無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

孤高の刀工 上田祐定

 本日、岡山県に刀匠上田上田祐定先生を訪ねました。
 先生は、日本刀は「折れず、曲がらず、よく斬れる。」を第一義とされ、その後に美しさはついてくるものという信念を持たれ作刀しておられます。
 古刀とそれ以降の刀の地金の違いは一目してよくわかるところですが、上田刀匠は「現代刀で古刀に迫ることの出来ない理由は日本刀の素材である地鉄にあり」と、日本刀の生命である地金を追求されるために自家製たたらにより鉄を作るところから刀作りを行われています。
 現在、刀工の資格をもつ方は日本に約300名おられ、そのうち、刀工として生計を立てておられるのは約100名、さらに実質的に作刀だけでとなると、約50名と話してくださり、300名中、自家製鉄されておられるのは日本に7名であるとうかがいいました。
 上田刀匠のブログのアドレスは
 http://bizenosahune.blog67.fc2.com/
です。刀を作るための日々のご努力が良くわかります。御一読ください。
 また、上田刀匠の備前長船日本刀傳習所のホームページのアドレスは
http://www.h7.dion.ne.jp/~e30kenta/framepage2.html
です。こちらもご確認ください。
 日本刀の製作過程がわかるDVDも出しておられます。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=A-00437307
日本刀の製作過程が素人にも理解できるように作られていますので、余裕があればぜひご購入ください。

 
  1. 2007/04/04(水) 00:06:45|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

感覚の発達

 先日来、無双神伝英信流と渋川一流柔術の指導をしていて気付いたことがあります。
それは自分の体の外を自分の体と繋がったものだ(もしくは自分の体の一部、または延長線上にあるものだ)という感覚がもてるかどうかという問題です。これは先日述べた貫心流「糸引の伝」とも関連していますが、少し詳しく述べてみたいと思います。
 無双神伝英信流の稽古をされる方は、刀を抜いて手にしたときに、それが体の一部と感じられるかどうか。よくよく自分自身の感覚と対話してみてください。例えば自分の指先を意識するとき、よほどのことが無ければ、指先を見ていなくても、目をつぶっていても指先は感じることができると思います。この感覚と同じものが刀を手にしたときに切先に存在するかどうか。刀を振り上げたときに自分の後方にある刀の切先を感じられるかどうか。刀を振っている最中にも切先までを感じることができるかどうか。
 感じられるためには全身に無理がなく手の内が自然でなければかないませんが、手の内については自分の体の肘や手首の関節のごとく、硬からず弱からず、自然にというところは、よく稽古して頂いているので、詳述は避けます。
 この感覚をさらに進めて正座して刀が腰にあるときに刀の柄頭から切先まで自分の一部として感じているかどうか。体の一部になっているかどうか。
 このような状態を求めず、ただ刀を自由に振り回そうと腰を固め、刀という物体を扱う稽古をしていたのではいつまでたっても真の自由さはありません。
渋川一流にあっては子供達が陥りがちなのですが相手の手首を取ったら、手首を投げようとし、手首を極めようとします。しかし、この状態では物理的に相手を投げるに過ぎず、居合で言えば刀という物体を振り回しているに過ぎないことになってしまいます。
 居合において手の内を通じて刀が体の一部となるように、自分の手の内を通じて相手を自分の体の一部とし、相手の中心までを感じられるのでなければ、相手をコントロールすることはできません。
 初心者の方は外見上の完成を焦らず、しっかりとこの感覚を身に付ける稽古をしてください。
  1. 2007/04/06(金) 17:38:44|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大山祇神社

 一昨日昼から、ZRX1200Sに乗りツーリングに出かけました。
 山陽自動車道を本郷まで走り、一般道を経て三原須波港へ至り小休止、須波港から瀬戸田の沢港まで20分フェリーに乗って、再び走り始め、しまなみ街道の多々羅大橋をわたって大山祇神社へ至りました。
 目的は神社の太刀・大太刀を見ること。もう何十年も前に訪れて、大太刀の長さに圧倒された記憶だけが残っていました。今回、あらためて訪れてもその長さに圧倒されたことには変わりません。南北朝時代の「千手院長吉」136cm、「無銘 伝豊後国友行」180cm。圧倒されるばかりです。また大長刀も室町時代の「石州和貞作」172cm、南北朝から室町時代にかけての無銘151,8cm、など長大なものがあります。
 子供の頃と今とで見て感じる違いは、「おそらくは、このような長大なものでもこのように使ったのだろう。」という想像ができること。
 まだ訪れていない方は一度行かれる事をお勧めします。
  1. 2007/04/11(水) 00:57:54|
  2. 未分類

 渋川一流柔術の「早手」を除くほとんどの形では二歩動く間に技を掛けます。
 この二歩ということを勘違いされて初心者の方には技を掛ける間に二歩動くと捉えておられる方が多いようです。二歩とは左右の足の運びから見れば二歩となる動きではありますが、歩法の稽古をするときの何ら滞りの無い水の流れのような二歩であって、他の二歩があるわけではありません。
 形の稽古に入ると、上半身がしなければならない仕事がたくさんあるために、動きが上半身中心となり上半身が仕事をしている間、下半身は待っているか意図的にゆっくりと進む事を余儀なくされている方を多く見かけます。
 全ての上半身の動きは下半身の動きに載っているがゆえに、上半身が主となり下半身が従となる動きは渋川一流においては存在しえません。(それはたとえ「御膳捕」で正座の状態で行われる形であっても同様です。)形によって上半身がいかに多くの仕事をしようとも二歩進む間のうちに全てが終えられなければなりません。そうでなければ対敵動作としての渋川一流の理は崩れ去ってしまい全く役に立たない踊り以下のものとなってしまいます。
 難しく感じられるかもしれませんが、できなければ何故できないのか、どこに無理があるのか、どこに無駄があるのか、道場外の一人稽古でよくよく自分の動きを研究してください。
 無双神伝英信流の動きにおいても同じことがいえます。斬撃の稽古をするときにそれまでの歩法の稽古の時には滞りの無い水の流れのような歩みを求めたにもかかわらず、斬撃の稽古に入るや、刀を振り上げ振り下ろすということにとらわれた結果、ギクシャクした上半身の動きが全身の動きの中心になり滞りなきどころか尺取虫のような動きに変わってしまうのはよく目にするところです。大森流の形においてもしかり。正座という稽古方法を用いながら抜付けを上半身主体に行っては座る意義は消え去ってしまいます。よくよく工夫してください。
  1. 2007/04/12(木) 18:01:27|
  2. 柔術 業

奉納演武

 4月22日、午後1時30分から廣島護国神社において奉納演武会を実施します。初めて演武される方もおられますので、演武に際してこれだけは心していただきたいと思うことを述べます。
 日頃の稽古では、足の位置や手の位置、重心の置き所や呼吸の仕方、目付けや動作の間等々に細かく心を砕いて稽古し、少しでも向上しようと工夫を怠られては居ないと思います。しかし、奉納演武にあっては自分の形の演武は真剣勝負であると心してください。
 演武は廣島護国神社の儀式殿という一段高い場所で行いますが、常々述べていますように自分の演武は神々に見ていただくのみで、人に見てもらおうとするものではありません。
 したがって、見栄えを飾ったり、未完成の形を少しでも上手に見せようとする心は道の上達にとって全くの妨げでしかありません。見た目は悪かろうとも、またおとなしく見えようとも、他者の目は全く気にする必要はありません。ただただ、日頃稽古している内容を意識せずに全て出し切るだけです。
 先に「演武は真剣勝負である」と述べましたが、心や体を力んで、気迫あるように勇ましく見えるように遣えという事ではありません。無双神伝英信流の居合であれば想定の場と仮想の敵に集中すればするほど、心と体はリラックスし、形の手順はきまっていても、どのようにでも体は動く状態になることを意味します。受のいる渋川一流柔術の演武や打太刀のいる無双神伝英信流の太刀打や詰合の演武でも相手が手順どおりにくるから、これに応じて、こう動くというという動きではなく相手の動きにどのようにでも応じ変化できる動きを持つことを意味します。
 稽古の目標は心も体も自由になることにあります。
 
  1. 2007/04/13(金) 18:20:53|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

全ては結果

 無双神伝英信流の指導をしていて、よく「全ては結果。」という言葉を使っていますが、初心者の方の中には頭で理解できていても、腑に落ちない方がおおいようです。
 大森流の「逆刀」の動きを怜に説明をすると、植田平太郎先生の形の解説書にある「・・・左足より一歩後へ退き(対手が斬込み来る剣先を退き外し)・・・」という動きをとにかく左足を後にさげればよいのだと理解し、右足を踏ん張り左足をその反動で勢いよく後方へさげる動きを見かけることがあります。しかしこのような動きをすれば、次に前に出ている右足を後方へ左足に揃えるために引き付けるという動作が必要となり、さらには揃えた後に刀を新たに振り被るという動作をしなくてはならなくなり、全ての動きに段がつき、いくら個々の動きを早くしても結果として間に合わない動きになってしまいます。
 細かな説明はここではしませんが、前方より斬り込みくる敵に応じて「・・・咄嗟に左手を鯉口に右手を柄に掛け急に膝を伸し右足を右前へ踏出し・・・」という動作をも含めて後半身とくに臀部の無駄な力を抜き去りあたかも尻餅をつくような状態となったときに体は後方へ自然に動き前に出た右足も後方左足に引き付けられます。また、この時右半身に無理が無く刀が鞘から離れたときに、右半身もまたあたかも尻餅をつくがごとく落下すれば、右手が上方に上がることなく自然に右足とともに後方にさがり振冠りの動きへと移行します。
 道場で詳しく説明しますが、このように個々の脚、腕といった部位の動きを直接に求めるのではなく、異なった大本の部位を働かせることによって結果として脚、腕、刀が動くという事をしっかりと頭に入れて稽古されてください。個々の脚、腕といった部位を直接動かしているのではないため筋肉の緊張感は無く動いたという感覚はなく、心もとなく感じるかもしれませんが焦らずにしっかりと工夫してください。

 
  1. 2007/04/17(火) 20:29:19|
  2. 居合 総論

廣島護国神社奉納演武会

 本日、廣島護国神社において貫汪館奉納演武会を実施致しました。
 全般的に良い演武をしていただいたと思いますが、今日の演武を見て今後の稽古の目標としていただきたいことを述べます。
 まず、無双神伝英信流抜刀兵法の稽古をしておられる方ですが、緊張していたと言うこともあると思いますが肩が体から遊離してしまい斬撃力が弱かった方が見受けられました。これを解消するための意識のトレーニングですが、両手を左右に広げ、両手の指の先から両腰骨のあたりまで、神経の通った幕が蝙蝠の翼のように張っているとイメージしてください。そして、この幕は両手がどのような位置にあろうとも存在しています。まず、このようなイメージトレーニングをされてみてください。
 次に渋川一流柔術の子供の演武ですが、生きた演武になりにくく、お遊戯的になってしまいます。子供を指導していただく方は受けをとる時、相手が子供だと思い、どうしても子供のやり易いように手加減してしまいがちです。心を鬼にして仕掛けてください。
 次に、今回は指導者の方には主に武器術を演武して頂きましたが、これまでも言っているように得物を自由自在にすばやく扱おうとするのではなく自分の体の一部となるように心掛けてください。
 柔術の経験年数の浅い方はどうしても方を手順どおりに行おうとして、生きた形が使えなくなてしまっています。稽古量を増やすことは勿論ですが、呼吸を心掛け、無理無駄遅滞無く技をかけるよう心掛けてください。
 以上本日の奉納演武を見て思うところを記しました。個々の稽古目標については道場での稽古の時にお話いたします。
 
  1. 2007/04/22(日) 22:56:03|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

「履形」の受の仕掛け

 昨日の稽古を観ていて、稽古方法について感じたことを述べます。
 「履形」は渋川一流柔術で始めに習う形のグループで、我師、畝重實嗣昭先生は「始めに習う形であるが、この形は後の「鯉口」(対居合)、「居合」(無刀捕)に通ずる形なので少しも疎かにしてはならない。」と繰り返し御教えくださいました。
 「履形」では受は捕の中段または下段を拳で突きます。この時、拳は掌側が下に手の甲が上になるように突きますので、間違いの無いようにしてください。捕が中段または下段に当てるときは掌が上になりますので、逆の向きになります。
 この突く動作を受が意図的に非常にゆっくり動いたり、捕に当たらないように途中で止めたりされる方がおられますが、これは受の上達にとって大きな妨げにしかなりません。捕は受の動きを見て頭で判断してこれに応じるのではなく、捕の突く気を受けてこの気に応じて捕の体は動きます。見て、頭で判断して動いていては「間に合わぬ」動きしか養うことができません。
 突く気のない突きに応じることは逆に至極困難であり、ほんの僅かしか動かぬ気を感じることができる方はすでに相応のレベルにあることになります。
 詳しくは稽古の場でに述べますが、くれぐれも考え違いはなさらないようにお願い致します。

 5月27日(日)に無双神伝英信流抜刀兵法 「英信流表」の講習会を行います。貫汪館ホームページをご確認ください。
  1. 2007/04/24(火) 19:46:52|
  2. 柔術 業

中庸

 無双神伝英信流の稽古をしていた時に、体と脇から先の動きが遊離している方に気付きました。
 そして、その原因が「丁寧に」稽古しようという思いからきたものであることに気付き、尋ねてみるとそのとおりでした。
 その方には「丁寧に刀を振る」という指導をしたことがったのですが、本人は一生懸命に丁寧に「刀」を振ろうとして、敏感で、繊細さを保てる体の末端の部分で刀を扱おうとされてしまったのでした。
 かって、我師、梅本三男貫正先生にもよく「言葉」によって指導して頂きました。「脇をしっかりしめなさい。」「手首をぎゅっと入れて・・・。」などなど。
 それを聞いた私たちは今度は身動きできないくらいに脇を力んでしめたり、手首が痛くなるくらいにいれたりと、極端なほどそれを求めようとしていました。答えは先生の動きの中にあり、言葉の中に合ったのではないのですが、どうしても言葉に居着いていました。
 先生は言葉によって極端な動きを直そうとされていたのに、私たちは逆方向への極端な動きを求めてしまっていました。
 言葉による指導は、どうしてもそのような傾向を生み出してしまいます。言葉の裏にある真理を汲み取り、極端な動きに走らず、進んでください。

 5月27日(日)の無双神伝英信流講習会の御案内を貫汪館ホームページに載せております。ホームページを御確認ください。
 廣島護国神社奉納演武会の写真を貫汪館ホームページの無双神伝英信流と渋川一流柔術の行事のページに載せました。
  1. 2007/04/26(木) 23:53:41|
  2. 居合 総論

抜付け

 最近は居合に関して様々な書籍が出版されており、初心者の方もそれらを目にする機会もあると思いますが、無双神伝英信流の抜付けと、他の流派の抜付けを混乱されないように一言述べておきます。
 ある本では、「抜付けは切先を一寸ほど残しておき、そこから急に抜付けるのだ。」とあり、ある本には「鯉口に切先3寸残るくらいから急激に抜付け、」とあり、またある本には「鯉口をきって約7分どおり抜き、3分を敏速に」とあり、またある本には「抜刀は序破急にて抜く」とあり、さらにある本では「抜付けの最中に左手親指を切先部分に触れさせておき指先の感覚を生かして刀を正確に制御する。」とあります。(文意要約)
 無双神伝英信流においては常々お話しておりますように、ほとんどの想定が敵に斬りかかられ、これに対応して抜付けるという我にとって非常に不利な状況を想定しています。したがって、あくまでも抜付けの初めから終わりまで、角あることなく、滞りなく行われ、切先が鯉口と分かれた時には敵が倒れていなければなりません。そうでなければ、敵の攻撃に間に合おうはずもありません。また、そのためには抜付けに刀身が鞘の中に当たるという僅かな抵抗も生じさせるわけにはいきません。ましてや親指を刀身に触れさせて制御すると言うこともありえません。刀は体幹部と一体となって動き、体の末端が中心となることはありません。
 しかし、多くの英信流系の書籍は敵の殺気を感じて機先を制してこちらから抜付けるという立場で書かれていますので、先に述べたような速さを変化させたり、あえて抵抗を生み出したような動作となるのだと考えます。
 無双神伝英信流を稽古する初心者の方は、他の英信流系の書籍をみて混乱されることが無いよう、心してください。
 委細は稽古の際に御質問ください。

 5月27日(日)、一般に公開する形式の貫汪館居合道講習会を行います。
貫汪館ホームページをご確認ください。
 5月4日(金)、京都下鴨神社において日本古武道振興会の奉納演武会が午後1時から行われます。無双神伝英信流抜刀兵法も演武いたします。
 5月5日(土)は京都白峯神宮において同じく日本古武道振興会による奉納演武会が午前11時から行われます。無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術が演武します。
  1. 2007/04/30(月) 10:15:04|
  2. 居合 業

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