無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

抜付ける部位

 無双神伝英信流の稽古をされている初心者の方に、大森流の初発刀・左刀・右刀・当刀・陰陽進退の形における抜付ける部位について再確認しておきたいと思います。
 他系の英信流においては、敵の害意を察して、(気で抑え)こちらから、敵のこめかみや目に抜付けるとするものもありますが、以前お話したように、無双神伝英信流にあっては敵がまさに斬りかかろう、斬り下ろそうとしている、我にとっては完全に不利な状況を想定しています。したがって、こちらから、そこに居る敵を据物斬のように斬りに行くということはなく、敵を迎え撃つ状態にあります。その時、植田平太郎先生が述べられているように抜きつけた左右の脚の状態は「踏出した足と跪きたる足の向脛と立膝の角度は直角に」なるのを基本と致します。
 想定では、敵はまさに己に斬り下そう、斬り付けようとしているので、変化する状況にあるため抜付ける部位は固定されていません。植田平太郎先生は「(対手の右側面へ)大きく抜付け(抜付けたる拳の高さは右肩の高さにて右前の所にて止る)」とのみ述べられています。
 状況によって、敵の胴、敵の胸、敵の喉、敵の目、あるいは敵の手と変化いたします。この点、居着いて動かない敵を斬りに行くのだと間違ってしまっては、無双神伝英信流の居合とはなりませんので、よくよく注意してください。
 「抜付けたる拳の高さは右肩の高さにて右前の所にて止る」とは道場でお教えしていることなのですが、無双神伝英信流の『身の曲尺』によるところですので、また、折りを見て詳しく説明いたします.
  1. 2007/03/01(木) 18:50:58|
  2. 居合 業

「初心者指導上の留意点」2

 渋川一流柔術で、初心者や子供の指導に当たって頂いている前回の論文とは方の初心者指導法についての論文です。同じように指導に当たって頂いている方だけでなく、習っている方や無双神伝英信流の稽古をされている方の参考になりますので、よく読んでください。


『初心者指導上の留意点』


私が初心者に指導する上で、特に次の二点について気をつけています。

一.力の抜けた姿勢
初心者にとっては、この力を抜くことが最も難しいことと思われます。それは、これまで身についた行動を根底から覆す動作をしなければならないからです。一見力を抜くということは非常に頼りなく思われがちですが、柔術の動きにおいては、この力みがすべての動きを阻害していることに他なりません。無理・無駄のない柔らかな動きをするための第一歩と考えます。そのためにも、力みが動きの大敵であることを理解させることが重要です。次に、その力みのない体を維持するにはどのような姿勢が適当かを意識させることが必要だと思います。特に、初心者によく見受けられるのは、受の手に意識を集中させるあまり、視線が受けの手を追い続けてしまうことにより、明らかに目附の方向が違うことにより、自ら姿勢を崩しています。姿勢は決して作るものでなく、あくまでも自然であることに気付かなければ、型は手順化された意味のない動きになってしまいます。以上のことを念頭に、できるだけわかりやすく初心者の目線になって説明するように心がけていますが、個人個人の感性の違いから、まったく違った方向に判断されないよう特に注意しています。

二.呼吸
 呼吸については、初心者に限らず特に意識をしない限り正しく行うことは出来ません。人間は力むと呼吸を止めてしまいます。そのため動きは止まってしまうし、何よりも息苦しくて技をかけ続けることが困難になります。また、その逆に、大きな声を発する時、胸いっぱいに息を吸い込むという予備動作が入ってしまいます。その結果、重心が浮き上がり姿勢を崩すことにつながります。要するに、姿勢と呼吸は密接不可分であり、どちらか片方だけが大成することはあり得ないのです。
 しかしながら、ただ単に呼吸をするのではなく、動きと呼吸を関連付け、丹田を意識した質の高い呼吸をすることを続けることを動機付けるよう心がけています。

 指導する上では、出来るだけわかりやすい言葉で無用な混乱を生じさせないよう気をつけています。また、上達には時間がかかり、短期で身体が自由に動けるようになることは不可能で、近道はないこと及び稽古は道場内だけでなく、意識をすればどこでも稽古が出来ることをよく理解していただくことが重要であると考えます。


ホームページに無双神伝英信流の講習会の案内を載せています。ご確認ください。

  1. 2007/03/04(日) 02:01:59|
  2. 柔術 総論

体全体を刀として

 無双神伝英信流の稽古をされている初心者の方には、身長に応じて、二尺四寸や二尺五寸五分、二尺六寸五分といった長さの居合刀を用いていただいていますが、これは各人、現代居合道の方が普通に用いておられる居合刀よりも身長に応じて長いものを用いていただいています。したがって居合刀の重量もそれに応じて重くなっています。 
 現時点において初心者の方の業も進んできており、初心の段階ではありますが、所謂「身の曲尺」を会得されつつあり、刀の重さも消え、初めに刀を持ったときに比べれば、特に、抜付けにおいて、体感的に刀はこんなに軽いものであったかと感じられるようになっていると思います。
 貫汪館では、刀を腕力で振るようなことはしないため、重量物を振り回した結果として起こる腱鞘炎になることはありません。
 しかし、抜付け時において今の段階で体をいためないために初心者の方に注意して頂かなければならないことがあります。それは体の用いようなのですが、腰肚を中心とした体を開く動きは左右均等に伝わっていきますが、右半身に於いて背部から右脇下を通り(肩は意識されることはなく、感覚上無い存在ですが)腕の下部を通り親指を通って切っ先にまで伝わっていく力の経路を遮断せず、終始、体全てが刀であるという感覚を捨てないで下さい。
 刀が楽に使えるという感覚に陥ったときに腰肚からの力の経路を刀が鞘から離れた瞬間に切り離してしまい、あたかも刀を弓から放たれた矢のように使ってしまうと(体の一部としてではなく物質としての刀を単独で体から分離したものとして自由に使おうとすると)、鞘から離れた刀はまるで弓から放たれた矢のように体とつながり無く飛んでいきます。ただしその矢は糸のついた矢であり抜付けの最終地点で、糸はぴんと伸びきってしまい、糸は切れてしまいます。
 切れる部位は手首であったり肘であったりそのときの状況によって異なりますが、この瞬間に体の深奥から生み出された力がかえって自分の体を壊してしまうことになります。よくよく気をつけて、体全体が刀であり、刀と体は一体であるという初心を忘れずに稽古してください。

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  1. 2007/03/05(月) 18:56:30|
  2. 居合 総論

剣居一体?

 無双神伝英信流抜刀兵法でも、渋川一流柔術でも貫汪館で稽古されておられる方は他の武術をよく見学されておられます。それは武術である以上、今の世で現実にはありえないとしても、居合で剣術に対抗するだけでなく、槍や、薙刀、その他の武術に対抗せねばならない状況もあり、柔術であっても江戸時代に成立した柔術であるゆえに素手で素手に対抗する状況というものはほとんど考えられず、何も持たずに懐剣や剣や、棒やその他の武器に対抗せねばならぬ状況があるものということをよく理解されているからだと思います。
 戦後、「剣居一体」と言う言葉が現代剣道をされる方の間で言われるようです。それは一般に、竹刀を使っているだけでは刀の本当の使用法は理解できず、居合のみを稽古していては形稽古だけで相手が居ないので、対人関係の中での動きは身につけ得ないという観点から、剣道と居合を同時に稽古したほうが良いと言う意味で用いられている言葉のようです。
 無双神伝英信流のみの立場から見れば、「太刀打」「詰合」といった剣術の技法も存在し、又、袋竹刀を用いて自由に動き、刀を用いた動きを検証しているので、現代剣道を学ぶ必要を感じません。むしろ、現代剣道の動きで防具を着用し竹刀を用いる稽古をすれば、かえって形で養った竹刀ではない刀を用いるための自由な動きは廃れてしまいます。古流剣術を稽古するということであれば、論点は別になってきますが、江戸時代の武士のように稽古に十分な時間をさける環境にあればよいのですが、稽古に割く時間が限られているのであれば、ことさらに他流派を学ばなくても、貫汪館で「太刀打」「詰合」の稽古を通じて動きを養っていけば、いわゆる剣術も身につくべきものと考えています。無双神伝英信流抜刀兵法とは居合を中心として剣・柔の働きをも含む武術です。
 「剣居一体」という言葉が使われるようになったのは現代剣道を稽古する人が防具着用の稽古を専一とし、剣術の形を全く知らないために竹刀の使用法に熟達しても刀の用い方を知らず、また、居合を稽古される方の多くが一人で行う形のみの稽古ばかりを行い対人関係での動きを知らないために言い出されたことだと思います。現代剣道を稽古される方が全員、古流の剣術を稽古していたならば決して強調されることはなかったものと思います。

 不思議なことに「剣居一体」という言葉は用いられますが、「剣柔一体」と言う言葉は言われることがありません。江戸時代から終戦までは防具着用の剣道であっても組打が行われていたようであり、今残る文献から見れば、柔術の技法としては稚拙ではあっても柔術的技法も用いられていたようです。競技として確立された剣道には組打など存在しないために「柔」は忘却のかなたにあるのでしょう。
 参考までに無雙流を土佐にもたらした林六太夫守政は朝比奈丹左衛門から小栗流和(やわら)術の免許を授かっており、六太夫の小栗流和の門人の楠瀬六右衛門は以下のようなエピソードを残しています。
 「楠瀬は山中に鉄砲を持って篭った盗賊に、鳥刺の姿となって鳥の話をしながら近づき、煙草の火を借りる事に事寄せて盗賊から火縄を借りる刹那これを取り押さえた。」
 また幕末の無双神伝英信流の師範、下村茂市は高木流体術拳法の師範でもあり、弘化2年(1845)には師の清水小助より皆伝を授かっており、同じく弘化2年には足立傳蔵から小栗流和(やわら)術の中傳も授かっていました。
 当時の武士は剣・槍・居合・柔・馬術等、一通りの武術は稽古していますから、その中で、居合の師範である林六太夫守政や下村茂市が剣術ではなく柔術の師範を兼ねていたということが現在言われる「剣居一体」という言葉を考える上での参考になるのではないでしょうか。
 この問題については折をみて再度述べたいと思います。

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  1. 2007/03/11(日) 00:51:13|
  2. 居合 総論

剣居一体?・・・2

 前回に引き続き、「剣居一体」について考えます。
 「現代剣道の動きで防具を着用し竹刀を用いる稽古をすれば、かえって形で養った竹刀ではない刀を用いるための自由な動きは廃れてしまいます。」と述べましたが、これは何故か。決して現代剣道をけなしているわけではないのです。
 現代剣道が竹刀を刀の代わりとして用い、刀を用いる動きを怪我の無いように稽古するために防具を身につけて自由に検証しているのであれば全く問題はありません。ところが、そうでないことは現在行われている日本剣道形の動きと竹刀を持ち防具を着用しての動きでは全く異なっている事から誰にでもわかるところだと思います。
 これは現代剣道が竹刀を最も有効に用いて勝敗を競うことを中心としたためであり、竹刀を有効に使い攻防するのに最適なように「手の内」「足の運び」「体勢」等々が定まったことによります。現行の剣道のルールにおいて竹刀を用いて「一本」をとるための最適な動きは、刀を用いる動きと一致しようはずもありません。竹刀を用いての「一本」となる基準となる動きと、刀を用いて斬撃に適する動きとでは異質なものだからです。したがって、現代剣道を居合とは全く別の種目の運動をしているのだと割り切って行える方であれば「目を養う」という点において意義はあると思いますが、一見似たような物であるために影響を受けてしまうのは避けがたいこととなってしまいます。
 強引なたとえですが相撲とレスリングが同じ素手で行う体術であるとして、フリースタイルのレスリングの選手が相撲の稽古ばかりをしていてもオリンピックで優勝できるはずもありません。また相撲の選手がフリースタイルのレスリングの練習ばかりしていて相撲の試合に優勝できるはずもありません。それぞれのルールが異なっており、ルールにのっとって優勝するためには、それぞれの練習をするほうが早道なのです。
 現代剣道の「一本」の基準が刀を用いての有効な斬撃と異なっていれば竹刀を用いての「一本」のために努力するのは当然のことです。その為の動きを刀を用いた動きと同じだと考えれば矛盾が生じることとなります。
 全日本剣道選手権に出場される方が誰一人として、刀を用いる剣道形の動きをされないのは、それでは試合に勝てないからです。 
 このような観点から「剣居一体」という言葉は貫汪館の居合にあっては全く無縁の言葉となるのです。


 参考までに述べると、現在の日本剣道形でさへ明治時代に防具着用の剣道の基礎となるよう定められたということは史料の上から明らかです。剣術諸流派の形から良いものを選んだといわれていますが、古武道の剣術の形においては現在行われている剣道形のように遠くから接近して一度止まりそこから攻防を行うという動きは行われず、遠間から接近すれば止まることなくそのまま攻防を行います。接近して止まるのは竹刀での攻防の間を意識して形が編まれたからでしょう。また、剣道形では斬撃の際いちいち後足をひきつけますが、古流の多くは一刀流系統や一部の流派を除けば後足は、残して斬撃を行います。後足をひきつけることに統一されているのもまた防具着用の剣道を意識して作られた形である故と思われます。


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  1. 2007/03/13(火) 23:08:35|
  2. 居合 総論

剣居一体?・・・3

 いわゆる、「剣居一体」について現代剣道と貫汪館の無双神伝英信流抜刀兵法は一体とはなりえないということについて述べてきましたが、これはあくまでも現代剣道と無双神伝英信流との関係を述べたものです。
 一見類似した形態の運動でありながら、現代剣道は高度な技術で「一本」をとるために竹刀を最適に用いて行う運動形態であり、無双神伝英信流は刀を自由に用いるための運動形態であること、さらに現代剣道での「一本」となる動きと刀を用いて自由に動いた上での有効な斬撃のための動きとでは全く異質なものであるからです。

 ところで、貫汪館で稽古している武術は無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術です。単純に考えれば居合と柔術の二種類の武術を稽古していることになります。しかし、無双神伝英信流は太刀打・詰合といった剣術技法、大小詰・大小立詰等々の柔術技法を含み、渋川一流柔術は六尺棒・三尺棒といった棒術や十手術、分童術、鎖鎌術、居合をも含んでいますので武芸十八般的な発想で考えますと二つの流派を学ぶだけで実に多くの武術を稽古していることになります。
 ではこれらの武術は個々に別々の種目として習得しなければならないのでしょうか。
 答えは否です。別々の種目であっても、体の運用、得物に応じての間の取り方は全て本質が同じであり、剣・棒・十手・分童・鎖鎌といったそれぞれの得物の間合と操作法に習熟すれば全ては一体であるということが理解できると思います。これは武術である以上、所謂、打突部位というものは存在せず、ルールに縛られることの無い、命のかかった攻防の中で最も自由に動ける体遣いというものが歴史の中で探求されてきた結果必然的にそうなったものと考えられますが、私が幸運にも無双神伝英信流抜刀兵法においては梅本三男貫正先生、渋川一流柔術においては畝重實嗣昭先生という高いレベルの業を身に付けられていた先生に習うことができたためでもあります。お二人の先生から、「全ては同じである。」ということを身をもって学ぶことができました。
 貫汪館で稽古される方は「全ては同じである。」という事が理解できる稽古を続けてください。

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  1. 2007/03/15(木) 18:36:58|
  2. 居合 総論

剣居一体?・・・4

 「森本君、剣道は忘れにゃいけんの。」
 これは無双神伝英信流の師、梅本三男貫正先生が晩年に私に語られた言葉です。
 先生は戦前、戦中、戦後と現代剣道をされておられましたが、「戦後、子供を指導しているときに打ち込ませると軍隊時代の古傷が耐えがたいほどに痛むので、剣道は止めてしまった。」と私が入門した頃に話されたことがあります。
 私自身は大学入学まで、現代剣道をしており、居合の稽古が進むとともに現代剣道と無双神伝英信流との間の耐え難い溝に悩み、きっぱりと現代剣道は忘れていましたので、先生の「森本君、剣道は忘れにゃいけんの。」という晩年の言葉は意外でもありました。
 似ていながら異質なものは、それほどまでに人の動きに影響を与えてしまうものなのかもしれません。ここで細部まで書き尽くすことはできませんが、例えば刀を抜いて構えたときの左右の足の向き、腰の開き、手の内、膝・足首・股関節のゆとり等々、見えない人が見れば全く同じ事をしているように見えるものかもしれませんが、稽古が進めば全くといっていいほど異なっているという事が見えてきます。
 一見類似した動きだけに余計に片方の影響を受けるのは避けがたいもののようです。梅本先生は現代剣道を始める時期が無双神伝英信流の稽古を始めるのよりも随分と早かったために現代剣道をされなくなって何十年も経つ晩年にまで現代剣道の影響を微妙に引こづられていたのだと思います。
 私が居合をお教しても、本人が違うことを稽古しているのだと自覚していているのにもかかわらず現代剣道の経験者はその癖が抜けず、かえって全くの初心者のほうが早く刀の扱いに上達し、刀の間合いに熟達する傾向があります。もっとも現代剣道の熟達者にはお教えしたことがありませんので、現代剣道を突き詰められた方は別であるのかもしれません。
 これは柔術にも同じことが言え、講道館柔道を学生時代に部活で稽古していたという方に渋川一流柔術の形をお教えしても、私達から見れば強引な力任せの技から離れられず、全くの初心者ほど素直に渋川一流柔術で求められる技に入っていける傾向にあります。また柔術は最終的には懐剣や刀を持った相手に素手で対するだけの業を身に付けなければならず、そのための体の備えでなければなりませんが、刃物に対する動きだということは講道館柔道を競技としてのみ学生時代に稽古された方には理解しづらいようです。しかしこれも講道館柔道を突き詰められた方は別であるのかもしれません。

 話は変わりますが、かつて梅本三男先生に教えを受けた者で、居合の指導をするのに「あなた達は足運びが悪い。」と言って集団教授法を用いて「前、前。後、後。右、右。左、左。」と現代剣道の継ぎ足の稽古をさせた者がいたということを聞きましたが、何を先生から習われたものか・・・後進は決して道を迷わないで下さい。


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  1. 2007/03/16(金) 18:14:33|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

銃剣術

 随分前の話ですが、「ひろしま国体」の銃剣道競技開催のために約二年間、開催地の倉橋町の国体準備室に通ったことがあります。
 競技の開始式では銃対銃の形の演武もしましたが、その頃、渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生に、先生が戦時中、軍隊におられた頃の銃剣術の話を浅山一流棒術との関連でお話いただいた事があります。浅山一流棒術とは渋川一流柔術に含まれる得物を用いる武技の総称で棒や十手、居合などの武器術は渋川一流の母流の一つである浅山一伝流を中心として体系立てられているために渋川一流柔術の中で特に浅山一流と呼ばれています。無双神伝英信流抜刀兵法のなかに大森流が存在するのに似ています。
 先生は伯父さんが運送会社を経営されていたこともあり、中国大陸の戦地で軍属として運送の業務に当っておられたようですが、現地で召集され配属されました。部隊では銃剣術の選手として選ばれて、部隊対抗の試合によく出場されていたようです。
 先生は「浅山一流の棒術を稽古していたので、銃剣術は得意であった。とくに浅山一流の棒術でよく用いる相手の出頭をおさえる技をもちいた抑圧刺突は得意で、抑圧刺突を受けた相手は身動きすることもできなかった。」と話されました。浅山一流の棒術で剣に対する形はそのほとんどが相手の心の動きを抑える突技を用いますので、長さが似ている銃剣術に棒術の技を応用するのはせんせいにとって簡単なことであったのだと思います。 
 先生はさらに「履方で相手の突き出す手を抑えるのも同じ事で、突いてくる手を見て抑えていたのでは遅い。相手の心の起こり頭を抑える稽古をしなくてはならない。」と話されました。
 「履形」は基本の形ではありますが、特に心の間を教えています。動きを見てこちらが動いたのでは必ず遅れてしまいます。よくよく心してください。 
  1. 2007/03/19(月) 18:55:50|
  2. 柔術 総論

短剣術

 無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生も渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生と同じように軍歴があり戦時中は中国大陸におられました。
 その当時私が銃剣道・短剣道をしていたためか、他の弟子や、身内の方も聞いておられないことではありましたが、ある日先生は軍隊時代のお話をしてくださいました。「森本君、短剣もするのか。私も軍隊時代には部隊で短剣術の選手として部隊対抗の試合によく出場していた。短剣は間合いの長く取れる銃剣と対するので、相手の突こうとする心の動き頭を抑えて木銃を制し入身して制体、刺突するが、自分の心が静まっていないと木銃でまともに突かれる。居合と同じだ。」
 無双神伝英信流の想定の多くは敵が我に斬りかかる時にこれに応じるようになっています。他の流派にあるように「敵の殺気を感じて、こちらから先に抜き付ける。」という想定とは異なっていますので、相手が木銃で我を刺突しようとする刹那に相手を制するという状況は無双神伝英信流の多くの想定と似た面もあります。

 「居合とは心をしつめ指刀抜れはやかて勝を取なり」
 「寒き夜に霜を聞べき心こそ敵にあひての勝を取なり」
 
  1. 2007/03/20(火) 18:59:29|
  2. 居合 総論

武道のスポーツ化

 前回は無双神伝英信流抜刀兵法の師 梅本三男貫正先生の短剣術のお話を、前々回は渋川一流柔術の師 畝重實嗣昭先生の銃剣術のお話を書きました。
 今回は銃剣道・短剣道から見た武道のスポーツ化ということについて考えてみたいと思います。
 私自身が初めて銃剣道の手ほどきを受けたのは中学生の頃、戦時中は大日本帝国海軍軍人で、戦後は陸上自衛隊官であった父からでした。その時は銃剣はこのように使うものという教えしか受けませんでしたので、本格的に稽古を始めたのは大学卒業後、奈良にある航空自衛隊幹部候補生学校に入ってからのことになります。したがって銃剣道と関わってもう20年以上経ちますし、短剣道を始めたのは自衛隊退職後、旧軍人の方や退職自衛官の方と稽古するようになってからですが、もう20年近く短剣道と関わっていることになります。段位も自然にあがり、銃剣道も短剣道も七段を頂いています。この20数年の間に銃剣道は大きくスポーツ化していきました。
 銃剣道はもともと銃槍とも呼ばれ、明治維新前後、各藩で、続いて陸軍で、まず、槍術の技法を応用して戦場での白兵戦用の武技として訓練されました。ついでフランス式の銃剣術が取り入れられましたが、日本人になじまず、再度、槍術等の理を用いて日本式の銃剣術が作られました。
 戦場の白兵戦用の武技ですので、第二次世界大戦の終了までは簡単にスポーツ化することはなく推移しています。
 私がはじめて銃剣道を本格的に習ったのは航空自衛隊幹部候補生学校でしたが、正課の銃剣道の訓練の時間だけでなく課外のクラブ活動でも銃剣道を選択していましたので、稽古時間だけは確保することができました。
 その頃の銃剣道は既に床尾板打撃は禁じられていましたが、しっかりと刺突部位である左胸部(心臓)または喉を突かなければ有効とされず、心臓に剣が届かないような突きはたとえ防具を突いていても「軽い」とされていました。「一本」となる突きは、突き技の特性から、突かれた者の体が衝撃で後傾するような突きであり、前に出ようとしたときに突かれた場合は、身動きができなくなるような突きでした。しかし、銃剣道競技として国体の種目になっていた銃剣道の自衛隊以外への普及を図ろうとする全日本銃剣道連盟の「やって楽しい、見て楽しい・・・・・・。」という方針からどんどんスポーツ化され、防具を突いただけの、心臓に達しない、以前は「軽い」とされて「一本」とならなかった突きが「一本」となるようになり、体全体で突いていたものが、木銃が軽くすばやく、小刻みに動くように体全体で突くのではなく下半身と同時に木銃は前に出てはいるものの、上半身、肩から先で軽く早く突く動きに変わってっていきました。したがって木銃の先に重さはまったく無いような突きが主流となっていきました。特に銃剣道を盛んに行う陸上自衛隊での銃剣道の変化は早かったようで、航空自衛隊に居た私が退職後初めて陸上自衛隊の銃剣道を見たときには「これが同じ銃剣道?」と感じるくらいに変化していました。
 もっとも私が大学生の頃に父から「今の銃剣道は自分が海軍に居た頃の銃剣道とは全く違う、あれでは役に立たない。剣道と同じで、白兵戦では使えない。」と聞いていましたので、陸上自衛隊での銃剣道の競技化・スポーツ化はそれほど銃剣道をしない航空自衛隊での競技化・スポーツ化よりも早かったのかもしれません。
 「一本」となる突きの基準が変化すれば、「一本」をとるための最適な動きも変化するのは当然のなりゆきで、これは「剣居一体」の項でも書きましたが、現代剣道の試合が日本剣道形の動きとは全く異なっていることと共通します。
 一方、短剣術は大正時代に銃を持たぬ砲兵の白兵戦用の武技として対銃剣用に始められたもので、試合は銃剣に対して短剣で行われるというものでした。私が短剣道を始めた頃も、その形が踏襲されていて、自衛官以外の銃剣道の団体戦では一名が短剣で出場しなくてはならず、私は日本武道館で行われる全日本銃剣道優勝大会の一般第一部(都道府県連盟)の試合に何度か短剣で出場し、また中四国大会にも短剣で出場しました。その頃は短剣は銃剣の突きを制しながら半身で入身し体を転じて相手の腕を制し刺突するという動きが行われていましたので、一瞬で勝敗がきまるため、無駄な動きはできず一瞬も気を抜くことはありませんでした。
 ところが、短剣道も銃剣道と同じくスポーツとして一般に普及させようとする全日本銃剣道連盟の方針から急速にスポーツ化が図られることになりました。危険な銃剣対短剣の試合はなくなり、短剣対短剣の試合のみとなり、面部への打ちも振冠りを要さず、まるで剣道の打ちと同じになってしまいます。もともと白兵戦用の武技ですので、鉄鉢をかぶっている敵にはよほどの打撃力が無ければ頭上への打突は有効ではありませんが、まるで片手で行う剣道のように遠間から飛び込んで、短剣の竹刀で手首のスナップだけで面を打てば「一本」となるようになり、突きも剣道の打ちと同じように遠間から飛び込んで胴や喉を突くようになってしまい、相手の体に貫通する刺突は必要とされないために、より早く遠くから飛び込んで防具を打ち突くための体使いとなり半身が基本の短剣の試合が飛び込みやすいようにほぼ正対して行われるようになってしまいました。

 このように競技として武道が行われるとき「一本」の基準が実際の武器を用いるときの有効な動きとかけ離れてしまうとそれは簡単にスポーツとなってしまいます。
 我々も渋川一流の稽古において危険な技を制限した上での意治稽古を行っていますが、あらゆる攻撃を相手から受ける可能性があるとした上で、稽古しなければ、それはルールのもとでのスポーツとなってしまいます。
 また、無双神伝英信流の稽古で、たとえ懐剣や袋竹刀を用いて稽古しても、剣を基準とした用い方をせず、ただ単に当てることのみにこだわった場合にはたんなるスポーツの競技となってしまうことを心しなければなりません。
 


  1. 2007/03/21(水) 18:02:05|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無双神伝英信流抜刀兵法 居合道講習会

 昨日、午前9時半から午後四時半までの間、廿日市市立七尾中学校武道場にいて居合道講習会を開きました。昼食を間にはさみ7時間の稽古となりましたが、大森流と太刀打という二つの内容の稽古であったため、時間はあっという間に過ぎ去ってしまいました。
 参加者は貫汪館で居合・柔術を稽古される方だけでなく、広島市内から他道場の方にも参加いただき、また、遠くは神奈川県横浜市から夜行列車で夢想神伝流を修める方にもおこしいただききました。
 午前中は大森流の稽古を行いましたが、自由に動くために無駄な力みを無くす事の難しさはご理解いただけましたでしょうか。必死になればなるほど、体は余計な緊張をしてしまい、型どおりにしか動けなくなってしまいます。形は自分の居合がどのような状況にも応じられるような業となるために存在しますから、稽古を通じて型どおりにしか動けない体を作ってしまったら、それは武術ではなくなってしまいます。心も体も強張らず、引っ張らず、固まらない自由さを身に付けていただきたいと思います。
 午後は大森流の残りの形を稽古し太刀打を稽古しました。太刀打では初心者の人はどうしても手順を追うことに意識が集中してしまい、対人関係の中での生きた形は使えませんでしたが、一人でイメージトレーニングを行い早く形になれるようにしてください。経験しておられる方の中にも、最後の一撃が極めの動作になってしまい、体を硬直させてしまう方がおられました。形としての手順はきまっているものの、形は一人で行う居合の形と同じく自由に働ける業を身に付けけるためのものですので、最後に体を固めてしまっては稽古の方法論としての形稽古に意味はありません。太刀打では相手は一人ですが、実際にはすぐに後の敵や左右に対応しなければならない状況もあり、また、倒したと思った敵が反撃する場合もあります。形として手順はきまっていますが、全ての形には始まりも終わりも無き事を知らねばなりません。
 今回の講習会を今後の稽古に生かされてください。

 次回の講習会は5月下旬、または6月初旬を予定いたしております。これまでどおり他道場の方や、他流派の方の参加も歓迎いたします。講習会の予定は4月に貫汪館のホームページに掲載いたしますので、見逃さないようにお願い致します。  
  1. 2007/03/22(木) 18:27:44|
  2. 居合 総論

呼吸

 先日、無双神伝英信流の稽古で呼吸についての指導を行いました。
 呼吸の指導時のある特定の姿勢の状態では全身に無駄な力みや緊張が全く入らず、呼吸に集中することができます。指導の中で今まで腹式呼吸をしていると思っていた人であっても意外に胸の近くで呼吸をしていた事に気付かれた方もおられると思います。
 形の中で行っていなければならないのは臍下丹田の呼吸で、臍下丹田の呼吸を行うには全身の何処にも無駄な力みや緊張がってはいけません。
 先日、江戸時代から戦前まで4代にわたって難波一甫流を沼田の阿戸で伝えられていた宇高家において最後に難波一甫流を伝授された宇高良之先生から米国よりお手紙を頂きましたが、手紙の中で先生に呼吸の大切さを繰り返し御教え頂きました。難波一甫流は渋川一流の母流のひとつで、広島藩に広範囲に行なわれた最大の柔術流派で、「意治術」にその特徴があります。
 「意治術」とは簡単に述べれば、いわゆる臍下丹田術で全身の無理無駄な力、力みを排除した上で呼吸法によって丹田から全身へ筋力に頼らぬ力を伝えていきます。
 ここでは詳述は控えますが、無双神伝英信流抜刀兵法でも渋川一流柔術でも無理無駄を一切排除して深い呼吸を行うことが形の土台となります。しっかりと工夫してください。
  1. 2007/03/25(日) 23:43:27|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

貫心流「糸引きの伝」

昨日、初心者の方と太刀打の稽古をしていて、久々に「糸引きの伝」という言葉を思い出しました。
 無双神伝英信流の太刀打の稽古では形としての手順はきまっていますが、稽古の目的は自由に動けるようになることですので、「相手がこうくるからこう」「相手がこう応じるからこう」と形を遣って数を重ねていたのでは、その形が見事に見えるようになるかもしれませんが、相手の自由な動きに自由に対応するのは難しくなってしまいます。
 手順以上に大切なことは、相手の心、相手の動きに、隙間無く、遅延無く、弛み無く、無心の状態で自然に応じることです。言葉で理解していただくことは難しいと思いますが、昨日の稽古では貫心流の「糸引きの伝」という言葉を中心に説明することによって、初心者の方もこの状態の理解ができたようです。
 貫心流については、第34回日本武道学会で「広島藩の貫心流に関する研究―その伝系と伝書について―」として調査研究したところを発表していますので、興味のある方はそれをお読みいただければと思います。貫心流の概略を以下にのべます。

「貫心流の流祖は安芸国甲立庄五龍城主宍戸元家の三男である宍戸家俊司箭である。宍戸司箭は由利刑部正俊より源義経以来の家伝の法を伝えられ、その芸は神業となった。さらに、司箭は薙刀の徳を考え、直鑓・カギヤリ・十文字鑓・卍ノ法を発明し、これを河野大蔵に伝えた。元亀元年(1570)四月四日、司箭は空中に飛行し京都愛宕山を住処としたという。
 貫心流は宍戸家俊司箭から伊予の河野家の一族、河野大藏通昭に伝えられ、後、築山(河野改姓)通護が広島藩に仕えることによって広島に再度もたらされた。以後築山家によって広島にその伝統は続いた。江戸後期、阿波国の貫心流師範であった細六郎義知は貫心流剣術の正伝を求めるため阿波から廣島に移り、築山嘉平通欽のもとで修行、相伝を受けた。広島藩の剣術は明治元年(1869)に貫心流に限られた。幕末の師範は細六郎致義であった。
細六郎義知の奉納額が現在も宮島の千畳閣に掲げられている。
築山家の墓は清岸寺にあったが、現在は鈴張楽土霊園の無縁墓地にあり、細家の墓は禅昌寺にある。」

貫心流は築山五郎太夫通有のときその弟子であった鉄柱無端によって阿波国、徳島にもたらされています。無双神伝英信流の師 梅本三男貫正先生の師である尾形郷一貫心先生は貫心流の免許皆伝でもあったので梅本先生にも「糸引きの伝」という言葉を用いて説明しておられます。
「糸引きの伝」とは相手の目、相手の剣、相手の心と自分の目、自分の剣、自分の心の間に糸が張られているかのようにつながれている事を言い、かつその糸は糸電話の糸が相手の声を伝えるように弛み無く張られています。しかもそれは物質的な糸ではないので、相手の心の動きや体の微細な動きもそのままこちらに伝わってきます。そのような状態にあるとき相手のなそうとすることは自分にそのまま伝わるので、形は手順ではなく生きた自由な動きを生み出す形となります。
 無双神伝英信流には「糸引きの伝」という言葉はありませんが、形を稽古するには太刀打、詰合、大小詰、大小立詰は勿論の事、現実の相手がいない仮想の敵に向かって抜き付ける居合の稽古であっても、上述した心を忘れてはいけません。また、これは渋川一流柔術の形稽古でも同じ事です。
くれぐれも生きた形の稽古を心掛けてください。

 
  1. 2007/03/27(火) 20:57:52|
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Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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