無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

精神論

 伝統文化活性化国民協会の会議に参加しました。
 剣道を指導されている先生のお話を聞いていると、精神論が先にたち、子供たちがたとえ稽古を中断したとしても、それまでに養った武道の精神性は将来にわたって残るという趣旨のお話をされていました。
 貫汪館では無双神伝英信流と渋川一流という古武術を稽古いたしておりますが、私は武道の精神はそんなに簡単に身につくものではないと考えています。ただ礼儀作法を身につけるだけなら何も武道をする必要もなく、囲碁や将棋、宗教教育であっても身につきます。
 廿日市スポーツセンターを稽古のための道場として利用していて思うことは、剣道や柔道の先生方は日曜日に大会をされるのにもかかわらず、土曜の昼間から準備をして数時間で終わらせ、夕方にもならない時刻から道場が使われることもなく放置されている現状や、とにかく場所を確保してという発想から、メインホールで大会をするにもかかわらず、前日から武道場を控えの場として借り上げている現状をみると、柔道の「自他共栄」という言葉は所詮、柔道仲間の間だけの自他共栄であって、他の団体の活動場所を奪っているのではないかという配慮は全くなく、剣道も「礼」をうたい文句にしていても他者に対する礼は全く念頭にないのだと感ぜざるを得ません。他者に配慮があれば、合気道やその他の武道のように大会当日の早朝に準備をするという発想がもてるはずです。
 私は武道の精神性というものは業が身につかなければ決して身につくものではないと考えています。平時の「礼」は戦時の「業」と密接不可分なものであり、「礼」が保てなければ争いが生じ、戦いの技を身に着ける者は戦いに至らせないための礼もまた必然的に身に着けるべきものであると考えています。武術の稽古の目標は心も体も自由になることですので、このことなしに精神のみを論じたとしても、それは武道の修行によって身についたものであるとは決して言えません。
 貫汪館の皆さんは稽古なしでの精神論は無用と心得てください。
  1. 2006/12/01(金) 00:07:55|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

文化としての古武道

 先日の伝統文化活性化国民協会の会議での交流会において、文化庁文化財部伝統文化課の主任文化財調査官の方とお話する機会がありました。
 古武道が文化として文化庁で認められる可能性があるのかどうかという点について私の意見を述べつつ、調査官にお話をお伺いしました。はじめは私が無双神伝英信流抜刀兵法と渋川一流柔術という古武道を教えているということで、少し距離をとってお話されていましたが、私の意見を聞かれながら、率直なご意見をお話くださいました。
 第一に文化として認められるためには、形が昔のままに伝わっているのかどうかという点。流派の歴史が古いというだけでは認められることは難しいとの事。これには私から無形文化財とされている「能楽」の動きも明治維新以前と以降では変容している事などもお話しながら、古武道も現存する流派によって異なることなどもお話しました。形が大きく変容していないことがひとつの条件であるということがわかりました。
 第二に文化として認められるためには、形の上手 下手がその流派内だけではなく、他者から見て判断できるのかどうかという点。能楽のように宗家であろうがなかろうが、その弟子の方が上手であるとか下手であるとか比較できるのかという点です。古武道における宗家制については西山松之助先生の『家元の研究』を引用してお話し、本来武術には宗家制など存在し得ないことをお話しながら、武術の動きというものは簡単に素人や初心者が見てわかるものではなく、むしろ上達したものにしか見えない事、素人や初心者に判断できるような動きであれば、素人や初心者に斬られてしまう事などをお話しつつ、自分の技量が上がれば他流派であろうと、異なる種類の武術であろうと、その動きの良し悪しは見えてくる事などをお話しましたが、武術の技量が上がれば上がっただけ他者の動きが見えてくることや、古武道の形は形を超えるために存在するのだという話などは興味深く聞いていただけました。また、素人や初心者が見てすごいと思うような動きは単純に力んだり、むやみに極めを作っているだけなのだということも、よく理解されておられました。
 その他、多くのことを短時間ではありましたがお話いたしました。お話をして思ったことは、一つ目に古武道が国のレベルで、文化として認められるには時間がかかるけれども、県のレベルでは働きかけによっては可能であるということ。 二つ目に古武道を文化としての視点でお話する上においては、自分が行っている実技だけでなく、歴史や文化的背景、他の文化に関する知識をもっていなければならないことです。
 実技がもっとも重要な古武道にあってはややもすれば、歴史や文化的背景を知ろうともせず、自分のみがもっとも尊いとして、歴史的に宗家制度など存在しないのにもかかわらず、宗家を詐称するようなことが行われ、文化としての古武道どころか、胡散臭い存在として見られることもあります。
 今回、文化庁文化財部伝統文化課の主任文化財調査官が私に親しくお話してくださったのは私が古武道の実技だけではなく、歴史や文化的背景、その他の文化についても話ができると思ってくださったからだと思います。貫汪館で稽古する皆さんには実技だけではなく幅広い視野を持って稽古していただくことを望みます。
  1. 2006/12/04(月) 20:12:50|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

剣号と諱

 今日は剣号と諱について記します。一般的にはなじみがない剣号と諱ですが、武術の世界ではいまだに用いられていますので、知識の一部とされてください。
 貫汪館という道場名は私の剣号による道場名ですが、師 梅本三男貫正先生より無双神伝英信流の道場開設を命じられたときに、師は「道場名につける最高の剣号を考えておく。」と言われ、「一番良い剣号を考えたよ。」といって授けていただいた号であり、当時、渋川一流柔術の畝重實嗣昭先生の師範代をしていた私は、畝先生からも柔術の指導をすすめられており、この道場名で無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術の指導をする許可を梅本先生から頂き、爾来貫汪館での指導を続けております。
 
 おおよそ武術(古武道)における諱・剣号というものは遊芸における「名取」の制度とはかけはなれたもので、これを遊芸の家元制度における「名取」と同一視して語る者があるのは、無知からくるものか、本来家元制度のない自己の修める流派武術の世界に自分だけが尊いという宗家を詐称したうえ、さらにその地位を固守しようとする意図をもつものか、嘆かわしい限りです。
 江戸時代およびそれ以前の武士は、字(あざな)と諱(いみな)の両方をもっていました。字は通称であり、諱は本名で、日常は字をもちいていました。
 たとえば、無雙神傳英信流の流祖林崎甚助重信は甚助が字(通称)であり重信が諱(本名)となります。また、田宮平兵衛業正は平兵衛が字(通称)であり業正が諱(本名)となります。通常、諱は漢字2文字のうち親、先祖代々の諱の特定の1文字を入れることになっていました。たとえば無雙神傳英信流の歴代の師範中、林六太夫守政の子、林安太夫政詡に政の字が引き継がれ島村馬允義郷の子、島村(細川)善馬義昌に義の字が引き継がれているように。
 ところが、明治5年5月7日の太政官布告「従来通称名乗両様相用来候輩自今一名タルへキ事」により、諱と通称を併称することが公式に廃止されたため、伝書に代々書きつがれていた諱が書けなくなり、そのかわりとして用いられたのが剣号です。号(ごう)とは、名や字以外に人を呼ぶ際に使われる称号で字や諱と異なり、自身で名付けたり、他人によって名付けられるものです。尾形郷一貫心先生の剣号は先生が貫心流の免許皆伝者としてすでに指導されていたところからつけられたもので、梅本三男貫正先生の剣号は尾形先生から授けられたものです。ちなみに植田平太郎竹生先生のご子息で、無雙神傳英信流の指導をされていた植田一先生にはご尊父から授けられた竹譲という号があります。この場合、ご子息なので、その性格は諱に近いものであると思われます。
 植田平太郎竹生先生の伝を受けられた尾形郷一貫心先生の剣号に植田先生の剣号の「竹」も「生」も用いられていないことから、「名取」の制度であるという主張がいかに根拠のないものであるということがわかると思います。
 一方、澁川一流柔術では畝重實嗣昭先生からは「かつては親の諱の一字をもらって諱としましたが、今は、そのような風習はなくなったので、師が弟子に諱を授けるようにしているのです。」と話され私に「嗣時」という諱を授けてくださいました。宮田友吉國嗣先生、車地國松正嗣先生、畝重實嗣昭そして私へと「嗣」の一字が用いられているのは、そのような理由によります。
 私の柔術の諱の「時」には畝重實嗣昭先生の澁川一流柔術を流祖、首藤蔵之進満時の時代のように、再びゆるぎないものにと言う願いが込められています。剣号の「汪」の字にも師の梅本三男貫正先生の思いが込められています。興味ある方は漢和辞典で調べてみてください。



  1. 2006/12/11(月) 07:04:08|
  2. 武道史

残影

 無双神伝英信流の稽古においても渋川一流の稽古においても、間違いをおかしやすく自分に戒めておかなければならないことは、決して師の影を追いかけてはならないと言うことです。
 厳しいことを書くようですが、師といえども完璧な存在ではなく常に進歩上達の途上であり、本質を知ることなしに師の動きをただ真似してみても、それは物まねに過ぎません。ましてや師がこの世を離れられた後に残された映像や写真からのみ判断し師の動きはこうであった、ああであったと論じたところで、たいていは師の癖や未完成であった動きを追いかけているに過ぎないものです。
 師のそばに仕え、常に師とともにあって師の教えを受けていた者には、師は自分の目指す方向を指し示されています。弟子は師の目指される方向を目指すのでなければ師に習い、師を超えることはできるものではありません。
 例えば、無雙神傳英信流抜刀兵法の師、梅本三男貫正先生に関してはこのようなことを経験しています。
 先生は晩年になられ、業、道に入り大いに変革され進化発展を遂げられていましたが残念なことにその途中、病に倒れられてしまいました。先生は業の変革期以前に、プロの写真家によって撮影されていた、御自分の上方からの「抜付け」の大伸ばし写真をたいそう気に入られ玄関先に飾られていました。私にも、「良い動きを捉えている写真だから。」と、焼き増しして同じ写真何枚かを授けて頂いていました。しかし、ある日突然にその玄関先の写真がどこかへ片付けられていました。
 そのことについて先生にご質問したところ、「森本君、あの動きは良くない動きであった、今となっては恥ずかしくて掛けてはおれない。だから片付けてしまったのだよ。」と語られ、自分の目指しておられる方向を時間を掛けて話して下さいました。その後先生の業は飾ってあった写真とは、その本質的な動きにおいて全く異なったものへと進化発展して行かれました。また、同様に変革期以前に弟子の画家に描かせておられた御自身の手の内や刀の構え方などの詳細な動きに関しても否定され、「あれは、稽古の参考にはならないから。」と語っておられました。弟子の稽古の参考のために大森流、英信流の一人で行う形の全てを収めたビデオも作り配布されておられましたが、これについても全てを否定されました。
 しかしながら、先生の弟子の中には先生の死後においても変革期以前の写真の動きを求められたり、画家の描かれたデッサンを稽古の目標にしておられたり、変革期以前に弟子に配布されたビデオを参考にされる方が多くありました。
 また、先生はご自身の稽古のためにご自身の形のビデオをとられて研究されておられましたが、変革期以降に残されたビデオであっても変革期以前の癖や未完成の動きが残っています。それらの動きについては師に身近で仕えていた者には詳しくお話して頂いていますから、迷うことは全くありません。師の目指す方向を教わらず、知らず、ただ師の影のみを追い求められている方は哀れとしか言いようがありません。
 貫汪館で稽古される皆さんもこのことをよく頭に入れ決して外見のみの物まねはなさらないで下さい。また、わからないところがあれば、しっかりと稽古された上で、何でもご質問ください。
 
 『居合歌之巻』より
   「師にとわすいかに大事を教へき心をすましねんころにとへ」
  1. 2006/12/15(金) 18:47:01|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

座法

 無双神伝英信流の居合の座法には正座と居合膝(立膝)の2種類があります。大森流では形に正座を用い、英信流では形に主に居合膝を用います。この差は形がどの時代に作られたかによるものですが、居合において座ることの重要性は正座であっても居合膝であってもかわる事はありません。
 また、座法は二つあっても本質的には同質のものであり、正座ができれば居合膝もまた支障なくできるようになるものです。大森流の稽古を修め英信流表の稽古に進めば居合膝で稽古しますが、この際、居合膝の座り方をことさらに稽古しなくては座れないと言うのは正座の姿勢が全くできていなかったからであり、また正座ができていないということはその上に成り立つ大森流の形も砂上の楼閣に過ぎなかったという事になります。
 しかし、「支障なく」とは申しましたが、正座との違いが、ただ右足が立っていると言うことではなく、居合膝の据わり方には無双神伝英信流における英信流の極意も内包されており、師 梅本三男貫正先生は私に「英信流の座法は我々が修める無双神伝英信流と中山派(夢想神伝流)ではハッキリと異なっている。この座り方を疎かに考えてはならない。」と両流の座法を示してくださいました。先生の弟子でありながらもともと夢想神伝流を稽古されていた方は先生の弟子であるにもかかわらず、夢想神伝流の座法を捨てずに形を行っておられましたが、これでは形は似ていても先生と同質の動きを追求することは不可能です。教わることがなかったのか、自分の考えを捨てられなかった為か、これでは羊頭狗肉となってしまいます。
 さて、正座についてはすでに述べましたが、居合において座る意義は座ることそのものが地球の引力に抗していない状態であるので、下肢に無理が働かない、非常に安定した状態に入りやすく、体の中心と引力の線が一致した場合には全ての方向に自由に動ける状態となり、これをもととして立姿勢での居合が成り立っています。
 先日、大森流11本の形を修めたばかりの方に居合膝で座って頂きました。始めは苦労されるのではないかとも思ったのですが、初めから、何の苦もなく座られ、「正座の稽古をしっかりとさせていただいたからだと思います。」と話されました。貫汪館では形の稽古に入っていただく前に半年をかけて座法、礼法、歩法等の稽古をして頂いていますが、初心者の方はこれらの稽古を疎かにされることなく、また形のみに流れることなく、そこにある理を求める稽古をしていただきたいと考えます。
  1. 2006/12/21(木) 18:23:13|
  2. 居合 業

業への素直さ

 12月23日(土)、廿日市天満宮において本年最後の奉納演武を行いました。昨年の大雪とは違って今年は暖かく感じられるほどの気温の中での演武でした。

 演武では柔術を稽古する子供達の業の素直さが特に印象に残りました。
 子供達にとっては体重が自分の何倍もある相手を投げなければならないという心の力みから、どうしても腕力を用いようとして技が決まらない事が多いのですが、今回の演武はほとんどの子供達が心の力みなく、そして体の力みなく素直に技をかけていました。結果として、子供達は腕力を用いることなく、自分の体重を上手く利して理のある動きができ、自然に相手を制することができていました。子供達にとっては、何故業が掛かったのか不思議であったと思います。
 演武前に「神様は素直な心を見ておられます。上手に見せようとしても、格好良く動こうとしても全て見抜かれてしまいます。拙くても良いから一年間稽古してきた素直な心で演武し、素直な心を見て頂きなさい。」と話していたのを心に留めて演武してくれたのだと思います。
 この業への素直さは、居合においても、またしかりであり、正しい抜付けや斬撃、血振るいができたときには、全くと言って良いほどに、体(筋肉)に実感が残るものではありません。「抜付けた」「振った」という生の実感はほとんどが体の力みであり、実感を求めていては、上達からはますます遠ざかってしまいます。
 柔術を稽古されている大人の方も、居合を稽古されている方も、今回の子供達の演武を参考にし、稽古に励まれてください。


 H.Pの柔術の行事のページに厳島神社奉納演武の写真をアップしました。
  1. 2006/12/28(木) 00:39:15|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

真綿に針を含みたるが如きものを・・・

 「柄のとりようは真綿に針を含みたるが如きものをとるが如く」とは無双神伝英信流の我師 梅本三男先生の教えです。
 初心者の方は「刀を取り落とすまい」、あるいは「しっかり持とう」「意のままに扱おう」として、どうしても手の内にぐっと力がこもった状態を求めてしまいます。しかし、刀が体の一部となって働くためには先生の言われたとおりの手の内でなければなりません。 どこにも力みはなく、かといって弛むこともなく。
 想像してみてください。綿に針を含んだものをつかむことを。この状態はたんに柄に手が掛かった時の状態であるのみならず、抜付けや斬撃の終了時、血振るいの終了時であっても同じ事です。楽に刀を動かすために始動時にはこのようにあれという教えではありません。手の内には何処にも力は入りません。刀が自分の一部となり、自分が刀と一体となって業をなすためには、このような状態になければならないのです。 よくよく工夫してください。
 渋川一流柔術の稽古もまたしかりです。受の手をとる自分の手の内もかくの如き手の内でなければ相手とつながることは叶いません。柔術の手の内も居合の手の内もかわるものではありません。
  1. 2006/12/29(金) 22:01:22|
  2. 居合 総論

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プロフィール

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!

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