無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

動きの検証

 昨日、渋川一流柔術の「受」について述べましたが、無双神伝英信流の一人で行う形稽古にも同様のことがいえます。居合を決められた形を見事に行うことが上達であると考えるならば、それは武術ではなく踊り以下のものになってしまいます。
 たとえば大森流の初発刀と陰陽進退を例にとって考えてみましょう。初発刀は迫りくる敵の側面に抜き付けて、倒れる敵を前に出て両断します。陰陽進退は同じように迫りくる敵の側面に抜き付けたものの有効な抜き付けとならず敵が後方に下がったために、瞬時に浮いて体を大きく前に進ませて両断します。形の手順は決まっていますが、初発刀の抜き付けが初めからすでに敵に十分なダメージを与えていると考え、抜き付けの動作のうちに前に出る体勢を無意識のうちに作っていたり、陰陽進退の抜きつけがはじめから効果がないものと考え、次に大きく前に出る体勢を作っていては、使える体を作るための形の稽古とはなりません。すべての形の稽古は毎回毎回新たなものであり、いわゆる形の手順はあって無きものなのです。そのためには一人で行う形の稽古であって、その動きは手順通りの動きをしているとしても、その動きの中には前後左右上下いずれへも変化できる動きを内包していなければならないのです。
 試みに、初発刀で自分の動きを検証してみてください。抜き付けた後、斬撃のために前に進むとき、敵が変化してこちらに刀を突きつけてきたとしたらそれを後方または左右へとかわせる動きを内包しているかどうか。初発刀の動きで抜き付けの後、前に出ている最中に敵が大きく後ろに下がったと仮定してそのまま陰陽進退のように体を浮かせることができるかどうかを。
 動いて動かず、止まって止まらず。全ての形は異なっていてかつ同じものなのです。
  1. 2006/11/01(水) 02:04:08|
  2. 居合 総論

稽古の方法

 11月2日の夜、東京の劇団夢現舎で俳優の皆さんと無双神伝英信流の居合を稽古しました。前回が初発刀と抜打の稽古でしたので、今回は左刀、右刀までの稽古をしました。
 劇団夢現舎で稽古をする時いつも感じることなのですが、俳優の皆さんの動きの習得の速さには驚くべきものがあります。これは常日頃から、演劇の稽古の中で身につけられた洞察力、見て取る力が大きいこともありますが、居合から何かを学ぼうとされる姿勢に大いに関係があると思います。
 俳優の皆さんは居合という武術を演劇に活かそうとされているので、居合の本質を掴もうとされているのです。したがって、自己満足の力みや形の上だけの速さ強さを求めようとされず、私のお話したことを忠実に自己の体に実現されようとしています。たとえゆっくりとした上達にしか感じられなくても、本質を身に着けることを優先するとき、居合は本物の武術となっていきます。
 私の師、梅本貫正先生は私が初心者の頃、「正しい居合を抜いて、斬られるならば、それで良しとすべきである。」と話されました。初心者のうちから、むやみに速さ、力強さを求めるならば、結局本質から遠ざかり、戦えない居合となるということを戒められた言葉です。よくよく考えてください。
  1. 2006/11/03(金) 00:15:05|
  2. 居合 総論

見る目

 本日、日本古武道振興会主催の明治神宮・奉納日本古武道演武大会で無双神伝英信流と渋川一流柔術の演武を行いました。
 柔術の演武では周りの雰囲気が変わり、私たちの演武に集中してみていただいているのがわかります。柔術は相手がいるので、その技が有効かどうかがわかりやすく、私たちは演武では常に真剣勝負をしていますので、その雰囲気が伝わるのでしょう。居合は一般に行われている居合と異なり、きめを作らず、力まないので、一見力強く見えないのですから見えなくて当たり前と思っていたのですが、私たちの遣い方と全く異なる居合の遣い方をされる女性の師範の方が「あれは、どこ?素晴らしいわね。」と大きな声で話されるのが聞こえました。わからなくて当然と思っていたのに全く異なる遣い方をされる方にお褒めの言葉を頂き光栄に思いました。本部席の各流派の先生方がじっと私の居合を見ていただいているのは感じていましたが、どこで、どのような方が見ておられるかわかりません。
  1. 2006/11/03(金) 23:48:33|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武道史

 本日、友人と福島大学教授 中村民雄先生を東京の文京区小石川にある民和文庫に訪ね、お話をお聞きしました。中村先生は日本武道学会事務局長・庶務委員長であられ、近世竹刀打ち剣術流派伝播過程の研究を中心として多くの研究論文を書いておられる方です。

 中村先生のお話の中に、古武道を稽古される人の中で自分が稽古する流派の歴史を正確に知ろうとする人が少ない。というお話がありました。幸いに貫汪館で無双神伝英信流を稽古されている方には「無雙神傳英信流の研究(1)」(平成14年度広島県立廿日市西高等学校研究紀要11号抜刷)をお渡しいたしておりますので、これを十分に読まれ私達の流派がどのような歴史を有しているのかを十分に理解していただき稽古を続けて頂きたいと思います。
 この研究は私が直接資料を収集して発表したものですので、旧来の通説よりも新しい内容が含まれているため、私の研究を参考にしたことを明記せずに引用されていたり、あたかも自分で調査したかのごとく都合のよい部分のみを取り上げている方もおられますが、これも今の時代いたし方のないことかとも思い、また、そのような方が武道関係者であることを悲しくも思っています。
 引き続き「無雙神傳英信流の研究(2)」も発表すべく新たな資料の収集も済ませ、また、収集中でもありますので、よろしく御協力お願いいたします。
 自流の正しい歴史を知らないことは、自分のみが絶対であるという誤った認識を生み、本来、心と体を自由にするための武道が逆に凝り固まった心と体を作り出すものとなります。よくよく心してください。
 
  1. 2006/11/04(土) 22:53:59|
  2. 武道史

自然体

 渋川一流柔術は無双神伝英信流抜刀兵法と異なり、始めの「履形」から立姿勢での形稽古であるために姿勢を工夫する時間が少なく、所謂自然体がとれないために形の稽古で苦労されている方が多く見受けられます。
 自然体がとれず、自分の体のどこかに無理があっては敵に対応する前に自分が崩れてしまっており、無理なく自然に技を掛けることは困難になってしまいます。
 立姿勢で自然体がとれていない方であっても下半身で上半身を支える必要のない座姿勢には稽古の成果がでており、無理のない方が大半ですので、ご自分の座姿勢を元として立姿勢の工夫をされればよいわけですが、それも、難しく感じられる方は以下のことを試みてください。
 まず、体に無理な力が入っていないか、ひずみが生じていないかを感じる感度を高めること。よく喩えとしてお話しますが、片方の掌に10gのものを載せもう片方の掌に15gのものを載せて重さを比べ、違いがわかるくらいの感度で自分の全身を感じること。このような全身の感覚を繊細にする稽古を第一としていかなければ、自分の姿勢のひずみを捕らえることができるようにはなりません。
 次に具体的にはまず体の上部の力みから抜いてください。首筋、肩、肩甲骨、胸、両脇、肘、腹、背、というように上部から地球の引力を感じつつ、それに任せて力みを抜いていくこと。下半身から抜こうとしても、上半身にひずみがあれば、抜いたつもりでも、結局上半身のひずみを下半身が支えています。
 下半身は体を支えるために常に力が入っているので上半身に比べて感覚が鈍く、力みを抜きがたいものですが、腰腹部にまで重心が下がってきたら、焦らずに、そのままのつながりで、そけい部、膝、足首、足の裏の無理・無駄な力を静かに無くしていくこと、この際、決してそれらの部位を自分で曲げると考えてはいけません。あくまでも、無理な力がなくなり、地球の引力に引っ張られた結果として自然に曲がっていくのを待ちます。
 始めのうちは下半身の力みはなかなかとれないものなので、上級者の姿勢に比べて自分の下半身がつったっているように感じられ、自分で曲げたくなると思いますが、半年がかり、1年がかりで正していくつもりで、焦らずにゆっくりと下半身の稽古を続けてください。
  1. 2006/11/07(火) 17:27:37|
  2. 柔術 業

腰の反り

 無双神伝英信流で大森流の稽古をされる際の正座で、「腰が入る」ということを勘違いされて、現代的な感覚で、背中側をぐっと反らせてしまう方がおられます。
 このようにすると確かに腰に力が入り胸は広がるのですが、これは力みであって力強くなったと感じるのは錯覚にすぎません。この姿勢のとり方をすると重心は高くなり、臍下丹田の自然な充実はなくなってしまいます。結果として、抜付けは肩甲骨周辺を中心とした上半身で行うことになり、下半身の動きを主動にした抜き付けはできなくなってしまいます。
 この姿勢からの抜附けをしてしまうと、腰と胸の力みによって下半身にも力みが生じ、抜付けた後の体も力みによって硬直してしまいますが、初心者の方は力みを体が統一された充実感であると錯覚してしまいます。今までにも述べていますが、力みは動けない体を自ら作っているだけですので、錯覚を起こされないように心してください。
 
  1. 2006/11/09(木) 17:17:16|
  2. 居合 総論

目付け

 昨日の渋川一流柔術の稽古で初心者の方の動きを見ていましたが、気になったのは「目付け」でした。
 「目付け」とは自分の目線を受(相手)の何処に置くかということですが、我師 畝重實嗣昭先生は「目は相手の目に付けます。目には心の全てが表れるものです。」と明確にお教えくださり、相手の目を中心に相手の動きの全てと心の動きを読むことの大切さを示されました。流派によって目の付け所は様々ですが、渋川一流においては相手の目につけると心得てください。
 初心者の方はどうしても目の前の相手の突いて来る拳に目を奪われ、拳にのみ目を付けてしまいがちです。まず、相手の目を中心として全体を見るという稽古を積んでください。そのために拳を取ることができなくても、それは稽古の過程であると覚悟して、ゆっくりとしっかりと稽古を積むことが大切です。また、以前にも述べましたが、相手の心を読むことは自分の心眼によっておこなわれます。事象面のみにとらわれることなく、その裏にある心の働きを感じる稽古を目付けの稽古を通じて行ってください。
 無双神伝英信流の稽古もまた同様です。一人で行う形稽古であっても、自分の刀の切先に目が取られたり、手元に目が取られたりしないように、しっかりとした想定をもってください。また太刀打の稽古も、形稽古であり決まった手順を行ってはいますが、相手のいかなる変化にも応じられる動きを内包していなければなりません。そのために相手の動きと心を読む目付けは非常に重要な稽古の課題です。工夫してください。

 ホームページの無双神伝流と渋川一流の行事のページを更新しました。 
  1. 2006/11/14(火) 12:50:25|
  2. 柔術 業

数稽古

 最近、無双神伝英信流の稽古で数稽古をすることがよくあります。
同じ形を30分、40分、1時間と・・・。
 貫汪館で稽古されている方には常々お話していますので、分かって頂いていると思いますが、確認のため、この稽古の意義について簡単にまとめておきます。
 居合の稽古にあっては動きの質の向上が最も大切にされなければなりません。したがって、一般的なトレーニングのように回数をかけて、その形が体になじんできたと言う稽古には何の意味もありません。むしろ、そのような稽古をしていたら感性は鈍くなり、稽古によって戦えない、動けない体を作ってしまうことになります。したがって貫汪館では斬撃の稽古を100回、200回というようなノルマを与え数をこなして、筋力がついて、あるいは慣れて、動きがスムーズにより早くなったという稽古はいたしません。
 では、貫汪館で数稽古をする意義は何でしょうか。それは先ほどの形よりも今の形、今の形よりも次の形と動きの質を向上させるための稽古方法であるのです。手の掛かりの動きの質が悪ければそれを工夫するために回を重ねています。振りかぶりで力みがでて脇があけば、心と体の力みを抜いて自然にそうように工夫します。どんな小さな動きの違和感でも、次はこのように、その次はこのようにと、毎回毎回、工夫をし、その動きの質を向上していきます。
 そのような意味合いの稽古ですので、決して目的を間違われないよう心されてください。
  1. 2006/11/17(金) 23:44:38|
  2. 居合 総論

手の内

 渋川一流柔術の稽古で受をとっていて「手の内」について感じたことがあり大切なことですので、記しておきます。
 始めに我師 畝重實嗣昭先生の手の内についてお話します。
 畝先生に稽古をつけていただいた時、私の手をとられた先生の手はまるでつきたての御餅のように、ずっしりとして柔らかく暖かく私の手を包み込み、手を通じて私の中心を取られていました。そして手をとられた瞬間、心地良ささへ感じるような手であり、決して振りほどいてしまおうなどという思いが起こらない手をされていました。
 柔術の手の内は無双神伝英信流で刀を手にする手の内と基本的に変わりはありません。刀を手にする時は決して刀を物として自由に扱うために持つのではなく、刀が自分の体と一体となり、自分の体の一部となり、心も気も通うものとならなければなりません。柔術においてもまた、その手の内は相手と自分を一体化するためにあるものですから、弱すぎてもならず、強すぎてもならず、相手に自分の心と気が通ずる手の内でなければなりません。単なる接点ではないということを心得て工夫されてください。
  1. 2006/11/19(日) 01:56:06|
  2. 柔術 業

年少者の指導

 渋川一流柔術では、稽古の進んだ方には年少者の指導をお願いしていますが、指導方法について気付いたことがありますので、記しておきます。
 年少者の指導でもっとも大切なことは子供達が持っている能力を素直に伸ばしてやることです。その為にはあまり小さな事にはこだわらず体幹を中心とした動きができるようになる事を中心に指導しなければなりません。
 あまり細部にわたって指導してしまうと、子供達の目は細部にばかり行くようになってしまい、結果として体幹を忘れた小手先の業を身に付けさせてしまうようになります。大人であれば体幹の動きを大事にしながら細部を直していくことも可能ですが、真直ぐな子供達は指導されたことを何とか直そうと集中して努力します。結果として、小手先ばかりにとらわれた動きになっってしまうのは指導する側の責任ともいえます。
 無理のない自然なのびのびとした体幹の動きで相手の体を崩す事を中心に指導し、その動きが身についた子供達には徐々に細部にわたっての指導をしていくという方法をとっていただきたいと考えます。
  1. 2006/11/21(火) 17:52:15|
  2. 柔術 総論

始めの四本

 大森流で始めに稽古する「初発刀」「左刀」「右刀」「当刀」の各形は本質的に「抜付け」は全て同じものであるということを教えています。
 初発刀で養った無理無駄のない動きが、左刀になると左の敵に向くことに意識がとらわれて左腕に緊張がうまれて体から浮遊して腕が体の中心の働きの動きを切先にまで伝達できなくなったり、右刀になると左腰に刀があるので右の敵に向かうときに右脇が抜けにくく、比較的楽に抜きつけられるように錯覚してしまうところから、勢いだけで抜きつけてしまったりと、初発刀の動きとは異なった動きをしているにもかかわらず、それで良しとしてしまう事を戒めています。
 「左刀」「右刀」「当刀」ともに敵の位置は異なり向かう方向も異なりますが、沈む動きが上昇を生み、同時に存在する下降と上昇の働きが体幹からの「抜付け」を生み出すという原理は全て同じであり、なんら変わる事はありません。この「初発刀」からの4本の形で、しっかりと「抜付け」の本質を身に付けていただきたいと思います。
  1. 2006/11/24(金) 17:48:53|
  2. 居合 業

 昨日、厳島神社で日本古武道協会主催の第17回日本古武道術技向上演武大会が行われ、澁川一流柔術も参加しました。
 演武までに十分稽古を積んできて、子供達の形もずいぶんと上達してきてはいたのですが残念なことに本番の演武では多くの子供達の演武がお遊戯になってしまっていました。つまり、次はこうして、その次は・・・と言うように手順を確実に追うことにとらわれて、全く生きた形が遣えていませんでした。これは、多くの人を前にして、緊張していたために、間違ってはいけないという思いからそうなったものでしょうが、柔術の形と幼稚園などで習ったお遊戯などの手順を追うものとは根本的に違うものであると言う認識をハッキリともたせなければならないと思いました。
 形は形そのものを完成させるために存在するものではなく、形を通じて動ける体を作るためにあるのですから、彼我の関係において状況によっては形の手順が変わっても理のある動きであればそれで良いということをしっかりと認識させなければなりません。
 渋川一流には意治(意地)稽古が伝えられており、自由に技を掛け合えますが、形の稽古も意治(意地)稽古も大きく言えば本質的に異なるものではありません。子供を指導する大人は形の稽古であっても、子供達が理にかなわない対敵動作になっていない手順だけの動きをしていればこちらから仕掛けてしまうような指導を心がけて頂きたいと思います。
  1. 2006/11/27(月) 18:36:00|
  2. 柔術 総論

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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

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