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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

指導する

 道場には流派を本気で会得しようとする人と、趣味で上達できればいいなと稽古しようとする人と、何かしてみようと思ってくる人たちが混在します。場合によっては、古武道を稽古することを自分のステイタスにしようという変わった考えの人も来ます。その中で指導者は指導していかなければなりません。
 それ程熱心でない人は形・手順を覚えただけで、上達したと思うでしょう。指導者がそこで「良し」として次に進んだら、本当に会得したいと思っている人も勘違いをしてしまいます。かといって本当に会得したいと思っている人に対する指導のレベルに合わせて、教えていたら、いつまでたっても先の方には進めません。いずれにしても難しい問題が起こってきます。
 本当に会得したいと思っている人が、週に四日すべて稽古に来ることができればよいのですが、それも現代人には難しい出でしょう。指導するのも難しい時代です。

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  1. 2019/02/17(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

無理無駄をなくすことと腑抜けること

 無理無駄をなくすことと腑抜けることは全く異なっています。無理無駄をなくすとは、しっかっりしたものがあった上で不必要なものをなくしていくことです。腑抜けてしまうのは、しっかりしたものも身につけていないのに、無理無駄をなくしているように見せかけようとするときに起こります。
 稽古が浅い人はしっかりとした稽古を心掛けなければ、腑抜けにしかなりません。

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  1. 2019/02/16(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 長年身につけてきた癖の上に新たなことを身につけようとするのは無理なことです。新たなことはこれまで行ってきた事とは異なるにもかかわらず、自分で身につけた癖の上に新たなことを構築しようとすれば、外見は似せていても、それはしょせん偽物にすぎません。癖を捨て去ることが上達につながります。

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  1. 2019/02/15(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

古武道の認知

 古武道の存在すら知らない人たちが多い中、古武道が現代武道と違うところは何なのかを知っていただくのは大変難しいことです。武道を知らない方は現代剣道が古くから伝わるものと思い、現代柔道もまた古くから伝わるものと思われています。時代劇の知識が多少ある人に対しては現代剣道や現代武道には〇○流という流派名がないでしょ。」とお話しすると、現代武道と古武道の違いがなんとなく分かるようです。
 多少古武道のことを知っている方でも柔術は乱暴な危険なものという認識であったり、居合は物を斬るのが居合だと思ったり、剣術も時代劇のイメージで、形稽古のイメージがわかなかったりします。また、少し知っている方であってもなぜか古武道ではない創作武道の身体操法をイメージされる方もおられます。
 体験会を開き、古武道の体験をしていただくとイメージが変わるようなのですが、人に来ていただくことも難しい状況がります。さてどうするか。
 先日、歴史が長く、時代小説などでも登場し、時代小説を読まれる方ならだれでも知っていると思われる流祖を持つ流派で、その家で室町時代から剣術を伝えておられる方とお話ししましたが、稽古される方が10名であるということでした・・・。

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  1. 2019/02/14(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武道の競技化 2

 武道の競技化が進み、競技で上位の成績を残した者が過大に評価されると、その人物の人間性はどうあれ、上位の成績を残したものが組織内でも、その発言の影響力が強くなり、高い地位に就くようになりなります。そのような例が現代武道の団体にも散見されます。
 しかし、『武道憲章』には
「(目的)第一条 武道は、武技による心身の鍛錬を通じて人格を磨き、識見を高め、 有為の人物を育成することを目的とする。」
「(試合)第三条 試合や形の演武に臨んでは、平素錬磨の武道精神を発揮し、最善を尽くすとともに、勝っておごらず負けて悔まず、常に節度ある態度を堅持する。」
「(指導)第五条 指導に当たっては、常に人格の陶冶に努め、術理の研究・心身の鍛錬に励み、勝敗や技術の巧拙にとらわれることなく、師表にふさわしい態度を堅持する」
とあります。
 現状はどうでしょうか?現代剣道にあっては、競技化の悪弊はないと思うのですが、競技で上位であった人物の影響力が強いのでしょうか・・・?
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  1. 2019/02/13(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武道の競技化

 武道の競技化をすすめることは個性の喪失につながります。現代剣道や柔道(講道館ではなく戦前戦中の武徳会の柔道)にみるように流派がなくなってしまいます。また、なくならなくてもその内容が共通化して、個性がなくなってきます。
 同一流派内で大会を開き、競技を行って順位を決めて、表彰していっても同じことが起こります。同一流派内であれば価値観は同じですが、その中に含まれる幅がなくなってしまうのです。同じ中伝といっても、ある程度の技術的な基準を満たしていれば、人により思いやりがあり気遣いができることを評価すべきこともあれば、道場の運営に寄与していることを評価すべきこともあれば、普段の隙のない動きを評価すべきこともあります。流派内で競技をして、それを絶対的な価値観としてしまうと、技術的な面だけが評価されるようになるので、その他の部分は評価されなくなります。そういった意味で、競技を絶対とすると同じ流派内であっても流派の硬直化を招いてしまいます。

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  1. 2019/02/12(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古の順番(大石神影流剣術)

 大石神影流も他の流派と同じです。全伝が残っている流派ですので、大石進種次が定めたように稽古して習得していくことが大石神影流の体得につながります。試合口、陽之表、陽之裏、三學圓之太刀、鎗合と決められた通りに習得していく必要があります。試合口が満足にできないのに、陽之裏や三學圓之太刀を稽古しても無意味ですし、陽之表も習得できていないのに槍合を稽古しても真の上達はなく真似事をしているだけになります。
 本当に身につけようとすれば、時間はかかっても定められた通り、地道に習得していくことが早道です。

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  1. 2019/02/11(月) 21:25:00|
  2. 剣術 業

稽古の順番(澁川一流柔術)

 昨日は無雙神傳英信流抜刀兵法における稽古の順番について述べましたが、澁川一流柔術も同じです。履形からはじめて吉掛、込入、打込と進んでいき、四留くらいまで進んではじめて棒廻しを教わります。四留くらいまで進んでいなければ柔術で必要とされる体を養っていないために棒を廻しても、それは澁川一流柔術の棒廻しとはならず、たんに棒を廻しているにすぎないからです。
 また、三尺棒や十手・分童などもおなじで、鯉口、居合(素手の)まで進んで後に形を教えられます。三尺棒や十手・分童の形、さらには鎖鎌も、素手の柔術の動きが身についてその延長として行われるからです。澁川一流柔術は、無雙神傳英信流抜刀兵法同様に全伝が残る柔術流派ですから、澁川一流柔術を身につけるためには時間はかかっても順番に従って稽古していく必要があります。

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  1. 2019/02/10(日) 21:25:00|
  2. 柔術 業

稽古の順番(無雙神傳英信流抜刀兵法)

 全て、流派には指導していく順番があります。無雙神傳英信流であれば、礼法ができ、歩くことができ、刀の抜き差しができ、斬撃ができて後に、大森流、そして太刀打、英信流表、詰合というように段階を追って稽古していきます。これをいきなり、太刀打から始めたり、奥居合から始めても無雙神傳英信流としての技は身につきません。
 指導者は習得させることを焦らず、しっかりと段階を追って確実に指導していかなくてはなりません。稽古する方は指導者が自分のレベルを見極めたうえで指導しているのだと思い、先を焦らない事が上達につながります。

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  1. 2019/02/09(土) 21:25:00|
  2. 居合 総論

師となる者

 師は道を示す者です、その師の前にあり、その師に道を示したのは師の師です。師に従った故に道が開け、師の教えに忠実であったゆえにその流派を会得した者です。守破離という言葉がありますが、流派を会得していないうちに破や離はなく、流派を会得していないのに自分なりの指導という事もありません。
 澁川一流柔術では中極意で指導が許されますし、大石神影流剣術でも大石雪江先生は中伝で指導をしていました。また、無雙神傳英信流抜刀兵法でも中伝で門人を指導していた例があります。しかし、いずれも師の教えを受けつつ流派を会得しつつであり、そこに勝手な自己流の想いをさしはさんで教えていたわけではありません。
 他流派で外国人指導者に関して時に問題となっていることが、支部長として支部の指導を任せたら勝手な自己の解釈、自己の想いで自分なりに流派を教えてしまう事です。そのようなことをしていたら流派を指導していることにはならず、流派を名乗っていても異なる事を教えていることになります。その流派を名乗っていてもその流派の指導者ではありえません。
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  1. 2019/02/08(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

理兵法

 理兵法とは理屈ばかり述べて実技が伴わないことですが、特に初心者の内には理屈を考えて行うのは禁物です。沢山稽古をこなすうちに見えてくることがあるのに、理屈が先行してしまうと理屈に基づいて動こうとするために体が自然に応じるという事はなくなってしまいます。
 指導者が陥りがちなのは自分は稽古を積んでそうなり、その後理が見えてきたにもかかわらず、初心者に理を説明してしまうことです。私の居合の兄弟子にもそのような方がおられました。師はそれを嫌っておられました。理を説明したがる方は自分が優れていることを後進に示したいのであって、本当に後進のためを思ってそうしていたのではないからです。

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  1. 2019/02/07(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達できる人 2

 昨日、上達できる人について記しましたが、自分でできる稽古は一日、1分でも、2分でも稽古することが上達につながります。
 一人で稽古できる方法として澁川一流柔術には六尺棒を一人で廻す稽古法がありますし、居合(抜刀術)があります。無雙神傳英信流抜刀兵法には斬撃の稽古もありますし、素抜き抜刀術は全て一人で稽古できます。大石神影流剣術でも構えの稽古や素振りの稽古は一人でできます。
 場所の制約がある方でも、膝立ちで動くことなく斬撃の稽古はできますし、素抜き抜刀術の抜打はできます。六尺棒を廻すのもその場でできますし、六尺棒が回せなければ三尺棒で稽古はできます。大石神影流の長い木刀を持つスペースがなければ小太刀をもって稽古もできます。このような稽古を一人で積む方は上達が速やかです。
 道場はごく初心者は別として、そのような稽古に時間をとる余裕はなく、また、一人でできる稽古を道場で稽古させる必要もなく、当然稽古してきたものとして上級の稽古に進んでいきます。
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  1. 2019/02/06(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上達できる人

 いずれの道も厳しいものですが、こと古武道はよほど稽古しなければ習得は困難です。また、教えることができるレベルに至ろうとしなければ道をそれてしまいます。
 もともと、古武道は命を守るためのもの、換言すれば闘争の手段です。相手は自分よりも腕がたつと思わなければなりませんし、それに対応できる技を身につけなければなりません。そのための稽古は余程自分に厳しくなければなりません。また、教えることができるレベルに至ろうとせず、趣味なので・・・。と考えていて自分の思う通りに稽古したいと思っていたら、流派の枠から離れて自己流にしかなりません。形は流派の形のまねごとをしているけれども、流派の教えに忠実であろうとしないので、流派という立場から考えればいくら稽古をしても自己流にすぎません。
 覚悟がある方だけが上達を続けます。
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  1. 2019/02/05(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

重さを感じて

 刀や六尺棒、半棒を手にすればその重さを感じやすいので肩があがったり、腕力でそれらを操作していることを感じ、正すのは比較的簡単です。しかし、素手の柔術を稽古しているときは、手首を取ろう、柔を取ろうという思いが自分の体を忘れさせ、自分の体の重さを感じることができなくなってしまいます。
 素手で稽古するときには、より繊細に自分の体を感じることが上達の早道です。

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  1. 2019/02/04(月) 21:25:00|
  2. 柔術 業

写真

 自分の演武の写真を見ると、いやになります。そこに自分の至らぬところがはっきりと写し取られるからです。なんとか見れる写真があるなってきたのは最近のことでしょうか。
 自分の写真を見て、うまくできていると感じているうちは自分自身が見えていません。自分の写真を見て、ここをよくしていかねばと思える人は上達していくことができます。

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  1. 2019/02/03(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

勝負を貪る

無念流
清眼之構。突は不用。勝負を貪る事多し。其心得有へし。


 天保7年に笠間泰尚によって記された『他流試合口並問對』の神道無念流に関する記述です。当時は1試合に10本くらいの勝負です。10本くらいの勝負というのは現代剣道の3本勝負ちうのとは大きく異なり、10回打ち込むという事です。1回打ち込めば、その打ち込みが決まるか、相手がそれに応じた技が決まるか、相撃ちになるか、お互いに技が決まらないかです。これを10回繰り返せば10本勝負になります。
 現代剣道で1本を大事にしなさいというのはこの名残だと思います。
 ところが古武道の先生であっても、上記のように決まろうが決まるまいが次々に打っていくのが本当だという方もおられます。このような考えは神道無念流の江戸時代のやりかたを踏襲しているのだろうと思います。幕末の神道無念流関係の記述では、打たれた後に、あと打ちをして、強く打ったとする記述が多いように思います。それが冒頭に記した記述なのでしょう。
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  1. 2019/02/02(土) 21:25:00|
  2. 武道史

気配り

 以前も述べたことがありますが、武道の上達には演武以外の行動が大切になります。
 例えば演武会に行ったときに他流派の方の妨げとなる行動はしていないか・・・自分の道具を置く場所は、他流派の方が行動する妨げになっていないかどうか。他流派の方と控室が同じときに邪魔になるような行動をしていないかどうか。
 そのようなところまで考えて行動できるようになれば、上達していくことができます。

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  1. 2019/02/01(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大石進種次の身長

 大石進種次の身長は大牟田にある石碑に七尺と刻まれています。七尺は約210cmになりますが、大石進種次の玄孫に当たる私の師匠も初めは疑念があったそうです。しかし、親戚の家で伝わっていた話に「その家の長押(あるいは鴨居)の上に置いた餅を大石進種次は余興として背伸びをせずに食べていた。」というものがあったそうなのです。長押と鴨居では10cm位の差がありますが、鴨居の上には餅を置くスペースを取りにくいので長押だと考えられます。
 オーストラリア支部長の身長は約195cmです。当時の大石家の親戚の武家屋敷は現存しないので、萩と、松江の武家屋敷でマイケルに立ってもらい試してみました。いずれも鴨居と長押の高さは同じでした。マイケルが普通に立って口の高さから鴨居までは約5cm、長押までは約15cmでした。
 したがって、大石進種次の身長は長押と考えればちょうど210cmで石碑に刻まれた通り七尺、鴨居と考えても200cmあることになります。 
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  1. 2019/01/31(木) 21:25:00|
  2. 剣術 総論

大石神影流の足運び

 昨日述べた踏み込みの話と同じような話ですが、大石神影流の足運びはすり足を用いません。しかし本質はすり足とかわりません。
 大石神影流では一足前に進むたびに足の裏を力はなし、着地しの繰り返しですり足は用いません。一見すり足に見えても力足の裏は浮いています。足運びの前提としてあるのが鼠径部が緩んで腰が落ちていることです。工夫してください。

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  1. 2019/01/30(水) 21:25:00|
  2. 剣術 業

「踏み込む」と「飛び込む」

 大石神影流の手数の稽古では右足を踏み込みます。しかし飛び込んでいるわけではありません。この違いを明確にしておかなければいくら手数の稽古をしても、正しく上達していくことができませんので注意してください。
 踏み込みは前足(通常は右足)で行います。すり足とは異なりますが、本質的な動きは同じで右足が進んでいきます。右足が進むにつれて左足がついていきます。前足(通常は右足)が主体となる動きです。
 飛び込みは遠くからできるだけ早く打とうとして、左足を用いて飛び込みます。このような動きをしたときには左足のアキレスけんが切れることがあります。左足(後方の足)が主体となる動きで、現代剣道に用いられます。飛び込んだ場合には、余勢が生じ、現代剣道のように前方に進んでいくという、どの剣術の流派の形・手数にも用いられない動きが生じてしまいます。刀の動きではなくなります。

 大石神影流は大石進種次の祖父の師であり愛洲陰流と称していた村上一刀の頃から踏み込む動作をしています。

      振りあぐる太刀の下こそ地獄也
              只踏み込めよ先は極楽


 大石神影流を稽古している方が踏み込んだ時に余勢が生じて体が前にもっていかれそうになるとしたら、外見は同じでも、まったく異質な動きをしていることになります。一見外見は同じに見えますので指導者が漠然と見ていたら指導できません。
 下半身の動きを見直すことが上達につながります。
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  1. 2019/01/29(火) 21:25:00|
  2. 剣術 業

立って行う

 無雙神傳英信流抜刀兵法の大森流、英信流表は座して行う居合がほとんどです。しかし、膝を痛めている方は正座、立膝ともにできない場合があります。このような状態で居合の稽古をして上達することは難しいのですが、先日座ることが困難な夥多に居合を教えていて、このような状態の方でも鼠蹊部が緩むということが理解できていれば上達の可能性が大いにあるということが分かりました。
 立っていても鼠蹊部が緩めば座しているときと同じように

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  1. 2019/01/28(月) 21:25:00|
  2. 居合 業

初心者の抜付け

 無雙神傳英信流抜刀兵法で礼法等の基礎を終え、形稽古を始めたばかりの方の抜付けはどうしても抜くということにとらわれ、柄頭を右に向けて抜いて行くため、抜付けにならず、只抜くだけになってしまいがちです。つまり相手からはこちらが斬れる間合、こちらは相手が斬れないという状況になってしまいます。
 初発刀は何とか正しい方向に抜けても左刀、右刀となるととにかく抜こうとしてしまいますので全く抜付けにならない事があります。こういう時には心を落ち着け、初発刀と同じ腰の角度になるまで自分自身で待ち、初発刀と同じ状態になってから抜くように心がけてください。待つことが大事です。

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  1. 2019/01/27(日) 21:25:00|
  2. 居合 業

より深く

 指導を受けたことを、言葉の表面だけとり、半身と言われれば形だけ半身にし、また腰が高いと言われれば形だけ腰を低くする。このような浅い稽古ではなかなか上達しません。
 一つの言葉の裏には多くの意味があり、その言葉の意味を探りながら稽古する必要があります。また、そうすることが相手と向かい合った時に相手の意図を知るための稽古ともなります。
 自分の理解に自信が持てなければ必ず質問してください。
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  1. 2019/01/26(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

指導に随う

 稽古を始める前から古武道に先入観を持っている方は自分の価値観があるため、なかなか指導されることが腑に落ちない事もあります。
 私の場合は現代剣道が先であったため、竹刀の振り方と刀の振り方が違うことが理解できず、また、竹刀よりも重い真剣を扱うにはより筋力が必要で握力も強くなければならないと思っていました。そのような思いがあるために、力を入れないという指導を受けても素直に従うことができず、初めの内は力で刀を振り回し上達しないどころか、悪癖も付けていきました。それが駄目なことだと理解できたのは指導を受けるようになってしばらくたってからのことです。
 己を捨てて、ばかになって指導に従う内にみえてくることがあります。

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  1. 2019/01/25(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

腕を使う

 大石神影流の二刀を使うと、他の二流派、無雙神傳英信流抜刀兵法と澁川一流柔術の自分の動きがはっきりしてきます。二刀は片手で木刀を一本ずつ使わなければならないので、腕力を用いる方は手先がより強く働くために肚からの動きではない事が見えてしまいます。
 一方、肚から動けている方は二刀を使っても小手先の動きにはならず無理がありません。大石神影流の二刀は自分の動きがよくわかる手数です。

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  1. 2019/01/24(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

刀が基本

 大石神影流剣術や無雙神傳英信流抜刀兵法の太刀打や詰合、さらには澁川一流柔術の居合や「棒と刀」の打太刀は木刀を用います。しかし、木刀はあくまでも真剣の代用です。刀が使えなければ木刀を使えているとは言えません。
 したがって無雙神傳英信流抜刀兵法が上達した方は木刀を真剣のように使うことができるようになってきます。一方、いくら無雙神傳英信流の稽古をしていても木刀を木刀としてしか使えない方は刀を正しく使うことができていないということになります。木刀をうまく使えないと思ったら自分の無雙神傳英信流抜刀兵法を見直さなければなりません。

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  1. 2019/01/23(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古させる

 現代居合道の影響を受けた指導者は門人になかなか次の形を教えない傾向にあります。大森流に何年もかけ次に英信流表に何年もかけ、二人で組になって行う太刀打や詰合、大小詰などはよほどの高段者が行う形。
 貫汪館ではそんな稽古はしません。できるようになれば次の稽古をしなければ、前の形もそれ以上に上達することもありません。正しく指導していれば1年もあれば大森流、太刀打、英信流表まで進むことができるはずです。もったいぶった稽古は貫汪館には無縁です。

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  1. 2019/01/22(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

流派を示す

 指導者が前に出て門人に居合や柔術、剣術を見せて見とり稽古をさえるときには、自分の業(自分の癖)がいかに優れているのかを見せるのではなく、流派がいかにあるべきか、という事を示さなければなりません。
 これまで流派を稽古してきて、その流派の考えに基づいた自分の最も良いものを示すのです。ここを指導者が間違えてしまうと門人は指導者の癖を身につけているだけになり、流派を稽古していることにはなりません。 見とり稽古をさせるという事は簡単なことではありません。

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  1. 2019/01/21(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分の考えを挟まない

 私たちが流派を学ぶのはそこから何かを会得するためです。教えの通りに稽古して、努力してできるようになって何かを自分のものにするためです。流派の教えを守り、その流派から何かを会得することが流派を学ぶことなのだとしなければなりません。
 しかし、現代人の中には、自分ができないので自分がやりやすいようにかえて、できたと思う方もいます。自分のやりやすいように変えるのですから流派を学んでいるのではなく、流派を利用しているにすぎません。何も会得していないのに、そのようなことをしていたら修行ではなく、自己満足に基づく強いエゴを身につけていることになります。素直に教えの通りに努力を重ねることがなにものをかを会得することにつながります。。

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  1. 2019/01/20(日) 20:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

感じとる

 米国のエルパソで指導した方の中には私の教えにそのままに忠実にあろうと努める若い男性がいました。私は大切なのは手順を覚えることではなく、見たまま、感じたままに動くことだと教えましたが、最終日にその人は自分自身であることを掴みました。見て感じ取って自分のものにしたのです。3日目でしたが、自分で会得したものは絶対に自分から離れていくことはありません。
 指導者は、門人が自分自身で会得する、その時を待たなければなりません。
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  1. 2019/01/19(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

相互に作用する

 現代居合道の影響を強く受けている方を指導し、上達してもらうためにはいくら懇切丁寧に説明して自由であるための居合の稽古をしていただこうとしても難しいことがあります。力んで動きを固めてしまう事が良いことだという考えから離れられないからです。
 そのよう人な人を導くには居合の稽古から離れて柔術の稽古をしてもらう方が、居合の理解が早いという事も経験しました。柔術では動きを固めていては技をかけることはできません。受も捕もそのような動きには何の意味もない事がわかります。ごつごつした動きでは相手を崩すことができず、相手を崩した後に動きを封じることができないからです。また、筋力を用いる事よりも技を使う方がはるかに有効だという事にも気づかされます。
 柔術が居合の質を高めることもあり、また、柔術の手の内を理解するためには居合の稽古も不可欠です。

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  1. 2019/01/18(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論
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プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

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