無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

融通無碍

 明けましておめでとうございます。今年も今日から一年間稽古に励んでまいりましょう。
 歳の初めに「融通無碍」という言葉を稽古のテーマとしてとらえていただきたいと思います。
 無双神伝英信流抜刀兵法においても渋川一流柔術においても何物にもとらわれず、すらすらと対処するということの重要性は稽古を通じてよくよく理解されていることと思います。居合において「斬る」という一点のみにとらわれて腰を固めて安定させて斬っていては、その瞬間に動けない自分は斬られてしまいます。また、柔術においても腰を安定させて敵をしっかり投げようとしたのではその瞬間にかえって投げ捨てられ、斬り倒されてしまいます。
 たとえ他から見て腰が定まって安定しているように見えていたとしても、そこに「定める、安定させる」という居付はなく、全てはすらすらと進んでいます。とどまり、固定されることはなく、活き続けています。

 動きを固定してしまうもの、あるいは固定したくさせてしまうものは、無意識の心です。心を業の働きから見つめ直し、業を心から見つめ直して日々新たに、日々進んでまいりましょう。 
  1. 2007/01/01(月) 07:00:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

柔術昇級審査課題作文

 平成18年に実施した澁川一流柔術を稽古する子供達の昇級審査の課題作文を数回に分けて掲載します。子供達の作文とはいえ随分深いものもあり、よく読んでみてください。

「稽古で心掛けている事」
  小学校六年
(三級)男子

 僕が稽古で心がけている事は四つあります。
 まず一つ目はいじけたりしない事です。僕は棒術の稽古の時いじけて、あまり集中せず練習もまともにできていなかった時がありました。その時はあまり上達しませんでした。それで僕はいじけていたら成長しないことに気付きました。それから僕はいじけるのはやめようと心掛けています。
 二つ目は自然に動くことです。僕はスゴク肩や腰に力が入るので、いつも先生に投げられます。肩や腰を柔らかくして力を抜こうとしても、やっぱり硬くなる癖がついているようで、先生に注意されて結局うまくいきません。力の入った体では技は通じません。だから自然に体が動いたらいいと思います。そのためには体をまっすぐにして自然に業に入れるように力を抜いたらいいと思います。
 三つ目はしっかり聞くことです。先生の話を一つでものがしたら大事なことが分からなくなるからです。今まで僕は先生が注意してくださる事を聞いていただけでした。でも先生が友達に注意したことを聞くことも大事なのです。今まで僕はそうしたことをしていませんでした。これからは人への注意も聞こうと思います。
 そして四つ目は姿勢を真っ直ぐに伸ばすことです。宮島の演武会のとき、お母さんにビデオをとってもらいました。ビデオを見たらちょっとへっぴり腰でした。僕はこのとき決めました。背筋をまっすぐにしたら柔術も上手くなるし敵が来て襲われてもよけられるかもしれません。
 この四つをちゃんとして上達していなければ自分も成長しません。少しずつクリアしたいと思います。 
  1. 2007/01/04(木) 17:40:02|
  2. 昇級審査作文

柔術昇級審査課題作文 2

 澁川一流柔術を稽古する子供達の昇級審査の課題作文の掲載2回目です。


「柔術の稽古で楽しい事」
  小学校三年
(五級)男子

 柔術の稽古で楽しい事は、技をかけて成功した時です。成功すると嬉しくなるからです。
一生懸命頑張って成功した時は倍くらい嬉しいです。時々、森本先生が相手をしてくださいますが、技がうまく掛けられない時は、隙があると注意されるけど、成功した時は「よし、できた!」と言って褒めてくれるのでとても嬉しいです。
柔術で不思議な事があります。柔術は力を入れていないように見えても、「いたいなあ。」と思って、投げられてしまう事です。「不思議だなあ。」と思います。そんな不思議な柔術の稽古をすることは楽しいです。



  1. 2007/01/05(金) 18:00:00|
  2. 昇級審査作文

柔術昇級審査課題作文 3

 澁川一流柔術を稽古する子供達の昇級審査の課題作文の掲載3回目です。


「柔術の稽古で楽しい事」
  小学校三年
(五級)男子

 僕は柔術の稽古を始めて二年になります。始めた理由は姉がやりたいと言ったからです。
 稽古で楽しい事は意治稽古(乱捕)です。痛い時もあるけど、色々な技が出てくるので楽しいです。得意な技は返投です。苦手な技は小車です。
 褒められたのは演武会の練習の時です。でも、技が上手くできなくて居残りになる時もあるのです。すごく疲れます。
宮島の演武会の時、一番最初だったのでちょっと緊張しました。小車を少し失敗しました。自分も飛んでいきそうでした。でも、他の技は全部成功したので嬉しかったです。演武の後、厳島神社の御守りをいただきました。
 僕は時々ボケーとしているときもあるけど、先生の言うことをよく聞いて、もっともっと強くなりたいと思います。特に演武会や昇級試験のときは頑張ります。 



  1. 2007/01/06(土) 12:28:33|
  2. 昇級審査作文

柔術昇級審査課題作文 4

 澁川一流柔術を稽古する子供達の昇級審査の課題作文の掲載4回目です。


「柔術の稽古で楽しい事」
  小学校三年
(五級)女子

 私は柔術の稽古で好きな技をする時が楽しいです。好きな技は返投と返返です。今は上段絞りも好きになりました。
 柔術の稽古をはじめた時、裏投が苦手でした。でも、今はだんだん得意になってきました。柔術を始めた時、裏投の稽古で身長の高い人とすると手が首に届きませんでした。だから、背伸びして捕らないといけませんでした。今はやっと首が捕れるようになったので嬉しいです。裏投は手順は簡単だけど波のように動くと言われると難しくて何回やってもできませんでした。
 私は今、『吉掛』をしていて、一つだけ苦手な技があります。それは裏返の左へかわす形です。右へかわす形は普通にできます。宮島の演武会の為に沢山稽古したからです。右へかわす稽古をしている時は楽しいです。
 私は『吉掛』の分からない所や苦手な所をもっと稽古して上手になりたいです。『吉掛』と『履形』は終わりは同じでも始めの手順が違います。また、名前が一緒でも似ている形もあれば、全然違う形もあります。難しい技や苦手なができるようになったら嬉しいです。 
  1. 2007/01/07(日) 17:27:17|
  2. 昇級審査作文

柔術昇級審査課題作文 5

 澁川一流柔術を稽古する子供達の昇級審査の課題作文の掲載5回目です。


「何のためにを稽古するか」
  小学校四年
(四級)女子

 私は何のために柔術を稽古しているかと言うと、変な人が来た時とかに逃げるために習っています。
 私は先生に注意された時、すぐにちょっと暗くなって落ち込んでしまうから、そこを直した方がいいと思っています。お兄ちゃんは私と違って先生に注意されてもすぐに立ち直って、言われたようにしているので、私も見習ってお兄ちゃんみたいに早く上手くなって級が上がって黒帯になりたいです。お母さんも私が早く上手くなって黒帯を結んだところを見たいと言っていました。
私は宮島の演武会の時風邪を引いてしまって出られなくなってしまいました。その時お兄ちゃんが羨ましかったです。今度は風邪をひかないで、宮島で演武をしたいです。またお兄ちゃんは棒術も習っているから私も早く上手くなって棒術を習いお兄ちゃんに追いつきたいです。落ち着いて稽古に励んでいきたいと思います。 
  1. 2007/01/08(月) 18:08:08|
  2. 昇級審査作文

柔術昇級審査課題作文 6

 澁川一流柔術を稽古する子供達の昇級審査の課題作文の掲載6回目です。


「何のために柔術を稽古するか」
 小学校三年
(四級)男子

 僕は柔術を始めて六年になります。僕が柔術を始めたのはお姉ちゃんとお兄ちゃんが稽古していたからです。
 最近子供が危険な目に会う事件が多いので自分の身は自分で守れるようになったほうがいいと思います。まだまだ未熟なのでちゃんと自分の身が守れるかどうかは分かりませんが、先生が危ない時はどうすればいいか稽古の時に教えてくれます。柔術をやっていなければ分かなかった事がたくさんあります。
 まずは危険な目に会わない為にはどうすれば良いのかとか、もし会ってしまったらどうするのかです。学校では教えてくれない大切な事を柔術ではたくさん教えてもらえるのでとても勉強になります。 
 もう一つ大事なことを学びました。礼儀です。大きな声で挨拶することも大事ですが、人の話を聞く時は相手の目をちゃんと見ることが大切です。
僕は幼稚園に入ってからすぐに柔術を始めたので、人の話を聞く時は姿勢をよくして相手の目を見て聞くので幼稚園や学校の先生によく褒められます。技を覚えるのも大切ですが、そういったことも大事にしていきたいと思います。
 これからも稽古を続けて技だけでなく心も鍛えていきたいと思います。
  1. 2007/01/09(火) 18:18:18|
  2. 昇級審査作文

柔術昇級審査課題作文 7

 澁川一流柔術を稽古する子供達の昇級審査の課題作文の掲載7回目です。
今回の掲載はこれで最後です。


「武道における礼について」
 小学校六年
(一級)男子

僕は柔術の中でも礼儀はとても大切なものだと思います。
武道に「礼に始まり礼に終わる」という言葉がありますが、その通りだと思います。礼をしないと稽古も始まりませんし、終わることも在りません。礼をするのは争いなどを起こさないためです。礼をしないと争いを止めることもできないし、礼をすると相手に気持ちが通じ、相手を尊敬することにもなります。
僕は礼をして今日も頑張ろうと思います。稽古をする前に礼をすると気合が入るからです。そしてその気合を稽古で使い果たすまで頑張ります。
僕の礼の動作で稽古しないといけないのは蹲踞の礼です。蹲踞した時によろけてこけそうになります。集中力がないからできないのだと思います。心を落ち着かせ、集中して何度も練習し克服したいと思います。 


  1. 2007/01/10(水) 18:22:22|
  2. 昇級審査作文

「姿勢」

       無双神伝英信流 渋川一流・・・道標      

 無双神伝英信流抜刀兵法においても渋川一流柔術においても形が業となるためには姿勢をより質の高いものへと変化させなければなりません。姿勢はすぐに形作ることができるものではなく、普段の日常生活の動きを見つめなおしていくことによって変化していくものです。
 武術にとっての最適な姿勢とは美しさを表すための姿勢でもなく、力強さや威圧感を出すための姿勢でもありません。より自由に、より楽に働けるための姿勢が、武術に求められる姿勢です。
 これまでに道標では姿勢について主に無双神伝英信流の座法から述べましたが、違う視点から姿勢について書かれた貫汪館の門人の優秀な小論がありますので以下に掲載します。貫汪館で主に無双神伝英信流を中心に稽古される方が数年前に書かれたもので、今ではもっと上の境地にあると思いますが、貫汪館での稽古方針をよく体得した上で書かれていますので、後進は大いに参考にされてください。


 「武道における姿勢について」

 「姿勢」・・・すがた、かたち。武道において求められる姿・形は、いついかなるときも、敵対する相手の動きに対応できる姿勢である。頭の先から足の裏までが、天地と一体となることで、、体を貫く一本の筋がとおる。これは、背中に物差しを突き刺して、姿勢を真直ぐに固定するのとは、全く異なるものである。前に備えようとするあまり、上半身が浮いてしまうのではなく、腰を落として、肩をリラックスする。しかし、気抜けした状態、または、その場に居着いてしまうのでもない。目に見える形ではなく、体の中心を内から感じて、常に安定した状態にあることを言う。
 その為の修行は、稽古中よりむしろ日常生活の中で行うことが望ましいと考える。まず、自らの体を知ること。髪の毛の先から足の指の先までを感じ取る感覚を磨くのである。これはテレビを見ているとき、食事をしている時、歩いている時、眠りにつくために横になっているとき、日常生活の中で様々な瞬間に試みることができる。時間のかかるものでもない。CMの間、箸を置く瞬間、一歩を踏み出す瞬間、瞼を閉じる瞬間、ほんの一瞬、体の中に意識をもっていくことで可能である。
 最も簡単でわかりやすい方法の例としては、就寝前に横になったとき、目を瞑り自分の体の周辺を頭の天辺からスタートして、手の形や指の先まで意識だけでなぞっていく。あたかも、床の上に自分の体の人形を描くように。
 このように磨かれた感覚の中で己の中心を感じて敵に相対するとき、その姿に気が通っていれば、どの方向からの攻撃に対しても対応することが可能であり、また、攻撃を待たずに相手を制することができる。「相手に攻撃させない」という武道において最も有効な業を導き出すことになると考える。
 「姿勢」・・・取組み・心構え。武道を修行する者において、もう一つ大切な「姿勢」とは、武道に対する取り組みや心の在りようであり、業を上達させる以上に重要なことであると考える。
 武道に対する想い、武道を修行する動機・目的は、千差万別である。しかし、その千差万別の中で己の信念は明確にし、貫くことが大切である。
 稽古に取組む際には道場の外での雑念を持ち込まず、一つ一つの動きに真剣に取組むことは勿論であるが、ただ一心に集中することとも異なる。一つ一つの動きに対して、その動きの理由や有効性を考え、効果的に取組むことである。
 礼儀作法も、心の構え方の重要な部分である。師に対して、同じ修行者に対して、同じ道場に存在する者に対してのみに留まらず、道場に対して、武具に対して、さらには技に対しても礼を尽くすことが求められる。
 決して「無」の状態にあるのではなく、上達への意欲や相手を圧する気は必要ではあるが、雑念はなく心は清浄に保たれる状態。こうしてみると、とても難解なことのように思えてくるが、然程難しいものでもない。要は己の邪(よこしま)に打ち勝ち芯のある心を持つこと。語弊があるかもしれないが、千差万別ではあっても、、武道に対する興味を持ち「稽古をしたい」「稽古が楽しい」「もっと上達したい」「もっと武道を知りたい」と思う心を己のうちに住まわせることであると考える。
 武道における「姿勢」のどちらもが、切り離せないものであり、相乗効果によって技が上達し、延いては人間として磨かれていくものだと思われる。 
  1. 2007/01/12(金) 19:08:08|
  2. 居合 業

初心者の上達の為に

 無双神伝英信流においても、渋川一流においても初心者の方が陥り易い罠に上手く見せようという無意識の心の働きがあります。
 無双神伝英信流にあっては、始めのうちは一人で抜く形の稽古を稽古をします。そのため自分の動きが理にかなっていなくても、相手に斬られるということがありません。そこで中には少しでも上手く見せようとして、体を固めて、いかにも体の動きにぶれがないように見せかけてしまう方がおられます。対敵動作であれば、力みがあり、固まれば、そこを斬られてしまうので、体を固めてしまうことは無双神伝英信流の上達にとっては致命傷となってしまいます。
 稽古を始めたばかりでは中心の自覚の自覚は難しく、体がふらつく事は当たり前ですので、中心が自覚できるようになるためにも体のふらつきは当然の事であると思ってください。むしろ、ふらつきこそが、中心を自覚するための方法であると思い、下手に見えること、自分自身が下手に感じる事こそ真の上達につながるのだという発想の転換をしていただきたいと思います。
 渋川一流にあっては、はじめに稽古していただく受身に上手く見せたい、上手く感じたいと言う無意識の心の働きが現れます。子供達の稽古に良くあることですが、クルッとすばやく前周り受身ができたように見せたく、また、自分自身が感じたく、床を蹴って前周り受身に入るという状況が見られます。受身は突然投げられた時に使えなければ意味はありません。その意味から床を蹴るという予備動作は真の受身の妨げにしかなっていません。たとえ上手く見えなくても、何かをしたという実感を得られなくても、あるがままにまわっていく稽古をしなければなりません。
  1. 2007/01/16(火) 23:45:11|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大森流の形に仕組まれた残心の稽古

 無双神伝英信流の稽古においても渋川一流の稽古においても時に残心という言葉を用いて指導することがあります。また、武術一般においても残心という言葉が用いられ、「残心のない演武であった・・・。」ということも言われます。今回は形の中に仕組まれた残心の稽古についてお話します。
 残心を簡単に述べれば、敵を倒したと思っても無意識下に油断せず、何時如何なることが起こっても対応できる心と体の状態を言います。 
 私たちが稽古するのが武術の形である以上、残心は全ての形になければならないのですが、無双神伝英信流の形の中には初めから残心の稽古が明確に行えるように仕組まれた形があります。大森流(無双神伝英信流では初伝という言葉は用いません)の陰陽進退を例にして考えてみましょう。

 大森流の陰陽進退の想定を細川義昌先生の直門である植田平太郎竹生先生は以下のように記述されています。

 ・・・(対手の右側面へ)抜付けたるも剣先が届かぬ為急に立ち上がり左足を右足の前へ踏越しつつ刀を引冠りて正面へ斬り込み刀を右へ開き(開くとは血振ひの事)刀を納めつつ右膝を跪き納め終わりたるところへ(別人が向脛薙付け来る)・・・

 依然述べた事と重なる部分もありますが、具体的に残心との関連でこの動きを考えてみます。
 大森流の陰陽進退にあっては、はじめの抜付けが届かなかったため、前に大きく進み斬撃を加えます。形としては「抜付けた刀が届かなかったため」という所に意義があります。抜付けまでの動作は初発刀と変わる事はありません。
 しかし、初発刀と同じだということを誤解して、抜付けの後に間をおいて斬撃の動作に移ったのでは技の稽古にも残心の稽古にもなりません。また、あらかじめ形の手順を頭に入れ、抜付けの後には前に大きく進むのだと思い、その為に初発刀と少しでも異なる体の動きで抜付けをしても技の稽古にも残心の稽古にもならないのです。
 残心があれば、抜付けが失敗に終わっても当然すみやかに次の対処をすることができますし、残心がなく、抜付けたという動作にとらわれるならば、一撃も加えていない敵にかえって斬られてしまいます。
 また、第一の敵を倒し第二の敵が脛に斬り付けてくる時も同じことが言えます。第一の敵を倒して納刀し終わり、しばらくして次の張受けの動きを起こしては技の稽古にも残心の稽古にもなりません。また、あらかじめ形の手順を頭に入れ、膝をついた瞬間に第二の敵が脛に斬りつけてくるのだと思い、その為に次の動きをする準備をしながら右膝を床に下ろしに行っても技の稽古にも残心の稽古にもならないのです。
 残心があれば、床に右膝を下ろした刹那に急に敵が脛に斬りつけてきてもすぐに張り受けをすることができますし、残心がなく、第一の敵を斬ったという事に居着くならば敵に斬られてしまいます。

 陰陽進退が残心の稽古になるかならないかは想定が生きているかいないかにかかっています。「抜付けたるも剣先が届かぬ」という生きた想定ができていなければ、無双神伝英信流の居合の形は単に形を上手に見せるだけの踊りとなってしまいますし、「右膝を跪き納め終わりたるところへ別人が向脛薙付け来る」という生きた想定ができていなければこれもまた踊りとなってしまいます。
 生きた想定を忘れずに稽古をすれば、残心は身につくように仕組まれているものなのです。


 
  1. 2007/01/19(金) 00:24:16|
  2. 居合 総論

居着きと残心

 前回、無双神伝英信流の形に表された残心について大森流の形を例に取り述べましたが、敵に抜付け、また、斬撃を加えて倒した後に、まだ動きを起こさぬ、第二、第三の敵、もしくは倒したと思った敵に対していつでも対処できるように、心の緊張状態を持続することを残心と解釈してしまっては稽古が進まなくなりますので、この点について言及します。
 無双神伝英信流にあっては、いわゆる心の緊張状態をもって残心とはなしません。そもそも居合における心の持ちようは『居合歌之巻』に示されるように何の緊張状態もない、凝り固まりのない心を心とします。

「居合とは心をしつめ指刀抜れはやかて勝を取なり」
「寒き夜に霜を聞べき心こそ敵にあひての勝を取なり」

 これらの2首を読んで頂いてもわかるように、心は静まり、戦いの中にあっても霜の音の聞けるような状態になければなりません。そのため、心は緊張しているのではなく、どこにも引っ張られることなく、たるむことなく、澄み切っていなければなりません。 始まりも終わりもなく、このような状態にあることを無双神伝英信流における残心としています。心の緊張状態を持続させると言うことは心の居着きであり、動けない体を作る原因となってしまいます。
 よくよく心してください。緊張した心からは自由な働きは生まれません。 
  1. 2007/01/22(月) 18:51:57|
  2. 居合 総論

運剣

 無双神伝英信流の稽古をされている初心者の方に、これまで長い時間を掛けて、「初発刀」「左刀」「右刀」「当刀」を稽古していただき、体の働きは「抜く」と言うことに関しては本質的に全て同じであるということを体得していただきました。
 先週は新たに大森流の「陰陽進退」、今週は「流刀」の稽古をしていただきましたが、この「陰陽進退」と「流刀」の2本の形の動きには「初発刀」「左刀」「右刀」「当刀」における抜付けから斬撃への運剣の動作を向上させる仕掛けがなされているということを知っていただきたいと思います。
 大森流の初めの4本の形での斬撃は相手の右側面への抜付けに効果があり、倒れた、または倒れつつある敵への斬撃でした。しかし「陰陽進退」と「流刀」における斬撃は抜付け、あるいは刀を抜いた動作は相手に一撃を加えたものではなく、滞りなく斬撃を加えなければ、無傷の敵にこちらが斬られてしまうという状況下にあるということは理解されていると思います。
 したがってこれらの形では運剣が少しでも滞れば、即、自身の命がなくなるということを意味しています。そこには強い斬撃をなそうと賢しらに考え、腰を固め、ためを作って体をしならせて斬り込むという動きはありうべくもありませんし、無双神伝英信流の形には、そのように仕組まれた形は一つもありません。
 これまでも運剣は滞りなくとお教えしてきましたが、新たに学ぶ2本の形から運剣の質をさらに向上させていただきたいと思います。もちろん、「初発刀」「左刀」「右刀」「当刀」の稽古でもお話してきたように想定ではたとえ抜付けから前に進んで斬撃を加えるようになっていても、抜付けの後、後方や左右に移動できる動きを内包して前に進まなければならないことは言うまでもありません。
  1. 2007/01/26(金) 19:41:32|
  2. 居合 業

意地(治)稽古と形稽古

 今回は渋川一流柔術における子供達の意地(治)稽古と形稽古について指導という面から述べてみたいと思います。
 子供達には形稽古の最後に指導者との意地(治)稽古を行わせていますが、形稽古での動きの悪いところは必ず意地(治)稽古にも動きの悪いところとして現れます。動きの悪いところは隙になりますので、指導者は子供だからと遠慮せずにすぐに技を掛けてください。何度か失敗を繰り返させた後で子供達の動きが改善されなければ、何故、技を掛けようとしているのに、逆に、投げられ抑えられ極められるのかを説明し、形稽古の時に、そこを重点的に稽古するように指導してください。子供達は特に意地(治)稽古では純粋に向上していこうとしますので、形稽古で動きの質を変えることの重要さを理解します。
 形稽古で動きの質を向上させていけば、意地(治)稽古で、業はきまるようになり、意地(治)稽古でできないところは形稽古で質を向上させていくということをしっかりと考えさせ、形は悪い意味での形の完成を求めるためにあるのではなく、あくまでも、上達のための方法論であるということを子供達にも理解させたいと思います。 
 無双神伝英信流の稽古をされている方にも大森流、英信流や太刀打といった形稽古だけでなく、懐剣を用い、また袋竹刀を用いて形の動きの検証をして頂いています。居合も柔術も形稽古の意義は変わりません。
 
  1. 2007/01/29(月) 18:50:52|
  2. 柔術 総論

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
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