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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

振りかぶった時

 刀・木刀を振りかぶった時、小指を伸ばすことで臍下丹田と切先までのつながりが途切れることが初心者の内には起こりがちです。
 居合であれば抜き付けて運剣し、振りかぶって左手を柄に添えた時点で、柄をつかもうとして小指側が伸びている。剣術で初めから左手が柄とつながっていても、斬り下ろそうとするときに無理な動きをして手の内が甘くなってしまう。という状態になります。
 このような状態から刀・木刀を振り下ろす時に左手の小指を握りしめて力が入ることによって自己満足してしまうのですが、腕先、または肩から先の振り方であって肚は働いていません。振りかぶって斬り下ろそうとするときの手の内を自分でよく確認してください。

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  1. 2018/08/15(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

人と深くかかわる

 現代は人と人との接点はより離れたものになりつつあり、他者が行っている華やかなところとだけ付き合って、表面上、楽しく、華美であれば良いという傾向があります。したがって人との接点が近くなって人の苦労を見るのはいやで、見えてしまうと自分の領域を侵されたくらいに感じてしまい、すぐに離れていきます。人の苦労している部分を全く見ない、見えないのですから、自分の苦労が軽ければ自分だけは楽しく暮らしていくことができます。
 国会議員が立派なことをいくら言っても、多くの国民が幸せを実感できず、日本人の自殺率が高いのを見れば、国会議員になりたい人には口先では立派な事を言っていても、上記のような人が多いのかもしれないと思います。
 武道は、特に古武道は人と人との接点は近く、稽古相手はより見えてきます。相手が見えていなければ、命がかかったことを稽古することはできないからです。師弟となればそれはより深くなります。本来、師弟が1対1で向き合って指導するものですから、かかわりが深くなければ伝えることもできません。澁川一流柔術の師 畝重実嗣昭先生は「師弟と云えば親子も同然、子の危機に際しては親は命を懸けてこれを助ける。」と話されました。それほど深くかかわっていなければ心と技はなかなか伝わるものではありません。人と深くかかわることが嫌いな方には古武道の習得は難しいものだと思います。このような武道を稽古する方には人の苦労が全く見えない、見ないという状態に自分を置くことはないでしょう。

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  1. 2018/08/14(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

古武道の負のイメージ 3

 日本は「葦原の瑞穂の国は神ながら言あげせぬ国」とうたわれるようにあえて言葉にしない習慣がありました。古武道の多くの流派は裏に貴重な思想を秘めていても自己の存在をアピールするために言葉にして宣伝することはしてきませんでした。
 一方で現代武道は明治維新以降に日本の西洋化が起こったあとに成立したものですので、「言あげ」は巧みで上手です。一般の人のイメージは古武道から発展したのが現代武道であり、古武道は古臭いものというものです。
 このようなイメージを変えるためには、「こんなところが良いところだ」と語る必要もあるのかもしれません。

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  1. 2018/08/13(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武道の負のイメージ 2

 古武道の柔術の負のイメージは歴史上意図的に形作られた部分もありますし、外来のジュージュツが古武道の柔術のイメージを異なったものにしている部分もあります。
 一般の方は柔術を柔道と同じように素手と素手で競い合うものというイメージをもたれています。このイメージをどう正すか。これも課題です。

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  1. 2018/08/12(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

武道の負のイメージ 1

 明治維新以降、競技中心に変化していった現代武道はとくに戦時中は人を鍛えるという名目のために所謂シゴキが行われたり、体力的にもきつい稽古が行われることがありました。そのためか戦時中に武道教育を受けた方には武道を毛嫌いする方もおられ、その方たちの影響を受けられた方もおられます。
 そのような武道と私たちが稽古している古武道は異なるのだということも一般の方はご存じありません。むしろ古武道だからよりひどいのではないかと想像する方もおられます。このような負のイメージをどうすればよいのか、大きな課題です。

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  1. 2018/08/11(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

経験

 なにも苦労していない方には人の苦労はわかりません。あったとしても、思い通りにならない自分自身のフラストレーションだけで、それを自分の苦労と思い込んでいる程度です。自分のために苦労してくれる人がいても、当然のことであるし、それが苦労して成っているという事も理解できません。したがって他者がどれほどそのために心と時間と体を使っていても感謝の心は起きません。自分が経験したことがなく全く理解できないのですから、仕方ない事なのかとも思います。そのような方に理解を求めることは無駄な努力なのです。理解できない人が年を取り亡くなるまでに理解できるようになるかどうかすらわかりません。
 稽古も同じようなもので、この動きの方が無理無駄がなく楽なのだと説明しても、無理無駄な動きを経験していない方には理解はできません。比べようがないからわからないのです。日本人は体を使って作業することが少なくなっていますから、体を使って作業することに経験豊富な外国人の方が上達が早いのは自然なことかもしれません。
 不必要な苦労はなるべく経験しない方が良いのですが、苦労しているほうが上達は早いと言えます。

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  1. 2018/08/10(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

異なるもの

 私たちが稽古している無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術は学校体育的な動きや、いわゆるスポーツ的な動きとは異なったものです。練習を重ねれば筋力が強くなり、片腕が太くたくましくなるのではなく、上達すれば上達するほど、筋力は不必要になるものであるため、体育的な体格の向上はありません。
 ここが理解できなければ、素早く動こうとしたり、刀を力強く降ろうとしたり、相手を筋力で倒そうとする技にならない技から離れることはありません。
 今まで行ってきたものとは異なるものを稽古しているという思いをもって稽古してください。それが上達の近道です。

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  1. 2018/08/09(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

対馬藩田代領 東明館

 対馬藩田代領は対馬藩の飛び地で現在の鳥栖市にありました。この飛び地にも東明館が設けられました。他の藩校が藩士を対象としているのに対して東明館は一般の人々の入学をゆるし、儒学を主として撃剣、柔道(ママ)、鉄砲なども教育されたようです。
 東明館では無双一睡流と愛洲神蔭流が教えられ廻国修行者と試合をしていますが、対馬藩田代領で試合をし、英名録に名字が記されていても武士ではないかもしれません。
以上で佐賀県域の藩校については終わります。佐嘉本藩については別の機会に。
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  1. 2018/08/08(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

唐津藩 志道館

 唐津藩は藩主の家がよく変わった藩で寺沢家、大久保家、松平(大給)家、土井家、水野家、小笠原家とかわっており、小笠原家が1817年から明治維新まで藩主となっています。
 小笠原藩の藩校は志道館ですが、詳しくは記されていません。生徒は7歳以上12歳までとあります。書籍は藩費で購入して師弟に貸与され、生徒は優劣の席順を共感に認定され臨時卒業したとありますので、優秀であれば早く卒業したのでしょう。
 志道館寄宿寮の規則もあるのですが、年齢等は記されていません。
 教科書は四書、五経、左伝、国語、史記、漢書であり、撃剣、柔道(ママ)、馬術、弓術を稽古したとあります。
 授業は早朝から三時間行われ、田井三吾は寄宿舎の九思両で自学自習であったようです。
「十六之日放程」「上已、上元、端午、七夕、盆中、重陽、右放程事」「天長節遥拝、唐津明神祭礼、釈典右同断」とあり、これらの日は休みであったのだろうと思います。現在より休みの日はかなり少ないことになります。

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  1. 2018/08/07(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鹿嶋藩弘文館 2 教育内容

 小城藩のように年齢による学科は記されていませんが、以下の教科書を用いたようです。
 四書、忠孝経、小学、五経、皇朝史略、日本政記、外史、国史略、大日本Ⅳ、十八史略、元明史略、清三朝実録、史記、館書、国語、綱鑑易知録、綱鑑補、皇明朝通記明朝記事本末、資治通鑑、等

 小城藩校では用いられていない教科書も用いられています。

 武術は弓馬槍釼砲術遊泳と記されていますが、4等士族以上は一つは目録以上、一つは免許を受けていなければ家督が継げませんでした。また5等士族は槍釼の二つが目録以上でなければ家督は告げませんでした。

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  1. 2018/08/06(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

学ぶ(マニュアル依存からの脱却)

 学ぶために最も大切なのは、結果を安易に出すことではなく、自分自身で、結果を出すための過程を試行錯誤することにあります。
しかし、世の中には子供たちに、安易に「こうすれば結果が出る。」「こういう方法をとれば、簡単に目的を達成できる。」というマニュアルにのっとって楽に物事を行なわせようという流れもあります。簡単に結果をださせる方法を提示したほうが、保護者も結果が出たと錯覚し、提示する人物が素晴らしいとか、優秀な人物だと誤解を与えることができ利益を得ることができるからです。教育ではなく、自分の利潤追求のためにそのような本を書いたり、提示しているのです。しかし真の教育という面からみれば全くの詐欺的、利潤追求的行為なのです。
 マニュアルに依存して結果を出すのは非常に簡単かもしれませんが、結果を出すまでの試行錯誤の経験を子供たちに積ませることができません。試行錯誤の経験がないため、マニュアルに依存して、物事がスラスラできるようになったと錯覚している子供たち(保護者も)は、新たなことに直面した時には、マニュアルがなければ何もできなくなってしまいます。
 特に子供のうちに結果を安易に出せるマニュアルにのっとって物事をさせるのは子供が延ばすべき能力を奪ってしまうことになります。子供に苦労させなければならないというのは物事を解決する能力を自分自身でつけさせるためなのです。したがって、どんなに時間がかかっても大人は、辛抱強く待たなければなりません。
 武道の修行も同じで、良師は安易に方法を教えないどころか、「見てとる」ことを良しとします。自分自身で工夫してみてとったものは自分の身になり何かあった時に応用でき、役に立ちますが、マニュアルにのっとってできるようになっただけでは、自分自身で何かするとき、新たな事態に面した時には応用ができないからです。
 親や師となるものがなすことは子や弟子が自ら試行錯誤し、工夫して、自ら方法を見つけながらも、どちらが良いかと迷い、教えを求めてきたときに、わずかに道を示すことです。また、子や弟子が試行錯誤を重ね自ら導き出した方法が間違いであり、それに気付かずにつき進むときに、その道を正すことです。
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  1. 2018/08/06(月) 06:35:54|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鹿嶋藩弘文館 1 寄宿者

 小城藩と同じ佐賀藩の支藩である鹿嶋藩では安政6年に藩校教育の刷新が図られ、徳譲館を弘文館と改めます。
 寄宿する者は小城藩よりは緩やかであったようで、4等士族以上の子弟と5等士族以上の長子で15歳以上のものは必ず寄宿舎に入れたとあります。小城藩と異なって身分によって寄宿舎に入るべき者がことなっています。また半食の科米を給したとありますから、小城藩と異なりおかずと残り半分のコメは自分持ちであったことになります。
 寄宿の年数に関しては4等士族以上の長子は3年以上、そのほかの者は2年以上、とありますので小城藩よりは緩やかです。
 15歳未満のものと1等卒(足軽でしょうか)の長男は遠方の者を除き弘文館付属の明倫校に通学する必要がありました。
 小城藩と同じように遊学も許可され、優秀な者は藩費を出し、私費で遊学する者にも試験を課したうえで学費を半額補助したようです。
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  1. 2018/08/05(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

小城藩興譲館 2 教育内容

 興譲館の年齢ごとの教育内容を記します。
15歳 素読、返書、四書五経
 ※なぜか武術の稽古は入っていません。記し忘れでしょうか。
16歳 読史、蒙求、左伝、国語、史記、前漢諸、小学内外篇
    槍釼弓馬試撃 錬馴毎夕
   ※釼と試撃を別に記しているのは形稽古と防具着用稽古を別のくくりでとらえているのでしょうか?これだけではわかりません。
17歳 読史、詩文、三国志、文章軌範正読、三體詩
    槍釼弓馬ノ稽古前ニ同シ
    経書、孟子、論語、会読、毎月作文、作詩
18歳 読史、易知録、細鏡、八代家文読本正読、経書、大学、中庸、左伝会読
   ※武術は18歳以降書いてありませんが、続いていたと考えられます。
19歳 読史、温史、綱目、経書、書経会読
20歳 読史、唐史、五代史、経書、詩経会読
21歳 読史、晋書、宋書、南北史、経書、易経会読
22歳 読史、宋書、金史、元史、明史、諸子類、律書類会読
23歳 国史類

武術は2術以上ノ免許ヲ得ルヲ要ス
※武術は2つ以上の免許を得なければならなかったのですから、小城藩士は全員免許を持っていたということになります。免許のレベルが比較的緩かったのか、全員のレベルが高かったのか・・・。

 こういう旧来のかたい学問の教育内容を受けてきた人は幕末の動乱には対応しにくかったのではないかと思います。

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  1. 2018/08/04(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

小城藩興譲館 1 寄宿者

 藩校教育は寄宿の制度など興味深いものがあります。手許にある資料から現在の佐賀県域の藩校についてみてみます。
 小城藩の藩校である興譲館に関する記録は残っていないようで個人の記憶によって記述されているようです。
 小城藩の興譲館は天保末年に拡張整備されています。藩士の嫡子は15才より24歳までは入学寄宿する必要があり、食事は藩からの支給です。よほどの人材でなければ、この年齢の者は藩の職には就けなかったようです。 次男以下は希望すれば寄宿でき、食事は半分だけ藩からの支給になります。
 藩士一般は毎月10日に経書の講読を生徒とともに聴聞します。
 藩士以外は興譲館には入学できず寺子屋または家塾でまなびました。

 卒業した藩士で優秀な者は藩費で遊歴し遠方の師につかせることがあったようです。また24歳に満たない者でも私費で遊学する者にはこれを許したようです。

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  1. 2018/08/03(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

心の教育と金儲け

 人を育てる、子供の心を育てるという目的をもった活動と、それらを通じて金儲けをするのは表面的に同じような活動をしますが、全く目的が異なります。
 僧侶や神官が宗教を通じて金儲けをしようとするのか、あくまでもお布施や寄進で生活して人のために働くのかという違いがあります。
 人を育てる、子供のためにと表に出しながらその目的が金儲けで、物販で収入を得るためであれば必ず、どこかの宗教にあったような矛盾がその教えにはあります。たとえば子供の心を育てるためには、という講座やセミナーが夜、頻繁に行われているのであれば、実際には子供と親との時間を奪っていることになります。
 武道を稽古する方はそれに気付く感覚と目を養い、騙されないようにしなければなりません。世の中には騙されて自ら積極的に協力している人が多くいるのを見ます。物事を見る感覚や目を養わなければ、その協力している時間は、自分の子供を育て、身内のために動ける大切な時間なのだということにも気付けなくなるようです。

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  1. 2018/08/02(木) 21:25:00|
  2. 未分類

形稽古の形骸化(剣術)

 居合においては時に素抜き居合術で形骸化しますので、心しておかなければなりません。想定があり、仮想の敵がありますが、仮想の敵の位置や間合いをきっちりと決め、敵との間合いはこの距離、敵の頭の位置はこの高さ、斬り込んだ切先は床から何センチメートル、抜付けで抜付けるのはこの高さと決めて稽古してしまうと、その条件にきっちりあった相手にしか対処できなくなってしまいます。
 これまで柔術や剣術で述べたように、相手の身長・体重等はすべて異なっています。想定の固定化は居合の稽古の形骸化をもたらしてしまいます。植田平太郎先生が記しておられるように抜付けは「相手の右側面」であり、素抜き抜刀術であっても、自由でなければなりません。

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  1. 2018/08/01(水) 21:25:00|
  2. 居合 総論

形稽古の形骸化(剣術)

 剣術を形稽古で上達するためには、動きが終わる処(形の上で最後の動きとなるところ)で決めを作って体に力みを入れることは禁物です。特に私たちが稽古している大石神影流は形の動きが少なく単純ですので決めを作って力みを入れる癖がついてしまうと防具着用稽古と形(手数)稽古は完全に別物になり形骸化します。またきめられた手順だからと、相手に応じて動くのではなく、自分の手順にばかり意識がいき、お互いの動きに調和がとれていない状態になってしまうと、是も形骸化です。。
 また、柔術の稽古と同じく、相手が変われば、身長差もあり間合等の条件が変わってきます。条件がかわった場合もそれぞれに応じて調和がとれた対応をする稽古をすることが大切です。

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  1. 2018/07/31(火) 21:25:00|
  2. 剣術 総論

形稽古の形骸化(柔術)

 柔術を形稽古で上達していくためには守らなければならない条件があります。特に初心者にとっては大切なことです。それは受けは常にニュートラルな状態にあり、裏形を稽古する場合以外はことさらに抵抗したり技を返そうとしたりしてはいけないということです。もし受がこの条件を守らなければ、初心者は力みをなくすこともできず素直な動きができません。無理無駄をなくした体の状態は初心者にとって十分に重い状態です。また稽古相手は変わりますから身長差があったり、体重差があったりと、それだけでも同じ動きを繰り返すだけでは技は掛かりません。
 かといって受は勝手に倒れたり、投げられたりすることは絶対にしてはいけません。それは死んだ稽古であり、古武道の形骸化をもたらしてしまいます。

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  1. 2018/07/30(月) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

覚悟

 古武道の形がいくら上手にすらすらと遣えても、防具着用の稽古がいくら上手でも、覚悟がなければ働くことはできません。
 覚悟というのは、何かあった場合に自分の命を捨てて守ることができるかどうかで、この覚悟があれば武道の技は拙くても働くことができます。守りたい者の為には自分の命を捨てる覚悟をもって稽古すれば、何かあった時に多少なりとも役に立つ働きができます。

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  1. 2018/07/29(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

感じる力を育てる

 心身一如の状態は体と心が結びついた状態です。頭で考え頭で判断して動くのではなく、体全体で感じて動けるようになる状態です。最近は心と体がつながっていないために感じる力が相当に弱くなっている人が多いのではないかと思います。心と体がつながらない状態になると表層的なことでしか判断できなくなるので、人の心が分からなくなってしまいます。表面的なことにのみ感動し、誰が本気で自分のためを思っているのか、誰が表面的な親しげな動きしかしないのかという正しい判断もできなくなってしまうのです。
 古武道の形稽古を正しく行うと、自分の心がそのまま動きとなって現れるということが分かるようになり、このような稽古を続けていると、体で感じ取る力が強くなっていきます。人の本心がどこにあるのか、今起こりつつあることの裏にあるもは何なのかということを感じるとることができるようになります。

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  1. 2018/07/28(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

起こることは何らかの示唆である可能性

 自分の人生の中で起こることは些細な事であっても、何らかの示唆を与えてくれていたり、それが大きなことへの予兆であることが往々にしてあります。それに気付いていなければ何かが起こっても突然起こったように感じます。
 気づいたら、これまでのことに居つくことなく柔軟に対応する事が大切で、居付き続けていたらせっかくの示唆や予兆が役に立たなくなってしまいます。武道における実際の対処法と同じように動かなければなりません。

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  1. 2018/07/27(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手法 2

 これも、ある方から聞いた話です。
 集まってくる人に、常に寄り添い、絶対に否定をせず、話を聞き、なんでも知っているように見せかけ、本当にそうだと信じ込ませる。そのような手法を用いて特定の層を引き寄せていき、自分のシンパを増やし、自分を信じてついてくる人物を用いて、さらに拠点を広めていく。特定の層を対象にしているので、25歳以下の若い人ばかりが中心となって活動したり、30代から40代の女性が周りに集まって、男性が少なかったり、20代の女性が中心であったりという偏りもみられるそうです。 
 主に新興宗教などにみられる手法だそうですが、信じ込んだ人は絶対だと思ってしまうので、裏を見ようとすることはなく、盲目的についていきます。新興宗教だけでなく、他の目的をもった人物も用いるということです。
 こういう手法に女性や若い人が引っ掛かりやすいのは、それだけ信じ込ませやすいのかもしれません。私たちが行っていることとはかけ離れた世界です。

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  1. 2018/07/26(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手法

 ある方から面白いことを聞きましたので、武道とは直接関係ありませんが、記しておきます。
 特定の政治的思想を持った団体が、自分たちのシンパを集め、最終的な目的を達成するための手法があるそうです。それは「子供たちのために」「地域の発展のために」「困っている人のために」という企画を前面に出して人を近寄らせて目的を達成するのだそうです。
 この手法は、政治的思想をもった団体だけでなく、ほかにも真の目的を隠してことを行おうとする団体も用いるそうですので、注意しなければなりません。

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  1. 2018/07/25(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

心身一如 ―心と体の結びつきの希薄さ―

 心と体の結びつきは現代では希薄になりつつあるようです。心身ではなく、むしろ脳心といった状態なのではいかと思われるくらいです。
 ある方が、嘘を言い続けると普通の人は体の不調として現れるけれども、心身一如でない人は嘘を言い続けても体に何の変調も起こらない、体と心が結びついていない状態にあると話されたことがあります。
 古武道の場合は稽古が進めば進むほど、心身の相関関係が強くなり、心の状態が、そのまま業として現れるようになります。嘘偽りに平気でいられなくなるかもしれません。

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  1. 2018/07/24(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 古武道の稽古において自己の「欲」が表に出てしまったら、間違った方向に進んでいると自戒しなければなりません。
 「欲」とは自己満足のために、「力強く刀を振りたい=筋肉の緊張を感じたい」「気合をしっかりかけ充実感を得たい=声を作る、がなる」「速く動きたい=粗雑な中身のない動きをする」「満足感を得たい=動きの終りに体に無駄な力を入れ緊張させる」といった動きです。
 初心者はこのようにしないと、自分が行っていることに安心できないようですが、ある程度稽古を重ねても、まだこのような「欲」が出る方は自分自身を冷静に第三者的な目で見つめて、しっかりと確実に上達する道を進む必要があります。

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  1. 2018/07/23(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 日本的な誠とは「人と交わって物事をなすときの心情の純粋さ」であり、表裏一体・内外一致であることをいいます。武術の修行は己の心を磨き、誠を体得するためにあります。
 人と交わって人を利用して自分の利を得ようとするのは誠ではなく、嘘、偽りです。私達とは対極の存在ですが、現在ではそのような人達が、実際に利を得て、もてはやされる傾向があります。
 武術を稽古する方はいかに誠を保つか、心しておかなければなりません。誠が通じない世になりつつあります。

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  1. 2018/07/22(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

三年かけて良師を探せ

 「三年かけて良師を探せ」という言葉をそのままに受け取ればなかなか良い師はいないので良い師に出会えるまで探し続けろという事になりますが、これは「三年けてみる目を養ってから師を探せ」と解釈した方が良いのではないかと思います。
 全く知らない者に善し悪しはわかりません。道に志した時点では、どうしても派手なもの、華美なものに目を引かれます。その中で、この人が良師だと判断しても判断そのものが間違っていることがあります。
 武道以外のものでもそうです。今の時代はセミナー、講和、まさしく百花繚乱です。見えない方が、饒舌なもの、派手なもの、華美なものに惹き付けられます。そして惹き付けられた方が、また見えない方を誘い込み、真実でない者が世に広がっていき、真実でないものに利用されている事にも気づかず、素晴らしいものに出会ったと嬉々としているのはのは見るに堪えないものがあります。
 いつの時代もそうなのでしょうけれど、今の時代はますます見えない方が増えているように感じます。

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  1. 2018/07/21(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

わかるとき

 稽古を始めて指導されていることが体で理解できない時期がしばらく続き、あるとき、ふとこういう事であったのかと体で理解でき創める時がやってきます。
 このようなときには、分からなかったことが次々と理解でき、居合と柔術の共通性もわかるようになり相互に良い影響を与えるようになり、柔術で理解できたことが居合の理解につながり、居合で理解できたことが柔術の理解につながるようになります。
 この時点で満足せずに、より深く求めていけば、少しずつではあっても謎がt蹴るように理解が深まっていき、自分がどうすればよいのかという道筋も見えてきます。わかり始めたときを大切にすれば、向上は続いていきます。

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  1. 2018/07/20(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

独立独歩

 古武道は自分で立ち、自分で歩むために稽古します。全く同じ動きをロボットのようにタイミングを合わせて行うためではありません。
 定まった形ではあっても、そこから自由となることを学びます。自由になるためには形から学んだことを自分のものとして身につけていく過程が必要で、一度身につけたら他に左右されることなく自分自身で動けるようになります。付和雷同することなく自分の足で立ちます。そのために稽古をしているのです。

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  1. 2018/07/19(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自信がない

 自分が行っていることに自信が持てないとき、如何にも素晴らしいことを聞いてしまうと、それが本当に素晴らしいことなのか、まやかしなのかを冷静に判断することなく、それに引きつけられてしまうことがあります。
 古武道の稽古も同じで、かつて稽古に来る方の中に、マスコミに取り上げられ、もてはやされている方の方法論に引きつけられている方がおられました。それがたとえ本当の古武道の流派であったとしても、他流派の理論であり、自流派には用いられるものではないということも見えなくなっておられたようです。
 自身は持てなくとも、今自分は何の目的のためにこのような稽古をしているのだということをはっきりと自覚していれば、そのようなことに惑わされることはないと思います。

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  1. 2018/07/18(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分自身の心・姿をみる

 古武道は新たな能力を身につけるというよりも自分自身を磨いていき、今ある能力を最大限に活かす稽古をしていきます。そのため稽古をしていくと自分自身の心や姿を自分自身につきつけられてしまいます。自分の心の至らなさや本当の力に稽古を通じて気付かされていくのです。
 自分自身の本当の心と姿を見るのはつらいものがあり、避けたくなってしまいますが、見ることをやめてしまうと外形だけの稽古になり、自分自身の変化も向上もなくなってしまいます。 
 自分の心と姿をしっかりと見つめるところから変化・向上は始まります。

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  1. 2018/07/17(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論
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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

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