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無双神伝英信流 大石神影流 渋川一流 ・・・ 道標(みちしるべ)

無雙神傳英信流抜刀兵法、大石神影流剣術、澁川一流柔術を貫汪館で稽古する人のために

意思表示

 指導していて一番困るのが、指導を受ける方が意思表示をしないことです。私が指導していることがわかっていてできないのか、わからずにできないのかでは大きな違いがあります。
 私が話す内容が理解できない場合には「~ことですか?」とか「こうすればよいでしょうか?」というように確認していただければ指導がしやすく思います。
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  1. 2020/09/25(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 12

4.遊学生を有する流派
 石井寿吉の『英名録』には他藩からの遊学生を有する流派の記述がある。柳河藩では大石神影流をはじめとして抜討流,新陰流,家川念流に他藩からの遊学生がいるが,抜討流,新陰流,家川念流は早くから大石神影流の影響を受けて防具着用の剣術の稽古を行っていたと考えられる。久留米藩の真神陰流,浅山一傳流,直心影流にも他藩からの遊学生がおり,これらの流派も早くから防具着用の剣術の稽古を行っていた流派である。また大村藩や周防海北学文堂の神道無念流にも遊学生がいる。
 防具着用の剣術の稽古を先進的に行っていた藩や流派に遊学生が多くいたと考えられる。



本発表に当っては次の方々に御指導とご協力を賜りました。

石井寿吉のご子孫石井秀隣様
広島県立文書館 西村晃様
高鍋町歴史総合資料館の皆さま

 心より御礼申しあげます。




1)石井秀隣:曾祖父石井壽吉隣忠について,史友会報,第48号,pp.38-40,2013
2)宮崎県立図書館:宮崎県史料 第四巻 高鍋藩 続本藩実録(下),宮崎県立図書館,東京都,p.490,1978
  諸国門人姓名録,大石家所蔵
3)免状,石井家文書
  大石神影流剣術陰之巻,石井家所蔵
4)文部省編:日本教育史資料 参,文部省,pp.256-257,1890
5)安田尚義:高鍋藩史話,鉱脈社,宮崎県:p.297,1998
6)同上,pp.260-261
7)同上,pp.266-267
8)同上,pp.260-261
9)2)に同じ
10)森本邦生:『大嶋流槍術師範 加藤善右衛門 『旅弟子姓名録』についての考察』,日本武道学会第 41 回大会発表資料,2008
11)大石家文書,『諸国門人姓名録』
12)高鍋町立図書館所蔵『高鍋藩 続々本藩実録 巻之六』pp.23-25
13)西米良村史編さん委員会:西米良村史,西米良村役場,東京都,p.241,1973
14)5)に同じ,p.383
15)氷見市教育委員会所蔵斎藤家文書の『脩行中諸藩芳名録』の嘉永2年5月の記録に長崎の武信流に村井 嘉作の名がある。
16)11)に同じ
17)11)に同じ
18)森本邦生:『樋口真吉 第一回廻国修行日記について―大石神影流の土佐への伝播―』,日本武道学会第42回大会発表資料,2009
19)森本邦生:『土佐藩大石神影流 樋口真吉の廻国修行について―嘉永5年の廻国修行を中心として―』,日本武道学会第44回大会発表資料,2011
20) 11)に同じ
21) 11)に同じ
22)森本邦生,『高槻藩士藤井又一の槍術修行について―柳河藩伝大嶋流槍術の高槻藩への伝播―』,日本武道学会第43回大会発表資料,2010
23)氷見市教育委員会所蔵,『諸州修行英名録』
24)11)に同じ
25)10)に同じ
26)5)に同じ
27)柿原宗敬(柿原篤次郎)から石井守隣(石井寿吉の長男)にあてた明治33年2月の伝書に記載。中元寺勇己ははじめ中元寺勇と名乗る。
28)森本邦生,『土佐藩 武市半平太の廻国修行について』,平成23年度日本武道学会中四国支部会発表資料,2011
29)森本邦生、『土佐藩大石神影流樋口真吉の廻国修行について‐嘉永5年の廻国修行を中心として‐』
  日本武道学会第44回大会発表資料,2011 
30)榎本鐘司, 渡辺一郎, 中林信二:『講武所』の研究―その使命と武芸に与えた影響―,武道学研究,8 (2):71-73,1976.
  1. 2020/09/24(木) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 11

3.流派名・師範名の記載がない藩
 石井寿吉の『英名録』には嘉永5年(1852)10月に津藩演武荘,伊勢講武荘,名張藩での試合が記されている。これらの試合では藩名・地名が記されているが流派名や師範名は記されていない。名張藩では槍術との試合も記録されているが同様に流派名や師範名は記されていない。これは土佐藩武市半平太の万延元年(1860)の『剱家英名録』の岡山天城藩、福山藩(誠之館)や同じく文久元年(1861)の『剱家英名録』の伊州藩(伊賀精武館)、津藩(津藩演武荘)と同じである28)。これらの藩では試合や、稽古に関して流派を問わず防具着用の稽古がされていたと考えられる。
 土佐藩の樋口真吉が津藩で試合を行った嘉永5年(1852)9月18日の日記の記録には「目付役出て挨拶アリ、試合両側ニ立ル人数三拾餘人、分相を貪る事甚劣ナリ、拙堂之意如何、黄昏終る」とあり、19日の記録にも「暫有て人数廿餘人出来り、三輪ニ組て試合、午前ニ終ル」とあり、流派ごとの試合はなされていないことが分かる。また、同じ日記の記録に津藩の武場の壁書が記されておりその最後に「諸流之花法ハ各同しからすといへとも試合ニなり候而は刺撃之二ツに帰し候間、相互ニ打解け彼長を取り己か短を補ひ、他流之批判妄ニ致間敷候事」と記されている29)。
 幕府講武所は安政3年(1856)に設けられ,流派うちまじって槍剣術の試合練習をしたが30), それよりも先に地方の藩がこれを行っていたことがわかる。

『英名録』の津藩演武荘の部分
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  1. 2020/09/23(水) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 10

Ⅳ.まとめ
1.高鍋藩の大石神影流の導入
 高鍋藩は嘉永3年(1850)に武藤庄之進,泥谷敦水の2名を柳河藩の大島流槍術師範加藤善右衛門25)に石井寿吉,柿原篤次郎の2名を柳河藩の大石神影流剣術師範大石進に入門させている。また、その後も他藩への遊学の中で柳河藩,久留米藩への遊学は優遇されている。のちに剣術流派を大石神影流と津田一伝流に統一しているが,津田一伝流の師範となった立山正之助(智)と中元寺勇己26)は柿原篤次郎から皆伝を受けており27)高鍋藩が防具着用で稽古を行う先進的な流派の導入を企図していたことがわかる。
柿原篤次郎から石井守隣にあてた大石神影流剣術陰之巻。立山正之助(智)と中元寺勇(己)の名がある
2.廻国修行
 石井寿吉が大石進に入門したのが嘉永3年4月で大石神影流の皆伝を受けたのが嘉永7年1月である。その間,嘉永3年を除き,すべての年にかなり広範囲に廻国修行を行っている。これは大石七太夫(進種次)の指導によるものと考えられる。

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  1. 2020/09/22(火) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 9

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  1. 2020/09/21(月) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 8

2.『英名録』の記述
 年ごとの廻国修行の経路は以下の通りである。日付は試合の日付であり,到着した日付ではない。日付の間隔があいている場合は〔  〕内に所在地を推定した。『英名録』の記述で日付が前後しているものは日付順に直した。
 また各地での流派名と試合門人数を表2にまとめた。

嘉永3年(1850)
4月より大石導場(柳河藩),11/4熊本藩
嘉永4年(1851)
4/10佐賀藩諫早領➡4/12-14長崎➡4/16大村藩➡4/22平戸藩➡4/29佐賀藩武雄領➡大石導場(柳河藩)➡7/8柳河藩他流派➡大石導場➡11/7,8延岡藩
嘉永5年(1852)4/12唐津藩➡4/13佐賀藩多久領➡4/16-17小城藩➡4/21-23久留米藩➡〔大石導場か〕➡5/1,2柳河藩他流派➡(大石導場)➡8/5秋月藩➡8/8小倉藩➡8/13-19長州藩(萩)➡8/22海北:現防府市➡8/24右田:現防府市➡8/28徳山藩➡9/3広島藩➡9/3三原藩➡9/19伏見➡9/21-10/6京都➡10/13津藩➡10/16伊勢➡10/17,18伊賀名張➡10/21-23郡山藩➡10/24奈良➡10/28-12/14京都
嘉永6年(1853)
2/2,3大坂➡2/7丸亀藩➡2/7-12多度津藩➡2/18伊豫西條藩➡2/21-23伊豫今治藩➡2/25-29伊豫松山藩➡3/3伊豫新谷藩➡3/16,17豊後臼杵藩➡大石導場➡10/18豊後森藩➡10/21,22豊前中津藩➡10/24,25豊後立石藩➡10/27豊後日出藩➡10/晦日 豊後府内➡11/2熊本藩鶴崎➡11/7,8臼杵藩➡11/11佐伯藩➡11/14延岡藩➡11/29飫肥藩清武➡11/7,8柳河藩他流派➡〔大石導場か〕
嘉永7年(1854)
正月吉日大石神影流皆伝➡〔高鍋藩か〕➡4/10,11佐土原藩➡4/12飫肥藩清武➡4/15,16飫肥藩➡5月高鍋藩撃剣師範となる
安政2年(1855)
3/27,28延岡藩➡〔高鍋藩か〕➡10/12佐土原藩➡10/14薩摩藩高岡➡10/16飫肥藩清武➡10/19飫肥藩
安政3年(1856)
4月より江戸鏡新明智流 木藤和平次稽古場
安政5年(1858)
3/9飫肥藩➡4/9岡藩➡4/26,27久留米藩➡5/7,8大石導場➡5/11佐賀藩➡5/13小城藩➡5/17大村藩➡5/19長崎➡5/23嶋原藩➡6/5人吉藩➡〔高鍋藩か〕➡9/27佐土原藩
万延元年(1860)
3月より江戸
文久元年(1861)
4/1会津藩江戸藩邸


会津藩江戸藩邸での試合の記録
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  1. 2020/09/20(日) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 7

Ⅲ. 『英名録』にみる廻国修行の経路と試合した流派・人数
1.『英名録』について
 『英名録』には大石七太夫(進種次)のもとで学び始めた嘉永3年(1850)4月の大石導場から始めて文久元年(1861)4月の江戸の会津藩邸と思われる場所での試合までの試合相手,稽古相手が時系列で記されている。主に九州を中心に廻国しているが,中国地方や京都を中心とした関西,四国そして江戸での試合の記録もある。
記録には試合相手による記入のほか石井寿吉本人による記憶をたどった記録と思われる部分があり、記述に日付が前後する部分がある。
また,『履歴』(史料1)には安政元年に江戸で「桃井、千葉、斎藤,其他有名家ノ導場ヘ縷々會ス」とあるが,『英名録』にその記録はない。
槍術との試合も記録されているが、石井寿吉は高鍋藩で種田流槍術も稽古しており、槍術での試合も行ったものと考えられる。

写真は石井寿吉の子、石井守隣とその教え子。石井守隣は父の石井寿吉とともに大石家に入門した柿原篤次郎から免許を授かる
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  1. 2020/09/19(土) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 6

Ⅳ 石井寿吉の武術歴について

石井寿吉の経歴
 石井寿吉の経歴は石井家文書の「履歴」(資料1),「履歴」(仮題)(資料3)と「石川氏世系之図」によって知ることができる。
 
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写真は『英名録』中、槍術の試合をした箇所
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  1. 2020/09/18(金) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 5

Ⅲ 石井家文書について

 石井家には以下の文書が残されている
1.『履歴』」(資料1)…石井寿吉の武術の経歴を記し,最後に大石神影流の免状写しを記す。
2.『表題なし』(資料2)…堤宝山流和良の経歴を簡単に記す。
3.『履歴」(仮題)(資料3)…資料1と同じく石井寿吉の武術の経歴をやや叙事詩的に記す。大石進への入門年と免許に至るまでの年数に間違いがある。資料1から3は一つに綴じてある。
4.『石川氏世之図』…清和天皇から始まり源氏を経て石川氏から改正し、石井氏となり明治の石井守隣にいたるまでの系図。
5.『大石神影流剣術陽之巻』…嘉永7年に大石七太夫(大石進種次)から石井寿吉にあてた伝書。
6.『大石神影流剣術陰之巻』…嘉永7年正月に大石七太夫(大石進種次)から石井寿吉にあてた伝書。
7.『免状』…嘉永7年正月に大石七太夫(大石進種次)から石井寿吉にあてた一枚物の免状。 
8.『英名録』(仮題)(資料4)… 表題なし。嘉永3年4月から文久元年までの試合相手を記した英名録。
9.『大石神影流剣術陰之巻』…明治33年2月に柿原宗敬(柿原篤次郎)から石井守隣(石井寿吉の長男)にあてた伝書。
10.『表題なし』…大石神影流の手数を解説したもの。著者名なし。石井寿吉によるものか。
11.『大石神影流 表』…大石神影流の手数を解説したもの。石井守隣による。

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  1. 2020/09/17(木) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 4

3.新しい流派の導入
 前述のように『日本教育史資料 参』には高鍋藩の剣術について「其多門反テ振ハサルヲ致スヲ以テ津田一伝流大石神影流ヲ以テ当藩流トシ其他ヲ廃ス」と記述されている。
高鍋藩の『続本藩実録』によれば嘉永3年(1850)2月4日の記事に「武藤庄之進泥谷敦水以上両人鎗術石井寿吉柿原篤次郎以上両人剣術以上四人丸ニケ年弐人ふち路料師匠勤金等被下柳川江差越修行被仰付」9)とあり,2名を槍術修行に2名を剣術修行に柳河藩に向かわせたことがわかる。柳河藩の大島流槍術の師範である加藤善右衛門の『旅弟子姓名録』には5名の高鍋藩の門人が記録されており,その中に武藤庄之進と泥谷敦水の名がある10)。大石進の『諸国門人姓名録』には高鍋藩の門人2名が記録されており,この2名は石井寿吉と柿原篤次郎である11)。加藤善右衛門は槍術において防具着用の試合稽古で名がある人物で柳河藩外からの門人が446 名確認でき,大石進もまた剣術において防具着用の試合稽古で名がある人物で柳河藩外からの門人が402名確認できる。
 『続々本藩実録』には文久元年(1861)3月26日の記事に「是迄久留米柳川江為執業参リ候者ヘ壱ケ年ニ金七両壱歩ツゝ被成下来候ヘ共当時諸色高直ニ相成候間三分増ニテ都合八両ツゝ被下候事治定」12)とあり,嘉永3年の留学以降,久留米藩・柳川藩への遊学の制度が整えられ,他藩の先進的な流派を積極的に取り入れようとしていたことがわかる。

写真は『諸国門人姓名録』
 
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  1. 2020/09/16(水) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 3

2.武術の見分
 毎月一度,家老中都合,奉行,文武改役が藩校明倫堂に臨席するのを「内改」といい,三か月に一度家老、奉行,大目付,文武改役全員が臨席するのを「大改」としていた。定期的に藩校での見分が行われている6)。
 また,藩主が在城するときには士卒の文武を必ず「上覧」することになっていた。「不時御入」といって略式でその日に出席している者の巡視も行われた7)。
 「武芸」の師範が中位免許を出そうとするときには,その姓名を稽古改役に提出し,「大改」で「勝負合の優劣業前の巧拙」を臨席の有司が「検査」して後にこれを許された。「免許ヲ受ケシ者ニハ金二百疋中位ニハ百疋ヲ賞賜ス」とされている8)。

写真は高鍋城址にある歴史総合資料館です。

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  1. 2020/09/15(火) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 2

Ⅱ.高鍋藩の武術

1.高鍋藩の武術流派
 『日本教育史資料 参』によると高鍋藩の藩校明倫堂の「学科学規試験法及び諸則」の項に槍術、剣術、柔術、長刀に関して以下のように記してある4)。

槍術 種田流アリ毎月六次師範頭取道場兵賦局搆内ニアリニ出て騎士以上の子弟に授ク世業二家アリ
剣術 旧藩剣術流派尤多シ雲弘流大石神影流津田一伝流示現流武備志流角門戸ヲ張リ師範頭取毎月六次或          ハ三次分日導場ニ出テ士族ノ師弟ニ教授ス元治二年二月九月其多門反テ振ハサルヲ致スヲ以テ津田一伝流大石神影流ヲ以テ当藩流トシ其他ヲ廃ス卒或ハ望ニ従テ授ク卒ハ別ニ大示現流ナル者ヲ学フ師家別ニアリ
柔術 宝山流世業三家アリ毎月三次道場ニ於テ教授ス卒ハ楊心流笹下流捧天音流三津道具長柄小鎌鏁鎌ノ類各其師家ニ就テ学フ
長刀 旧藩月山流長刀ナル者アリ属邑福島ノ隠士山崎徳入ナル者飯笹流大身ノ槍ヲ学ヒ自得スル所ニ乄尤槍ヲ拒クニ利アリ騎士以下必ず之ヲ学テ藩主床机廻ヲ護衛スルニ備フ世業三家アリ毎月三次道場ニ出テ教授ス

 剣術ははじめ示現流のほか小坂又右衛門が修めてきた雲弘流や日髙藤馬之丞の心影流が行われたが,大石神影流と津田一伝流がこれに加わり,のちに大石神影流と津田一伝流に統一された5)。
 槍術は後述するように大石神影流と同時期に柳河藩の大島流が取り入れられている。

写真は上:楊心流伝書(高鍋町歴史総合資料館蔵)と下:月山流長刀伝書(飫肥歴史資料館所蔵山之城家文書)
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  1. 2020/09/14(月) 21:25:00|
  2. 武道史

高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉について 1

 日本武道学会第53回大会(オンライン開催):<大会期間:2020年9月7日(月)~ 9月8日(火)>での私の発表資料を載せていきます。

Ⅰ.はじめに
高鍋藩大石神影流師範 石井寿吉隣忠は石井進隣臣の長男として天保2年(1831)10月20日に生まれた。藩校明倫堂に入り文武を学び1),嘉永3年(1850),藩費により柿原篤二郎とともに柳河藩の大石七太夫(進種次)に入門2),嘉永7年(1854)正月には七太夫より免状を授かっている3)。
本研究では高鍋藩と大石神影流のかかわりについて述べるとともに,石井寿吉の『英名録』から石井寿吉が廻国した地域の各藩の剣術の動向を明らかにしたい。

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  1. 2020/09/13(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

四国九州筋劒術試業中日記

 『四国九州筋劒術試業中日記』は池内,荘四郎によって記された廻国修行日記です。高浜虚子の実の父で24歳の時、九州に剣術修業に出かけています。松山藩の剣術監になったということですので剣術の腕もあった人だと思います。『四国九州筋劒術試業中日記』は昭和5年にほととぎす出版によって 高浜虚子 編として活字で出版されていますので、活字でも読むことができます。高浜虚子に関係する博物館で、その当時には高浜虚子は病床にあったので彼の弟子たちが主に編集したのではないかとお伺いしました。
 原本の『四国九州筋劒術試業中日記』にもに本来は英名録に記録されるべき試合相手の流派名や名前が記録されていたりしますので、池内,荘四郎自身が英名録と廻国の途中で記録した日記を一冊にまとめたのではないかと思います。活字になった『四国九州筋劒術試業中日記』は言葉の編集が面白く、多少原本とは異なるところもありますが、機会があれば一度読んでみてください。
 さて、この『四国九州筋劒術試業中日記』ですが、これまで読んだ廻国修行日記と比べて特に感じるのが、各所で試合する人たちの恩情に対する感謝の念が深いことです。感情が繊細で豊かでもあったのでしょうか。SNSで繰り広げられる「俺が、俺が」という表現とはことなり、廻国修行日記でありながら、読んでいて暖かなものを感じます。
 原本は写真に収めていますので、いつか分析して発表したいと思います。

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  1. 2020/09/12(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

言葉

 言葉はその人の思いを表すことがあります。
 澁川一流の形を忘れないために記録するのに「絞る」と書くのと「絞り上げる」と書くことの違い。「抑える」と書くのと「抑えつける」と書くことの違い。小さなところですけれども、このようなところにも繊細になってください。先になると大きな違いになってしまいます。

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  1. 2020/09/11(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

打太刀・受の稽古

 大石神影流や無雙神傳英信流の太刀打や詰合においては通常は打太刀を上位者が務めますが、この時に打太刀を務める人はどうしても仕太刀が怪我をしないように間合がいい加減になったり、受けやすいように斬り込んでしまいます。
 まだまだ仕太刀が動けないと思ったら間合いを甘くしたり、受けやすいように斬り込むのではなく、正しくゆっくり斬り込んでください。自分の稽古にもなりますし、師たちの稽古にもなります。
 これは澁川一流の受の稽古についてもいえることです。澁川一流の受は非常に単純な動きしかしませんが、この単純な動きでも正しく稽古しなければ間合を間違え役に立ち稽古にはなりません。捕がまだ十分に動けないと思ったら、いい加減に仕掛けるのではなく正しくゆっくり仕掛けてください。

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  1. 2020/09/10(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

蹴らない

 大石神影流では無雙神傳英信流よりも中段に構えたときの体の開きは大きく、つま先が大きく外に開きます。
 この状態から床を蹴って打ち込むと膝をひねってしまい、ひざを痛めることがあります。稽古が進んだ方は刀と体が一体となっているはずですので、刀が体を導くとこころを工夫してください。

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  1. 2020/09/09(水) 21:25:00|
  2. 剣術 業

そのレベルになければわからない

 しばしば海外の門人の指導を送ってくれた映像をもとに行っていますが、言葉は何とかなっても、そのレベルに至っていなければ難しいことを指導しても理解はできないものだということは痛感します。これは日本人を教えるときにも同じなのですが、ある人にはこういう指導を市、またある人には同じ事柄に対して異なる指導をするということが起こります。多数を前に個別指導をするとこういう困難がいつも付きまといます。
 「あなたはこれを聞く必要はない。」「あなたはこちらを聞いても間違ったように理解する。」ということがよくあるのです。指導される方は、そういうところにも意を用いてください。

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  1. 2020/09/08(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

流れを感じながら

 海外の支部の人たちは非常に熱心で、同じ時間お教えしても日本人よりも上達が早い人たちが多くいます。一つだけ気になるのが無雙神傳英信流の稽古を始めたばかりの外国人の人は素抜抜刀術の稽古ではなぜかメリハリをつけて動きたいということです。簡単に言えば軍隊の教練のように動いてしまうのです。止まったあとは急激に動き、またパッと止まってしまう。なぜか一人で行う方のときにおこる現象です。何かに影響されているためかとも思いますが、柔術や剣術で二人で行う形や手数のときにはあまりそのようにはならないので不思議です。
 急激に動くことの欠点や止めてしまうことの欠点をよくよく説明すると納得して動きは変わり始めます。

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  1. 2020/09/07(月) 21:25:00|
  2. 居合 業

ゆっくり稽古する

 自分の動きや心の働きを確認する稽古のときにはゆっくり静かに動いてください。普段通りの100%の動きをしようとすると、そこには現時点での心の焦りや体の緊張が出てしまいます。しかし、100%で動いていますので余裕もなく、なかなか自分自身でそれに気付くことができません。
 米国エルパソ支部長はよく稽古のビデオを送ってくれ、正すべきところを記して送るのですが、ある時、普段よりもゆっくり動いているビデを送ってくれました。それまでの動きのように余分な緊張もなく心も落ち着いていました。自分自身でもゆっくり動くことの大切さがわかったようです。
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  1. 2020/09/06(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

一人一人を導く

  貫汪館では無雙神傳英信流、澁川一流、大石神影流の師が行われていたように稽古する方一人一人を見て、それぞれが最適な方法で上達していけるように指導しています。したがって短い稽古時間に一人一人を注意深くみていかなければなりませんので指導は自分の稽古以上にはるかに労力をもちいます。特に初心者から中級者に至るまでの人は自分自身で良し悪しがわからないので指導には気を使います。10人稽古する方がいれば稽古中に10人全員を把握して導かなければなりません。
 また、長い目で導いてもいます。この人は今この段階でどうしていけば1年後2年後にこうなる。これをしていたら1年後2年後には全く上達していないということも考えて導いています。
 そのような指導をしていますので、無雙神傳英信流の師 梅本三男先生は晩年には初心者を指導されなくなりました。そこまで考えて指導しているのに、半年や1年、2年でやめて行くかもしれない人に残された限りある人生の中で無駄な労力と時間はかけたくなというお考えだったのだろうと思います。

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  1. 2020/09/05(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

職業

 無雙神傳英信流の師 梅本三男先生は私が先生の命で道場を開いたときに、「新しく稽古を始められた方がいたときには、聞ける状況になったらその人の職業を尋ねなさい。」と教えてくださいました。お聞きしたときには個人的なことを聞いてもいいのかなと思いましたが、次のような理由でした。

 職業によって、その人の物事に対する考え方や取り組み方が異なることが多く、職業をお聞きすることがその人を指導するうえで参考になる。また、職業がその人の性格まで形作ることがある。

 長い間指導してきてなるほどと思うことがありました。先生にとっても私にとっても指導は個人をいかに上達させていくかということであり、「技術は授けました「」という一方的なものではありません。一人一人を見て、この人はどのように導く、あの人はどのように導くといった方法が異なってきます。その人の職業はその人を導く上での参考になります。

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  1. 2020/09/04(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

大石神影流の手の内

 大石神影流の師 大石英一先生はできているところを褒められるということはありませんでした。師と弟子でマンツーマンで指導を受けているわけですのでできて当然。できないのがおかしいくらいの感覚で指導を受けたように思います。できていないところは何回か具体的にはっきり指摘されることもありましたが、稽古の最中に小さな目の動きで私の不出来なことを指摘されることもありました。私が気づいていなければそのご指導を見落としていたと思います。そこには「わかっているのにできなかっただろう。」という先生のお考えがあったと思います。
 さて、手の内ですが、無雙神傳英信流の手の内と全く同じです。稽古をつけていただく前には、もし手の内が違っていたら流派ごとに使い分けなくてはならず、むつかしいことになると思っていましたが、はじめて先生に稽古をつけていただいたときに全く同じだと追うことがわかりました。先生はできていることは指導されませんので、手の内に関して言葉で指導を受けることはありませんでした。もっとも土佐藩では剣術は大石神影流を、居合は無雙神傳英信流を稽古している武士も少なからずいましたので相性が良かったのかもしれません。
 のちに先生のお嬢様が手の内についてお話になられたことがありましたが、それを聞かれた方は納得されているかと思います。

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  1. 2020/09/03(木) 21:25:00|
  2. 剣術 業

タコの吸盤が吸い付くように

 無雙神傳英信流の師 梅本三男は手の内についてタコの吸盤が吸い付くようにと教えてくださったことがあります。この意味が分からずずいぶん工夫しましたが、わかるようになってしまえば、そういうことなのかと腑に落ちます。実際の稽古の際にお教えしているとおりなのですが、握らないと不安に思う人はなかなか至れません。
 タコの吸盤といっても大きなタコがギュッと吸い付くイメージではなく、ごく小さなタコが柔らかく吸い付いているくらいなのですが、握らないということを教えられたたとえです。実際にできるようになると、なるほどタコの吸盤かと納得できると思います。

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  1. 2020/09/02(水) 21:25:00|
  2. 居合 業

打太刀

 大石神影流や無雙神傳英信流の打太刀を務める方の中に仕太刀の最後の動きに後に気を緩めて「終わりました」となってしまう方がおられます。
 手数・形は少なくとも最初の礼法から最後の礼法まで気を抜いてよいいところはありません。上位者の打太刀が気を抜けば仕太刀も当然気が抜けてしまい残心はなくなります。手数や太刀打・詰合の稽古は演技ではありませんので「負けました」を演ずる必要はありません。打太刀はいついかなる時にも仕太刀を導かなければなりません。

  1. 2020/09/01(火) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

往時の10年

 武道史の研究を通じて、幕末の頃には、多くの流派でまじめにほぼ毎日、正しく師匠の下で稽古を続ける人はおおむね10年程度で免許皆伝にいたるいたるということがわかっています。道場に通い始めるのが元服の15歳前後だとしたら25歳すぎたくらいになります。また、道場に通うようになる前に、父親や兄弟や親戚から基礎的なことはすでに仕込まれていますので、10年+10年といっても過言ではないかもしれません。もちろん流派によってはもっと長くかかることもありますし、もともとある流派を稽古していて、藩命や他の理由で流派を変えた場合や、他藩に留学した場合には事情をくんで短くなっている場合もあります。
 10年といいましたが、現代の10年とは違ってあくまでもほぼ毎日師匠の下で指導を受けながら稽古しての10年ですから、現代人が師匠のもとに稽古に通うのが週に1回であれば70年かかりますし、週に2回であっても35年かかります。現代人が10年稽古していますというのとは事情が異なります。また当時は剣術のみではなく柔術や馬術、槍術などの他の武道も同時並行して学んでいますので、そのような要因を考えれば週に1回ある流派を稽古していますという人は幕末の10年分の質の稽古をしようと思ったら70年ではとてもすまないかもしれません。
 そのような観点から見ると、現代人がいくつもの流派の剣術の免許皆伝を持っていて、さらに槍術や柔術の免許皆伝を持っているということは、よほどのことがなければあり得ません。当時の武士のように物心ついたころから起居進退について教えられ、家督を継ぐまでは自由であり、稽古は好きなだけできる環境になければなりません。
 当時の人たちはそのような稽古をしていたのだということを忘れずに、自分の至らぬところに気づく稽古を重ねてください。
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  1. 2020/08/31(月) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

SNS

 何度か述べたことがありますがSNSでは会ったこともない人達がお互いの意見や映像を見ることができる便利な道具です。しかし、会ったこともないのに、また知り合いでもないのに、対象となる人への批判・批評を公にするという一昔前には考えられなかったことも当然であるかのように一部では行われています。
 会って、詳しくお話をお聞きすれば真意はどこにあるのかということもわかる場合があり、、自分の批判・批評も的外れであったかもしれないのに、正義が自分にあるかのように勘違いして平気で批判・批評を行うのは少なくとも武道を修行として行っているものがとる態度ではないと考えます。
 貫汪館で稽古している方は、そのようなことをしていると、暗闇で突然何かが起こるかもしれないということが想像できる力を持ってください。

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  1. 2020/08/30(日) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

できている

 昨日、先入観ということについて記しましたが、これは一般の方に公開する講習会を行ってもそう感じることがあります。
 一般の方に公開する講習会においても実は最も大切なことことお伝えしているのですが、他武道を経験している方の多くがそういうところはすでに会得していると思われていて形の手順にしか興味を持たれません。しかもその形の大切なところをお伝えしても興味関心がないようなのです。
 流派を盗まれないという点においてはいいことなのかもしれませんが、見えないところ簡単に思えるところ、地味なところに流派の本質が潜んでいますから、そういうところはできていると思われる方には習得はむつかしいのだと思います。

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  1. 2020/08/29(土) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

先入観

 何事においても先入観が物事の習得を難しくします。自分自身がこれが正しいのだと思ったことを無にするのはそれほど難しいことなのです。これまで稽古に来ようとされた方の中には「剣道や柔道の経験はないのですが」と話された方が多くおられます。むしろ経験がない方が上達されるのですとお話しすると不思議な顔をされます。理由を話すと納得されるのですけれど。
 刀を構えるときの手の内は竹刀を最も有効に用いて現代剣道で試合に勝つための手の内とは異なりますので、剣道の手の内で刀を持つと異なりますし、柔道で有効な技を出すための体の動きと刃物に対することを前提とした体の動きは異なります。まじめに以前の武道の稽古に取り組んでいた人ほど、それがすべてに共通する正しいことだと思い込んでいますので、その武道の癖が後々まで修正できず、なかなか上達できないということはほとんどの人におこります。流派の基礎を作る時点でマイナスから始めなければならないからです。 これまで他の武道を稽古した経験がありながら、速やかに上達できた方は忘れる事、離れることができた人たちです。
 他の武道を経験していなくても先入観が阻害することがあります。時代劇が好きで力任せに切ることがいいと思われた方は、なかなか力任せの動きから脱却できませんし、パパっと素早く動くのがいいと思われていた方は床を蹴って動こうとする癖が抜けません。自己流に木刀を振っていた方も同じです。
 難しいものです。
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  1. 2020/08/28(金) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

歩き方

 航空自衛隊の幹部自衛官であったとき、1年間アメリカのテキサス州エルパソにある米国陸軍のフォートブリスでペトリオットについて学んだことがあります。その時にどういう歩き方をすればよいのか工夫をしたことがありました。
 米兵の制服を着たときの日常における歩き方は様々でした。映画のなかの軍人が見せるように、胸を張り長い脚でさっそうと歩く軍人は見るからに軍人らしく様になっていたのですが、日本人の体形ではとてもできない歩き方でした。残念ながら脚の長さが違います。かといって階級の低い米兵が制服を脱いだ時の普段とあまり違わない歩き方をするのも米陸軍の中尉の階級章をつけていた日本の航空自衛官にはふさわしくないようにも思われました。では刀を腰にした時の臍下中心の歩き方をするかというと制服には似つかわしくなく、結論は胸中心でもなく臍下中心でもなく胃のあたりを中心に歩くこと。刀を腰にした時に時に比べて鼠径部は伸びてしまいまい、すぐに刀が抜ける姿勢ではありませんが、動けないほどでもなく折衷という感じでした。
 刀を腰にしているわけでもないので、そのような姿勢で歩くことを心がけると不思議にすれ違う時にアメリカ兵が敬礼をしてきました。隣に米陸軍の大尉の階級章をつけていた日本の航空自衛官がいても私に敬礼してくるのです。不思議でしたが歩き方から何かを感じたのかもしれません。退職前に航空学生教育群にいたときも歩き方を褒められたことがあり、普通は教育隊の区隊長が行うのに、群本部勤務で英語教官を兼務していた私が中央観閲式の航空自衛隊徒歩部隊で幕僚のポジションで行進しました。
 大昔の話ですが、日常生活で歩き方を工夫できるというお話です。

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  1. 2020/08/27(木) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論

日常生活とのつながり 4

 私の場合にも家がもともと農家であったということもあり、子供の頃は農作業や山仕事をしてきました。山に入ると枝打ちのために長い柄をつけた鎌を使わねばならず、今にしてみれば良い経験だったと思うのですが、中学で現代剣道を始めたときには結びつきには気づくことはなく、体を鍛えるという意味でよかったのだろうくらいの漠然とした考えしかありませんでした。しかし古武道の稽古を始めて次第に日常生活と武道は切り離せないものだということがわかってきました。
 日常生活の質を高めるように努めてください。それがそのまま武道の上達につながっていきます。

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  1. 2020/08/26(水) 21:25:00|
  2. 居合・剣術・柔術 総論
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