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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

ぶれない

 上達してくると自分の中心が定まり動きにぶれが生じなくなります。
 それまでは外側ばかりが働いているので自分の中心の感覚がなく、すべての動きを外側から作っていこうとしてしまいます。形の手順を覚えたというレベルはここなのですが、形の手順を覚えてもなおかつ、その手順をしっかりしたものにしていこうと考えてしまったら道をそれてしまいます。外側のみをしっかりさせようとしますので、決まった手順でしか動けなくなりますし、外側ばかりを作るので体の中心で動くことはできず、中心という感覚を養うことができなくなります。自分ではぶれていないと思ってもブレさせないように固めた動きになっているにすぎません。
 体が手順を覚えたら、手順は忘れて己の内なる働きを求める稽古をすれば上達はすみやかです。

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  1. 2018/12/29(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

年数ではなく

 稽古を重ねることは上達のために最も大切なことですが、ただ稽古年数が長いだけでは本当に上達していくことは困難です。
 必要なのは気付きです。自分自身が変化しなければ上達していきませんが、自分自身の心と体の状態にきづけているかどうかが大切です。それは内なるものであって、形の手順をたくさん覚えたということとは異なります。自分の状態を細部に至るまで理解し、どこに躓きがあるのか、どこが自分の上達を阻害しているのかに気付けばそこを変えていくことができます。気付かなければ同じことを繰り返しているだけになってしまいます。
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  1. 2018/12/18(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分の変化を楽しむ

 古武道を稽古している方の多くは初めは何か新しいことを身につけようとして稽古します。自分が持っていないものを身につけて自分が広がっていくというイメージです。
 しかし、しばらく稽古を続けていくうちに新たなものを身につけていくというよりも自分自身が変化することによって、これまでできなかったことができるようになるのが分かり始めます。ここまで到達すると、自分の変化を楽しむことができるようになり、稽古が楽しくなってきます。ほんのわずかな変化が楽しめるようになってくるのです。そのような感覚をもてるようになった人は上達し続けます。
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  1. 2018/12/17(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

形は続けて稽古する

 初心者であっても形・手数の手順を覚え、理が理解できたら一つ一つの形・手数を続けて稽古しなければなりません。例えば大森流であれば大森流の手順を一通り覚え、動けずとも理がわかったら続けて動くことによって、その理を体得していきます。たとえば大森流では初発刀、左刀、右刀、当刀を続けることによって抜き付け時の体の開きの理が体得できさらに陰陽進退を続けることによって抜き付け後の固まらない自由な状態である理が体得できさらに・・・と続きます。大石神影流も陽之表、陽之裏、三學圓之太刀それぞれの手数のグループが続けることによって理を体得させるように組み立てられています。
 一つ一つ区切って稽古するのは指導者が誤りを正し工夫することを指示した時、また一人稽古で質を高めようとするときに行うようにしてください。

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  1. 2018/12/16(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

ゆっくり動いて確認

 無雙神傳英信流抜刀兵法で上達して初心の頃と比べるとはるかにスムーズに速く動けると感じるようになった時、自分の動きがいい加減で雑なので速く動けるように錯覚しているのか、本当に上達しているのかを確認する方法があります。それはゆっくり動くことです。ゆっくり動いて、それでもなおかつスムーズに動けていればよし、もしごつごつと動きにぶつかる所や滞るところがあれば、たんに雑なだけだとわかります。
 試みてください。

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  1. 2018/12/15(土) 21:25:00|
  2. 居合 業

終始一貫

 自分で言い出したことがころころ変わってしまうのは誠がないからなのですが、言い出した事が他者に影響を及ぼすことであったら、ころころと言うことが変わって良いわけはありません。
 他者に影響を与えるのに言うことが変わるのは自分の都合しか考えていないからです。古武道を稽古するのは、心の稽古、倫理観の稽古でもあるので、稽古する方は自分が言い出した事を自己中心的な考え方でかえて、他者に迷惑をかけることは絶対にしてはなりません。
 終始一貫でなければなりません。

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  1. 2018/12/14(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

この場限りの稽古

 形稽古は、その場一度限りの稽古だと覚悟を決めなければ上達できません。一度目に失敗しても次に正せばよいという考えをもてば私たちの稽古している古武道では上達はできなくなってしまいます。
 私たちが稽古しているのは形を見事に使うためではなく、形を通じて上達するためです。一度しかない場で如何に自由に働けるかを稽古しています。二度目がある、次に正せばよいという思いは、今回は駄目でも次があるというゲーム感覚を身につけさせます。
 私たちが稽古していることを用いなければならない場があったとすれば、一度限りで次はない場なのです。

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  1. 2018/12/13(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

現代武道の経験

 古武道の稽古をはじめてみようという方の中には「剣道や柔道の経験はないのですが、大丈夫でしょうか。」と質問される方がおられます。古武道は現代武道の経験者が稽古する者だという思い込みがあるようなのです。
 現代武道は競技として発達していますので、それぞれの種目に特化した特別な体の用い様をします。一方古武道は基本的に全てのことがこなせなければならない前提で組み立てられています。
 槍を落とした、槍が折れたとき、刀は使えないとは言えません。刀が折れた、落したときに、素手では戦えないとは言えません。槍術、剣術、柔術、棒術と分化している流派であっても、全てに通じる体の用い方を稽古しなければなりません。
 そういう意味で一つの競技に特化した体の用い方をする現代武道の経験は、古武道の稽古にマイナスの部分も大きく存在するのです。そしてそこを払拭するために長い時間を要することもあります。古武道の稽古を始めるにあたって現代武道の経験は必要ないといえます。

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  1. 2018/12/12(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

護る

 いわれのない暴力から人を護るために自分を犠牲にすることは非常に尊いことです。実際にそのようなことも少なからず起こっています。
 しかし、残念なことに正しい心があるだけでは人を守ることはできず、暴力を正しい言葉によって抑えられることも稀です。そこには相手の状況を冷静に判断できる心と、暴力を抑えるための術が必要になります。澁川一流柔術は素手対素手の喧嘩の技術ではなく、相手が刃物を手にしたときに、これを抑える技を習得することを主な目的として術技が構成されています。
 江戸時代の武士の「一生の間にあるかないかわからぬことのために稽古する」という文を読んだことがありますが、身につけていればよかったと後から考えても遅いものです。
 師の畝重實先生は「役に立つかどうかは別にしてあれば心強いもの」と話されていました。

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  1. 2018/12/11(火) 21:25:00|
  2. 柔術 総論

あんな動きを真剣でできるはずはない

 貫汪館の演武の写真を良く撮ってくださる方が演武の時に聞いた話です。私の写真を撮っているときに近くにいた方が「あんな動きを真剣でできるはずはない。」と話されていたそうです。いつも写真を撮ってくれている方は私が演武に何時も長めの真剣を使っていることを知っており、私の真剣が先重であることも知っているので面白いことを話されるなとおもったそうです。
 そのように話された方は、一応刀を持ったことがあるのでしょうが、私の長めの刀が軽く動くので舞か何かで用いる軽い模造刀だと思われたようです。現代剣道で用いる竹刀の長さの刀は使えないものという考え方もあるくらいですから、確かに流派によっては使い方が異なるのでそのように見えるのかもしれません。ただ私たちの流派では長めの刀を用いますし、長めの刀で「抜き付け」を行います。それはそのような遣い方を稽古によって身につけるからです。
 貫汪館で稽古する方は自分たちの基準で他の流派を判断することはしないでください。

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  1. 2018/12/10(月) 21:25:00|
  2. 居合 業

積み重ね

 稽古量はごまかすことができません。技術は拙くても稽古していることは見て取ることができますし、たとえ器用であっても稽古量はそれほどでもない事は見えてしまいます。
 週に1回の稽古であっても余裕があるときに週に2回稽古する心がけがある方と、週に1回だけと決めている人ではおのずと差が開いてきますし、今は稽古を頻繁にできる状況になくても、かつてしっかり稽古した方は基盤があるので上達していきます。

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  1. 2018/12/09(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

親指

 刀の保持においても素手の時の柔術の手の内の働きでも親指は重要な働きをします。親指が生きていなければ刀は活きず、親指が生きていなければ、相手に自分の動きが通りません。
 微細な動きなのですが、果たす役割は重要です。工夫してください。

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  1. 2018/12/08(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

礼法

 礼法も流派によって異なります。澁川一流柔術では蹲踞礼を行いしかも両拳を床につけます。まるで相撲のような礼をしますので、初心者の方はずいぶん戸惑うようです。
 礼法も流派によってさまざまで居合に蹲踞をする流派もありました。片膝だけを床につけて礼を行う流派もありますし、本当に様々です。
 無雙神傳英信流抜刀兵法の袴捌は多くの流派から見れば特殊なもののようですが、実はこの袴捌の中に上達のための稽古が隠されています。
 稽古される方は、絶対というものはないのだと考えてください。

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  1. 2018/12/07(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

ゆっくり稽古する

 無雙神傳英信流の素抜き抜刀術は一人稽古であるため己を知るのにたいへん有益な稽古です。
 自分の動きを知り、自分の心と体の歪みを正すためには普段よりゆっくり稽古する必要があります。ゆっくり稽古することによって自分の体のどこに、いつ、無理無駄な動きがあるか、どこで心の偏りや力みがあるのかがはっきりわかってきます。わかったらゆっくりとそれを正し、普段の稽古にいかしてください。

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  1. 2018/12/06(木) 21:25:00|
  2. 居合 業

相手がいない

 素抜き抜刀術の稽古では想定が生きていない場合があり、自分勝手に想定している場合がよくありますが、このような稽古を続けてしまうと、太刀打や詰合の稽古をしても一見流れがあるように見えながら、相手にお構いなしにただ自分のペースで動き続けていることがあります。何とか形になっているのは相手が応じて動けているだけですので、十分に自分が何をしているかを反省しなければなりません。

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  1. 2018/12/05(水) 21:25:00|
  2. 居合 業

何をしていても稽古にはなる

 居合の師匠が良く話されていましたが、稽古に来る時に自動車の運転を心静かに焦らずに落ち着いてしてくればすでに道場に入る前から心が整っているので、稽古することはすべて身につく、反対にいらいらと焦って運転してくれば心が落ちつかないので、なかなか稽古にはならない。
 これは稽古前だけのことですが、すべてのことは稽古になります。むしろ武道の稽古と日常生活を切り離して考えることの方が違和感を覚えるようになると思います。自動車の運転もそうですし、いつもの歩行や歯磨きの動きすら稽古となります。心の稽古は言うまでもないことで、日常生活において、周りに気を配りながら心を乱さないことが一番の稽古です。
 心がけ次第で稽古時間はいくらでも持つことができるものです。

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  1. 2018/12/04(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

覚えたら忘れる

 初心者の方にとって形・手数の手順を覚えることは難しく思われるかもしれませんが、手順は何度も稽古しているうちに体が覚えてしまいます。
 体が覚えない方はいつまでたっても頭の中で手順を考えながら稽古しているからで「次はこう、次はこう。相手がこうくるはずだから次はこう動き・・・」と考えながら稽古しているためです。そのような稽古をしていたら自由になれる筈もなく、武道としての上達はありません。形や手数で相手が変わり、身長や体重、手の長さ足の長さが違う相手に対して、自分が覚えた手順を相手にお構いなしに繰り返しているのですから自由にはなれないのです。
 本当の稽古を重ねていれば、たとえ相手が間違えた動きをしても、自分はそれに応じることができるようになるものです。

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  1. 2018/12/03(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

簡単に見えるものほど難しい

 一見簡単に見えるものほど、その実、難しいという事はよくあります。大石神影流の鞘の内の手数は非常にシンプルですが、本気で稽古すると自分自身の粗が良く見えてしまい、情けなくなってしまいます。また大森流の初発刀や、英信流表の横雲などシンプルであるがゆえに妥協は許されないので難しいものです。
 初心者の方にはシンプルなものは簡単だと見えてしまいますが、そこを過ぎてしまえば難しさがわかるようになります。

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  1. 2018/12/02(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

さらに奥

 私たちは古武道の流派の稽古をしていますので、〇〇理論とかを新たに作り出すわけではなく、また進化発展して〇〇理論から△△理論が生まれるわけではありません。流派をつないでこられた先生方が稽古されたことを稽古させていただいています。〇〇理論などというものが生まれてくる余地はありませんし、中途半端な理解でそのようなものが生まれてくるとしたら稽古しなくてはならないものが理解できていないがゆえに自己に都合の良いように改変している可能性を疑わなければなりません。
 さて、私たちは稽古しているうちに理解できた体得できたと思う時があります。そのときにその時点で安心してしまうと上達は止まってしまいます。実はその奥、さらにまたその奥と果てしなく奥があるのです。その奥を求めることなしに分かったと思ってしまったら、後進に簡単に追い抜かされてしまいます。求め続けてください。

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  1. 2018/12/01(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

形の理を知る

 打太刀、受は通常、師や上位者が行います(下位者が打太刀や受の稽古をする場合は別として)。形はある意味約束事の上に成り立っています。したがって打太刀や受を行う者はその理をよく知ったうえで仕太刀や捕を導くように動く必要があります。単なる負け役とは異なります。
 たとえ長い年月稽古したとしても、理をよく知らないものが打太刀や受を行うと仕太刀や捕が上達しないだけではなく、理を体で覚えることもできず、たんに手順を繰り返しているにすぎなくなり、形稽古をしたばかりに不自由な動きが身についてしまったという事にもなりかねません。数年稽古していても理がよく理解できていない方は師に尋ねてください。

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  1. 2018/11/30(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

習得する

 大切なことの指導を受けたら、少なくとも次回の稽古までには習得して臨もうとする心構えが必要です。そのような覚悟があれば完全には習得できていなくても、その方向で努力していることは表にあらわれます。
 しかし、大切なことの指導をうけても、そのうちにと考えている方は、不思議なもので次の稽古の時には、できないのではなく、していないのだという事が見て取れます。
 習得しようとしている方の上達はすみやかですし、そのうちにと考えている方の上達は、その程度ででしかありません。

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  1. 2018/11/29(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

気が利かない

 「気が利かない」というのは、ある状況の中で、当然そのように動くべきことが出来ない場合に使われます。
 それはこうしたらこうなる、こうしなかったら、こうなってしまうという事を考えていないからです。ある意味、武道においては致命的な欠点です。しつけられて、パターン通りに動くことはができるのは当然ですが、流動する状況の中で判断する必要があります。一度でも「気が利かない」と言われたことがある方は、周りをしっかり見て、どう動かなければならないかを判断して行動してください。周りが見えていなければ、武道を稽古しているのではなく、決まりきったことだけを身につけようとしていることになります。それでは武道を稽古しているとは言えません。
 自分が常日頃、どのように動いているかを確認してください。

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  1. 2018/11/28(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

指導の真意を考える

 一言指導すればすべてが変わっていく方と、一言で足りず10も20も教えて初めて伝えたいことの半分くらい理解する方がいます。
 たとえば柔術の稽古をしていて「腰が高い」と指導した時に、その指導の意味は何かを考え「膝で相手を抑えているのだから、この指導は自分がつっ立っていて相手の胸に重さがかかっていないという事だ。」とすみやかに理解できる人は上達しますが、たんに腰の位置を下げるだけの人はなかなか上達しません。何も求めておらずただ指示を待っているからです。
 何をすべきか、何をしなければならないのかという事がわかっていれば一言の指導で上達していきます。

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  1. 2018/11/27(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

覚悟

 貫汪館の古武道の動きを稽古し続けて動きはずいぶんよくなっている方にどうしても身につけていただかなければならないのは覚悟です。これがなければ武道ではないと言ってもよいと思います。
 簡単に言えば事を行う時に自分の命を投げ出せるかどうかという問題です。人を相手にしているのが武道です。問題がこじれてしまえば当然そのような事態になることを覚悟していなければなりません。また、何かを守ろうとするときには、そのような事態になることを覚悟していなければ守ることもできません。いかに上手に技が使えても、この覚悟がなければ武道にはなりません。また、覚悟がない人はいかに上手に演武してもそれが見えてしまいます。見る人が見ればいかに上手に動いていても、武道ではなく武道に似ている運動をしているにすぎないことを見て取られます。
 覚悟を持って稽古しているかどうか、自分に問うてください。

  1. 2018/11/26(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

手の内の稽古

 初心者の方は、どうしても刀の柄を握りしめようとしてしまい4指を深くかけてしまいます。これは柔術の稽古をしても同じ状態になります。
 初心者の方は刀の柄を握りしめないように4指を浅くかけなおかつ、できるだけ人差し指と中指は使わないようにし、親指は生きているようにしてください。そのような状態で刀を振ると、刀が手の中からすっぽ抜けてしまうと思われるかもしれませんが、そこから上達が始まります。柔術の手の内はその応用であると考えてください。

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  1. 2018/11/25(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

時代による変遷

 江戸時代或いは室町時代に起こった流派であっても、それが実用であった時代にはその時代に応じたように変化していくのが自然なことです。現代の古武道が文化としての伝統を守ろうとするのとは異なっています。
 ある流派の先生が、流派の歴史はとても古いけれども、幕末といった時代に応じた変化をしてると述べられていました。それが自然なのだと思います。戦国時代に起こった流派だからと言って、その時代の世の中の状況にあったままの状態を維持していただけでは幕末に銃を用いた中での白兵戦には不向きであったでしょうし、対応も難しかったでしょう。
 時代に応じた変化を記した流派もあるかもしれませんし、記していない流派もあるかもしれません。他流派の演武を拝見するときには自分の知識にのみ基づいた見方をしては間違えてしまいます。
 話は外れますが、戦場で白兵戦を体験された兄弟子が、正面に斬りつけても、ヘルメットがあるために不十分、袈裟に斬りつけても相手が厳寒用のぶ厚い綿入れを着ていた場合には効果がない。ヘルメット下の横面か突きと話されたことを覚えています。

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  1. 2018/11/24(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

素直さ

 最近初心者の外国人を教えていますが、物事を習うのには素直さが大切だと感じてしまいます。その人はこれまで、武道を何も稽古したことがなく、習うことすべてが新しいのだと話されますが、何もないので教えたことを素直に受け取ろうとされるのです。
 下手に現代武道の経験があったり、自分自身の武道に対するイメージが強かったりすると、習ったことがそのまま身につかず、自分自身の思いに基づいて身につけようとしてしまうので、歪んだものが身についてしまう事が多く、それを修正するために余計に習得するための時間がかかってしまいます。
 何か知っていたり、身につけている方も新たなことを習うには素直に真っ白になって始めるほうが早道なのだと思います。

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  1. 2018/11/23(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

流派を身につける

 世の中には器用な方もおり、普通では考えられないくらいの多くの柔術流派、剣術流派を身につけているとする人もいますが、近い関係にある流派であればそのようなことも可能かもしれませんが、立ち位置が異なる流派を身につけるにはいくつもの考え方、流派ごとの遣い方を身につける必要があります。そうでなければ、たんに動きをなぞっているにすぎません。多数の柔術流派を同時に修業したり、多数の剣術流派を同時に修行するのは非常に困難なのです。
 登る道は異なっていてもたどり着く場所は同じという言葉があるのは、それだけ方法論が異なるからです。一度たどり着いた人が上から下を眺めればいくつもの道があるのがわかるでしょうが、たどり着いていないのに同時にいくつもの道を歩くのは難しいとしか言えません。
 そのような理由からも、貫汪館では他流派を稽古されている方の入門は特別な事由がなければお断りしています。

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  1. 2018/11/22(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

座り方

 歩み方について述べましたが、座り方でも、その人がどのような思いで稽古しているのかが分かります。現代武道は明治以降の国民皆兵の基本教練の影響を受け、姿勢もそのようになるのは当然のことです。国民皆兵とは全く関係のない現在の教育現場でも、授業の開始や終了時に「起立、気を付け、礼」は行われており、幼稚園児に「良い姿勢」と言ったら、背筋をピンと伸ばす軍隊式の姿勢をとります。
 一方、古武道では、少なくとも貫汪館ではその技の特性から座り方が、背筋をぴんと伸ばして重心を胸にまで上げてという事はしません。重心は床の下に落ちているかの如く体は緩め、作るのではなく天と地はつながります。常に稽古の時にお教えしている通りです。
 この思いが異なると貫汪館では上達していけません。

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  1. 2018/11/21(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

歩み方

 少なくとも演武場に出るときのその人の歩み方を見れば、その人がどのような思いで武道を稽古しているかが分かります。
 貫汪館では居合、柔術、剣術を併修していますが、居合はいついかなる時でも何かあった場合に対応する技を身につけなければならず、貫汪館で稽古する柔術の形にもそのような心構えを必要とする形があり、剣術にも鞘の内の手数があります。心掛けている方は、そのような歩み方をしますし、そうでない方はそれなりの歩み方しかしていません。

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  1. 2018/11/20(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

自分を捨てる

 上達しようとしたら自分を捨てなければなりません。自分の想いを先に立て、流派の形だけを身につけようとしても身につくことはありません。流派にはそれぞれの考え方があり、それは個人をこえたものであり、その流派の持つ考え方を身につけず手順のみ覚えても、流派を身につけたことにはならないからです。
 流派の外形ができても、その流派を体得しているとは言えず、むしろ、覚えている形数は少なくても流派の考え方に随って従って稽古している初心者の方が流派の修行者ということができます。流派の考え方を身につけようとする人は形の覚えは遅くてもやがて成就しますが、流派の考え方を身につけず、ただ自分の考えに基づいて手順を覚える方は流派の習得は難しいかもしれません。

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  1. 2018/11/19(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論
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貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)

Author:貫汪館館長(無雙神傳英信流 大石神影流 澁川一流)
無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術 貫汪館の道標へようこそ!
連絡先は貫汪館ホームページで御確認ください。

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