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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

責任の所在

 自分で経験したことでもないのに人の話を伝え聞いて、しかもその状況に自分の憶測を交えてそれを批判する。さらには状況もわからず、自分の勝手な憶測でその批判に同調する。そのようなことが行われる時代です。人との付き合いは余程慎重に行わなければなりません。と同時にそのような批判に意味があることなのかどうかを判断する目も養わなければなりません。
 そのようなことが武道を行っている、指導しているという人の中でも行われるような時代です。事実を確かめずに批判をしても「無礼」の責任を取らずに済む時代だからです。時代が時代なら果し合いになりかねない、または責任をとらなければならないようなことが平気で武道を稽古している、指導しているという人たちの間でも行われるようになってきています。覚悟を必要としない時代だからでしょう。

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  1. 2018/11/18(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

国防

 最近は日本の国防に若い人たちの意識がやや高くなっている傾向があるといいます。はたしてそうでしょうか。
 たしかに、そのような傾向があるようにも感じることがありますが、少し奥を見ると、自分たちは国を護るために戦うことはないけれど、自衛官の皆さんは頑張ってね、応援するから。という意識を持っている若者が増えたようにも見えます。
 しかし、サッカーや野球の応援のようにいくものではありません。もし日本に何かあったら日本が戦場になります。スポーツのように自分は応援だけとはいきません。そこまでの意識があるのかないのか疑問です。

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  1. 2018/11/17(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

むかない人

 貫汪館の古武道には特別な身体能力は必要ないと記し、必要なのは素直な心だと書いたことがあります。然し必要な事がほかにあることに気づきました。それは自分と向き合うことができる力です。
 貫汪館の古武道には特別な身体能力は必要ありませんが、心がそのまま形となって現れる武道ですので自分に向き合って自分を知るのが嫌な方には向かないのです。動きを正そうと思えば自分の心を正す必要があります。つまり自分自身の至らないところ嫌なところを見ざるを得ないのです。
 自分自身の心を見ることなく、バブルの頃のように浮かれた世の中だけを見て、その中で楽しく暮らそうとする方には向いていない武道だと思います。

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  1. 2018/11/16(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

詐欺的行為

 身内だけの演武会、あるいは発表会ではなく、全くの素人の方を含んだ外部の人たちが見ることができる場での演武をかりに公的演武とよびます。その公的演武で絶対にしてはならない詐欺的行為があります。
 それは自分が正規に習ってもいない流派を演武することです。自分が習ってもいない流派を演武するのは、かわったものを見せたいという利己的な思いから起こることであって、正規にその流派を習った者からすれば完全な詐欺的行為です。
 また現存しない流派を復元したとしても、それをたとえ復元であるとうたったとしても公的な場で演武するのは詐欺的行為です。それを見た素人の方にはたとえ復元といったとしても復元という言葉ではなく、その演武が目に焼き付くからです。武道に縁のない人には「復元」という意味もよく理解できない場合もあります。復元したと浮かれている方にはそれでよいのかもしれませんが、それが果たして正しいのかどうかは誰からも検証を受けることはできないのです。正しいかどうかわからないものを公的な場で演武できるのは、復元したものにたいする自信と、見せたいという利己的な心から発することです。貫汪館で稽古する方は絶対に行ってはなりません。

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  1. 2018/11/15(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

至誠而不動者、未之有也

是故誠者、天之道也。思誠者、人之道也。至誠而不動者、未之有也。不誠、未有能動者也

是この故ゆえに誠は、天の道みちなり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動ざる者は、未之有あらざるなり。誠ならずして、未能動うごかす者は有ざるなり、と。

 『孟子』離婁上の一節です。時代が違うのだと思わざるを得ません。
 今は誠よりも経済です。誠よりもSNSの評価です。誠が人を動かず時代ははるかに遠い過去のものになってしまいました。お金やお金に結びついた評判やマスコミに作り上げられた虚像の評価が人を動かします。
 誠は今は人は動かせないけれど、天にだけは通じるかもしれません。

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  1. 2018/11/14(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

形稽古

 形稽古を単なる決まったパターンの繰り返しと教えられていれば、古武道の稽古を始めても上達しないのは当然のことです。実際はいかようにも動ける状態の中のひとつを表しているにすぎないのですが、決まったパターンの繰り返しと考える方は次はこう、その次はこうとあらかじめ考えて動くので、まったく生きた稽古にはなりません。
 下手な現代武道の稽古をされた、あるいは教えられた方が、古武道の形稽古で上達しない大きな原因の一つはここにあります。

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  1. 2018/11/13(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 形を通じて上達するということは現代武道の多くの人には理解不能かもしれません。形を攻防のパターン、つまり、こうきたらこうするというパターンの練習だと思っているからです。 
 ある現代居合道を稽古しているアメリカ人が、形数か少なければ、相手に対処できないと言ったことがあります。形を攻防のパターンと日本人現代居合道指導者に教えられているからです。しかも、現代居合道なのでたんに素抜き抜刀術を教えているにすぎません。
 そのような考え方からすると、居合でも、弓に対する形、砲に対する形、槍に対する形。手裏剣に対する方がすべて必要になってきます。心得としての教えでは不十分です。

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  1. 2018/11/12(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

魑魅魍魎

 かって、「命もいらぬ、金もいらぬ。そんな人物でなければ共に仕事はできぬ。」 と言った人がいます。
 今は実は自分の利益を第一に考え、また、自分の名をあげることを第一に考えて動いているのに、それを町の発展のためと置き換えたり、未来ある子供のためと置き換えるのです。この言葉に多くの人達はだまされ、実際に何が行われているのかを見ようとはしません。
 たとえ大義名分を掲げたとしても、掲げた本人に誠がなければ、長い目で見たときには害悪でしかありません。
 自分は私利私欲が第一ではなく、公益のために動いていると見せかけて、実は自分の利益を第一に動けるので、便利な言葉です。このような言葉を用いる者がいかに多いことか。心身一如ではないので言葉を弄して、言葉遊びをしても何も苦しむ必要はないのです。
 大きな国難がせまりつつある今、「命もいらぬ、金もいらぬ。そんな人物でなければ共に仕事はできぬ。」 そのような人物はどこにいるのでしょうか。

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  1. 2018/11/11(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

心の動きを読む

 大石神影流剣術や無雙神傳英信流抜刀兵法では相手の心を読まなければ形として成立しないものが多々あります。相手の動きを見てから動いたのでは遅く、逆に相手に制せられてしまいます。形であればこそ心の動きを読む稽古をしていかなければなりません。

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  1. 2018/11/10(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

上段

 無雙神傳英信流抜刀兵法においても大石神影流剣術においても「上段」という言葉にとらわれて剣を上にあげる事と勘違いする方がおられます。確かに剣は上にありますが相手に向かって落ちる寸前の状態であり、体の内部の動きも落ちる寸前にあります。したがって中段や下段の体の状態とかわることはありません。
 上段に構えたときに鼠径部のゆるみがなくなり、重心が上がっている方は自分の構えを見直す必要があります。

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  1. 2018/11/09(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

信義 faith

 「真心をもって約束を守り、相手に対するつとめを果たすこと。」「いつわったりあざむいたりせず、真実で正しい道を守ること。」だそうですが、もう多くの日本人には失われつつあるのかもしれません。
 「真心をもって約束を守り」の部分を「利害関係に基づき」とした方がぴったりしますし、「真実で正しい道を守ること。」を「利害関係において得をする道」とした方がぴったりとあてはまると思ってしまいます。
 30年前アメリカ陸軍防空学校に留学した際、中東の陸軍士官達と話をしているとき「昔の日本人ビジネスマンは立派な心を持った素晴らしい人たちばかりだったが、最近はアメリカ人のビジネスマンのようになっていて悲しい。」と言われたことがあります。初めに述べたような状態になりつつあったのだと思います。30年前がそうなのですから、今、日本人はどうなったのでしょうか。

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  1. 2018/11/08(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

 言い出したことを責任をもって実行しないのは誠がないからです。以前も言及しましたが誠がある人は言った事に責任が取れなければ苦しみます。言った事に責任が取れなくても苦しまないのは心と体がバラバラなのです。
 最近は便利な言葉、「私の想いにこたえてくれる」があります。想いにこたえてくれているのですから、こたえてくれた人に感謝する必要もありませんし、その人を裏切っても何も感じなくてもよいのです。その人が行動したことは自分の為ではなく想いという実態が存在しないもののためだからです。
 誰がこんな言葉を表に出し始めたのかわかりませんが、日本人はどんどん責任感を失っていきます。

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  1. 2018/11/07(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

惑わされる

 中身がないものであっても、マスコミやSNSによって、素晴らしいものであるかのように見せかけることが出来る時代になっています。以前はマスコミ出版だけでしたが、現在はSNSがあります。
 自分に自信が持てるようになるまでは、これらによって振り回され、「子どもの未来のため」「地域の活性化のため」「自分を知るため」・・・などという言葉があれば、その言葉にまどわされ、中身をよく吟味しないまま素晴らしいものと思い込んでしまうのです。
 また、中身がないものたちも、そのような言葉や雰囲気を出して人を呼び込みますので、ますます、見えなくなってしまうのだと思います。いわゆる古武道で人を集める方の中にも、一見して覚悟がない事がわかる人もいます。覚悟がないので、技・技術のことばかりが前に出るのだと思いますが、そのような人であってもマスコミや、出版やSNSをつかった自己宣伝は巧妙です。現代武道を長年された方でもまどわされるほどです。
 武道に限らず、このようなことはどの分野でも起こっています。育児中の母親は「子供たちの未来のために」という言葉に弱く、それを行っている者の真意は見えず、病を得ている方も特殊な方法にまどわされることがあります。十分に気を付けて、惑わされることがないようにしなければならない時代になっているように思います。特に子供の教育にかかわることには要注意です。子供を間違った道に進ませる可能性もあります。

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  1. 2018/11/06(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

守る

 行おうとする物事に対して反対する勢力は、真意は別の所にあるとしても必ず大義名分を振りかざしてきます。
 したがって、物事を準備するためには隙を作ることはできません。隙は無くても嘘の理由までもこしらえて邪魔をしようとする悪意がある人物はたくさんいます。悪意ある人物が存在するという事まで想定したうえで物事を進めなくてはならないので大変なのですが、悪意ある人物は実際にそのようなことを平気で行います。
 いつか正されることがあったとしても、悪意ある人物が天罰を受けるとしても、被害は大きいものです。
 守るのは難しく、攻めるのは簡単です。物事を守ろうとすれば、細かなことにまで気を配り、細心の注意を払わなくてはなりません。悪意ある人物たちには恥も正義もないのですから。

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  1. 2018/11/05(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

忘れるということ

 上達するためにはかつて習った事を忘れる必要があると、これまでにも記していますが、異なる理論の上に新たな技を身につけようとしても不可能だからです。
 たとえはあまりよくありませんが、江戸時代の木造家屋を建てる時の考え方で、鉄筋コンクリートの家を建ててうまくいくかどうか、また逆がうまくいくかどうか・・・。
 忘れられない方はそのようなことをしようとされているのです。これまで何人かの方が年数をかけ稽古して、無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術の形・手数の手順を覚え、手慣れた動きができるようにりました。しかし、そういう方は流派を体得しているとは言えないのです。流派の手順を覚えているにすぎません。
 流派の考え方、理論を体得するほうが形・手数の手順を覚える事よりもはるかに大切なのです。そこに気付ける方だけが上達をしていきます。年数が長い短いではなく、形の手順を覚えているかいないではなく、大切なことはそこにあります。

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  1. 2018/11/04(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

そうする、そうなる

 貫汪館で稽古している無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術ともに意図的にそのようにするそのような位置にもっていくという稽古方法はとりません。
 刀の位置、高さ、相手を押さえる位置、彼我の位置関係等々、かくあらねばならないというものはありません。全て彼我の状況によって定まりますので子細な部分化で規定する必要はないのです。
 特に素抜き抜刀術は一人で稽古を行うので、初心者は不安になって斬撃した刀の位置や高さ、抜付けた時の高さや角度、振りかぶった時の刀の角度などを気にして目安にしたいようなのですが、全て彼我の関係によって決まることです。そうするのではなく、そうなるのです。ここを間違って稽古すると、稽古したばかりに逆に不自由なそのようにしか動けない体を作ってしまうことになります。
 植田平太郎先生が細川義昌先生の教えを書き残したものにも、抜付けだけに関してのべれば、抜付けは相手の右側面とあり、詳細な部位を規定されてはいません。

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  1. 2018/11/03(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

段位制の弊害

 貫汪館では旧来の初傳・中傳・免許皆伝等の許しのほかに上達の度合いを確認するために習得した形・手数の練度に応じた段位制度を併用しています。この段位制度の利点としては目標を持ちやすくその目標に向けて努力しやすいことにありますが、他の団体等を見ても大きな弊害もあるように感じます。
 その弊害とは段位が高ければそれだけ大きな声を上げることができるという点にあります。6段よりも7段の方が高位にありますので7段の方の話すことの方が信頼され、さらには8段の先生が言うことが信頼される大きな弊害があります。実際には段位はその人物を評価するものではなく、基本的に技術の評価であるにもかかわらず、段位の高い人物の影響力が大きくなるのです。したがって人間性が低い人物であってもその影響力は大きく、団体全体に与える悪影響は非常に大きくなってしまいます。
 幸い貫汪館ではその弊害を防ぐために段位は7段までしかありませんし、範士や教士といった称号も設けていません。8段を設け、範士の称号を設けてしまうとその肩書に慢心してしまうことを恐れたからです。大きな武道の団体の状況をみても、これは正しい判断であったと思います。
 今後海外にさらに組織が発展して外国人の間に稽古されるようになると海外から8段や範士といったものを設けてほしいという声が上がるかもしれません。しかし、既存の大きな団体の現状を見ると、そのようなものを設ければ組織が駄目になっていくもとだと考えます。

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  1. 2018/11/02(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

出来るようになったと思った時

 武道はできるようになったと思った時に道を外れ始め、堕落していきます。修行どころか慢心への道です。さらに自分が立派な人物であるかのように見せかけるために、行動の伴わない、自分とはかけ離れた道を説くようになります。
 はじめは10出来ないと思っていたのに、少し進んでは20出来ていないと思うようになり、さらに進んだら100出来ていないと気づくことが修行です。自分を素晴らしいと思ったり、達成したと思ったらそこで地獄への道を落ちていくことになります。
 そういう意味から古武道は試合がないために慢心しやすいとも言えますし、試合がなく優勝者をきめないので道を進みやすいとも言えます。
 限られた条件の中で優勝者をきめる武道の試合は純粋な武術・武道という観点から考えればあまり意味がないもので、実際には、不意を突いたり、気象を利用したり、1対多であったり、ありとあらゆることが起こるのが現実です。その現実から離れたところに試合の優勝者があります。武道をスポーツ・競技ととらえるか、あくまでも万が一の実際の場面で用いられるものと考えるかの違いですが、私たちはいくら防具着用の稽古に上達したとしても、それは全体からみればごくわずかな部分だと考えなければなりません。

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  1. 2018/11/01(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず、我に関せずと存じ候

 福沢諭吉の批判に対する勝海舟の言葉です。
 自分が行わなければならないと思った事は他人の批判に拘わらず、行わなければならないもので、他人の批判は自分の信じて行う事には関係ない。そういう覚悟で事を行わなければ、なることもならないでしょう。
 ことを行わなければならない立場に立てばそのような覚悟が絶対に必要になるのだと思います。

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  1. 2018/10/31(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

理解できる

 2か月半くらい前にまったく武道の経験がない30過ぎの女性と話していた時、その話の流れで演武の動画を見せてほしいと言われました。「私の流派は派手なところもないし、理解できないと思います。」といって居合と柔術の動画をお見せしました。
 私自身が、正しく古武道を稽古した方でなければ良し悪しはわからないから理解できないと思っていました。しかし、その女性は居合の動画を見て「動きが流れていてごつごつせず変に止まるところがない。」「刀を物として扱っていなくて体の一部になっている。・・・だから止まるときには無理なくピタッと止まる。」「何も考えていないから自然な動きになっている。」「何も考えずに動くには、かなりの練習が必要で、体が覚えている。」と話しました。
 柔術の門人の半棒の動画を見て「この人の棒の動きは定まっていなくて、ぶれている。」「棒を物として扱っている。」「先生に教えてもらった事を自分のものとできていないと自覚があり、まったく自信がない。」「受身は踏ん張ってしまい、自然な流れになっていない。」
 最後に「先生は自分が行っていること、教えていることに確信・自信を持っているでしょう。」と言ってくれました。
 何度も武道の経験があるのではないかと確認しましたが経験はないという事でした。むしろ武道の経験がないからこそ見えたのかもしれません。武道ではなくてもほかの何かの経験があるのかもしれませんが、興味をもって、見ようとしてみる方には見えるのだと感心しました。
 一期一会の方なので、再びお会いすることはないだろうと思いますが、私たちの武道を知らない方でも理解できるのだと、可能性のようなものを感じて心が軽くなりました。理解できないという方は理解しようとしてみておらず初めから受け入れようとはしていないのかもしれません。

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  1. 2018/10/30(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自己高揚

 ヨガや瞑想の結果、自己高揚感を得て自分は人と異なるとか、自分は便りも勝れているという思いにとらわれるという事があることは以前述べたとおりです。このような事実は身近でもはっきり感じたことがありますので真実であると確信できますが、それよりも先に思いついたのが古武道の稽古をする方にも当てはまる方が少なからずいるということでした。
 稽古をした結果謙虚になるのではなく、自分は他と違う、自分は勝れているのだという思いにとらわれる方が少なからずいるのです。表面上は穏やかな人を演じていても何かあったら、自分は他よりも勝れているのだという思いをあらわにする方が少なからずおられるのです。
 古武道の稽古をしている方は己自信に気を許すことはできません。

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  1. 2018/10/29(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

知的財産

 流派の伝書が、資料館などに残ります。深く心法を懇切丁寧に説いた書もあります。非常に貴重な知的財産ですが、いくら懇切丁寧に心法が記されていても、武術を深く修行していなければ理解できないところがあります。
 知的財産を大切にし、理解し、これからも活かしていくためには、現代武道ではなく、古武道の稽古を並行して行う必要があります。古武道の稽古によって知的財産である心法を解いた伝書が理解され、将来にわたって次代を担う者たちの心の中で生きていきます。

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  1. 2018/10/27(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

理兵法 2

 理を語ることができるようになるのは、実際に使えるようになってからのことです。それまでは(自分ではわかっているつもりでも)そうではないかと語っているにすぎません。
 理は師に教えられるものですが、その理に基づいて体得して初めてその理がわかるようになります。それまでは理を語ることはなるべく慎んだ方が、業の習得はすみやかです。

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  1. 2018/10/26(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

理兵法

 武術についての知識は豊富であるけれども、実技が伴っていない場合によく用いられる言葉です。このような状態が修業にとっては一番悪い状態です。
 本人はわかっているつもりでいるので、なかなか実技が進みません。行動が伴わないのに理論ばかり知っていますから、他者を批判的に見て自分の方が優れていると思い込むこともあります。
 軍事おたくがいくら武器の性能を熟知していても、実際の経験がなければ役に立ちませんし、セミナー等で立派なことを話している人に、現場での実績はない場合もあります。
 武道で大切なことは自分自身が行うことができるか否かであり、行うことができないのにいくら立派な理論を口にしても意味がありません。いくら物事を知っているようであり、そう見せかけても、本人ができなければ無意味なのです。

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  1. 2018/10/25(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

呼吸

 呼吸が浅いと貫汪館の古武道の動きは物真似にしかなりません。いくら稽古しても内面から出る動きではないので表面をトレースしているにすぎないのです。
 また、なぜか若い方には呼吸が浅い方が多いように思います。最近の生活様式に問題があるのかもしれません。
 そういえば、ある程度年齢を重ねた方の中にも、呼吸が浅い方がおられ、このような方は、物事をあまり深く考えることをしませんし、物事の裏も見ることはありません。少し考えることができる人には見抜けるような信用できない人物に騙されたり、、また利用されています。そしてマルチ商法のように、そのような人物を他人に勧める方が多いように思います。体で考えることができないので物事を感じとることができないようです。
 詐欺師のような人間もよく見たら、呼吸が浅く、中身がない人間だという事を見て取ることができます。

 呼吸の稽古は初心者にとって大切なことですから無意識のうちに深い呼吸ができるように稽古を重ねなければなりません。

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  1. 2018/10/24(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

稽古への意識

 貫汪館では無雙神傳英信流抜刀兵法、澁川一流柔術、大石神影流剣術の3つの流派を稽古しています。しかし、3つの流派を稽古しているからと言って、その3つがばらばらに存在しているわわではなく、その根本は1つであり、それが理解できたうえで稽古すれば習得はすみやかです。反対にすべてが1つであるという事がわからず、一つ一つの流派を一生懸命稽古しているのだという意識があれば、習得はおぼつきません。
 3つの流派を稽古していると言っても実際は下の図のようにあらわすことができます。真ん中の赤い部分が3つの流派に共通する根本的な部分で、ここを稽古すれば3つの流派の習得は難しいことはありません。桃色や緑色、黄色は周辺であり各流派の形(外形)が重なっている部分、白色は各流派それぞれの外形の部分であると言えます。この白色の部分は本当は少ない部分です。この意識が持てるようになるにはある程度の稽古の年数が必要になるかもしれませんが(2,3年)、いくら稽古してもこのような意識が持ててないという事は、すべての流派に共通する基本的な部分が身についていないし、理解できていないという事になります。
 
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 このような意識をはじめから持つことは難しいとしても、初心者の方には初めからそう教えているのですから、素直に話が聞ける人は少なくとも下の図のような意識を持って稽古は始めていると思います。この意識がなく稽古をすると、基本とは何かがわかっていないのですから、求めるものも異なり、なかなか上達しません。

   領域

 一方、いくら年月をかけても習得できない人の稽古への意識は下の図で表すことができます。実際は白い部分(外形)はこの図のように広くはない(ごくわずかな割合な)のに、外形ばかり追い求めて、基本となる赤い部分を習得しようとしていないのですから、上達しないのも当然です。稽古年数が長い人で、自分は貫汪館で稽古する〇〇流は苦手であるとか、身につかないと思っている方はこの下の図の意識をもっていると考えられます。実際は自分ができると思っている〇〇流であっても、外形を覚えているだけであって、その基本は身についていませんから見る人が見れば、その人の技の底の浅さは見えてしまいます。
 自分がどのような意識を持って稽古しているのか自分自身に問うてください。

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  1. 2018/10/23(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島直能 10

 元禄2年、鍋島直能 68歳のときのことです。八月二十六日に亡くなっていますが、よく二十七日の記録に

「同月廿七日夜、御沐浴御入棺被遊候、御顔色御平生の如く少く御笑〇(白の下にハ)被成御座候、祥光山北之隅に葬送シ奉る、御遺命に因て山つらの大石を御塔に奉建候、御銘書無之
 御法名 弘徳院殿星厳元晃大居士」

 これで直能の墓石だけが自然石である理由がわかりました。本人の希望です。ただ、なぜ自然石を希望したのかはわかりません。

この記録の直前に
「星岩(厳の間違い)寺報恩堂の御寿像 潮音時和尚賛有
  直頼公(小城三代元武)寄付也」

 とあるので、報恩堂には直能の像もあったはずです。

以上で鍋島直能については終了します。

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  1. 2018/10/22(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島直能 9

 寛文10年、鍋島直能 49歳のときのことです。

「十一月十一日、月堂様(元茂のこと)十七御忌、宗智寺ニ而御経営有、又兼而林大学頭殿御頼、牌之銘を、御撰ミ置候を、此節 日峯様御持越之朝鮮石ニ彫刻被仰付、鯖岡山の三聖庵に御建立被遊候也 牌銘別紙有
 三聖庵にハ釈迦・孔子・老子の像を御安置有、外ニ月堂様(元茂のこと)・日善様(鍋島元茂室)・柳生様之御霊牌も御建、僧衆を請し諷経等被仰付故、報恩堂共被号候、後星厳寺御造立の節、鷺山に御引移され候報恩堂是也、三聖之像ハ後玉毫寺の末庵に御安置有し也

 この文によれば初め三聖庵(報恩堂ともいう)が鯖岡山(今の桜丘)に設けられ、釈迦・孔子・孟子の像と一緒に鍋島元茂とその奥さんと、柳生但馬守宗矩の位牌がまつられ、その後、星厳寺が設けられた時に、星厳寺に移された。いまの報恩堂がこれである
 という意味になります。『直能公御年譜』は直能の没(元禄2年:1689)後、だいぶたって享和3年(1803)に完成しています。1803年時点には柳生但馬守宗矩の位牌はあったということになります。

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  1. 2018/10/21(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島直能 8

 寛文九年、鍋島直能 48歳のときのことです。

「同月、信濃守綱茂公、御平法御伝上之上、御誓紙被進候

 殺人刀・活人剣両巻令傳受一入満足存候、日本之神聊他見他言申間敷候、為其如此候、已上

   寛文九年   信濃守
    七月朔日   綱茂 御判
    鍋嶋加賀守殿」p.632

 佐賀藩の支藩の二代藩主が、元禄8年に本藩である佐賀藩の三代藩主となる鍋島綱茂に新陰流の指導をしていたということになります。武術の指導には身分がかかわりのないことがあるようで、広島藩主の剣術指導を足軽が行った例もあります。

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  1. 2018/10/20(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島直能 7

 承応三年、鍋島直能 33歳のときのことです。

「四月、直能公御馬術御上達ニ付、原大蔵ゟ馬書七冊御相伝差上候、奥書ニ

 承応三午年四月四日  原大蔵太輔
               正俊判 
 鍋島加賀守殿
馬血上ケ薬方
午目薬方     同人ゟ傳授申上候」p.548

 どの段階の伝書かわかりませんが、2年4か月ほどの稽古で馬術の伝書を授かっています。やはり江戸時代初期は全体的に伝授が早いのだと感じます。江戸時代後期になると多くの流派で免許皆伝に至るまでに平均して10年くらいかと思います。但し、現在の10年とは質が全く異なり、剣術、居合、馬術、柔術等々を併修しながらの10年ですので現代人の感覚でとらえると大きな間違いをすることになります。

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  1. 2018/10/19(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島直能 6

 承応元年、鍋島直能 31歳のときのことです。

「直能公、馬術御稽古、原右馬之允 後大蔵大輔と云 御指南申上候
 依助流乗方之口決幷木馬之所作、御誓紙 文略
   正応元年十二月六日 加賀守
        原右馬允殿

 右右馬允ハ、荒馬乗之達人ニ付、 元茂公被召抱候、右之由緒、附録ニ記之」p.544

 31歳で稽古を始めています。現代人でも稽古を始めようと思えば、思った時がはじめるときで、遅いということはないということかと思います。今は昔と異なり体も若いですし、考え方さえ柔軟であればかなりの年齢でも始められるのではないかと思います。

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  1. 2018/10/18(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論
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