FC2ブログ

無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

小城藩 大石神影流師範 江副七兵衛の剣家姓名録について 1

日本武道学会第51回大会で発表した「小城藩 大石神影流師範 江副七兵衛の剣家姓名録について」を数回に分けて載せていきます。

Ⅰ.はじめに

 江副七兵衛は佐賀藩の支藩である小城藩の大石神影流師範である。小城藩の初代藩主鍋島元茂と二代藩主鍋島直能を祀る岡山神社のそばには江副道治(七兵衛)の石碑があり,そこには天神真楊流体術 大石神影流剣術 八天舞相流棒縄術 江副道治と刻まれている。
旧江副家は石碑のそばにあったらしいが現在は公共の駐車場になっている。現存するのは旧家にあった史料の一部であるが,その中に『諸国釼家姓名録』と『釼家姓名録』がある。本研究ではこの二つの史料を用いて小城藩にどのような人物が来訪して試合をしたか,また江副七兵衛がどのような地域に出向いて試合をしたかについて明らかにしたい。

スライド1a
  1. 2018/09/23(日) 21:25:00|
  2. 武道史

鍋島元茂 14

 時は流れて正保三年 元茂45歳のときの話です。

「柳生但馬守卒去、三千石を領す
法名 西江水大通宗活大居士 七十六歳
元茂公へ兵法之奥義不残御相伝有之通、返り誓紙まいらせ候時、病気差重り筆を取候事不相叶、村上傳右衛門傍ゟ筆をとらせ漸く判を取て 元茂公へ差上候也、此但馬守ハ 将軍家御若年之頃より御兵法之御師範ニ被 召出、御打太刀ハ元茂公数年御勤被成候、年頃怠りなく御稽古有、其法の有所悉く伝させ給ひとも、宗矩ニハ及はせ玉ハす、常々御心を労し玉ふより外ハ、此上ハ只御心ニ自ら得させ玉ふより外ハ有へからす、去なから宗矩もむかし或師ニ附て禅を参し聊得る所有、我術少し進ミ候と覚へ候、不言之妙ニ至りてハ、禅をたとへて術を喩し候ニハしくへからすと被申上しかハ…以下略」p.385

 『肥前武道史』で黒木先生が述べられた「乱れ花押」の部分です。柳生但馬守宗矩は死期が迫っているために筆を取れないので村上傳右衛門が宗矩の手を取って花押を書かせています。
 他の文章の部分はしっかり書かれているので、最後の花押の部分だけが記されていなかったのでしょう。沢庵とのかかわりも記されています。
 また、ここにも鍋島元茂が3代将軍家光の打太刀を務めたと記されています。
 以上で鍋島元茂について終えます。次は小城藩二代藩主鍋島直能について『直能公御年譜』からみていきます。

DSC_4134a.jpg

  1. 2018/09/22(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 13

 寛永十一年 元茂33歳のときの話です。

 「元茂公、加藤勘助殿ゟ軍馬御相伝幷馬上条々大坪流奥秘迄不残御相伝相済候」

 鍋島元茂が修めた武術は新陰流だけでなく多岐にわたりますが、現代人も自動車の運転ができ、自動二輪に乗れる人もいると考えると、現代人もあながち劣りはしないと思います。
 車両の運転は武術ではないと思われますが、移動手段、運搬手段と考えると、馬術と変わらないものがあると思います。
DSC_4104a.jpg


  1. 2018/09/21(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 12

 寛永十年 元茂32歳のときの話です。

 「元茂公へ日置流雪荷射術、御家中ゟ数十人御入門申上る、何も誓紙有
  元茂公御一生武芸御達人ニ而御座候打ち、射術之義、余の御藝ゟハ御不得手の由、然乍馬上の御弓ハ勝レて御達者ニ而余人ハ中々不奉及由、兼而御馬御達者の故、騎射ハ格別ニ被遊と申傳候」

 全ての武芸に優れていても苦手なものがあったのでしょう。元茂は弓術は苦手であったようです。しかし、元茂は馬術が達者だったので騎射が得意だったということです。確かに馬に乗るのが下手であればいくら馬に乗らない状態での弓術が上手でも騎射はできないと思います。
 もし、元茂が馬に乗らない状態での弓術も得意であったとすれば騎射はもっと素晴らしいものであったのではないかと思います。
DSC_3771a.jpg

  1. 2018/09/20(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 11

 寛永六年 元茂28歳のときの話です。

 「今年、沢庵和尚配流武州東海寺、元茂公兵法ニ付而、兼而禅学之大意御聞被成候師也」p.125

  柳生但馬守宗矩とのつながりで沢庵和尚にも師事するようになったのだと思われます。禅の境地はどのようなものであったかは伺えません。沢庵和尚は臨済宗ですが鍋重元茂はじめ代々藩主の菩提寺は臨済宗ではなく黄檗宗です。なお、黄檗宗はもともと臨済宗で、当初は正統派の臨済禅を伝えるという意味で臨済正宗や臨済禅宗黄檗派を名乗っていたようです。

DSC_4450a.jpg
  1. 2018/09/19(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 10

 寛永六年 元茂28歳のときの話です。
 「今年、元茂公南蛮流短筒の砲術御相伝相澄候、免状
 
 鉄砲之根源可致傳授之胸、度々斯蒙芳名、不残心底尽書紙儲高覧也、若御家人等被仰知度於被思召ば、右致調進所巻々之打ち、従小短之巻・中短之巻拾弐長丁以下、以牛王宝印之裏全致他言他見間敷之旨、血判被仰付、翌日可有御教傳而已
    日東短筒元祖
      和田八左衛門尉
          平光吉判
 寛永六巳林鐘吉辰
    進上
     元茂公

 右之後、南蛮流短筒、御家中吉富五郎兵衛ニ御伝被遊」p.124

 短筒(拳銃)が戦場で用いる火縄銃とは別の独立した武術として存在しています。江戸時代初期には武術の細分化が始まっているのだと思います。鍋島元茂はこの免状を得ていますが、その後は家臣に伝えさせたのでしょうか。

DSC_3951a.jpg
  1. 2018/09/18(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 9

 同じく寛永五年 元茂27歳のときの話です。

 「十一月、元茂公より侍従様へ御書付を以被仰上候控
 内々存上條々
一 御家を寡被相抱義を被思召御分別候ハヽ、諸事共ニ可然候ハんと奉存候事
一 御国を御預り之国と被思召可然候する哉事
一 御家中の困窮、百姓のくたびれハ積而御身の上と可被思召上哉之事
一 縦理之前ニ候ても、家中・百姓窮鼠終候ハヽ、只御悪事之根源ニ而候ハん哉之事
一 縦御無理之義御座候共、不被思召寄間ハ、申出仁有かたく見及申候、事極り候ハぬ先ニ可被聞召付事、付 目附衆数多御座候へ共、分別之高下より御高量入可申事
一 右之通御座候条、天然御気任ニ成申と被思召、連々御心を以御心ニ御糾明可被遂候儀、専用存候事、
 已上
十一月七日」p.122

 これを読むと鍋島元茂は家臣や百姓に対する思いをもっています。しかし積極的にこれを守ろうとしたかどうかは読み取ることができません。

DSC_3950a.jpg
  1. 2018/09/17(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 8

 寛永五年 元茂27歳のときの話です。

 「五月十六日、元茂公 毛利甲斐守(長府 秀元)殿ゟ鉄砲之薬方御伝授ニ付御誓神被進候」
 「六月廿七日、元茂公、井上外記正継ゟ砲術八十五ヶ條御相伝相澄」p.121

 火薬の作り方と砲の扱い方は別の術ととらえられていたのでしょう。時代が下ると火薬を扱う鉄砲はやけどの元ともなり大けがもしかねないので比較的身分が低い者が扱いますが、この当時はまだ身分の高いものも銃砲を扱っていたようです。
DSC_3893a.jpg

  1. 2018/09/16(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 7

 元和9年 元茂22歳のときの話です。

 「元茂公御稽古有長刀之一流、飯篠長威より同若佐森・同山代守・穴澤浄見・同紹句相伝之極意免状・印可差上候

 夫長刀目録日者極意向上長刀迄相伝申、其頗透得兵法之工案、獅子洞出寅乱入、此ニ長刀吾家之至要也、然ば御執心之処不浅、不残伝授申処明白也、雖然以油断為敵、但以鍛錬得妙者也、以来執心申上輩於有之ば、堅以誓神可有御相伝者也、仍許状如件
          穴澤紹句
              現真印
 元和九年七月朔日
      鍋島紀伊守殿」p.88

 何歳から稽古を始めたかわかりませんが、22歳で穴澤流長刀(なぎなた)の修業を終えています。女性がなぎなたを用いるというのは幕末あたりからの風潮のようで、この頃はまだ、長刀は戦場の武器で男性が用いています。
 江戸時代後期には免許を授かるまでに、一般的に約10年の修業が必要ですが、江戸時代初期には数年で免許ということもよくありますので、22歳で免許というのはことさらに早いことでもないと思います。。

DSC_2136a_2018070711364460a.jpg
  1. 2018/09/15(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 6

 これも元和6年 元茂19歳のときの話です。

 「或時、家光公御稽古上りに但馬守殿に、紀州守(元茂)が太刀を其方無刀にて取事可成やと 上意有、御所望ニ付御立合い、但馬守 元茂公の御太刀を取て被懸御目、当時鍋島紀伊守か打ツ太刀を無刀にて取候者、今日本に但馬守ならて御座有ましと御申候由、然ハ宗矩の次にハ元茂公の外ハ天下に並ふ達人無りしと申伝候」p.74

 鍋島元茂が斬り込む太刀を無答で取ることができるのは柳生但馬守しかいないといっていて、したがって、鍋島元茂は柳生但馬守に次ぐ腕の持ち主であるといっています。これを読むと、自由に斬り、突きかかってもよいのかとも考えれらますが、太刀の動きの鋭さをいったものかもしれません。興味深い点です。

DSC_4191a.jpg
  1. 2018/09/14(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 5

「木村助九郎ハ真剣十本を無刀ニ而取之之由相聞へ紀州頼宣卿より五百石ニ而被召出、彼御家中と相成候」p.74

 真剣で斬り込んでいった打太刀がどこへでも、どのタイミングでも自由に斬り込むのを取ったのであれば素晴らしい業の持ち主であると思います。もしそうでないとしたら無刀で相手の刀を取る技そのものが珍しかったのかもしれません。もしその程度であったとすれば、それほどのことでもないように思います。

DSC_4198a.jpg
  1. 2018/09/13(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 4

 元和6年 公御年十九歳
 「家光公御兵法柳生但馬守宗矩師範之節、御打太刀ハ同門の高弟、元茂公と木村助九郎也、或時家光公より両人の御打太刀へ平法の勝利書立差上候様被仰出時、助九郎ゟは奉書紙三枚に書付差上候、元茂公よりハ、善ト思事悪シ、悪ト思事悪シ、善悪トモ悪シ、不思善シ、と御書付被差上候へハ、甚御感被遊候由、其後 家光公より、御持扇に平法の意味御書付被遊候を 元茂公へ被為拝領候、扨又右御太刀ニ付、元茂公御一生之間、八木千俵ツツ毎歳御拝領被成候」p.73

 いつも道場でお教えしていることと同じ考え方を鍋島元茂はもっていたようです。無念無想ということですが、技の上での無念無想ですので、宗教的な無念無想よりも良いかと思います。ただ、この出来事が元茂19歳のときであるというのが、元茂の非凡さを物語っています。
DSC_4132a.jpg

  1. 2018/09/12(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 3

 元和四年(1618)十月、数え年で十七歳のとき、元茂は柳生但馬守宗矩から免状を授かっている。
「今年十月、柳生又右衛門ゟ御兵法免状被差出 
依兵法御執心、新陰流上泉武蔵守相傳之通、其上親候は愚意心持被相傳極意之儀、付残申上候由、以起請文、手利釼迄免し候、御指南尤候、云々
元和四年午十月吉 柳生又右衛門尉宗矩
    鍋嶋三平殿
此後、神妙釼棒心西江水御相伝之免許等、段々被差出候」p.68

 入門から約二年の修業で手利釼までの伝授を許されています。「御指南尤候」とは指導の許しということでしょうか。江戸時代初期は免許皆伝までの期間が短い傾向にありますから、このように短期間で「御指南尤候」となったのもことさらに元茂に資質があったということではないと思います。私の道場にもかつて2年たらずの稽古で人の10年分以上の上達をした方がいます。

DSC_4272a.jpg
  1. 2018/09/11(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 2

元和2年(1616)  公御年十五歳
 「今年六月廿三日、三平様新陰流平法御入門、柳生又右衛門殿江御誓紙被成候、御打太刀ハ村上傳右衛門後宗傳と云・遠岳甚九郎後源右衛門と云 同時入門也」p.37

 村上傳右衛門は葉隠の口述者山本常朝の伯父ですが、佐嘉藩祖・鍋島直茂によって元茂の家臣として付属させられました。鍋島元茂が柳生但馬に入門するための布石となっていたといわれますが、『元茂公御年譜』には「同時入門也」と記されています。
 この当時、藩の存続をかけて色々な策略が用いられたと思いますので、何が真実であったかを判断するのは難しいと思います。
 
DSC_4106a.jpg
  1. 2018/09/10(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

鍋島元茂 1

 『元茂公御年譜』より武道に関する記述を抜きだしていきます。鍋島元茂は小城藩初代藩主で武術にたけた人物であり、特に新陰流は柳生但馬守宗矩の弟子で十兵衛の兄弟子、三代将軍徳川家光の稽古の際打太刀を務めた人物です。佐賀県立図書館発行の佐賀県近世史料第二編第一巻を用います。

 「公御聡明怜悧の御性質にて御一代文武の御執行厚く御多芸の御事常人の及び奉処に非ス、文学ハ長順を師とし給ひ、漢文章 易学御伝有、御能書にて筆道ハ藤木甲斐守、御兵法ハ柳生殿、御馬ハ上田殿、軍馬ハ加藤殿、御弓ハ中川氏、御鉄砲ハ井上殿、同薬方ハ毛利殿、短筒ハ和田殿、長刀ハ穴澤殿、組打ハ茨城殿、馬医ハ橋本氏、茶湯ハ玄端、御能ハ観世太夫、太鼓ハ服部氏、蹴鞠ハ飛鳥井殿、御鷹ハ荒井藤七入道、諸礼ハ武藤丹後森より御相伝、何も免状印可御取被成候付、御門弟も数百人に及へり、其外禅學ハ沢庵和尚、立花ハ池ノ坊、又音楽・連歌・医術迄委敷御極め被成候」p.6

 修めた分野は広く、いくら文武に時間がさけたとしても、修業は並大抵ではなかったと思います。武術だけでも剣術、馬術、弓術、砲術、長刀、組打と広範囲に及びます。しかし、現代人も劣っているかというとそうでもなく、これでいくと、私も剣術、居合、柔術、自動小銃、拳銃、銃剣、短剣が多少なりともつかえ、SAMの運用の知識もあります。馬術はしなくても【大型自動二輪、普通乗用車、大型特殊車】の免許があります。
 こう考えてしまうと、ことさら当時の人がすごかったわけでもなく、かける時間の問題だったような気もします。

DSC_3674a.jpg
  1. 2018/09/09(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

刃物

 最近刃物を利用した犯罪が良く起こるようになってしまいました。20年くらい前は今ほど刃物を使った犯罪がなかったか、あるいは報道されていないだけだったのかもしれません。その当時は柔術の稽古が実際に役にいたつことはないだろうと思っていました。
 さて、日本の柔術は基本的に素手対素手で戦うために教習体系が作られているわけではなく、特に澁川一流柔術は最終的に刃物に対することができる技術が習得できるように形が組み立てられています。刃物も短刀または懐剣、刀といった日本の伝統的な刃物に限られてはいます。 
 今は柔術も素手対素手で行う武道だったのであろうと一般的な方は考えますが、江戸時代に武士は刀を腰に差し、盗賊は刃物をもって押し入るので、素手と素手で戦いましょうという武道は不完全なものでしかありませんでした。素手対素手で行う武道というイメージができたのは講道館柔道が盛んになってからだと考えます。
 さて、このような時代になってしまったので、刃物に対する稽古をする澁川一流柔術は実用的な武道になってきました。素手と素手で稽古する形であっても、そのほとんどが、刃物に対する業として使えるようにできているからです。
 この実用的な澁川一流柔術をどのように広報して稽古していただく人を増やしていくかが今後の課題です。
DSC_4744a.jpg
  1. 2018/09/08(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

綺麗事

 動物の保護活動をされている方が記されたものにつぎのような記事がありました。要約させていただくと
「電話で話すと大体の覚悟も伝わります。エネルギーも伝わります。 堂々とした人、落ち着かない人、 嘘を言ってる人。
電話で、と言うと中々時間がなくてって。電話する時間も無いのに犬を飼えるんですか?質問だけでも丁寧にお答えしています。
一生を共にするのにメッセージやラインで済ますんですか?
文章ではどんな綺麗事も書けます。」

 本当にそうだと思います。実際に行動も伴わないのに文章の奇麗事で終わらせようとする世の中になってしまいました。行動するには労力も苦労も何もかもが伴ってきます。ましてや、その活動を自分と仲間との資金で行い、公共団体からの助成金という庶民からも吸い上げた血税を使わなければなおさらのことです。
 奇麗事を並べるのは血税を感謝の思いもなく使うために行われているようですが、きれいごとを並べる世の中から何が生まれるのでしょうか。行動よりも綺麗事を並べるほうが尊ばれる風潮があるように思います。針小棒大という言葉が尊ばれる時代でしょうか。


DSC_5623a.jpg


  1. 2018/09/07(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

男が男でなくなる時代

 インターネットの記事に「最新トレンドの1つが、「Masculinity Undone:脱・男らしさ」です。」とありました。また次のようにも語られています。「ビジュアルが世の中に与える影響は大きなものです。それを提供する会社としての責任を強く感じています。」
 その会社はそのトレンドにのってますます男が男でなくなることを助長していくということでしょう。
 
 最近は一部の若い男性は体力も女性に劣るようになってきたと言いますから、さもありなんですが、男が男であることを捨てれば、何かあった時にはどうするのでしょう。男が何かあった時に守るべきものを護ることがない社会。男は楽でいいですが、いまだに女性は自分が女性であることを武器にします。男は男でなく、女性は何かあった時には旧来の女性像をもちだす。
 やがては非常時には共倒れの社会がやってくるのだと思います。

DSC_5648a.jpg
  1. 2018/09/06(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

理解できない言葉

 日本には、私には理解できない言葉「想いにこたえる」というのも当たり前のように用いられるようになってきました。私にはかかわりがないことなので、この「想いにこたえる」ということの実態はわかりませんでしたが、どうやら「想いにこたえる」というのは言った人本人に対して行動するのではなく、その人の「想い」というものにこたえて行動するのだから、言った(想いをはなった)人間は、動いてくれた人に対して自分の為に動いてくれたと恩義を感じなくてもよいということらしいのです。
 人が自分の為に働いてくれた人に恩義を感じなくてもすむ人間になれる便利な言葉ですが、私には理解できませんし、理解したくもない言葉です。

DSC_5434a.jpg

  1. 2018/09/05(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

至誠に悖るなかりしか

 「至誠に悖るなかりしか」は海軍兵学校で教えられた五省の一つです。
 自分が誠に生きても、他者はこれを邪な心で邪魔しようとすることがあります。また、誠に生きてもこれを利用しようとする者もいます。そのなかで誠を守っていけるかどうか。幸いに私は守って来ることができましたが、私が行おうとすることを邪魔しようとした者や利用しようとした者は逆に恨みに思っていると思います。人の世とはそのようなもので、誠を守って生きていけば生きていくほど、悪くいう者も増えるのだと思います。

DSC_5070a.jpg
  1. 2018/09/04(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自己高揚

 インターネットに次のような記事がありました。古武道の稽古にもかかわることだと思いますので記録しておきます。古武道もある意味で瞑想を伴いますので、同じような危険性があると思います。
 救いは古武道は相手がいるので向上していけばいくだけ自分の未熟さが見えてくることにあります。また形稽古、手数の稽古を長く続けても自分の未熟さが見えてこず、逆に自信を持ってしまう人は手馴れただけで、真の上達はしておらず下記のような状態に陥っている可能性があります。
 危険なのは素抜き抜刀術のみを稽古している場合で、想定を自分の都合の良いように定めて抜いていれば下記の状態になる可能性があります。


 我(エゴ)を手放すことに役立つとされる瞑想やヨガを実践した結果、逆に「自分は平均よりも上だ」と感じる自己高揚の感覚が大きくなるという調査結果が発表されました。

Mind-body practices and the self: yoga and meditation do not quiet the ego, but instead boost self-enhancement - ePrints Soton
https://eprints.soton.ac.uk/420273/


Yoga and meditation boost your ego, say psychology researchers — Quartz
https://qz.com/1307380/yoga-and-meditation-boost-your-ego-say-psychology-researchers/


仏教では、瞑想を行うことは自我を乗り越えることに役立つと教えられますが、一方で心理学者のウィリアム・ジェームズは「何かのスキルを訓練することは自己高揚(self-enhancement)を助長する」と主張しています。この「自己高揚」とは、自分が自信があるものについて自惚れることを意味します。ドイツのマンハイム大学が行った研究でもジェームズの説を支持する研究結果が示されています。

DSC_3121a.jpg
  1. 2018/09/03(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

心の武道

 澁川一流柔術の師 畝重實先生は「心の武道」という言葉を用いられました。これは心のありようがそのまま技となって現れるといういみです。
 最も浅く考えてしまう方は技は手順であるとして、流派特有の動きも身につけずに手順を覚えただけで〇○流だと演武をします。
 浅い方は、見かけ上、流派の考えに基づいたような技をしますが、そこにはあまり心の働きはありません。
 よく理解している方は流派の考え方を身につけ、その上で技を行い、また心の働きが外に現れるのだということを理解し、自分の心のありようを考えます。この段階に至らなければ畝先生の言われた「心の武道」ではありません。
 同じ流派を稽古していても手順だけ覚えて、その流派を体得しているという人は私たちと同じ流派を稽古しているとは言えません。

DSC_5621a.jpg
  1. 2018/09/02(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

心と感情

 心と感情をごちゃまぜにしてしまうと稽古はなかなか進みません。
 自分の「心地よい」「楽しい」とか「不快だ」という感情を自分の心だと思い、自分の心地よさのみを求める方も世の中にはいます。そのような方に、「この方向性でなければ道を外れる」と指導しても、「こちらの道に戻りなさい」と指導しても、自分にとって間違った方法が心地よいのですから修正することはありません。感情の奥にある自分の心に向かい合う事がないので、自分の我儘な心を妨げられると自分が不快に感じているのだという事に気付くことはないのです。また、正しく導こうとする者がいても、自分の心地よい、楽しいという感情を妨げられるのですから、正しく導こうとする者はその人にとって、心地よい楽しい感情を妨げる嫌な人にしかなりません。正しく導こうとしても「人の気持ちがわかっていない」(実は自分の感情とは異なる方向に指導されているというだけですが・・・)という拒否反応を示すだけです。
 古武道の世界は感情ではなくその奥にある自分の心に向かい合わなければなりませんので、自分の至らないところがわかれば情けなくなり、自分が嫌になります。だからこそ向上していくことができます。快・不快という感情を優先している人はそのようなことには向かい合いたくはないのです。
 稽古する資質があるかどうかなのですが、自分の感情のままに「楽しさ」「心地よさ」のみを大切にする方には古武道は遠い存在なのだと思います。
DSC_5023a.jpg


 
  1. 2018/09/01(土) 21:25:00|
  2. 未分類

徒党を組む

 虚飾で小さなものを大きなもののように見せてそれを信じ込ませてお金を得る人たちは、同じような人たちをお互いに推薦し、宣伝し合って、さらに信じる人たちを増やしているという構図もあります。
 一度、ある人物を素晴らしいと信じた人が、その素晴らしいと信じた人物が徒党を組んでいる仲間内の他の人を推薦すると、その人は自分で判断することもなく(そもそも判断する能力がないので)容易に勧められた人を信じて、その人をさらに他の人に勧めていく。
 このようになったら、どうしようもありません。全く悪循環です。日本にはそのような人たちが増えてきました。そのような徒党を組んでいる人たちと私が接触させられた時が何回かあります。ほとんどの場合、そのような人たちはその場においても私から距離をおこうとします。本人は無意識な動きをしているのかもしれませんが、武道を稽古していれば見えるような動きです。自分たちの手法が通じないと思うのでしょう。

DSC_5540a.jpg
  1. 2018/08/31(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

虚飾

 自分の行動を過大に美化してインターネットに載せて、それを見る人も素晴らしいと思う時代です。実行できもしないのに絵に描いた餅で人を引き付けて素晴らしいと思わせ、実行できなくてもそれに応えなかった自治体や周囲が悪かったように思い込ませる、またそのように仕組んでおく。そしてそれを信じる。そういう時代になってきました。
 物を言わずに実行していても評価はされません。また、ものを言って、言った通りのことをするよりも、過大に飾り立てたことを言い、実行できたことが小さくても効果が絶大であったように宣伝すると、それを信じてしまう。そういう時代です。それを信じてしまうどころか、飾り立てた人物そのものを信じてしまう。
 いつからそのようになったのか記憶にありませんが、それとともに世界の中での日本の地位は落ちているように感じます。
 どう考えても自分が稼いだお金を用いたわけでもないのに、自分は何十か国も廻っていると宣伝して、それをビジネスのために利用する。しかも、それを子供の将来の糧になるといって講演して金儲けに利用する。簡単に物事を信じる人たちは、自分で判断することはせずに、インターネットに載っていることを信じ、子供たちに聞かせて喜び、良い話だったと信じる。
 直観で判断できると自信を持っている人達の多くが、実際は直観はではなく、すばらしい虚飾を見て信じていて、虚飾に騙されているにすぎません。
 古武道の世界も同じようになってきました。さて、どうすればよいのでしょうか。

DSC_3898a_2018082510013379f.jpg
  1. 2018/08/30(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

どの世界も同じ傾向にあるようです

 私の刀の内の一振を打ってくださった方のブログに共感できる事が記されていました。許可を得ているので最後に引用させていただきます。
 今の世の中は急速に「実」のない時代になってきました。何でも言葉によって真意を隠し、ごまかして美化し、いかにも内実が素晴らしいもののように見せかけてしまう。しかしそれは裏にある意図を隠すためであり、心、成長をうたいながら実際は金儲け、利己。問題は心をうたうところにあり、実際の目的がそこにないのですから、心が育つこともありませんし、心が通うこともありません。
 多くの人が、うわべの素晴らしさに心を奪われるようにもなってきました。それ故に「実」はなくてもよいのです。
 実際はたんに営利目的で観光客を呼び込むことに大きな目的があり、その目的のために「おもてなし」をうたった場合、いくら表面的に立派なおもてなしをしたとしても、心が先にあるわけではないので、いずれは観光客にわかってしまいます。あとから心を育てることは難しいのです。外国人を呼び込む場合も、はじめは心のない日本的な「おもてなし」に惑わされたとしても何度も訪れる内にわかってしまいます。
 大切なのは心を育てることを第一とすることです。心のないビジネスとしての「おもてなし」ではなく本当の「おもてなし」の心を先に養うことです。
 実際は助成金を得たり、自分の名を挙げる為であるのに「地域のため」「子供たちの将来のため」「老人の生きがいのため」とうたえば、助成金も得ることができ、助成金による活動によって自分の名もあがりますが、それによって地域がどうなるか・・・。その子供たちが将来どのような大人へと成長していくのか・・・。まだ心が育っていない子供たちはそのような大人に知らず知らずのうちに影響を受けて、大きくなります。そしてお飾りの美辞麗句を掲げ、同じようなことを繰り返す大人へ成長していく。地域も一時的には活性化しますが、目的は一時的に活性化してしまう事にあるので、長い目で見れば祭のあとの・・・。
 
 師は「昔は物事の本質がわかる人が100人、わからぬ人が100人と言ったけれど、今はわかる人は1人でわからない人が99人」と言われたことがあります。そのような時代になってしまったので美辞麗句に「実」があるのか、ないのかを判断できる人は少なく、美辞麗句をたくさん言った方を素晴らしいと感じてしまうのだと思います。本質を見ることができる力があれば、そのようなことは起こらないのですが、本質を見る力がないので、表面的な優しさ、美辞麗句、行動を真実だと思い込み、その奥は見ようともしません。
 我々がなさねばならぬことは武道を通じて本質を見る力を育てること。これは大人に対しても同じことです。大人が育たなければ子供は育つことがありませんし、大人が本質を理解できないのに、子供に成長しろと言っても道を間違わせるだけです。

 海外の門人を教えている中で、日本人は本来持っていたものを失いつつある、失ってしまった人の比率が高いのだと感じざるを得ません。私が日本的な心だと教えられてきたものは外国人のほうが持っているのを感じます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今の世の中は、嘘でも何でも言った者が成功します。
何故なら、買う方は分からないから、、、
嘆かわしい。
・・・中略・・・
分かる人が居ない。それは、無法地帯です。
北斗の拳のヒャハ〜モヒカンの世界と同じです。
悪い刀を真面目な作品です。と高額請求。
へんちくりんな小物を、玉鋼は良く切れまっせ〜。
と買い手の心理を操作して虚偽販売。
知らぬが仏。買う側も良し悪しが分からないので、鵜呑みにして満足してしまいます。
すでに、そうなりつつあるのです。
厄介な事に、売り手も分からなくなっている場合もあり、悪意なく、高額で売っている場合が殆どではないでしょうか。
そして生き残るのは、ビジネス刀匠だけです。
ネガティブなブログ内容が多いのは、それだけこの業界の先行きが暗いからです。
私が望むのは、日本人としての自覚の復活です。
今、自分が生きているのはご先祖様のおかげです。
その誇りのシンボルが刀です。
ですから、刀を正しいポジションに戻して、日本人として、誇りを持って刀を所持して頂く事です。
そこに、ビジネスを挟んで貰いたくない。
職人も、ビジネスでやらず、真っ当にして貰いたい。
それでダメなら、滅びましょう。見世物に成り下がって何のプライドか。
ビジネスとは、商売人のやる事です。

DSC_3895a.jpg
  1. 2018/08/29(水) 09:21:25|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

講演・セミナー

東京であるレストランに入った時に、大きなテーブルを囲んだ知的なグループが食事をしていました。話のレベルが高いので大学関係者か博物館等の関係者のグループかと思いました。テーブルが近いうえに声が大きいのでどうしても聞こえてくるのです。そのうち、講演やセミナーでお金を得て暮らしている人たちのことについて話しだされました。要約すると、

 講演やセミナーでお金を得て暮らす者たちは、まず本を書く。その本も自分で調べたり研究した成果ではなく、多読して、そこから得た知識で、大衆に受け入れられやすいように言葉を変え本を書く。そしてその本を出版することによって次のステップとして講演やセミナーを開く。たいした中身はないんだよ。それでも、それに引きつけられる人たちがいて集金できるようになっている。

 というものでした。なるほどと思いました。一般の世界でも、そのような者に引き付けられる人たちがいます。武道の世界でも、信頼できない人物が海外向けに海外受けする英文の本を書いて海外中心に教える人もいました。

DSC_3889a.jpg
  1. 2018/08/28(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

専門

 一つのことを専門に研究した方はその専門領域の周辺にも詳しくなっていきます。掘り下げようとすればするほど、周辺の知識も必要になってくるからです。
 しかしながら、これまで接してきた素晴らしい業績がある先生方はたとえ知っていたとしても専門外のことをことさらに自分の知識として話されることはありませんでした。専門に研究されていればいるほど、研究が深ければ深いほど、専門に研究することの大変さを知っておられるからです。
 私に弓術のことを聞かれても、多少の知識はあっても語ることはしませんし、長巻の使用法について聞かれても、そもそも長巻そのものを稽古したことがないので語ることはありません。また、自分が稽古する流派の中に槍や長刀、鎖鎌や棒、十手や分童などがあってもあくまでも自流派の中での使いようであって、他流派について聞かれても答えることはできません。
 ただ、世の中には自分の専門でもない事を得々と語り、それをお金にしている輩もいるようです。専門ではないので深い知識もなく発言に責任も持てないにもかかわらず、SNSや会話での美辞麗句で自画自賛し取り巻きを作り、いかにもと思わせて集客する。そのような手口に惑わされる方も多いのですから、人をだますことは意外と簡単な事なのかもしれません。
 私たちは人物を判断するとき、専門外でない事を得々と語っているかどうかを判断材料とすることはできると思います。

DSC_3888a.jpg
  1. 2018/08/27(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

澁川一流柔術の特徴 3

 澁川一流柔術の稽古は素手と素手で稽古するだけでなく、六尺棒や半棒、十手、分童、鎖鎌など稽古に用いる武器の種類が多く、多様な稽古をすることすることで自分の心や体の動きに偏りを知ることができます。
 
 いくつか澁川一流柔術の特徴を述べ、そこから学べることを述べてきました。澁川一流を稽古することによって、他者を大切にする心を育て、健康を保ち、外傷を防ぐ方法を身につけ、心身のバランスのとれた発達を促すことができます。

DSC_1316あ
  1. 2018/08/26(日) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

澁川一流柔術の特徴 2

 澁川一流柔術の稽古は相手をいたわりながら稽古するため怪我をすることはありませんが、関節をきめ、抑えるため受を取る者には適度な体へのストレッチ効果があります。また、投げ技に対する受身は手で床を強く叩くことなく柔らかに衝撃を吸収する方法を身につけますので、畳の上ではなく小石が転がるような場所で転倒しても体を痛めることがない受身を身につけることができます。

DSC_4543a.jpg


  1. 2018/08/25(土) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

澁川一流柔術の特徴 1

 澁川一流柔術の稽古は直接相手と接触するため、相手をいたわりながら稽古することが大前提となります。決して稽古相手を痛めることがあってはならないのです。師は関節をきめられるときも、抑えられるときも痛みを与えられることはなく、全て動けない状態にされていました。
 さて、このような大前提で稽古しますから、相手の心身の状態を感じられるように動きは繊細で優しくなければなりません。相手の状態を常に感じながら稽古していきます。
 
DSC_3641a.jpg
  1. 2018/08/24(金) 21:25:00|
  2. 柔術 総論
次のページ

FC2カウンター


無料カウンター

プロフィール

貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

カテゴリー

ブログ内検索

リンク

このブログをリンクに追加する

最近の記事

月別アーカイブ