無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

歴史を学ぶ

 貫汪館の海外の支部長は日本の武道の歴史に詳しい方ばかりです。歴史と言っても通り一遍のものではなく、古武道と現代武道の分岐やその理由、明治維新以降の日本の行動様式の変化とその武道に与えた影響など本質的な部分の知識があるのです。日本まで来て稽古して自国で教えようとする方ばかりですからそれほどまでに詳しいのだと思いますが、そのような知識の上で貫汪館の古武道を稽古されますので考え方もわかっており吸収が早いのだと思います。
 一方、一般的な日本人は正しい姿勢は学校教育で教えられた「気をつけ」が正しい姿勢だと思い込み、きびきびした動きが武道の動きだと錯覚したところから稽古に入りますので、それを頭から追い払うのに時間がかかってしまいます。貫汪館で学ぼうとする方は歴史の勉強もしなければなりません。

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  1. 2018/02/19(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

固めない

 手数や形の動きの最後で、体を固める・緊張させるということは手数・形稽古には不要なものであるだけでなく、手数・形稽古が上達を阻害するもととなってしまいます。
 手数・形は自由になるための手段であって目的ではありません。それをはき違えると最後に極めを作ってしまうようになります。残心が全くない状態とも言えます。
 極める固めるのではなく、いついかなるときにも自由である稽古をしてください。きっと自分の心身に変化が訪れます。

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  1. 2018/02/18(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

本質を見る

 漠然と見ている人に限って手順だけは真似ながら本質を取ろうとはしていません。表に現れているものではなく、その中にある本質を見て取る覚悟を持ってください。
 形や手数はその手順を習得させようとするものではなく、その奥にある大切なものを会得させようとしているものです。表面上のことを会得してそれで良しとしてはなりません。

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  1. 2018/02/17(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

平常心

 形稽古において相手と相対しただけで普段の心を失い、力んだり、素早く動こうとしたり、浮き上がったりと不必要なことをし始めてしまうのは心が落ち着いていないからです。
 普段そのようではない方がまるで人が変わったようになってしまうのは、心の問題なのです。しかし、そのようになる方は自分の変化に気付きにくいので、まことに困ったことで、師に指摘されたら得心が行くまで自分を見つめる必要があります。

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  1. 2018/02/16(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

常に高いレベルで

 兄弟子が弟弟子と形稽古をするとき、支部長が支部で指導をするときなど、相手が自分よりもレベルが低いからとそのレベルに自分のレベルを下げた稽古をすると、手馴れた動きになるだけで自分のレベルは下がってしまいます。
 自分の持つ最高のものを常に出すようにして、速さをコントロールして自分より下の者が自由に動けるようにすべきです。
 常に高いレベルの稽古を心掛けなければ下達します。

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  1. 2018/02/15(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

努力

 私の居合の師匠は弟子に理解してもらう方法をあれこれと考えられていましたが、最後にはほとんど言われず見て取らせようとされていました。柔術と剣術の師匠は初めから見て取らせる指導でした。
 私は理解していただくために時々工夫をしていますが、基本的には見て取っていただく指導をしています。工夫をして教えても、それを理解する努力をしなければ理解できませんし、理解しようとする本人の努力が自分自身の道を切り開かせるからです。わかりやすい方法は実は返って深い理解から遠ざけさせている場合もあります。
 わからなくても理解しようとする努力が、やがては道を開きます。

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  1. 2018/02/14(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

心を開く

 稽古をし始めると手数や形の稽古で相対したときに心を閉ざす傾向がある方がおられます。自分を守ろうとする意識がそうさせてしまうのですが、心を開いてあらゆるものを受け入れてください。自分の外側とつながってください。それまで見えなかったものが見えるようになり、聞こえなかったものは聞こえるようになります。心を開くだけで違った風景が見えてきます。

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  1. 2018/02/13(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分の刀で稽古

 大石神影流の刀の振り方と無雙神傳英信流の刀の振り方は異なっています。したがって常に無雙神傳英信流の稽古を居合刀や真剣で行っていても、そのまま大石神影流でできるわけではありません。大石神影流は通常木刀で稽古していますが、木刀と真剣はやはり異なっているので、自分の模造刀や真剣で大石神影流の素振りを行い、また一人で手数の稽古も行ってみてください。木刀の動きに慣れた方ははじめは違和感を感じるかもしれませんが、静かに稽古しているうちに違和感は消えていくはずです。

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  1. 2018/02/12(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

「軽い 浅い」

 幕末から武道の競技化が始まっており、打たれても突かれても「軽い 浅い」と言って自分が打たれ突かれたことを認めない風潮が現れ始めます。ある流派のように、強く打たねばならないと考える流派はその成立から「刀」と撃剣は結びついたものではなかったのだとも考えられます
 一方、久留米の加藤田平八郎は、その記録から強く打つということが頭にはないように思われますし、大石神影流の流祖の大石進にも強く打たねばならないという発想はなかったようです。刀に刃がついていてその代りをするものが竹刀であるという考えからは、強く打たなければ一本にならないという発想は生まれてこなかったと思います。防具着用の稽古をするときには気を付けなければなりません。触れれば斬られます。

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  1. 2018/02/11(日) 21:25:00|
  2. 剣術 総論

防具着用稽古

 心と心をつなぐことが理解できれば防具着用稽古も、自然に変化してきます。打とう突こうとしていた雑念がなくなり、相手との関係性も変化してきます。当てた、突いたを離れた稽古になり真の防具着用稽古ができ始めます。
 .私達にとって防具着用稽古はあくまでも稽古であって自由に動ける心身を養う一方法ですので勘違いされませんように。

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  1. 2018/02/10(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

心と心をつなぐ稽古

 手数・形稽古も機をうかがって打ち突きするのは初心の段階であり、相手と心と心でつながっていれば打つとも突くとも思わずに、自然に自分の体と心がしかるべき時にしかるべきところへ入っていきます。
 理論を頭に入れてその通りに動こうとするのとは異なりますし、ましてや機をうかがうのとも異なります。相手と心と心でつながる(つながろうと思わなくてもつながる)方法は稽古の時にお伝えしてあります。疎かにしなければやがて理解できる時がやってきて、そのときに私たちが稽古しているのが何なのかということが分かります。

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  1. 2018/02/09(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

普通の人になる稽古

 武道は修行であるといわれますが、修業どころか武道の稽古をしたばかりに天狗にしかなれないという例は過去も現在もいくつもあります。
 一度人が刀を手にすると、そこに自分は他と異なるのだという意識が生まれてしまいます。それは多くの人に起こることだと思います。その心をそのままにしておくと、稽古の回数を重ねるにつれてどんどん自分が特別な存在になっていくように感じてしまいます。故に武道における修行はもとの普通の人に戻っていく修行でなければなりません。

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  1. 2018/02/08(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

刀説

 天保の頃に鈴木桃野という学問所教授方を務めた人物によって記された『無何有卿』に「刀説」として次のようにあります。

 雲棲がなくなって、その両刀を購入した。林家の研ぎ師がいうには脇差はよいものである。刀に価値はなく脇差と道具小柄に三両価値があると言われた。刀は切先に焼きがなく傷が多いけれども面白いものである。脇差を望むものには譲ろうと思う。
 世間では刀剣は武門の宝であり武士の魂なので傷があっては用に足りないというが、そんな美玉のようなものを腰にしていては切るべき時にも斬らず、抜くべき時にも抜かないという廉恥がおこらないでもない。むしろ抜き合って刀がおれても恥辱ではない。自分はこの刀を愛すというのではなく、切先はとぎ切られ、傷は人に数えあげられてその用も尽くさずには異物となるのを惜しむのである。長く自分に伴って無用のものとなる(実際に使われることがない)ことこそが本位だと思うので常に差料とするのである。

 刀に関する考え方の一つであろうと思います。現代刀には傷がないものが多いようです。

  1. 2018/02/07(水) 21:25:00|
  2. 武道史

足軽具足の事

 『假寝の夢』に足軽用の具足について記してあります。

 どの国であっても歩卒には貸し具足というものがあって、大量に必要なため鍛えもよくなく手軽に仕立ててある。なかでも足軽前というのは具足というのみで張り子同然で、矢玉を防ぐべくもない。その理由は下人は善悪の心が薄いので矢玉が飛んでくるときには逃げるものであり、さらに足軽前は後ろも合わないように仕立てられている。
 米沢の上杉氏はこれにことなり、その祖である謙信は殊に足軽には良く鍛えた具足を授けよ、下人が命を惜しむのは無理ないことであるといった。いまだに上杉家では足軽に良く鍛えた具足を授けるという。このようにしてこそ、恩に感じて義にすすむのである。下人を草芥のように扱えばまさかの時に力を用いないのが道理である。

 今の時代は「恩」という言葉を知らない人も増えてしまいました。

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  1. 2018/02/06(火) 21:25:00|
  2. 武道史

中川将曹物語事

 『假寝の夢』に、ある流派について述べられています。

 中川将曹は水戸出生で、自分の兄弟はその門人である。覚清流と云う剣術を使った。将曹は剣術を修行する者は第一に刃引を使い覚えるべきである。すこしでも上達のものはすぐに刃引きを用いさせるといった。
 この中川将曹は長剣というものをした。柄は各人の乳通りの長さ、刃は1尺5寸。覚清流剣術の進み具合によってすぐに教え、2.3度稽古すれば免許を出した。表の方1本目は敵がどのように構えていてもその上から打砕き、2本目は下から払いあげ、3本目は青眼に構えて突く。自分が表の形を見たままに記した。今は水戸家にもこの流派はないようである。越後の上杉謙信の先手が大太刀で信長の先手を崩したというのはこの柄太刀だという。

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  1. 2018/02/05(月) 21:25:00|
  2. 武道史
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