷村派(無双直伝英信流)、下村派(無双神伝英信流)の2派に分かれたと思われていますが(この派といういい方も当時あった言い方ではないのではないかと思いますが)、現在につながっているのがこの二つの流れというだけなのであって、今回の調査で分かったことですが、幕末の居合導役が知られているよりも数多くおられたことから、実際には多くの分流があったと思います。
 次に渋川一流柔術ですが、これも公的には伝書に記されている旧漢字の澁川一流柔術をもちいており、読みは「しぶかわいちりゅうじゅうじゅつ」です。貫汪館で稽古している渋川一流柔術は幕末に首藤蔵之進満時が渋川流と難波一甫流、浅山一伝流を合して創流したもので渋川流とは異なった流派ですのではっきりと区別してください。流祖は首藤蔵之進満時であり伝書にも首藤蔵之進の弟子が奉納した額にもそのように記されています。
 現在、渋川流は大阪に現存し、稽古を続けられていますので、くれぐれも失礼の無いようにお願い致します。
 また、渋川一流は古い時代(戦前)に稽古された方は(もうほとんどおられなくなりましたが)通称として会話の中で「シブカワ」とだけ言われた方もありますので、混乱されないようにしてください。

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/09(木) 17:16:33|
  2. 武道史

鏡の利用

 先日、無双神伝英信流の稽古の際に、姿勢を正すのに鏡は常日頃の使用は勧められないとお話いたしました。
 初心者の方に鏡を見ていただいたのは礼法後、立ち上がる時に左に傾いているのが体感として、どうしても分からないようでしたので、稽古を始められて2ヵ月半、初めて鏡を見て、確認していただきました。本来、動きのひずみは自分の体に問えば分かるものなのですので、あえて鏡を見ていただいて形を正すという稽古はしていないのです。
 鏡を見て姿勢を正す稽古をすると、どうしても陥りがちになるのが、外見を正そうとすることです。左に傾いていれば左側面に力を込め体を立て直し、右に傾いていれば右側面に力を込め体を立て直し、前傾していれば腰にぐっと力をいれ反ろうとする。このようにすれば軍隊式の姿勢のとり方と同じで一見しっかりした姿勢が出来上がったように感じられ、見た目も真っ直ぐになったように感じられます。しかし、それば貫汪館の武術で求める自由に動けるということとは正反対の稽古方法となってしまいます。
 たとえば左に傾いている時には、おうおうにして右に無理無駄な力がこもって、つっぱっているからであり、また前傾しているのは背面に無理無駄な力がこもって、こわばっているからなのです。これらを取り除くことがなければ道場で求めている姿勢は定まることはありません。
 外見を正すのではなく、内面を感じて正す稽古。そのため、鏡の使用をあまりお勧めしていないのです。

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/12(日) 12:25:13|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大石神影流

 先日、武道史の調査に高知件四万十市に行った際、樋口真吉の稽古刀を見ました。概算ですが柄長40cm、刀身76cm先の欠けた部分が15cmあったといいますので刀身は91cm位あったことになります。現存する佩刀の刀身は93cmで言い伝えでは佩刀と同じ長さに作らせたといいますから、刀身は93cmあったのかもしれません。
 樋口真吉は初代大石進の門人で免許皆伝を得て中村で門人を指導しました。
大石神影流では刀の長さは二尺八寸二分となっており、たまたま私の刀と同じ長さですが、樋口真吉はそれよりも長い刀を用いていたことになります。もっとも初代大石進の刀のうちの一振りは三尺三寸の同田貫であったといいますから、必ずしも刀の長さは強制されたものではなかったのだろうと思います。
 面白いのは樋口真吉の練習刀も写真で見る佩刀もその形状が突技に特化したものであることです。反りは少なく身幅も細く、斬ることにはあまり適していないように見えました。
 大石神影流では形は正式には刃引きを用いることもあるとされていますので、練習刀は刃引きの刀であったのかもしれませんが、竹刀の長さに換算しても四尺四寸はくらいはあります。大石神影流はただ長い竹刀を用いて試合にのみ有利な流派であったように思われる向きもありますが、実際にも長い刀を使用できる技を兼ね備えた流派であったのだと思います。

砂斬り刀

四万十市立郷土資料館蔵

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/13(月) 13:02:24|
  2. 剣術 総論

無双神伝英信流抜刀兵法 梅本三男貫正先生のお墓へ参りました

 先日、無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生のお墓にお参りしてきました。
 実は先生の神道の師である、ある方より、先生が帰幽された後、私に「墓は魄のとどまるところ、先生の魂は岩城山にお祭してあるので、梅本先生の業を受け継がれている先生(私のこと)は岩城山にお参りするのが良いのです。また岩城山におもむく時間が無い時には思いを岩城山に向けて祈念すれば、梅本先生の魂に心が通じ、導いていただけます。」とお話いただいていましたので常日頃は岩城山にお参りし、先生のお墓には年に数度しかお参りはしていないのですが。

 先生は帰幽される5ヶ月前、ある御遺言を私に伝えられました。そのとき先生は病状もかなり悪くなっておられ床に寝ておられましたが、起き上がられて、私を応接間に導かれました。先生はご自身で「幽界にいるのか、この世にいるのか分からぬ時がある。半分は向うに居り、半分はこちらに居るような気がしている。」と話されましたが、はっきりと、ある事を伝えられました。
 その後、数年はあえて先生の御遺言にふたをして生きてきましたが、結局、状況は先生のお話になったとおりになり、御遺言通りに生きざるをえなくなりました。今、考えるとその時、先生のお話になった事は全く正しく、そのようにならざるを得ない予定されたものであったように感じます。 

8月16日(木)は居合の稽古を通常通り廿日市市スポーツセンターで行います。ご見学の方はお越しください。

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/13(月) 18:50:39|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

渋川一流柔術 畝重實嗣昭先生のお墓へ参りました

 昨日、渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生のお墓参りに行ってきました。
いつも、お墓参りの前に先生の御長男の住んでおられる御家にお伺いし、仏壇にお供えをしてから御墓参りをしています。その御家で渋川一流柔術の稽古を付けていただきましたので、なんとも言えず、懐かしいというより、今でも先生のおられる場所のような感じがします。
 先生のお墓は坂町の小高い岡の上にあり、そこからは瀬戸内海を見渡すことができます。先生がなくなられて以来、墓参を欠かすことはなく、常に身近におられ、見守ってくださるのを感じています。
 先生は夏に御中元を、冬に御歳暮をお持ちした際、また、どこかに出かけた時にお土産をお持ちした際に、よくご自身の経験をお話くださいました。
 「森本君はよくありがたいものをもってきてくれるが、私も師匠の車地國松先生にはお中元、お歳暮を欠かしたことは無かった。先生はお歳をめされてからは、あまり出歩かれなくなられたので、先生にとって必要な物、喜んでいただけるものを考えてお持ちした。時々、仕事の帰りにも、いい刺身があれば『先生、今日はいいお刺身がありました』といってお持ちし、いい西瓜ができれば冷やしてお持ちした。喜んでいただけるのが何よりだった。」と。
 私も、奥様を先になくされた先生にとって体に良いもの、美味しい物、必要な物を選んでお持ちしていましたので、私の思いをくんでお話になったのだと思います。

 先生は安易に弟子は取られませんでしたが、私には「師弟といえば親子も同然、子が困っている時に親が助けるのは当たり前の事。」とお話くださり、本当によくしてくださいました。私も実の親以上に思いお仕えしましたが、至らぬことばかりでした。
 先生がお亡くなりになったあと、お嬢様が「父は晩年になって『いい弟子ができた。いい弟子ができた。』と喜んでいました。」とお話くださった事がすくいです。

8月16日(木)は居合の稽古を通常通り廿日市市スポーツセンターで行います。ご見学の方はお越しください。


 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。



  1. 2007/08/14(火) 18:08:58|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

間合

 無双神伝英信流抜刀兵法の稽古をされる方にも渋川一流柔術の稽古をされる方にも私自身は指導者として、道場以外でも常日頃、どうしたら上達していただけるだろうかと思案しています。
 私自身の経験から述べれば、無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生は私が入門した頃は、色々な言葉を用い、あるいは道具を用い説明してくださいました。しかし、先生ご自身は天才肌であったために、自分がこう努力したということを教えてくださるのではなく(先生ご自身は教えられなくてもできていたという事が多かったようです)、自分の動きを自分で考えるとこうなっていたので、このように動きなさいという教え方でした。
 したがって説明されることとご自身がされていることの差も多く
 「脇をカチカチになるくらいぎゅっとしめなさい。」(先生ご自身は脇は自然にしまっていましたが、カチカチではなく自然でした)
 「刀を構えた時には両手首にボルトが通っているくらいに真っ直ぐにしなさい。」(言われたとおりに意識すると外見は似たようにはなるのですが、固くなってしまい自由さはありません。先生は内面から整っていたので、自然にそのような形になっていたのです)
 等々、よく先生の動きを観察すると先生の言葉に(動きにではなく)忠実になろうとすればするほど、先生の本質に迫ることは難しくなってしまいました。 
 晩年、飛躍的に業が進化された先生はほとんど言葉を用いては説明されないようになりました。私もそのほうが理解できました。(私のレベルが少しは上がっていたのかもしれませんが)。
 一方、渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生は始めから言葉で示されることは無く、すべて動きをもって示してくださいました。しかし一つの形をを見せて、あるいは掛けていただけるのは、多くても3回くらいまで、集中して見なければなりませんでしたし、掛けていただける時には感覚を忘れないように集中しなければなりませんでした。今でも先生の業は私の目と体に焼きついています。
 私自身は稽古は365日と思っていましたので、それでも良かったのだと思います。先生方の動きは私の体の中に宿っています。
 
 前置きが長くなりましたが、私にとっての指導上の問題は、仕事の都合で、週に一回しか稽古できないような人達にどのように上達していただくかと言う事です。少なくとも家で一人稽古をしていただくということを前提にして・・。
 言葉を用いれば言葉に居付き、現代教育になれた現代人に見て取れというのも難しく。
 ある程度進んだ人には「自得」といって自分で見て取っていただき、道がそれている場合にはそれを修正する程度にしていますが、初心者の方にはそれは難しく。

 様々に思いをめぐらせていますが、今、居合も柔術も初心者の方に欠けているのは「間合」についての工夫であろうと思います。居合の形の稽古をはじめた初心者の方は、どうしても動かない敵を斬りに行こうとしています。その結果形の条件としての間が崩れ動きが崩れる方が多く居られます。はじめに説明したとおり、敵が斬りかかってくる、その間であるということを忘れないで頂きたいと思います。
 柔術では一つ一つの形で相手に技を掛ける時に「間合」は異なります。この「間合」が数センチ崩れただけで同じ業を掛けても筋力を必要としてしまうことが多くあります。全般的に初心者の方は間が遠いのですが。
 盆休みががあけた後は、間合いについての工夫を心掛けて頂きたいと思います。

 明日、16日(木)の居合の稽古は廿日市スポーツセンターでいつもの時間に行います。

 貫汪館ホームページの会報のページに月刊『武道』3月号と6月号の記事を載せましたのご覧下さい。

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。



  1. 2007/08/15(水) 12:20:32|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

長谷川英信について

 以前も一度、林崎甚助の居合は、その林崎神社に林崎甚助より奉納された太刀の拵が差料であった事から、腰に刀を差した状態の居合であったのではないかと述べました。また、古い文献のどこにも長谷川英信が太刀を佩いた状態の居合を腰にさした状態の居合に改編したという記録を見出すことがいまだに見つけることもできません。
 長谷川英信については伝書に「目録には無雙神伝英信流抜刀兵法と有り
本、重信流と云ふべき筈なれども長谷川氏は後の達人なる故に是を称して英信流と揚られたる由也云々」と書いてあり、改編したとはかかれていません。
 江戸時代より長谷川英信が改編したという説があるわけではなく、どうもこの説は「無雙直伝英信流第十七代宗家大江正路先生の実話」という冊子に載っているように無双直伝英信流の政岡壱実先生の推定にはじまるのではないかと思います。少し長くなりますが一部を引用してみます。
 「一、流祖の居合
 流祖、林崎先生の時の居合を考えますに、当時は刀を差すことがなくて佩いていたので刃が下に向いていたわけです。故に下から切り上げる動作が主であつた、という事は誰が考えてもおわかりと存じます。現に林崎先生の弟子の片山伯耆守の伯耆流では、下からの抜き上げ業が非常に多い、それと同じ様に林崎先生は抜いておられただろう事が想像出来ます。又、もう一つ下から抜いたが、斬る事は、上からも右からも、左からも斬つただろうということも想像出来ます。・・・
二、英信の居合
 英信という人は、非常な武芸の達人であつた様です。居合は無論、剣道も出来たし、柔道、その他の武芸を沢山練習した記録が残つております。先生は初め林崎先生の行われたものを、そのまゝ行われたわけなんです。現に英信先生の曽孫弟子の方の伝書の写しを持つて居りますが、絵も載せてありますし、又、内容も書いてありますが、それを見て私が考えまするに、当時、林崎先生のをそのまゝで行われた様に思われます。しかし初めのうちは林崎先生のをそのまゝ習つていて、晩年になつて、或いは中年かも知れませんが、これではどうも具合が悪いと変革されたものと考えられます。

 当時は徳川初期で、林崎先生当時に比して社会情勢、生活様式も変化して参りまして、その時分にはじめて武士の家にも畳を敷くことが出来て、現在の正坐様式の坐法が出来てきた。かくなると同時に刀を差す「帯刀」という風が出来てきた。また今迄通り刃が下向きになつていないから下から抜いていたのでは具合が悪い、上向いているのだから、それはその通り抜かねぱならぬという大変革をきたした。 そこで上から抜くべきだが、実際には斜、又横から抜きつける方が効果的であると考えたのが、英信先生であります(それまで考えなかつた片山伯耆守は昔のままを、そのまゝ行つており、現在迄引継がれていると考えさせられます)英信先生はこれは、刀の差し方が変つたのだから改めねばならぬという考えで変えられたのがそのまゝ伝えられ現在、我々が行つている抜き方になつたと申し上げてよいのであります。 ・・・」

 基本的にこれは政岡壱実先生の推定であり、林崎甚助の頃に既に刀を腰に差す風習があったということを知られなかったために起こった間違いであろうと思います。
 現在一般にいわれている説が、一体、どの時代に言われ始めたことであるのか再度検証する必要があると思います。

 貫汪館ホームページの会報のページに月刊『武道』3月号と6月号の記事を載せましたのご覧下さい。

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/16(木) 18:24:52|
  2. 武道史

心しておくべきこと・・・初心者の方へ

 木曜日の無双神伝英信流の稽古をみていて、初心者の中に稽古の方法を間違え、このままでは取り返しがつかないことになってしまいそうな方が居られますので、くどいようですが稽古に当たって絶対に心しておかねばならないことを述べます。
 無双神伝英信流でも渋川一流でも武術の業というものは、今までの日常生活で無意識に慣れてしまった動きとはまったく異質な動きを求めています。たまたま、日常生活の動きが武術の動きと本質的に同じである方が居られるかもしれませんが、そのような方はいまだ見たことがありません。
 ところが、稽古を見ていると、道場内での動きが日常生活の動きの延長線上にあり、動きを本質的に変えようとはしない稽古をされている方がいます。本質が変わっていないのに外見だけを真似することは、その流派を学ぶということではなく、自身では出来るようになっていると思われていても、無双神伝英信流や渋川一流という武術の視点から見た場合、それは全く上達を意味しません。それどころか、下手に猿真似ができれば、後の向上にとって、マイナスでしかないのです。
 稽古は今までの生活では体験したことが無く経験したことが無い(したことが無いのでその動きに不慣れだという意味ではなく)本質的な動きを身につけようとしているのですから、始めは自分の動きがおぼつかなく、頼りないのがあたりまえで、このおぼつかなさ、頼りなさが無ければ初心者にもなれていないということを意味しています。
 人は何十年も生きていれば、いまさら赤ん坊のように立てばすぐに転び、歩めばすぐに躓くような思いはしたくは無いだろうと思います。しかし、その経験無しには新たな業を習得することは不可能です。
 また、形の稽古をはじめれば、私の動きを見て居合は速くなければ、強くなければならないのだと勘違いされ(私の動きは自分ではとても満足できないくらいに遅く弱いのですが)それまでの稽古を台無しにされ、直接的に速さ強さを求めようとされる方が居られます。しかし、今の私の動きは速さ、強さを求めてきた結果ではありません。師が稽古の指標として示された無理無駄の無い動きを求めてきた過程で、自然とそのような動きになってきただけで、自分の体感でも、速さ、強さは感じることがありません。むしろそれらを感じてしまった時には自分の動きの調和が崩れてしまっている時なのです。
 初心者の方は、くれぐれもこのことを忘れず、本当の意味での初心者として稽古されてください。

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/18(土) 10:23:03|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

東軍流

 昨日、「師が稽古の指標として示された無理無駄の無い動き」ということについて触れましたが、これは何も無双神伝英信流や渋川一流柔術の稽古にのみ当てはまるものではありません。私が高校生の頃に経験した事を記します。
 私が子供の頃に住んでいた広島市安芸区船越町には私が住んでいた家から川沿いに日本製鋼のある場所まで歩いていく途中に一見の鍛冶屋さんがありました。暗い作業場の中で、炭でおこされた赤い炎が鞴で風を送られるたびに火勢が強くなり、鉄が真赤に焼けて槌で打たれ形ができたり、曲がったものが直されていく。私は幼稚園の頃からその作業場を見るのが好きで、ずっと見ていたいのだけれど、ずっとみていると、その神秘的な空間を壊してしまいそうで、自分の心に楔を打ち込んではそこを立ち去っていました。今回のお話はその鍛冶屋さんのお話です。
 余談になりますが、わたしは子供の頃の経験から鍛冶にたいする思いが消えず、数年前に熊本県の人吉で鍛冶屋さんに指導を受けて鍛冶場で包丁を十本近く、刺身包丁も2本、あとは小さなナイフや園芸用の移植ごて、火バサミ等たくさんのものを作らせていただきました。いま手元に残っているのは2日がかりで作った写真の狩猟用ナイフ(柄も自作でした)と小さなナイフが数本で、あとは皆、今の持ち主のもとへもらわれていきましたが。

狩猟ナイフ


 話を元に戻します。その鍛冶屋さんは私が中学生になる頃には仕事をやめられ、仕事場には現代的な家が建ちました。
 高校生になって、ある日の午後、私は家の横の空き地で木刀(さすがに外では居合刀は使えませんでした)で居合の稽古を師の梅本三男貫正先生に教えられたとおりにゆっくり、静かにしていました。すると、その高齢であった鍛冶屋さんが通りかかられ、声を掛けてくださいました。そのとき初めて鍛冶屋さんの声を聞き、お話をしました。鍛冶屋さんのお名前は、もう忘れてしまいましたが、このようにお話されました。
 「居合の稽古をしているの。いい稽古をしているね。居合は先生に教えられたとおりに、始めはゆっくり静かに稽古をしないと、絶対に上達しないよ。ゆっくり静かに正しく稽古をするから、速くなっていくんだよ。今のまま先生に教えられるとおりに正しく稽古をしなさい、そうすれば絶対に上達するから。」
 私が師 梅本三男先生と同じような話をされる鍛冶屋さんに驚いていると、
次のように話をされました。
 「私は昔、岡山県に住んでいて、若い頃、東軍流の稽古をずいぶんしたんだ。東軍流には面白い稽古があって防具をつけて稽古をするときに円陣のなかに一人が居て次から次へと、円陣の外に居るものが打ちかかっていく。夜暗い時に稽古もすれば、目隠しをしての稽古もした。」とお話になられました。
 その当時は武道史もほとんど知らず、東軍流も名前は聞いた事があるといった程度でしたので、東軍流についてそれ以上お尋ねしなかったのは、返す返すも残念なことでした。
 その後、梅本先生にそのお話をすると、「世間一般では、そのような見方をする方は少なくなっているのに、隠れた人もいる。もっとお話を聞けばよかったのに。」と話されました。


 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/19(日) 11:18:10|
  2. 武道史

柔術の上達のために

 先週土曜日、渋川一流柔術の稽古をみていて、柔術のみの稽古では限界があると感じざるを得ませんでした。
 前々から、柔術の稽古のみをしている方には刀の扱いに慣れるように、時間があれば無双神伝英信流の稽古に来ていただくようにお話していますが、柔術の形の稽古が進めば進むほどに、刀を使いこなせる必要が生じてきます。
 渋川一流柔術は江戸時代に成立した柔術ですので、多くの他流の柔術同様、奥の形は「捕」が素手、「受」が刀を持つという形の状況設定あります。
 『鯉口』は、道を歩いている時、前方から来る「受」が、すれ違いざまに急に「捕」に抜き付けて来るのを制する形のグループですが、これは「受」が居合を使えなければ、どうしても低レベルの稽古にしかなりえません。居合が使える者に対処しえるだけの業を身につけるための稽古ですから、「捕」も居合を知らなければ知らないものに対処することは非常に難しいと思います。
 また、『居合』は「受」が刀を抜いて斬りかかるのを「捕」が素手で取り押さえる形のグループですが、「受」が刀を自在に扱えなければ、これもまた、低レベルの稽古にしかなりえません。
 また、浅山一流の稽古をしても六尺棒や十手、分童、等 刀に対する業を身につけるためには「受」の刀の扱いが上手でなければなりません。下手であれば低レベルの形稽古しかできなくなってしまうからです。
 柔術の稽古を始められて年数が経つ方は刀が扱えるよう能力を高めていただきたいと思います。 

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/20(月) 23:27:11|
  2. 柔術 総論

柔術の上達のために 2

 昨日の渋川一流柔術の稽古を見ていて、気になったことを述べます。
 数年稽古した人でも「履形」「吉掛」などの形で「受」の手首をとった後の次の動作で「受」を制する動きが始まるという動きをされている方が居られます。「受」の手首をとった後の次の動きで「受」を制するという動きをすれば、その動きは「いち、に」という動きになってしまい「に」の時には「受」は次の攻撃をしてくるか逃げてしまい、実際には制することはできなくなってしまいます。
 形稽古で「捕」が「受」を甘やかした結果そうなってしまったのだと思いますが、「捕」は「受」の体に接したときには、すでに「受」を自分の支配下においていなくてはなりません。難しいでしょうが、稽古ではそのように心掛けて工夫してください。工夫無く今まで通りの動きを続けていれば、いくら稽古したところで、何の役にもたたない動きを身につけてしまうことになります。

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/21(火) 23:18:06|
  2. 柔術 総論

居合・・・初心者から次の段階へ

 昨日、無双神伝英信流の稽古で初心者から次の段階への移行期にある方の稽古を見ていて感じたことを記します。
 「太刀打」の稽古で特に感じたのですが、その方の動きには無理無駄も無く、形の手順も覚え、体もつかえるようになり始めているのに、未だに「丁寧に」という意識が抜けていないため、形が生きて働いていいませんでした。つまり、「この次はこう、こうくるから、こう応じてこう斬る」という思いが強く残っているために、形が体操になってしまっていたのです。
 形の手順も必要な動きも一通りは体が覚えているので、次の段階に必要なのは、自分ひとりの動きではなく、相手と調和の取れた動きであり、調和が取れていながら相手との関係において主導権の取れている動きです。
 そのためには今の段階では相手を斬るという意識〈心の力みではなく)が不可欠で、形であっても常に意識の上で主導権をとっていなければなりません。意識の上で主導権をとっていなければ、動きの上での主導権をとることはかないません。この意識が無ければ「打太刀」が少し上の(対処しがたい)動きをすると、完全に押されてしまって動けなくなってしまいます。
 昨日の稽古ではこの点を指摘すると、その方は、動きまで変わり「打太刀」が厳しい動きをしても対処しえるようになられました。理解の速さは日頃の稽古せぬ時の稽古の成果であろうと思います。
 初心者を卒業されようとしている方が、一人で行う居合の稽古でも、太刀打、詰合の稽古でも相手との関係において常に主導権をとるという意識をもって稽古すれば、さらに上達は容易なものになるでしょう。ただし、これは相手とは関係のない自分の「心の力み」と同じものではありませんので、よくよく工夫されてください。

 9月30日(日)に行う無双神伝英信流 居合道講習会の案内を貫汪館ホームページの無双神伝英信流の稽古のページに載せましたのでご確認ください。他流派、他道場の方や一般の方にも公開して行う講習会ですので柔術の初心者の方も御参加ください。
  1. 2007/08/22(水) 17:13:22|
  2. 居合 総論

あるがままに

 本日の稽古で一人の初心者の方には「刀を抜き、構え、進み、斬る動き」を、もう一人の初心者の方には初発刀を徹底して稽古していただきました。
 御二人の方には理解していただいたと思いますが、すべての、どのような動きも、「そこにあるがままに」という事を忘れないで頂きたいと思います。
「立って刀を抜き、構え、進み、斬る」、この動きも、始めに帯刀して立っている状態と抜き始めて以後の状態は全く変わるものではありません。同様に初発刀の動きも、どのように動いていようと始めの正座の状態と変わるものではありません。
 したがって、磨きに磨いて一度身に付いた〈体認した)業は衰えることは無く、衰えるとすれば、自らが自らの意識で動きを曇らせているのだということに気付いていただきたいと思います。
 仕事の都合で遠くはなれ、月に数回しか稽古にこれない方も居られますが、道場で身につけた業は衰えることはありません。自分の体を感じ、自分の意識のありようを省みる稽古を怠らないで下さい。

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  1. 2007/08/22(水) 22:34:32|
  2. 居合 総論

自分を知る

 本日の無双神伝英信流の稽古では、幸いなことに皆さんそれぞれに進歩さていました。
 先日「太刀打」を厳しく指導した方は今日の稽古ではその成果が出ており、「太刀打」の稽古でも「詰合」の稽古でも相手との関係において常に主導権をとるという意識をはっきりもたれており、動きもそれにつれて各段に向上していました。ある程度体がつかえるようになった人は、意識の持ちよう一つで、段違いに向上します。「大森流」「英信流表」の形にもその成果が現れ、一昨日に比べれば、格段の進歩でした。
 また先週、動きが日常生活の延長線上にしかなかった方も、稽古の後半、気付きを得られ、ずいぶん稽古内容が良くなってきました。
 どの方にも、あてはまるのですが、自分を知ることが上達のための重要なポイントとなります。
 それは鏡やビデオで自分の姿を見て外見を作るのとは異なります。自分自身の内なる自然を、妥協することなく深く深く感じることにあります。 

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  1. 2007/08/23(木) 23:20:40|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無理無駄を排す事

 先日の無双神伝英信流の稽古でずいぶん無駄な力みがなくなっているのに、形の流れの中でいびつな動きをしてしまう方が居られました。ご自身でも、その動きに気付かれていると思います。
 これは、稽古がある程度進んできて、何もしない時には無理無駄な力が抜けており、刀を抜付けたり、斬撃したりする時にも肩から先の無理無駄は無いのにもかかわらず、力みを抜くことで 無意識のうちに自分自身が不安になり、「抜付け」「斬撃」「血振い」といった動作の時に腰を中心として臀部や背筋に強張りを作りその強張りを強さ、(中心からの動き)と錯覚して動くことに起因しています。外見からみれば、むしろ全身を軽く緊張させてバランスをとったほうが上手に見えるかもしれません。しかし、それでは形稽古で自由な動きを養うことはできません。
 無双神伝英信流の稽古では体のどこにも無理無駄な力が入ってはいけません。また、それは心の状態にも当てはまることです。全ての無理無駄をなくすことによって、体は動き始めます。始めのうちは動き始めることすらできないかもしれませんが、安易に自分自身に妥協することなく工夫を続けてください。

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  1. 2007/08/25(土) 09:06:21|
  2. 居合 総論

来嶋又兵衛、笹尾卯三郎

 昨日、『新資料 来嶋又兵衛』の著者である山口県美祢市 西圓寺の瓜生等勝先生を訪れ、先生のご案内で、大石神影流免許皆傳の来嶋又兵衛と笹尾卯三郎の遺蹟をたずねました。
 来嶋又兵衛は笹尾卯三郎とともに柳川の大石進に入門天保14年に二人とも大石神影流の免許を授かっています。
 そのご、来嶋又兵衛はもともと修行していた平岡新陰流を名乗りますが、笹尾卯三郎は大石神影流の道場を開きます。二人の道場が近かったためかもしれません。
 現在、来嶋又兵衛の道場跡は小学校の校庭になっています。写真に写っているあたりに道場があったということであり、後方に見える民家が来嶋又兵衛の住んでた住居であったところです。現在もその一部が残されています。
 また、来嶋又兵衛宅は井上馨〈当時、井上聞多:琉球古武術宗家 井上貴勝先生のご先祖) が襲撃された後、傷をいやしつつ幽囚の日々を送ったところでもあるということです。
 
来嶋又兵衛


 来嶋又兵衛は、土佐中村の樋口真吉と同様、身長が高かったらしく、銅像でも大石神影流を修めたものらしく長刀を手にしています。
来嶋又兵衛銅像


 次に笹尾卯三郎の道場跡に行きましたが、山の中腹と言っていいくらいの場所に道場跡はあり、当時ここまで稽古にのぼってくるのもたいへんに思えました。

笹尾道場跡


 この道場で卯三郎は大石神影流を、兄の万次郎が槍術を指導したということで、現在も残る『諸国武術御修行者姓名録』には剱術だけでなく槍術の武者修行者の流派名と姓名が記されています。一緒に案内していただいたナオタさんのお話によると、何十年か前まで崩れかかった道場が残っており、かなり大きな道場であったということです。
 『諸国武術御修行者姓名録』には樋口真吉の日記に記されているように笹尾道場を樋口真吉が尋ねた記録が残されています。
 
 現段階では私の推論に過ぎませんが(根拠となる資料等々は省略します)、「明治維新にあたり西国の諸藩が協力しえたのは武術修行や他藩への遊学を通じて、かなり大きな人脈がすでに存在していたから。」だという思いをますます強く感じました。

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  1. 2007/08/26(日) 02:16:06|
  2. 武道史

幕末の稽古

 江戸時代の人がいかに稽古をしたか、その一例を示します。
 明治時代の自由民権運動家として有名な片岡健吉は藩制時代の他の武士と異ならず、武術を稽古しました。また、その修行は剱術、居合、體術、馬術等々その修行は広範囲にわたっていました。
 居合は細川義昌の兄弟子で無双神伝英信流を下村茂市に習い、また、體術も下村茂市から高木流を習っていました。下の写真は片岡健吉の修行日誌の一部です。

修行日誌


 26日には大石神影流の剱術を寺田小膳、寺田忠次、坂井藤蔵、寺田金蔵、宮地征吉と稽古〈防具着用の試合稽古)したのち、無双神伝英信流の居合と高木流體術の稽古。27日は何か期す所があったのか馬術の稽古をした後、午前十時頃より終日、居合を300本抜き、木刀で太刀打の稽古を行い、さらに高木流體術ではクミウチ稽古(現代の乱取に近い稽古)を行うといった数稽古を行っています。このような豊富な稽古を連日行っていますから、現代人の稽古とは質量ともに比べ物にならないほどゆたかです。
 仕事を持っている現代人が同様の稽古をすることは難しく、これに匹敵する稽古をしようとすればよほど工夫をしなければなりません。
稽古日でない日には、仕事が終わって、刀の斬撃や棒を回す稽古をする。太刀打の一人稽古や棒術等の一人稽古は当然のこととして、日常生活全てを稽古と心得なければ古人に近づくことは難しいでしょう。たとえば、道を歩く時、電車に乗って座っている時、箸を持つ時、本を読む時、バイクに乗るとき。これら全てを漠然と行うのではなく、稽古と心得て工夫しなければなりません。
 上達しようと思えば、道場に居る時のみが稽古と勘違いせず、日常生活全てを稽古と心得てください。

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  1. 2007/08/27(月) 22:47:02|
  2. 武道史

日本武道学会

 明日から三日間、日本武道学会第40回大会が開催されます。
 初日の29日(水)は東京都千代田区霞ヶ関の東海大学校友会館で「武道の国際化に関する諸問題」というテーマでシンポジウムが行われます。
 私にはあまり興味のないテーマなのですが、一応、聞きに行きます。何故興味がないか。武道が素晴らしいと思えば、向うから習いに来るでしょうし、武道をしいてこちらから働きかけて外国のスタンダードに変形させて国際化する必要を感じないからです。さらに言えば、「こんなもの国際化すれば日本の恥になるではないか」といえる武道家、指導者をたくさん見てきているからです。今の勝利至上主義の勝てば何をしても許されるという武道を国際化して一体何になるのでしょうか。
 30日(木)、31日(金)は港区高輪の東海大学高輪校舎でいつも通りの学会です。私はいつも人文・社会学系の発表を聞きます。また私自身の発表も人文・社会学系の発表で今回は31日(金)の10時30分から「大石神影流の『諸国門人姓名録』について」という演題で発表します。
 私が武道史研究をするのは無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が如何にあらねばならないかを歴史を通じて探求するためです。生きた武道であり続けるために。

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  1. 2007/08/28(火) 23:00:43|
  2. 武道史

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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